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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年3月15日日曜日

美しい手

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、それ以外に人生に実現すべきことは存在しないからです。
人生の目的を果たすことがなければ、他に何をしても人生は空しいのです。
人生の目的を果たすことがなければ、あなたの内から空しさを取り除くことは出来ないのです。
すべての人が、空しさを抱えています。
ただ生きるだけでは、人生は空しいのです。
”当たり前”に生きたり、迎合(げいごう)するような生き方では、空しさは避けられないのです。
人は、平穏(へいおん)に暮らすために生まれたのではありません。
残念ながら、平穏に生きることは空しいということを覚えておきましょう。
人生に対して、人生の目的を果たさなければ、後悔することになると理解しましょう。
自分が何のために生まれたのかも分からず、何のために生きるのかも分からず、何のために死ぬかも分からないのに、どうやって人生に満足するというのでしょうか?
残念ながら、人生が何かも分からない者には、それを満足することは出来ないのです。
あなたが果たさなければならないのは、与えられた人生の目的です。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
人生の目的を果たすために時間と労力を費やさなければ、人生は空しいということを覚えておきましょう。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自力によって、人生を組み立てなければならないのです。
人生の目的を探し、それを果たそうという気概(きがい)がなければ、人生を完成させることは出来ません。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を探しません。
そして、人生の目的を果たそうとはしないのです。
なぜなら、人生の目的を探すことも、それを果たすことも、苦労の道だからです。
人生の目的を探すためには、常識や信仰(しんこう)を手放さなければなりません。
人生の目的を探すためには、所有を離れなければならないのです。
所有とは、現状のことです。
あなたは、現状を所有しているのです。
現状に執着(しゅうちゃく)すれば、それよりも良いものを手に入れることは出来ません。
人生の目的を見付けるためには、現状を離れなければなりません。
現状を離れなければ、現状を継続しなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を知りません。
人生の目的を知らないにもかかわらず、それが平穏であるために安心しています。
今はそれで良いと思えるでしょうが、後にそれが悪いことを知るのです。
時間と労力は、取り返すことが出来ません。
一度消費してしまえば、二度と戻らないのです。
あなたは、時間と労力が尊(とうと)いということを理解しましょう。
そして、人生は短いということも理解しなければなりません。
残念ながら、あなたに残された時間は僅(わず)かなものです。
それを軽んじてはならないのです。
人生をどのように生きるのも、自分次第です。
誰にも、あなたの人生を妨げる力はありません。
これは、あなたの人生なのです。
あなたは、自力で組み立てなければなりません。
多くの人は、他力に頼ります。
”当たり前”に生きることも、迎合する生き方も、他力に頼った生き方なのです。
残念ながら、あなたの人生の目的は、あなた以外の誰にも分かりません。
誰も、あなたの人生の目的を知らされてはいないのです。
親にも、兄弟にも、恋人にも、教師にも、あなたの人生の目的は知らされてはいないのです。
人生の目的は、自力によって見付け出し、自力によって果たさなければならないのです。
そのような気概の無い者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、これが自分の人生であることを理解しましょう。
誰にも、あなたに満足を与えることは出来ません。
誰も、あなたを満足させることは出来ないのです。
人生に満足を得るためには、人生の目的を果たす以外に方法はないのです。
残念ながら、誰も頼ることは出来ません。
”神”も頼ることは出来ないのです。
多くの人は、”神”を信じています。
なぜなら、”神”を信じることによって、救われたり、豊かさが得られると思い込んでいるからです。
しかしながら、”神”を信じたところで、あなたが救われることも、豊かさが得られることもありません。
残念ながら、”神”を信じることには価値が無いのです。
大切なのは、徳を積むことです。
徳とは、貢献(こうけん)のことだと理解しましょう。
あなたは、この世界や誰かに対して、貢献する必要があるのです。
”神”を信じていることでは、徳を積むことは出来ません。
なぜなら、貢献は行為によって実現するからです。
”神”を信じていたとしても、徳を積むことがなければ価値はありません。
”神”を信じていなくても、徳を積む者が尊いのです。
口は美しいが、手が汚い者に成ってはなりません。
口が汚くても、手が美しい者に成りましょう。
偽善(ぎぜん)に価値はありません。

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