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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年6月30日火曜日

必要な条件

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人生には、果たすべき目的が存在するのです。
人生の目的とは、人生の意味です。
それは、あなたが生まれた理由であり、最も重要なことなのです。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことです。
あなたは、人生の目的を果たすことの重要性を理解しなければなりません。
人生の目的を果たすことは、あなたが人生に生まれた理由です。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことのない人生は空しいのです。
何を手に入れて、何を手放そうとも、人生の目的を果たすことのない人生は空しいのです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるということを理解しましょう。
人生の目的を果たすためには、必要を実現しなければなりません。
必要を実現することによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、必要を実現しなければなりません。
必要を実現するためには、そのための条件を整えなければならないのです。
必要を実現するための条件が整わない限りは、必要は実現しないのです。
しかしながら、あなたには、必要を実現するための条件が分かりません。
あなたには、何によって必要が実現するか分からないのです。
必要を実現するための条件は、誰にも分かりません。
それは、誰にも必要が分からないからです。
すべての人には、何が必要か分からないのです。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人が知らないのです。
すべての人が汚れており、すべての人が歪(ゆが)んでいます。
そのため、必要を理解することが出来ないのです。
あなたに出来ることは、必要を実現するための条件が整うのを待つことです。
人事を尽くして天命を待つのです。
あなたは、自分に出来ることを十分に行えば、後のことは人生に任せるのです。
結果は気にする必要はありません。
なぜなら、あなたには、何が正解か分からないからです。
誰にも、正解は分かりません。
そのため、正解を求める必要はないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なっているのが自然です。
人は、それぞれの目的のために生まれたのです。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
あなたは、正解が分からない中で、必要を実現しなければなりません。
人には、それぞれの努力の形が存在するのです。
あなたは、自分の努力の形を鍛(きた)えなければならないのです。
どのような形が完成かは分かりません。
しかしながら、あなたは必要の完成を目指して努め、そして、待たなければならないのです。
条件が整わなければ、必要が実現することはありません。
あなたは、焦(あせ)ることなく努めましょう。
自分に出来ることに努めるのです。
自分に出来ること以外は出来ません。
自分に出来ること以外は、努力のしようがないのです。
自分に出来ることに努めていれば、必要を実現するための条件は整います。
残念ながら、必要を実現するための条件は、思い通りに整えることは出来ないのです。
焦って動いたとしても、必要を実現することは出来ないのです。
必要な条件が整うまでは、辛抱(しんぼう)しなければならないのです。
残念ながら、人生を思い通りにすることは出来ません。
それは、あなたには必要を理解することが出来ないからです。
あなたは、自分に出来ることに努めましょう。
自分に出来ることに手を抜いてはなりません。
自分に出来ることに手を抜いているのであれば、必要を実現するための条件を整えることは出来ないのです。
人事を尽くして天命を待つことです。
人生を思い通りにしようなどとは考えないことです。
あなたがどのように努めても、人生を思い通りにすることは出来ないのです。
条件が整うまでは、努力を惜(お)しまず、辛抱して待つしかありません。
待っている時には、不安に思うこともあるでしょう。
しかしながら、人生には最善が導かれるのです。
待つことも最善です。
思い通りにならないことも最善として理解しましょう。

2020年6月29日月曜日

純粋に立ち返る

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を知らなければなりません。
知らなければ、果たすことは出来ないのです。
人生の目的を知ることは、何よりも重要なことなのです。
あなたは、人生の目的を探しましょう。
しかしながら、それは簡単には見付かりません。
どのような人物の人生の目的も、それを見付けるのは難しいのです。
それは、多くの人は盲目的(もうもくてき)に生きているからです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩に陥(おちい)り、人生の目的から遠ざかってしまいます。
目の前の快楽や欲望や責任や苦悩と向き合うことに専念することによって、人生の目的と向き合うことを忘れてしまうのです。
多くの人は、人生の目的を気にせずに生きています。
多くの人は、人生の目的のことなど考えてはいないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩のことばかりを考えているのです。
それでは、人生の目的を見付けることは出来ないのです。
人生の目的を見付けなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすことがなければ、人生に満足を得ることは出来ないのです。
多くの人は、空しい人生を生きなければなりません。
多くの人は、人生を空しく生きるのです。
それは、人生の目的を探さず、人生の目的を知らず、人生の目的を果たすことが出来ないからです。
あなたは、人生を空しく生きてはなりません。
人生の目的を果たし、人生を豊かに生きなければならないのです。
あなたは、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を追い求めてはなりません。
そのようなものを追い求めても、人生を豊かに生きることは出来ないのです。
人生を豊かに生きるためには、人生の目的を果たす必要があるのです。
人生の目的とは、人生に生まれた理由です。
人生に生まれた理由とは、最も純粋な動機なのです。
あなたの最も純粋な動機は、あなたの最も純粋な位置に存在しています。
それは、あなたの中心であり、本質なのです。
あなたは、基本に立ち返らなければなりません。
純粋に生きる必要があるのです。
残念ながら、あなたは純粋さから遠ざかっています。
様々な快楽や欲望や責任や苦悩が心を覆(おお)い隠し、純粋さを遠ざけてしまうのです。
多くの人は、人生の目的ではないことに尽力しています。
多くの人は、見当違いな方向へと進んでいるのです。
人生の目的を果たすためには、その目的に辿り着くための方向性が必要です。
方向性が間違っているのであれば、目的地に辿り着くことは出来ないのです。
人生とは、長い旅路です。
少しのずれが、結果的に大きな差を生むのです。
方向性が間違っているのであれば、全く別の場所に辿り着いてしまうのです。
人生の目的を果たすためには、純粋に立ち返る必要があるのです。
あなたは、純粋を探さなければなりません。
純粋は、自分の内に存在します。
それは、外を探しても見付かることはないのです。
あなたは、自分の内に純粋を探しましょう。
純粋とは、本来の性質のことです。
それは、あなたの本質のことなのです。
本来の性質とは、誰かや何かを気にすることなく抱く興味のことです。
残念ながら、多くの人は、誰かや何かを気にすることによって、純粋な興味を失っています。
多くの人は、自分自身の純粋な興味が分からなくなっているのです。
周囲と同じような興味を抱き、周囲を気にした方法によって人生を歩もうとするのです。
本来ならば、人生の目的はそれぞれに異なります。
興味や方法は、異なっているのが自然なのです。
方向も歩み方も異なっていなければ不自然なのです。
あなたが他者と興味や方法を差別化するためには、人生に対して純粋に向き合わなければなりません。
あなたは、自分の内の最も中心に向き合う必要があるのです。
残念ながら、あなたは自らの純粋を忘れています。
自らの純粋を思い出すためには、自分自身と向き合わなければなりません。
外に向き合うことは大切なように思えますが、内に向き合うことこそ重要なのです。
多くの人は、外に価値を見出します。
その多くの人達は、人生を空しく生きているのです。
それは、外に向き合っているからです。
外をどれだけ探しても、あなたは満たされません。
どれだけ探してもです。
純粋は、外には存在しないのです。

2020年6月28日日曜日

あっても良く、無くても良い

人生には、必要が実現します。
人生には、必要以外は実現しません。
それが、どのような状況であろうとも、あなたにとっての必要なのです。
人生においては、何一つとして無駄は存在しません。
何一つとして、無意味は存在しないのです。
すべてが必要であるということを理解しましょう。
すべてが必要であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
あなたは、人生におけるすべての経験が、必要であるということを理解しましょう。
それが、どのような状況であれ、必要以外の何物でもないのです。
残念ながら、多くの人は、人生における必要を理解しません。
多くの人は、人生に無駄や無意味が存在すると思い込んでいるのです。
人生には、無駄や無意味に思えることは存在します。
しかしながら、それが無駄や無意味に終わることはありません。
無駄や無意味に思うのは、その経験に対する理解が浅いだけです。
その経験に対して理解が深まれば、無駄や無意味には思えなくなるのです。
以前のあなたには無駄や無意味に思えた経験も、時の経過と成長によって、その意味や価値を理解することが出来るのです。
人生に無駄や無意味に思えることが存在するのは、自らの理解力の不足(誤解)や、認識の歪み(偏見)があるからです。
成長によって、誤解や偏見を手放した時、必要を理解することが出来るのです。
人生には、無駄や無意味は存在しません。
あなたは、どのようなことにも価値があり、意味があるということを覚えておきましょう。
人生における必要と、あなたの理想とは異なります。
残念ながら、必要には、あなたの都合は反映されません。
必要は、あなたの理想を無視するのです。
人生において重要なのは、理想ではなく必要です。
あなたは、理想を実現するためではなく、必要を実現するために生まれたのです。
理想という誤解や偏見を実現することのために生まれた訳ではないのです。
人生には、理想を実現する必要はありません。
人生には、理想が実現する必要などないのです。
多くの人は、理想を実現するために生きています。
理想を実現することを目標として、懸命に努力を続けているのです。
しかしながら、どれだけ努力を重ねても、理想を実現するということは、誤解や偏見を実現するということに過ぎません。
それは、わざわざ、人生に歪みを生み出すことなのです。
多くの人は、理想を実現することに執着(しゅうちゃく)します。
自分の執着に気が付いていない人もいるのです。
人生に対して、誰かや環境に対して、不満や不安を抱くことは、理想を実現することに執着している証なのです。
理想を実現することに拘(こだわ)っているからこそ、不満や不安という感情が生じるのです。
理想とは、必要を否定する行為なのです。
人生には、常に必要が実現しているということを理解していれば、どのような状況も受け入れることが出来るのです。
しかしながら、不満や不安を抱いているということは、必要であるその状況を受け入れることが出来ていないということなのです。
必要を受け入れることが出来ているのであれば、不満や不安などの否定的な感情を抱えることはないのです。
あなたは、理想に執着してはなりません。
どのような理想も、決して必要には勝りません。
どのような理想も、必要には敵わないのです。
理想よりも、必要の方が重要です。
あなたは、必要を受け入れましょう。
人生において、それは、あっても良いし、無くても良いのです。
あればあることが良く、無ければ無いことが良いのです。
あるものが無い方が良いということも、無いものがある方が良いということもありません。
あっても良いし、無くても良いのです。
大切なのは、目の前の現実を受け入れる姿勢なのです。
人生には、常に必要が実現します。
あなたの人生には、不足は実現しません。
それがどのような状況であろうとも、あなたにとっての必要なのです。
あなたは、人生には必要が実現しているということを理解する必要があるのです。
残念ながら、多くの人は、人生に必要が実現しているということを理解することが出来ません。
そのため、理想という歪みに執着することになるのです。
理想を実現することで、人生の豊かさを手に入れた人はいません。
理想を追い求め、実現し続けたとしても、人生は豊かにはならないのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
理想を追い求めるあまり、必要を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
自分の都合で物事の良し悪しを考えてはなりません。
あなたには、必要を理解することは出来ません。
そのため、安易(あんい)に都合の悪いことを否定するのではなく、都合が悪くても様子を見るのです。
余裕を以(もっ)て生きましょう。

2020年6月27日土曜日

堅固な基礎

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるということを理解しましょう。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を知らなければなりません。
人生の目的を知らずに、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、この世界には”奇跡”というものは存在しません。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在するからです。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するというものです。
それが、どのような結果であろうとも、必ずそれに相応しい原因が存在するのです。
種が存在しなければ、芽は存在しないのです。
しかしながら、それが芽の状態においては、種を確認することは出来ません。
そのため、多くの人は、因果を信用しないのです。
多くの人は、この世界に偶然や”奇跡”が存在すると思っています。
しかしながら、この世界に存在するのは必然であり、当然の結果なのです。
原因が存在しなければ、どのような結果も存在することはないのです。
人生という結果が存在するためには、人生の目的という原因が必要不可欠なのです。
人生の目的が存在しなければ、人生は存在しないのです。
そのため、どのような人生にも果たすべき目的は存在します。
目的の存在しない人生は存在しないのです。
あなたは、人生の目的を探さなければなりません。
探せば、いつかは見付かるのです。
しかしながら、探さなければ、いつまでも見付かることはありません。
探すという原因は、発見という結果を導くのです。
見付かるまで探し続けるのであれば、それは見付かるのです。
人生の目的を探し続けるのであれば、やがてそれを見付けることが出来るでしょう。
あなたは、探し続けなければなりません。
人生の目的を探すことのない人生は空しいのです。
どのような生き方をしようとも、人生の目的を知らずに生きることは空しいということを理解しましょう。
人生の目的を知らなければ、どのようなことも空しいのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を知らなくても、人生に豊かさを実現することが出来ると思い込んでいます。
人生を思い通りに生きることが出来れば、豊かさが実現すると思い込んでいるのです。
残念ながら、理想を実現することは、豊かな人生を生きることにはなりません。
なぜなら、理想とは、偏見(へんけん)と誤解に過ぎないからです。
理想を実現することは、人生の目的を果たすことではありません。
人生の目的は、あなたが思い付く程、容易(たやす)い訳ではないのです。
あなたが理想を実現しようとする程に、あなたは人生の目的から遠ざかってしまうでしょう。
なぜなら、あなたには人生の目的が分からないからです。
残念ながら、あなたは人生の目的を忘れています。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?分からないのです。
何も知らないあなたが、人生の目的を果たすためには、人生に仕えなければならないのです。
人生こそが、あなたの人生の目的を知っているのです。
人生は、あなたが人生の目的を果たすことが出来るように導いているのです。
あなたは、人生に従(したが)うことによって、人生の目的を果たすことが出来るでしょう。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生に従わなければなりません。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生に仕(つか)えなければならないのです。
人生に仕えるためには、自分を捨てなければなりません。
自分を捨てずに、自分以外の何かに仕えることは出来ません。
自分とは、傲慢(ごうまん)のことです。
人生に仕えるのに傲慢であれば、それを叶えることは出来ないのです。
傲慢を抱えたままでは、仕えることは出来ません。
傲慢を抱えているのであれば、導きに反発するのです。
傲慢な者は、助言や忠告を受け入れることが出来ません。
そのため、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
残念ながら、あなたは人生の目的を知らないのです。
空しく生きていたければ、人生に仕えなくても構いません。
自分勝手に生きれば良いのです。
しかしながら、そのような生き方では、満たされることはないのです。
満たされることなく、空しく生きていたいのであれば、自分に仕え、自分の思う通りに生きましょう。
しかしながら、空しさを離れ、満たされたいと願うのであれば、人生に仕え、都合の悪い現実を受け入れて生きましょう。
人生は、必要だけを導きます。
人生が、無駄や無意味や無価値なことを導くことはないのです。
そのように思えても、決して無駄や無意味や無価値ではないのです。
自分に仕えるのも、人生に仕えるのも、あなたの自由です。
どのように生きても構わないのです。
満たされたいと思うのであれば、人生に仕えましょう。
人生に仕えると、思い通りにならないことの方が多いのです。
しかしながら、人生とは、元より思い通りにならないのが自然です。
自分に仕える人は、人生が思い通りになると勘違いしてしまうでしょう。
それは、自分勝手に生きることによって、”一瞬だけ”願望を実現することが出来るからです。
しかしながら、我が儘(まま)はいつか必ず弾劾(だんがい)されるということを覚えておきましょう。
一瞬の願望実現のために生きてはなりません。
基礎(きそ)を固めずに家を建ててはならないのです。
家を建てたい欲求を抑(おさ)えて、基礎を固めることに時間と労力を費やさなければなりません。
あなたは、人生の導きに従って、堅固(けんご)な基礎の上に家を建てましょう。
そうすれば、家は傾かず、倒れることはありません。

2020年6月26日金曜日

成るように成る

人生には、必要が実現します。
人生におけるすべての状況は、あなたにとっての必要なのです。
人生に不要は存在しません。
すべてが必要であり、最善だということを理解しなければなりません。
しかしながら、すべてが必要であり、最善であるということを理解するのは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人が未熟を生きています。
未熟とは、無知のことです。
すべての人は、知らないのです。
すべての人は、自分が何か?を知りません。
すべての人は、人生が何か?を知らないのです。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
人生が何か?分かりますか?
残念ながら、それ等の問いに答えることの出来る人はいないでしょう。
すべての人は、自分や人生が何かを知らずに生きているのです。
人生には無駄や無意味や無価値は存在しません。
そのように思えることがあるだけなのです。
無駄や無意味や無価値に思えることは、限りなく無駄や無意味や無価値に近いだけです。
近いだけで、それではないのです。
無駄や無意味や無価値に思えることにも、意味があり、価値があるのです。
それが必要だから導かれているのです。
それが不要であるのならば、導かれることはないのです。
無駄や無意味や無価値に思えることから得られるものは小さなものであるかも知れません。
それは、大きくもなく、派手でもないのです。
しかしながら、それが重要な”部品”であるということを理解しなければならないのです。
小さな部品であっても、それを欠いてしまえば全体が成り立ちません。
大きくて派手な部品が重要なのは当然ですが、小さくて地味な部品も同じように大切なのです。
自分にとって都合の良いことは、人生において歓迎(かんげい)すべきことです。
多くの人は、自分にとって都合の良いことを喜ぶのです。
しかしながら、自分にとって都合の悪いことは嫌います。
それは、小さな部品を取り付けずにいるようなものなのです。
一見すると、全体は完成しているように思えるかも知れません。
しかしながら、小さな部品を欠いていれば、必ず問題が生じるのです。
あなたは、部品の足りないパラシュートでスカイダイビングを行うことが出来ますか?
パラシュートは、必要最低限でありながら、必要最大限の部品で構成されています。
そこには必要が存在するのです。
何一つ無駄ではありません。
進歩することで必要ではなくなる部品も出てくるかも知れませんが、その時まではその部品が必要なのです。
何一つ無駄な部品は用いられてはいないのです。
あなたは、パラシュートの部品を一つ取り除いた状態で上空から飛び降りることが出来るでしょうか?
あなたは、それを拒(こば)むでしょう。
完全に整備されたパラシュートを願うはずです。
しかしながら、あなたには、パラシュートにおける必要は分からないでしょう。
専門家でなければ、パラシュートにとっての必要を知ることは出来ないのです。
あなたは、人生という大空に小さな身体とパラシュートで飛び降りなければなりません。
多くの人は、自らの背負っている小さなパラシュートを不安に思うでしょう。
しかしながら、それでもあなたは飛び降りなければなりません。
パラシュートの整備は、専門家である人生が行っています。
あなたは、それを信用しなければならないのです。
そして、あなたは、パラシュートの使い方を勉強し、正しく扱わなければならないのです。
パラシュートの整備は人生に任せても構いませんが、それを扱うのは自分自身なのです。
人生が、あなたと共に飛び降りることはありません。
飛び降りた後にどうするかは、あなたの役目なのです。
あなたは、自分の背負っているパラシュートの扱い方を知りましょう。
それは、この世界における自分の役割を知るということです。
すべての人は、人生に果たすべき目的を以(もっ)て生まれます。
人生の目的を果たすためには、必要な役割を果たさなければならないのです。
人生における必要は、人それぞれに異なります。
しかしながら、すべての人が必要を得ているのです。
あなたは、自分が恵まれているということを知らなければなりません。
そして、それを忘れてはならないのです。
多くの人は、自分が恵まれていることを、苦しみの中で忘れてしまいます。
多くの人は、自分が恵まれていることを、当たり前の中で忘れてしまうのです。
あなたがどのような現状を得ていようとも、それが必要なのです。
それ以外の最善は存在しないのです。
それでもあなたは恵まれているのです。
上を見ても、下を見ても切りがありません。
上には上があり、下には下があるのです。
そのことを理解すれば、あなたは自分が恵まれているということを理解することが出来るでしょう。
自分が恵まれているということを忘れた者は、感謝も同時に忘れてしまうのです。
感謝を忘れた者は、必要を不要と思い、意味を無意味と思い、価値を無価値と思って苦しんでしまうでしょう。
あなたは、人生を信用しましょう。
人生は、あなたが必要を実現することが出来るように必要を導きます。
後は、あなたが勇気を出して飛び降り、パラシュートを開いて、着地するだけなのです。
人生を心配する必要はありません。
人生は、成るように成るのです。
感謝によって、必要を受け入れましょう。

2020年6月25日木曜日

腹の毒

すべての人生は苦しみです。
すべての人生が苦しみなのです。
人生において、苦しみは避けられません。
苦しみを知らないという人はいないのです。
苦しみを知らないという人は、これから苦しみに会うでしょう。
どのように努めても、苦しみを避けることは出来ないのです。
それは、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人が未熟を生きています。
未熟であるということは、知らないということです。
すべての人が無知なのです。
それは、この世の理(ことわり)を知らないということなのです。
この世の理を知らなければ、苦しみを避ける方法も知らないのです。
苦しみを苦しみとしない方法は、理を知ることによって得ることが出来ます。
理を理解することが出来なければ、苦しみの本質も理解することが出来ないのです。
苦しみの本質を理解することが出来なければ、苦しみを苦しみとしない方法も理解することは出来ないのです。
大切なのは、この世の理を知ることです。
理を知らなければ、苦しみを手放すことは出来ないのです。
しかしながら、理を知ることは容易(ようい)ではありません。
理は、人の思考では理解することが難しいのです。
それは、普段から理と共に生きているにもかかわらず、それを知ろうとしないからです。
多くの人は、理を無視して生きてきました。
多くの人は、理の存在すら知らずに生きているのです。
見ようとしなければ見えません。
知ろうとしなければ知ることは出来ないのです。
苦しみを手放すためには、理を知る必要があります。
あなたは、理を見ようと努めましょう。
そして、理を知ろうと努めるのです。
苦しみを解決しようとして、苦しみをどうにかしようとしても無駄なのです。
それは、腹の中の毒のように、今すぐにどうにかすることの出来るものではないのです。
腹の中の毒を手放すためには、身体が排出(はいしゅつ)するという理を知ることです。
理を知れば、身体が排出するまでどうすることも出来ないということを理解することが出来るのです。
腹の中の毒を取り除くために腹を割いては、苦しみはより大きなものになってしまうのです。
毒による苦しみを避けるためには、毒を飲み込まなければ良いだけです。
毒を飲み込まなければ、腹が痛むことはないのです。
それが毒であるという理を知れば良いのです。
それが毒であるということを理解するためには、毒を飲んで苦しむ必要があります。
苦しまなければ、それが毒であると分からないのです。
多くの人は、苦しみを悪いものだと考えています。
多くの人は、苦しみが悪いものだから避けようとするのです。
しかしながら、未熟であるあなたには、苦しみの本質を理解することは出来ません。
苦しみの本質を知らなければ、それがどのようなものか?分かるはずもないのです。
あなたは、苦しまなければなりません。
それは、苦しみの本質を知るためです。
苦しみの本質を知るのは、苦しみを手放すためなのです。
あなたは、苦しみを手放すために苦しみます。
あなたは、苦しみを悪いものと考えてはなりません。
苦しみによって、あなたは変化を受け入れることが出来るのです。
苦しみがなければ、変化を受け入れようとは思わないのです。
変化は、本質へと向かう歩みです。
あなたは、苦しみによって本質へと向かうことが出来るのです。
苦しみを悪いものと思い込んでいる人は、本質を得ることが出来ません。
苦しみの手助けがなければ、あなたは変わることが出来ないのです。
あなたは、苦しみによって変わることが出来るのです。
苦しみを否定(ひてい)してはなりません。
あなたは、苦しみを受け入れましょう。
苦しみを受け入れることによって、苦しみを理解することが出来るのです。
文章は、手元になければ読むことは出来ないのです。
どのように重要な文章も、遠ざけていれば読むことは出来ないのです。
文章を読み、それを理解するためには、近くに寄せなければならないのです。
苦しみを理解するためには、それを受け入れなければなりません。
受け入れることなく、理解することは出来ないのです。
あなたは、苦しみを手放すために受け入れましょう。
苦しみを手放すためには、受け入れる他ないのです。
人生に苦しみは避けられません。
人生は、苦しいのが自然です。
それは、あなたが未熟に生まれたからです。
人生が苦しいのはどうすることも出来ないことなのです。
苦しみから逃れようともがくと、より苦しむことになると理解しなければなりません。
人生は、苦しいのが自然です。
理想という歪んだ思想を追い求めて、本質から遠ざかってはなりません。
苦しみを受け入れ、苦しみに対する理解を深めることによって、あなたは本質へと近付き、苦しみを手放すことが出来るのです。
多くの人は逆の方法を用います。
それは、理を知らないからです。

2020年6月24日水曜日

すべての人生は、思い通りにはなりません。
どのような人生も、好きに生きることは出来ないのです。
それは、すべての人生に目的が存在しているからです。
すべての人生は、目的に従(したが)って展開するのです。
人生が、目的を無視して展開することはありません。
どのような人生も、目的を無視することはないのです。
あなたの人生が、どのように展開していようとも、人生の目的に従っているということを理解しましょう。
どのような展開にも深い意図(いと)があり、大切な意味があるのです。
何一つとして、無駄なことはありません。
何一つとして、無意味なことはないのです。
人生は、決して思い通りにはなりませんが、それがあなたにとっての最善であるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、人生を思い通りにしたいと考えています。
多くの人は、人生に理想を実現したいと思っているのです。
理想とは、利己的な偏見(へんけん)に過ぎません。
自分にとって都合の良い状態こそが理想なのです。
理想には、物事の半分しか備わってはいないのです。
どれだけ自分にとって都合の良いことを詰め込んだとしても、半分しか入らないのです。
残りの半分は、自分にとって都合の悪いことを入れる空間が存在するのです。
自分にとって都合の良いことだけで全体を埋めることは出来ません。
どのように詰め込んだとしても、自分にとって都合の良いことは、半分が限界なのです。
理想とは、自分にとって都合の良いことだけで構成(こうせい)されているので、偏見ということなのです。
多くの人は、理想を追い求めます。
それは、理想を実現することが、人生の成功だと信じているからです。
多くの人は、自分に都合の良いことが続くことが、人生の豊かさだと信じ込んでいるのです。
自分に都合の良いことが続くことは、自尊心を満たし、気分は良いかも知れません。
しかしながら、それは、自惚(うぬぼ)れや傲慢(ごうまん)を助長し、人格と人生を歪(ゆが)めてしまうのです。
人生には、目的が存在するのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、それに相応しい自分でなければなりません。
純粋であり、誠実でなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
自惚れて、傲慢な者は、人生の目的を果たすのに相応しくありません。
そのような者には、崇高(すうこう)な人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが、人生の目的を果たすためには、人生の目的を果たすに相応しい人にならなければなりません。
人生の目的を果たすに相応しい人になるためには、自分を磨く必要があります。
なぜなら、すべての人が汚れているからです。
理想を追い求める人の心は汚れています。
それは、利己主義や自惚れや傲慢によって汚されているのです。
大切なのは、思い通りに生きることではありません。
大切なのは、人生の目的を果たすことなのです。
人生の目的を果たすためには、自分の都合を振りかざしてはならないのです。
人生は、目的に従って展開していくことが最善なのです。
最善を実現しなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、人生に最善が実現できるように協力しましょう。
自らの我が儘(まま)によって、最善が生じるのを妨げてはなりません。
すべての人は、人生に平穏を求めています。
しかしながら、平穏に暮らすことは出来ません。
どのように努めても、安定は長くは続かないのです。
平穏は必ず崩壊します。
必ず、何かしらの問題が生じ、苦しみを得ることになるのです。
それは、人生は、自分に都合の良いことだけを経験するための場所ではないからです。
自分に都合の良いことばかりを経験するのであれば、偏見はより深刻になってしまうのです。
あなたは、成長するために生まれたのです。
偏見を強め、堕落(だらく)するために生まれたのではありません。
人生が都合の良いように展開することは、必ずしも良いことだとは言えません。
最善は、必要を得ることです。
例えば、思いやりに欠ける行為は間違っています。
人が間違いを犯した時に、自分にとって都合の悪い問題が生じ、苦しむことがなければ、人は簡単に堕落してしまうのです。
人生においては、自分に都合の良いことも悪いことも同じように経験する必要があるのです。
人生とは、そのような場所なのです。
そのため、自分にとって都合の良いことと悪いことは、交互に導かれるのです。
それは、寄せては返す波が岩を丸くし、やがては砂に変えることに似ています。
人生は、あなたの未熟さを都合の良いことと悪いことを使って磨いているのです。
都合の良いことだけでは磨かれません。
都合の悪いことも必要なのです。
人生を自分の都合で選んではなりません。
都合の悪いことも大切にしましょう。
良いことばかりを取らず、悪いことも取りましょう。

2020年6月23日火曜日

生き難い人生

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、この人生に無意味に生まれることはありません。
どのような人物であろうとも、人生に目的という意味を以て生まれるのです。
人は、それぞれの目的のために生まれるのです。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはないのです。
あなたは、人生に生まれた意味を探さなければなりません。
何も考えずに生きてはなりません。
あなたは、人生を追求しなければならないのです。
目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)って生きることは、人生の意味を追求する生き方ではありません。
目の前の快楽や欲望や責任を貪って生きることは、何も考えずに生きることに等しいのです。
人生について考えることがなければ、何も考えてはいないのです。
人生について考えることは重要です。
なぜなら、あなたは、人生の目的を果たすために生まれたからです。
自らが生まれた意味を知らなければ、人生は空しいのです。
多くの人は、空しい人生を生きているのです。
多くのものを所有しながらも、空しく生きているのです。
多くの人は、多くを所有することによって、人生を満たすことが出来ると思い込んでいます。
より便利になり、より豊かになることによって、満たされると思い込んでいるのです。
しかしながら、どれだけ多くのものを所有したところで、空しさを避けることは出来ません。
どれだけのものを所有したとしても、満たされることはないのです。
寧(むし)ろ、所有すればする程に、空しさは強まるのです。
多くの人は、多くを所有することによって、人生の目的を見失います。
多くの所有物によって、人生の目的が覆(おお)い隠されてしまうのです。
人生の目的は、最も本質的な場所に存在しています。
それは、最も深い場所に存在しているのです。
人生の目的を知るためには、余計なものを取り除いて、最も深い場所にあるそれを手にしなければならないのです。
人生の目的を手に入れるためには、余計を手放さなければなりません。
純粋でなければ、人生の目的を理解することは出来ないのです。
人生における様々な問題や苦しみは、あなたが余計を手放すための必要です。
あなたは、様々な問題や苦しみによって、余計を手放さなければならないのです。
余計は、心を汚します。
余計は、煩(わずら)いなのです。
余計とは、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)り、人生を追求するのを邪魔する感情のことです。
余計を手放さない限りは、思い煩いに苦しむのです。
人生は、思い通りにはならないものです。
人は、それぞれに問題を抱えて苦しむのです。
すべての人は、人生に苦しむのです。
苦しみを避けることは出来ません。
それは、あなたの心に煩いが存在するためです。
心の中から煩いが取り除かれない限りは、苦しむと理解しましょう。
誰にとっても、人生は苦しいのです。
誰にとっても、この世は生き難(がた)いのです。
この世の苦しみには、大切な意味があります。
その一つ一つが、あなたの心の中の煩いを取り除くための必要なのです。
あなたは、苦しみによって他者とは異なる景色を見るでしょう。
煩いの形は、人それぞれに異なるのです。
あなたは、他者と同じ景色を見るために生まれたのではありません。
他者と同じ景色を見て、同じことを考え、同じことを行ってしまえば価値はないのです。
あなたは、他者とは異なるために生まれたのです。
それは、あなたには、この世界における独自の役割が与えられているからです。
あなたは、自らに与えられた役割を果たさなければなりません。
それは、他者とは異なる道なのです。
あなたは、他者とは異なる道を歩まなければなりません。
苦しみは、それぞれに異なるものです。
苦しみは、心の煩いによって異なります。
あなたは、他者とは異なる苦しみを経験しなければならないのです。
苦しみの形はそれぞれに異なります。
それは、生き方もそれぞれに異なることを意味しているのです。
苦しみの形に従って、人生の形も異なるのです。
あなたは、他者とは異なる人生を生きなければなりません。
あなたは、他者とは分かり合えないのです。
しかしながら、それで良いのです。
異なるからこそ、違う景色が見えるのです。
異なるからこそ、違うように考えることが出来るのです。
異なるからこそ、違うように行うことが出来るのです。
あなたは、苦しみによって他者とは異なりますが、異なるからこそ得られるものがあると理解しましょう。
生き難い人生には意味があるということを知りましょう。
人は、違いによって価値を生むのです。

2020年6月22日月曜日

主人

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、人生を始めた理由なのです。
すべての人の人生に、果たすべき目的が存在しています。
誰一人として、無駄に生まれ、無意味に生きている人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも意味があり、価値があるのです。
あなたは、そのことを理解し、覚えておかなければなりません。
自分の人生を悲観してはなりません。
自分を蔑(さげす)んではならないのです。
あなたがどのような現状を生きていようとも、その現状を生きることに意味があり、価値があるのです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
どのように努めても、人生を思い通りにすることは出来ないのです。
人生は、思い通りにならないのが自然です。
あなたは、それを受け入れなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生を思い通りにしようと企(たくら)みます。
人生が、思い通りにならなければ気が済まないのです。
人生が思い通りになることが幸福であり、豊かさだと思い込んでいる人が多いのです。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
すべての人が、人生の目的を知らずに生まれるのです。
人生の目的を知らなければ、人生の自然な状態を理解することが出来ません。
人生の自然な状態を理解することが出来なければ、不自然な状態に陥(おちい)っていたとしても、それに気が付くことは出来ないのです。
そのため、多くの人は、人生を思い通りにしようとするのです。
しかしながら、どのように努めても、人生を思い通りにすることは出来ません。
なぜなら、人生を思い通りにすることは最善ではないからです。
それは、必要ではないのです。
人生には、最善と必要のみが導かれます。
あなたは、人生における最善と必要を避けることは出来ません。
あなたが人生を思い通りにしようとしても、最善と必要が導かれ、それを避けることは出来ないのです。
残念ながら、あなたは未熟に生まれます。
残念ながら、あなたには最善と必要を理解することが出来ません。
あなたにとっての最善と必要は、人生に任せる必要があるのです。
自力によって最善と必要を得ようとしても出来ません。
なぜなら、あなたには人生の目的を理解することが出来ないからです。
人生の目的を理解することが出来なければ、人生における最善と必要を理解することは出来ないのです。
例えば、人生の目的を果たすためには、変化を実現する必要があります。
しかしながら、変化は強制的なものです。
自発的に変わろうとしても、変わることは出来ません。
変化を実現する権限を持っているのは、あなたではなく、人生なのです。
人生からの許(ゆる)しがなければ、変化を実現することは出来ません。
どのように願い、どのように努めても、最善と必要が満たされなければ、その状態を保持しなければならないのです。
あなたは、人生を思い通りにすることは出来ません。
あなたは、人生に仕(つか)えなければならないのです。
自分勝手に生きることは出来ません。
それは、あなたには果たすべき人生の目的が存在するからです。
人生の目的が存在しなければ、自分勝手に生きることが出来ます。
人生の目的が存在しなければ、あなたは自由に生きることが出来るのです。
しかしながら、人生の目的が存在しているために、自分勝手に生きることも、自由に生きることも出来ません。
多くの人は、自分勝手に生きること、自由に生きることが最善であり、必要だと思い込んでいます。
果たしてそうでしょうか?
何事においても、当初の目的を果たすことが重要です。
多くの人は、時間の経過や、経験の積み重ねによって、当初の目的を見失います。
例えば、旅に出たとしても、当初の目的地とは異なる場所に到着するとします。
それは、旅の失敗を意味していますが、多くの人は、そのことに気が付きません。
長く歩き続けることによって、当初の目的地とは異なる場所に到着したとしても、その旅路に満足するのです。
いつの間にかに、目的がすり替わっていたとしても、満足を得ることが出来るのです。
例え満足を得たとしても、所詮(しょせん)は偽りの満足なのです。
偽りの満足を得たとしても、人生に豊かさを得ることは出来ないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
多くの人が空しく生きているのは、人生の目的を果たすことが出来ないからです。
あなたは、自発的に人生を変えることは出来ません。
それは、自発的に自分を変えることが出来ないからです。
人生において努力は必要ですが、変化が実現するかは、努力が決める訳ではありません。
しかしながら、人生が思い通りに展開(てんかい)しないからといって、悲観してはなりません。
人生には、常に最善と必要が導かれているのです。
思い通りにならない人生を不満や不安に思うかも知れませんが、何の心配もいりません。
人生には、常に最善と必要が導かれているということを理解しましょう。
思い通りになることが最善であり、必要ではありません。
未熟なあなたの思い通りになることは、決して最善でも必要でもないのです。
変化は強制的なものです。
変化を自由に操(あやつ)ることが出来ないということを理解しましょう。
人生は、思い通りに展開しなくても良いということを理解しましょう。
思い通りにならない現状を大切に生きましょう。
あなたは、思い通りにならない人生に仕えましょう。
何も知らない自分に仕えてはならないのです。

2020年6月21日日曜日

人生を信じて進む

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を無視して生きることは最善ではないのです。
あなたは、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由であるということを理解しましょう。
すべての人生には、果たすべき目的が存在します。
すべての人生は、目的を果たすべく展開(てんかい)するのです。
人生における様々な展開は、あなたが人生の目的を果たすための助けなのです。
人生は、あなたが人生の目的を果たすことが出来るように助けているのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
人生の目的は、人生の目的を果たすことです。
人生を生きる理由は、それ以外に存在しないのです。
人生の目的を果たすことが、あなたが人生に生まれた理由なのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
それ以上に重要なことは存在しないということを理解しなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在することすら知りません。
多くの人は、何気なく生きています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を追い求めているのです。
人生の目的は、あなたが人生を始める前に決めたものです。
この世界の様々な法を得るために、人生の目的を見失うのは仕方のないことです。
誰もが、この世界の様々な法を学ぶことに精一杯であり、人生の目的を忘れずにいられる程の余裕はないのです。
残念ながら、すべての人が人生の目的を見失い、忘れてしまっているのです。
人生の目的を見失っていれば、目の前の快楽や欲望や責任を追い求めるのは仕方のないことです。
しかしながら、仕方ないと済ましていれば、目の前の快楽や欲望や責任を追い求める生き方をやめることが出来ないのです。
残念ながら、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)ることは、人生の目的ではありません。
誰もが行っていることは、あなたの人生の目的であるはずがありません。
人は、それぞれに異なる人生に生きているのです。
そして、それぞれに異なる目的が存在するのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの目的を果たす必要があるのです。
人生の目的が人それぞれに異なっているために、あなたは、人と同じ道を進むことは出来ません。
人と同じ道を進んでも、その先に人生の目的地は存在しないのです。
人生とは、それぞれに個別のものです。
人生の目的は、それぞれに異なるのです。
誰も、あなたの人生の目的を知りません。
誰に聞いても、人生の目的を教えてはくれないのです。
あなたの人生の目的は、自らの人生に聞かなければなりません。
あなたの人生だけが、あなたが果たすべき目的を知っているのです。
人生は、あなたが目的を果たすことが出来るように助けています。
人生は、あなたが目的を果たすことを願っているのです。
あなたは、人生を信じて進まなければなりません。
残念ながら、どれだけ考えても人生の目的を理解することは出来ません。
あなたの考えでは、人生の目的を理解することは出来ないのです。
どのような人物であっても、先は見えません。
どのような人物であっても、人生の目的を知ることは出来ないのです。
そのため、人生は思いも寄らない展開をするのです。
先が見えないのは、どの人生も同じです。
どの道を選んでも、苦しみが待つのです。
それは、あなたが執着(しゅうちゃく)を手放すことが出来ないからです。
人は、何かに執着するのです。
執着こそが、苦しみの本質なのです。
執着を手放すことによって、あなたは人生を信じることが出来ます。
執着を手放すことによって、あなたは人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、人生を信じなければなりません。
目の前には、あなたにとっての必要が導かれるのです。
それがどのような展開であったとしても、それを最善として受け入れなければなりません。
あなたにとっての必要は、あなたにとって都合の良いものとは限りません。
あなたにとっての必要は、あなたの都合に関係ないものなのです。
その時に都合が悪く思える展開であったとしても、いつまでも都合の悪さが続く訳ではありません。
その時に都合が良く思える展開であったとしても、いつまでも都合の良さが続く訳ではないのです。
あなたは、人生において何の心配もいりません。
人生は苦しいのが自然です。
そして、人生は思い通りにならないのが自然なのです。
あなたが苦しむのは、思い通りにしたいという執着が存在するからです。
自分が正しいという思い込みが存在するからなのです。
人生を信じて進むということは、自らの歩みを人生に任せるということです。
思い通りに進めば、必ず苦しみに辿り着いてしまいます。
道標(みちしるべ)を無視して進めば、道に迷ってしまうのです。
目的地に対しては、道標が存在するのです。
あなたは、その案内に従って進めば良いのです。
人生を信用する必要があります。
道標を見ただけでは、その先の道がどうなっているか分からないものです。
先を心配する気持ちが芽生えて来るかも知れませんが、他に方法がないのです。
苦しみは避けられません。
それは、仕方のないことです。
あなたは、苦しみを諦めましょう。
どの道を進んでも苦しみが存在します。
苦しみを知らずに生きることの出来る人は存在しないのです。

2020年6月20日土曜日

裏道

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在します。
あなたは、目的を果たす必要があるのです。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、あなたが生まれた目的だからです。
しかしながら、人生の目的とは、自分にとって都合の良いものとは限りません。
人生の目的は、あなたの都合に関係ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
自分にとって都合の良いことを追い求めるだけでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
自分にとって都合の悪いことに甘んじることも、人生の目的ではないのです。
自分にとって都合の良いことや、自分にとって都合の悪いことは、波のように寄せては返すのです。
それは、大きな波でもあり、小さな波でもあるのです。
都合は決してとどまりはしません。
都合をとどめておくことは出来ないのです。
都合の良いことを追い求めると、都合の悪いことになります。
都合の悪いことを受け入れると、都合の良いことになるのです。
人生の目的を果たすためには、都合に従っていてはならないのです。
都合とは、自らの心の映す幻影(げんえい)なのです。
都合は、心の状態に従って虚像(きょぞう)を映すのです。
都合に従って生きることは、人生の目的を果たす道を行くことではありません。
自分自身に従って生きることは、人生の目的を果たす生き方ではないのです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
人生を思い通りに生きていると思い込んでいる者がいますが、それは、途中に過ぎないのです。
途中が良くても、後は悪いのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、知らないのです。
自分自身は、人生の目的を知りません。
その自分自身に人生の道を尋(たず)ねても、正しい道を教えてはくれないのです。
あなたは、自分自身で考えた方法に従うことを最善としてはなりません。
自分自身で考えた方法に従えば、道を踏み外してしまうのです。
この世は、幻想です。
この世は、人の心が映しているのです。
この世の方法では、人生の目的を果たす方法を教えることは出来ないのです。
この世を信じてはなりません。
この世は歪(ゆが)んでいるのです。
意味のあると思えるものに意味はなく、意味のないと思えるものに意味があります。
価値のあると思えるものに価値はなく、価値のないと思えるものに価値があるのです。
しかしながら、この世に無意味なことや、無価値なことはありません。
あなたの進む道に対して、意味や価値があるか?ないか?ということなのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、”裏道”を行かなければなりません。
多くの人は、表の道を行くのです。
多くの人は、”正しい”方法を用いるのです。
しかしながら、この世においての正しい方法が、人生の目的を果たすための正しい方法であるとは限らないのです。
多くの人は、幻影を追い求めて彷徨(さまよ)います。
多くの人は、人生の目的を果たすことなく人生を終えるのです。
人生の目的を果たすことがなければ、空しい人生を生きなければなりません。
空しい人生とは、満たされることのない人生のことです。
残念ながら、多くの人は満たされないのです。
満たされないために、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)るのです。
何かの刺激がなければ、空しさを隠すことが出来ないのです。
多くの人にとって、目の前の快楽や欲望や責任は、人生の空しさを忘れるための刺激なのです。
そのような生き方は、偽りの道なのです。
あなたは、当たり前や常識を信用してはなりません。
あなたが信用するべきなのは、宿命なのです。
人生には、どうしても避けることの出来ない苦しみや喜びが存在します。
それは、無為(むい)によって導かれる自然なのです。
自分の都合に従って生きることは、作為(さくい)によって築かれた不自然なのです。
不自然を生きても、人生の目的を果たすことは出来ません。
宿命に逆らうことでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
当たり前のことや、常識的なことは、決して当たり前でも常識的でもないのです。
あなたは、この世を疑(うたが)ってみなければなりません。
そして、自分自身を疑ってみなければならないのです。
疑うことによって、裏道が見えて来るでしょう。
これは、あなたの人生です。
人生の目的を果たす道は、自分独りしか通ることの出来ない裏道であるということを理解しましょう。

2020年6月19日金曜日

良いものを生み出すための代償

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
そして、人生の目的を果たすために生きているのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
それ以外のことは重要ではありません。
人生がどのように展開(てんかい)しようとも、人生の目的を果たすことが出来ればそれで良いのです。
人生がどのように展開しようとも、それ自体は問題ではないのです。
問題は、人生の目的を果たすことが出来るかどうか?ということなのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
それが、人生においては、最も大切なことなのです。
人生の目的を中心に人生を考えなければなりません。
しかしながら、人生の目的を理解することは容易(ようい)ではありません。
誰一人として、人生の目的を知りません。
誰一人として、人生の目的を覚えてはいないのです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めたものです。
因果の仕組みの存在するこの世界においては、人生という結果を実現するためには、人生の目的という原因が必要なのです。
人生の目的が存在しなければ、人生は実現しなかったのです。
あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在します。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
そのためには、出来る限り良いものを生み出さなければなりません。
どのようなものでも構(かま)いませんが、より良いものを生み出そうとする気概(きがい)が求められるのです。
より良いものとは、より本質的なものです。
本質に近付く程に、良いものとなるのです。
あなたが携わっていることを、より良くしなければならないのです。
良いものを生み出し続けることによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
良いものを生み出すことが、人生における歩みです。
本質に向かって歩み続けていれば、いつかは目的地へと辿り着くことが出来るのです。
人生の目的を果たすためには、良いものを生み出し続ける必要があるのです。
しかしながら、良いものを生み出すためには、それ相応(そうおう)の代償(だいしょう)を伴(ともな)います。
何の代償もなく、良いものを生み出すことは出来ないのです。
それは、この世界に因果の仕組みが存在するからです。
”奇跡”は存在しません。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
良いものの代償は苦しみです。
あなたが、良いものを生み出すためには、それ相応の苦しみが必要なのです。
苦しみの代償を支払わずに、より良いものを生み出すことは出来ません。
多くの人は、苦しみを避けます。
それは、苦しいからです。
多くの人は、苦しみを嫌うのです。
多くの人は、楽な方が良いのです。
多くの人は、簡単に良いものを求めるのです。
残念ながら、良いものは簡単には得られません。
それが良いものである程、思い描かなければなりません。
それが良いものである程、考えなければなりません。
それが良いものである程、工夫しなければなりません。
それが良いものである程、行動しなければなりません。
それが良いものである程、挫折(ざせつ)しなければなりません。
それが良いものである程、改善しなければなりません。
それが良いものである程、繰り返さなければならないのです。
思い付きで良いものを生み出すことは出来ません。
思い付きは、畑に種を蒔(ま)こうと思い付いたことと同じなのです。
畑に種を蒔こうと思い付いたところで、収穫を得られる訳ではありません。
畑に種を蒔いたのであれば、それが実を付けて収穫することが出来るまで、世話をしなければならないのです。
何の努力も苦労もせずに、収穫を得ようと考えるのは、盗人の業(わざ)なのです。
盗人は良いものを生み出すことが出来ません。
良いものを生み出すことが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、良いものを生み出しましょう。
そのためには、苦しみましょう。
苦しみを嫌ってはなりません。
苦しみは、良いものを生み出すための代償としての価値があるのです。
苦しみという手間を掛けずに、良いものを生み出すことは出来ないのです。
盗人の末路は悲惨(ひさん)です。
あなたは、楽を求めて苦しみを避けてはなりません。
必要な苦しみというものがあるのです。
無駄や無理に苦しむ必要はありません。
人生には、必要な苦しみが存在するのです。
苦しみを受け入れましょう。
良いもの程、苦しみを伴(ともな)うということを忘れてはなりません。

2020年6月18日木曜日

生きたいように生きる

人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
誰一人として、無意味に生まれることは出来ません。
誰一人として、目的もなく生きることの出来る人はいないのです。
あなたの人生は、目的を果たすという意義(いぎ)があるのです。
あなたは、人生の目的を意識しながら生きなければなりません。
どのような人物の、どのような人生にも目的が存在します。
目的を意識することは、目的地を意識するようなものなのです。
目的地を意識しなければ、広野を彷徨(さまよ)うように歩まなければなりません。
当ても無く彷徨うことは空しいのです。
あなたは、空しく生きてはなりません。
人生を空しいものにしてはならないのです。
人生を意義のあるものにするためには、人生の目的を意識しながら生きることです。
”人生とは何か?”という問い掛けを続ける必要があるのです。
”人生とは何か?”ということを自分に問わなければ、人生の目的を知ることは出来ません。
人生の目的を意識することなく、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)ることも悪くはありません。
しかしながら、それでは必ず後悔することになるのです。
後悔するのであれば、その生き方は間違っているということです。
あなたは、後悔しないような生き方をしなければならないのです。
あなたは、出来る限り生きたいように生きましょう。
あなたは、出来る限り正しいと思う道を進むのです。
それは、険しい道であるでしょうが、進む価値のある道なのです。
残念ながら、多くの人は、後悔しないような生き方をしてはいません。
多くの人は、人生に後悔を残すのです。
あなたは、出来る限り、後悔を残さないように生きていきましょう。
この人生は一度切りです。
後悔したとしても、やり直すことは出来ないのです。
大切なのは、出来るだけ後悔を残さないことです。
あなたは、生きたいように生きなければなりません。
しかしながら、生きたいように生きるためには、様々な障害が存在するのです。
あなたは、その障害を乗り越えて、生きたいように生きることを実現するのです。
人生における様々な障害は、あなたを苦しめます。
あなたは、苦しみに立ち止まってしまうのです。
人生における障害を乗り越えることは容易(ようい)ではありません。
そのため、多くの人は、障害を乗り越えることを諦めてしまいます。
それは、生きたいように生きる生き方を諦めるということなのです。
後悔を残すことは、気持ちの良いものではありません。
生き方は、それぞれに異なります。
人生において、同じ目的のために生まれる人はいないのです。
人は、それぞれの目的のために生まれるのです。
人生の目的を果たすためには、独特な生き方を選択しなければなりません。
独特な生き方を実現しなければなりません。
独特な生き方を実現するためには、多くの時間と労力が必要です。
容易く、独特な生き方を実現することは出来ないのです。
多くの人は、独特に生きることを嫌います。
多くの人は、周囲との調和を大切にするのです。
もちろん、周囲との調和は大切です。
しかしながら、自己犠牲では自分の人生を果たすことは出来ないのです。
周囲との調和も大切です。
しかしながら、自分のために生きたいように生きることも大切なのです。
すべての人は、人生に目的を以て生まれます。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、生きたいように生きる必要があるのです。
自分を犠牲にして、後悔を残すようであれば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、生きたいように生きるために生まれたのです。
出来る限り、生きたいように生きられるように努力しましょう。
思い通りにはなりませんが、理想に近付ける努力を惜しんではならないのです。
理想が正しいということではありませんが、理想を追い求めることをしなければ、必ず後悔を残すことになるのです。
後悔を残すことは、あってはならないことなのです。
言いたいことを言い、やりたいことをやり、生きたいように生きましょう。
そこに思いやりがあれば、利己的にはなりません。
あなたは、誰かや何かのために言いたいことを言い、やりたいことをやり、生きたいように生きるのです。

2020年6月17日水曜日

美しいもの

人は、それぞれの必要を欲します。
人は、それぞれの必要を手に入れなければならないのです。
すべての人は、(最終的には)必要を手に入れます。
すべての人は、必要以外を手に入れることは出来ないのです。
どのような人物も、必要を避けることは出来ません。
どのように努めても、必要は導かれるのです。
あなたは、それを退(しりぞ)けることは出来ないということを理解しましょう。
必要は、人それぞれに異なります。
人は、その分際によって必要が異なるのです。
人は、その分際に従って必要を追い求めます。
分際は、欲求によって理解することが出来ます。
人は、欲求に逆らうことが出来ません。
欲求は考え方と成ります。
そして、考え方は生き方と成るのです。
人は、欲求に従って生き方をするのです。
その人の生き方によって、欲求を理解することが出来るでしょう。
必要とは、自分に相応(ふさわ)しいものです。
どのような人も、自分に相応しいものを得るのです。
人が求めるものは、自分に相応しいものであるということを理解しましょう。
人は、自分に相応しいもの以外を欲することはないのです。
人は、自分に相応しいものだけを得るのです。
あなたは、相応しいものを否定することは出来ません。
自分に相応しいものでも、他者に相応しいものでも、それを妨げることは出来ないのです。
自分に相応しいからといって、自分に都合が良いというものではありません。
自分に相応しいからといって、あなたが気に入るとは限らないのです。
自分に都合が悪いものであったとしても、あなたが気に入らないものであったとしても、自分に相応しいものは受けなければなりません。
あなたは、自分に相応しいものを得ます。
あなたが得るものは、自分によって決まるのです。
自分にとっての必要を否定することは出来ません。
必要は、あなたの都合を気にしません。
人生を都合で判断する者には、必要を満たすことは出来ません。
それが、どのようなものであろうとも、目の前に導かれる必要を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
人は、必要を手に入れようとします。
善悪に関わらず、自分にとっての必要を求めるのです。
あなたは、”美しいもの”を得ましょう。
それは、思いやりや優しさなどを動機として得られるものです。
どのように価値を与えられているものであったとしても、美しくなければ価値はありません。
あなたは、肉体によって受け取っているのではないのです。
あなたは、霊として受け取っているのです。
大切なのは、中身なのです。
外見には本質的な価値はないのです。
”汚いもの”は、汚い者に任せましょう。
意地汚い者は、自ら”汚いもの”を取ります。
この世のものは歪(ゆが)んでおり、汚いのです。
多くの人が認めている価値は、汚いものなのです。
意地汚く、欲深い者達が求める価値を、争うように奪い合ってはなりません。
汚いものは、意地汚く欲深い者に任せましょう。
”汚いもの”を多く集めても、魂には価値がありません。
”汚いもの”は、肉の欲を満たすだけだからです。
”汚いもの”を取られたとしても、悔(くや)しがる必要はありません。
”汚いもの”は、いくらでも奪われれば良いのです。
意地汚く欲深い者は、”汚いもの”を集めて破滅(はめつ)します。
一時は、繁栄(はんえい)するように見えるでしょうが、不要なものを集めているに過ぎません。
多くを所有しているからといって、人生を成功させられる訳ではありません。
意地汚く欲深い者は、不要に埋もれるのです。
あなたは、必要を集めなければなりません。
しかしながら、必要を集めることは容易(ようい)ではありません。
歪んで汚れたこの世界においては、必要を見付けることは簡単なことではないのです。
歪んだ価値観が形成するこの世界においては、歪んだ価値が蔓延(はびこ)ります。
この世界において、”美しいもの”を見付けることは難しいということを理解しておきましょう。
多くの人が求める価値が”美しいもの”であるはずがありません。
そんなに容易(たやす)く、”美しいもの”が見付かることも、手に入ることもないのです。
それは、あなたがこの世の価値観に犯され、意地汚く欲深いからです。
自分は誠実であると思っても、不誠実であるという事実を理解しなければなりません。
すべての人は、未熟に生まれるのです。
そして、意地汚く欲深い者によって教育を受けるのです。
意地汚く欲深い者達の追い求める価値を、自分の価値だと思い込んではなりません。
必要は、それぞれに異なるのです。
決められた価値を価値と思い込んではなりません。
”汚いもの”を集めてはなりません。
”美しいもの”を探しましょう。

2020年6月16日火曜日

必要を手に入れればそれで良い

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることの出来る人はいないのです。
人は、それぞれに異なる目的を以て生まれます。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければなりません。
誰一人として、同じ目的のために生まれることは出来ないのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければなりません。
それ以上に重要なことはないのです。
自分の人生を生きることが、何よりも大切なことなのです。
人は、それぞれに分際(ぶんざい)を以て生まれます。
それは、この世界における役割のようなものなのです。
人は、この世界における役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
人生の目的を果たすことは、人生に生まれた理由です。
人生の目的を果たすことによって、あなたは満たされるのです。
人生の目的を果たすことがなければ、どのような方法を用いても決して満たされることはないのです。
人生の目的を果たすためには、この世界における役割を果たさなければなりません。
この世界における役割を果たすためには、分際を弁(わきま)えて生きれば良いのです。
分際を弁えて生きることによって、あなたは、この世界における役割を果たすことが出来るのです。
分際を弁えることが出来なければ、この世界における役割を果たすことは出来ません。
あなたは、分際を弁えて生きなければなりません。
しかしながら、分際を弁えて生きることは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれなければならないからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
それは、自らの分際を弁えることが出来ないということなのです。
すべての人は、自らの分際を弁えることが出来ずに傲慢(ごうまん)です。
すべての人は、自らの分際を弁えることが出来ずに怠惰(たいだ)です。
すべての人は、自らの分際を弁えることが出来ずに悲観します。
すべての人は、自らの分際を弁えることが出来ずに堕落(だらく)します。
すべての人は、自らの分際を弁えることが出来ずに慢心(まんしん)します。
すべての人は、自らの分際を弁えることが出来ずに誤解に陥(おちい)るのです。
自らの分際を弁えることが出来ない状態とは、誤解をしている状態のことなのです。
残念ながら、すべての人が自らの分際を弁えることが出来ません。
それは、すべての人が、誤解を生きているということなのです。
あなたは、誤解を手放さなければなりません。
自分が正しいという思い込みを手放すのです。
残念ながら、あなたが正しいということはありません。
しかしながら、それは、他の人が正しいということでもありません。
あなたも、他者も同じように間違っているのです。
残念ながら、誰一人として正しくはないのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生は思い通りにはなりません。
多くの人は、それを嫌います。
しかしながら、人生は思い通りにならないのが自然なのです。
人生が思い通りに展開する時には、何かしらの不自然が生じているのです。
それは、やがて何かしらの問題として現れるでしょう。
あなたは、必要を受け取れば良いのです。
必要以外を受け取る必要はないのです。
欲を捨てなければなりません。
余計なものを手にして苦しんではなりません。
欲しいものすべてを手に入れることは出来ないのです。
欲しいものすべてを手に入れる必要はないのです。
何かを持てば、何かを諦めなければなりません。
手に入れられるのは必要なものだけなのです。
その必要は、あなたが決められる訳ではありません。
必要は、あなたの分際によって決められているのです。
分際は、人生の目的に従って与えられたものです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めたものなのです。
因果の仕組みが存在するこの世界においては、人生を実現するためには、人生の目的という原因が必要だったのです。
そのため、現在のあなたには分際を決めることが出来ないのです。
必要は、あなたには決められないのです。
必要とは、限定的なものなのです。
あなたが、この世界における役割を果たすためには、一つの仕事に専念しなければならないのです。
あれこれと気が散っていれば、役割を果たすことは出来ないのです。
あなたは、この世界における役割を果たすために生まれたのです。
あなたは、必要を手に入れればそれで良いのです。
不要を手に入れようとして必要を手放してはなりません。
あなたには、この世界における自らの役割が気に入らないかも知れません。
しかしながら、それが最善であることを理解しなければなりません。
必要は、目の前に存在します。
目の前の状況を否定し、他の状況を欲するのであれば、必要を手にすることは出来ないでしょう。
分際とは、現状のことではありません。
分際は、未完成なのです。
目の前の状況は、未完成な分際を完成させるための必要なのです。
あなたは、安心して目の前の状況を受け入れましょう。
分際を弁えて、感謝の気持ちを生きましょう。

2020年6月15日月曜日

孤独な道

人は、理解を求めます。
多くの人は、自分を理解して欲しいと思っているのです。
しかしながら、人は、分かり合うことが出来ません。
人は、他者を理解することが出来ないのです。
あなたは、他者を理解することが出来ません。
どのように努めようとも、他者を理解することは出来ないのです。
他者がどのように努めようとも、同じようにあなたを理解することは出来ないのです。
人は、分かり合えません。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
それは、人が、それぞれに異なる目的のために生まれたからです。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければならないのです。
それは、誰にも否定することは出来ません。
人は、生まれ持った目的を果たさなければならないのです。
あなたには、人生の目的を拒否(きょひ)することが出来ません。
なぜなら、あなたは、人生の目的を果たすために生まれたからです。
人は、果たすべき目的が異なります。
すべての人は、果たすべき目的に従って生きなければならないのです。
それは、人生の方向性の違いを意味しているのです。
人は、それぞれの方向に進まなければなりません。
人生は、それぞれの方向に進めなければならないのです。
それが、どのような方向であったとしても、人生の目的に従って進まなければならないのです。
人生の方向性は、価値観によって決められます。
それは、それぞれの価値観が異なるということなのです。
人は、それぞれに異なる価値観を生きなければなりません。
異なる価値観を生きなければ、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
価値観の違いによって、人は分断されます。
価値観が異なることによって、人は分かり合うことが出来ないのです。
人は、分かり合えるはずがありません。
それは、目的が異なるからです。
目的に従って、役割が異なります。
役割が異なることによって、必要が異なるのです。
必要が異なれば、分かり合えないのです。
あなたは、誰とも分かり合えません。
人は、分かり合えないのが自然なのです。
無理に分かり合おうとしてはなりません。
人は、必ずしも分かり合う必要はないのです。
人は、分かり合わなくても良いのです。
分かり合おうとするのは不自然です。
あなたは、他者を理解しなくても良いのです。
他者を理解することは不可能なのです。
あなたは、他者を理解しようとしなくても良いのです。
そして、他者に理解されなくても良いのです。
理解を求めたり、理解しようとすれば、そこには執着(しゅうちゃく)が生じてしまうのです。
人は、分かり合わなくても協力することは出来ます。
価値観や方向性が異なっても、目の前の問題に対して協力することが出来るのです。
人は、それぞれに異なる人生を生きているのです。
人は、それぞれに異なる目的のために生きなければならないのです。
人生において最も重要なことは、人生の目的を果たすことです。
しかしながら、そのためには、目の前の問題を解決する必要があるのです。
目の前の問題は、独りでは解決することが出来ません。
目の前の問題は、他者と協力することによって解決しなければならないのです。
他者と協力することによって、目の前の問題を解決することが出来ます。
目の前の問題を解決することによって、あなたは、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、他者の協力が必要不可欠なのです。
他者からの協力を得るためには、他者への協力が必要です。
互いに、自分の人生の目的を果たすために協力するのです。
他者の人生の目的を理解する必要はありません。
あなたは、他者の価値観や方向性を理解する必要はないのです。
しかしながら、他者が必要を得るために協力しなければならないのです。
正解など探す必要はありません。
何が良くて、何が悪いか?は、あなたには理解することが出来ないのです。
あなたは、自分の必要に従って行わなければなりません。
そして、他者の必要に従って協力しなければならないのです。
あなたの考えで、他者の必要を遮(さえぎ)ってはなりません。
あなたには、間違っていると思えることも、他者には必要なのです。
同じように、あなたにとっての必要は、他者には理解することが出来ません。
人は、それぞれの道を進まなければなりません。
あなたは、誰とも分かり合うことなく歩まなければならないのです。
人生は孤独な道です。
あなたは、独りで歩むのです。
人は、分かり合えません。
しかしながら、目の前の問題を解決するための協力を惜(お)しんではなりません。

2020年6月14日日曜日

必要を生きる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
誰一人として、人生の目的を無視して生きることは出来ないのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
すべての人は、人生の目的を無視することが出来ないのです。
人生の目的を無視しては、人生は完成しないのです。
あなたは、人生を完成させる必要があるのです。
あなたは、人生を完成させましょう。
人生を完成させるためには、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、必要を受け入れる必要があるのです。
必要とは、人生の目的を果たすための必要です。
必要を満たすことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
必要を満たし、人生の目的を果たすことがなければ、人生を完成させることは出来ないのです。
必要を受け入れることは重要です。
あなたは、必要を受け入れなければなりません。
しかしながら、必要を受け入れることは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたには必要を受け入れることが出来ないからです。
必要を受け入れることは、誰にとっても難しいのです。
それは、すべての人が未熟を生きているからです。
すべての人は、未熟に生まれるのです。
それは、無知を意味しています。
残念ながら、あなたは知らないのです。
そのため、必要を必要として認識することが出来ません。
必要を必要として認識することが出来なければ、必要を受け入れることは出来ないのです。
人生における必要を受け入れることは、想像以上に難しいことなのです。
なぜなら、人生における必要は、あなたの都合に関係ないからです。
必要は、あなたの都合を気にしません。
あなたにとって都合の良いことが必要であるとは限りません。
あなたにとって都合の悪いことが必要である場合もあるのです。
残念ながら、多くの人は、自分の都合で受け入れるものを判断します。
自分に都合の良いものを受け入れ、自分に都合の悪いものを否定(ひてい)するのです。
多くの人は、合理的に生きているのです。
しかしながら、すべての人が未熟なのです。
多くの人は、自分が合理的に生きていると思い込んでいますが、都合の良いことだけを受け入れていくことは、人生の目的に対して合理的であるとは言えないのです。
都合の良いことばかりを受け入れるのであれば、人生は偏(かたよ)ってしまいます。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生は、あなたの都合に関係なく必要を導くのです。
あなたは、自分の都合に関係なく必要を受け入れる必要があるのです。
残念ながら、未熟であるあなたには、必要を見極めることが出来ません。
残念ながら、あなたには、何が正解であるか分からないのです。
それは、仕方のないことです。
必要とは、避けることの出来ない宿命のことです。
どのように努めようとも、避けることが出来ないのが必要なのです。
必要は、後になって初めて分かるのです。
残念ながら、その時には、必要を理解することが出来ません。
必要とは、避けることが出来ないことなのです。
人生において経験したことは、そのどれもが必要です。
それが、どのような経験であったとしても、それは必要だったのです。
あなたは、どのような過去にも悔(く)やんではなりません。
どのような過去も、それ以上の経験は出来なかったのです。
あなたは、必要以上の経験は出来ません。
宿命以上の経験など存在しないのです。
過去は、それがどのようなものであれ宿命であり、必要です。
あなたは、それを経験しなければならなかったのです。
どのような過去も大切にしましょう。
あなたは過去を恥じる必要はありません。
それがどのような過去であれ、宿命以上に大切な経験は存在しないのです。
必要は、あなたの都合を気にしません。
必要は、あなたの理想とは異なる形をしているのです。
人生においては、理想を追い求めることが正しいということではありません。
人生は、思い通りにはならないものなのです。
しかしながら、それで良いのです。
必要を受け入れましょう。
必要を受け入れて、人生を完成させるのです。

2020年6月13日土曜日

自分の形

人は、それぞれの目的のために生まれます。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
人生における目的は、人それぞれに異なっています。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはありません。
人は、異なる目的のために生きなければならないのです。
目的に従って生きることが、人生における幸福です。
目的に従って生きることをしなければ、人生は不幸を実現するのです。
幸福とは、満足を得られることです。
そして、不幸とは、空しさを得ることなのです。
目的に従って生きれば、満足が得られます。
しかしながら、目的に従わずに生きれば、空しさを得るのです。
あなたが人生に満足を得るためには、人生の目的に従って生きる必要があるのです。
しかしながら、すべての人は、人生の目的を見失います。
すべての人は、自分が何のために生まれたのか?知らないのです。
すべての人は、自分が何のために生きているのか?を知らずに生きています。
周囲の人がそのように生きているために、人生の目的を気にすることがないのです。
多くの人は、人生の目的を気にすることなく生きています。
人生の目的を気にしなくても、生きていけるのです。
目の前の快楽や欲望や責任を追い求める生き方であっても、生き延びることが出来ます。
人生の目的を考える方が、悩みが生まれたりするのです。
何も考えずに生きた方が、人生は苦しくありません。
目の前の快楽や欲望や責任を追い求める生き方の方が楽なのです。
しかしながら、楽とは言えど、人生の目的を追い求めずに生きた付けは払わなければなりません。
それは、人生の後半に請求(せいきゅう)されるのです。
目の前の快楽や欲望や責任を追い求め、人生の目的を考えない生き方も良いですが、それでは後に苦しくなるのです。
人生の目的を追い求める生き方には、悩みや苦しみを伴(ともな)います。
悩みや苦しみを伴わずに、人生の目的を追い求める生き方は出来ません。
それは、とても大変な生き方なのです。
しかしながら、人生の目的を追い求める生き方は、後に楽になるのです。
人生は、目的を果たすために生まれたのだから、目の前の快楽や欲望や責任を追い求める生き方をせず、人生の目的を追い求める生き方を選択したことが報(むく)われる時が来るのです。
人生の目的を追い求める生き方によって、後悔することはありません。
しかしながら、目の前の快楽や欲望や責任を追い求める生き方は、人生の目的からは遠ざかってしまうために、後悔することになるのです。
残念ながら、人生の目的を選ぶことは出来ません。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在するからです。
人生を始めるという結果を実現するためには、人生の目的という原因が必要なのです。
人生の目的が存在しなければ、人生を始めることは出来ないのです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めたことです。
今更、それを変えることは出来ないのです。
人生の目的は、あなたの理想とは異なります。
なぜなら、あなたは未熟であり、歪んでいるからです。
生まれる前に決めたことを、生まれた後では理解することが出来ないのです。
あなたは、この世界に生まれて汚れてしまったのです。
理想とは、未熟な思考による利己的な欲求に過ぎません。
そのような理由のために人生に生まれることは出来ないのです。
あなたは、人生の目的が理想とは異なるということを理解しましょう。
理想を追い求めたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的は、理想とは異なることが自然です。
理想を追い求めても、人生の目的を果たすことは出来ないということを理解しましょう。
人生が理想通りにならないということは、決して悪いことではありません。
あなたは、人生の目的を知らないのです。
それは、何が正しいのか?分からないということなのです。
例えば、多くの人は、実を付ける樹木を称(たた)えます。
多くの人は、実を付けることが優れていると考えるのです。
しかしながら、実を付ける樹木ばかりが存在するのではありません。
中には、毒の実を付ける樹木も存在するのです。
樹木の価値は、実を付けることでは計れないのです。
多くの人は、花を咲かせる樹木を称えます。
多くの人は、花を咲かせることが優れていると考えるのです。
しかしながら、美しい花を咲かせる樹木ばかりが存在するのではありません。
中には、不快な臭いを放ったり、醜(みにく)い形の花を咲かせる樹木もあるのです。
多くの人にとっては、実を付ける樹木も、実を付けなくなれば価値を失います。
多くの人にとっては、花を咲かせる樹木も、花を咲かせなくなれば価値を失うのです。
実も花も付けない樹木に価値がないと考えるのは浅はかです。
食べられない実を付ける樹木は多いのです。
美しいと思えない花を咲かせる樹木も多いのです。
実も付けず、花も咲かせない樹木は、葉を茂らせるのです。
葉を茂らせ、それを落とすのが、その樹木の価値なのです。
”派手”が良いということではありません。
この世界には、派手な役割や目的だけが存在する訳ではないのです。
地味な役割や目的も存在するのです。
美味しい果実も、美しい花も、茂(しげ)る葉も、土という地味な役割によって支えられているのです。
豊かな土でなければ、果実は実りません。
花も咲きません。
葉も茂ることはないのです。
土が乏(とぼ)しければ、樹木自体が枯(か)れてしまうのです。
地味な役割や目的には、大きな価値があるのです。
派手は地味によって成り立ち、地味は派手によって成り立つのです。
人には、それぞれの生き方があります。
それを無理に変えることは出来ません。
派手な者は派手に生き、地味な者は地味に生きましょう。
どのような性質を以(もっ)て生まれたとしても、人生の目的を考えなければなりません。
あなたは、自分の人生を全(まっと)うしなければなりません。
あなたは、自分の形で貢献しましょう。