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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年6月12日金曜日

無為の道

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を果たすための必要を満たさなければなりません。
必要を満たすことによって、人生の目的は果たされるのです。
しかしながら、すべての人には、人生の目的を果たすための必要を理解することが出来ません。
それは、人生の目的を理解してはいないからです。
人生の目的を理解しなければ、人生の目的を果たすための必要を理解することは出来ないのです。
そのため、すべての人が、悩みながら生きています。
すべての人は、自分の生き方に迷い、人生を悩むのです。
人生に対する悩みは、誰にとっても辛く苦しいものです。
そのため、すべての人は、人生に対する悩みを忘れようとします。
人生に対する悩みを忘れるために、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)るのです。
目の前の快楽や欲望を貪ることによって、人は、人生に対する悩みを忘れることが出来るのです。
それは、一時的な凌(しの)ぎに過ぎませんが、それを繰り返すことによって、人生に対する悩みを忘れようとしているのです。
仕事や育児などの責任によって、人生に対する悩みを忘れようとする人もいます。
すべての人は、人生に対する悩みを忘れるために、目の前に用意された何かに対して熱中するのです。
人生の悩みが消えれば、辛いことも苦しいこともありません。
それは、とても幸福な時間なのです。
多くの人は、人生の目的を忘れています。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
しかしながら、人生の目的を考えることは、誰にとっても苦しいのです。
そのため、すべての人は、人生の目的と向き合うことをしないのです。
目の前の快楽や欲望、そして、責任を追う生き方は、人生の目的と向き合うよりも楽なのです。
そのため、多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を追う生き方を選ぶのです。
目の前の快楽や欲望や責任を追う生き方は、大通りを歩むような生き方です。
それは、多くの人の目の前に用意されている道なのです。
目の前の快楽や欲望や責任を追う生き方は、誰にとっても分かり易(やす)いのです。
大抵の人は、目の前に用意されている大通りを歩むのです。
それは、周りの人がそうしてるからです。
多くの人が、その道を歩んでいるから、自分も安心して歩むのです。
目の前の快楽や欲望や責任を追う生き方は、決して悪い生き方ではありません。
そこにも、必要な学びは存在し、ある程度は楽しいのです。
しかしながら、どうしても空しさを感じてしまうものなのです。
それは、人生の目的とは異なる生き方だからです。
人生の目的は、目の前の快楽や欲望や責任を追う生き方のことではありません。
誰かに用意された道を歩むことでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが、人生の目的を果たすためには、それが小さな道であっても、自分で見付け、自分で切り開く必要があるのです。
あなたの人生の目的は、分かり難いものなのです。
道に思えない道が、歩むべき道であったりするのです。
人生の目的を果たすためには、選択と努力が必要なのです。
なぜなら、あなたは未熟であり、歪んでいます。
それは、不自然な状態なのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自然な状態である必要があるのです。
宿命に従(したが)うためには、自然な状態である必要があるのです。
無為(むい)でなければ、宿命に従うことは出来ないのです。
小さな道を見付け、自分で切り開くことは、無為という自然な選択によって実現します。
作為という不自然な選択によっては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
自然な選択が必要なのです。
それは無為であり、宿命に従う選択なのです。
目の前の快楽や欲望や責任を追う生き方は、自然ではありません。
それは、不自然な生き方なのです。
当たり前に生きることは、人を不自然にとどめます。
あなたは、当たり前に生きることが不自然であることに気が付かなければなりません。
整地された大通りを、多くの人と共に歩むことには、安心感を覚えます。
しかしながら、そのような生き方はいずれ空しさを覚えるのです。
なぜなら、不自然だからです。
人は、不自然を生きて、満足することは出来ないのです。
自然を生きなければ、満たされることがないのです。
あなたが歩むべきは、皆が歩いている華やかな大通りではありません。
あなたが歩むべきは、独りが通れる程の小さな脇道なのです。
人生の目的を果たすためには、独りで歩む必要があります。
大通りを進んでも、あなたの辿り着くべき目的地には辿り着くことが出来ないのです。
当たり前を鵜呑(うの)みにしてはなりません。
宿命に従うことは、何も考えずに生きることではありません。
あなたは、自分とは何か?、人生とは何か?と考えましょう。
そうすれば、自然を生きることが出来るのです。
あなたは、無為の道を歩まなければなりません。
それは、自然豊かな小さな道なのです。

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