すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に果たすべき目的を以て生まれるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、無意味に生まれ、無駄に生なきている人はいないのです。
すべての人が、目的を果たすために生まれ、生きているのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
どのような人生にも意味があり、価値があります。
あなたは、自分の人生に意味があり、価値があるということを理解しましょう。
決して、人生を無下(むげ)に扱ってはならないのです。
過去や現状がどのようなものであったとしても、人生を諦(あきら)めてはなりません。
今は、目的を見失い、何をすれば良いか分からないかも知れません。
しかしながら、人生に対して向き合い続ければ、自分が何のために生まれ、何を成すべきか?分かってきます。
残念ながら、人生の目的を理解することは容易(ようい)ではありません。
果たすべき人生の目的は、あなたの内の深いところに潜在(せんざい)しているからです。
多くの人は、何事も外に探します。
多くの人は、外に何かが存在すると思い込んでいるのです。
外に探せば、自分を満たしてくれる何かがあると思い込んでいるのです。
残念ながら、外には何も存在しません。
外は幻想なのです。
外は、内の投影です。
本質は内に存在するのです。
そのため、あなたは内に探さなければなりません。
内に探せば、いつかは見付かるのです。
しかしながら、外を探しても決して見付からないのです。
あなたは、内と向き合いましょう。
自分以外の存在には、あなたの人生の目的が分からないのです。
誰にも、あなたの人生を理解することは出来ません。
あなただけが、内に潜在する人生の目的を見付けることが出来るのです。
あなたは、自分の内に向かいましょう。
それは、孤独な道です。
孤独な道は、誰とも歩けません。
あなたは、独りで歩かなければならないのです。
多くの人は、それに不安を覚えるのです。
独りでは、歩いても目的地へと辿り着くことが出来るか分かりません。
それは、二人で歩いても同じことではありますが、独りなら不安は大きいのです。
そのため、多くの人は、独りで歩くことをしません。
誰かと共に外の道を歩くのです。
残念ながら、外には目的地は存在しません。
多くの人は、方々(ほうぼう)探し回りますが、決して見付けることは出来ません。
多くの人は、人生の目的を見付けられないまま、年老いてしまうのです。
誰かと外を探しても見付かることはありません。
あなたは、独りで内を探さなければなりません。
多くの人は、独りを嫌います。
そして、自分の人生を生きることを恐れるのです。
なぜなら、そこには多くの危険が存在すると思い込んでいるからです。
多くの人は、誰も足を踏み入れたことのない藪(やぶ)を恐れます。
そこには、多くの危険が存在すると思い込んでいるからです。
切り開かれた道であれば、安心して歩くことが出来ます。
それは、道筋が見えていることで危険がないと思うからです。
残念ながら、どのような道にも危険は存在します。
道筋が見えているからといって、危険が存在しないということではありません。
藪であったとしても、安全であるかも知れないのです。
どのような道を進んでも危険は存在します。
ならば、少しでも満たされる可能性の高い道を進んだ方が良いのです。
あなたは、内に人生の目的を探しましょう。
内を歩くためには、独りでなければなりません。
人にどう思われようと、何を言われようとも歩み続けなければなりません。
誰も、あなたの人生の目的と道を知らないのです。
人には、自分勝手に思わせておけば良いのです。
自分勝手に言わせておけば良いのです。
あなたは、人(外)を気にすることなく自分(内)を歩みましょう。
どの道を進んでも危険は付き物です。
どのように歩いても危険は避けられません。
避けられないものを気にしてはなりません。
危険が存在するのが当たり前であり、自然なのです。
あなたは、独りで内に向かって歩きましょう。
どこに辿り着くかなんて誰にも分かりません。
どこでも良いのです。
独りで内を歩き、辿り着いたところが辿り着くべきところなのです。
とにかく歩きましょう。
独りで歩きましょう。
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