このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年3月31日土曜日

シーソーゲーム

人生とは不足です。
人生とは満足です。
不足を満足させることこそが人生です。
不足が満足を生み出し、満足が不足を生み出すのです。
人生におけるすべてが満たされることはありません。
何かを満たそうとすれば、何かが不足します。
何かに不足を感じれば、何かを補い満たそうとします。
何かが不足していれば、何かが満たされます。
何かが満たされていれば、何かが不足しているのです。
人生とは不足と満足のシーソーゲームです。
どちらか一方を優勢に感じることはあるでしょうが、どちらか一方に支配されることはありません。
あなたが満たされていると感じている中にも、何らかの不足は潜んでいます。
あなたが不足していると感じている中にも、何らかの満足は潜んでいるのです。
満たされている方向性がある一方で、不足している方向性があります。
人生はすべてを満たすこともなければ、すべてを不足させることもないのです。
それが人生です。
あなたはそのことを覚えておかなければならないでしょう。
人は人生に対して盲目です。
見えているようで見えてはいません。
自分のことが一番分からないのです。
満たされていると感じている時には、不足していくものを見失います。
不足していると感じている時には、満たされていくものを見失います。
そこに人は喜びや悲しみ、怒りや苦しみなどの感情を生み出すのです。
それはあなたの心を大きく揺さぶります。
心が揺さぶられると、人は冷静さを失ってしまいます。
冷静さは客観視を持っているため、それを失うということは、満足の中の不足と不足の中の満足を見極めることが出来ないということなのです。
あなたが満足の中にいる時、不足しようとするものに注意しなければなりません。
あなたが不足の中にいる時、満たされようとするものに注意しなければならないでしょう。
人生には満足だけ、不足だけ、ということはありません。
人生にはどちらも隣り合わせで存在しているのです。
どちらか一方の状態に捉われずに、どちらも気に掛けることが出来ると良いでしょう。

2012年3月30日金曜日

人生を面白く

あなたは破滅的な感情に捉われてはなりません。
破滅的な感情はあなたの心を縛り付けてしまいます。
それはとても重く、とても辛く、とても苦しいことなのです。
破滅的な感情に捉われてしまうと、あなたはそれより先に進むことが出来なくなってしまいます。
破滅的な感情というものは人の心と相性が良く、すんなりと内部に入り込み、そのまま居着いてしまいます。
心の中に居着いた破滅的な感情は増長し、やがては心を支配してしまいます。
破滅的な感情に支配されてしまった心は、破滅的な考えから抜け出せなくなってしまいます。
破滅的な考えから抜け出せなくなってしまった心は、その働きを徐々に失っていくのです。
それは心が動かない状況です。
世界に対して心が開かれず、感動やときめき、そして、インスピレーションや衝動(行動や挑戦)が生み出されなくなります。
それでは人生が面白くはなりません。
人生を面白くするためには、世界に対して心は開かれているべきであり、建設的な考えを所有しておかなければならないのです。
感動すること、ときめくこと、インスピレーションを受け取ること、衝動に駆られること、それらは心を大いに動かし、何かを創造する力へと繋がっているのです。
心が破滅的な感情や考えに捉われてしまうと、創造性と創造力に欠けてしまいます。
人生を面白くするためには、心や状況を動かしていく必要があります。
変化こそが人生を面白くするのです。
それは、景色が流れるという変化ではありません。
見た目の変化というものは表面的な変化に他なりません。
表面的な変化では、人生(根本的、本質的な部分)に変化は現れません。
人生が変化することがなければ、変化によってもたらされる恩恵は心には届かないのです。
人生そのものが変化することが、あなたの心を満たしてくれます。
それは大いなる恩恵なのです。
自らの力で変えていかなければ、人生というものが変わることはありません。
景色はあなたの意思には関わりなく、勝手に変わります。
それは、あなた以外の意思によって変化しているからです。
それぞれが自らの人生に変化を与えています。
そのため、景色はあなたの意思には関わりなく変化を遂げるのです。
しかしながら、あなたの変化はあなたの意思によってのみ実現することが出来ます。
あなたの意思が変化を求め、それを自らの力で実行しなければ、人生が変化することはないのです。
破滅的な感情や考えに捉われてしまうと、心は動きを失ってしまいます。
人生に変化を与えるためには、その創造主であるあなたの心が建設的な感情や考えを所有し、動ける状況でなければならないのです。
人生は苦しい場所です。
思い通りに進むことなどありません。
あなた以外の力で、あなたの人生が変化することはありません。
あなたは破滅的な感情や考えに捉われてはなりません。
嫌なことや苦しいこと、寂しさや満たされない気持ちは数え切れないでしょう。
しかしながら、それに捉われてしまえば人生が面白くはならないのです。
苦しい状況の中で建設的な感情や考えを選択することは決して簡単なことではありません。
しかし、どのような状況においても前を目指さなければ、人生が変化することはありません。
如何なる問題を前にしても、心が立ち止まらないように、それがいつでも動いていられるように努めなければならないでしょう。
破滅的な感情や考えは常にあなたの心に入り込みます。
それを食い止めることは出来ません。
しかしながら、それを増長させないことは可能なのです。
破滅的な感情や考えに捉われず、建設的な感情や考えに従っていくことが必要でしょう。

2012年3月29日木曜日

暇つぶし

あなたは自らの心に浮かぶ理想や発想に対して、それを実現へと導く責任を負っています。
あなたが何をするにも、あなたの心の中には様々な理想や発想が生み出されることでしょう。
あなたが人生を先へと進め、それを豊かなものにするためには、自らの心の中に生み出される理想や発想を一つひとつ組み立て、それに対して最善の状況や環境を築いていかなければならないのです。
人生とは、「暇つぶし」という側面が存在しています。
暇はあなたが生み出します。
暇を作り出すということは、動いていないということです。
目的意識を以て動いていない状態が生み出すものは停滞と退屈、そして暇です。
停滞と退屈などの暇が生み出すものは自己憐憫(れんびん)や自己批判などの苦しみの感情なのです。
暇をつぶすということが、あなたを停滞や退屈から抜け出させる唯一の方法なのです。
しかしながら、「暇つぶし」にも様々な方法が存在しています。
あなたが人生を先へと進めるためには、暇を建設的な方法によってつぶさなければならないのです。
自らの持てる力と時間を理想や発想の実現に傾けることが、あなたに豊かな結果をもたらします。
自らの持てる力と時間を理想や発想の実現にではなく、自らの欲望や快楽のために費やしているのであれば、あなたは豊かな結果を受け取ることは出来ないのです。
あなたが人生に豊かさを求めるのであれば、自らの力と時間を使ってどのように暇をつぶすのかを考えなければならないのです。
あなたが人生に豊かさを受け取るためには、自らを律することが第一です。
自らを律することが出来ない者には、人生に豊かさを受け取る権利は与えられないのです。
自らの力と時間を理想や発想の実現に費やすためには、それを実現させようとする強い気持ちが必要です。
欲望や快楽に負けるような弱い気持ちでは、どのような理想も発想も実現させることは出来ないのです。
あなたは自らの力と時間をどのように使っていますか?
どのように費やしているでしょう?
あなたの選択は、あなたに理想や発想の実現を約束するものでしょうか?
それは、あなたを高める選択なのでしょうか?
人生はあなたが考えている程、長く時間がある訳ではありません。
時間に余裕はありません。
時間は常に不足していることを理解しなければなりません。
あなたが暇を感じるのは、ただ動くのを怠けているだけなのです。
心の中に浮かぶ理想や発想を実現させようと動くのなら、暇というもの自体が既に存在することはないのです。
あなたが目的意識を持った時、暇が存在する場所はなくなります。
しかしながら、人はずっと目的意識を保ち続けることは出来ません。
そのため、少しであっても暇は必ず生み出されます。
その時にあなたがどのように暇をつぶすのか?ということが重要であることを忘れてはなりません。
人生に暇を生み出さないためにも、自らの心の中に浮かぶ理想や発想の実現に尽力しなければなりません。
自らの力と時間をどのように費やすのかを考える必要があるでしょう。

2012年3月28日水曜日

枯れ葉と果実

あなたは進まなければなりません。
例えどのような困難を前にしても、先へと進まなければなりません。
過去に捉われてはなりません。
それは過ぎ去ったものです。
そこには何の価値もないのです。
すべての時間や状況は、次の瞬間には既に過ぎ去った過去だと言えます。
過去はあなたの大地(土台)には成れど、実りをもたらす樹木には成れません。
過去は死にゆくものです。
枯れ葉のように大地と成り得るものなのです。
過ぎ去ったものには実体が無く、あなたがそれをいくら追い求めてもそこには何の価値も存在してはいないのです。
そこから得られるものは空虚感です。
決して手に入ることの無いものを求めても苦しいだけなのです。
どれ程の枯れ葉を拾い集めても、それをたった一つの果実にすることも出来ません。
物事には役割りというものが存在しているのです。
あなたが生きているのは「今」です。
「今」はあなたの目の前の現実に存在しています。
過去はあなたの目の前には存在していません。
過去は既に現実ではないのです。
現実ではないものを手に入れようとしても、それは無理な話です。
あなたが手にすることが出来るのは、その手で触れることの出来る現実だけだからです。
あなたが何かを手にするためには、過去に捉われることなく「今」を、そしてこれからを見(求め)なければならないのです。
過去は過去であり、「今」は「今」です。
それらが役割りを越えて一つになることはありません。
時間は決して後戻りはしないのです。
あなたは過去の感情に縛られてはなりません。
過去の感情は忘れなければなりません。
過去の感情を解き放つことが出来れば、あなたの過去は大地(土台)としてあなたに多くの実りをもたらすことでしょう。
過去を考えれば考える程に、心は空虚感に襲われます。
それは過去が既に過ぎ去ったものだからです。
あなたの豊かさは、あなたの進む先にこそ存在しているのです。
しかしながら、あなたにとって過去はとても大きなものでしょう。
その感情を忘れることは難しいことです。
しかしながら、捉われてしまってはどのような実りも手にすることは出来ません。
過去の感情を解き放ち、それを忘れてしまいましょう。
そうすれば、あなたの過去はあなたにとってとても価値のあるものになるのです。
過去を「今」に持ち込んではなりません。
過去は過去、「今」は「今」というスタンスが、枯れ葉と果実の役割りをしっかりと隔て、より多くの豊かさを生み出すことになるのです。
過去に捉われてはなりません。
過去の感情を捨て去りましょう。

2012年3月27日火曜日

「欲」と「意欲」

あなたが人生を本当の意味で豊かなものにするためには、自らの中に存在している「欲」と「意欲」の違いを理解しておかなければなりません。
その区別を付けることが出来なければ、あなたは自らの人生に豊かさを導くことは出来ないでしょう。
「欲」と「意欲」は同じ欲としてあなたの中に存在します。
どちらも何かを欲する心の働きに違いはありません。
しかしながら、「欲」と「意欲」ではそれが使われる動機と、そこから得られる結果というものに大きな違いが現れるということは知っておかなければならないことでしょう。
「欲」と「意欲」がそれぞれにどのような性質を持ち、どのような結果をあなたに導くのかを知らなければ、あなたは人生に迷ってしまうことになるでしょう。
自らの中でそれらの使い分けをすることが出来るのであれば、あなたは自らの理想や目標や人生の豊かさへと辿り着くことが出来るのです。
あなたの中に存在している心の働きが、自らの人生にどれ程の影響力を持っているのかということを理解しなければならないでしょう。
あなたの人生を築くのは、自身の選択です。
あなたの選択が次のあなたの状況を決めます。
あなたが水を飲めば喉の渇きは潤います。
あなたが歩めば道が築かれます。
あなたが笑えば笑顔が生まれるのです。
あなたが自らの意思によって選択したことが積み重なり、やがてはその人生を決めます。
あなたの意思は心が司っています。
あなたの心が意思を生み出しているのです。
あなたの意思は心の性質によって自由に築かれます。
そのため、あなたの心の状態や働きこそがあなたの人生を決めると言えるのです。
あなたが人生を築こうとする時、そこには心の働きが存在しています。
何かを欲する気持ちこそが、あなたの選択へと繋がっているのです。
そこには「欲」と「意欲」という二つの性質を持つ何かを欲する気持ちが存在しています。
「欲」という心の働きは、自らのために向けられた欲求です。
それは利己的であり、欲望と言い換えることが出来るでしょう。
それに対して「意欲」という心の働きは、自分以外のために向けられた欲求です。
それは利他的であり、奉仕や貢献などと言い換えることが出来るでしょう。
人生には、因果関係が存在しています。
原因が結果をもたらします。
自らの所有する原因が結果として現れるのです。
あなたが「欲」を選択するのであれば、あなたの選択は利己的な方向性を持つことになります。
それは自らのために力を使うことになります。
自分で自分を支えようとする者は、他人を支えようとはしません。
他人を支えようとしなければ、他人があなたを支えようとはしないでしょう。
あなたが「意欲」を選択するのであれば、あなたの選択は利他的な方向性を持つことになります。
それは自分よりも他人に比重を置いた選択です。
他人を支えようとする者は、必ず他人によって支えられるのです。
どのような豊かさも、自分独りの力によって導くことは出来ません。
何をするにも独りでは限界があるのです。
あなたが自らの人生に豊かさを求めるのであれば、「欲」ではなく「意欲」を持たなければなりません。
「意欲」は利他に向けられるため、建設的な性質を持っています。
あなたが誰かのために何かを欲する時、あなたはより多くの豊かさを導くことが出来るでしょう。
自分で必要とする以上に種を蒔けば、自分で必要とする以上の豊かさが実ります。
それはやがて自分以外の者を助け、更なる豊かさを生み出すことでしょう。
自分独りのために種を蒔くなら、その豊かさが自分以外の者に行き渡ることはありません。
それは結局、孤立を生み出してしまうのです。
人は独りでは生きていくことは出来ません。
誰かの支えなく生きてはいけないのです。
あなたは人を支えなければなりません。
「意欲」を以て選択しなければなりません。

2012年3月26日月曜日

行動を伴う変化

あなたは動きの中に存在しなければなりません。
どのような状況においても、動きを失ってはなりません。
それは、動きこそがあなたに最高の結果をもたらすからです。
動きある場所には変化が存在します。
変化が存在する場所には豊かさが生まれるのです。
変化こそが豊かさであり、あなたにとっては幸福であることを理解しなければなりません。
あなたはどのような状況においても、常に変化を求めていなければなりません。
変化は、行動しても行動しなくてもあなたの前に必ずもたらされます。
その変化には建設的な側面と破滅的な側面があります。
注意しなければならないのは、すべての変化があなたに豊かさを導く訳ではないということです。
あなたに最高の豊かさを導く最高の変化というものは、行動することによって生み出される変化なのです。
行動を伴わない変化は、あなたに苦痛を与えます。
それは、行動を伴わない変化の動機が豊かさを生み出す原因を所有してはいないからです。
豊かさを生み出す原因は建設的な力です。
建設的な力を所有する変化とは行動によって生み出される、行動を伴う変化なのです。
行動とは先へと進む行為です。
行動すること自体が既に建設的なのです。
それに対して行動しないという行為は、あなたに停滞をもたらします。
それは、破滅的な原因であり、破滅的な変化をあなたにもたらすのです。
行動することであなたは世界を広げることが出来ます。
世界が広がることによって、あなたは新たな状況や環境、そして情報や刺激を得ることになります。
それらはあなたの心と脳を突き動かし、すべてを活性化させます。
あなたが活性化すると、そこには熱意が生まれます。
その副産物として夢や目標が生まれます。
熱意と目標を持てば、自ずと行動力が生み出されます。
そしてまた世界が広がります。
その繰り返しがあなたに最高の変化と豊かさを導くことになるのです。
あなたはとにかく行動しなければなりません。
頭で考えるだけではなりません。
屋内や自らの世界に閉じこもっていてはならないのです。
行動することがなければ、あなたの世界が広がることはありません。
何をするにも自分独りでは限界があるのです。
あなたは行動することを恐れてはなりません。
行動しないことによって生み出される変化とその結果を恐れなければなりません。
あなたが行動を起こせば、それを手助けするように状況や人が動き始めます。
そこには成功への流れが発生することでしょう。
あなたが世界を築くのです。
覚えておかなければなりません。
あなたは何も心配する必要はありません。
あなたが行動を諦めなければ、そこには必ず最高の結果が用意されているのです。
例えそれが失敗であったとしても、それはただの通過点に過ぎず、その時点においては最終的な結果ではないのです。
結果は最後まで分かりません。
あなたが行動を諦めた時が最終的な結果になることを忘れてはならないでしょう。
行動こそがあなたに最高の結果をもたらします。
行動する勇気を持ちましょう。
行動することによって生み出される変化を楽しみましょう。

2012年3月25日日曜日

命の炎

あなたは苦しまなければなりません。
あなたは困らなければなりません。
あなたは悩まなければなりません。
あなたは傷付かなければなりません。
あなたは痛みを知らなければなりません。
あなたは失敗しなければなりません。
人生とは苦しいものです。
気楽な人生など存在しません。
人生の本来の姿とは誰にも厳しく、誰にも苦しいものなのです。
あなたの目の前に厳しくと苦しみが存在せず、気楽な人生だと感じているのであれば注意書き必要です。
あなたが真剣に生きようとする時、そこには厳しさと苦しみが生まれます。
それは、生きるということが挑戦だからです。
あなたが何かに挑戦する時、そこには必ず何らかの問題が生じるのです。
あなたが何に挑戦しようとも、そこに何らかの問題が発生するという状況に変わりはありません。
何に挑戦しようとも何らかの問題の発生から逃れることは出来ないのです。
それは状況や環境的な問題であるかも知れません。
もしくは、あなた自身の問題であるかも知れません。
どちらにせよ、あなたが何かに挑戦する時、そこには何らかの問題が必ず発生することを覚えておかなければならないでしょう。
人は問題に対して無意識の嫌悪感を所有しています。
問題=(イコール)苦しみ。
という規制概念がその価値観の中に構築されているのです。
そのため、多くの人は端(はな)から問題や苦しみを避けようと、意識的・無意識的に考えています。
そして、そのように行動することになります。
その結果、安全や安心の中に閉じこもり行動力が失われ、熱意、発想、決断力、建設的思考、摂生、自信、目標、志…
あなたが生きるうえで大切なものを失ってしまうことになるのです。
苦しみを恐れ、それを避けようとする時、考えや行動が結果的に自らを苦しみへと追いやっているという事実を認識しなければならないのです。
生きるということは挑戦することです。
問題や壁を乗り越えて先へと進むことです。
向上と成長を受け取り、豊かさを得るということなのです。
挑戦することを恐れ、先へ進むことを諦めるということを生きるとは呼べないのです。
燃やしてこその命なのです。
あなたが何かに挑戦する時、そこには問題や苦しみが生じます。
問題や苦しみに立ち向かう時に、あなたの命は激しく燃えるのです。
問題や苦しみの中にいる時に、あなたは命を燃やして力を生みだすことが出来るのです。
問題や苦しみなどの逆境に立たされた時に始めて、人は人として生きることが出来るのです。
逆境に立とうとしない者は命を燃やすことは出来ません。
そこには、生きる実感が存在する場所はないでしょう。
あなたは命を燃やして力を使わなければなりません。
力を使えない状況を作り出してはなりません。
問題の前に苦しむこと、悩むこと、困ること、希望を失うこと…
それらはあなたが何かに挑戦したこと、そして、生きているということを証明しているでしょう。
あなたは苦しまなければなりません。
逆境に立たなければなりません。
その時、あなたの力は最大限にまで高まるでしょう。

2012年3月24日土曜日

不完全なる者

あなたの中に「完全」は存在しません。
あなたの中には不可欠や未熟、不足や弱さが存在しているばかりです。
あなたは決して、自らが「完全」であるという傲慢や盲信に捉われてはなりません。
あなたの中には何一つとして「完全」というものは存在していないのです。
間違えてはなりません。
あなたが生きる目的は向上と成長にこそあります。
それは、人生の根源的な目標や願望であり、意義でもあります。
あなたは人生において、向上と成長を実現させなければならないのです。
その目的を実現させるために必要なものは、あなたの中にこそ存在しています。
それは、あなたの中に存在している「不完全」なのです。
あなたの中に存在している「不完全」こそが、あなたを「完全」へと押し上げる動機となり、原動力となるのです。
しかしながら、あなたが認識として自らの中の「不完全」を認めていないのであれば、あなたは「完全」へと向かうことは出来ません。
それは、人は認識として所有するもの以外を実現させることは出来ないからです。
あなたが自らを「完全」であると定義した時、あなたが「完全」へと向かう道は絶たれてしまいます。
自らが「不完全」であるとする認識があるからこそ、そこに危機感や焦りが生まれ、同時に向上心や意欲も生まれてくるのです。
あなたは決して自らを「完全」などと定義してはなりません。
自らの価値観、正義、意思、意見、見解、指針、判断…
あなたが自らの中に所有しているものが「完全」だと認識するのであれば、あなたは正しい判断や向上心や意欲を失い、結果として不可欠を生み出してしまうことになるのです。
あなたの中には何一つとして「完全」は存在していません。
あなたの中に存在しているのは「不完全」です。
間違えてはなりません。
しかしながら、「不完全」を所有しているからといって嘆く必要はありません。
「不完全」を所有していることで、あなたは失敗を繰り返すでしょう。
しかしながら、すべての失敗は成功の扉を開く鍵と成り得る大切なものです。
成功の扉を開く鍵と成り得る失敗を多く受け取ることがあなたに最善を導くことになるのです。
しかしながら、ただ失敗を受け取るだけではなりません。
自らの「不完全」を破滅的に使ってはならないのです。
あなたは如何なる状況においても真摯に事を運ばなければなりません。
何事に対しても誠実に向き合わなければなりません。
誠実さを以て「不完全」でなければならないのです。
そうでなければ、あなたの「不完全」はあなたの大切なものすべてを奪い去ってしまうことになるでしょう。
あなたが所有しているものはそのすべてが「不完全」です。
しかしながら、「不完全」でありながら真面目に誠実に存在していなければなりません。
それがあなたを「完全」へと導く唯一の方法であることを理解しなければならないでしょう。
あなたが真面目に誠実であるのならば、あなたの中の「不完全」は多くの豊かさをあなたに導くことでしょう。



2012年3月23日金曜日

食い止める理由

あなたは手放さなければなりません。
あなたは何ものもとどめておくことは出来ません。
すべては変化を求め、すべては流転していくのです。
あなたにはどのような変化も食い止める力はありません。
どのような変化を前にしても、あなたはそれに抵抗することは不可能なのです。
変化の前にあなたは無力です。
あなたは自らの力の弱さを受け入れなければなりません。
あなたは変化の前に無力であり、それに対してなす術を持たないことを受け入れなければなりません。
そのため、あなたは「それ」が変化を求めた時、それを手放さなければなりません。
変化を求めるものを食い止めるという行為は、世界に歯向かうということです。
世界に抵抗し争ったたところで、あなたに勝ち目はありません。
世界の中に人生があり、人生の中にあなたが存在しているのです。
世界が必要だと判断する変化を食い止める行為の先には、苦しみ以外の結果が用意されることはないのです。
変化を食い止めようとしても、あなたの小さな力では無駄なのです。
あなたは変化にすべてを委ねなければなりません。
変化を恐れてはなりません。
すべての変化の先には豊かさが存在しています。
すべての変化は、豊かさを得るための必要性を帯びた大切なものであることを理解しなければなりません。
すべての変化が豊かさへと繋がっていることを理解することが出来るのであれば、あなたは変化を恐れることは無くなるでしょう。
あなたはきっと変化を受け入れ、それを手放すことが出来るはずです。
あなたがそれを手放すことが出来れば、必ず必要性と新鮮さを兼ね備えたものを受け取ることが出来るでしょう。
それはあなたに最高の満足感と豊かさを導くことでしょう。
変化を求めるものは、状況に対して既に限界を迎えているものです。
古くなっていたり、間違った方向性を持っていたり、耐えられなくなったりと、理由は様々です。
限界を迎えているものを使い続けることは危険です。
それはやがて大きな損失へと繋がってしまうでしょう。
機械を運転するにあたり、既に限界を迎えている部品をそのまま使い続けているとどうなるでしょう?
耐えられなくなった部品は必ず壊れます。
一つの部品の故障が、機械全体の故障へと発展することもあります。
最悪の場合、もう二度と運転することが出来なくなってしまうこともあるのです。
古くなってしまった部品を取り替え、新たな状態で運転することが安全性へと繋がり、生産性を高める唯一の方法なのです。
あなたの元から去ろうとするもの、あなたが手放さなければならないものは、例外なく古くなってしまって既に限界を迎えているものです。
あなたにはそれを引き止める理由はありません。
去ろうとするものは、手放さなければならないのです。
古くなってしまったものに執着してはなりません。
そこには未来も可能性もありません。
そこにあるのは停滞と破滅だけなのです。
沈みゆく船にすがってはなりません。
あなたは先へと進まなければなりません。
あなたにはやらなければならないことがたくさんあります。
立ち止まっていてはなりません。
あなたは生きなければなりません。
あなたはその先にある可能性を掴まなければなりません。
あなたはそれを手放さなければなりません。

2012年3月22日木曜日

人生

あなたは自らを高める選択をしなければなりません。
そして、自らを高めなければなりません。
あなたの生きる目的は向上し、成長を実現させることです。
すべての出来事、すべてのプロセス、すべての経験は、そのすべてが向上と成長へと繋がっているのです。
あなたはすべてのことがすべてに対する向上と成長へと繋がっているという事実を知っておかなければなりません。
しかしながら、何の努力も無しに、すべての経験が向上と成長へと繋がっていく程、人生という場所は優しいものではありません。
あなたが自らの意思や力によって、目の前の経験を向上と成長へと繋げていく努力をする必要があるのです。
人生は、決して都合の良い場所ではありません。
あなたの都合が通る程、人生は甘い場所ではないのです。
どちらかと言えば、あなたの都合の悪い方へと物事は流れて行くのです。
そして、そこには問題が発生し、壁が立ちはだかるでしょう。
すべての方向性が都合良く発展していくということはないのです。
あなたは常に何らかの問題を抱え、何らかの壁に道を阻(はば)まれているはずです。
すべてが順調にいくことは有り得ないということを覚えておかなければなりません。
すべてが順調に進んでいると思っているのであれば、それはそう思い込んでいるか、実態を把握していないか、のどちらかと言えるでしょう。
問題は目には見えない場所や認識の届かない場所で確実に進行しているものなのです。
そして、それが機を熟した時にあなたの目に映り、認識に触れるのです。
それはあなたにとっての問題という形を以て突然、目の前に現れます。
あなたはそこに嫌悪感や焦燥感や憤慨(ふんがい)や悲壮感などの苦しみの感情を生み出してしまうことでしょう。
青天の霹靂(へきれき)はあなたの心に恐れという破滅的な感情を生み出してしまうのです。
問題を前にして、あなたの心は平穏を保つことは出来ません。
感情は隆起し、心は乱れてしまうでしょう。
それはとても苦しいことです。
都合が悪く、思い通りに進まない状況や状態は誰にとってもとても苦しいものなのです。
しかしながら、その経験はあなたに向上と成長をもたらしてくれる役割りを持つ、とても大切なものであることを覚えておかなければなりません。
そうでなければ、あなたは苦しみに呑まれ、破滅的な感情に支配されてしまいます。
そうなれば、自らを高めるための選択とそれに対する努力を重ねることが出来なくなってしまうのです。
大切なのは、すべての経験がすべての向上と成長へと繋がっているということです。
それを忘れた先には、向上と成長を期待することは出来ないでしょう。
あなたは如何なる状況や状態においても、自らが向上と成長の中に在ることを覚えておかなければなりません。
それがどのような経験であろうとも、あなたはそれを向上と成長へと繋げていく努力を重ねなければならないのです。
人生は都合の良いようには進んでくれません。
あなたは常に何らかの問題を抱え、何らかの壁に道を阻まれます。
それが人生のルールであり、向上と成長には必要不可欠であることを理解し、どのような状況においても自らを高める可能性のある選択ができるようにしておかなければならないでしょう。

2012年3月21日水曜日

夢を持つこと、叶えること

夢を持つこと、目標を持つこと、目的を持つことこそ、あなたの人生を豊かなものとする一歩です。


夢や目標や目的を持つことがなければ、人生を豊かなものとすることは出来ません。


人生に豊かさを求めるのであれば、夢や目標や目的を持つことは必須なのです。


あなたは自らの人生に豊かさを求めているでしょう。


それを実現させるのかどうかはあなた次第です。


あなたがそれを実現させるかどうかなのです。


あなたが人生に豊かさを実現させるためには、理想を持つことが必要ですが、理想を持つだけでは十分ではありません。


理想はただの思想です。


それに実体はなく、いくら抱えようとも実際に何かを動かすことは出来ません。


理想という意識を夢や目標や目的といった実体に昇華しなければならないのです。


それらが具体的なものにならなければ行動は伴いません。


行動こそが世界を動かすのです。


考えをいくら巡らしたところで、それには何の力もないのです。


あなたは自らの理想を、具体的な形として所有しなければなりません。


それが夢や目標や目的となれば、あなたはそこに行動を実現させることが出来るでしょう。


行動には壮大な力があります。


行動はすべての問題や壁を必ずクリアにするのです。


理想を理想のままでとどめておいてはなりません。


理想は夢や目標や目的として所有しなければなりません。


あなたには理想があります。


それを否定することは出来ません。


必ず何らかの理想を所有しているのです。


あなたはそれを実現させるために行動しなければなりません。


どのような理想も、それを実現させるためにそこに存在しているのです。


すべての理想は自らを実現させてくれることを願い、あなたを待ち続けているのです。


消極的になってはなりません。


自らの理想を否定してはなりません。


叶うかどうかはやってみなければ分かりません。


挑戦してもいないのに、勝手に諦めてはなりません。


あなたがそれを実現させれば良いだけです。


誰もが始めから成功を収めることは出来ません。


誰もが必ず失敗します。


人生はそんなに容易い場所ではないからです。


しかしながら、理想を昇華し、夢や目標や目的を実現させるプロセスやその達成には、他では味わうことの出来ない経験や満足感を得ることが出来るのです。


それは間違いなく、あなたに豊かさを導くのです。


夢や目標や目的を持ちましょう。


そして、それを実現させるために行動しましょう。


夢を語り合い、共有しましょう。


あなたが夢を語れば、相手はそれに刺激されます。


そうなれば、相手も夢を実現させるために行動しようとするでしょう。


一人よりも二人。


二人よりも三人という具合に、夢を支える人数が多い程にそれは安定し、力は膨れ上がるのです。


夢を持ち、それを共有しましょう。


夢や目標や目的を持つことが、豊かさへの第一歩です。


2012年3月20日火曜日

あなたの心は満たされていますか?
あなたは胸が痛くはありませんか?
苦しくはありませんか?
あなたの心が満たされていない時、あなたの心は痛みを以てその苦しみをあなたに伝えます。
心はあなたに自らを満たせと告げているのです。
心が経験に対する欲求不満に陥ったり、行動に対する不完全燃焼を起こしてしまうと、それが満たされることはありません。
そこには痛みを伴う苦しみが生み出されます。
心が満たされるということは、あなたが人生を全うするうえでとても重要なことだと言えるのです。
それは、心が満たされるということこそが、あなたが自らの人生にとって正しい方向へと向かっているということだからです。
人生の要求や課題を克服する時、あなたの心は満たされます。
人生の要求や課題から遠ざかると、あなたの心は満たされることなく痛みを以て苦しむことになるのです。
あなたが人生を豊かに、そして楽しく全うするためには、心が満たされていなければなりません。
心が満たされるためには、人生の要求や課題と向き合ってそれを克服しなければなりません。
あなたが進むべき方向は、あなたの心が教えてくれます。
その場所で心が満たされないと感じるのであれば、あなたの居場所はそこにはありません。
あなたがやっていることで心が満たされないと感じるのであれば、それを続けていく意味がありません。
あなたの心が満たされる状況こそ、あなたに与えられた学びなのです。
しかしながら、多くの人は自らの心が満たされないことをあやふやにし、誤魔化そうとしてしまいます。
それが悪いという訳ではありませんが、心が満たされない状態が続けば、人生に対して何の希望も抱けなくなるのです。
それは、始め痛みや苦しみとしてあなたの心を切り裂きます。
それでもそれを許しているのであれば、やがて痛みすら感じなくなってしまいます。
その結果、こだわり(プライド)がなくなり、熱意は奪われて志を失い、無気力や無関心という状態を心に生み出してしまうのです。
そして、心を失ってしまうのです。
あなたは自らの心が訴える痛みや苦しみに耳を傾けなければなりません。
心の声を聞かなければなりません。
心が痛みを以て苦しいと感じた時、あなたは新たな世界へと足を踏み出さなければなりません。
心を動かす状況に向かわなければなりません。
立ち止まり、辛抱しているだけではなりません。
心が満たされる状態を自らの力で築かなければならないのです。
あなたの心が一番満たされるのは何をしている時ですか?
心の欲求は正しく満たさなければなりません。
自らを高めてくれるであろう選択の中で心を満たそうとしなければなりません。
自らを堕落させてしまう選択では、あなたの心が満たされることはありません。
人は心を持っています。
厄介なものですが、愛おしいものです。
それを正しく満たしてやれるように努めなければならないでしょう。

2012年3月19日月曜日

仕事

生きることは、生産することです。
人は生きるために生産しなければなりません。
そして、生産するために生きなければなりません。
あなたが生きるためには、生産することが必要不可欠なのです。
あなたが生産をやめた時、命が尽きることを知らなければなりません。
命が命であるためには、生産する必要があるのです。
人にとっての生産とは仕事です。
商品やサービスやアイデアなど、何かを生産する作業が仕事なのです。
何かを生産することのない作業を仕事だとは呼べません。
人が生きるためには生産を「生み出す」仕事をする必要があるのです。
人は仕事をせずに生きることは出来ません。
それは、仕事そのものが生きることだからです。
あなたは、生きるために仕事をしなければならないことを理解しなければなりません。
それは、お金がなければ生活することが出来ないのと同じことです。
何かを生産し、それを提供しなければ金銭は手に入りません。
仕事をしない者は金銭を手にすることは出来ません。
何かを生産しない者は有形無形に関わらず、生きるために必要なものを手にすることが出来ません。
そして、命を繋げることが出来ないのです。
あなたは仕事をする必要があります。
自らの能力を生かして、何かを生産しなければならないのです。
それは、金銭的な価値や意味を超えた、人が人として生きるために必要なことなのです。
仕事をすることを金銭的な価値や意味として考えてはなりません。
仕事に対する金銭的な価値や意味は大切なことではありますが、人が仕事をするということはそれ以上に深く大きな意味が存在しているのです。
人は生きるために仕事をするのです。
自らを高めるために仕事をするのです。
自分以外の誰かを助け、何かに貢献するために仕事をするのです。
そして、自分自身を知るために仕事をするのです。
金銭的な価値や意味、経済的な理由も大切ではありますが、それは仕事の本質ではありません。
金銭的な価値や意味は仕事を果たして得られる結果でしかないからです。
それは仕事の側面に過ぎず、最も崇高な理由にはなり得ないのです。
金銭的な価値や意味に重点を置いた仕事の仕方では、やがてその仕事をしている意味が分からなくなってしまいます。
お金を稼ぐことによって様々な可能性は広がりますが、ただより多くのお金が欲しいという利己的な動機では、その仕事によって心は満たされなくなってしまうのです。
いくらお金を稼いでも、それ以上の理由がなければ虚しいだけなのです。
あなたは仕事をする理由を考えなければなりません。
そうすれば、あなたの仕事に対する価値観も向上する方向へと変化していくことでしょう。
そして、仕事は与えられるものではなく、自らの力によって作り出すものだと理解することが出来るでしょう。
あなたがどのような仕事をしていたとしても、ただ与えられるものをこなそうとしてはなりません。
どのような仕事であっても、それを自らの力によって築いていこうとしなければならないのです。
あなたがやっている仕事は、あなたの仕事です。
自分がその仕事を作っているという自負を持たなければなりません。
あなたの仕事には、あなたの命がかかっています。
あなたはどのような仕事も軽んじてはなりません。
すべての仕事に対して、責任意識を持たなければなりません。
より良いものを生産し、より良い仕事をしましょう。

2012年3月18日日曜日

実行力

あなたに求められるのは実行力です。
人生において、最も大切なのは実行する力だと言っても過言ではありません。
なぜなら、人生を豊かなものとして築くためには、一つひとつの目的、目標、理想を実現させなければならないからです。
目的や目標や理想の実現こそが、人生に豊かさを導く唯一の方法です。
それらの失敗をあなたは大きな苦しみとして感じることになるでしょう。
人生における意義は成長と向上にあるため、目的や目標や理想を実現させることは理に叶い、そこには喜びや満足感が生み出されるのです。
あなたが人生に豊かさを感じるためには、自らの目的、目標、理想を世界に実現させなければならないことを覚えておかなければならないのです。
あなたが目的や目標や理想を世界に実現させるためには、それらを実現させるために必要な作業を一つひとつ確実にこなしていかなければなりません。
どのような場所にも、一歩一歩を確実に踏み出さなければ辿り着くことは出来ないのです。
あなたが自らの目的や目標や理想に辿り着くためには、そこに向かって自らが歩まなければなりません。
人生を歩むということは、目的や目標や理想に対して必要な作業を確実に実行していくということなのです。
自らの心に浮かぶ衝動を確実に実行していかなければならないということなのです。
あなたは目的や目標や理想を所有していますか?
それらの、あなたが辿り着きたい場所がなければ、あなたは人生を豊かなものとして築くことは出来ません。
まずは自らの向かうべき場所を定めることが必要でしょう。
目的や目標や理想が決まったなら、どうすれば、何をすればそこへと辿り着くことが出来るのかを考えなければなりません。
あなたが行動し、実践し、実行しなければ、そこに辿り着くことは出来ないからです。
それがどのようなこと(衝動)であっても、そこへ辿り着くために必要だと感じたことなのであれば、あなたはそれを実行しなければなりません。
正し、建設的な衝動でなければ実行したとしても決して辿り着くことが出来ないことを理解しなければならないでしょう。
あなたは消極的な気持ちに負けてはいませんか?
目的や目標や理想を実現させるためには、行動する以外に方法はありません。
どのようなことも実行していく。
どのようなことも実現させていく。
自らが動き、世界を動かしていくことが重要なのです。
実行する力こそがあなたに豊かな人生を約束します。
目的や目標や理解に向かって、一歩一歩確実に歩まなければならないでしょう。
どのような諦める理由にも負けることのない強い意思を持ち、自らの目的や目標や理想へと辿り着くための行動を実行しなければならないでしょう。

2012年3月17日土曜日

退屈が入り込む隙間

あなたが人生を豊かなものにするためには、人生を楽しまなければなりません。
人生を楽しむということは、退屈を選択しないということです。
あなたが退屈な時間を作り出すことがなければ、そこには楽しい時間が存在しているでしょう。
それは、そこに行動が存在しているからです。
退屈とは、行動と対極に存在する停滞を意味しています。
あなたが停滞するのであれば、そこに行動は存在することは出来ません。
停滞が存在し、行動が存在しない場所には退屈が生み出されるのです。
退屈が募ればあなたはその状況に楽しみを見出すことは出来ません。
楽しくなければ充実感を受け取ることは出来ません。
充実感を受け取ることが出来なければ、人生に豊かさを感じることは出来ないのです。
人生の目的は成長と向上です。
成長と向上を受け取るためには行動しなければなりません。
停滞や退屈があなたを成長させ、向上させることはありません。
人生の意義は行動にこそあるのです。
あなたは人生の意義を果たすために行動という選択をしなければなりません。
常に何らかの行動を示し、忙しく何かに打ち込める時間を増やさなければなりません。
何もすることがなく、何かに打ち込むでもなく、ただ退屈という時間を過ごしていてはならないのです。
なぜなら、退屈という状況はあなたの心の力を奪ってしまうからです。
心の力が奪われたなら、人は自らの理想や目標を生み出す力を失ってしまいます。
それらは、あなたが行動する理由であるため、理由を奪われたあなたは行動することが出来なくなってしまうのです。
行動しなければ自ずと停滞することになります。
停滞することは苦しみ以外の何ものでもないのです。
あなたが人生の意義を果たすためには、人生を楽しむということが前提です。
あなたには目指す目標がありますか?
そのために具体的な行動をしていますか?
退屈を作り出してはいませんか?
時間を潰してはいませんか?
あなたが目標を持ち、それを目指すのであれば、時間と力の大切さを理解することが出来るはずです。
目標を目指す時、あなたは時間が足りないと感じるでしょう。
そうなれば、自らの限られた力をどのように使うのかを必然的に考えることになります。
時間と力の使い方をマネジメントするのであれば、そこに退屈が入り込む隙間など存在しないのです。
あなたが目標を目指す時、あなたのすべては成長と向上に対する正しい方向性を模索し始めることでしょう。
それはとても嬉しく楽しいことです。
あなたが成長や向上へと向かうことに心は高揚し、満たされるのです。
行動すれば必ず何らかの経験を積むことが出来ます。
しかしながら、退屈にまかせて行動しなければ、どのような経験も受け取ることは出来ません。
心にとって経験とは人体における酸素のようなものです。
無ければ苦しく、やがては息絶えてしまうのです。
あなたはとにかく行動しなければなりません。
あなたの心は理想や目標を常にあなたに投げ掛けているはずです。
あなたはそれに目を背けてはなりません。
人生を楽しむために、自らの理想や目標に対して行動を以て向き合いましょう。

2012年3月16日金曜日

自己愛

あなたは自我に注意しなければなりません。
自我とは自分です。
それは自らを思う気持ちです。
自己愛のことです。
あなたが自己を愛し、大切にする気持ちは素晴らしく、とても大切なことです。
しかしながら、自己を愛する気持ちが強過ぎてしまうと人は自らを見失ってしまうのです。
それは、自己を愛するという行為があなたという存在の意義に反することだからです。
あなたは自己を愛するという本当の意味を知らなければなりません。
そして自らの存在意義を理解し、その役割りを果たさなければなりません。
あなたが自らの存在意義を理解することこそが自己の目覚めです。
その時あなたは自己を愛するという本当の意味を理解するでしょう。
あなたが自己を目覚めさせた時、そこに自我は存在してはいないのです。
なぜなら、あなたは自己のために存在している訳ではないからです。
あなたが存在する意義は、その力を自己以外の存在に使うことにあります。
あなたは力を所有していますが、それは自らのために使われる力ではなく、自己以外のすべての存在のためにこそ使われるべき力なのです。
すべての力は自己のために使われるべきではないことを理解し、それを覚えておかなければなりません。
そうでなければ、力は正しく使われることにはならないでしょう。
いくら素晴らしい力を所有していたとしても、その方向性が正しくなければ力は正しく使われることはありません。
正しく使われることのない力は歪み、やがて力を失ってしまいます。
自己を追求するために使われる力は正しい方向性を得ることは出来ません。
自己のために使われる力はいつか必ず歪み、間違いなくその力を失ってしまうのです。
自己に対して使われる力には限界があり、やがてその力を失ってしまうことを知っておかなければならないでしょう。
「すべてはひとつ」です。
それは世界の原則です。
すべては支え合い、すべては繋がっているのです。
その支えや繋がりは、個々が利他のために力を使うことによって始めて保たれる状態です。
自らの手を相手に差し伸べるからこそ、人は人と繋がり、互いに支え合い高め合うことが出来るのです。
相手に手を差し伸べることがなければ、人は人と繋がることは出来ません。
自分以外の存在に対して力を使うことをしなければ、あなたは世界と繋がることは出来ないのです。
自分のために力を使い、自己を追求するのであれば、やがて支えを失うことになります。
手を差し伸べる者にしか差し伸べられた手を掴むことは出来ないのです。
自我に飲み込まれてしまった者は利他のために力を使うことは出来ません。
そうなれば、自ずと孤立していってしまうのです。
孤立しては何も出来ません。
人は、個はとても小さくて弱い存在なのです。
強い力を得るために「すべてはひとつ」に繋がり、支え合っているのです。
あなたの力はあなたのためにはありません。
あなたに必要な力はあなた以外の者があなたに与えてくれます。
矛盾しているように思うかも知れませんが、そうしなければ協調性は生まれないのです。
人は個ですが、全体との繋がりを断ち切ることは出来ません。
孤立はどのような豊かさへも繋がってはいないのです。
あなたは自分以外の存在のために力を使わなければなりません。
あなたの力は自分以外のために使われた時に最高に輝きます。
あなたが誰かや何かを思う時、その力は無限に高まり強くなるのです。
あなたは自分以外のために生きなければなりません。
あなたが自分以外のために生きた時、誰かがあなたのために生きるでしょう。
力を自己に向けてはなりません。
どのように生きるのかはあなたの自由です。
しかしながら、あなたは自らが存在する意義を考えなければならないでしょう。

2012年3月15日木曜日

最高の結末

あなたは自らの人生に最高の結末を導かなければなりません。
人生をどのように生きるのかはあなたの自由であり、あなた次第です。
しかしながら、人生に最高の結末を導くのはあなたの義務であり、責任なのです。
人生は、ただ何気なく生きるために在るのではありません。
人生にはその一つひとつに大切な意味があり、理由があるのです。
あなたは何一つとして蔑ろにすることは出来ないのです。
すべては成長し、向上するために在ります。
あなたは人生に成長を求め、向上を果たさなければならないのです。
人生とは、そのための時間なのです。
あなたが人生の意義を果たすことが出来れば、人生は自ずと最高の結末へとあなたを導きます。
成長を求め、向上を果たそうとする生き方を実践しているのであれば、あなたが自らと自らの人生をどのように感じていようとも、その意義を果たすことが出来ます。
それは、諦めずに進む者は必ずその目的地に辿り着くからです。
あなたが進み続けることが、人生における最高の結末へとあなた自身を導くのです。
あなたは人生という道を最後まで歩み続けなければならないことを覚えておかなければならないでしょう。
人生を歩み続けるためには、先ずは歩まなければなりません。
歩まなければ人生を進めることは出来ません。
人生を進めることが出来なければ、成長や向上を果たすことは出来ません。
そうなれば、その意義を果たすことも出来ないのです。
あなたが人生を歩むためには、行動しなければなりません。
行動こそがあなたに様々な経験を与え、あなたに成長を導きます。
常に新しいことを探し、新しいことを考え、新しいことを思い、新しいことを動かし、新しい世界を築こうとしなければなりません。
あなたは何ものにも捉われることなく、新鮮であり自由でなければならないのです。
同じ道を行くにしてもその景色が変わらないのであれば、そこには退屈と苦痛が訪れることになるでしょう。
あなたは新たに行動を起こさなければなりません。
しかしながら、あなたが新たに行動を起こそうとすれば、それを食い止めようとする気持ちが生まれてきます。
「新たな世界には危険がある」
「現状は安全だ」
「失敗したらどうする?」
何か新しい行動を起こそうとすると、このような考えがあなたを食い止めようとするのです。
多くの人はその気持ちに飲み込まれてしまい、新たな世界を築くための行動を諦めてしまうのです。
新たな世界を築くための行動を諦めてしまうと、そこには退屈と苦痛が訪れ、成長や向上を果たすことは出来ません。
人生の結末は、決して喜ぶべきものではなくなってしまうのです。
あなたの理性があなたを食い止めようとしても、あなたはその言葉に従ってはなりません。
理性はあなたに対して消極的です。
あなたを安全の中にとどめようとします。
あなたは新たな世界を築くために行動しなければなりません。
行動する者こそが人生を最高の結末へと導くことが出来ます。
行動した者が豊かさを得るのです。
行動した者が勝ちなのです。
どのような行動でも良いのです。
あなたの心に浮かぶイメージの一つひとつに行動を与えていきましょう。
そうすれば、あなたはきっと人生に最高の結末を受け取ることが出来るでしょう。

2012年3月14日水曜日

最高のインスピレーション

あなたは自らの心に浮かぶ、自らを高めるであろう建設的なイメージを自らの前に実現しなければなりません。
あなたは常に自らの心と繋がっています。
あなたとあなたの心はひとつに繋がっているのです。
あなたが自らの心に繋がることによって、様々な思考、感情、意思、アイデアなどの心の働きを働かせ、それを受け取ることが出来ます。
それらは、あなたに様々なインスピレーションをもたらし、あなたはそれを自らの人生に反映して様々な経験を得ることが出来るのです。
あなたの心の働きがどのような状態であるのかによって、あなたの仕事がどのようなものになるのかが決まるのです。
人生(状況)を決めるのは、あなたの状態であり、あなたの心の状態であるのです。
そして、それはあなたとあなたの心の距離によって決まるものなのです。
あなたが自らの心と近い程、あなたの心は強く働きます。
あなたが自らの心との距離が遠ければ、あなたの心は十分に働くことは出来ないのです。
あなたが自らの心を強く働かせ、そこから最高(建設的な)のインスピレーションを得るためには、心との距離をより近いものにしておかなければならないのです。
心は(簡単には)二重構造になっています。
表面的な場所に存在し、あなたの思考や感情などを司っている顕在意識(けんざい)と、深層部に存在し、あなたの本心や習慣などを司っている潜在意識。
この表面的な顕在意識と深層的な潜在意識が重なることによって、心はひとつの形を成しているのです。
顕在意識はあなたが普段自由に扱っている意識です。
それはあなたの思考や感情のように、あなたの意思決定によって自由に形を変えることが出来ます。
それはとても柔軟な心です。
それに対して、潜在意識はあなたの自由にはなりません。
あなたの意思が届かない場所に存在しているため、あなたの意思決定によって操作することは出来ないのです。
それはとても純粋であり、一切の疑いを持ちません。
しかしながら、とても頑なです。
潜在意識は常に顕在意識のすべてを観察しています。
あなたの考え、思い、選択、判断、決定、
行動…
あなたのすべてを観察し、それを蓄積していくのです。
それはとても純粋であるため、自ら判断を下すことはありません。
何の疑いもなくすべてを受け入れ、蓄積していくのです。
あなたは自らの選択に注意しなければなりません。
あなたのすべては潜在意識が観察し、蓄積しています。
潜在意識は顕在意識よりも広大であるため、あなたにより強い影響力を持っています。
あなたが破滅的な思考や感情や習慣を所有するのであれば、潜在意識は破滅的な力を蓄積することになります。
破滅的な力は黒く、視界を遮ってしまいます。
それは潜在意識と顕在意識との間に大きく隔たり、やがてその繋がりは遮断されてしまうのです。
潜在意識と顕在意識が遮断されてしまうと、心はその働きを十分に果たすことが出来ません。
心が十分に働くことがなければ、あなたは最高のインスピレーションを受け取ることは出来ません。
最高のインスピレーションがなければ、あなたは道に迷うことになってしまうのです。
あなた(顕在意識)は心(潜在意識)の近くにいなければなりません。
正しく生きようとしなければなりません。
正しく生きるとは、自らを誇りに思える生き方するということです。
あなたが正しく生きようとするのであれば、心の中には建設的な力が蓄積されます。
建設的な力は心の力を最大限にまで高めてくれます。
そして、その距離を縮めてくれます。
心の距離が縮まり、その力が高まれば最高のインスピレーションがあなたを導くはずです。
あなたはそれを活用して進めば良いのです。
あなたが道に迷うのかどうかは、あなたがどのような生き方(思考、感情、行動)を選択するのかによって決まります。
潜在意識に対して、より建設的な心の働きを与えることこそがあなたを理想へと真っ直ぐに導く方法です。
あなたはどのような状況においても、自らの心に浮かぶ建設的なイメージを選択し、それを実現することが出来るように努めなければならないでしょう。

2012年3月13日火曜日

財産を築く

あなたは行動しなければなりません。
あなたが行動しなければ、あなたの状況が築かれることはありません。
あなたの状況が築かれることがなければ、あなたの人生が築かれることはないのです。
あなたの人生はあなた自身が築かなければなりません。
あなたがどのような行動をするのかによって、人生はその形を決めるのです。
あなたが人生を始めた時、あなたの人生には何もありませんでした。
あなたは自らの命と心と身体を持つだけで、何の財産も所有してはいなかったのです。
誰かから与えられるものは、あなたの財産ではありません。
それは、あなたに与えてくれた誰かの所有する財産なのです。
あなたの財産はあなたが自分自身で築かなければならないのです。
自分自身の力によって築く財産こそが、あなたの所有する財産だと言えるのです。
あなたの所有する財産は、有形無形に関わりなくあなたに豊かさを導いてくれます。
才能、知力、身体能力、精神力、想像力(創造力)、行動力、技術力、金銭、人脈…
あなたが自分自身の力によって築いた財産は、あなたを助ける最高の力に成り得るのです。
あなたは自らの所有する財産が持つ価値を知らなければならないでしょう。
自らの所有する財産、所有するべき財産が持つ価値を知らなければ、あなたはそれを求めることはなく、また十分に活用することは出来ないのです。
あなたは多くの努力を重ね、自分自身の力によって築かれる財産を築かなければならないのです。
あなたが財産を築くためには、とにかく行動し、とにかく経験しなければなりません。
どのような財産を手にしたいと思っても、あなたがその場から動かないのであればどのような財産も築くことは出来ないのです。
財産を築くためには働かなければなりません。
働くということは、行動を起こすということです。
それは財産を築くための行動を起こすということなのです。
あなたが何の行動も起こすことなく、財産を築くために働くこともなければ、どのような財産も築くことは出来ないのです。
目標や目的は大切です。
どのような財産が欲しいのか?ということは財産を築く上では重要なことです。
しかしながら、自らの求める財産だけがあなたに豊かさを導くとは限りません。
どのような財産が役に立つかは分からないのです。
小さな行動や財産が大きな行動や財産へと繋がることもあります。
とにかく行動し、様々な方向性の財産を築いておくことも大切なのです。
支える範囲が大きい程、支えられるものは安定するのです。
あなたが様々な財産を築いておくことが、あなたの人生に安定と豊かさを導くことを知らなければならないでしょう。
あなたは行動しなければなりません。
財産はあなたを探してはくれません。
あなたが財産を探さなければならないのです。
あなたが行動を起こすのであれば、あなたを支える存在が必ず現れます。
何も心配する必要はありません。
例え、その行動があなたに失敗を導いたとしても、その時には失敗と認識するでしょうが、後にその失敗がかけがえの無い大切な財産だったことを理解することが出来ます。
行動しなければそれすらも分からないのです。
すべての財産は行動から導き出されます。
行動しない者に財産を得る権利はありません。
働かない者には、財産を得る資格はないのです。
あなたが自分自身の力によって築いた財産こそがあなたの財産です。
あなたが自分自身の力によって築いた財産こそが、あなたの人生を豊かにする力を持つのです。
行動を怠ってはなりません。
より多くの行動を起こし、より多くの財産を築きましょう。

2012年3月12日月曜日

気付き

「気付き」こそがあなたの行く先を決めます。
「気付き」こそがあなたに正しい方向性をもたらすコンパスなのです。
人生は旅のようなものです。
人は一本の道を歩み、目的や目標や夢、そして死へと進みます。
誰もが歩まなければなりません。
それが生きているということです。
歩んでいる以上は道を進み続けます。
目的や目標や夢に向かって歩みを進めなければならないのです。
しかしながら、ただ真っ直ぐ歩んでいれば良いというものではありません。
ただ真っ直ぐ歩んでいれば目的や目標や夢に対して到達することが出来るという訳ではないのです。
大切なのは、あなたが進む方向性はあなた自身が決めなければならないということです。
あなたは自らの意思(思考と感情)やその生き方によって自らの進む方向性を決定していることを忘れてはならないでしょう。
どのような方向性を得て、どのような場所に辿り着こうとも、それはあなたが自らの意思やその生き方によって決定したという事実を認めなければならないのです。
あなたの意思やその生き方があなたの次の対応を決めます。
無数に存在している選択肢の中からあなたは自分が好きなものを選ぶことが出来るのです。
そのため、あなたの行く先を決めるのはあなた自身だということなのです。
どのような理由があろうと、あなたの意思やその生き方が選択した決定があなたの方向性を決めます。
状況や人生がどのような局面を迎えるのもあなたの決定次第です。
苦しい局面を迎えなければならないこともあります。
受け入れるには難しい状況も存在するでしょう。
あなたがどのような場所に辿り着こうとも、それはあなたが自らの意思とその生き方によって決定したものです。
しかしながら、あなたはそれを見誤ってはなりません。
正しく見極めなければなりません。
失敗だから、苦しいからといって、それがあなたに破滅的に作用するかと言えばそうとは限らないのです。
あなたが自ら決定したものならば、あなたにとっては必要であり、大切なものであるということを理解しなければなりません。
あなたは成長し、向上するために道を歩んでいるのです。
あなたが道を歩んでいる以上は、あなたは成長と向上を受け取る権利を所有しているということなのです。
そのため、すべての状況があなたの成長と向上を手助けするものであることを理解しなければならないのです。
それがどのような苦しみであったとしても、それをどのように活用するのか?ということが重要であって、苦しい状況に辿り着いてしまった!ということが重要な訳ではありません。
多くの人はそこを誤解しています。
苦しい状況こそ、あなたを叱咤激励(しったげきれい)し、あなたを目覚めさせる力を持っているのです。
なぜなら、人は苦しみから逃れるために必死になれるからです。
苦しみこそがあなたの眼を開かせるのです。
苦しい状況に陥ることは問題ではありません。
苦しい状況に陥った時にふて腐れ、それを力に変えようとしないことが問題なのです。
誰もが必ず失敗し、誰もが必ず道に迷います。
失敗を繰り返し、道に迷うことによって、正しい歩み方を理解することが出来るのです。
苦しみは悪ではありません。
苦しみこそあなたを手助けするチャンスであることを理解しましょう。
苦しい状況があなたに何を訴えているのか?ということに気付くことが出来れば、あなたはどのような局面も力に変えていくことが出来るでしょう。
そして、自らの方向性を正すことも出来るのです。
「気付き」こそがあなたに豊かさを導きます。
目の前の状況がどのような意味を持ち、あなたに何を訴えているのか?ということに気付くことが出来るように努めなければならないでしょう。

2012年3月11日日曜日

終着

すべての始まりは終わりへと繋がっています。
すべての世界は必ず始まりますが、かならず終わります。
始まりが終わりを否定することなど出来ません。
すべての始まりは否応なしに終わりへと向かい、それを受け入れなければならないのです。
あなたはすべての始まりが必ず終わりへと辿り着くことを知らなければなりません。
それに、どれ程の労力を費やしたとしても、あなたにはそれを食い止めることは出来ません。
すべての始まりが終わりに辿り着くことを受け入れることが出来なければ、あなたはそれを否定し、拒絶することになります。
あなたが終わりを否定し、拒絶するのであれば、始まりは正しく終わりを迎えることが出来ません。
始まりは否応なしに終わりへと辿り着きますが、その行程をあなたが拒絶することによって、それが終わりへと正しく終着することが出来なくなってしまうのです。
正しく終着することが出来なければ、そこから得られるであろう大切な学びを正しく受け取ることが出来ません。
始まりが終わりに終着しようとしているのに、あなたがそれを邪魔するのであれば、そこに存在している大切な学びを潰してしまうことになるのです。
あなたにとって、始まりが終わりを迎えるのはとても寂しく辛いことでしょう。
しかしながら、すべての事象には必要性があり、すべては大切なことなのです。
始まりが終わりを迎えることにも必要性があり、それは最善へと向かっているのです。
感情によって物事を判断しなければならない人の心にとって、それを素直に受け入れるのは簡単なことではありません。
しかし、それを受け入れることが出来なければ大切な学びを多く失ってしまうことになってしまうのです。
それはあなたにとってとても苦しいことだということを理解しなければなりません。
あなたが生きている理由は成長と向上であるため、それらを助長する力を持つ学びを失ってしまうことは大きな損失なのです。
あなたは目の前の経験からより多くの学びを受け取らなければなりません。
そして、その学びを活用して成長と向上を実現させなければならないのです。
そのためには、すべての始まりが終わりへと辿り着くことを否定してはならないのです。
すべては正しく最善へと導かれています。
しかしながら、それはあなたの感情を配慮することはありません。
あなたがどのように感じようとも、すべては必要によって最善へと正しく導かれているのです。
すべての始まりは終わりへと向かいます。
すべての始まりが終わりへと向かうのは、また新たに始めるためです。
すべての始まりは新たに始めるために終わるのです。
終わるために終わるのではないのです。
終わりが終わりだとする考えは、終わりを拒絶する心へと繋がってしまいます。
終わりが新たな始まりへと繋がっているとする考えは、終わりを受け入れる心へと繋がっているでしょう。
あなたは終わりを恐れてはなりません。
道が既に終わっているのに、それを先へ進むことは出来ません。
それでも進もうと固執するのであれば、苦しみもがかなければならないのです。
あなたは様々な終わりに辿り着きます。
どのようなことも永続することはありません。
すべての始まりは必ず終わりへと辿り着くのです。
あなたが終わりを受け入れることこそが、あなたを新たな始まりへと導きます。
始まりが終わりへと辿り着く前に諦めてはなりませんが、終わりを迎えることが最善であると感じたのであれば、あなたは迷わずにその終わりを受け入れなければなりません。
すべての始まりが永続するのは罪です。
そこには成長も向上も存在しません。
一からやり直すことが、成長と向上へと繋がっているのです。
終わりに対峙した時、あなたはそれを拒絶してはなりません。

2012年3月10日土曜日

小さな歪み

あなたは何事にも捉われてはなりません。
何事にも縛られてはなりません。
どのような形にもはまり切ってはなりません。
あなたは何事にも捉われず、何事にも縛られることなく身軽であり、自由でなければなりません。
あなたがこの世界に誕生した時、あなたは何も持ってはいませんでした。
あなたは何事にも捕らわれることの無い、自由な存在であったのです。
しかしながら、生きていく過程において、あなたには大切なものがたくさん現れました。
あなたはそれを守りたいと思います。
そして、それを守るために必死になって闘うでしょう。
大切なものを守り闘うということは、とても素晴らしいことです。
その気持ちや考えは大切にしなければなりません。
しかしながら、その気持ちや考えが強過ぎてしまえば、あなたはその気持ちや考えに捉われてしまうことになります。
一度、何かの気持ちや考えに捕らわれてしまうと、それ以外のものがぼやけて映るようになります。
その状態が続けば、あなたは正しい視点を失い、正しい判断や正しい感情を導くことが出来ないようになってしまうのです。
何かに捉われてしまうと何時の間にかに盲目的になり、更には歪んでしまうのです。
一度歪んでしまうと、それは次々と歪み続けてしまいます。
しかも、それに気が付くことが出来れば修正することも出来るでしょうが、大抵の場合が自らの小さな変化から生じる小さな歪みのために気が付くことが出来ません。
熱湯に手を入れると熱くて反射的に手を引き抜くことでしょう。
しかしながら、冷水から徐々に熱湯へと変化させる過程においては、あなたはその冷水が熱湯に変わるまでその手を引き抜くことはないでしょう。
あなたは知らず知らずの内に自らの気持ちや考えに捉われてしまいます。
そして、知らず知らずの内に正しい視点と判断と感情を失い、大切なものを守る力を失ってしまうのです。
あなたが大切なものを守るためには、何かに捉われ、縛られてしまってはなりません。
軽く、柔らかく、自由でなければなりません。
重く、堅く、形にはまって不自由ではならないのです。
大切なことは基本にあります。
すべての豊かさは初心にこそ存在しているのです。
あなたの基本と初心は、あなたの始まりに存在しています。
それは、何も持たない赤子のように何事にも捉われず、何事にも縛られることなく自由だった「あの頃」にあるのです。
想う気持ちが強い程、あなたは大切なものを守る力を失ってしまいます。
皮肉なことですが、「身体」が重くては大切なものを守ることは出来ないのです。
強過ぎる気持ちには余裕が無く、結果として空回りしてしまいます。
あなたはどのような状況にも何事にも捉われず、何事にも縛られず、どのような形にもはまり切らないように注意し、それに努めなければならないでしょう。
自らの小さな変化を見逃さないように注意しましょう。

2012年3月9日金曜日

チャンス

あなたは人生を経て成長しなければなりません。
あなたが人生を歩む目的は成長であり、あなたの人生があなたに求めるものは向上です。
すべてはより高みを目指しているのです。
あなたが生きている目的は、自らの成長であり、向上です。
もちろん、自らに繋がるすべての存在の成長と向上も兼ねています。
細かな目的は無数に存在していますが、あなたが生きていくための根源的な目的は成長と向上なのです。
あなたはすべての存在、そしてそれらが織り成すすべての事象が成長や向上を導くものであることを理解しなければなりません。
あなたは常に成長と向上の機会に触れているのです。
あなたが根源的に求める成長と向上を、あなたがいつでも好きな時に受け取ることが出来る機会を与えられているのです。
成長や向上の機会は、常にあなたの目の前に存在しているのです。
あなたがその機会を使って実際に成長と向上を果たすためには、それを自らの手で掴み、活用しなければならないのです。
あなたがいくら成長と向上の機会に恵まれていようとも、あなたが自らの意思によってそれを求め、活用する気がなければあなたが成長と向上を果たすことは出来ないのです。
あなたが成長と向上を果たすことが出来るのかは、あなた次第なのです。
あなたは何のために生きていますか?
どのような目的を持っているでしょう?
どうすれば心が満たされますか?
あなたは成長と向上を果たすために生きています。
成長と向上を果たすことなく心が満たされることはありません。
あなたが豊かに生きるためには、成長と向上を果たし続けなければならないのです。
あなたは目の前に存在している成長と向上の機会を自らの意思によって掴み、それを活用しなければなりません。
あなたの目の前には無数のチャンスが転がっています。
あなたはそれを掴めば良いだけです。
しかしながら、あなたの目の前に転がっているチャンスは、資格のある者にしか認識することが出来ず、また掴むことも出来ません。
それは、成長と向上を心の底から望んでいる者だけに許された資格なのです。
成長と向上を望んでいない者には、目の前に転がっているチャンスを掴むことは出来ません。
それどころか、それを認識することさえも出来ません。
自らの中に成長と向上を求める原因が存在していなければ、成長と向上を果たすための方法やその結果を得ることは出来ないのです。
あなたが成長と向上を求めるためには、建設的な思考と向上心が必要です。
自らの世界を広げようとする者でなければ、チャンスを掴むことは出来ないのです。
あなたは新たな世界を求めなければなりません。
様々な世界に触れて心を躍動させましょう。
躍動する心は熱意を生み出します。
熱意を持った心は、成長と向上のチャンスを掴むことでしょう。
チャンスはあなたの目の前に転がっています。
それをあなたがどうするか?です。
成長と向上を求めることもせずに、そのチャンスを掴むことなど出来ません。
あなたがチャンスを求めるのであれば、自らの成長と向上を心な底から望み、それに対する努力を尽くさなければなりません。

2012年3月8日木曜日

上等な道具

あなたは力を求めなければなりません。
何時の時にも、更なる力を求めていなければなりません。
更なる能力、魅力、精神力、体力、知力…
様々な力を求め、自らを高めようと努めなければなりません。
なぜなら、力を持たない者が生きていく場所など、この世界には存在してはいないからです。
どのような世界も、そこには必ず競争が存在しています。
強い者は命を繋ぎ、弱い者は命を失います。
それが世界のルールです。
そのルールに反することは出来ません。
残念ながら、弱い者が生きていく場所は存在してはいないのです。
あなたが自らの居場所を確保し、世界に命や道を繋ぐためには、強くなければならないのです。
力を持っていなければこの競争世界において、生きていくことは出来ないのです。
あなたは力を求めなければなりません。
あなたが生きていくためにはどうしても力が必要なのです。
成長して力を得なければならないのです。
なぜなら、あなたの目の前には常に問題が存在し、それが壁となってあなたの行く手を塞ぐからです。
問題を解決し壁を乗り越えることが出来なければ、あなたは停滞してしまうことになります。
問題や壁の前に停滞してしまうのであれば、あなたはそこに不満や不安定などの破滅的な感情や考えを生み出してしまうでしょう。
そうなればあなたは力を失い、自らの人生に意義を成すことが出来なくなってしまうのです。
人生に意義を成すことが出来なければ、あなたは何よりも深い苦しみを受け取らなければならないのです。
あなたは自らの人生に意義を成さなければなりません。
人生に満足感を得なければならないのです。
人生に意味を、自らに存在理由を見出さなければなりません。
そのためには、世界に対して自らの人生を切り拓き、命を全うしなければならないのです。
問題や壁に停滞していては、それらに辿り着くことは出来ないのです。
あなたが目の前の問題を解決し、行く手を塞ぐ壁を乗り越え、人生を切り拓き先へと進むためには、どうしても力が必要なのです。
あなたに必要な力は、そのすべてがあなたの心(意識)の中に存在しています。
あなたが力を求めるには、それを内側より引き出すことが求められるのです。
外にも素晴らしい力は溢れています。
しかしながら、それらはあなたの道具に過ぎません。
いくら上等な道具を手にしたとしても、それを使いこなすことが出来ないのであれば意味がないのです。
あなたは自らの力を引き出し、それを高める必要があるでしょう。
あなたの心(意識)の中に存在している力を引き出すためには、建設的な力(感情や思考)を用いる必要があります。
建設的な力こそが、あなたの心(意識)の中に存在している力を引き出すことが出来るのです。
感謝、思いやり、優しさ、労り、許し、楽しみ、情熱、勤勉、前向き、穏やかさ…
建設的な力を用いて自らの心(意識)にアプローチしましょう。
あなたが建設的な力を駆使するのであれば、あなたは必ず成長するための力を引き出すことが出来ます。
そうなれば、問題や壁に停滞することはなく、人生を切り拓いていくことが出来るでしょう。
自らの居場所は自らの力によって確保しなければなりません。
目の前の問題や壁を解決する力のない者が生きていく場所など存在しないことを覚えておかなければなりません。
自らの力で問題や壁を解決することが出来るように、日々自らを高め磨くことに努めましょう。

2012年3月7日水曜日

純粋な欲求

あなたが人生に幸福感を求めるためには、自らの心を満たす必要があります。
あなたが自らの心を満たすためには、自らの心に従う必要があるでしょう。
自らの心が求める欲求を満たすことなく、あなたの心が満たされることはありません。
しかし、ただ単に欲求に応えていれば良いというものではありません。
あなたが自らの心を満たすためには、自らの心の中に存在する純粋な気持ちに従わなければならないのです。
あなたの心の中に存在する純粋な場所には愛情が存在しています。
打算的な心には愛情が存在しているとは言えないのです。
損得から切り離された心にこそ、真の愛情が存在しているといえるでしょう。
あなたが従うべきは、損得から切り離された純粋な心であり、その気持ちです。
それに従うことがなければ、あなたは自己の利益に突き進み、やがては欲望の虜(とりこ)になってしまうでしょう。
そうなれば、あなたは欲望の力によって自らの純粋な心や気持ち、そして、愛情から切り離されていくことになります。
純粋な心や愛情から切り離されたあなたの心は、何をしても満たされることはなく、満足感や達成感、そして、幸福感を得ることが出来なくなってしまうのです。
自らの純粋な心に従うことが出来ない状態では、その心を満たすことには至らず、その結果として人生に豊かさを得ることは出来ないのです。
あなたの人生において、あなたが大切にしなければならないのは、自らの純粋な心が求める「純粋な欲求」に従うということです。
あなたが自らの損得感情によって生み出す欲望に従うことではないのです。
あなたが選択しようとしていることは、どのような理由から決断されたものでしょう?
それは、あなたのどのような心や気持ちに従った決定なのでしょうか?
そこには様々な理由があるでしょう。
しかしながら、あなたの心を満たす力を持つ選択は、あなたの純粋な心や気持ちの中にしか存在してはいないのです。
「純粋な欲求」以外の欲求は、愛情以外の原因によって生み出される欲求です。
愛情以外の原因によって導き出される結果からは、愛情を受け取ることは出来ないのです。
原因に等しい結果以外を受け取ることは出来ないのです。
あなたが愛情を以て決定した選択は、愛情を以てあなたに応えます。
あなたが損得感情を以て決定した選択は、損得感情を以てあなたに応えるのです。
どちらがあなたの心を満たしてくれるでしょうか?
いくら欲望を満たしたところで、心が満たされることがなければ虚しいだけです。
人によって純粋な心が求める欲求は異なります。
しかしながら、それに従うことなく心を満たすことが出来る人はいません。
それがどのような欲求であろうと、あなたの純粋な心が求める欲求であるのならば、それに従う価値はそこに存在しているでしょう。

2012年3月6日火曜日

力に対する代償

人生を豊かなものにするのはあなたの仕事です。
あなたが自らの力によって人生を築かなければなりません。
人生をどのようなものにするのかは、あなたの力量次第です。
あなたは自らの意思によって、自らの力量をコントロールしています。
努力すれば力量は上がり、努力を怠れば力量は下がります。
この世界に無駄なことはありません。
努力次第で必ず力量に変化が現れるのです。
あなたの力量は、あなたの努力次第なのです。
すべてのことはあなた次第で自由に変化します。
人生は決して決まってはいません。
そこに何を築くのかは、すべてがこれからなのです。
人生を豊かなものにしたいと願うのであれば、あなたは自らの力量を高める努力をしなければなりません。
自らの内に存在している様々な能力を引き出し、高めなければなりません。
しかしながら、自らの内に存在している能力を引き出し、それを高めるのは簡単なことではありません。
能力を引き出し、それを高めるためには、それに応じた代償を支払わなければならないからです。
代償を支払うつもりのない者には、自らの内に存在している能力を引き出し、それを高めることは出来ません。
何かを得るためには、それに相当する代償を支払わなければならないのが原則なのです。
代償を支払うことで報酬を得ることが出来るのです。
あなたが自らの力量を高め、人生を豊かなものにしたいと願うのであれば、自らが求める力に対する代償を躊躇(ちゅうちょ)してはなりません。
代償を支払うことがなければ、どのような力も引き出して高めることなど出来ないのです。
あなたが支払うべき代償は、あなたが求める力によって異なります。
それは時間かも知れません。
それは労力かも知れません。
それは金銭かも知れません。
それは甘えかも知れません。
それは過去かも知れません。
それは命かも知れません。
それは絆かも知れません。
それは趣味かも知れません。
それは自我かも知れません。
あなたが求める力を得るためには何が必要なのか、それにあなたは気付き、既に知っているはずです。
しかしながら、代償とは言っても本当に大切なものを捨てる必要はありません。
力に対する代償を支払っても、本当に大切なものはあなたの手元に残ります。
あなたが支払うべき代償とは、その力に相応しくない(悪しき)習慣なのです。
力に対する代償とは、決して破滅的な行為ではなく、とても建設的な行為であることを理解しなければなりません。
あなたの求める力に対して、破滅的な習慣を代償として差し出しましょう。
その代償を支払うことで、あなたは力という報酬を得ることが出来るでしょう。
あなたが代償を支払うことによって、あなたの内に存在している能力は引き出され、高まることでしょう。
それがどのようなものであっても、力に対する代償を躊躇してはなりません。

2012年3月5日月曜日

最高の友人

問題とは、あなたの最も信頼することの出来る友です。
問題ほど、あなたを正しく見ているものは存在しません。
問題は、あなたにあなたの現状を正しく伝えているのです。
人生には様々な問題が起こります。
その度にあなたは悩み、苦しむことでしょう。
問題とは、あなたの状況に対する失敗が形として現れたものです。
失敗が形となっているのですから、それを受け取る時には何らかの悩みと苦しみが伴うのです。
そのため、多くの人が目の前に発生する問題に対して、何らかの嫌悪感を持ちます。
あなたは問題は極力起きない方が良いと思うでしょう。
失敗よりも成功を積み重ねていくことが出来れば素晴らしいでしょう。
しかしながら、人はいつまで経っても何らかの未熟さを抱え、そこ(未熟さ)から脱することは出来ません。
何らかの弱さを持ち、何らかの至らなさを抱えているのです。
人生という短い時間の中では、すべてを極めることなど不可能なのです。
そのため、完全な人物など存在しません。
どれ程の長所を所有していようとも、必ず何かの短所を所有しているのが人というものなのです。
人はいつまで経っても未熟さを所有しているのです。
未熟な存在は失敗を受け取ることになるのです。
その価値観、その考え方、その受け取り方、その選択、その行動…
状況や世界のルールに反する方法を所有し、その結果として失敗を形として現し、それを受け取ることになってしまうのです。
失敗を受け取ることのない完全な人は存在しません。
そのため、誰もが問題に対峙しなければならい状況に辿り着くのです。
問題に向き合う頻度は人それぞれに違いますが、失敗に向き合わずに済む人物はいません。
あなたは現在、何らかの問題を抱えているかも知れません。
現在、目の前に問題が見当たらなくても、いつか問題を受け取り、それと対峙しなければならない状況が訪れるのです。
その時に、問題の本質を理解していると、問題に対する態度や選択に最善の方法や建設的な方向性を導き出すことが出来るのです。
問題とは、状況に対するあなたの失敗が形として現れたものです。
問題自体は結果でしかなく、その本質はあなたの間違った方法や選択によって引き起こされる失敗にこそ存在しているのです。
そのため、問題を忌み嫌ったところで何も変わりはしないのです。
起こったこと(問題)に対して苦悩することは有効な方法だとは言えません。
起こったことは結果として真摯に受け入れ、自らの失敗の原因について、それをどうやれば改善することが出来るのかを考える必要があるでしょう。
問題はあなたの失敗を知らせてくれる最高の友です。
問題があなたに苦悩を与えなければ、あなたはそれよりも深い破滅へと突き進んでしまうのです。
それを防ぐために問題はそこに問題があるとあなたに伝えているのです。
あなたは問題を嫌ってはなりません。
問題を拒絶してはなりません。
問題に対して心を開かなければなりません。
目の前に存在している問題にしっかりと向き合い、誠実に謙虚に自らの失敗の原因を探し出さなければならないでしょう。
問題はあなたの失敗をあなたに伝え、あなたの成長を促しています。
問題とは、あなたの人生を見守る最高の友であることを理解しましょう。
問題が提議する課題を聞き入れ、それを反省し、そして更生し、自らと自らの人生を向上させるように努めましょう。
問題に向き合うことは苦しいことでしょうが、問題があなたの敵ではなく、寧ろ味方であることを覚えておかなければなりません。

2012年3月4日日曜日

個性

あなたは「自分」で在りなさい。
あなたは「自分」を隠してはなりません。
あなたは「自分」を偽ってはなりません。
あなたは「自分」を恥じてはなりません。
あなたは「自分」を恐れてはなりません。
あなたは「自分」と向き合わなければなりません。
あなたは「自分」を信じなければなりません。
あなたは「自分」を表現しなければなりません。
あなたは「自分」を押さえつけてはなりません。
あなたは「自分」を裏切ってはなりません。
あなたは「自分」を楽しまなければなりません。
あなたは「自分」を伸ばさなければなりません。
あなたは「自分」を見失ってはなりません。
あなたは「自分」という最高の個性を所有しています。
それは、誰にも真似することの出来ない完全なる境地です。
あなたの個性は、あなたでなければ扱うことは出来ません。
あなたの個性はあなただけのものなのです。
あなたは自らの個性を認識しなければなりません。
そして、その素晴らしき価値を知らなければなりません。
あなたの個性は力です。
それも、唯一あなただけに与えられた最高の力なのです。
あなたの個性はあなたの人生を切り拓くに相応しい力です。
あなたの人生を切り拓くことが出来るのは、あなたの個性だけだと言えるでしょう。
自らの個性を使わずには、あなたの人生が切り拓かれることは無いと理解しましょう。
あなたが人生を切り拓くためには、「自分」という個性が持つ最高の力が必要であることを知らなければなりません。
自らの人生を切り拓くために必要な「自分」という個性が持つ価値を理解することがなければ、あなたはそれを切り拓くことは出来ないでしょう。
あなたは忘れているかも知れません。
あなたはこの世界に唯一の存在です。
あなた以外に「あなた」は存在してはいません。
あなたはその存在そのものが既に個性的なのです。
あなたはきっと自分が個性的であることを忘れているでしょう。
しかしながら、あなたは「超」個性的なのです。
それにも関わらず、世界に唯一の個性を所有していることを忘れ、何時の間にかにそれを見失っているのです。
あなたは「自分」でなければなりません。
誰かと同じで在ろうとする必要はないのです。
協力はしなければなりませんが、同じで在る必要はないのです。
あなたが誰かと同じで在ろうとすると、あなたの個性は著しく侵害されます。
それは自らの個性を否定することだからです。
その結果、個性は衰退し、やがてその力を失います。
そして、人生を切り拓くことが困難になってしまうのです。
あなたは誰とも同じではありません。
誰かと同じにはなれません。
あなたはあなたとして生きていく以外に、人生を切り拓いて生きていくことは出来ないのです。
あなたが「自分」で在ることが、唯一あなたが人生を生きていく方法なのです。
あなたは個性を爆発させなければなりません。
周りから抜きん出なければなりません。
個性を殺してはなりません。
あなたは「自分」でなければなりません。
あなたが「自分」を認め、「自分」を好きになることが出来れば、人生は自ずと拓かれるでしょう。

2012年3月3日土曜日

命の責任

あなたの人生を築くのはあなたの仕事です。
あなたの生きる人生は、あなた自身が築かなければなりません。
人生を築くということは、命を持つ者の最低限の責任なのです。
あなたは自らの人生を築くという責任を果たさなければなりません。
しかしながら、ただ生きれば良いという訳ではありません。
何となく人生を築いてはならないのです。
志を持ち、より高度であり、より幸福であり、より豊かなものとして人生を築かなければならないのです。
あなたは自らが所有している命の価値を軽んじてはなりません。
あなたがその命を持つことが出来たのは、それを使って人生と自分自身をより高尚なものにすると誓ったからなのです。
多くの人がそのことを忘れています。
欲望を貪るために命がある訳ではありません。
苦しむために人生がある訳ではないのです。
人生をより豊かなものとして築き、そこに向上を成し、成長を受け取るために命と人生は存在しているのです。
あなたは自らが貴重な命と人生を所有する意味を考えなければなりません。
この世界には、命を求めてもそれを手にすることが出来ない魂が無数に存在しています。
人生を求めてもそれを築くことの出来ない者は数え切れません。
あなたが当たり前に所有している命と人生は、ただそれらを所有しているということだけでとても素晴らしいことなのです。
あなたは自らの命と人生の価値を高めなければなりません。
命と人生という素晴らしいチャンスを逃してはならないのです。
命を蔑ろにし、人生を貧しいものにしてはなりません。
命を目一杯に活用し、人生を豊かなものとしなければならないのです。
それはあなたが所有する命と人生に対する責任なのです。
それを放棄してはなりません。
あなたの人生はあなたの意思によって決定された選択によって築かれます。
あなたの選択が人生を築いていくのです。
あなたがどのような選択をしようとも、それはあなたの自由です。
誰もあなたの選択に干渉することは出来ません。
あなたは自分自身で何を選択することが素晴らしい結果をもたらすのかを選択しなければならないのです。
あなたの目の前には必ず選択が現れます。
あなたはそれを選ばなければなりません。
大小様々な形で現れる選択は、そのすべてがあなたの人生を築いていく力を持っています。
あなたはどのような選択が自らを高めてくれるのか?
どのような選択が「今ではなく」後に楽しみを運んでくれるのか?
どのような選択が「今ではなく」後に利益をもたらすのか?
命と人生に対する有意義な選択とはどのような選択であるのか?
ということを考えなければならないでしょう。
欲望や破滅的な思考や感情に根差した選択を容認してはなりません。
人生をどのように築くのかはあなた次第です。
あなたの選択は、自らの命と人生に対する責任を果たすことができていますか?
改めて自らの生き方について考え、それを命と人生に恥ないようなものにしなければならないでしょう。

2012年3月2日金曜日

人生が求めるもの

人生というものは厳しい世界です。
生きていくためには甘えることは出来ません。
人生において立ち止まることは「死」を意味します。
あなたの肉体がその働きをやめてしまえば、たちまちの内に肉体は滅びます。
命を保つためには、あなたの肉体がその働きを放棄してはならないのです。
あなたが人生に命を与え、それを保つためには、人生を進める歩みを放棄して立ち止まることは出来ないのです。
あなたは、人生に生きるということはとても厳しく、とても苦しいことだということを理解しておかなければなりません。
人生が気楽なものだと考えているのであれば、あなたは必ず自らの弱さに甘えてしまいます。
弱さに甘えた先にあるのは、怠慢や堕落。
そして、否定や拒絶です。
そのような状態は人生の意義に反しています。
人生の意義に反し、どうやってそこに豊かさを得られるでしょう。
人生を豊かなものにするためには、人生の意義に忠実でなければならないのです。
めくるめく時代の中に文化は栄え、文明は発展しました。
あなたは自らの生活に対して不足を感じることが少ないでしょう。
生活も、教育も、娯楽も…
すべてが栄えていると言えるでしょう。
現代社会において、本当の不足を得ることは難しいのです。
あなたの基本的な生活や人生は保証されていることでしょう。
実際、多くを求めなければそれなりに命と生活を繋げることは出来ます。
目の前の問題や苦しみに対して甘え、歩むことを放棄しても、それが自らの命や生活を直接的に脅かすことはありません。
誰かや社会の制度に頼ることで、守られるでしょう。
しかしながら、それも一時的なものに過ぎません。
歩みを放棄した代償は、いつか必ず自らに降りかかることになるのです。
一生懸命に生きようとする者は、達成感や充足感を得ることが出来ます。
歩みを進めることで意義を成します。
しかしながら、一生懸命に生きようとしない者は、不満や不安などの感情を得ることになります。
一生懸命に生きようとしない者は歩みを進めることが出来ません。
それは人生の意義に反しているのです。
どのような一歩でも良いのです。
夢や目標や目的に向かって進むことが必要なのです。
人生はあなたに成長や向上を求めています。
そして、あなたも本心ではそれを望んでいるのです。
歩みを進めることがなければ、あなたの心や命や人生が満たされることはないのです。
あなたが成長するためには、厳しい環境に生きる必要があります。
甘えから脱した生き方をしなければ成長することなど出来ないのです。
人生はあなたに厳しさを求めます。
それが自然です。
厳しい環境に生きていると感じるのならば、あなたは向上し成長へと向かっているでしょう。
その結果として人生はあなたに豊かさを導きます。
自らを気楽な環境に生きていると感じるのであれば、知らず知らずの内に甘えている可能性があるでしょう。
それでは苦しみと後悔だけがもたらされるでしょう。
厳しさを求めなければなりません。
気楽な環境に疑問を持たなければなりません。
自らを高めてくれる選択と堕落させる選択とを見極めなければなりません。
歩みを進めなければなりません。

2012年3月1日木曜日

真の価値

真の楽しみというものは、自らの存在が世界に対して貢献した時に得られる感情のことです。
自らの存在が周囲に認められ、自らの力を発揮することの出来る環境を得た時に、人は史上の喜びを得ることが出来るのです。

満足感、充足感、達成感という感情が心に生まれなければ、人生を真に楽しむことは出来ないのです。

多くの人は自らの喜びという感情について無知であります。

真の喜びというものを理解していないために、欲望を満たすことによって得ることの出来る偽りの喜びに浸り、それによって自分自身と自らの人生を誤魔化しているのです。

欲望を満たしたところで人生に対する真の喜びを得ることは出来ません。

あなたが真の喜びを得るためには、自らの存在理由と存在価値を満たす以外に方法はないからです。
欲望を満たすことを突き詰めて行っても、そこには虚しさが募るだけです。

欲望には底がありません。

欲望を満たすことによって心を満たそうとしても、喉が乾くだけで潤うことはないのです。

受け取れば与えなければならないのが世界のルールです。

奪えば奪われるのです。

欲望を貪(むさぼ)ったところで何かを得られることはありません。
欲望を貪る程にあなたの心は貪られていくのです。

心を満たすためには、与える必要があります。
あなたが与えると、受け取ることが出来ます。

あなたが所有しているものは、あなたの肉体、心、能力だけです。

正確には、あなたが所有している物質的な価値はあなたの所有物だとは言えません。
物質的な価値は、共有的な価値なのです。
それは流動的です。
あなたが所有するものは、あなたから決して離れないものなのです。
それはあなたの肉体であり、心であり、能力なのです。
それらが正しく導かれ、正しく働くことによってあなたの心は満たされるのです。

あなたが「自ら」を正しく導き、正しく働かせることが出来たなら、あなたを必要としてくれる人や状況が必ず現れます。

そうすると、あなたは自らの存在理由と存在価値を実感することができ、心を満たすことが出来るのです。

いくら欲望を満たそうとしても、欲望によって満たされる心はありません。

どれ程、物質的な価値を満たそうとも、自分自身の価値を満たすことが出来なければ心は満たされないのです。

人生の楽しみについて、自らの見解を確認してみましょう。

あなたは欲望に根差した選択をしてはいませんか?

その選択は本当にあなたの価値を高め、輝かせてくれるでしょうか?

あなたが自らの存在理由と存在価値を知るためには、魅力的でなければなりません。

魅力的で在るためには、自らの力を最大限に働かせておかなければなりません。