人生に危険は付き物です。
危険の存在しない人生などありません。
それは、生きることが既に危険との駆け引きであるからです。
危険を無視して生きることはできません。
それは、命や状況というものが不安定なものであり、いつ崩れるかも分からないからです。
すべてが危険と隣り合わせに存在しているのです。
それは仕方のないことです。
それは、始まりと終わりが共存しているのがこの世界の在り方であるからです。
それは、物事が向上するためには欠かせないことなのです。
物事が向上するためには、段階を組まなければなりません。
段階を組むことなく、物事が向上することはありません。
物事が成長し向上するということは、古い段階と決別し、新たな段階を得るということなのです。
古く弱い段階が終わり、新しく強い段階が始まるということなのです。
終わりに辿り着くことがなければ、始まりを得ることはできません。
何かを終わらせ、何かを始まらせなければ、物事の向上はないのです。
多くの人は「終わり」を苦しいものだと考えています。
もしかすると、あなたも何かの終わりを苦しいものだと考えているかもしれません。
そして多くの人は苦しいものは危険だと考えます。
危険を避けていれば苦しみを味わう必要もないと考えるのです。
そのため、多くの人は危険を忌み嫌い、それをできる限り避けようとするのです。
危険というものは必ずあなたに危機的な状況を導きます。
それを嫌う気持ちは分かります。
しかしながら、危機的な状況というものがあなたを成長させることも認めなければなりません。
危険があなたに対してもたらすものは、何も苦しみだけではないということです。
危険とはリスクです。
それは物事を破綻に追い込む可能性を持っています。
せっかく積み上げてきたものを破綻に追い込む可能性を好む人はいません。
始まったものが破綻する可能性をわざわざ求める人はいないのです。
しかしながら、終わりという段階を迎えなければ始まるものもないのは事実です。
危険(リスク)を避け、安全や安心の中でのうのうとしていては「良い終わり」を迎えることはできないのです。
物事は必ず終わりを迎えます。
それが危険に挑んでも、危険を避けても同じことです。
そのような状況も、いつかは必ず終わりを迎えることになるのです。
その時に次の始まりに繋げられる終わり方をする必要があるのです。
危険を避けることはあなたに安全と安心をもたらすように見えます。
しかしながら、それは表面的な見え方に他なりません。
リスクに挑戦しないということは、可能性を掴まないということなのです。
危険を冒さない者が掴むことのできる向上への可能性があるでしょうか?
危険を承知で海に潜る者だけがその幸を得ることができるのです。
危険を恐れ、海に潜ることがなければ、腹を空かしてその先の可能性は途絶えてしまうでしょう。
リスクを取るということは簡単なことではありません。
もちろん、上手くはいかない可能性も多々あります。
しかしながら、それを取らなければその先のそれ以上の可能性は無いということも理解しなければならないでしょう。
危険を安易に嫌ってはなりません。
危険があなたを苦しめるものだという誤解を訂正しなければなりません。
危険こそがあなたを苦しみから解放する唯一の味方であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたは危険に対して耐性を持たなければなりません。
危険を遠ざけ、避けているようではならないのです。
危険な状況に対して対応することを目指していれば、必ず力は磨かれます。
あなたは危険に挑むために爪を研がなければなりません。
心と身体を鍛えなければなりません。
危険を乗り越えるために力を磨かなければならないのです。
あなたが成長と向上を求めるのであれば、危険の中にその身を置く必要があります。
危険とは苦しみであり、重圧であり、苦手であり、嫌いであり、恐怖なのです。
それらをそのままの形で放置していてはなりません。
すべて乗り越える必要のあるものです。
危険を避けていては決して乗り越えることはできません。
危険というものはあなたに可能性を導く唯一のものであるということを忘れてはならないでしょう。
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