この世界で大切なものは皆、面倒臭いことでできています。
大切なものは皆、面倒さを帯びているのです。
面倒を無視して大切なものは手に入りません。
あなたが大切なものを手にするためには、面倒を無視することができないということを理解しなければならないでしょう。
あなたが大切なものを手にしたいと考えているのであれば、自らにとって面倒なことを拒絶していてはなりません。
面倒なことを拒絶することは同時に、大切なことを手放しているということも理解しなければならないのです。
面倒を避けて、自らにとって大切なものや、有益であり豊かなものを手にすることはできません。
それは、大切なもの程手に入りにくいからです。
あなたにとって本当に大切なものとは簡単には手に入らないようにできています。
有益なものや豊かなものは簡単に手にすることはできません。
あなたは高価な物を欲するでしょう。
それがどのような物であっても、一級品を求める気持ちがあるはずです。
値段を気にすることなく選ぶのであれば、わざわざ粗悪な品を選ぶことはないのです。
あなたは少しでも良い品を求めるはずなのです。
良い品は値が張ります。
一級品ほど高価なのです。
良い品を得ることは簡単ではありません。
高価であるほどにそれだけ多くの資金が必要だからです。
しかしながら、多くの資金を必要としても、あなたはできれば良い品が欲しいはずなのです。
それはその品が良い品だからです。
良い品とは作り込まれています。
その作りが良いということが、その品質を高めているのです。
作り込まれていなければ良い品ということはできません。
良い品を作るためには作り込まなければならないのです。
作り込むということは、その作業により多くの時間と労力を注ぎ込むということです。
それは面倒なことです。
面倒なことををしなければ、良い品を作ることはできないのです。
その品を作るために注ぎ込む時間と労力を面倒だと感じているのであれば、良い品が完成するということなど有り得ません。
手間暇をかけることこそが、良い品を作るためには必要なことなのです。
あなたにとって大切なものを得るためには、そこにできる限りの時間と労力を注ぎ込まなければなりません。
手間を惜しみ、面倒を嫌っているのであれば、良い物など生み出せるはずもないですし、それを得ることなどできるはずもないのです。
多くの人は面倒を嫌っています。
それは、面倒こそが良い物を生み出すということを知らずにいるからです。
あなたが手にしている良い物には、あなたが驚くほどの時間と労力が注ぎ込まれています。
あなたは消費者として代金を支払ってそれを手にするだけですが、それを実際に作るとなるとその苦労を理解することができるでしょう。
良い物が手間をかけずに出来上がるということはありません。
面倒を面倒とも思わず、良い物を生み出そうとする意思が本当に良い物を生み出すのです。
あなたはどのような作業も面倒などと考えてはなりません。
面倒な作業がなければ良い物は生まれません。
そして、豊かさを得るということはできないのです。
あなたにとっての面倒は栗の毬(いが)のようにあなたがその実を味わうことを邪魔します。
美味しい栗の実を味わうためには、刺立っている毬を取り除かなければならないのです。
果物は固く苦い皮を剥がなければなりません。
あなたが豊かさを得るためには、面倒を拒絶するということはできないのです。
それが大切なことであるほど、面倒が付きまといます。
大切な人との関係を良好に保つためには、面倒臭いと相手の話や気持ちを無視することはできません。
大切な人との関係を良好に保つためには、面倒臭いと思ったとしても、相手の話や気持ちを受け止めなければならないのです。
相手に対する手間を拒絶すれば、その関係は大きく崩れ去ってしまうでしょう。
あなたにとって大切なことはいつも面倒が守っています。
面倒を説得(克服)することができなければ、大切なものを手にすることはできません。
面倒なことが楽しいということを理解しなければなりません。
すべての面倒があなたを豊かさへと導くということを忘れてはなりません。
面倒を愛した時、あなたは世界から愛されるでしょう。
あなたが大切なものをえるためには、どのようなことに対しても手間暇を惜しまないということを徹底しなければならないでしょう。
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