このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年6月30日月曜日

愛の欲求

あなたは愛に従って生きなければなりません。
あなたは愛を見失ってはなりません。
あなたは愛を無視してはなりません。
あなたは愛を知らなければなりません。
愛無くして、人生は豊かなものにはなりません。
愛が無ければ、幸福を得ることはできないのです。
人は愛に従い、愛によって生きなければならないのです。
あなたは愛と逸(はぐ)れてはならないのです。
愛と離ればなれに生きてはなりません。
あなたは常に愛を心に抱き、生きていきましょう。
愛とは心の深いところから湧き起る思いやりです。
愛は心の深いところに存在しています。
愛は決して、表面的なものではありません。
心の深部に向かう者にだけ与えられる最高の力なのです。
あなたは心を深くしなければなりません。
自分のことを第一に考える人は心の深部を知りません。
自分勝手に生きる人には、愛を理解することはできないのです。
自分勝手に生きる人は、本能に従って生きています。
それは肉の欲であり、浅はかな選択です。
人が本能のままに生きれば、必ず愛とは違う選択をするようになります。
性欲、食欲、睡眠欲・・・
このような肉の欲を主体として生きるのであれば、愛に辿り着くことは有り得ません。
愛とは相手を思いやる気持ちです。
肉の欲に従う者にはこのことは理解することができないのです。
本能に従って生きる者は、他人の迷惑というものに考えが至らないのです。
浅はかな者は自分自身のことだけで精一杯であり、それ以上のことまでする余裕がないのです。
それは人の未熟な姿であり、愚かな状態なのです。
あなたが豊かな人生と幸福を求めているのであれば、愛を知らなければなりません。
相手を思いやることができなければならないのです。
自分勝手に生きてはなりません。
自分自身の下らない本能的な欲望に従ってはならないのです。
多くの人は肉の欲に従います。
肉の欲よりも深い欲求を知り、それに従う人は少ないのです。
ほとんどの人が愛を見失って生きているのが現状なのです。
人は傷付け合いながら生きているのです。
そのような生き方で、どうやって豊かさと幸福を実現するというのでしょう?
傷付け合うのであれば、どうやっても豊かさと幸福は実現しないのです。
あなたは間違えてはなりません。
あなたが従うべきは肉の欲ではありません。
あなたは心の深い場所に存在している愛の欲求に従いましょう。
自分のことを第一に考える者には愛というものを理解することはできません。
愛とは、他人を第一に考える気持ちだからです。
心の深部に向かえば、人は愛に目覚めることができます。
本能的な欲求に従い、心に向かわない者には愛を知る術はないのです。
愛を知らなければ必ず乏しさと不幸が実現するのです。
肉の欲に背き、愛に従う者は豊かで幸福な人生を生きます。
愛に背き、肉の欲に従う者は乏しく不幸な人生を生きるのです。
あなたは愛を知っているでしょうか?
自分のことを後回しにしても思いやる気持ちがあるでしょうか?
人が豊かに生きるためには、愛に従う以外に方法はありません。
あなたは愛というものを考えなければなりません。
思いやりを以て生きなければなりません。
相手が嫌なことを理解しなければなりません。
その程度のことは知らなければなりません。
心の深部から届く愛の欲求に従いましょう。

2014年6月29日日曜日

大切なプレゼント

すべては必要で満たされます。
この世に存在するもので必要が不足しているものはありません。
それがどのようなものであれ、必ず必要によって満たされているのです。
あなたは、どのようなものであれ、無駄ではないということを覚えておきましょう。
あなたが受け取るものが不毛であるとする愚かな考えに取り付かれてはなりません。
誰が何と言おうとも、すべてが必要によって満たされているのです。
すべてが必要であるのだから、すべてが大切なものです。
この世に軽んじることのできるものは存在しないのです。
あなたは物事を大切にするように努めましょう。
大切なものを蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
大切なものは丁重に扱い、そこから得られる恵みに与(あずか)らなければならないのです。
この世のすべてがあなたの必要によって動いています。
あなたの受け取るすべてのものが、あなたの成長と幸福のために存在しているのです。
その事実を知らなければなりません。
その事実を知ることがなければ、あなたは成長と幸福を得ることは叶わないのです。
あなたは幸せになりたいと思うでしょう?
あなたは大切な人を幸せにしたいと考えているでしょう?
ならば、すべてのものが必要によって満たされており、成長と幸福を導くための糧(かて)であるということを受け入れましょう。
何かに対して不満や不安などのネガティブで破滅的な感情を抱くことは簡単です。
しかし、そのような態度によって、成長と幸福が実現するでしょうか?
ネガティブで破滅的な感情や態度でどれだけ努力しても、苦悩を受けるだけなのです。
すべてのものが成長と幸福に繋がっているということを知っている人は感謝の気持ちを持ちます。
物事に感謝する人がネガティブで破滅的な態度で生きるはずはなく、必ず成長と幸福を実現することができるのです。
成長と幸福を実現することができない人は、例外無くすべてが必要によって満たされているという事実を知らずに生きています。
そのため、不満や不安などのネガティブで破滅的な感情によって人生を築くのです。
不満や不安を抱えて幸せになる人はいません。
心の中にそのような感情がある以上は幸せにはなれないのです。
どこで誰と何をしていようとも、心の中に不満や不安が存在しているのであれば、楽しいはずがないのです。
あなたはすべてが必要によって満たされているということを信じなければなりません。
信じることができないかも知れませんが、信じる以外に方法はないのです。
すべては愛によって繋がります。
これは綺麗事ではありません。
愛がなければ、成長も幸福も有り得ないからです。
苦しいことがあっても、それを乗り越えることができるのであれば、最高の喜びが得られます。
苦しいことがなければ成長はなく、喜びもないのです。
同じことを続けていては何も変わりはしないのです。
苦しみという壁が存在するために、人は成長し、喜ぶことができるのです。
すべてが必要によって満たされているのだから、あなたは不満や不安によって心を煩(わずら)う必要はありません。
すべてが良縁によって繋がるのです。
何かが不足しているからといって、何かが不足している訳ではありません。
あなたが不足していると勝手に思い込んでいるだけなのです。
敵や問題を抱えているからといって、何かが多過ぎるということはありません。
それらは、成長と幸福にとって無くてはならない存在なのです。
何かが足りない、何かが多過ぎるなどと、詰まらないことを考えていてはなりません。
あなたには何も不足していません。
あなたには何も多過ぎるということはないのです。
すべてが必要によって満たされています。
慌てる必要などないのです。
心を落ち着けましょう。
心を乱して不満や不安に捉われてはなりません。
すべての必要が満たされているのです。
あなたはそれがどのようなものであろうとも、それに感謝しましょう。
与えられた必要に満足すること、感謝することができない者には、それ以上の良いものを与える訳がないのです。
あなたのプレゼントに対して満足したり、感謝することがない者に、それ以上の良いものをプレゼントしようとは思わないはずです。
何かをプレゼントすること自体に嫌気が差すでしょう。
当たり前のことをしなければなりません。
人生からの大切なプレゼントに感謝しましょう。

2014年6月28日土曜日

小さな宝石

あなたは持てる力を使わなければなりません。
人は誰もが才能を持っています。
それは自分だけの能力であり、それが失われることはありません。
あなたは自らの才能を使って、人々を助けるように心掛けましょう。
才能と聞くと、特別なものだと思うかも知れません。
しかし、才能とは特別な力を言うのではありません。
自らの持つ力のすべてが、才能であるのです。
才能があるからそれができるのです。
特出している力だけが才能ではないのです。
小さな才能を磨いたから、それが特出したのです。
大きくても小さくても、才能は才能であるのです。
あなたは自分が才能の持ち主であるということを知りましょう。
自分のことをよく観察しなければなりません。
あなたができることが何であれ、それは才能によってできるのです。
クオリティは大切ですが、才能という観点からすれば、それは問題ではないのです。
原石であれ宝石なのです。
小さくても、大きくても、宝石は宝石です。
才能は才能なのです。
それに良いも悪いもないのです。
ただ、磨かれているか?磨かれていないか?という差でしかないのです。
多くの人は自分には才能が無いと思っています。
しかしながら、人は誰もが才能を持っているのです。
それを磨いていないために気が付かないだけなのです。
すべての人は鍛錬(たんれん)によって才能を磨きます。
そして、それが特出するのです。
初めから特出していた才能などないのです。
誰もが歩んでいますが、歩くという行為でさえ、その才能を鍛錬したからこそ使えているのです。
人は歩くという才能を持っていますが、歩くことをしなければ歩くことはできないのです。
才能は磨かなければ使えないのです。
すべての才能があなたの内に原石のまま存在しています。
あなたはそれを探す出し、磨かなければなりません。
探さなければ見付かりません。
磨かなければ輝きません。
その辺りに宝石が転がっているということはないのです。
見えない地中を掘り進み、存在するか分からない小さな宝のために、多くの土砂を掘り返すのです。
才能を特出させるということは、大きな宝石を掘り出すように大変な作業であるのです。
しかし、大きな宝石でなくても、小さな宝石も数があれば良いのです。
小さな宝石を蔑(ないがし)ろにするのであれば、大きな宝石を発掘するまでに資金が底を突いてしまうでしょう。
才能を特出させるのは簡単なことではないので、小さな才能を磨き続けなければならないのです。
小指の先ほどの小さな宝石でさえ、それには価値が付くのです。
あなたの小さな才能でさえ価値があります。
値段の高低など問題ではないのです。
価値があれば良いのです。
あなたの小さな才能は、誰かの役に立ちます。
あなたの才能を必要とする人は多くいるのです。
求めるのであれば、与えなければなりません。
発掘した宝石を集めるだけなら、発掘作業は進められないのです。
発掘した宝石を誰かに売ることによって、発掘のための資金を得るのです。
あなたは才能を与えましょう。
才能によって誰かのために働きましょう。
簡単なことしかできなくても、相手のためにそれをするのです。
小さな親切で構わないのです。
大きな宝石を購入することができない人であっても、小さな宝石であれば購入することもできます。
小さな宝石であっても、それを持っているなら嬉しいのです。
あなたにできることが小さなことであっても、それによって相手は喜びます。
特別なことは優れていますが、それだけに価値があるのではありません。
あなたは自らの才能を探し続け、磨き続けなければなりません。
そして、誰かを助け続けなければなりません。
人助けのために才能を使いましょう。

2014年6月27日金曜日

大切な仲間

仲間というものはとても大切な存在です。
あなたが自らの夢を実現しようと考えた時に、仲間がいなければそれは叶わないのです。
あなたが人生の目的を果たしたいと思うのであれば、仲間を大切にしなければなりません。
仲間がいなければ、あなたの夢が実現することはありません。
あなたの力は大したものではありません。
あなたは余りにも非力であるのです。
あなた独りの力によって実現する夢はありません。
あなたは勘違いしてはなりません。
自分勝手には何事も成し得ないのです。
あなたは仲間を知らなければなりません。
あなたに協力するすべての人が、あなたの仲間であるのです。
どのような動機によって集う人も、あなたの協力者であり、仲間であるということを覚えておきましょう。
それが悪人であろうと、敵であろうとも、あなたの目的のために集う協力者であるのです。
すべてが最善を尽くしています。
それぞれの立場で、それぞれの役割を担っているのです。
すべての存在が一つの目的のために働いているのです。
それは、幸福のためです。
すべてが幸福のために働き続けています。
あなたがどのように思う相手も、どのように思う状況も、そのすべてがあなたと同じく幸福のために働くのです。
すべては上手く進んでいます。
この世において、物事が後退することはありません。
そのように見えることはありますが、すべてが前進であり、向上を目指して進み続けているのです。
あなたの目の前のすべての存在が、あなたの目的を実現するために働いている仲間なのです。
良いことも悪いことも、あなたのために働きます。
そのことを理解しておかなければなりません。
どのような相手や状況が現れても、それは問題ではありません。
その相手や状況に対して、ネガティブで破滅的な感情を生み出すことが問題となるのです。
どのような相手や状況と対峙しても、ポジティブで建設的な感情によって存在している人には、何の問題も生じないのです。
苦しみを得るためにそれを問題にするか?喜びを得るためのヒントにするのか?をあなたは自分で決めるのです。
すべての存在が立場や役割は違えど、自分の目的のための大切な協力者であり、仲間であるということを知っているのであれば、ネガティブで破滅的な感情に支配されることはありません。
どのような相手や状況をも有益に使い、豊かさと幸福を導き出すのです。
あなたに敵はありません。
すべての存在が協力者であるということを知らなければなりません。
すべてがあなたにとって大切なことです。
すべてがあなたにとって重要な学びです。
すべてがあなたに相応しいのです。
このようなことを言うと、あなたはそんなことはないと打ち消すでしょう。
しかし、それが事実なのです。
敵対心を以て豊かさと幸福を実現することのできる人はいません。
そのようにネガティブで破滅的な心であっては、幸福と豊かさが生み出せるはずがないのです。
あなたは仲間を大切にしなければなりません。
それが敵や問題だと思えるものであっても、それに敵対心を持ってはならないのです。
この世界は様々な学びが存在しているために、様々な方向性を持つ存在で溢れています。
あなただけが学んでいるのではないのです。
敵や問題だと思える存在も、その立場で大切なことを学んでいるのです。
あなたはこの世界が自分独りのものではないということを覚えておきましょう。
すべての存在があなたと同じように学んでいるのです。
自分以外の存在の学びを否定してはなりません。
敵を苦しめるのであれば、それは罪ともなるでしょう。
あなたは自分以外の存在を害してはなりません。
自分以外の存在を害する目的のために働いてはなりません。
どのような存在も大切にするように努めましょう。
完全には行えません。
それは仕方のないことです。
しかし、あなたが不満や不安によって、自分以外の存在を害することがないことを祈るばかりです。

2014年6月26日木曜日

あなたは多くのことに興味を抱きましょう。
できる限り多くの道を知り、その真髄(しんずい)を学ぶように努めましょう。
すべてに真理が存在しています。
すべての道が真理に従って存在しているのです。
どのような道を行っても、そこには真理が存在するのです。
人は道に真理を学ばなければなりません。
人は真理を学ぶために道を歩むのです。
どのような道も、真理は共通しています。
道によって真理が異なることはありません。
あなたは不変の真理を学ぶ必要があるのです。
一つの道を行けば、そこで真理を得ることができます。
そこで真理を理解することができるのであれば、それで良いのです。
しかしながら、人は一つのことを続けていると知らず知らずの内に偏見を抱え、真理からは遠ざかってしまうのです。
純粋な心によってのみ、真理を知ることができます。
偏見や慣れや傲慢(ごうまん)によって純粋な心を失うのであれば、人は真理を知り得ないのです。
多くのことに興味を抱くということは、人の純粋な心を守る手段だと考えましょう。
大抵の人は初めは謙虚であるのです。
刺激も多く、多くのことを学ぶことができるために、退屈もしません。
しかし、同じことを長く続けているとある程度の成長が実現し、また刺激も減り、学ぶことも見付けにくくなり、退屈を覚えるものです。
慣れてくるために、その道を知ったかのように振る舞うようになるのです。
そして、うぬぼれによって真理を見失うのです。
真理を失って生きては、どのように努めても決して豊かさを得ることはできません。
人は真理に従って生きなければならないのです。
あなたが一つの道で真摯(しんし)に歩むことができるのであれば問題はありません。
しかし、大抵の人がそうはいきません。
大抵の人が堕落するのです。
新しい道に一歩を踏み出す時には、どのような人であっても謙虚を装います。
謙虚である内は学ぶ意欲があるのです。
学ぶ意欲がある内は、人が真理から遠ざかることはないのです。
志(こころざし)を忘れて、ふらふらと道に迷っていてはならないのです。
人は成長しなければならないのです。
大切なのは、自分自身のモチベーションであるのです。
真理を学ぼうとする意欲があれば良いのです。
一つの道を行こうが、多くの道を行こうが、真理に対する真摯な気持ちと意欲があればそれで良いのです。
あなたは真理を見失わずに生きていますか?
あなたの人生は真理を知るためのものですか?
何をしても人は真理を学ばなければなりません。
真理を知らなければ、豊かに生きることはできないからです。
間違った方法をどれだけやっても、決して成果は上げられず、損失ばかりが生じてしまうのです。
あなたは興味を持ちましょう。
それが何でも構いません。
興味があなたにこの世の理である真理を導くのです。
知識はあなたに知恵をもたらします。
知恵はあなたを支える柱となるのです。
柱の数が多いほど、建物が堅固であるように、知恵の数が多いほど、豊かさは堅固なものになるのです。
知識の無い者には知恵がありません。
知識が無ければ知恵は生じないのです。
知識が絡み合って知恵をもたらします。
あなたは道の知識を学びましょう。
それは真理です。
知識を求めるのです。
そうすれば、あなたは多くの知恵の柱によって支えられるのです。
多くのことに興味を抱きましょう。
それは一つの道であっても、多くの道であっても構いません。
多くのことに興味を抱くことが重要なのです。

2014年6月25日水曜日

心が求めるもの

あなたは変化と共に人生を歩みましょう。
変化の伴わない旅路は苦痛です。
それは、いつも同じ景色を見ているからです。
同じ景色を眺めるだけの時間には苦痛が生じるのです。
人は変化の中にこそ喜びを見出すことができるのです。
人が日常をこなすことができるのは、自分以外の存在が変化をしているからです。
人が自ら変化を生み出すことがなければ、人生はただの「作業」となってしまうのです。
自分以外の存在が変化をし続けるために、変化を実現しない愚か者であっても、退屈ではあるけれども、何とかそれに耐えることもできるのです。
しかし、自分自身が変化を手放してしまうのであれば、人はその苦痛に対して向き合うことになり、心はそれに耐えることはできないのです。
変化の伴わない人生を歩み続けることはできないのです。
あなたは変化の大切さを理解しましょう。
多くの人は変化を恐れます。
恐れるが故に嫌います。
多くの人は現状維持が好きなのです。
現状維持は変化を殺す業(わざ)です。
変化を嫌い、現状維持を欲する人は、人生の喜びを殺す人であるのです。
変化を得ることなく、人生に喜びを得ることなどできないのです。
人生に喜びが無ければ、豊かさもないのです。
人は変化を実現することがなければ、人生を豊かなものにすることはできないのです。
どのように努めていたとしても、それが現状維持を実現させるものであるのならば、喜びは失われるということを理解しましょう。
努力の仕方を間違えてはならないのです。
力の使い方を間違えると、成果を上げることはできないのです。
力は変化を実現するために存在しています。
それは、人が幸福な人生を生きるために生まれたからです。
人は様々な経験を以て成長し、より豊かな心と人生を実現するために生きているのです。
その目的から外れるのであれば、豊かさを得ることなどできるはずがないのです。
ルールに外れてはなりません。
ルールは大切です。
何事も、ルールの範囲内で行わなければ、必ず悪い報いがあるのです。
あなたは人生の目的が成長であり、それは変化によってもたらされるということを覚えておきましょう。
変化の伴わない人生は退屈です。
それがどのような変化であろうとも、変化があるから面白いのです。
失敗も問題も、それはそれで良いものであるのです。
敵もおらず、問題も起きない小説を読んで面白いと思いますか?
敵がいて、問題が生じ、それを乗り越えて成長するという物語の変化が面白いのです。
物語に何の起伏も無ければ、それを見ている自身の心にも何の起伏も得られないのです。
単調な心は単調な人生を形成します。
単調な人生は、単調な心を強化するのです。
変化を求めることのない心によって生きれば、なおいっそう人生は詰まらないものとなるのです。
それは苦痛であるとあなたは学んだのです。
学んだことをいつまでも繰り返してはなりません。
知っていることなら、できるのです。
すぐにはできなくても、徐々にできるようになるのです。
今のあなたは、変化を恐れているかも知れません。
しかし、現状維持が苦痛になり、変化が喜びになるということを知ったあなたは、変化を恐れることがないように努め始めるでしょう。
少しずつでも歩むのであれば、いつかは目的地に辿り着くのです。
変化が喜びであるということを知ったあなたは、変化を求めるようになるでしょう。
変化を求めるのであれば、変化を実現することができるのです。
変化とは喜びです。
心はそれを求めているのです。
あなたはそれに逆らうことはできません。
食事を摂らないとその身体は死んでしまうように、変化を実現しないならば、心に楽しみが死ぬのです。
詰まらない人生を生きてはなりません。
人生は素晴らしい場所です。
そこには多くの喜びが溢れているのです。
苦しいことなど無いのです。
恐れることなく、変化を求めましょう。
そして、変化を実現しましょう。

2014年6月24日火曜日

純粋な人

あなたは純粋でなければなりません。
純粋な心によって道を進まなければなりません。
道に対して心が汚れるのであれば、あなたはその道を行くことができません。
道は、純粋にその極みを求める者を導くのです。
あなたは純粋にその道を求めましょう。
純粋さを失い、汚れた心は自我に執着します。
自我によっては我欲が生まれ、我欲によっては道は閉ざされてしまうのです。
道を求める者には非我によって生きることが求められます。
道のために生きることができない者には、道は豊かさを与えることはないのです。
その心が道に対して純粋なほど、その道を探究する気持ちが湧き起ります。
道に対する探究心こそが、道を深くするのです。
道に対する探究心が強い者ほど、道を進むことができるのです。
道に対して探究心の弱い者は、その道を進むことはできないのです。
気持ちが強い方が先へと進むことができるのです。
人は、気持ちによって選別されるのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
我欲によって道に対する信念が汚れるのであれば、その道とは違う道を行くことになります。
極まる程に純真であるということが言えるのです。
不純物が混ざる程に本物からは遠ざかるのです。
あなたは、道に対して純粋な心を持たなければなりません。
どのような道を行くにしても、それを極めたいと、その道の本物に成りたいと考えているのであれば、我欲に取り込まれてはならないのです。
動機が不純であれば、決して極まることはありません。
不純物を混ぜてはなりません。
本物でなければならないのです。
多くの人は不純の虜(とりこ)になってしまいます。
それは、不純である方が楽だからです。
汚れる程に手を抜くことができるのです。
染み一つない衣服を汚すのは憚(はばか)られます。
誰であっても、汚れの無いものを汚したいとは思わず、汚れからその美しさを守ろうとします。
しかし、一度汚れるならば、その気持ちは弱まります。
二度汚れるならば、後にどれだけ汚れようともそれを気にかけることは無くなるのです。
汚れてしまった衣服は、切り裂かれ、雑巾にでもなるでしょう。
美しさという純粋さが失われるのであれば、その汚れた心によって本来の道を進むことができなくなるのです。
その衣服に汚れがなければ、あなたはいつまでもその衣服を身に付けて楽しんだでしょう。
しかし、汚れているのであれば、違う用途によってそれを使うことになるのです。
衣服が自ら使い道を決めるのではありません。
衣服の使い道を決めるのは、その主人である人間なのです。
あなたの使い道を決めるのは、あなたではありません。
あなたの使い道を決めるのは、あなたの主人である、その道であるのです。
道が認めなければ進むことはできません。
あなたは自分勝手に道を行くことなどできないのです。
自由意志によって築くことができるのは、あなたの心境であるのです。
勘違いしてはなりません。
どのような道であれ、その道があなたを呼び寄せ、あなたを手放すのです。
あなたには権限が無いのです。
社員は主人である会社の判断に従わなければなりません。
社員がどのように自分勝手な主張をしようとも、それは通らないのです。
法律によって通ったとしても、会社はその社員に対して厳しく当たるのです。
道に対して不純な者は、その道に嫌われます。
我欲に支配された愚かな者には、道を極めることはできないのです。
あなたがその道を行きたいと願うのであれば、我欲に捉われることなく、純粋な気持ちで向き合いましょう。
その道の発展に重きを置き、自己の利益は後回しなのです。
社員は会社のために働かなければならないのは、当然のことなのです。
会社のために働くことができない社員は、どの会社でも成果を上げることはできないでしょう。
もしも、自分の会社を持つようなことがあったとしても、誰もその社員を慕(した)うことはないのです。
会社のために直向(ひたむ)きに働く社員を会社が放っておくということはありません。
その社員が自分の会社を持つ時には、社員が会社を支えるでしょう。
自分の在り方を考えなければなりません。
我欲によって極まる道など存在しないということを覚えておきましょう。

2014年6月23日月曜日

「神」の教え

真理とは、どのような主義をも超越し、それらを一つに繋ぐ真実です。
あなたは真理を見なければなりません。
真理と共に生きなければなりません。
真理と共にあれば、あなたが争いや心配などの苦しみに足を踏み入れることはないでしょう。
真理はすべての豊かさへと通じています。
人は真理に従って豊かさを成すのです。
人が真理から遠ざかり離れれば、豊かさを見失うのです。
あなたは真理を見なければなりません。
そして、真理と共になければなりません。
真理はどのような主義をも超越するために、何を信じている人にも通じます。
そして、何を信じている人でも包み込むのです。
主義によって分け隔たるのであれば、それは真理ではありません。
そのような未熟な主義であっては、豊かさを得ることはできないのです。
その主義が誰かに通じることがなければ、それは真理ではありません。
あなたは自分の信じていることが、どのような思想をも包み込んで、その本質である心に届くのか?ということを確認しましょう。
あなたの信じていることが人の心に届かなければ、それによって豊かさが得られるということはありません。
本当に正しく、価値のあるものであれば、それがどのような主義、文化、宗教、価値観であっても、それを否定することができないのです。
母親が我が子に対する愛情を否定することができる思想があるでしょうか?
すべてが大切な意味を持ち、重要な学びであり、自分自身に相応しいということは、どのような人にも共通して言えることなのです。
この世(人生)が学びであり、成長を果たす場所であるということを否定することができる人はいないのです。
生きるということに対して真剣に取り組んでいない人には、理解することができないでしょうが、真剣に生きている人には誰であってもそれが分かるのです。
また、生きるということに対して真剣に取り組んでいなかった人であっても、志を以て真剣に生きるようになれば、どのような主義の持ち主であっても理解するのです。
人間は様々な主義によって物事を区別しています。
しかしながら、この世に存在している「すべては、一つ」であるのです。
正義も悪も、善人も悪人も、そのすべてが「神」によって存在することを許されているのです。
「神」という絶対的存在が許しているのであるから、それはその名によって一つであるのです。
この世に悪が、悪人(愚か者)が存在しなければ、人が成長することはありません。
善は悪という可能性を知ることによって、成長することができるのです。
善は悪を学び、悪は善を学ぶのです。
どれ一つとして無駄なものはないのです。
真理とはそういうものであるのです。
何かと敵対し、拒絶するような考え方は狭量そのものです。
小さなことに捉われてはなりません。
文化や宗教、考え方の違いによって争ったり、心配していてはなりません。
「神」を信じている人であっても、「神」を信じていない人であっても、互いに共通する「当たり前」が真理であるのです。
何を信じていようとも関係のないことなのです。
あなたは何かを信じることに固執(こしゅう)して、見解を狭めてはなりません。
ある一定の文化、宗教、価値観によって、あなたは生きてはなりません。
すべての主義に通じる教えを見ましょう。
すべての主義に通じる教えを聞きましょう。
すべての主義に通じる教えを学びましょう。
それがどのような道であっても、真理は一つであり、それは不変です。
どのような時代においても、変わらないものなのです。
あなたは真理に従いましょう。
真理を見ることなく、愚かに生きてはなりません。
小さな世界(主義)に引きこもり、真実である真理に触れずに生きてはなりません。
何も知らずにただ長く生きてはならないのです。
例え生涯が短くても、真理に触れて生きることの方が優れているのです。
真理に触れることもなく生きるのは空しいのです。
そして、それでは満足を得ることはできないのです。
あなたは何のために生きていますか?
あなたの人生は充実していますか?
それで良いのですか?
人間が作った小さな主義に従ってはなりません。
あなたは「神」が作ったこの世の真理に従いましょう。

2014年6月22日日曜日

心の掃除

心の美しさが、豊かな人生を導きます。
豊かであるということは、美しいということです。
美しさと豊かさとは一対であるということを知りましょう。
美しければ豊かであり、豊かであれば美しいのです。
汚れていて豊かなものはありません。
乏しくて美しいものもないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、美しさを追求しましょう。
人生を築くのは人の意思です。
それは心であるのです。
美しい心で築くのであれば、豊かな人生が得られるのです。
美しい心で築くのに、乏しい人生が得られるはずがないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
あなたが人生に豊かさを感じていないのであれば、それは心の美しさが失われているということを知らなければなりません。
心が汚れているから、豊かな人生が得られないのです。
誰かや何かのせいにしてはなりません。
すべては自分自身の心の状態を映し出しているのです。
あなたは常に自分自身を省みて、その心が美しくあるのかを確認しましょう。
その心がネガティブで破滅的な感情によって汚れているのであれば、どのように努力を重ねても豊かさは得られません。
努力は大切なものですが、間違った努力は事態の悪化を招くのです。
あなたは心を美しく保つように努めましょう。
何をするにしても、心が美しくあることが条件です。
心が美しくなければ豊かさを期待することはできないのです。
どのような道を行くにしても、純粋な気持ちで向き合うことがなければ、その道を極めることはできません。
邪心によって極まる道はないのです。
不純な動機であっては続かないのです。
純粋な気持ちであることが求められるのです。
あなたは常に心が純粋さという美しさを抱いていられるように、心を掃除しておかなければならないのです。
道具と同じように、心も汚れます。
道具は使用することがなくても、埃を被り、錆び付きます。
心は休む暇がありません。
使用することがなくても汚れてしまうのが当たり前ですが、心は常に使い続けているのです。
あなたがただ生きているだけで心は汚れを増すのです。
その汚れを落とさなければならないのです。
多くの人は自身の心に対して関心が薄いのです。
関心が薄いのであればまだ良いのですが、関心の無い人もいます。
心を無視して生活しているために、その汚れは増すばかりであるのです。
心が汚れると、人はネガティブで破滅的な感情によって支配されてしまいます。
不満や不安が駐在し、それ以外の発想ができなくなってしまうのです。
何を考えても不満や不安が付きまといます。
心によってすべてを捉え、すべてを築いているのであるのだから、心がネガティブで破滅的な状態であるのであれば、苦しみと乏しいさを受け取る以外に道はないのです。
どのような方法を用いても、心によってすべてが決まります。
状況に対して慌てて対応しても意味がありません。
病気になったとしても、心を落ち着けて治療に専念すれば良いのです。
問題が起きても慌てずに、先ずは自らの心の状態を正すのです。
乱れた心で荒々しく問題に向き合っても、それが解決することはないのです。
冷静に対応することがなければ、問題は片付かないのです。
心の美しさが大切です。
あなたは常に汚れる心を清く保つように努めましょう。
ポジティブで建設的な良い考えが美しい心を築きます。
良い思いが、良い言葉が、良い行いが美しい心を育むのです。
あなたは美しい考えによって、美しい思いと言葉と行いを心掛けましょう。
汚れを取り除くことが掃除です。
心は美しいものを入れることによって汚れを取り除くことができます。
ポジティブで建設的な考えによって、心を掃除しましょう。

2014年6月21日土曜日

人は心を守らなければなりません。
心を育まなければなりません。
心と共に歩まなければなりません。
人の本質は心である意識です。
肉体というのは心を保護する殻(から)のようなものであり、それが本質であるということはありません。
肉体は心を保護するために存在しているのです。
どうして、肉体が主でありましょうか?
人は肉体によって成り立っている訳ではないのです。
人は心という意識によって成り立ちます。
心が生きなければ肉体も生きません。
肉体が死んだとしても、心は生き続けることができるのです。
あなたは人の本質が心であるということを理解しましょう。
心を無視してはなりません。
心を蔑ろにしてはなりません。
心が大切であるのです。
あなたは心の大切さを理解し、それを豊かに育まなければなりません。
心が豊かに成長するように努めるのです。
心を主体として考えながら、人生を生きていかなければならないということを覚えておきましょう。
心が乏しければ、人生は乏しいものになります。
心が立ち止まれば、人生は展開しません。
人は心によって始め、心によって歩み、心によって築き、心によって遺すのです。
心を軽んじる者には、始めることも、歩むことも、築くことも、遺すこともないでしょう。
人生を豊かなものにしたいと考えるのであれば、豊かな心によって始め、そして遺さなければならないのです。
すべてがあなたの想像力によって導かれる結果です。
あなたは心の中に思い描く通りに行うでしょう。
あなたが受け取る状況は、あなたの心が思い描いたものであるのです。
幸も不幸も、あなたの心が思い描いた結果です。
あなたは、その心が行きいたい場所へ向かい、やりたいことをするのです。
あなたの行動は、心の中より生じるのです。
心が本質であるために、人は心に逆らうことはできません。
心に逆らうのであれば、それは多大なストレスとして重く伸し掛かることになるでしょう。
人は心に逆らって生きることはできません。
どのような人も、心に従わなければならないのです。
あなたは心の在り方の重要性について知っておきましょう。
心が豊かな状態でなければなりません。
あなたの心が喜びで溢れているのであれば、あなたの想像は喜びをもたらすものばかりとなるでしょう。
あなたが始め、歩み、築き、遺すものは、喜びに根差したものになるのです。
そのような人の受け取る結果というものは、喜びをもたらすものであることは当たり前なのです。
心の重要性を知ることもなく、心を無視して生きる人がいます。
そのような人は本能的であり、その所作は荒々しく、下劣なものであるでしょう。
あなたは高貴に生きなければなりません。
美しい生き方は、美しい心を作るのです。
また、美しい心が、美しい生き方を作るのです。
人は心に従って生きます。
心に逆らうことのできる人はいません。
心とは原動力です。
あなたは自分自身の肉体が心によって突き動かされるということを知りましょう。
心が動くから、肉体が動くのです。
心が先行します。
肉体を先行させてはなりません。
心を無視するなら、我欲という名の欲望の虜(とりこ)となり、正しい判断を失うでしょう。
他人を助けなければならないのに、他人に迷惑を掛けていてはなりません。
他人に感謝されなければならないのに、他人に嫌われていてはなりません。
人は心を守らなければなりません。
いつも心を気に掛け、大切に育てましょう。

2014年6月20日金曜日

幸福への道筋

あなたは真理に従って生きなければなりません。
真理とは、この世の摂理であり、幸福への道筋です。
真理に従って生きるのであれば、あなたが幸福から離れることは有り得ません。
真理とは、それほどに素敵なものなのです。
真理とは当たり前のことです。
当たり前にそうなるということが真理であるのです。
ただし、人間が利己的に考える当たり前には希望的観測が織り込まれていて、それとは異なるものだということを覚えておきましょう。
この世に存在するすべての事象が真理を伝えています。
それがどのような状況であろうとも、それが真理であるのです。
良いも悪いもすべてが真理であるのです。
すべてがこの世のルールに従って導かれます。
この世は、すべての向上を求める場所です。
この世が求めているのは、あなたの成長であり、あなたの幸福であるのです。
この世は、誰一人として苦しみを与え、不幸にしたいなどとは考えてはいないのです。
様々な経験から多くの真理を学び、より成長し、より幸福に近付いて欲しいと考えているのです。
そのため、真理に従っている限り、あなたが苦しみと不幸を得ることは有り得ないことなのです。
この世で苦しみと不幸を得る人は、真理に反している人であるということが言えます。
真理に反して生きるのであれば、どのような人であっても苦しみと不幸を得ることになるのです。
ルールに反して豊かさを得る人など存在しないのです。
この世のルールである真理は絶対です。
あなたがどのような方法を用いようとも、それに逆らうことはできないのです。
自然の中の小さな一つの命でしかないあなたには、どう足掻いても勝ることのできない存在が数知れず存在しているのです。
あなたは自惚れてはなりません。
自分が偉いと勘違いしてはなりません。
あなたは未熟であり、弱い存在です。
謙虚に生きるのが当然なのです。
何かを知っているかのように、偉そうに生きてはなりません。
不満や不安によって、真理を否定してはなりません。
物事に不満や不安を抱くということは、それを拒否しているということに他なりません。
それは真理を否定していることに同じなのです。
あなたが受け取るすべての状況が、あなたにとっての当たり前であるのです。
あなたが喜ぶのもあなたにとっての当たり前です。
あなたが苦しむのもあなたにとっての当たり前であるのです。
すべてがあなたという原因から生じる状況であるのです。
あなたから生じた結果であるのだから、それを受け取るのが当たり前の真理であるのです。
すべてが自分自身から生じたという当たり前のことを否定するのであれば、幸福を得ることなどできるはずがないのです。
真理に従って生きるということは、すべてを否定することなく受け入れて生きるということです。
あなたには否定する権利はないのです。
それがどのような問題であろうとも、あなたから生じたのです。
あなたの考え方がそれに等しいのです。
あなたの行いがそれに等しいのです。
あなたの人格がそれに等しいのです。
あなたがそれを自ら選んだのです。
あなたに相応しいもの以外が与えられるはずがありません。
あなたの受け取るものはあなたに相応しいという真理を理解しなければなりません。
すべてのことが自分自身にとって大切な学びであるということを信じましょう。
信じなくても構いません。
しかし、否定しているのであれば、幸福を得ることは叶いません。
そのことを覚えておきましょう。
真理に従わない者は豊かさへと辿り着くことはできないのです。
受け入れなさい。
そうでなければ、あなたは反省することがないでしょう。
反省することがなければ、それ以上良くなることはないのです。
良くなることがなければ、それ以上幸福を得ることなどできないのです。
真理に従いましょう。

2014年6月19日木曜日

情けない自分

情けない考えに執着してはなりません。
あなたは消極的な考えに従ってはなりません。
あなたは幸せを実現しなければならないのです。
自分の力で、それを成さなければなりません。
ネガティブで、破滅的な考えに執着しているような情けない者には、この世界に幸福を実現することなどできるはずがないのです。
幸福を実現するのは簡単なことではありません。
ただ生きているだけでは幸福を得ることはできないのです。
物事をより良く考え、より良いものとし、より良いものとして受け取らなければならないのです。
より良く考える努力をしなければ、あなたはそれを悪いものと考えてしまいます。
物事を悪いものとする考え方は、ネガティブであり、破滅的な考え方であるのです。
それは怠惰であり、情けない考え方であって、不幸と苦しみを導く手段であるのです。
それでは幸福は得られません。
幸福というものは、物事を良いものとするポジティブで建設的な考え方によってのみ導かれるからです。
情けない考え方に執着している者は、情けない人生を実現するのです。
物事に対して向上心もなく、怠けて動かない者には、惨めな人生がお似合いです。
すべてはその人にとって相応しいという事実を受け入れなければなりません。
情けない考え方の者が、豊かで幸福な人生を生きることなどできるはずがないのです。
豊かで幸福な人生を生きることができるのは、豊かで幸福な考え方を持った者だけであるのです。
その人に相応しいこと以外は決して与えられません。
すべての原因は自分自身にあるからです。
あなたの原因とは、その考え方であるということを知りましょう。
この世は、行動するほどに変化します。
行動することがなければ、何も変化しません。
自分自身でやらなければならないのです。
あなたが考え方を変えることがなければ、人生が変わることなど有り得ないのです。
どこで誰と何をしても、考え方が変わらなければ何も変わりません。
奇跡が起きて、劇的に人生が変わるなどという幻想を信じてはなりません。
あなたが自分自身の力によって変えることがなければ、人生が変わることは有り得ないのです。
あなたは考え方を変えなければなりません。
いつまでも不満や不安などを吐いていてはなりません。
情けない考え方を捨て去り、向上心を持って立派に生きなければならないのです。
いつまでもうだうだと、何の実りもない情けないことを話し合っていてはなりません。
不満や不安をどれだけ話し合っても、何の実りもないのです。
不満や不安を話し合えば、それだけで考え方はネガティブで破滅的なものになり、それによって人生は乏しさと苦しみを得るということを理解しなければならないのです。
詰まらないことで悩んではなりません。
すべてがあなたにとって大切なものです。
すべてがあなたにとって重要な意味を持ちます。
すべてがあなたにとって相応しいのです。
あなたにとって不利なことはありません。
問題が発生したとしても、それに執着する必要はないのです。
失敗も、問題も、苦しみも大切であり、重要な意味があり、あなたにとって相応しいのです。
そのことを理解するのであれば、問題に対して苦しむ必要はなくなるのです。
問題に対して、いつまでも悩んでいるその考え方が情けないと言うのです。
問題は解決しなければならないものです。
問題のおかげで成長があるのです。
問題をいつまでも問題のままにし、逃げ続けているのであれば、成長も発展もないのです。
人は歳を取ります。
何もしなくても歳を取り、老人になるのです。
情けない老人に価値はありません。
何もできない惨めな老人になってはなりません。
情けなく生きてはなりません。
胸を張って生きることができるように、どのようなことに対しても自分なりに誠実に精一杯に向き合いましょう。
あなたが変えなければ何も変わりません。
あなたが変えるしかないのです。
情けない自分を捨てましょう。

2014年6月18日水曜日

大義

あなたは力というものが、他人のためにこそ存在しているということを知りましょう。
あなたの持つすべての力が、自分自身のためには存在していないということを理解する必要があるのです。
あなたの力は、自分自身を助けるために与えられた訳ではありません。
あなたの力は、他人を助けるために与えられた力であるのです。
その真理を忘れて、自分自身の欲望のためだけに力を尽くすのであれば、あなたは無益な働きによって不足を得るということを知りましょう。
あなたの力は他人を助けるためのものです。
あなたの欲望のために与えられたものではないのです。
他人のために尽力する人は、他人に感謝されます。
他人に感謝されるのであれば、他人はあなたに協力してくれるでしょう。
この世の豊かさは、自分独りでは得ることができません。
多くの人たちとの協力によらなければ成立ちはしないのです。
そのことを忘れて、己の欲望のために力を尽くすのであれば、他人からの協力を得ることはできないのです。
独りで生きるのであれば、それだけで不足するのです。
あなたには独りで生きる術も、実力もないのです。
必ず、他人の力を借りなければならないのです。
他人の力を借りなければあなたが生きてはいけないように、あなたの力を借りなければ他人も生きてはいけないのです。
互いに協力し合うことによってのみ、命は育まれるのです。
他人はあなたに力を貸すでしょう。
あなたは他人に力を尽くさなければなりません。
あなたが協力しなければ、他人は協力しないのです。
自分だけが利益を得ようなどと、姑息(こそく)な考えを巡らせてはなりません。
そのような愚かな者は、手痛い裏切りに会うでしょう。
自分自身の欲望のために使う力は空しいのです。
他人を助けるという本来の目的を忘れた力は、悲しいのです。
あなたは自分自身の持てる力を使って他人を助けるように努めましょう。
どのような仕事であっても、他人を助ける仕事は栄えます。
他人の役に立つ仕事であるのならば、栄えるのは当然のことなのです。
役に立つのであれば、それを必要とする人が集まるのは当たり前のことなのです。
役に立つのに放っておかれる仕事はありません。
自分のために尽力してくれる人を無視する人はいないのです。
己の欲望のために尽力する人に対して、まともに相手をする人はいないのです。
その人と付き合うと損をするために、付き合うはずがないのです。
己の欲望を満たすために生きている愚かな者は、その愚かさ故に乏しさと苦しみを得ることになります。
力の大小は関係のないことです。
大きな力を持っていても、他人のために尽くさない者には乏しさと苦しみが与えられます。
小さな力しか持っていなくても、それを他人のために尽くす者には、豊かさと喜びが与えられるのです。
力の使い方を間違えてはなりません。
力は自分自身の欲望を満たすために使うものではないのです。
力は、他人を助けるためにこそ使うべきものであるのです。
使い方を誤ると、大怪我をします。
間違った薬を飲むと、命が損なわれるのです。
力の使い方を誤れば、あなたの幸福は崩れ去ります。
己の小さな欲望のために力を無駄に使ってはなりません。
はっきり言います。
自分自身のために使う力というものは無益なのです。
間違えてはなりません。
できる限り、他人のために力を使いましょう。
他人のために力が使える状況を自ら探しましょう。
人助けこそあなたに与えられた使命であるのです。
人助けという大義を忘れてはなりません。
自己中心的な考えによっては、争いが生じます。
争いは互いに奪い合う行為です。
どうやってそれで豊かになるというのでしょう?
争いによっては、疲弊(ひへい)するのが関の山なのです。
争いによって豊かさは生まれません。
あなたの力は、他人を助けるために存在しているということを理解しましょう。

2014年6月17日火曜日

大きな力

あなたは自分自身に力があるということを理解しましょう。
あなたには、あなたの人生を構築するだけの力があるのです。
それは、あなたにとって最大の力なのです。
あなたは自分自身の力によって、人生をも動かすことができるのです。
あなたは自分自身の力によって左右されるということを覚えておきましょう。
あなたにとって、自分自身の力というものは、何よりも影響のある力なのです。
自分自身の力以上に、あなたに影響力のあるものはありません。
あなたは自分自身によって最大の影響を受けるのです。
そのことを覚えておきましょう。
あなたの人生を築くのは、社会や他人ではありません。
あなたは自分自身の力によって、自分自身の人生を築いているのです。
あなたの持つ力とは、それ程までに強力なものであるということを覚えておきましょう。
あなたの力とは、あなたの所有するすべてです。
あなたの思考、感情、言葉、表情、行い・・・
あなたに関わるすべてが、あなたの持つ力であるのです。
あなたはそのことを理解しておかなければなりません。
あなたのすべてのことが、あなたに多大なる影響力を持つのです。
それが小さなことであろうとも、それを軽んじてはなりません。
あなたの言葉一つにしても、それはあなたにとって大きな影響力を持つのです。
あなたが誰かに対して一言悪口を言ったとします。
悪口を言われた人はあなたに不満を持つでしょう。
不満を持った人は、あなたを嫌います。
あなたを嫌えば、あなたに非協力的になるでしょう。
あなたを嫌えば、あなたに攻撃を仕掛けるでしょう。
あなたを嫌えば、仲間と協力してあなたを害するでしょう。
あなたの汚い言葉が、あなたの信用を失墜させ、あなたという存在を苦しめるのです。
言葉一つでさえ、あなたの人生には多大なる影響力を持っているということを理解することができたでしょう。
あなたは自己を慎(つつし)み、その力が破滅的に働かないように注意をしなければなりません。
力はあなたの指示によって、どのような性質にでも変化します。
あなたが建設的に使えば、建設的な力となります。
あなたが破滅的に使えば、破滅的な力となるのです。
あなたが自分自身の力のあり方を決めるのです。
そのため、あなたには責任があるのです。
力を良いことのために使うのであれば、人生は豊かなものになります。
あなたの求めているのは豊かさと幸福であるはずです。
ならば、あなたは持てる力を良いことのために、建設的に使わなければならないのです。
間違っても、悪いことのために使ってはなりません。
持てる力を破滅的に使うのであれば、あなたが人生に豊かさや幸福を得ることなどできるはずがないのです。
建設的な力とは、誰かや何かが喜ぶ力です。
誰かや何かの喜びのために使う力こそが、あなたに豊かさと幸福を実現させることのできる力であるのです。
あなたが誰かや何かの喜びを妨げるのであれば、その力の故にあなたは乏しさと苦しみを実現するのです。
誰かや何かが不快に思う迷惑な行為が何であるのか?あなたには分かるはずです。
自分がされて嫌なことを他人にしてはなりません。
人の迷惑くらいは考えられなければなりません。
自分自身の小さく詰まらない欲望のためだけに力を使っているのであれば、その破滅的な力によってあなたは苦しみを得るということを理解しましょう。
あなたは自分自身に力があるということを理解しなければなりません。
特別なことをする人が力があるのではないのです。
特別なことなど必要ないのです。
日常の当たり前のことに力を見出すことができない者には、どのような豊かさも実現することはないでしょう。
特別なことをしている人ほど、当たり前のことをしっかりとしているということを知らなければなりません。
当たり前のことすらできないから、特別なことができないのです。
人と違う活躍を見せる人は、当たり前のことを大切にしている賢い人であると言えるでしょう。
人よりも劣っている人は、当たり前のことを大切にすることがなく、叶うことの無い夢ばかりを見ている愚かな人です。
豊かさを実現したければ、当たり前のことを大切にしなければなりません。
自分自身のすべてに力があるということを理解し、それを正しく使わなければなりません。
どのような力も侮(あなど)ってはなりません。

2014年6月16日月曜日

必要な人材

あなたは道を進み続けなければなりません。
道を進み続けて、その極みに到達しなければならないのです。
人は、道を達するために道を進みます。
人には目的があるのです。
ふらふらと力なく、思慮も浅く、気迫もなく、だらだらと怠けて暮らしてはなりません。
道を行くのであれば、それを果たそうと考え、それを達するために生きるのです。
自分で決めたことを成し遂げることが重要なのです。
自分で決めたことを成し遂げることができないのであれば、あなたは決して満足を得ることはできません。
自分で決めたことを成し遂げることができないのに、ほとんどが他人によって決められるこの世の中を渡り切ることなどできるはずがないのです。
あなたは自分で決めたこと、自分で選んで進み始めた道に対して、その道が無くなるまでは進み続けなければなりません。
辛抱して、進み続けることが無い者には、そこで得られるはずの真理は得られません。
真理を得ることがなければ、何をやっていてもあなたのためにはならないのです。
人は真理を得て学び、成長するために道を進んでいるのです。
そして、真理を以て極みに達することが目的であるのです。
あなたは人生がこのような目的のために存在しているということを覚えておきましょう。
あなたは簡単に諦めてはなりません。
簡単に投げ出してはなりません。
道が続いているのに逃げ出してはなりません。
道が続いているのであれば、辛抱して、或(あるい)は無理をしてでも進むのです。
道が続いている以上は進まなければならないのです。
道が続いているのに進まないというのは怠慢です。
できるのにやらないという者が、他の道において通用するでしょうか?
そのような者が通用する道は存在しないのです。
舐めていてはなりません。
どのような道も、力のある者だけが豊かさを得るのです。
志の低い者には、どのような道においても乏しさと苦しみが与えられるのです。
簡単に諦めてはなりません。
あなたはそこで責任を果たすように努めましょう。
道はあなたが用意するのではありません。
道は道によって用意されるのです。
その道があなたの助けを求めるのです。
その仕事があなたの助けを借りるのです。
その人があなたの助けを必要としているのです。
あなたがその道、仕事、人を必要としているのではありません。
使い物にならなければ、あなたは放り出されるのです。
そのことを覚えておかなければならないのです。
自分が必要とされているなどと傲慢(ごうまん)に考えてはなりません。
あなたの代わりなどはいくらでもいるのです。
あなたができなければ、他の者にやらせれば良いのです。
他の者はあなたがそうであったように、その仕事を喜んで引き受けるでしょう。
あなたは危機感を忘れてはなりません。
ある程度仕事を覚えたからといって、気を抜いていてはなりません。
道を進み続け、その極みに達するためには、その道から必要とされる人でなければなりません。
思い上がって偉そうに振る舞う者など、必要とはされないのです。
人生は最後の最後まで大切な学びです。
極みに近付く者でさえ、まだまだ未熟であるということを知りましょう。
この世に成熟した人間など存在しません。
人が人である以上、そのすべてが未熟であることに変わりはないのです。
人が未熟であるという事実が存在しているにもかかわらず、そのことを知らない無知な者は、自分が未熟であるということは当然知る由もありません。
そのような愚か者を道は必要とはしないのです。
道は成長し続け、道のために貢献する者を欲しています。
その道を発展させる者を求めているのです。
会社に貢献しない社員は職を失います。
それは、当たり前のことです。
道を進むことをせず、ただぶら下がって依存しているだけの者に与えられる豊かさは有り得ないのです。
道が求めているのは、現状よりも優れた働きであるということを覚えておきましょう。
後退は有り得ません。

2014年6月15日日曜日

老人の尊厳

あなたは飽くなき向上心に従ってこの世を進まなければなりません。
常に成長を欲し、どのような状況の中にも自らを成長させる糧を探し、あなたは常に成長を実現しなければならないのです。
向上心を持たなければ成長はありません。
人が成長するためには、その原因である向上心が必要であるのです。
あなたはどのような時にも、自らの内に向上意欲を見失ってはなりません。
向上心を持った人間は、知識を欲するでしょう。
知識を得ることによって人は知恵が増します。
知恵が増せば、その知恵によって成長が実現するようになるのです。
知恵が増すことがなければ、ただ老いるだけであって、成長することはないのです。
愚かに老いてはなりません。
何の知恵も持たず、尊敬されるところもなく、惨めに年老いてはならないのです。
あなたが老いるのであれば、それに従って知恵を増し、尊敬を集め、立派な老人としての尊厳を保たなければならないのです。
惨めに年老いた人には力がありません。
そのような人は、世間からも、他人からも見捨てられるのです。
役に立たない人を、誰が必要とするのでしょう?
現実を見なければなりません。
根拠のない自信によって生きてはなりません。
自分という存在が他人や世間に必要とされるように、自らを導かなければならないのです。
その大切な使命を忘れて怠けて暮らす者には、苦しみが近寄るでしょう。
向上心を忘れてはなりません。
人は成長しなければ価値を失います。
甘えていてはなりません。
役に立たない者が豊かさを得ることなどできるはずがないのです。
すべての人が成長を欲しています。
その中で努力を怠るのであれば、落ちていくのは道理であるのです。
あなたが怠けているのであれば、先を行く人々との間は広がる一方であるのです。
立ち止まってあなたを待つ人はいません。
甘い考えを持ってはなりません。
あなたが立ち止まれば、あなたは置いていかれるのです。
あなたは常に自分自身の成長を欲していましょう。
飽くなき探究心によって、真理を追い求めましょう。
あなたは道に対して真摯でなければなりません。
あなたは真っ直ぐに道を追求するのです。
多くの人は詰まらない思い煩(わずら)いによって、自らの使命を見失います。
あなたは向上心によって問題や苦悩を乗り越えていかなければならないのに、詰まらないことに躓(つまず)いて自らの使命を忘れてしまうのです。
躓いたことに腹を立て、苦悩することによって、本来の目的とは違う目的のために生きるのです。
あなたは間違ったものを追って進んではなりません。
あなたは成長する必要があるのです。
詰まらないことに思いためらい、鈍鈍(のろのろ)と暮らしてはならないのです。
あなたは自らの使命のために生きなければなりません。
道を追求しなければならないのであって、詰まらないことに立ち止まっていてはならないのです。
多くの人は現状維持を大切に考えています。
多くの人が変化を恐れているのです。
そのため、できる限り鈍鈍としているのです。
あなたはそのような人たちを見習ってはなりません。
そのような人たちは、大切なことを見失っているのです。
愚かな者は苦しみに捕まり、そこで苦しむのです。
後悔しても、時は既に遅いのです。
時が過ぎれば、あなたには何もすることができません。
どのように後悔して反省しても、あなたにはどうすることもできないのです。
そうならないように努めておきましょう。
飽くなき向上心に従ってこの世を進みましょう。
常に成長を求めていましょう。

2014年6月14日土曜日

肉の欲

あなたは小さな欲のために働いてはなりません。
詰まらない欲望に根差して生きてはなりません。
あなたは大きな意思に従って働き、最高の楽しみのために生きていかなければならないのです。
小さな見解によって人生を考えてはなりません。
あなたは肉の欲に縛られてはならないのです。
あなたの身体が求めるものは小さな欲です。
それは、最低限の欲であって、その欲を満たすことによって得られるものは生活だけです。
肉の欲を満たすだけでは、ただ生きるということをするだけであるということを理解しましょう。
人は肉によって生きている訳ではありません。
人には使命というものがあるのです。
それは、人が人生を生きる理由です。
人はただ生活するために生まれたのではありません。
生活の上の使命を果たすために生まれ、生きているのです。
生活をするだけでは豊かな人生とはなりません。
生活をするだけでは幸福というものは得られないのです。
生活をするだけでは心が満たされることはないのです。
その上に存在している使命という「生きる理由」を果たさなければ、心が満たされることはなく、人生が豊かなものになるということもないのです。
あなたには使命があるのです。
あなたはそれを忘れてはならないのです。
肉の欲に従って生活するのであれば、人は自らの使命を見失ってしまいます。
生活することに重点を置くのであれば、それ以上のことを知る由(よし)もないのです。
生活を充実させたところで、あなたは満足を得ることはできません。
あなたは心を、魂を満たさなければならないのです。
食って寝るだけでは満たされないのです。
心、魂というものは物体ではありません。
それらは意識体であり、あなたの認識には及びません。
しかしながら、あなたはそれが存在しているということを知っています。
物体を満たすのは物体です。
意識体を満たすのは意識体であるのです。
あなたが心を、魂を満たすためには、どれだけの物体を用いても足りません。
心を、魂を満たすためには、意識体を用いなければならないのです。
心、魂とは光です。
それは、建設的な性質の光であるのです。
心を、魂を満たすためには、建設的な感情というものが必要となるのです。
あなたの目的は心を、魂を満たすことです。
心、魂の目的を果たし、満足させなければならないのです。
そうでなければ、幸福を得ることはできないのです。
あなたはすべての働きを通して建設的な感情を受け取ろうと努めましょう。
あなたの求める報酬は建設的な性質の意識体であるのです。
あなたはそれを第一に求めなければならないのです。
あなたが第一に求めるものが物体であってはなりません。
物体のために働くのであれば、あなたは小さな欲のために働かざるを得なくなるのです。
それでは、物体が主流の人生となります。
そんな人生をいくら続けても、あなたは心を、魂を満たすことはできないのです。
物体は心に、魂に届きません。
それによって得られる感情が心に、魂に届くのです。
あなたが生活する上で物体は大切です。
お金も、食物も、物品も、あなたの生活を潤します。
それを求めることは良いことですが、それに甘んじてはならないのです。
あなたは物体よりも価値のあるものが存在しているということを知らなければならないのです。
お金が多くもらえるから良い仕事だという訳ではありません。
相手に感謝される仕事こそが良い仕事であるのです。
あなたの働きが誰かを助けるのであれば、それは価値のある働きであるのです。
物体と意識体のどちらも豊かに受け取れるように働きましょう。
小さな欲に縛られることなく、大志を抱えて生きていかなければなりません。
肉の欲に溺れてはなりません。
肉の欲のことに苦悩してはなりません。
その程度のことに躓(つまづ)くのであれば、豊かな人生は得られません。

2014年6月13日金曜日

命の水

生命は命の水と共になければなりません。
水は生命にとっての可能性です。
生命は水がなければ滅びるのです。
あなたが水を飲まなければ命を保てないように、それはとても大切なものなのです。
切り捨てられた枝も、水を得れば自活することもできます。
枝であれ、水によって根を伸ばし、命を得るのです。
あなたの本質は魂です。
魂は心です。
あなたは心であるのです。
心を育まなければならないのです。
心が枯渇すれば、飢えと死とがあなたを迎えに来るのです。
心に対して、命を導くためには、生命が水を求めているように、建設的な感情を導く必要があるのです。
心にとっての命の水とは、建設的な感情です。
建設的な感情が無ければ、心は命を保つことができないのです。
建設的な感情とは、喜びや楽しみや安らぎや満足です。
安楽であれば、心は生きるのです。
心が生きるのであれば、人生は可能性を追って豊かなものになります。
心が死んでいるのであれば、人生は乏しさを得ることになるのです。
心が死んでいても身体を生かすことはできます。
しかし、身体だけが生きていたところで、そこには幸福は導かれないのです。
心と身体が生きているということが重要なのです。
どのような状況であろうとも、心が生きているということが重要です。
あなたは心を殺してはなりません。
建設的な感情と繋がることの大切さを忘れてはならないのです。
水が失われればどのような大樹も枯れてしまいます。
これまでどのように培養しても、水と離れれば枯れるのです。
人の心も建設的な感情と離れれば、すぐさま命を失ってしまうでしょう。
あなたは建設的な感情を忘れてはなりません。
建設的な感情を意識し、それを探し続けなければなりません。
どのような状況にも、良いところは存在しています。
それはあなたにとっての大切な学びであるのです。
それは、あなたの幸福と人生の豊かさを導くための大切な栄養であるのです。
すべてはあなたにとって大切なものです。
すべてがあなたにとって意味のあるものです。
すべてがあなたにとって相応しいのです。
無駄も無意味もありません。
すべての状況の中に、あなたの心の命となる学びが存在しているということを覚えておきましょう。
雨の少ない地域に生息する生命は、霧の中からでも水を得ます。
霧は水が分散した状態です。
霧も水に変わりはありません。
水は細かくしても水であるのです。
その状況には学びが見出せないかも知れません。
しかし、そこには必ず大切な学びが存在し、あなたは必ず喜ぶことができるのです。
霧のように細かく分散しているだけなのです。
大抵の場合は工夫が必要なのです。
あなたは愚かで未熟です。
大切なことを理解することは簡単ではないでしょう。
そのことを覚えておきましょう。
簡単でなければ、時間と労力を必要とします。
初めからそのような心構えであるのならば、どのような状況においてもあなたは命の水を得ることができるでしょう。
砂漠に生きる命があります。
どのような状況にも救いはあるのです。
どのような状況も工夫次第で豊かなものにすることができるのです。
建設的な感情に繋がっているのであれば、何の問題もありません。
あなたはそこで命の水を得ます。
そのことを覚えておきましょう。

2014年6月12日木曜日

すべての努力は報われる

すべての努力は報われます。
努力はすべて実現するのです。
無駄な努力というものは存在しません。
すべてが実りとなり、あなたはそれを収穫するということを覚えておきましょう。
努力が報われないと思い込んでいる人がいますが、その考えは正しくはありません。
この世界は原因と結果による因果によって築かれています。
すべての事象には、それに相応しい原因が存在しているのです。
原因は必ず何等かの結果になって現れます。
原因が存在しているのに、結果として現れないということは有り得ないのです。
努力したのであれば、それは必ず結果を導きます。
そこには、努力という原因があるためです。
努力とは、あなたの行いに他なりません。
あなたが何かを行うこと、それを積み重ねることが努力です。
多くの人は意識的に努める行いを努力と思っているのです。
意識的に努めなくても、同じだけの行いを積み重ねれば結果は同じなのです。
努力をすることが優れている訳ではありません。
一生懸命に行った心の在り方を、自分で努力だと呼んでいるだけなのです。
すべての行いが原因となり、それに伴う結果を導きます。
あなたが意識的に行った努力も、意識的に行わない行いも、どちらも同じように結果として現れるのです。
努力が報われないという考えを持つ人は、結果に対する努力(行い)が不足しているか、その方法や方向性が間違っているか、それ以外の行いが結果として現れているだけであるのです。
行いが不足しているのであれば、必要とする結果が導かれることはありません。
結果は出ますが、必要とするレベルには程遠いものとなるのです。
行いの方法や方向性が間違っているのであれば、必要な結果が導かれることはありません。
間違いを続けているのならば、どのようなものも完成しないのです。
目的地とは違う行き先のバスに乗れば、目的地とは違う場所に到着するのは当たり前なのです。
自分自身では努力しているつもりであっても、それ以外の行いの割合が大きければ、それが大きな結果として導かれるのです。
健康になるために服薬していても、生活習慣を正さないのであれば、健康は実現しないのと同じことです。
あなたは努力が報われないなどという情けない考え方を信じてはなりません。
すべての行いが結果として確実に実現しているのです。
あなたが受け取る様々なことがそれです。
良いことも悪いこともあるでしょう。
そのすべてがあなたの行いから導かれた当然の結果であるのです。
自分の都合の良いように考えて、愚かな者になってはなりません。
自分でやっておきながら、自分はやっていないと言ってはなりません。
すべてはあなたの行いから生じた当然の結果であるのです。
すべての努力は報われます。
あなたが不満や不安を考えるという努力は報われます。
無関心で怠惰に生きれば、その努力も報われるのです。
あなたが意識的に行っていないことも、結果としてはあなたの努力となるのです。
同じことを繰り返し考えることや、繰り返し行うことは努力以外の何でもありません。
あなたが普段から、不満や不安を考え続けているのであれば、それは立派な努力であるのです。
努力を勘違いしてはなりません。
積み重なった行いが努力であるのです。
あなたは状況(問題)に対して、「こんなものは求めていない」と言ってはなりません。
あなたは覚えていないでしょうが、あなたが自分自身の意思によってそれを選んだのです。
無駄な努力というものは存在しません。
この世界はあなたの働きを正当に評価するのです。
あなたを差別している訳ではないのです。
この世界は誰にとっても公平であるということを覚えておきましょう。
不平不満を考えているようでは、あなたは必要な結果を受け取ることはできないのです。
すべては自分次第であるということを理解しましょう。
あなたが豊かさと幸福を求めているのであれば、自分自身と他人の豊かさと幸福のために努力を重ねましょう。
それができないのであれば、豊かさと幸福を得ることは諦めた方が良いでしょう。
すべての努力が報われるということを理解し、自分が何をするべきなのかを考えましょう。

2014年6月11日水曜日

最大の矛盾

人は心を守らなければなりません。
人は心を汚れから守り、その純粋さを保たなければならないのです。
もしも汚れても、その汚れを払い、純粋に輝くように努めなければなりません。
人の心は輝いているのが自然です。
あなたは楽しい時、喜んでいる時、安らいでいる時、このような時には気楽であるでしょう。
力みの無い状態が自然体であるのです。
あなたが苦しい時、辛い時、悲しんでいる時、不安に苛(さいな)まれる時、このような時には力んでいるのです。
それは決して気楽な状態ではありません。
心の力みは緊張としてあなたに襲いかかるのです。
心が緊張し、多大なストレスを感じている時には、不安や心配などのネガティブで破滅的な感情が心を支配します。
ネガティブで破滅的な感情は心を暗闇で覆い隠します。
暗闇に覆われた心は汚れを増すのです。
あなたはどのようなことに対しても、ネガティブで破滅的な感情を用いてはなりません。
それでは純粋な心を守ることはできないのです。
汚れを増した心は、それを取り除くために汚れを吐き出します。
それはあなたの目の前の状況に何等かの問題として現れるのです。
あなたが問題として考えているすべての状況は、あなたの心の中に存在している汚れによって導かれたということを覚えておきましょう。
ネガティブで破滅的な感情によって心を汚すほどに、あなたは多くの問題を抱えることになり、多くの苦しみを得なければならないということを知っておきましょう。
自分自身の心の中に存在する原因が、目の前の状況に結果として現れるだけです。
あなたは心を守らなければなりません。
ポジティブで建設的な感情によって、輝きを保ち、汚れを払い落とさなければならないのです。
自分自身で守らない限り、あなたは心を守ることができないのです。
これはあなたの心なのです。
あなた以外にあなたの心の中に侵入し、それを操作することができる人はいないのです。
すべてはあなた自身の意思によって決定しているのです。
あなたが心の純粋さを守るためには、この世の理(ことわり)を理解する必要があります。
あなたはこの世があなたの成長のために存在しているということを知りましょう。
そして、すべての存在が幸福を得るための世界であるということを理解するのです。
どのように見えるものであっても、それは必ずあなたの成長と幸福を導くために必要なことであるのです。
あなたの成長や幸福に関係のないことはありません。
すべてはあなたのためにあるのです。
そのことを理解するのであれば、あなたが問題に煩(わずら)わされることもないでしょう。
すべてが自分自身の成長と幸福のために存在しているのであれば、あなたがそれに不安や心配を感じ、苦しむ必要がないことが分かります。
あなたは何に対しても、不安や心配によって苦しむ必要はないのです。
すべてはあなたの成長と幸福のために存在しているということを理解しましょう。
人が不安や心配を用いる時には、人生が苦しみのために存在しているということを信じている状態にあります。
人生が苦しみのために存在してるのであれば、人に成長や幸福を求める気持ちが存在していることが不自然です。
あなたは成長を求め、幸福を得ようと必死なはずです。
あなたのその気持ちは、この世の理をあなたに教えているのです。
すべての存在が成長と幸福を求めています。
苦しみたいと本心から願う存在はいないのです。
できれば、すべての存在が成長と幸福を実現したいと願っているのです。
状況は心の状態によって築かれます。
心が純粋で美しいのであれば、あなたの状況は美しいものになるでしょう。
心が歪み汚れているのであれば、あなたの状況は醜いものになるでしょう。
どのような状況にも、あなたは心を汚してはなりません。
人生には様々なことがあります。
人生は心の汚れを取り除き、磨き上げるための時間なので、あなたにとっては問題が多く発生するのです。
しかし、問題が起きるということは、それだけ心の汚れが現れたということなのです。
それが喜ばしいことであるということを理解しなければならないのです。
膿(うみ)が出れば傷は治ります。
問題が生じたなら、心の汚れは世に出たのです。
漸(ようや)く排出された汚れに対して苦しむのは、その汚れを惜しんでいることと同じであるのです。
汚れを楽しむのであれば、苦しみます。
汚れを欲するのであれば、苦悩は避けられないのです。
苦しいのが嫌なのであれば、不安や心配を用いてはなりません。
あなたは自分自身の最大の矛盾に気が付きましょう。

2014年6月10日火曜日

高級な欲と低級な欲

身体の欲によっては、あなたが豊かさを得ることはできないということを覚えておきましょう。
あなたが求めるべきは身体の欲する欲求ではありません。
肉体が欲を満たしても、あなたの人生が豊かなものになることはないのです。
あなたが満たさなければならない欲求は、精神が求める欲求であるということを覚えておきましょう。
身体が求める欲求は、表面的で低級な欲求であるということを覚えておきましょう。
それは、人の精神が低級であるために、身体がそのような欲求を受け入れなければならないということです。
低級な精神の持ち主の欲求は、低級な欲として現れます。
低級な精神は、低級な思考に至ります。
低級な思考は手っ取り早く欲求を満たそうと願うのです。
そして、最も簡単に欲求を満たすことができるのが身体が持つ欲求であるという訳です。
食欲、性欲、睡眠欲・・・
このように簡単に満たすことのできる欲求によって満足を得ようと考えるのです。
低級な精神の持ち主は、食欲に溺れます。
食欲に溺れて必要以上に飲み食いするのです。
そして、醜く太ります。
低級な精神の持ち主は、性欲に溺れます。
性欲に溺れて乱れた性を貪るのです。
そして、肉欲による裁きを受けます。
低級な精神の持ち主は睡眠欲に溺れます。
睡眠欲に溺れて必要以上に眠りを好みます。
そして、怠惰(たいだ)に生きて、時間と富とを無駄にするのです。
低級な精神は、低級な状況をもたらします。
それは、そのような観点からしか物事を見ることができず、そのような選択肢しか選ぶことができないからです。
低級な精神によっては、どうやっても豊かな人生を得ることはできないのです。
あなたは自らの精神の在り方に注意を払わなければならないのです。
あなたの精神の状態は、あなたの行動によって見て取れます。
あなたの欲求が何に向けられているのか?ということを知ることによって、精神がどのような状態であるのか?ということを認識することができるのです。
あなたの欲求が自分自身の身体に向けられているのであれば、あなたの精神は低級であると言えるでしょう。
あなたの欲求が利己的なものに止まらず、他人や社会に向けられているのであれば、あなたの精神は高級であるということが言えるのです。
ただし、自分自身の欲求を求めないのは嘘です。
人は誰でも自分自身を存在させる必要があります。
だから、自分自身に対する欲求をなくすのは間違った行為です。
わたしが言いたいのは、その欲求が自分自身のためだけに存在してはならないということなのです。
子どもは精神的に未熟です。
子どもは(基本的に)自分自身のことだけを考えています。
子どもは自分自身のことを中心に考えるように作られているのです。
そのため、子どもは自己中心的な考えに至るのが普通です。
経験を経て成長した大人は、精神的に熟しています。
大人は自分自身のことだけを考えるということはありません。
大人は自分自身とそれ以外とを同時に考えるように作られているのです。
そのため、精神的に優れた大人は利他的に存在するのが普通なのです。
子どもの人生は豊かではありません。
それは、自分自身で築いていくことができないからです。
大人は自分自身で人生を築いていくことができます。
それは、最高の豊かさであるのです。
精神が低級な人間は、どれだけ歳を重ねても自分自身の力で人生を築いていくことはできません。
子どもには、人生を自力によって築く権利は与えられないのです。
あなたは精神的な成長を欲しましょう。
あなたは精神的に成長しなければなりません。
食欲や性欲や睡眠欲に溺れてはなりません。
それ等に溺れないためには、高い志を持つ以外に方法はありません。
志を持つことによって、人は精神を成長させることができるのです。
志を持たない者が精神的な成長を得るはずがないのです。
志を持たない者は惨めに生き、惨めに死んでいきます。
これは脅しではありませんが、そのようになりたくなければ考えを改めることです。
低級な欲に満足していてはなりません。
誰かや何かのためにこそ、生きなければなりません。

2014年6月9日月曜日

賢者と愚者

この世は様々な学びを持った存在が共存します。
この世には、すべての学びが存在しているのです。
この世に学びがあるために、それを求めて様々な者が存在しているのです。
学びがあって、命があるのです。
あなたは学ばなければなりません。
すべての存在が、その立場によって必要を学んでいるのです。
学びを得た者は知恵を増し、賢者ともなります。
学びを得ない者の知恵は衰え、愚者(ぐしゃ)ともなるのです。
この世には、賢者と愚者が一緒くたに存在しているのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
賢者と愚者が共に存在すれば、そこには互いの学びがあるのです。
賢者は愚者を見て学び、愚者は賢者を見て学ばなければならないのです。
あなたはこの世界が学びのために存在しているということを忘れてはなりません。
すべてが学びであるということを知りましょう。
そして、それを覚えておきましょう。
学びであることを忘れるなら、あなたは自らの心を曇らせて、自ら苦しんでしまうでしょう。
あなたは自分自身よりも、少しだけ賢い者に出会います。
そして、少しだけ愚かな者に出会うでしょう。
あなたはその人たちから学ばなければなりません。
あなたが賢者でも愚者にでも会ったなら、その人から学ぶことはないかと探しましょう。
賢者からでも、愚者からであっても、あなたの成長に必要な学びを得ることができるのです。
賢者からはその知恵を参考とし、愚者は反面教師として扱いましょう。
どちらにせよ、何か利用価値があるということは忘れてはならないのです。
あなたは賢者と住み、愚者とも住みます。
あなたはどちらとも関わりを持たなければならないのです。
どこへ行っても賢者はいて、愚者もいるのです。
どちらかがいない場所はありません。
遠ざけても無駄です。
それは、学びが存在しているからです。
愚者を遠ざけても、あなたの学びがその愚者を呼び寄せているために、違う愚者に会うことになります。
学びを得なければ、人は苦しむのです。
人は愚者によって苦しむのではありません。
人は、自らが愚者である時に苦しむのです。
あなたは学びが存在しているということを忘れてはなりません。
賢者から学ぶように、愚者からも学びましょう。
両者は違う性質の学びを携えています。
どちらから受ける学びも大切であるのです。
学びが最も大切なのです。
賢者であっても愚者であっても、他人はあなたにとっては重要ではないのです。
あなたが最も大切にしなければならないのは、学びであるのです。
学びのために他人が存在しているのです。
あなたは勘違いをしてはなりません。
表面的に物事を見るのをやめて、深く本質を見ましょう。
あなたは賢者とも愚者とも生きなければなりませんが、それで良いのです。
それが最善です。
学びを疎かにしてはなりません。
あなたは何としても成長しなければなりません。
どのような状況からも、どのような人物からも学びを得ましょう。
そして、いつも成長しましょう。
愚者を目の敵にしてはなりません。
愚者を否定した時には、自分自身が本物の愚者であるということを知りましょう。
学びを否定する者こそが愚者であるのです。
あなたは学ばなければなりません。
そして、豊かさと幸福を実現しなければなりません。
学びのために、賢者と愚者を受け入れましょう。

2014年6月8日日曜日

真の言葉

あなたは真実を語らなければなりません。
あなたの話す内容は、事実に基づいた真の言葉でなければならないのです。
嘘とは、真実を隠した言葉です。
真実を隠すということは、本質が分からないということです。
本質が分からないのであれば、人は道に迷ってしまうのです。
道に迷う人は苦しみます。
人は道に迷わないようにしておかなければならないのです。
道に迷う人は幸福には辿り着けません。
道を見失う者が目的地へと辿り着くことはできないのです。
真実の言葉には光があります。
真実の言葉は道を照らす光であるのです。
人は真実によって本質を知り、真実によって道を見るのです。
光に照らされていなければ、人は道を歩むことができないのです。
あなたは光を求めなければなりません。
小さな光でも良いのです。
小さな光でさえ、欲しなければなりません。
小さな光であっても、光があれば道を照らすのです。
嘘を吐く人は、自ら光を覆い隠します。
嘘を吐く程に光が失われ、道が見えなくなるのです。
嘘を吐く人は暗闇の中を歩まなければなりません。
暗闇の中を歩むのはとても危険です。
暗闇の中を歩むのであれば、目的地へと辿り着くことはできないのです。
真実を知らずに幸福を得る人はいません。
嘘によって作り出された幸福も、その事実を知った時にはあなたを絶望へと突き落としてしまうからです。
鍍金(めっき)によって真実を装っても、それは簡単に剥がれ落ちてしまうのです。
偽物をいくら所有しても豊かではありません。
嘘の看板を見て進んでも、幸福という目的地には辿り着けないのです。
嘘は、どこまでいっても嘘であるのです。
嘘が真実になることはありません。
石にどれだけの金鍍金を施しても、石は石であるのです。
その本質が変わることはないのです。
嘘を重ねても、それは嘘である以外にはないのです。
あなたは嘘に注意しておきましょう。
あなたの口を吐く嘘も、他人の口から吐かれる嘘も注意するのです。
あなたは事実に基づいた真の言葉を話さなければなりません。
あなたにとっての真実とは、あなたの体験したことです。
あなたが体験したことでなければ、あなたが何を話したところで、それは嘘となるのです。
自らが体験もしたことがないことを、あたかも自分自身が体験したかのように話してはならないのです。
それがどのような根拠に基づく情報であれ、あなたが体験しなければ分かりません。
誰かが言っていることと、あなたが実際に体験して得たことは全く違うものです。
あなたにとっての真実とは、あなたの体験から生じる純粋な感想であるからです。
あなたの感想が、あなたの真実なのです。
だから、あなたは自ら体験する必要があるのです。
あなたが話すことができる内容は、体験から得た真実です。
あなたは体験しなければなりません。
自分で体験して確かめなければなりません。
あなたが体験したことは、誰が何と言おうとも真実には違いありません。
聞き齧(かじ)った知識であっては、真実にはほど遠いのです。
真実は道を照らす真の光です。
道を闇で覆ってはなりません。
あなたは道に迷わないように光を失わないように注意しましょう。
真実を語りましょう。
嘘を吐いてはなりません。
嘘によって自分自身と他人を騙してはなりません。
あなたは自分自身と他人を幸せにしなければならないのです。

2014年6月7日土曜日

逃げる

人生には様々な選択肢が用意されています。
あなたはその中から好きなものを選択し、実行することができるのです。
あなたは無限とも言える選択肢の中なら、自分の好きなものを選ぶことができるのです。
あなたは忘れてはなりません。
自分自身で決めることができるのです。
人生は自分自身の力で築いていかなければなりません。
誰もあなたの代わりにあなたの人生を築くことはできません。
どのような人であろうとも、自分の人生は自分自身で決めなければならないのです。
何を選ぼうと、あなたの自由です。
あなたが選んだ選択肢は、あなたにとって最善です。
選んではいけないという選択肢は存在しません。
選択肢が存在するのであれば、そのすべてが許されているということなのです。
この世界に存在するもの、あなたが選択することができるものは、あなたの自由にすれば良いのです。
あなたは、自分の好きなように人生を選ぶことができるということを理解しましょう。
間違いはありません。
すべてがあなたにとっての正解であり、最善であるからです。
あなたは悩む必要はありません。
あなたがそうしたいと思う選択肢を選ぶのです。
世間においては、逃げることは悪とされます。
しかしながら、力が及ばなければ逃げる以外に方法はありません。
力が及ばないにも関わらず挑んでいくのであれば、玉砕(ぎょくさい)を得ることになります。
人は生きることに価値があります。
人は生きなければなりません。
命は大切です。
どのような理由があろうとも、あなたは命を守らなければならないのです。
「くだらないこと」で命を放り出してはなりません。
力が及ばないのは悪ではないのです。
力が及ばないのは良くあることなのです。
残念ながら、大抵のことに力が及びません。
そのために、あなたは独りでは生きていけないのです。
人が他人と協力して生きるのは、独りでは力が及ばないということを認めているからなのです。
力が及ばないのであれば、逃げるという選択をすれば良いのです。
逃げて生き伸び、力を蓄えるのです。
生きている限り力は増します。
生きている限り知恵は増えるのです。
その時には苦しいことも、後のあなたには大したことではなくなっているのです。
苦しいことには立ち向かい、それを乗り越えなければなりません。
しかし、いつかは乗り越えるべき壁であるだけで、今すぐに乗り越えなければならないということではないのです。
あなたには逃げるという選択肢も用意されています。
苦しいことから逃げても良いのです。
あなたがその苦しみに溺れてしまうくらいなら、逃げて非難される方が良いのです。
あなたは逃げるという選択肢もあるということを覚えておかなければなりません。
力が及ばないのならば逃げるのは自然の理(ことわり)です。
百獣の王であれ、力が及ばないのならば逃げるのです。
しかし、逃げても腹は空きます。
力が及ぶ範囲で飯を食わなければならないのです。
あなたは力の及ぶ範囲で努力をしましょう。
逃げるのは諦めるためではありません。
逃げるのは、再挑戦するためであるのです。
努力を怠ってはなりません。
あなたは自分にできることを一生懸命にこなすのです。
あなたはどれでも好きな選択肢を選ぶことができます。
誰が何と言おうとも、逃げることは「神」によって許されているということを覚えておきましょう。
命(豊かさ、幸福)を守るために、最善を尽くしましょう。

2014年6月6日金曜日

きちんと生きる

あなたはだらしなさに注意しなければなりません。
あなたはできる限りきちんとしておかなければならないのです。
だらしない状態であれば、どのようなことであれ成果を上げることは叶いません。
きちんとしていなければ、必ず綻(ほころ)びが生じるのです。
だらしがなく綻びが生じているのに、良い結果には結び付かないのです。
きちんとしているのであれば、抜かりは無いのです。
確実に進行するのであれば、失敗することはないのです。
だらしなさがあれば、不備が生じます。
だらしなさは必ず抜かりに繋がるのです。
あなたは注意しておかなければなりません。
油断しているのであれば、必ず失敗するからです。
一つ一つのことを確実にこなしていくことこそが、後の成功に繋がるのです。
油断してだらしがない状態を許してはなりません。
できる限りで構いません。
きちんとしようと心掛けるのです。
一つ一つのことを誠実に、丁寧に行うことが大切なのです。
小さなことがきちんと仕上げられない者には、大きなものをきちんと仕上げる力はありません。
小さなことをきちんと仕上げることができる者には、大きなものをきちんと仕上げることができるのです。
考え方がだらしない者には、きちんとした生活を築くことはできません。
生活がだらしのない者には、きちんとした人生を築くことはできません。
きちんとした人生を築くことができない者には、豊かさは得られないのです。
だらしのない者で豊かさを得る人はいません。
だらしのない者は、それ故に苦しみに会うのです。
人は人生に豊かさという荷物を運んでいます。
その時に、荷台に括(くく)り付けた荷物が落ちないようにしておかなければならないのです。
それは大事な荷物(豊かさ)であるからです。
しかし、道は険しいのです。
人生という道は曲がりくねり、決して平坦なものではないのです。
そのため、荷物は常に落下の危機にさらされているのです。
だらしのない者は荷物をだらしなく縛ります。
だらしのない者の縛った荷物は、少しの衝撃によって動いてしまうのです。
曲がりくねった道のりでは、それは心許(こころもと)ないのです。
そして、だらしのない者は道の途中に多くの豊かさを落としていくのです。
目的地に辿り着いた時に荷物がなければ、仕事にはならないのです。
きちんとしている者は、荷物が落下しないようにしっかりと固定します。
人生の道は曲がりくねっているために、荷物は落下の危機にさらされますが、きちんと縛っているために落下することはありません。
目的地に荷物を届けることができたきちんとした人は、良い仕事をして、成果を上げるのです。
だらしのない者は無駄を生み出します。
それは損失であるということを覚えておきましょう。
だらしなく生きる者は損をするのです。
あなたは豊かになりたいと思っているはずです。
ならば、損をしてはならないのです。
だらしなく生きてはなりません。
一つ一つのことをきちんとしましょう。
気の抜けたように生きてはなりません。
自らが豊かさを求めているのだということを忘れてはなりません。
一つ一つの作業に見落としがないかを確認しましょう。
自らの作業が美しいのか?を確認するのです。
そして、自らの作業が恥ずかしくないか?自慢することができるのか?ということを気にしていなければなりません。
公に現されて恥じるような作業をしてはなりません。
そのような人になってはなりません。
あなたはだらしなさに注意しなければなりません。
好い加減に生きていてはなりません。
できる限りきちんと生きるのです。

2014年6月5日木曜日

知恵を増す

あなたは否定的な考えを持つ者が、それ以上に知恵が増すことはないということを知っておきましょう。
否定的な考えは、可能性を潰す力であるということを覚えておかなければならないのです。
知恵とは、可能性を見付け出すための力です。
知恵を持つ者は可能性に愛されます。
知恵のある者は可能性を実現するのです。
知恵を持たない者は可能性に嫌われます。
知恵のない者には可能性が実現することはないのです。
人生を豊かに生きるために必要なのは知恵です。
知恵がなければ豊かさを得ることはできないのです。
あなたは知恵を持つことの大切さを理解しましょう。
どのように多くの知識を所有していようとも、それだけでは人生は豊かなものにはなりません。
どのように腕力があったとしても、それだけでは人生は豊かなものにはなりません。
どのように多くの財産を引き継いだとしても、それだけでは人生は豊かなものにはならないのです。
知識がなくても、腕力がなくても、引き継いだ財産がなくても、知恵があれば人生は豊かなものになるのです。
あなたが所有しなければならないものは知恵であるのです。
知識も腕力も財産も、それをどれだけ所有しても知恵がなければすべてを失うことになります。
あなたはすべての知識を覚えておくことはできません。
あなたは年老いても腕力を保てるでしょうか?
財産を食い潰した後はどうするのでしょうか?
消費すれば無くなるものをいくら所有しても、可能性はないのです。
知恵とは、可能性を生み出す力であるのです。
食べる分だけの野菜を所有しているよりも、野菜の栽培方法を知っている方が有益です。
野菜の栽培方法を知っているのであれば、いくらでも増やすことができるからです。
知恵とは可能性を実現する力です。
あなたは可能性を作り出していかなければならないのです。
否定的な考え方をしているのであれば、思考が偏って偏見を抱くことになります。
偏見によっては、柔軟性が失われます。
それは可能性を遮断することであるのです。
柔軟な考えをしなければ、可能性を実現することはできません。
状況や環境は絶えず変化し続けているのです。
偏見によって頑(かたくな)な考えでいるのならば、状況や環境の変化に付いていくことなどできるはずもないのです。
否定的な成功者はいません。
否定的な人が豊かな人生を得たことはありません。
豊かに生きる人は皆柔軟であり、肯定的(こうていてき)であるということを知りましょう。
何かを否定している人が良いものを生み出すことはできません。
それは、否定的な考えでは、喜びや楽しみに行き着かないからです。
否定的な考えは、ネガティブで破滅的な考えです。
それが何に対してということは関係ありません。
人は、自らが悪だと思うものに対して否定的な考え方をしますが、それでもネガティブで破滅的な状態であるのです。
それは、否定している時点で争っているからです。
それは不満や嫌悪によって導き出される考えです。
不満や嫌悪があるからこそ、否定するのです。
否定的な考えを持つ人は、自らを正当化しているために、自分自身がネガティブで破滅的な状態であるということには気が付けません。
寧(むし)ろ、自分が正しいとさえ思い込んでいます。
そのような偏った考え方の愚か者が、どのように豊かさを得るというのでしょう?
偏見を所有している時点で豊かさを得ることはできません。
偏見が生み出すものは悪い気分であるからです。
偏見によって良い気分が生み出されることはありません。
偏見によっては、新たな情報、考え方が形成されることはないのです。
それでは知恵は増さないのです。
あなたはできる限り否定的な考えを所有してはなりません。
できる限り偏見によって見てはなりません。
すべての可能性を考慮し、状況に対応しましょう。
信じられないこともあります。
あなたが受け入れたくないこともあるのです。
しかし、それを否定してるのであれば、知恵が増すことはないということを覚えておきましょう。
肯定的な考えによって知恵を増しましょう。

2014年6月4日水曜日

甘え

あなたは甘えていてはなりません。
あなたは責任を果たさなければならないのです。
責任を果たした先に自由があるということを覚えておきましょう。
安心は、責任を果たした先にこそ存在しています。
自由こそが安心であるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
自由を持たない状態に安心することはできません。
責任に追われている状態では、安心は得られないのです。
あなたが安心を欲しているのであれば、自らの抱える責任を果たすことを考えておきましょう。
そして、それを実現しなければならないのです。
責任を果たすことなく、安心を欲する人がいます。
やるべきことをなおざりにしておきながら、不安に怯え、更には誰かや何かに対して不満を持つのです。
やるべきことをなおざりにしておきながら、不安や不満に脅かされるのはおかしな話だと気が付きましょう。
それが甘えであるというのです。
責任を果たしていないのならば、自由が得られないのは当然なのです。
責任を果たしていない者に自由を得る権利など得られないのです。
あなたはやるべきことをやりましょう。
できることを最大限にこなすのです。
できることがあるにもかかわらず、それをしないのは責任の放棄です。
それが甘えだというのです。
言い訳は必要ではありません。
すべては自分自身から生じる事実に基づいているのです。
お金の心配をしている人がいます。
お金の心配をしているのであれば、一円でも無駄にならないように努めるのは当たり前です。
そして、一円でも多く稼ごうとするのも当たり前なのです。
お金の心配をしているにも関わらず、現状維持を好んだり、快楽や下劣な欲望に任せてお金を浪費するのです。
最大限の努力をすることもなしに、その不安から抜け出すことなどできるはずがないのです。
誰かや何かのせいではありません。
自分自身のやり方が間違っているのです。
お金の不安があるのならば、一円でも大切に扱いましょう。
一円でも多く稼ぐために、真剣に仕事に向き合いましょう。
真剣に仕事に向き合うことがない者が、良い仕事をすることなどできません。
そのような好い加減な者が、成果を上げられるはずがないのです。
どのような態度で生きているのか?によってあなたが責任を果たす人物のか?それとも責任を放棄する人物なのか?が分かります。
誰しもが不安の種を持っています。
誰もが問題を抱えながら生きているのです。
それが当たり前であるのです。
誰もがその条件の中で責任を果たし、自由を得ているのです。
あなたは甘えてはなりません。
どうすれば良くなるのかを考えなければなりません。
自分自身の態度や生活習慣が、あなたの不安を取り除くに相応しいでしょうか?
快楽や下劣な欲望に身を任せるのは、現実逃避以外のなにものでもないということを理解しましょう。
お金が無いのに酒やタバコ、麻薬やギャンブルなどに浪費していてはならないのです。
それらの快楽は、責任を果たし、自由を得た後にどうするのかを決めるべきであるのです。
現実逃避などという無駄なことをしているのであれば、不安が取り除かれるはずがないのです。
あなたはできることを最大限に努力しましょう。
責任を果たし、自由を得る必要があります。
考え方、態度、見解、習慣、生き方・・・
あなたは自分自身に関わるすべてのことを省みてみましょう。
あなたが不安を抱えているのであれば、無駄な選択をしていることが分かるでしょう。
収入以上の支出であっては、破産するのは当たり前であるのです。
責任以上の欲求は身を滅ぼすのです。
あなたは甘えていてはなりません。
あれやこれやと良い訳を並べ立てて責任逃れをしてはなりません。
現実から逃れてはなりません。
そんなところに自由は存在しないのです。
甘えを捨てましょう。

2014年6月3日火曜日

すべては自業自得

あなたはそれを経験しなければなりません。
あなたはそれを経験することによって、豊かさへと向かうのです。
その経験は必要なものであるのです。
あなたがどのように考えようとも、その経験無くして豊かさへと辿り着くことはできないのです。
人は魂を磨くために人生を生きています。
人は何度も生まれ変わります。
何度も人生を経て、魂を磨き、自己を向上させるのです。
しかしながら、人は未熟な存在です。
そのため、生きている中で魂を汚すことが多々あります。
魂の汚れとは、愛情に反する生き方をすることです。
愛情によって魂は磨かれます。
愛情を失えば、魂の周りには汚れが停滞することになるのです。
魂の汚れは、破滅的な考え方を生み出し、破滅的な考え方は破滅的な生き方に繋がります。
破滅的な生き方は、辛く苦しい経験を導くのです。
あなたが豊かな人生を生きるためには、魂の汚れを取り除かなければなりません。
鍋に焦げ付いた汚れは簡単には落ちません。
鍋を綺麗にするためには、知恵と時間と労力が必要となるのです。
人生において、あなたが経験することは、魂に停滞する汚れを取り除くための作業であるのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
鍋の汚れを取り除くためには、その汚れに触れなければなりません。
そして、嫌な思いをしながらも、少しずつ汚れを落としていかなければならないのです。
人生には辛いことがたくさんあります。
苦しいと思うこともたくさんあるでしょう。
しかしながら、それはただ辛いだとか、ただ苦しいということではないのです。
あなたが意識していなくても、その辛さや苦しみの経験によって、魂の汚れが取り除かれていくのです。
これは、辛さや苦しみを味わうことが良いことだ、と言ってる訳ではありません。
わたしはあなたにそのような思いを味わって欲しくはないのです。
しかしながら、汚れを取り除かない限りは豊かさを得ることはできないのです。
人生が辛いと感じ、苦しいと思うことは仕方のないことです。
しかし、意味のある経験であるということは知っておかなければならないのです。
それがどのような経験であろうとも、必ず意味があるのです。
そのことを知らなければ、本当は良い方向に進んでいるにも関わらずに、更なる苦しみを増やしてしまうことになるでしょう。
あなたはどのような経験に対しても、苦しみの感情を引き摺ってはなりません。
いつまでもトラウマとしていてはならないのです。
心的外傷(トラウマ)を取り除くためには、意識の力が必要です。
それは、考え方であり、気分であるのです。
辛く苦しい経験に対して、辛い、苦しいという考えや気分であるのならば、魂の汚れを取り除くことはできないのです。
汚れに汚れを足せば、より強固な汚れになるだけなのです。
辛く苦しい経験に対しては、楽しみや喜びといった建設的な考えや気分を用いなければならないのです。
建設的な考えや気分は、洗剤のようなものです。
それは、魂にまで届く洗剤です。
それは、魂の汚れを取り除く唯一の方法であるのです。
あなたの魂の汚れを取り除くのに必要なのは、建設的な考え方と気分であるということを覚えておきましょう。
その経験が辛いことも、苦しいことも知っています。
しかし、あなたはそれが自らの魂から出た汚れであるということを知っておかなければならないのです。
すべては自業自得であるのです。
あなたはこれを受け入れないでしょう。
そのことを知っていて、敢(あ)えて言うのです。
すべては自業自得であるのです。
すべてはあなたのためです。
あなたが経験しなければならないことであるから、あなたが経験することができるのです。
その経験によって魂の汚れを取り除くことがなければ、あなたが豊かさを得ることなどできないのです。
どのような経験であったとしても、あなたは破滅的な考えや気分に沈んではなりません。
考え方や気分は後付けであるのです。
それらは、あなたが選択するものなのです。
建設的な考えや気分を選択しなければなりません。
豊かさを手にする人は必ずそうします。
それ以外に方法がないからです。
不貞腐れていてはなりません。
どのように苦しい状況からでも豊かさを手にする人はいるのです。
しかし、どのように恵まれた状況からでも乏しさを手にする人もいるのです。
人生は自分自身の考え方でどうとでもなるということを覚えておきましょう。

2014年6月2日月曜日

豊かな気持ち

あなたは惨めな気持ちで生きてはなりません。
あなたは惨めな生活をしてはなりません。
あなたは惨めな人間になってはならないのです。
あなたは自信に満ちた人間として生きなければならないのです。
惨めな状態とは、何かが乏しい状態を言います。
何かが不足し、満足を得なければ、惨めな気持ちになるのです。
何かが不足し、満足を得なければ、惨めな生活になります。
何かが不足し、満足を得なければ、惨めな人間になってしまうのです。
必要なものは十分に満たされ、良い気分で自由に生きることが大切なのです。
惨めさの原因は不自由にあります。
あなたは不自由に生きてはならないのです。
あなたは何事においても、できる限り自由になるように努めましょう。
何かを我慢して、苦悩していてはならないのです。
あなたは自由を得るように努めましょう。
何かを我慢しなくても良いように、苦悩することがないように生きるのです。
豊かな心は、豊かな考え方を導きます。
豊かな心の持ち主は、豊かに考えます。
豊かに考える人は、豊かに物事を進めます。
豊かに物事が進めば、豊かな結果を得ることになるのです。
豊かな結果とは自由です。
自由を得ることによって、人は惨めな気持ち、生活、自分自身から解放されるのです。
あなたは豊かな心を育まなければならないのです。
豊かな心とは、光を見ることによって養われます。
光とは、安心や喜びなどのポジティブで建設的な感情です。
あなたはどのような状況に対しても、そこに光を探さなければならないのです。
どのような状況に対しても安心や喜びを見出すことができるのであれば、人がその心を乏しくすることはありません。
安心している人が惨めな気持ちを抱えることなどないのです。
喜んでいる人が惨めな生活をするはずがないのです。
ポジティブで建設的な人が惨めな人間であるはずがないのです。
どのような気分で、どのような生活をし、どのような人間になるのかは、自分自身によって決めることができます。
誰かや何かのせいで惨めな生き方をしている訳ではありません。
すべてが、自分自身によってそうなっているのです。
人は誰でも自信に溢れて豊かに生きることができます。
そして、誰でも自信を失い、惨めに生きることもできるのです。
あなたが現在、惨めさを感じているとしても何の問題もありません。
あなたはいつでも惨めさを手放すことができるのです。
あなたが考え方を変えるだけです。
何も難しいことはないのです。
しかし、あなたはそれを難しいと言うでしょう。
しかし、それは難しいことではないのです。
実現することが難しいという考え方は、豊かな考え方ではありません。
それは実現するという考え方こそが、豊かな考え方であるのです。
あなたは惨めな気持ちに引き込まれてはなりません。
考え方を変えることがなければ、決して豊かな人生にはならないということを覚えておきましょう。
自分にはこれが足りない、自分は余計なものを持っている、などという考えは必要ではありません。
あなたがどのような状態や状況であろうとうも関係ないのです。
あなたがその状態や状況で光を見る気持ちがあるのか?ないのか?ということだけが重要であるのです。
特別な場所に行く必要はありません。
特別な方法は必要ありません。
あなたの現状がどのようなものであっても、考え方を変えることによってそれは実現するのです。
すべてが自分自身の原因によって導かれる結果です。
その原因とは心です。
惨めな気分でいると、惨めな状態や状況が導かれ続けるのです。
現状がどのようなものであろうとも、あなたは安心しておきましょう。
あなたはいつも喜びを探しましょう。
それは必ずあります。
惨めな自分を演じてはなりません。
惨めな自分を築いてはなりません。
あなたは自由に豊かに生きるのです。
惨めな気持ちを捨て去り、豊かな気持ちで生きましょう。

2014年6月1日日曜日

人助け

あなたは、常に他人を助けようと考えていなければなりません。
自分自身がどのような状況であり、どのような状態であろうとも、他人を助けようとする気持ちを忘れてはなりません。
助けられるかどうか?ということは問題ではありません。
助けようとする気持ちが大切なのです。
あなたには幸福を得てもらわなければなりません。
あなたには豊かな人生を生きてもらわなければならないのです。
そのために、あなたには他人を助けてもらわなければならないのです。
それは、他人を助ける人が豊かさと幸福を得るのは当たり前のことだからです。
この世界は原因と結果によって成り立っています。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しているのです。
原因はその性質に従った結果を導きます。
あなたは、自分がやったことに等しい結果を受け取ることになるのです。
他人を助けるという行為は善意からなる善行です。
善い行いをする人は、その行いが故に豊かさを得るのです。
他人を助けない人には、善意からなる善行という原因がありません。
善い行いが原因として存在しないのであれば、豊かさという結果が導かれることは有り得ないのです。
原因がなく、結果はありません。
あなたが豊かな人生と幸福を欲するのであれば、人助けをしたという事実が必要なのです。
その事実もないのに、豊かさと幸福を欲するのは愚かなことであるということを知っておきましょう。
それは、代金を支払っていないのに、その所有権を主張しているようなものであるのです。
そのような惨(みじ)めな人にはなってはなりません。
あなたは堂堂と豊かさと幸福を受け取る人にならなければならないのです。
権利は原因を所有することによって得ることができます。
他人を助けたという原因を所有しているのであれば、豊かさと幸福を得る権利を得たも同然なのです。
あなたは何の心配も無く他人を助けましょう。
間違えても、他人を糧(かて)にして自分だけが豊かになろうなどと考えてはなりません。
他人の幸福の権利を踏み潰す人が、幸福を得られると思いますか?
因果は巡り、やがては自分自身に返るのです。
間違えてはなりません。
あなたは自分自身が苦しい状況であろうとも、他人を助けようと努めるのです。
あなたにできる範囲で良いのです。
無理をする必要はありません。
あなたにできる手助けをするだけです。
あなたがどのような状況や状態であろうとも、他人のためにできる助けはあるのです。
それを惜しみなく施(ほどこ)さなければなりません。
あなたは善いことをしましょう。
人助けよりも優れたことはありません。
何をしても、それが人助けになっていないのであれば、それは立派な行いではないのです。
それが人助けであるのならば、何をしてもそれは立派な行いであるということを覚えておきましょう。
人助けをすると、良い気分を得ることができます。
あなたがそれをして気分を害するのであれば、それは人助けではありません。
人助けとは、例外なく良い気分になるものなのです。
人助けによって良い気分を得ることが大切なのです。
良い気分があなたに満足感をもたらします。
そして、あなたは助けた人に支えられます。
その内的、外的な善い働きこそが、充足感という豊かさや幸福を実現するのです。
相手のためになることは、例外なく自分のためにもなります。
他人のためにはなっても、自分のためにはならないというものは存在しないのです。
あなたは余計なことは考えなくても構いません。
ただ、人助けをしようとだけ考えていましょう。
難しいことなどいらないのです。
他人を助ける人は、他人から助けられ、人生に祝福されます。
ただ、それだけです。
あなたは常に他人を助けようと考えていましょう。
そうすれば、あなたは豊かで幸福な人生を得ることができるでしょう。