身体の欲によっては、あなたが豊かさを得ることはできないということを覚えておきましょう。
あなたが求めるべきは身体の欲する欲求ではありません。
肉体が欲を満たしても、あなたの人生が豊かなものになることはないのです。
あなたが満たさなければならない欲求は、精神が求める欲求であるということを覚えておきましょう。
身体が求める欲求は、表面的で低級な欲求であるということを覚えておきましょう。
それは、人の精神が低級であるために、身体がそのような欲求を受け入れなければならないということです。
低級な精神の持ち主の欲求は、低級な欲として現れます。
低級な精神は、低級な思考に至ります。
低級な思考は手っ取り早く欲求を満たそうと願うのです。
そして、最も簡単に欲求を満たすことができるのが身体が持つ欲求であるという訳です。
食欲、性欲、睡眠欲・・・
このように簡単に満たすことのできる欲求によって満足を得ようと考えるのです。
低級な精神の持ち主は、食欲に溺れます。
食欲に溺れて必要以上に飲み食いするのです。
そして、醜く太ります。
低級な精神の持ち主は、性欲に溺れます。
性欲に溺れて乱れた性を貪るのです。
そして、肉欲による裁きを受けます。
低級な精神の持ち主は睡眠欲に溺れます。
睡眠欲に溺れて必要以上に眠りを好みます。
そして、怠惰(たいだ)に生きて、時間と富とを無駄にするのです。
低級な精神は、低級な状況をもたらします。
それは、そのような観点からしか物事を見ることができず、そのような選択肢しか選ぶことができないからです。
低級な精神によっては、どうやっても豊かな人生を得ることはできないのです。
あなたは自らの精神の在り方に注意を払わなければならないのです。
あなたの精神の状態は、あなたの行動によって見て取れます。
あなたの欲求が何に向けられているのか?ということを知ることによって、精神がどのような状態であるのか?ということを認識することができるのです。
あなたの欲求が自分自身の身体に向けられているのであれば、あなたの精神は低級であると言えるでしょう。
あなたの欲求が利己的なものに止まらず、他人や社会に向けられているのであれば、あなたの精神は高級であるということが言えるのです。
ただし、自分自身の欲求を求めないのは嘘です。
人は誰でも自分自身を存在させる必要があります。
だから、自分自身に対する欲求をなくすのは間違った行為です。
わたしが言いたいのは、その欲求が自分自身のためだけに存在してはならないということなのです。
子どもは精神的に未熟です。
子どもは(基本的に)自分自身のことだけを考えています。
子どもは自分自身のことを中心に考えるように作られているのです。
そのため、子どもは自己中心的な考えに至るのが普通です。
経験を経て成長した大人は、精神的に熟しています。
大人は自分自身のことだけを考えるということはありません。
大人は自分自身とそれ以外とを同時に考えるように作られているのです。
そのため、精神的に優れた大人は利他的に存在するのが普通なのです。
子どもの人生は豊かではありません。
それは、自分自身で築いていくことができないからです。
大人は自分自身で人生を築いていくことができます。
それは、最高の豊かさであるのです。
精神が低級な人間は、どれだけ歳を重ねても自分自身の力で人生を築いていくことはできません。
子どもには、人生を自力によって築く権利は与えられないのです。
あなたは精神的な成長を欲しましょう。
あなたは精神的に成長しなければなりません。
食欲や性欲や睡眠欲に溺れてはなりません。
それ等に溺れないためには、高い志を持つ以外に方法はありません。
志を持つことによって、人は精神を成長させることができるのです。
志を持たない者が精神的な成長を得るはずがないのです。
志を持たない者は惨めに生き、惨めに死んでいきます。
これは脅しではありませんが、そのようになりたくなければ考えを改めることです。
低級な欲に満足していてはなりません。
誰かや何かのためにこそ、生きなければなりません。
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