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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年3月31日土曜日

必要な人生

人生には、それぞれの道が存在しています。
人は、誰かと同じ道を歩むことは出来ません。
人は、誰かと共に歩むことも出来ないのです。
あなたは、あなたの道を、あなた独りで歩まなければならないのです。
あなたは誰にも期待することは出来ません。
あなたは誰も、道連れにすることは出来ないのです。
独りで歩むことを決意しましょう。
あなたの道においては、誰にも頼ることは出来ません。
答えは、自分以外には知らないのです。
どのような人物も、あなたに答えを教えることは出来ません。
どのような人物も、あなたに行き先を教えることは出来ないのです。
答えは、自分独りで探しましょう。
しかしながら、人は未熟な存在です。
すべての人が無知であり、愚かであるということを理解しなければなりません。
この世界には、完璧な人はいません。
誰もが、未熟であり、無知であり、愚者(ぐしゃ)であるのです。
そのため、答えは探さなければならないのです。
残念ながら、あなたには正解を理解することが出来ません。
誰にも、正解を知ることは出来ないのです。
しかしながら、それで良いということを覚えておきましょう。
あなたは何を選んでも良いのです。
どのように歩もうとも構いません。
大切なのは、あなたが自分独りで考え、自分独りで決意し、自分独りで歩むことです。
自分の道を歩めば、それで良いのです。
多くの人は、他者に期待することによって、自力を失っています。
多くの人は、他者の道を羨(うらや)ましく思うことで、自分の道を見失います。
誰かを模倣(もほう)することは、一種の安心感をもたらします。
それは、連帯という状態を得ることによって、自己を正当化することが出来るからです。
これは、あなたの人生です。
あなたが自己を正当化したところで、すべての責任は自分自身が負わなければなりません。
誰かや何かに対して、責任転嫁(せきにんてんか)を行ったところで、責任を軽減することも、それを退(しりぞ)けることも出来ないのです。
これはあなたの人生であり、あれは他者の人生であるということを覚えておきましょう。
人生を混同してはなりません。
人生というものは、それぞれに別々のものなのです。
大切なのは、必要と不要を見極めることです。
あなたが人生を完成させるためには、必要を選択し、不要を選択しないように努める必要があります。
必要を選択することなく、不要を選択しているのであれば、人生の目的地に辿り着くことは出来ないのです。
必要を選択し、目的地へと向かって歩みを進めなければならないのです。
すべての人は未熟です。
そのため、認識は歪んでいます。
多くの人は、必要を不要と思い込み、不要を必要と思い込んでいるのです。
安易(あんい)に判断してはなりません。
あなたは、人生を深く考えなければならないのです。
自分にとって何が必要であり、何が不要であるのか?は、容易(ようい)に判断を下せるようなものではありません。
長い年月と経験によって、漸(ようや)く判断することの出来るものなのです。
多くの人は、感情によって判断します。
感情とは、一時の心の揺(ゆ)らぎに過ぎません。
それは、水面のように、外部的な刺激によって様々に変化している状態に過ぎないのです。
刺激が止めば、水面は力を失います。
感情による判断は、一時の力を与えますが、それが継続することはありません。
直ぐに諦めてしまうのであれば、目的地へと辿り着くことは出来ません。
大切なのは、継続する力に従うことです。
それは、あなたにとっての必要であるのです。
深く考えることによって、あなたは自分にとっての必要を知ることが出来るでしょう。
そして、継続することによって道を進むことが出来るのです。
感情に従い、安易に生きている人は、苦悩に満ちた人生を生きるでしょう。
理性に従って、深く考える人は、満足のいく人生を生きるでしょう。
自分の人生を生きることが重要です。
人生を比較する必要はありません。


あなたにとって、それが必要な人生であれば良いのです。

2018年3月30日金曜日

美しい器

人生というものは、自分に相応しく展開します。
人生の原因は自分自身です。
誰かや何かのために人生があるのではありません。
人生は、あなたのために存在しているのです。
あなたの成長を実現するための人生なのです。
これは、あなたの人生です。
あなたの人生は、あなたのために存在しているということを覚えておかなければなりません。
人生がどのように展開しようとも、それはあなたの責任です。
あなたは、自らの選択によって、人生を好きに決めることが出来るのです。
誰かや何かに決められるような人生は存在しません。
人生は、自分自身で決めるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生が、あなたを無視することはありません。
人生は、何があろうとも、あなたを尊重するのです。
人生が、主役であるあなたを無視して展開することはないのです。
人生は、あなたの意思で柔軟に変化することが出来るのです。
人生の原因が自分自身であるということを理解しなければなりません。
多くの人は、人生の原因が、誰かや何かであると思い込んでいます。
例えば、誰かのせいで自分は不幸なのだと思い込んでいます。
例えば、時代や社会や政治や家庭や環境などのせいで、自分は不幸なのだと思い込んでもいるのです。
残念ながら、あなたの人生は自分で選んだ当然の結果に過ぎません。
人生は、あなたの選択を確実に実現しているのです。
あなたの願いが、あなたに相応しい形とタイミングで実現しているということを理解しなければならないのです。
あなたが人生に不幸を覚えようとも、自らの願いを実現してくれているということに対して、寧(むし)ろ感謝の気持ちを抱いた方が賢明なのです。
人生が、あなたを忘れることはありません。
あなたの願い通りに、人生を展開させているのです。
美しい器には、美しい料理が飾られます。
誰も、美しい器に残飯を飾ることはありません。
残飯は、それに相応しい器に収めるのです。
美しい器には、それに相応しい美しい料理が盛り付けられるのです。
あなたはバケツに美しい料理を盛り付けようとはしないはずです。
料理には、それに相応しい器が必要であるのです。
器とは、あなたのことです。
料理とは、人生における状況のことなのです。
器に相応しい料理が運ばれます。
あなたに相応しい状況が導かれるのです。
この世界には、当然の結果しか存在しません。
バケツしか持っていなければ、あなたには残飯が与えられるのです。
美しい器を持っていれば、美しい料理が与えられるということを覚えておかなければなりません。
人生は、自分に相応しい形で展開します。
あなたが、美しい器を持っていれば、それに相応しい美しい料理を得られるでしょう。
あなたが、バケツを持っていれば、それに相応しい残飯が与えられるのです。
思考の美しい者には、幸福が与えられます。
しかしながら、思考の醜(みにく)い者には、不幸が与えられるのです。
幸福であるために、思考が美しいのではありません。
不幸であるために、思考が醜いのではないのです。
思考が美しいために幸福であり、思考が醜いために不幸なのです。
あなたが幸福を実感しているのであれば、自らの思考が美しいことに感謝しましょう。
あなたが不幸を実感しているのであれば、自らの思考が醜いことに気が付く必要があるのです。
人生というものは、自分に相応しく展開します。
現状に対して、あなたには思い当たるところがあるはずです。
あなたは器を磨き続けなければなりません。
熱心に取り組みましょう。
自分を磨くという作業は、人生においてとても重要な仕事です。
自分を蔑(さげす)んではなりません。
あなたは自分を大切にしましょう。


幸福な人生のために、美しい器でありましょう。

2018年3月29日木曜日

感情のフィルター

あなたは、人生を選択しなければなりません。
人生は、あなたの選択によって展開していくのです。
人生は、あなたが自分で築きます。
人生がどのようなものであるのかは、あなたの選択によって決まるのです。
あなたは、選ばなければなりません。
人生は、他の誰かや何かによって決められることはありません。
人生は、自分の選択によって決まるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、人生が誰かや何かに左右されていると考えています。
そのため、誰かや何かに対して不満や不安を抱えるようになるのです。
多くの人は、心に破滅的な感情を抱えています。
人生を判断するのは、あなたの心です。
心は、抱えている感情というフィルターを通して判断しているのです。
そのため、不満や不安などの破滅的な感情を抱えている人は、破滅的な選択をしてしまうのです。
残念ながら、抱えている感情以外の選択をすることは出来ません。
心に支配されているあなたは、抱えている感情以外の選択を思い付くこともありません。
あなたは自然と、抱えている感情に従って選択するのです。
それは、とても自然な動作であるために、自分の行為に気が付くことは出来ません。
多くの人は、自分の行為が正しいとさえ思うようになるのです。
あなたは、人生が選択であるということを覚えておきましょう。
そして、その選択は自分が心によって行っていることを覚えておかなければなりません。
しかし、心には、感情のフィルターが備え付けられていることを覚えておきましょう。
これ等のことを忘れてしまえば、人生がコントロールを失い、暴走してしまうのです。
人生は思い通りにはなりませんが、ある程度の制御は許されているのです。
それは、犬の首輪に紐(ひも)を結び付ける程度の制御です。
人生には、ある程度の制御が必要です。
何の考えも無く生きるのは最善ではありません。
取り敢(あ)えずは、心や感情から目を離してはならないのです。
現状の心が、どのような感情を抱えているのかを把握しておかなければなりません。
心は、感情に支配されています。
心は、人生の選択を行います。
そのため、あなたが人生を選択する時には、次の状況を選択する前に、自分の感情の選択が必要なのです。
人生は思い通りにはなりませんが、自分の感情は自分の思い通りにすることが出来ます。
あなたは、自分の感情を選択しなければなりません。
どのような状況においても、あなたは自分の感情を好きに選ぶことが出来ます。
誰の指図も受けることなく、あなたは自分の感情を選ぶことが出来るのです。
どのような気分でいるのか?というのが、人生の本質です。
例えば、良い気分でいれば、良い状況を選択することが出来ます。
良い気分は、建設的な感情のフィルターを心に備え付けます。
そのような心は、自然と人生を好転させるような選択を行うのです。
良い気分でいる人の人生は、豊かであるということを知らなければなりません。
しかしながら、多くの人は、悪い気分でいることを好みます。
悪い気分とは、破滅的な感情のフィルターを心に備え付けるということです。
そのような心は、自然と人生を停滞させるような選択を行うのです。
悪い気分でいる人の人生は、乏しいものであるということを知らなければならないのです。
人生を豊かにするために、特別なテクニックは必要ではありません。
特別な道具も場所も必要ではありません。
人生を豊かなものにするためには、良い気分でいるという状態だけが必要なのです。
人生には、それ以上に必要なものはありません。
あなたは、良い気分で過ごす必要性を覚えておきましょう。
導かれた状況を否定することは出来ません。
導かれたものは仕方ないのです。
しかしながら、導かれた状況に対して、どのような気分でいるか?という選択は許されています。
あなたは、感情のフィルターを選択することによって、人生を選択することが出来ます。
難しいことを考える必要はありません。
どのような状況に対しても、良い気分でいれば良いだけなのです。


それだけで、人生が豊かさを得るということを覚えておきましょう。

2018年3月28日水曜日

価値を発揮するための布石

すべての人は、人生に意味を以(もっ)て生まれました。
どのような人物にも、それに相応しい価値があるのです。
すべての人が自らの価値を発揮しなければなりません。
自らの価値を発揮するのであれば、人生の意味を成すことが出来るのです。
残念ながら、多くの人は自らの価値を発揮することが出来てはいません。
多くの人は、価値を隠しているのです。
そのため、人生の意味を成すことが出来ません。
多くの人は、人生に意味を見出すことが出来ないのです。
あなたは、人生が何か答えることが出来ますか?
あなたが生まれた意味は何でしょうか?
多くの人は、人生を考えることが出来ません。
多くの人は、立場や財産のことで頭が一杯なのです。
多くの人は、自らの考える有利な立場や多くの財産を得ることによって、幸福が得られると思い込んでいます。
しかしながら、有利な立場や多くの財産がもたらすのは一時の安楽に過ぎません。
有利な立場や多くの財産にも、満足することが出来ない日がやってくるのです。
どれだけの欲を満たしても乾きます。
あなたの人生の意味は、立場や財産を得ることではないのです。
そのような、表面的な目的のために生まれたのではありません。
あなたは、より本質的な目的のために生まれたのです。
人生の意味は、立場や財産を得たところで知ることは出来ません。
もちろん、立場や財産を得ることを否定したとしても知ることは出来ません。
立場や財産というものは、人生の意味を成すことには、何の関係もないのです。
立場や財産を得ても、それを得ることがなくても良いのです。
大切なのは、人生の意味を考えることです。
乾きは、立場や財産に関係なく襲います。
すべての人が乾くのです。
それは、人生の意味を成さないからです。
あなたの乾きを潤すのは、人生の意味だけなのです。
それ以外のものによっては、乾きが潤うことはないのです。
あなたは、人生の意味を探さなければなりません。
人生に対して、真摯(しんし)に向き合わなければならないのです。
人生は、あなたにあなたの価値を教えています。
人生は、あなたに自らの価値に気が付くように働き掛けているのです。
あなたがそれに気が付くかどうか?ということなのです。
あなたが価値を発揮するためには、役に立たなければなりません。
何かや誰かに対して貢献(こうけん)することによって、あなたは価値を発揮するのです。
役に立とうとすることが、あなたの価値を発揮させるための初動なのです。
目の前に導かれる状況は、あなたに相応しいものです。
目の前に導かれる状況は、あなたが役に立つための布石(ふせき)です。
どのような状況が導かれようとも、それを学ぶことによって、誰かや何かの役に立つ自分を築くことが出来るのです。
不幸を得たのであれば、それが自分の価値を発揮させるために必要な材料なのです。
幸福を得たとしても、それが自分の価値を発揮させるために必要な材料であることには変わりません。
多くの人は、人生の意味と自らの価値を見失っています。
それでは、人生は空しいのです。
人生の意味と、自らの価値に気が付き、それを満たさなければならないのです。
乾きを覚える人は、人生の意味と自らの価値を考えなければなりません。
誰かや何かに文句を吐いたとしても、人生に豊かさが導かれる訳ではありません。
悲観に暮れたとしても、人生が充実することも、楽しいこともないのです。
詰まらない目的のために生きてはなりません。
あなたの人生には意味があるのです。
表面的な価値を追うことをやめて、本質的な価値を追う生き方をしなければならないのです。
あなたが自らの価値を発揮させ、人生の意味を成すためには、誰かや何かの役に立つことを考え続けなければなりません。
立場や財産を追い求めている場合ではありません。
悲観に暮れている場合ではないのです。
感謝の気持ちを以て生きましょう。


すべての状況が、あなたの価値を発揮するために布石であるということを覚えておかなければなりません。

2018年3月27日火曜日

現状から幸福を目指す

生は、学びの時間です。
あなたは学ばなければなりません。
学びを放棄することも、放置することも出来ません。
学びは常にあなたの目の前に存在し、それは叫び続けているのです。
あなたには、常に学びが付き従います。
それを理解しなければならないのです。
多くの人は、学びを避けようとしています。
学びとは、苦しみのことです。
人は、未熟な存在です。
残念ながら、人は自分が苦しいと思うことからしか学ぶことが出来ません。
多くの人は気楽を求めていますが、それでは怠慢(たいまん)に陥(おちい)るだけであって、気付きを得ることは出来ないのです。
人が学ぶためには、深く考察する必要があります。
熟考しなければ、学びを得ることが出来ないのです。
気楽を求めることも悪いことではありません。
しかしながら、未熟なあなたには、学ばなければならないことがあるのです。
学びを避けている場合ではないのです。
すべての人が幸福を求めています。
すべての人が、人生に豊かさを欲しているのです。
人が幸福を得て、人生に豊かさを実現するためには、成長する以外には方法がありません。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因に相応しい結果のみが実現するのです。
原因が存在しなければ、結果も存在しません。
人生の原因は、自分自身です。
あなたが幸福や豊かさに相応しいことが必要なのです。
あなたは、自分が幸福や豊かさに相応しいと思いますか?
自分自身を内省してみましょう。
そうすれば、心の中には不安や心配、不満や傲慢(ごうまん)などの利己的な考え方が渦巻いていることに気が付くでしょう。
人生は、自分に相応しく展開します。
心の中に利己的な考え方が渦巻いているような者には、それに相応しい状況が実現するのです。
それは決して、満足の出来るような状況ではありません。
そのため、多くの人は人生に乏しさを感じながら暮らしているのです。
どのような現状であれ、それはあなたに相応しい結果です。
あなたが自分でそのような現状を選んだのです。
現状を否定するのであれば、自分自身を否定することになります。
それでは、成長することは出来ません。
現状を把握することも出来ないのに、それ以上に成長することなど出来るはずがないのです。
あなたは、現状を否定してはなりません。
現状というものは、自分自身を把握するための大切な学びなのです。
学びを否定するものではないのです。
現状とは、今のあなたにとっての最善の学びです。
あなたが見詰めなければならないのは、楽しかった過去でも、希望を抱ける未来でもありません。
現状というのは苦しいものです。
人は、現状という苦しみを避けます。
そして、過去や未来を生きようとしているのです。
残念ながら、過去も未来も存在しません。
あなたは、過去と未来に生きることは出来ないのです。
あなたが生きることが出来るのは、現状という今だけなのです。
あなたは現状を生きる以外に方法はないのです。
現状がどのようなものであろうとも、そこから幸福を目指すしかありません。
現状がどのようなものであろうとも、そこから豊かさを目指して歩むしか方法はないのです。
過去や未来は諦めましょう。
今のあなたには、それは重荷となるだけです。
目の前の現状は苦しいものですが、それを懸命に生きなければならないのです。
人生が学びの時間であるということを忘れてはなりません。
現状に感謝して、それを楽しみましょう。
現状こそが、あなたに幸福や豊かさを実現する方法を示しています。


現状にしっかりと向き合わなければなりません。

2018年3月26日月曜日

苦しみの場所

人生とは、苦しみの場所です。
すべての人は、人生に苦しまなければなりません。
誰も、苦しみを避けることは出来ません。
すべての人生において、苦しむのが自然なのです。
多くの人は苦しみを嫌います。
多くの人は、苦しみを避けるように生きているのです。
人生においては、わざわざ苦しむ必要はありませんが、避けることの出来ない苦しみがあるということを理解し、それと対峙しなければならない場合が多いのです。
人生の目的は成長です。
すべての人は、すべての人生において、成長することを目的としています。
成長のためには、苦しみの助けが必要です。
残念ながら、苦しみを通過せずに成長を実現することは出来ないのです。
人は、苦しみを避けて成長することが出来る程、上等な存在ではないのです。
すべての人が未熟です。
この世界においては、完全な人物など存在しないのです。
不完全であるが故(ゆえ)に、この世界に生まれ落ちたのです。
多くの人は、そのことを忘れています。
多くの人は、いつの間にかに自分が正しいと思い込むようになるのです。
多くの人は、自分を正当化するようになります。
多くの人は、自分を正当化することによって、苦しみを避けようとしているのです。
自分を正当化することによって、人は本質を見失います。
未熟な自分を正しく見ることによって、視界を歪めているのです。
そのため、多くの人は本質を見失った状態で生きているのです。
多くの人にとって、人生は謎です。
多くの人は、自分を正当化し、苦しみから逃れる方法を企(くわだ)てることに尽力し、人生について考えることを放棄しているのです。
多くの人にとっての人生とは、苦しみから逃れるためのものに過ぎません。
如何(いか)に苦しみを避けて生きるか?ということが、多くの人にとっての優先事項なのです。
そのため、成長は速度を遅くします。
人生とは苦しみです。
苦しみから逃げるということは、人生の本質を見極めることが出来ないということでもあるのです。
そのため、多くの人は、人生というものを理解することが出来ません。
人生を理解することが出来ずに、愚行(ぐこう)を選択してしまうのです。
あなたは、何のために人生を生きているのですか?
深く考えなければなりません。
考え続けなければならないのです。
多くの人は苦しみを嫌い、それを避けますが、苦しみというのは、生きている時にしか味わうことが出来ないものなのです。
苦しみは、肉体を通じてのみ導かれる特殊な感情です。
苦しみというのは、人生に限られたものなのです。
あなたは、この人生においてのみ、苦しむことが出来るのです。
多くの人は苦しみの大切さ、素晴らしさを理解しません。
苦しめることの重要性に気が付いてはいないのです。
あなたが成長するために苦しみが存在します。
苦しみを避けるのであれば、同時に成長を避けることにもなるのです。
人生における苦しみは、人生に限られた感情です。
それは、大切な学びであるということを理解しなければならないのです。
多くの人は苦しみを嫌いますが、あなたが成長を必要とするのであれば、それを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
あなたは、苦しむために生まれたのです。
苦しみによって、未熟さを克服し、成長するための人生なのです。
人生は苦しいのが自然です。
目の前に苦しみが導かれている時、それを安易に拒絶してはなりません。
この世界においては、どのようなものにも意味があります。
そして、どのようなものにも価値があるのです。
もちろん、苦しみにも重要な意味があり、大切な価値があるのです。
苦しみに対して苦しんではなりません。
それが歪んだものの見方であるということに気が付かなければなりません。
あなたの中の当たり前は、当たり前ではありません。
あなたの中の正しいは、正しくはないのです。
それは、あなたが未熟であり、歪んでいるからに他なりません。
自分自身を容易に信用してはなりません。
残念ながら、自分自身は未熟なのです。
容易に信用することは出来ません。
あなたが未熟である以上、苦しみは避けられません。
それは、当然の結果であり、信用に価(あたい)します。
人生を都合の良い場所と考えてはなりません。
人生は普通、あなたにとって都合の悪い場所なのです。
避けることの出来ない苦しみを楽しみましょう。
生きている時にしか、苦しみを楽しむことは出来ません。
人は必ず死を迎えます。
そうなれば、苦しむことは出来ないのです。
苦しみは成長を助けます。
それを知っているために、人は人生に生まれるのです。


生きている時にしか味わうことの出来ない苦しみを楽しみましょう。

2018年3月25日日曜日

人は改められる

人生は、思い通りには展開しません。
多くの人は、それを嫌います。
しかしながら、それで良いのです。
人生は、思い通りに展開しないことが自然です。
それは、あなたが未熟であるからです。
未熟な者の思いが通ることはありません。
それは、未熟な者の思いは歪んでいるからです。
未熟な者の思いが通れば、人生には多くの問題が生じることになるのです。
人生が、あなたを不幸にすることはありません。
人生は、あなたの幸福を願っているのです。
そのため、人生が思い通りに展開することがなくても、それであなたが不幸を得ることはないのです。
人生が思い通りに展開することがなくても、あなたは幸福を得ることが出来るのです。
それが、自然なのです。
人生に不幸を感じているのであれば、それは、あなたが不自然な生き方をしているからです。
自然な生き方をしているのであれば、人生は幸福を得ているのです。
人生の幸福に、思い通りの展開は必要ではありません。
寧(むし)ろ、無理に思い通りの展開を求めることが、不幸を招いてしまうのです。
望みがすべて叶えば、あなたは幸福を得られるのでしょうか?
人生が思い通りに展開することが、本当に幸福だと思いますか?
望みが叶わず、人生が思い通りに展開しないことが、本当に不幸だと思いますか?
あなたは、深く考えてみなければならないのです。
あなたはこれまでに、人生が無駄や無意味なことを導いたことがあると思いますか?
振り返って考えてみましょう。
どのような問題や苦しみも、後になれば、それによって多くの気付きを得たことを理解することが出来るはずです。
無駄や無意味に思えることは、無駄や無意味に思っているだけであり、その価値や意味に気が付いていないだけなのです。
心臓を動かしている力が働いているのがこの世界です。
心臓を動かすことの出来る力が働いているこの世界の価値や意味を、あなたに見極めることが出来ると思いますか?
そのような世界に、本当に無駄や無意味が存在していると思いますか?
あなたには、知らないことの方が多いのです。
信じられないことの方が多いということを理解する必要があるのです。
あなたは、人生が思い通りに展開するなどと考えてはなりません。
人生は、あなたの思い通りには展開しません。
人の道は整えられるのです。
あなたは、人生によって整えられるということを覚えておきましょう。
あなたを整えるために、人生は困難を準備します。
未熟であるあなたは、必ず困難に向き合わなければなりません。
この世界においては、歪んだものは真っ直ぐにされるのです。
人生の目的は成長です。
あなたが成長するためには、歪んだ状態を整える必要があるのです。
歪みを正すことが成長なのです。
改めるまでは、困難を手放すことは出来ません。
それは、困難があなたのために導かれているからです。
あなたを苦しめ、不幸にするための困難ではありません。
あなたを整え、幸福を得させるための困難なのです。
人生を誤解してはなりません。
思い通りに展開しない方が良いのです。
未熟なあなたの思い通りに人生が展開するのであれば、多くの苦しみを周囲に撒き散らすことになるでしょう。
それは、あなたの求めている結果とは、異なる結果なのです。
多くの人は、自分が歪んでいることを知りません。
歪んでいれば、幸福を求めて不幸を得ることになるのです。
思い通りにならない人生に対して、多くの人は不幸を感じます。
あなたは歪んでいます。
思い通りにならない人生を歓迎(かんげい)する時には、幸福という結果を得ることが出来るのです。
歪んでいる未熟な人間は、要求とは反対の結果を得るということを覚えておかなければなりません。
あなたが幸福を必要としているのであれば、思い通りに展開しない人生を嫌ってはなりません。
あなたの思い通りに展開しない方が良い結果が導かれるのです。
人生を信用しましょう。
人生は、信用に価(あたい)する存在です。
人生を嫌ってはなりません。
人生は、あなたに幸福を得させるために、思い通りにならない展開を導いているだけなのです。
自分自身の生き方を改めましょう。
改めるまでは、困難は去りはしません。
そのことを覚えておきましょう。



2018年3月24日土曜日

曇った心

人生を豊かなものにするためには、本質を見極めなければなりません。
豊かさとは、本質にこそ存在しています。
本質を見極めることがなければ、豊かさには気が付くことが出来ないのです。
すべての人が、人生に豊かさを望んでいます。
しかしながら、多くの人は、本質を見極めることには興味がありません。
多くの人は、本質を見極めることなく、豊かさを得られると思い込んでいるのです。
残念ながら、本質を見極めることは簡単ではありません。
”普通”に過ごしているだけであれば、本質を見極めることは出来ません。
本質を見極めるためには、”視点”を変える必要があるのです。
日常的な視点の中には、本質は存在しません。
”普通”の価値観によっては、本質に触れることは出来ないのです。
多くの人が、豊かさを望みながらも、乏しさを感じています。
本質に触れているのであれば、人生には豊かさが導かれているはずなのです。
人生に豊かさを感じていないというのであれば、本質には触れられていないということなのです。
本質に触れるためには、本質を見極めなければなりません。
乏しさを得ている現状の価値観であっては、本質を見極めることも、それに触れることも出来ません。
そのような生き方を続けていたとしても、人生の豊かさを望むことは出来ないのです。
人生に乏しさを感じている者は、”視点”を変えない限りは、人生は乏しいままなのです。
多くの人は、”奇跡”や偶然、時間の経過や誰かの力によって、人生が変わると思い込んでいます。
はっきりと言っておきますが、そのような方法で人生が変わることはありません。
どこで、誰と、何をしても、人生が変わることはないのです。
それは、人生の原因が自分自身であるからです。
自分以外の何に頼ったところで、人生が変わることはないのです。
人生を変えるためには、自分自身を変える必要があるということなのです。
人生を豊かに変えるためには、”視点”を本質へと向けなければならないのです。
あなたは”視点”を変えなければなりません。
”視点”とは、価値観のことです。
価値観とは、体系化された認識です。
”視点”を変えるということは、認識を変えるということなのです。
認識を変えるのであれば、人生は変わるということを覚えておきましょう。
人生は、単純な方法によって変えることが出来ます。
しかしながら、それを実現することは簡単ではないのです。
それは、あなたが価値観を変えることに価値を見出すことがないからです。
多くの人は、現状を維持したがります。
多くの人は、現状という”ある種の”安定に気を許しているからです。
それが、どのような現状であろうとも、それを変えるためには、ある種の安定な状態を手放し、不安定な状態を受け入れなければなりません。
多くの人にとっては、それは恐ろしいことなのです。
多くの人は、それがどのような現状であろうとも、安定していることが良いと考えているのです。
一歩を踏み出すよりも、その場に立ち竦(すく)んでいる方が良いと思っているのです。
どのような選択を下したとしても、それは、あなたの自由です。
どのように生きたとしても構いません。
しかしながら、豊かさを得るためには、本質を見極め、それに触れる必要があるのです。
本質を見極めることが出来ず、それに触れることが出来ない状態では、乏しさを得ることになります。
豊かさを得るためには、そのような現状から抜け出すための一歩を踏み出さなければならないのです。
それは、現状の安定を手放し、不安定を得るということなのです。
豊かさを得るためには、変化を選択する以外に方法はありません。
乏しい現状から抜け出すためには、変化を選択する以外にはないのです。
多くの人は、安定が豊かさを導いてくれると誤解しています。
残念ながら、安定が導くのは乏しさなのです。
現状を維持したいのは、不満や不安を抱えているからです。
不満や不安によって心を曇らせているために、安定が豊かさを導くという誤解を信じることになるのです。
心が曇れば認識は歪みます。
心が曇れば、見ていても見えず、聞いていても聞こえず、触れていても触れられず、語っても語ることが出来ず、得ても得られず、与えても与えられず、喜んでも喜べないのです。
心が曇っている人が、人生を豊かに生きることは出来ません。
あなたは心を磨かなければなりません。
心を磨く行為は、心に不安定さを導きます。
曇ったガラスを磨く時には、ガラスは揺れるものです。
不安定さが心を磨きます。
不安定を恐れてはなりません。
視点を変えなければなりません。
いつまでも、同じ価値観では通用しないのです。
あなたは、人生の要求に対して、柔軟に対応しなければなりません。




2018年3月23日金曜日

本物の役割

人は、それぞれに役割を与えられています。
すべての人は、自分の役割を与えられて生まれたのです。
誰もが、自分の役割を果たさなければなりません。
それは、自分の役割を果たすことが、人生に豊かさを導く唯一の方法だからです。
あなたの役割は、あなたにしか果たすことが出来ません。
あなたに与えられた役割は、あなたにしか与えられてはいないのです。
同じように、他者に与えられた役割をあなたが果たすことは出来ません。
人は、自分の役割だけを担っているのです。
しかしながら、自分の役割に対しての選択は自由です。
あなたは、自分の役割に対して、自由な態度を示すことが出来るのです。
多くの人は、自分の役割に対して懸命な態度を示しません。
多くの人は、自分の役割を否定し、他者の役割に憧れているのです。
多くの人は、自分の仕事を疎(おろそ)かにして、他の仕事に労力を費やしているのです。
多くの人は、自分の役割を果たすことなく、人生に豊かさを導こうとしているのです。
残念ながら、自分の役割を蔑(ないがし)ろにする者には、人生を豊かに生きる資格は与えられません。
責任を果たさない者が、豊かさを得ることなど出来ないのです。
あなたの人生における責任は、自分の役割を果たすことです。
自分の役割とは、自分にしか出来ないことなのです。
多くの人は、自分にしか出来ないことを蔑ろにしています。
多くの人は、自分にしか出来ないことを知らないのです。
自分にしか出来ないことは、自分にしか知ることが出来ません。
他の誰に聞いたとしても、それを教えることは出来ないのです。
この人生におけるあなたの役割は、自分に聞く以外に方法はありません。
多くの人は、外ばかりを気にしています。
多くの人は、他者を気に掛けているのです。
内を気にしている人は多くありません。
自分を気に掛けている人は少ないのです。
そのため、自分の仕事ではない仕事に差し出るのです。
自分の役割でない役割を、上手にこなすことの出来る人はいません。
贋物(にせもの)が、本物に勝ることはないのです。
すべての人が、自分の役割に従えば本物です。
それは、最高の価値を持つのです。
しかしながら、多くの人が最高の価値を手放し、価値の乏しい贋物として生きようとしているのです。
贋物として生きたところで、人生に豊かさを導くことは出来ません。
贋物として生きることは空しいのです。
あなたが空しさを感じたり、人生を乏しいと思うのであれば、自分が贋物として生きていることを理解しましょう。
すべての人に、豊かさを得る権利があります。
それは、すべての人が自分の役割を与えられているからです。
人生を豊かにするのは難しいことではありません。
自分の役割を果たせば良いだけなのです。
そのためには、自分のことを大切にしなければなりません。
自分のことを大切にすることの出来る者だけが、自分の役割を理解し、それを果たすことが出来るのです。
自分のことを大切にすることの出来ない者には、自分を理解することは出来ません。
誰かに憧れている場合ではありません。
誰かを羨(うらや)んでいる場合ではないのです。
あなたは自分の仕事をしなければなりません。
それが、自分の理想とは大きく隔(へだ)たっていたとしてもです。
人生は思い通りにはいきません。
それは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
あなたには、必要を理解する力がないのです。
理想を追い求めるような生き方を繰り返してはなりません。
必要を追い求めましょう。
そうすれば、あなたは自分の役割に寄り添うことが出来るでしょう。
あなたの道は、一つです。
それを外れてはなりません。
あなたは、自分であることに価値があると理解しましょう。
人には、それぞれに役割が与えられています。


本物の役割を果たしましょう。

2018年3月22日木曜日

難しい人生と簡単な人生

人生には、それぞれの目的があります。
人には、それぞれの目的があるのです。
あなたにはあなただけの目的があり、他者には他者だけの目的があるのです。
あなたは、自分に与えられた目的を果たさなければなりません。
なぜなら、自分に与えられた目的を果たすことが、人生の豊かさを導くからです。
人生の目的を果たすことなく、人生の豊かさを得ることは出来ません。
この世界のすべてに意味があるように、あなたの人生にも大切な意味があるのです。
そして、あなたの人生には素晴らしい価値があるのです。
しかしながら、あなたの人生の価値は、埃(ほこり)を被っているような状態にあります。
そのままでは、価値を発揮しないのです。
そのままでも価値が消滅するということはありませんが、価値が高まることはないのです。
価値が低いというのは、豊かさに乏しいということです。
豊かさに乏しい人生とは、空しい人生のことなのです。
多くの人は、人生に空しさを覚えます。
普段は、それを問題や苦悩によって覆い隠しているのです。
雨の切れ目のように、問題や苦悩がその勢いを弱める時には、空しさが襲うのです。
それは、人生が価値を発揮していないからです。
人生が価値を発揮するためには、覆われている埃を払い除け、輝きを現さなければならないのです。
多くの人は、人生の価値を発揮してはいません。
多くの人の人生は、埃で覆われているのです。
人生の輝きを奪うことは簡単です。
それは、やりたくないことをやれば良いだけです。
掃除をしなければ、自然と汚れていくものなのです。
怠慢(たいまん)でずぼらな者は、人生を放置します。
多くの人は怠慢です。
様々な言い訳を用いることによって、人生と向き合うことをしません。
”人生とは、何ですか?”
”何のために生まれ、何のために生きて、何のために死ぬのですか?”
どのような生き方をして、どのようなものを得ようとも、人生が何であるのかを知らなければ、その人生の価値は乏しいのです。
大切なのは、人生と向き合うことです。
”人生とは何か?”という根源的な問いを行うのです。
その問い掛けによって、あなたの人生は磨かれていくでしょう。
何のために生まれ、何のために生きて、何のために死ぬのか?ということを自分自身に問い続けることによって、自分の人生の目的を”思い出す”ことが出来るでしょう。
あなたはこの人生において、何をしたいのですか?
あなたには、やりたいことがあるはずです。
人生においては、やりたいことをやれば良いのです。
やりたいことをやった方が人生の豊かさは簡単です。
しかしながら、多くの人はそのことを理解しません。
そのため、やりたくないことをやっているのです。
多くの人は、やりたくもないことを、不満や嫌悪を隠しながら続けています。
多くの人は、やりたくもないことを、生活や家族や誰かのためと考えて続けています。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を大切にしなければならないのです。
自分のやりたいことをすることこそが、人生を大切にすることなのです。
それは、自分のやりたいことこそが、人生の目的であるからです。
自分の人生を放置してはなりません。
やりたいことをすることによって、あなたは自分の人生を磨くことが出来るのです。
しかしながら、やりたくないことをすれば、自分の人生を放置して、他のことに尽力しているということになるのです。
多くの人は、やりたいことをするのは難しいと考えています。
しかしながら、本当にそうでしょうか?
あなたがやりたいと思うことは、あなたの人生の目的なのです。
あなたは目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、目的を果たすために様々な準備をしているのです。
あなたがやりたいことを通じて、人生の目的を果たす準備は整っています。
しかしながら、やりたいことをせずに、やりたくないことをしているのです。
それは、材料と道具を準備していながら、方法が分からないために、別の何かを一から始めるということと同じなのです。
それが難しいということは理解することが出来るでしょう。
材料と道具を準備するのは大変です。
方法が分からなければ、材料と道具に触れ、それを磨いてみれば良いのです。
材料と道具に触れていれば、それを扱う方法を知ることも出来るようになるのです。
人生に豊かさを実現するためには、やりたくないことをするよりも、やりたいことをする方が簡単です。
それは、材料や道具は既に準備されているからです。
人生の豊かさにとっては、やりたくないことをするのは難しく、やりたいことをするのは簡単なのです。
残念ながら、自分のやりたくないことで豊かさも実現させることは難しいのです。
自分のやりたいことをすることで豊かさを実現させることは簡単なのです。
あなたが、人生に豊かさを求めているのであれば、やりたくないことを続けることではなく、やりたいことを始めましょう。
やりたいことをする人生は簡単で気楽です。
しかしながら、やりたくないことをする人生は難しく、苦労が絶えません。
どのような生き方も許されます。
あなたは、自分の意思で自由に生きることが出来ます。
どう生きるべきかを考えましょう。



2018年3月21日水曜日

何かを達成するための努力

すべての人は幸福を求めています。
幸福を得るためには、人生に豊かさが必要です。
あなたが幸福を求めているのであれば、人生を豊かなものにしなければならないのです。
人生を豊かなものにするためには、人生の目的を果たす必要があります。
目的はそれぞれに異なりますが、それを果たす必要があることは共通しています。
目的を果たすためには、目的を果たすことの出来る自分でなければなりません。
目的に対して力不足であれば、それを果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすために、特別な力や方法は必要ありません。
それは、人生の目的を果たすことは、あなたにとって自然のことであるからです。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
そのため、目的を果たすための力も予(あらかじ)め備わっているということなのです。
何かを築くためには、材料と道具と方法が必要です。
それ等の条件を満たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたに求められるのは、人生の目的を果たすための条件を整えることです。
その条件とは、本来備わっている力を発揮し、活用することなのです。
人生の目的を果たし、豊かさを実現し、幸福を得ている人というのは、自らに備わっている力を発揮し、活用した人なのです。
自らに備わっている力を発揮することもなく、それを活用することも出来ない人は、目的を果たすことは出来ません。
そのような人は豊かさを実現することも、幸福を得ることも出来ないのです。
あなたは、目的を果たすことなく、幸福を得ることが出来ますか?
そこには、心残りが生じるのです。
目的を果たすことがなければ、幸福を得ることは出来ないのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、目的を果たす必要があるということを理解するべきなのです。
多くの人は、言い訳に力を浪費しています。
自分が幸福でないのは、誰かや何かのせいだと自分に言い聞かせているのです。
多くの人は、自分の未熟さを受け入れたくはないのです。
多くの人は、自己を正当化することによって、自らの未熟さに顔を背けているのです。
多くの人は、幸福な人を見ては、その才能を羨(うらや)みます。
そして、自らの愚鈍(ぐどん)な才能を恨(うら)むのです。
多くの人は、幸福な人を特別視しています。
幸福な人が幸福を得たのは、生まれ持った特別な才能のおかげだと思い込んでいるのです。
多くの人は、誰かを特別視することによって、自分自身を蔑(さげす)みます。
その結果、自らに備わっている力を発揮することが出来ないのです。
残念ながら、特別な才能を持って生まれる人はいません。
人が生まれ持つのは、自らの人生の目的を果たすために必要な条件だけなのです。
目的がそれぞれに異なるために、必要な条件もそれぞれに異なります。
それぞれに異なった条件を比較しては、相手を羨み、自分を卑下(ひげ)しているのです。
残念ながら、何の努力もなく、人生の目的を果たすことの出来る人はいません。
生まれ持った才能というものは存在しないのです。
何の努力もせずに、人生の目的を果たすことなど出来ないのです。
何の目的意識もなく、食って寝るだけの生活で幸福を得ることが出来るでしょうか?
そのような人が、人生の目的を果たすことが出来ると思いますか?
大切なのは、努力を続けることです。
何に対した努力でも良いのです。
努力によって何かを達成することが重要なのです。
生まれ持った条件は、人によって異なります。
そのため、あなたが何に対して努力を続けるかは、自分自身で決めなければなりません。
他者に意見を求める必要はありません。
他者に意見を求める必要はないのです。
残念ながら、生まれ持った条件は、思い通りのものとは限りません。
大抵の場合が、思い通りにはならないことなのです。
すべての人には分際というものが与えらえています。
それを見極めなければなりません。
才能のことを気にする必要はありません。
条件のことを気にしていましょう。
そうすれば、見当違いの努力を避けることも出来るでしょう。
人生の目的を明確に理解している人はいません。
そのため、あなたは何かを達成するための努力を続ける必要があるのです。
何かを一つ一つ達成していけば、人生の目的を理解する可能性が高まるのです。
目的意識を持って生きましょう。
そして、目的を実現するための努力を続けましょう。
そうすれば、自らに備わった力を発揮し、それを活用することが出来るでしょう。



2018年3月20日火曜日

本当の願い

これは、あなたの人生です。
あなたの人生は、あなたに相応しく展開します。
あなたの人生を築いているのはあなたです。
すべての人生は、自分自身の選択によって築かれているのです。
誰かや何かが、あなたの代わりに人生を築くことは出来ません。
導かれるすべての状況が、自分自身の選択によるものであると理解しなければならないのです。
人生は、あなたに相応しい形を成します。
あなたに関係なく、人生が展開することはないのです。
そのため、あなたは人生を他人事のように考えてはなりません。
誰かや何かによって人生が左右されると思い込み、不満や不安に陥(おちい)ってはならないのです。
人生は、常に自分自身の選択によって展開しているのです。
そのことを忘れてはなりません。
あなたの考え方や生き方が人生を決定付けます。
人生が、あなたを無視することはありません。
人生は、常にあなたの願いを叶えているのです。
あなたには、そのことを理解することが出来ないかも知れません。
目の前の問題や苦しみが、自分の願いであるとは思えないでしょう。
なぜなら、多くの人は、自分の願いは幸福であり、豊かさであると考えているからです。
目の前に幸福や豊かさが導かれているのであれば、願いは幸福と豊かさであるということです。
しかしながら、目の前に問題や苦しみが導かれているというのであれば、願いは問題や苦しみであるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、自分のことを知りません。
多くの人は、自分が何を考えているのか?何を思っているのか?を知らないのです。
そのため、多くの人は、自分の思いと人生に大きな違いが生じているのです。
多くの人は幸福を求め、不幸を得ています。
多くの人は、豊かさを求めて乏しさを得ているのです。
多くの人は矛盾を抱えています。
自分の考えと現状が矛盾しているのです。
それは、自分の考えや思いを把握してはいないということを意味しているのです。
あなたは幸福や豊かさを求めていますか?
実際にはどうでしょうか?
幸福や豊かさを実感することが出来ているでしょうか?
人は、矛盾を抱えているのが”普通”です。
それは、人が自分の考えや思いを誤解しているというのが”普通”ということなのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
そして、誰かが間違っていると思い込んでいるのです。
自分が間違っていて、誰かが正しいと思い込んでいる人もいるでしょう。
どちらの考えも正しいものですが、どちらの考えも間違っています。
大切なのは、偏(かたよ)らないことなのです。
多くの人は偏見と誤解に従って生きています。
多くの人は、偏見と誤解を育て続けているのです。
それは、強く絡(から)まることによって、縄のようになるのです。
藁(わら)は弱い植物です。
しかしながら、それを編(あ)めば強い縄となるのです。
小さな偏見や誤解も、それを縒(よ)り合わせるのであれば、引きちぎることも出来ないような縄となるのです。
弱い藁であっても、縄となることによって大きな岩を運ぶことが出来るのです。
小さな偏見と誤解を積み重ねることによって、容易には引きちぎることの出来ない信仰を形成するのです。
人は、自分の信じた人生を生きるのです。
人生には、自分が信じていることが実現します。
人生に乏しさが実現しているのであれば、乏しさを信じているのです。
多くの人は豊かさを求めながら、乏しさを信じているということなのです。
人生とは、常々自分が考えていることがそのまま形を成したものなのです。
人生には、あなたの信仰が現れます。
現状に不満を抱いているのであれば、その信仰を手放しましょう。
同じことを信じ続けているのであれば、結果は変わらないのです。
現状を変えるためには、信仰を変える以外に方法はありません。
これは、あなたの人生です。
あなたが何を信じるかによって変化するものなのです。
偏見と誤解によって編まれた価値観(信仰)を手放すことは簡単なことではありませんが、価値観を変えなければ、人生が変わることもありません。
どうするかは自分次第です。
何を信じるべきなのかは、自分自身で決めましょう。
自分の本当の願いに気が付きましょう。



2018年3月19日月曜日

志を果たす

すべての人は人生を完成させなければなりません。
人生の完成とは、目的を果たすことです。
目的とは、志(こころざし)のことなのです。
すべての人が目的を以(もっ)て人生に生まれます。
それは、すべての人が志を持っているということなのです。
すべての人が志を果たさなければなりません。
あなたも、志を果たさなければならないのです。
しかしながら、多くの人は志を果たすためには生きていません。
それは、志を見失っているからです。
多くの人は志を見失い、欲望や恐怖や怠慢(たいまん)などの感情に従って生きています。
多くの人は、妥協(だきょう)することによって生きています。
それは、物事を円滑(えんかつ)に進めるためには大切なことのように思えます。
しかしながら、これはあなたの人生です。
あなたは、自らの人生を完成させなければならないのです。
あなたは、目的を果たすために、志を果たさなければならないのです。
志を果たすためには、自らの志に固執(こしゅう)しなければならないのです。
志を諦める者には、それを果たすことが出来ません。
あなたは、強い決意によって、自らの人生に挑戦しなければならないのです。
多くの人は、流されながら生きています。
欲望や恐怖や怠慢を前にすると、志を保つことが出来ないのです。
それは、感情に従う方が楽だからです。
人は、弱さを抱えています。
弱さは、楽を求めているのです。
多くの人が志を果たすことが出来ません。
それは、弱さに従っているからです。
弱さに従い、楽を選ぶのであれば、志を果たすことは出来ないのです。
人生を豊かなものにするためには、志を果たす必要があります。
それは、志が人生の目的であるからです。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、自らの志に固執しなければならないのです。
一度決めたことを、安易に覆(くつがえ)してはなりません。
自己中心的な考えに陥(おちい)ってはなりませんが、誰かや何かのために、志を果たすという強い決意を持たなければならないのです。
決意を保たなければなりません。
人生は、決して思い通りにはなりません。
人生は、思い通りにならないのが自然なのです。
そのため、あなたが志を果たすことは簡単なことではありません。
大抵の場合、志は挫(くじ)かれるものなのです。
あなたは必ず失敗します。
あなたは、必ず挫折するのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
大切なのは、失敗しても挑戦し続けるということです。
何度でも挑戦するのです。
失敗するのが自然です。
そのことを理解していれば、挑戦し続けることも苦にはなりません。
人生には、あなたの志を諦めさせるための問題や壁が立ちはだかります。
それで諦めるのであれば、志を果たすことは出来ません。
人生は、あなたの決意を試します。
あなたが、自らの人生の目的を果たすに相応しいかを見極めているのです。
人生の目的を果たすに相応しくないと判断されるのであれば、あなたは苦悩と乏しさを得なければならないのです。
それは、仕方のないことなのです。
役に立たないものには、幸福も豊かさも導かれはしないのです。
あなたが何かに役立つためには、志を果たさなければならないのです。
何事も、簡単に諦めてはなりません。
あなたは、自分が決めたことを、簡単に放棄してはなりません。
誰が何と言おうとも、決意を手放してはなりません。
これは、あなたの人生です。
どのように生きるかはあなたが決めることが出来るのです。
失敗を繰り返したとしても、決意を手放してはなりません。
志を簡単に諦めてはなりません。


自己中心的な考えに陥らないように注意しながら、志に固執しましょう。

2018年3月18日日曜日

人生の歩み方

多くの人は人生に迷います。
多くの人は、人生に戸惑っているのです。
それは、人生の歩み方を知らないためです。
多くの人は、人生の歩み方を知りません。
多くの人は、暗中模索(あんちゅうもさく)しながら、人生を生きているのです。
多くの人は、人生に乏しさを感じています。
多くの人は、人生に空しさを覚えているのです。
自分が何をして良いかを分からず、どのように生きて良いかも分からないのです。
そのため、多くの人が間違った方法によって人生を歩んでいます。
間違った方法で歩むことは、道を失うことでもあります。
崩れる足場に踏み出せば、そのまま深い穴に落ち込んでしまうのです。
人生を豊かに生きるために必要なのは、人生の歩み方を知ることです。
人生の歩み方を知らなければ、人は人生に迷い続けなければならないのです。
それでは、人生は乏しいままなのです。
しかしながら、あなたには正解が分かりません。
誰も、あなたの人生の正解を知る人はいないのです。
そのため、あなたは人生の歩み方を探し続けなければなりません。
探し続ける中で、自ずから見付ける必要があるのです。
人生の歩み方を知っているのは、あなたの内に存在する心です。
心は、あなたの人生の目的を知っているのです。
あなたが人生の歩み方を知るためには、心に問わなければならないのです。
人生の歩み方を必要とするのであれば、自らの心に問い掛けましょう。
そうすれば、心はあなたに人生の歩み方を教えるのです。
心は、常にあなたに人生の歩み方を教えています。
人生に乏しさや空しさを感じているのであれば、それは、あなたが心の声を聞いていないためです。
心は、常に話し掛けています。
後はあなたが問い掛けることによって、人生の歩み方を教わることが出来るのです。
大切なのは、心を気に掛けることです。
あなたは、自らの心の動向を気に掛けていなければならないのです。
心があなたに人生の歩み方を教えます。
あなたは、心が気にすることこそが、人生の歩み方であるということを理解しましょう。
大切なことは、心が気にします。
あなたには、気になることがあるはずなのです。
あなたが気になることこそが、人生の歩み方なのです。
多くの人は、気になったことを放置します。
気になったことに対する熱意が冷めるまで、それを放置しているのです。
それは、人生の豊かさを手放すようなものなのです。
心が気にすることは、あなたにとっての大切な学びです。
あなたが学ばなければならないことは、心が教えてくれるのです。
気になったことを放置してはなりません。
気になったことをすぐに始めなければならないのです。
あなたは、行きたいと思った場所には、出来るだけ早く行きましょう。
やりたいと思ったことは、出来るだけ早くやるのです。
情報を集めることでも、行動することでも構いませんが、それをすぐに始めなければならないのです。
人生とは、ガラス細工のようなものです。
熱い内は柔軟に形を変えますが、冷えてしまえば形を変えることは出来ません。
無理に変えようと力を込めれば、それはひび割れて、壊れてしまうのです。
熱意を冷ましてはなりません。
初動を早めなければならないのです。
気になったことはすぐに始めましょう。
素早く行動し、必要な学びを得ましょう。
そして、必要な成長を実現させるのです。
気になったことをすぐに始める人には迷いはありません。
迷いがなければ、悩みも無いのです。
歩み続けることによって、人生は乏しさから遠ざかります。
歩んでいる間は、人生は豊かであるということを覚えておきましょう。
人生の歩み方は、心が知っています。
他者に聞いたとしても、最善の答えは得られません。
大切なことは、すべてあなたの心が教えてくれます。
心に耳を傾けましょう。


気になることを放置してはなりません。

2018年3月17日土曜日

希少な人生

すべての人生には目的があります。
すべての人は、目的を以(もっ)て人生に生まれたのです。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
しかしながら、目的を果たすことは容易なことではありません。
なぜなら、多くの人は果たすべき目的を忘れているからです。
多くの人は、自分が何のために生きているのかを見失っています。
初めは、目的を以て生まれたのです。
しかしながら、他者と関わることによって、他者の人生の目的と自分の人生の目的とを混同してしまいます。
他者との関わりが、目的が入り混じる状態を引き起こすのです。
人は、他者との関わりの中に人生を築きます。
すべての人は、自分以外の他者と関わらなければなりません。
他者と関わることがなければ、自分の人生の目的を見失わずにも済みますが、他者と関わることなく生きられる人は存在しないのです。
人は、生まれた瞬間に、他者である母親と関わらなければなりません。
その時点において、人生の目的の忘失(ぼうしつ)が始まるのです。
これは、すべての人に起こる自然現象です。
誰もが、他者と関わることによって、自分の人生の目的を見失わなければならないのです。
人生の目的を見失うことは、決して悪いことではありません。
なぜなら、人生の目的を見失うことによって、改めてその大切さを理解することが出来るからです。
人は、当たり前に価値を見出すことが出来ません。
人は、当たり前を軽んじるのです。
それは、当たり前にそこにあるからです。
ありふれているものに価値を見出す人はいません。
多くの人にとっての価値とは、希少(きしょう)であるということなのです。
すべての人は、人生の目的を見失います。
それは、人生の目的が希少であるということを示すのです。
そのため、すべての人は人生の目的を見失うのです。
しかしながら、いつまでも見失っている訳にはいきません。
なぜなら、人生には時間の制限が存在しているからです。
この世界は時間に縛られています。
時間を無視することの出来る人はいません。
誰もが、時間と共に生きているのです。
いつまでも目的を見失っている状態を生きるのであれば、人生に豊かさを得ることが出来なくなります。
人生に豊かさを得るためには、出来るだけ早く人生の目的を見付け出さなければならないのです。
それは、因果の仕組みが存在しているからです。
原因は、直ぐに結果を導きません。
蕾(つぼみ)が芽吹くためには、冬を耐えなければならないのです。
原因は、必要な条件を満たすことによって結果として導かれるのです。
あなたは時間を大切に扱わなければなりません。
この世界において、時間は有限です。
それを浪費してはなりません。
目的意識を以て生きましょう。
あなたは人生を大切に扱わなければなりません。
生きることは暇潰(ひまつぶ)しなどではありません。
人生は、目的を果たすための時間なのです。
人生の目的を思い出さなければなりません。
目的を果たすことがなければ、人生に豊かさを望むことは出来ないのです。
目的にこそ価値があるのです。
それは、唯一の生き方だからです。
目的を見失って生きるのは容易です。
それは、とても楽な道なのです。
しかしながら、それは価値の無い道です。
価値の無いものには、豊かさもありません。
あなたが目的を見失い、楽を生きることは、乏しい人生を生きるということだと理解しなければならないのです。
あなたには大切な目的があるのです。
それをいつまでも見失っていてはなりません。
思い出すように努めましょう。
そのためには、人生を懸命に生きるだけです。
懸命に生きる人は、本質を求めます。
懸命に生きる人は、”人生とは何か?”という問いに必ず向き合うのです。
それは、価値を探す旅です。
価値は、あなたの中に存在しています。
この世界で唯一の希少な人生を生きましょう。


それは、自分の人生なのです。

2018年3月16日金曜日

虚像

あなたは、使命を以(もっ)て生まれました。
あなたには、果たすべき仕事があるのです。
あなたは、大切な役割を担っているということを理解しなければなりません。
この世界において、無駄な存在はありません。
この世界において、無駄な人物は存在しません。
この世界において、無駄は存在しないのです。
すべてに意味があり、すべてが価値を持つのです。
あなたには、生まれた意味があり、生きる価値があるのです。
そのことを理解しなければなりません。
多くの人は、自らの使命を忘れています。
自分の果たすべき仕事も、担っている大切な役割も知らずに暮らしているのです。
そして、自分の意味と価値を見失っているのです。
人は、思い込みの中で生きています。
すべての人の現実は、真実ではありません。
すべての現実は、思い込みに過ぎないということを知らなければならないのです。
あなたが真実だと考えている現実は、思い込みによる虚像に過ぎません。
すべての人は、虚像を生きているのです。
すべての人が弱さを抱えています。
すべての人が無知であり、未熟です。
すべての人が自分にとって都合の良い世界を求めています。
すべての人が幸福を追い求めているのです。
そのため、すべての人は自分の信じたいことを信じます。
それが真実だろうが、虚像だろうが関係のないことです。
自分の都合に合わせて、現実を折り曲げるのです。
すべての人は、現実を自分の都合の良いように解釈し、歪めます。
そして、自分に都合の良いように歪められた現実を、自分にとっての真実として信じるようになるのです。
それが、歪められた現実であろうとも、一度信じたのであれば、それを真実だと思い込むのです。
誰に何と言われようが、虚像が自分にとって唯一の真実となるのです。
真実を歪め、虚像を信じるとなれば、人生には乏しさが導かれます。
それは、虚像を信じることによって、自らの使命を見誤るということだからです。
残念ながら、人生はあなたにとって都合の悪い場所です。
人生があなたにとって都合の悪い状態が自然です。
人生があなたに都合が良いとすれば、それが不自然な状態であるということに気が付かなければならないのです。
人生とは、学び、成長するための時間です。
学びも成長も、あなたにとって都合の悪いことからしか得られないのです。
都合が悪いために、考えなければならず、工夫しなければなりません。
都合が良ければ、何も変える必要がないのです。
都合の良い状態では、現状を維持するだけで、それ以上に成長する必要がありません。
現状を維持するだけでは、無知と未熟を維持することになるのです。
それでは、以て生まれた使命を知ることは出来ないのです。
あなたは、自らが自分の信じたいことを信じているということを理解しましょう。
真実である現実を、自分の都合の良いように歪めているということに気が付かなければならないのです。
あなたは、自らの信じている現実を疑いましょう。
本当にこのままで良いと思いますか?
このままの人生で満足ですか?
あなたには、やらなければならないことがあるはずです。
遺さなければならないものがあるはずなのです。
自分自身に問い掛けてみましょう。
明日、死を迎えても構いませんか?
後悔はしないでしょうか?
やりたいことはやりましょう。
人生とは、都合の悪い状況下において、やりたいことをやり遂げる場所なのです。
やりたくもないことを続けても、使命を果たすことは出来ません。
やりたくもないことに努力を続けたとしても、人生における仕事を果たすことは出来ないのです。
信じたくないことも信じなければなりません。
真実とは、あなたにとって都合の悪いものです。
そのため、あなたは真実を否定します。
しかしながら、都合の悪い真実こそが、あなたにとって価値のあるものなのです。
何を信じるのか?を考えなければなりません。


虚像を信じてはなりません。

2018年3月15日木曜日

幸せ

すべての人が幸せを追い求めています。
誰もが、自分にとっての幸せを実現したいと願っているのです。
幸せは立場によって形を変えますが、誰もが、自分の幸せを欲しているのです。
しかしながら、実際に幸せを手にしている人は多くありません。
多くの人は、幸せの代わりに不満や不安を手にしているのです。
それは、幸せがどうすれば手に入るのかを知らないからです。
多くの人は、幸せを探していますが、幸せがどのようなものなのかを知らないのです。
それでは、幸せは見付からないのです。
あなたは、幸せがどのようなものなのかを知っていますか?
どうすれば、それを手に入れることが出来るのかを知っているでしょうか?
知らないものを見付けることは出来ません。
知らないものを手に入れることも出来ないのです。
あなたが幸せを手に入れるためには、幸せについて知っておかなければならないのです。
幸せとは、助けた人数です。
あなたが助けた人数と幸せは比例しているのです。
人を助けることがなければ、幸せにはなれません。
どのように幸せになりたいと懇願(こんがん)したとしても、それだけでは幸せを手に入れることは出来ないのです。
幸せを手に入れるためには、人を助けなければなりません。
助けるとは、貢献(こうけん)するということです。
要は、誰かの役に立てば良いのです。
幸せの構造と、その入手方法は単純です。
人を助けるだけなのです。
あなたは、それだけのことで幸せを手に入れることが出来るのです。
幸せを追い求めているのであれば、人を助ける必要があるということを覚えておかなければなりません。
誰でも良いのです。
誰に貢献しても構いません。
見ず知らずの人でも構いません。
幸せを求めているのであれば、とにかく人を助けることなのです。
助けた人が多ければ、幸せも大きいと理解しましょう。
それは、助けた人が、あなたに幸せの”材料”を提供してくれるからです。
人は、独りでは幸せを手に入れることは出来ません。
人は、自分勝手に幸せを得ることは出来ないのです。
あなたが幸せを手に入れるためには、他者の協力が必要不可欠です。
他者の協力無くして、幸せは実現しないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生の目的は成長することです。
あなたが成長するためには、自分自身を改める必要があります。
自分自身を改めるためには、自分自身を知る必要があるのです。
しかしながら、人が独りでいるのであれば、自分自身を知ることは出来ません。
人が自分自身を知るためには、他者に教えてもらわなければならないのです。
人は、他者を通じて自分自身を知ることが出来ます。
他者がいなければ、自分に都合の良い解釈が結論となるのです。
幸せとは、妄想ではないのです。
幸せとは成長であり、それは確実なものなのです。
あなたが幸せを求めているのであれば、人を助けましょう。
助けた人が少なければ、幸せも小さいのです。
少ない材料では、小さな幸せしか築くことが出来ません。
多くの材料を使って、あなたは大きな幸せを築きましょう。
人を助けることをせず、苦しめるのであれば、幸せは無くなります。
それは、不幸としてあなたを苦しめることになるのです。
他者に求めること、欲すること、奪うことをやめましょう。
それはあなたを不幸にします。
他者に知らせ、教え、与えることを始めなければなりません。
それはあなたを幸せにするからです。
人を助けること、役に立つこと、貢献することは難しいことではありません。
自分の損得ばかりを考えずに、相手の損得も考えましょう。
そうすれば、自分の愚かさに気が付くことが出来るでしょう。


あなたなりに、人を助けなければなりません。

2018年3月14日水曜日

思い通りにならない世界

すべての人は幸福を求めています。
しかしながら、多くの人は幸福の本質を知りません。
多くの人は、幸福の本質を知らないままに、幸福を求めているのです。
幸福が何であるのかを知らずに、真の幸福を得ることは出来ません。
探し物が何であるのかを知らずに、それを探し当てることは出来ないのです。
あなたは、何が幸福であるのか?を知っていますか?
幸福の本質を知っているのであれば、現時点で幸福であるはずなのです。
あなたは幸せですか?
不満や不安を抱くことなく、人生を生きていますか?
多くの人は不満や不安を抱えながら人生を生きています。
多くの人は、幸せではないのです。
それは、幸福の本質を知らないからです。
幸福の本質を知らなければ、幸福を得ることは出来ません。
無知であれば、幸福を得ることは出来ないのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、無知を克服しなければならないのです。
無知を克服するためには、学ぶ以外に方法はありません。
あなたは、学ばなければならないのです。
学びは人生から得ることが出来ます。
すべての状況が、あなたに幸福の本質を教えているのです。
それに気付かなければならないのです。
あなたは、無気力に過ごしてはなりません。
学ぶ意欲を大切にしなければならないのです。
学ぶ意欲がなければ、何も学ぶことは出来ません。
何も学ぶことがなければ、幸福の本質を理解することも出来ないのです。
あなたは学ばなければなりません。
あなたが学ぶためには、良く観察し、良く考えることです。
あなたは人生を考察しなければならないのです。
目の前の状況を熟考(じゅっこう)しましょう。
そうすれば、学ぶべきことが見えてきます。
人生を考察すれば、人生には、良いものなど存在しないということに気が付くでしょう。
良い状況などないのです。
良い人などいません。
それは、あなたの考える”良い”とは、自分にとって都合の良いということだからです。
人生には、都合の良いことなど存在しないのです。
あなたにとって、都合の良いものなど存在しません。
あなたにとって、都合の良い状況も、都合の良い人も存在しないのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人生は、決して思い通りにはなりません。
それは、あなたが学ぶためです。
人生が思い通りになれば、あなたには学ぶことがないのです。
思い通りにならないからこそ、学ぶことがあるということを覚えておかなければなりません。
思い通りにならないことに価値があるのです。
それを理解しましょう。
多くの人は、思い通りになる人生を望んでいます。
自分にとって都合の良い人生を望んでいるのです。
自分にとって都合の良い人生は、豊かな人生だと思うかも知れません。
短絡的に考えれば、そのように思えます。
しかしながら、自分にとって都合の良いことばかりを選択していれば、人生は必ず乏しさを得ることになるのです。
自分を甘やかし、都合の良いことばかりを選択していれば、必ず問題を引き起こします。
不仲や病や乏しさは、利己主義によって導かれるのです。
自分の都合を優先する者は、不幸を得なければならないということを覚えておきましょう。
人生に豊かさを求めるのであれば、都合の悪い状況も大切にしなければなりません。
都合の悪い状況からも学ばなければならないのです。
都合の悪い状況は、あなたに自分の現状(実力)を見せます。
自分の現状を知れば、学ぶべきことを知ることが出来るのです。
そうすれば、成長することが出来ます。
成長すれば、幸福の本質に近付くことが出来るのです。
あなたが成長する程に、人生は幸福へと近付くということを覚えておきましょう。
成長することがなければ、幸福も得られないのです。
都合の悪い、思い通りにならない状況に対する態度によって、あなたの人生の状態が決まります。
あなたは、都合の悪い状況を前にして、常にどうするか?を考えましょう。
人生は思い通りにはなりません。


それが、この世界なのです。

2018年3月13日火曜日

好みではなく必要を

すべての人は、豊かな人生を生きなければなりません。
すべての人が、人生を豊かなものにする必要があるのです。
それは、人生を豊かにすることが、人生の目的を果たすことであるからです。
すべての人は、目的を以(もっ)て人生に生まれました。
すべての人は、目的を以て人生を生きているのです。
人生に目的の無い人はいません。
目的を見失っている人は多くいますが、目的の無い人はいないのです。
人生の目的を果たすということは、この世界での役割を果たすということです。
この世界において、あなたは唯一の役割を与えらえています。
あなたは、その役割を果たさなければならないのです。
目的と役割を果たせば、人生は豊かなものとなるのです。
豊かさとは、目的と役割を果たした結果に過ぎません。
人生を豊かなものにするためには、自らに与えられた目的と役割を果たさなければならないのです。
しかしながら、多くの人は自らの目的と役割を見失っています。
多くの人は、自分が何のために生きているのか?を知らないのです。
それでは、人生に豊かさを実現することは出来ません。
あなたは、自らの人生の目的と役割を思い出さなければならないのです。
しかし、自らの人生の目的と役割を思い出すことは簡単ではありません。
それは、強い思い込みを抱えているからです。
自らの人生の目的と役割を忘れている人は、既(すで)に多くの思い込みを抱えています。
それは、本当の目的と役割を忘れていることで誤って理解した、偽りの目的と役割のことなのです。
多くの人は、偽りの目的と役割を果たそうと努めています。
多くの人は、懸命に生きているのです。
多くの人は、努力を重ねています。
しかしながら、多くの人は人生に豊かさを感じることが出来ないのです。
多くの人は、不安や不満を抱えながら生きています。
多くの人は、乏しさと共に生きているのです。
それは、偽りの目的と役割に従っているからです。
偽りの目的と役割を見出したのは、偽りの自分です。
それは、弱い自分なのです。
多くの人は、弱い自分の見出した、偽りの目的と役割を果たそうと努めているのです。
人は、弱さを抱えています。
すべての人は無知であり、未熟なのです。
そのため、弱い自分という存在が人生の舵取(かじと)りを任されることになるのです。
弱い自分は、厳しさを受け入れることが出来ません。
弱い自分は、楽な方に舵を切るということを覚えておきましょう。
楽とは、弱い自分の好みです。
弱い自分は、楽な道を好みます。
弱い自分は、それが最善だと思い込んでいるのです。
しかしながら、人生は楽な道ではありません。
人生とは、険しい道なのです。
人生の目的は成長することです。
無知で未熟な人が成長するためには、多くの困難を乗り越える必要があるのです。
楽な道を選んで進むのであれば、残念ながら成長することは出来ません。
それは、楽な道においては、変化を必要としないからです。
険しい道においては、従来の方法が通用しません。
そうなれば、様々に工夫しなければならないのです。
好みによって険しい道を進むことは出来ません。
険しい道を進むためには、必要を満たさなければならないのです。
険しい道においては、我が儘(まま)によって好みを主張することは出来ません。
険しい道においては、自分の都合は通用しないのです。
そのため、あなたが人生を豊かなものにするためには、好みではなく、必要を頼りに進まなければならないのです。
必要に従えば、どのように険しい道も進むことが出来ます。
必要に従えば、どのような問題も乗り越えることが出来るのです。
弱い自分の示す、楽な道を選んではなりません。
強い自分の示す、険しい道を選びましょう。
目の前に問題が生じ、それを苦しいと感じたとしても、そこに必要を見出して足掛かりとしましょう。
そうすれば、あなたは問題を乗り越えて成長することが出来るのです。
問題が生じ、それが苦しいからといって逃げているのであれば、いつまで経っても成長することは出来ないのです。
必要こそが、あなたを鼓舞(こぶ)し、人生を豊かにします。
好みは、あなたを堕落(だらく)させ、人生を乏しくするでしょう。
好みの誘惑(ゆうわく)に陥ってはなりません。


必要の厳しさによって自らを磨きましょう。

2018年3月12日月曜日

夢は変わる

人生を豊かなものとするためには、夢を追わなければなりません。
夢とは、人生における希望です。
人は、人生に、夢という名の希望を見出すのです。
夢を追っている時、人は多くの喜びを得ることが出来ます。
夢を追っている時には、逆境も喜びとなるのです。
逆境を苦しみとするのであれば、人生に豊かさを実現することは出来ません。
人生を豊かなものにするためには、逆境に対する在り方が重要です。
逆境も含(ふく)めて人生です。
逆境を否定し、順境(じゅんきょう)だけを肯定(こうてい)するのであれば、人生はバランスを崩すのです。
バランスを崩した人生は、乏しさを導くでしょう。
大切なのは、バランスを整えることです。
逆境は避けられません。
どのような人の人生にも、必ず逆境は訪れるのです。
逆境を肯定し、それを成長へと繋げていく必要があるのです。
逆境を肯定し、それを成長へと繋げていくためには、大きな力が必要です。
大きな力とは、夢の力です。
人は、希望によって大きな力を得ることが出来るのです。
人生に希望を捨てない人は、力強く生きることが出来ます。
力強く生きる人は、豊かさを得るのです。
夢を追うことによって、人は希望と共に生きることが出来ます。
希望と共に生きることによって、人生は豊かさを得るのです。
あなたは、夢を追い掛けて生きなければなりません。
夢というのは、必ずしも壮大(そうだい)なものではありません。
あなたの希望となるものであれば良いのです。
小さな夢でも良いのです。
大切なのは、夢を抱き続けることなのです。
夢とは、次々に変わっていくものです。
夢というものは、変わっていくのが自然です。
多くの人は、夢を諦めないことを美徳と考えています。
夢は大切ですが、一つの夢に執着する必要はありません。
あなたは、夢を変え続けても良いのです。
一つの夢は通過地点に過ぎません。
すべての夢は、過程に過ぎないということを覚えておかなければならないのです。
一つの夢は重要ではありません。
一つの夢に執着すれば、他の夢を受け入れることが出来ません。
夢は変わった方が良いのです。
大切なのは、夢を追い続ける情熱です。
夢は大切な希望ではありますが、夢自体が重要なのではありません。
夢を追い続ける情熱がなければ、夢を持ったところでどうすることも出来ないのです。
あなたは、思い通りの人生を生きる必要はありません。
無知で未熟であるあなたは、思い通りの人生を生きてはならないのです。
無知で未熟なあなたの思い通りとは、道理に反する要求なのです。
道理に反する要求によって、あなたが幸福になることはないのです。
道理とは、目の前に導かれる状況のことです。
道理に従っているために、無知で未熟なあなたの目の前には逆境が導かれているのです。
目の前に導かれた逆境は、当然の結果に過ぎません。
夢を追い続けるというのは、目の前の逆境に対しても夢を追うことが出来るのか?ということなのです。
順境から逆境に陥(おちい)れば、夢の形は変わります。
状況が変わったのであれば、夢の形も変わるのです。
そのため、一つの夢に執着し、それを追い続けることは得策ではありません。
目の前の状況が変化し続けているように、夢も変化し続けているのです。
夢が変化すれば、自分自身の在り方も変化する必要があるのです。
いつまでも古い価値観に執着せず、新しい価値観を追い求めましょう。
そうすれば、あなたは豊かさへと近付くことが出来るでしょう。
夢を追いましょう。
ただし、それに執着してはなりません。
夢は次々と変わります。
それで良いのです。
多くの夢を持ちましょう。


そして、それ等を追い続ける情熱を持ちましょう。

2018年3月11日日曜日

成功することが目的ではない

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
人生とは、それぞれのものです。
あなたは、他者の人生を生きることは出来ません。
他者も、あなたの人生を生きることは出来ないのです。
人生とは、個別のものであり、同一視することは出来ません。
あなたは、人生というものが人それぞれに異なるということを理解しなければならないのです。
あなたの人生の目的と、他者の人生の目的は異なります。
人生の目的が異なれば、人生の豊かさも異なります。
なぜなら、人生の豊かさは、人生の目的に起源するからです。
人生の目的が異なるのに、人生の豊かさが同じであるはずがありません。
目的が異なれば、必要も異なるのです。
多くの人は、それぞれの人生が異なることを知りません。
それぞれの目的が異なることも知りません。
それぞれの必要が異なることも知らなければ、それぞれの豊かさが異なることも知らないのです。
そのため、多くの人が求める常識的な豊かさや幸福を追い求めるようになるのです。
あなたの人生が、他者と同じものであるのならば、常識的な豊かさや幸福を追い求めることは良いでしょう。
しかしながら、あなたの人生は、他者と同じものではありません。
そのため、あなたが他者と同じ豊かさや幸福を追い求めたとしても、それが良いとは限らないのです。
大抵の場合、あなたはそれで乏しさと不幸を覚えるでしょう。
目的に反する努力は、決して成果には結び付きません。
努力は、目的に対して行うべきものなのです。
あなたの人生の目的は何でしょうか?
あなたは、何のために人生を生きているのでしょうか?
深く考えなければならないのです。
多くの人は、人生について深く考えることをしません。
そのために、常識的な豊かさや幸福を追い求める生き方をするのです。
多くの人は、”成功”を人生の目的であると考えるのです。
成功とは、優位を得るということです。
世間では、他者との競争に勝ることを成功というのです。
競争することは大切です。
他者の存在が、自らを鼓舞(こぶ)し切磋(せっさ)する動機となります。
競争相手の存在が意欲を掻(か)き立てるということもあるのです。
しかしながら、競争相手に勝り、優位を得る成功は、必ずしも人生の目的とは成り得ません。
人生の目的とは、それよりも穏やかであり、簡単なものなのです。
人生の目的とは、成長することです。
ただ、それだけなのです。
あなたは成長していれば良いのです。
競争相手に勝り、優位を得ることは立派な成長です。
しかしながら、競争相手に勝ることは簡単に出来ることではないのです。
競争相手に勝らなくても、成長することは可能です。
それは、己に打つ勝つことです。
己に打つ勝つことによって、あなたは成長することが出来るのです。
何か一つでも、己に打ち勝てば成長です。
あなたは誰かに勝る必要はありません。
競争相手に勝ることで成功を得る必要もないのです。
実現の難しい大きな目標ではなく、実現可能な小さな目標を大切にしましょう。
大きな成功を追い求める必要はありません。
小さな成長を積み重ねましょう。
そうすれば、あなたは分際に相応しい豊かさと幸福を得ることが出来るでしょう。
己の分際を見失い、大きな成功に魅せられてはならないのです。
相手に勝ることが目的ではありません。
己に勝ることが目的です。
そのことを覚えておきましょう。


そうすれば、真(まこと)の豊かさと幸福を得ることが出来るでしょう。

2018年3月10日土曜日

良いものと悪いもの

人生は、思い通りにはなりません。
あなたの思い通りには、人生は展開しないのです。
大抵の場合、あなたの期待は裏切られます。
人生は、都合の良いようにはいかないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
誰にも、不足が生じます。
すべての人は、不足を得なければならないのです。
それは、避けられません。
あなたはすべてを満たすことは出来ません。
もちろん、人生には満足出来ることはたくさんあります。
しかしながら、満足には不足が必ず寄り添(そ)うものなのです。
それは、この世界に陰陽の仕組みが存在しているからです。
この世界においては、光には影が従います。
影には、光が寄り添うのです。
光と影は、互いに協力して世界を映しているのです。
どちらかが欠けても、世界は存在しないのです。
あなたが世界を認識しているのは、光と影が協力しているからなのです。
光を求めても、必ず影が従います。
影を求めても、必ず光が寄り添うのです。
この世界においては、良いものだけを得ることは出来ません。
もちろん、悪いものだけを得ることも出来ないのです。
良いものを得るためには、悪いものも得なければなりません。
悪いものを得るためには、良いものを得なければならないのです。
あなたがどれだけ望んだとしても、人生が都合の良いようにはいきません。
どのように努めても、人生が思い通りにならないことを理解しましょう。
大切なのは、人生が良いと悪いによって築かれていることです。
人生には、あなたにとって都合の良いものと、都合の悪いものが混在しているのです。
それを認めなければ、人生が豊かさを得ることはありません。
良いものだけを望んでも、それは不可能なのです。
不可能なことに時間と労力を費やしたとしても、思い通りの成果を得ることは出来ません。
それは、当然の結果に過ぎませんが、多くの人はそれに不満を抱くのです。
無知は人の苦しみです。
人は、無知によって苦しむのです。
あなたが豊かな人生を求めるのであれば、良いと悪いを組み込んで人生を築かなければなりません。
良いと悪いを組み込むとは、それ等を認めるということなのです。
自分にとって都合の良いものだけを組み込もうとすれば、都合の悪いものが組み込まれます。
あなたを肯定(こうてい)する人ばかりを集めるのであれば、あなたは傲慢(ごうまん)に陥(おちい)り、多くの問題を抱えることになるでしょう。
大切なのは、あなたを否定する人も大切にすることです。
否定する人がいれば、あなたは深く考える習慣が身に付きます。
深く考えることが出来れば、人は謙虚(けんきょ)でいられるのです。
肯定される時、人は考えを放棄します。
肯定される時点において、それ以上の考えは必要なくなるのです。
人生の目的は成長することです。
肯定されるのであれば、それ以上成長する必要を見出せないのです。
否定されるからこそ、より良い考えを探して成長することが出来るのです。
都合の良いことだけでは、人生を豊かにすることは出来ません。
都合の悪いことがなければ、人生は豊かさを得ないのです。
自分を中心に物事を考えてはなりません。
自分を中心に価値を計ってはなりません。
自分を中心に人生を生きてはならないのです。
あなたの都合が悪いことによって、誰かの都合が良いかも知れません。
誰かの都合が悪いことによって、あなたの都合が良いかも知れないのです。
自分の利益だけでは、豊かさを得ることは出来ません。
相手の利益がなければ、豊かさは得られないのです。
相手の利益は自分の損失ではありません。
相手の利益は自分の利益でもあると知りましょう。
相手の利益が自分の利益であると知れば、無理に人生を思い通りにする必要がないことに気が付くでしょう。
心配する必要はありません。
相手の利益を喜びましょう。
あなたにとって都合の悪いことも、人生には大切です。
なぜなら、それは、今のあなたが都合が悪いと思っているだけだからです。
後のあなたには、それが都合が良かったと思えるでしょう。


良いと悪いの区別なく、それ等を大切にしましょう。

2018年3月9日金曜日

誘惑の虜

あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、自分の人生を果たさなければならないのです。
人生には、それぞれに異なる目的が存在します。
目的はそれぞれに異なりますが、それを果たすということは同一です。
あなたは、あなたの人生の目的を果たさなければならないのです。
目的を果たすためには、励(はげ)まなければなりません。
人生を完成するために、あなたは自分自身を磨き続けなければならないのです。
自分自身を磨くとは、道に邁進(まいしん)するということです。
あなたは、ひたすらに自分の道を進まなければならないのです。
自分の道とは、心に思い浮かぶ情熱です。
すべての人に、情熱を傾けられる道があるのです。
この世界において、道を与えられていない人はいません。
思い浮かばないというのであれば、自らそれを否定しているに過ぎません。
自分自身に多くの条件を提示して、道に向き合うことを否定しているのです。
多くの人は、様々な言い訳によって、自らの道を諦めています。
すべての条件と言い訳を考えなければ、あなたにも情熱を傾けることの出来る道が見えてくるでしょう。
あなたは、情熱を以(もっ)て生きなければなりません。
あなたは、道を進まなければならないのです。
それが、人生の目的なのです。
やりたいことをやりましょう。
それは、今からでも始められます。
出来ない理由を並べるものではありません。
小さな可能性を探すのです。
情熱に従って生きなければ、必ず後悔することになります。
失敗しても良いのです。
笑われようが気にしてはなりません。
あなたの道は、他者には理解することが出来ないのです。
情熱に従えば、人生は必ず豊かさを導きます。
人生を豊かに生きたければ、情熱に従って道を生きる以外に方法はないのです。
道を生きれば、失敗も豊かさへと通じます。
道に背いて生きれば、成功も乏しさとなるのです。
やりたくないことで、ある意味での成功を収めたとしても、空しさが襲うということを覚えておきましょう。
これは、あなたの人生です。
他の誰のものでもありません。
他の誰かに人生を決められてはならないのです。
あなたは自分で、どう生きるのかを決めるのです。
情熱を生きる勇気を持ちましょう。
しかしながら、情熱を生きても、簡単に進める訳ではありません。
あなたは必ず試されるのです。
道には、必ず困難が襲うのです。
誘惑(ゆうわく)は避けられません。
道を進んでいれば、それを邪魔する誘惑が必ず現れるのです。
多くの人は、細かなことに気を取られて迷います。
それは、目的を知らないからです。
目的を知っていれば、細かなことは気になりません。
目的を知っていれば、例え計画通りに進まなくても気になることはないのです。
人生の目的は成長することです。
人生の目的が成長することだと知っていれば、細かなことを気にして悩む必要はないのです。
悩みも誘惑です。
あなたは、誘惑に従うことなく進まなければなりません。
目的を見失わないようにしておきましょう。
誘惑は、あなたの弱さに呼び掛けます。
弱さは、簡単に従ってしまうのです。
それを食い止めなければなりません。
誘惑の虜(とりこ)にならないように注意しましょう。

気を確かに持ちましょう。

2018年3月8日木曜日

足りない学び

人生の目的は成長することです。
すべての人が成長するために人生を生きているのです。
すべてが成長のための学びです。
何一つとして無駄はありません。
何一つとして無意味なものは存在しないのです。
あなたは、人生におけるすべての経験が成長のための学びであり、それが最善であるということを理解しましょう。
すべてが、あなたにとっての最善なのです。
あなたが受け取るべき経験なのです。
それがどのような経験であろうとも、あなたに相応しいのです。
すべては成長のためです。
それ以外の理由はありません。
人生があなたを苦しめようとしているのではありません。
人生には、あなたを苦しめる理由がないのです。
人生は、あなたの成長を望んでいます。
そのために、最善の学びを導いているのです。
最善を苦しみとして受け取っているのは、あなた自身です。
あなたが良いと思った行為も、相手には伝わらないことがあります。
それと同じことが、人生とあなたの間でも実現しているのです。
人生は、あなたに相応しく、最善の学びを導きます。
しかしながら、あなたはそれを最善の学びだとは思いません。
あなたにとって、それは苦しみを生み出す問題でしかないのです。
人生は、あなたよりもあなたのことを理解しています。
人生は、あなたを客観していますが、あなたは主観しているのです。
主観している時、人は状態に捕らわれます。
それは、写真のように、一場面だけを切り取った情報によって、結論を導くようなものです。
客観している時、人は一連の流れを見ています。
それは、映像のように、連続する場面から得た情報によって結論を導くようなものです。
主観している人は、物事の本質を見極めることが出来ません。
それは、本質が前後関係に由来(ゆらい)しているからです。
一場面だけを見て、本質を見極めることの出来る人はいません。
友の厳しい言葉を誤解する人は多いのです。
友は、あなたの成長を思って苦い言葉を吐くのです。
自分のためを思うのであれば、あなたを承認(しょうにん)するだけなのです。
自分を守ろうと思えば、人は甘い言葉を吐くのです。
甘い言葉は、その時には優しいですが、後に冷酷(れいこく)となります。
苦い言葉は、その時には冷酷ですが、後に優しいのです。
本質を簡単に理解することは出来ません。
本質を理解するためには、それを理解するまで学び続けなければなりません。
厳しい言葉も、甘い言葉も、その本質を知るためには、その言葉を聞き続けなければならないのです。
大切なのは、成長することです。
すべては、成長のために導かれます。
雨は天からの恵みです。
しかしながら、雨も地に染み込まなければ、樹を潤すことはありません。
樹にとって、雨が恵みとなるためには、地に染み込んで、根に届かなければならないのです。
雨は、地に染み込む程に振らなければなりません。
雨の量が十分なのかは、樹にも分かりません。
それと同じように、学びは天から降りますが、それが足りているのか?ということは、あなたには分からないことなのです。
自分が足りていると思ったとしても、大抵の場合は足りていません。
学びが導かれるのだから、足りてはいないのです。
不満を抱き、文句を吐くのは、足りていると思い込んでいるためです。
しかしながら、足りてはいないのです。
あなたが学び終えたと思っても、学びが導かれるのであれば、学び終えてはいません。
必要な分だけ学びは導かれるのです。
雨が多ければ、樹は大きく育つことが出来ます。
学びが多ければ、人は大きく育つことが出来るのです。


勝手な判断を下すことなく、目の前に導かれる学びに対して謙虚(けんきょ)に生きましょう。

2018年3月7日水曜日

付かず離れず

すべての人は、人生を完成させなければなりません。
人生を完成させるためには、人生の目的を果たす必要があります。
人生の目的を果たすためには、目的地に向かって歩みを進める必要があるのです。
それは、小さな目的を果たし続けることによって、辿り着くことの出来る場所なのです。
人生を完成させるためには、目の前の小さな目的を果たし続ける必要があります。
小さな目的を果たすためには、それを果たすための具体的な手段を講じる必要があるのです。
何もせずに待っているだけで目的が果たされることはありません。
見当外れの手段を講じたとしても、目的が果たされることはないのです。
目的を果たすためには、その目的を果たすための手段を確実に講じる必要があるのです。
しかしながら、すべての人は未熟です。
未熟さは、無知によって導かれます。
無知な者には、目的を果たすための最適な手段を講じることは出来ません。
目的を果たすための最適な手段を講じるためには、それを見付け出さなければならないのです。
目的を果たすための最適な手段を見付け出すためには、考えることです。
考えることをしなければ、目的を果たすための最適な手段を見付け出すことは出来ないのです。
多くの人は、目的を果たすことが出来ません。
目の前の小さな目的に躓(つまず)き、それを問題にして苦しんでいるのです。
何もせずに待っていることも、見当外れの手段を講じることも、考えないことによって導き出される選択肢なのです。
考えていれば、何もせずに待っていることも、見当外れの手段を講じることもないのです。
考えているのであれば、問題は解決していくものなのです。
あなたが考えているのであれば、問題に苦しむ必要はありません。
考えているのであれば、問題を楽しんでいることでしょう。
大切なのは、考えることです。
しかし、現状と同じレベルで考えてはなりません。
問題を引き起こした考えよりもより高く、より深く考える必要があるのです。
考えるとは離れることです。
それは、客観であるのです。
人が考える時には、客観的な状態であるということなのです。
人が考える時には、視野は広がります。
考える時には、俯瞰(ふかん)することが出来るのです。
考えないとは近付くことです。
人が考えない時には、主観的な状態であるということなのです。
人が考えない時には、視野は狭まります。
考えない時には、仰視(ぎょうし)することが出来ます。
どちらが優れているということではありません。
考えることと、考えないことは、相対する性質であり、それは陰陽の仕組みとして機能しているのです。
大切なのは、現状を把握することです。
多くの人は、考えることをせずに問題を引き起こして苦しんでいます。
それは、近付き過ぎて見えない状態であるのです。
そのため、考えない習慣を身に付けている人は、意識的に考えるように努めなければならないのです。
しかしながら、考え過ぎて問題を抱えて苦しんでいる人もいます。
そのような人は、離れ過ぎて見えない状態であるのです。
そのため、考える習慣を身に付けている人は、意識的に考えないように努めなければならないのです。
考えることをせずに突っ走ってはなりません。
考え過ぎて立ち尽くしてもならないのです。
目的に対しては、付かず離れず向き合いましょう。
その距離感は、考えることと考えないことを自分で試して掴み取りましょう。
バランスが大切です。
目的地に辿り着くためには、ペース配分が重要です。
それを誤ってしまえば、目的地に辿り着くことは出来ないでしょう。
大抵の問題は無知によって引き起こされています。
そのため、あなたは考えましょう。
無知を克服するまで考え続けましょう。
そして、多少の知識を得たら、考えることをやめて実践するのです。


目的に対して、良い距離を保ちましょう。

2018年3月6日火曜日

小さな目的

すべての人生には目的があります。
誰もが、目的を果たすために人生を生きているのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの目的を果たすために生まれたのです。
人生は道のようなものです。
目的を果たすということは、目的地に辿り着くということなのです。
人が目的を果たし、目的地に辿り着くためには、歩みをしっかりしたものにしなければなりません。
人が目的地に辿り着くという大きな目的を果たすためには、目の前の小さな目的を果たしていかなければならないのです。
一歩一歩の積み重ねこそが、人を目的地へと辿り着かせます。
歩みが覚束無(おぼつかな)ければ、人が目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
大きな目的を掲げることは重要ですが、それよりも重要なのが小さな目的であるということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、大きな目的を重要視しています。
多くの人は、高過ぎる目標や理想を目指しているのです。
残念ながら、高過ぎる目標や理想を叶えることは出来ません。
それは、力が足りないからです。
目的地が山頂にあるとして、山頂に辿り着くための体力と知識と技術と精神力と装備と因果を持ち合わせていなければ、辿り着くことは出来ません。
その山が高い程に、山頂に辿り着くことが難しくなるのです。
登山の経験の無い者が、高い山に登ることは無謀(むぼう)です。
未熟者が目的を果たすことなど出来るはずがないのです。
大切なのは、一歩一歩を確実に歩むことです。
足を踏み外してしまったり、挫(くじ)いてしまっては、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
無理をせず、確実に歩むことを意識しなければなりません。
大きな目的は、小さな目的の積み重ねの結果に過ぎません。
小さな目的の積み重ねがなければ、大きな目的は達成されないのです。
多くの人は、そのことを知りません。
そのため、歩み方も知らないのに、目的地へと辿り着くことが出来ると考えるのです。
大切なのは、現時点において、自分の実力で確実に実現可能な目的を果たすことです。
大切なのは、それだけです。
多くの人は、現時点においての自分の実力に見合わない目的を目指しています。
それでは、いつまで経ってもその目的を果たすことは出来ないのです。
一歩を確実に踏み締めなければ、次の一歩を踏み出すことは出来ません。
今の一歩が、次の一歩を約束するのです。
それなのに、今の一歩を無視して、次の一歩のことを考えてはならないのです。
あなたは、現時点において、実現可能な目的を確実に実現しましょう。
実現可能な目的を実現することを繰り返すのです。
それ以外には、あなたが大きな目的を果たすことは出来ないのです。
大きな目的とは、人生の目的です。
目的地に辿り着くためには、地味な作業の繰り返しが必要なのです。
大きな船や飛行機も、小さな部品の集合体です。
小さな部品を蔑(ないがし)ろにするのであれば、大きな船や飛行機は存在しないのです。
人生の目的を果たすためには、目の前の目的を果たす必要があるのです。
あなたは、目の前の小さな目的を確実に果たしましょう。
人生に無理をする必要はありません。
自らの分際を弁(わきま)え、確実に達成することを目的としなければなりません。
あなたには、分際が与えられています。
あなたは分際なりに生きれば良いのです。
それは、自分なりに生きるということです。
あなたは、自分なりに生きれば良いのです。
低い山の山頂に辿り着くのが実現可能であって、高い山の頂上に辿り着くのが実現不可能であれば、迷わずに低い山に登りましょう。
人生においては、見栄を張る必要はありません。
分際を弁えない者は必ず苦しむようになっているのです。
実現不可能な目的に対して、歩み続けるものではありません。
あなたは、自らの力不足を認めなければならないのです。
実現可能な目的を積み重ねていけば、自ずと力不足は解消されます。
実現不可能な目的に力を浪費してはなりません。


実現可能な目的に尽力しましょう。

2018年3月5日月曜日

頼られる人

大切なのは、これが自分の人生であるということを理解することです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
あなたの人生は、他の誰のものでもありません。
あなたが責任を以(もっ)て果たさなければならないものなのです。
あなたは、自分の人生を生きているということを忘れてはなりません。
それは、とても大切なことなのです。
多くの人は、これが自分の人生であるということを忘れています。
多くの人は、自分の人生を見失っているのです。
多くの人は、自分が何をしているのかを知りません。
多くの人は、自分が何であるのかも知らないでいるのです。
それは、自分の人生を誰かに明け渡すという選択に繋がります。
多くの人は、自分の人生に責任を負ってはいません。
自分で下さなければならない選択を、他の誰かに委(ゆだ)ねようとしているのです。
多くの人は、自分で決めなければならないことを、他の誰かに決めてもらおうとします。
それは、他の誰かに決めてもらうことによって、人生に対する責任を逃れようとしているのです。
これは、あなたの人生です。
他の誰かに決めてもらったとしても、その責任を負うのはあなたです。
他の誰かに決めてもらうという選択を下したのです。
その結果は、因果の仕組みによって、確実にあなたに導かれるのです。
人生のすべての責任は、自分自身にあるということを覚えておきましょう。
人生がどのような状況に行き着こうとも、それで良いのです。
どのような人生であろうとも、それが必要であり、最善なのです。
この世界には、良いことも悪いこともありません。
この世界に存在するのは、必要と最善だけなのです。
あなたは、目の前に導かれる状況を学ばなければなりません。
それは、それがあなたに相応しい学びであるからです。
すべての人は未熟です。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に弱い存在なのです。
そのため、人生の責任から逃れようとします。
あなたがどのように未熟であり、弱い存在であろうとも、責任を負わなければなりません。
責任を負うのは悪いことではありません。
寧(むし)ろ、それは良いことなのです。
なぜなら、それによって成長することが出来るからです。
人は、責任を負うことによって成長することが出来ます。
人が成長するためには、責任を果たす必要があるのです。
誰かに頼ることは悪いことではありません。
すべての人が未熟であり、弱いのです。
それは仕方のないことだと受け入れましょう。
しかしながら、いつまでも頼っていてはならないということも覚えておかなければなりません。
初めは頼っていたとしても、後には頼られるようにならなければならないのです。
誰かに頼ることは恥ずかしいことではありません。
誰もが、初めは頼らなければならないのです。
それは、すべての人が未熟であり、弱いからです。
あなたは頼ることの出来る人に頼りましょう。
しかしながら、頼ることが出来る間に、立派に成長しなければなりません。
頼ることに甘えていてはならないのです。
頼ることが出来る時間は、成長するための準備期間だということを理解し、励(はげ)まなければならないのです。
鳥に運ばれたアコウの種子は、他の樹木や岩を頼りに成長します。
初めは小さなアコウも、時を経れば親樹や岩を覆い尽くす程に成長するのです。
初めは親樹や岩を頼りにしていたアコウも、やがては大樹となり、多くの生命に頼られる存在となるのです。
あなたは、誰かに頼りながらも、成長を続けなければなりません。
あなたは自分という存在になるために成長し続けなければならないのです。
あなたが成長し、自分の人生を生きる時、あなたは誰かに頼られる存在となるでしょう。
あなたは誰かの頼りとなり、その人の成長を助けましょう。
成長を続けていれば、形は出来上がります。
成長を続けていれば、立派に人生を果たすことが出来るのです。


今は、誰かを頼りにしていたとしても、いつかは誰かに頼られる人に成りましょう。

2018年3月4日日曜日

比較

人は、それぞれの人生を生きています。
人生というものは、人それぞれに異なるものです。
それは、人それぞれに、人生の目的が異なるからです。
目的が異なれば、必要が異なります。
必要が異なれば、立場が異なります。
立場が異なれば、生き方が異なります。
生き方が異なれば、考え方が異なります。
考え方が異なれば、選択が異なります。
選択が異なれば、行為が異なります。
行為が異なれば、状況が異なります。
状況が異なれば、心が異なります。
心が異なれば、人生は異なるのです。
人は、異なる人生を生きています。
誰一人として、同じ人生を生きている者はいません。
それは、この世界には、誰一人として、同じ人間が存在しないようにです。
あなたと同じ人物は存在しません。
それは、あなたと同じ人生が存在しないことを意味しています。
あなたは、誰とも異なる人物であり、誰とも異なる人生を生きているのです。
あなたの代わりに、あなたを生きることの出来る人は存在しません。
あなたの代わりに、あなたの人生を生きることの出来る人は存在しないのです。
それは、あなたを理解する人が存在しないということを意味しているのです。
多くの人は、他者に対して理解を求めます。
多くの人は、他者に認められることを心の拠(よ)り所としているのです。
他者に認められることが、人生の成功であると思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたを理解することの出来る人は存在しません。
なぜなら、他者はあなたではないからです。
あなたでない他者が、あなたを理解することなど出来るはずがないのです。
それは、あなたが他者を理解することが出来ないことと同じです。
あなたは、他者を理解することが出来ません。
他者を理解することが出来るという人がいれば、それは自分勝手な妄想(もうそう)に酔い痴(し)れているに過ぎません。
あなたが他者を理解することが出来ないように、他者もあなたを理解することは出来ません。
それが自然です。
あなたは、他者を理解する必要も、他者に理解される必要もないのです。
大切なのは、自分の人生を懸命に生きることだけなのです。
自分の人生を懸命に生きることが出来るのであれば、他者からの理解など必要ではないのです。
多くの人は、他者を理解しようとし、他者から理解されようとしています。
それでは、意識が外(他者)へ向かうことになり、自分自身に意識を傾けることが難しくなります。
自分自身に意識を向けることが出来なければ、人が自分の人生を生きることは出来ないのです。
中には、自分と他者を比較することによって、意識が外へ向かう人がいます。
そのような人は、他者との優劣を競っているのです。
しかしながら、違うものを比較することは出来ません。
違うものは、違うのだから比べることが出来ないのです。
男と女は違う存在です。
それを比較することは無謀です。
違うものを比較するのではなく、それぞれを尊重することが重要なのです。
あなたは、自分と他者を比較する必要はありません。
あなたはあなたであり、他者は他者なのです。
比較とは、同一視によって生み出される争いです。
あなたは、人生について、誰とも争う必要はありません。
あなたは、あなたの人生を生きれば良いのです。
他者は他者の人生を生きれば良いのです。
それぞれの人生を尊重することによって、それぞれの人生には豊かさが導かれるでしょう。
他者への理解も比較も必要ではありません。
他者からの理解も比較も必要ではないのです。
あなたは、自分の人生を探求しましょう。
異なることが美しいということを覚えておかなければなりません。


そして、異なるものが協力することは、より美しいと覚えておきましょう。

2018年3月3日土曜日

人生の起源

人生には、無駄は存在しません。
人生には、間違いは存在しないのです。
人生におけるすべての状況が必要であり、最善です。
あなたはそれを知らなければなりません。
多くの人は、人生に無駄や間違いが存在しないことを知りません。
すべてが必要であり、最善であることも知らないのです。
そのため、自分にとって都合の悪い状況に対して、愚痴(ぐち)を吐くのです。
人生には、どうしようもないことがあります。
それは、目の前に導かれた状況です。
それがどのような状況であれ、どうしようもないことなのです。
なぜなら、それは目の前に存在しているからです。
導かれたものは必要であり、最善です。
それ以外の何物でもありません。
それをどれだけ拒絶しようが、愚痴を吐こうがどうしようもありません。
目の前の状況は、避けることの出来ない現実なのです。
大切なのは、現実からは逃れられないということを理解することです。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在するからです。
誰一人として、因果の仕組みを否定することの出来る人はいません。
すべての人が、因果の仕組みに支配されているのです。
目の前に導かれる状況は、あなたの選択の結果です。
原因は、あなたの選択なのです。
あなたの選択によって、当然の結果が導かれているだけなのです。
多くの人は、そのことを知りません。
目の前に導かれた状況が偶然の産物であり、自分が不運に見舞われたのだと考えているのです。
そして、”悲劇のヒロイン”として、不幸な自分を演じ、その立場に酔い痴(し)れるのです。
多くの人は、哀(あわ)れな自分を喜びます。
それは、多くの人に構(かま)ってもらうことが出来るからです。
そして、他者と共感し合うことが出来るからです。
多くの人は、そこに安心感を覚えます。
誰かと同じであることに価値を見出すのです。
残念ながら、それは不幸の連鎖(れんさ)を引き起こします。
”悲劇のヒロイン”が集えば、そこでは悲劇が催(もよお)されるのです。
そこでは、幸福な人はいません。
すべての人が、不幸なのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、人生には必要と最善のみが存在しているということを受け入れましょう。
間違っても、人生に無駄や間違いが存在しているなどと考えてはなりません。
目の前に導かれるすべての状況が、あなたの成長に対して必要であり、最善です。
すべては、あなたを成長させるためなのです。
大切なのは、目の前の状況に向き合うことです。
向き合うためには、受け入れなければなりません。
それは、どうしようもないと認めることなのです。
大切なのは、何が起きたのか?ではありません。
人生には、何が起きても良いのです。
それが、必要であり、最善であるからです。
大切なのは、起きたことにどう対処するのか?ということなのです。
起きたことは仕方のないことです。
仕方のないことに力を尽くしてはなりません。
仕方のないことに対する努力は、徒労(とろう)に終わってしまうでしょう。
あなたは、今、自分に出来ることに力を尽くさなければならないのです。
それ以外には、幸福を得る方法はありません。
起こったことでも、これから起こることでもなく、今起こっていることに力を尽くさなければならないのです。
結果に対する原因は、常に今というこの瞬間に存在しています。
今というこの瞬間に、自分に出来ることに力を尽くさない者には、幸福な状況が導かれることはないのです。
出来ることをすれば良いのです。
それは、誰にでも出来ることです。
出来ないことをしろと言っているのではありません。
出来ることをすれば良いのです。
起こったことを気にしてはなりません。
今、自分が何をするのか?ということを気にしていましょう。


人生は、そこから始まるのです。

2018年3月2日金曜日

挑戦

すべての人の人生の目的は成長することにあります。
すべての人は成長を実現するために生まれ、そのための人生を経験しているのです。
どのような状況も、成長を促(うなが)す学びです。
あなたは、どのような状況からも成長のための学びを得ることが出来るのです。
あなたは、どのような状況においても、成長することが出来るのです。
しかしながら、人生はあなたを甘やかすことはありません。
人生は、あなたに厳しいということを覚えておかなければなりません。
人生は、あなたに苦しみを導きます。
それは、意図的に行われる学びです。
あなたは、問題を抱え、苦悩することになるでしょう。
それは、仕方のないことです。
なぜなら、あなたが学ぼうとしないからです。
大切なのは、自発的に学ぶことです。
成長を実現するためには、自発的に学ぶ以外には方法がないのです。
人生は、あなたが未熟であり、自発的には学ばないことを知っています。
そのため、あなたの自発性が目覚めることを待つのです。
残念ながら、あなたは未熟です。
未熟者は、苦しみによって初めて、自発性を働かせるのです。
未熟者は、喜びに付け上がります。
未熟者は、喜びに対して甘えるのです。
そこには、怠慢(たいまん)や傲慢(ごうまん)が導かれます。
そのような態度であっては、成長することは出来ないのです。
大切なのは、謙虚(けんきょ)に学ぶことです。
しかしながら、多くの人にとってそれは難しいことなのです。
そのため、苦しみを受けなければなりません。
残念ながら、あなたも謙虚に学ぶことは出来ません。
目の前の状況に対して不満や不安を抱き、それを否定します。
しかしながら、変化を嫌い、繰り返しを喜ぶのです。
多くの人は、矛盾を抱えています。
それは、自分の都合を優先するからです。
多くの人は、自分にとって都合の悪い状況を否定しながらも、自分にとって都合の良い状況に執着するのです。
それが、苦しみながらも、現状維持に努めるという状態を引き起こすのです。
多くの人は、現状に苦しみながらも、変化を嫌うのです。
人生は、あなたに変化を促(うなが)します。
それは、変化こそが、あなたの可能性であるからです。
あなたは、変化によって成長することが出来るのです。
あなたは、苦しむ必要はありません。
苦しみに耐える必要などないのです。
苦しいことは改善しなければなりません。
いつまでも、苦しみ続けていてはならないのです。
人生は苦行ではありません。
多くの人は、人生を誤解しているのです。
それは、無知であるからです。
繰り返しを喜ぶ者は可能性を失います。
安定という幻想に溺れていると、あなたの心や人生は、魚の死骸のように腐ってしまうのです。
同じことを繰り返す日々は、あなたの心を歪めてしまいます。
変化を嫌ってはなりません。
変化こそが、可能性なのです。
変化するためには、学ばなければなりません。
それ以外には、可能性を手にする方法は存在しないのです。
人生の目的は成長することにあります。
当たり前の日常をただ繰り返していてはなりません。
知らないことを知り、出来ないことが出来るようになりましょう。
変化の積み重ねによって、人生には豊かさが導かれるのです。
腐らずに生きましょう。
変化の多い人生を生きるのです。
学んでいれば、常に変化が訪れます。
学んでいれば、変化の多く、豊かな人生を生きられるのです。
繰り返しや停滞を喜んではなりません。


人生においては、新しい挑戦を喜ぶのです。

2018年3月1日木曜日

他者を理解することは出来ない

人は、それぞれの目的を以(もっ)て生まれました。
人は、それぞれの目的を果たすために人生を歩みます。
人が人生を歩む時には、自らの力で選択を判断しなければなりません。
選択の判断基準は、自らの学びです。
人は、学びに従った選択を行います。
人は、学びに従った選択しか行えないのです。
学びに関係の無い選択を下すことは出来ません。
人は、自分に相応しい状況を受け取らなければならないのです。
幼い子どもは、それに相応しい選択を行います。
そして、自らに相応しい状況を学ぶのです。
成人は、それに相応しい選択を行います。
成人の選択は、幼い子どもとは異なります。
それは、自らに相応しい状況を学ぶためです。
老人も、同じようにして、自らに相応しい状況を学びます。
人は、自らに相応しい状況を得なければなりません。
自らに相応しくない状況を得ることは出来ないのです。
人は、それぞれに立場を持ちます。
それは、成長の段階が異なるためです。
幼い子どもは、幼い子どもに相応しい学びを学ばなければなりません。
成人は、成人に相応しい学びを学ばなければならず、老人は、老人に相応しい学びのみを得るのです。
学びは、人格の段階によって異なります。
精神年齢と言っても良いでしょう。
人には、それぞれに相応しい学びがあるのです。
人格の段階を無視することは出来ません。
成長し、段階を経る以外には、学びを改めることは出来ません。
目の前に導かれる状況こそが、あなたに相応しい学びです。
それが、どのようなものであろうとも、それを学ばなければならないのです。
目の前に導かれる状況は、自分には相応しくないと思うかも知れません。
しかしながら、それが人生の判断なのです。
あなたが学び終えていない”課題”を導いているのです。
目の前の状況を様々な角度から検証し、その真意を確かめなければなりません。
そのためには、辛抱(しんぼう)が必要です。
辛抱なくして、学び終えることは出来ないのです。
あなたが向き合っているのは、目の前の学びです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
多くの人は、目の前の他者や状況や環境と向き合っていると考えています。
そして、目の前の他者や状況や環境を理解しようと試みるのです。
しかしながら、それが誤解であるということを知らなければならないのです。
残念ながら、あなたは目の前の他者や状況や環境を理解することは出来ません。
目の前の他者は、別の人格であり、別の人生を生きているのです。
別の段階にいる他者を理解することは出来ないのです。
目の前の状況や環境に対しても、理解に努める必要はないのです。
残念ながら、あなたには、他者や状況や環境を理解することは出来ません。
理解は、成長した後に導かれるものなのです。
その場では理解を得ることは出来ません。
そのため、他者や状況や環境の理解に努める必要はないのです。
大切なのは、自分自身に対する理解に努めることです。
自分自身の段階の学びを終えることが重要なのです。
他者や状況や環境を理解することに意味が無いというのではありません。
他者や状況や環境から、自分自身を学ぶことも出来ます。
しかしながら、多くの人はそれ等を冷静に判断することが出来ないのです。
他者や状況や環境と向き合う時、人は感情的になります。
それでは、判断を誤るのです。
自分自身と向き合う時には、比較的冷静に判断を下すことが出来ます。
冷静であることが重要なのです。
あなたは自分自身を学んでいます。
それは、導かれるすべてが自分自身に相応しいからです。
自分自身の段階を改めることが出来れば、導かれるすべても改まるのです。
他者を理解しようと思い悩む必要はありません。
あなたには、他者を理解することは出来ません。
他者に理解を求める必要はありません。
他者もあなたを理解することが出来ないのです。
それぞれが理解出来ないことが自然です。
違うことが自然なのです。
そのため、違いや無理解に苦しむ必要はないのです。
違いや無理解を超えて、自分自身と向き合いましょう。


そうすれば、あなたは成長し、人格の段階を改めることが出来るでしょう。