この世界は、学びの場所です。
この世界は、学びの場所でなければなりません。
学びには、違いが必要です。
違いが存在しなければ、学びは存在しないのです。
違いが変化を生み出し、そこに葛藤(かっとう)を覚えます。
心が揺さぶられることによって、学びが発生するのです。
人は、この人生において、自分自身を学んでいるのです。
どのような経験を通じても、学んでいるのは自分自身であるということを理解しなければならないのです。
これは、自分自身を理解するための人生なのです。
あなたは、理(ことわり)を通じて、自分自身を学んでいるのです。
自分自身を学ぶためには、自分自身を教えてくれる存在が必要です。
それは、自分とは反対の性質や役割を持つ存在です。
あなたは、自分とは違う存在によって、自分自身を学ぶことが出来るのです。
自分以外の存在が、自分に反発することがなければ、何が自分であるかを知ることは出来ないのです。
特定の誰かを認識することが出来るのは、それぞれが異なる性質や役割を持っているからなのです。
それぞれが同じ性質や役割を持っているのであれば、見分けが付きません。
それでは、学びを得ることが出来ないのです。
あなたは、違いによって学びが得られるということを理解しなければなりません。
この世界には、違いが存在します。
この世界において、同じものは存在しないのです。
同じように思えるものは存在しますが、決して同じではありません。
すべてが完全に違っているということを理解しなければなりません。
人には、それぞれに違いが必要です。
それは、それぞれの性質や役割が異なっているためです。
それぞれが違っているのが自然です。
人は、それぞれの性質や役割に従って違っているのが最善なのです。
平等とは、それぞれが異なる状態によって共存している状態のことを言います。
それぞれが同じ状態であることは、決して平等ではありません。
なぜなら、それぞれの性質や役割を否定することであるからです。
世界には、違いが必要です。
例えば、この世界には、男と女が必要です。
これは、肉体的や精神的な性差(せいさ)のことです。
人は、肉体的や精神的に、男か女に別れなければならないのです。
例えば、この世界には、健康と病気が必要です。
健康な人もいれば、病気の人もいます。
健康な時もあれば、病気の時もあるのです。
健康だけでは学ぶことはありません。
病気だけでも学ぶことはないのです。
健康があり、病気があるからこそ、学ぶことが出来るのです。
例えば、裕福な生活もあれば、貧乏な生活もあります。
裕福な時もあれば、貧乏な時もあるのです。
裕福なだけでは学ぶことはありません。
貧乏なだけでも学ぶことはないのです。
違いによって、そこから何かを学ぶことが出来るのです。
違いが存在するのは、それが必要だからです。
学びを得るためには、違いを経験しなければならないのです。
そして、葛藤を経験しなければ、成長を実現することは出来ないのです。
どちらが良いということではありません。
どちらの状態も必要なのです。
幸せでも不幸でも良いのです。
必要な状態を経験し、必要な学びを得れば良いのです。
無理に偏(かたよ)る必要はないのです。
現状が不幸だからといって、無理に幸せを掴もうとする必要はありません。
学ばなければ意味はありません。
学ばずに、無理に脱出を試みたところで、抜け出すことは出来ないのです。
あなたは、学ばなければなりません。
学び終えるまでは、同じ学びにとどまり続けるということを理解しなければなりません。
どのような現状も大切にしましょう。
それが、学ぶということです。
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