人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
それは、誰もが果たさなければならない目的なのです。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を見失います。
多くの人は、人生の目的を知らずに生きているのです。
人生の目的を見失っているのが”普通”です。
多くの人は、自分が何であり、人生が何であるのかを知らないのです。
そのような状態が”普通”であるために、多くの人はそれに疑問を抱きません。
人生の目的を見失っているのが当たり前になっているのです。
人生の真(まこと)の目的を見失っていれば、偽りの目的のために生きなければなりません。
多くの人は、真の目的を見失って生きています。
そのため、多くの人は、偽りの目的のために生きているのが現状であるのです。
多くの人は、何のために生きているかを知りません。
多くの人は、何のために生きれば良いか分からないのです。
そのため、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることを取り敢(あ)えずの目的として定めます。
それは、快楽や欲望を満たすことによって、ある種の幸福を得ることが出来るからです。
それは、一時的な満足に過ぎません。
快楽や欲望を貪ることによって得られる幸福というのは、一時的な満足しか与えてはくれないのです。
そのため、快楽や欲望を貪る人は、それを繰り返さなければなりません。
それは、糖分によって喉(のど)が乾くようなものなのです。
糖分は、一時的な満足を与えてくれます。
しかしながら、それは、より強力な乾きを引き起こすのです。
乾きによって、余計に糖分を必要とするのです。
快楽や欲望は糖分のように甘い蜜(みつ)です。
しかしながら、それは人生の目的ではないのです。
甘いものを食べ続ければ、肉体は病を引き起こします。
それは、人生にも言えることなのです。
快楽や欲望を満たし続けることは、人生の真の目的を見失わせる病を引き起こします。
甘いものを食べ過ぎると目が見えなくなるように、快楽や欲望を貪ることを目的とした人生は、人生の真の目的を見失わせるのです。
快楽や欲望を貪ることを考えている人には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
この世の富をどれだけ集めても空しいだけです。
肉体に様々な宝石を身に付け、肉体に豪華(ごうか)な食事を与え、肉体に贅沢(ぜいたく)な暮らしをさせても、心は決して満たされません。
この世の富を集めたところで、それは水のように指の間を擦り抜けて消えるのです。
水は、最も価値のある財産です。
しかしながら、あなたにはそれを所有する力はありません。
水は、最も価値のある財産ですが、誰にも、それを所有する権利はないのです。
この世の富は、水のようなものです。
氷にして所有しようとしても、掌(てのひら)の熱に溶けてしまいます。
この世で最も価値のある水も所有することは出来ないのです。
この世の富は、水よりも価値の劣るものなのです。
多くの人は、それを懸命に掻(か)き集め、何とか所有しようとしているのです。
水に勝る富はありません。
多くの人が欲しているのは、どこにでも存在する水よりも劣るものだと理解しなければならないでしょう。
あなたは、真の目的を考えなければなりません。
快楽や欲望、この世の富によって、偽りの満足を喜んでいてはならないのです。
多忙を喜んではなりません。
それは、人生の真の目的を考えさせないための”罠(わな)”です。
労働は尊(とうと)いものです。
しかしながら、人生の真の目的はそれよりも尊いものなのです。
何もしない時間が重要なのです。
暇な時間を大切にしなければなりません。
書は、余白に価値があります。
余白によって、文字が映(は)えるのです。
文字にばかり価値を見出していては、文字で埋め尽くされてしまうでしょう。
それを美しさとは言わないのです。
忙しく時を過ごすことに満足してはなりません。
人生の目的は、多忙の中には見出すことが出来ないのです。
暇な時間があるからこそ、人生の真の目的を探すことが出来るのです。
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