すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
それは、この世界の理(ことわり)です。
この世界には、未熟な存在しか生まれることは出来ないのです。
この世界は、歪んでいます。
この世界においては、何もかもが歪んでいるのです。
この世界において正しいものは、理の他に存在しません。
この世界においては、理だけが正しく、その他のすべてが歪んでいるのです。
しかしながら、この世界のおけるすべてが最善であるということは、覚えておかなければなりません。
すべては歪み、未熟であり、正しくはありませんが最善です。
この世界は歪み、未熟であり、正しくなくて良いのです。
それを許しているのは、この世界の理なのです。
何者も、理に逆らうことは出来ません。
どのような方法を用いても、理に反することは出来ないのです。
すべては理の中に存在します。
すべては、理の中にしか存在することが出来ないのです。
あなたが未熟であることは、仕方のないことです。
あなたが無知であり、歪んだ認識を抱えていることも、過(あやま)ちを犯すことも、仕方のないことなのです。
この世界には、正しい人間など存在しません。
すべての人間は、未熟であり、歪んでいるということを認めなければならないのです。
それ等を認めることによって、最善を受け入れることが出来るようになるのです。
未熟さや、自らの認識が歪んでいるということを受け入れることの出来ない者には、最善を受け入れることが出来ません。
多くの未熟者は、最善を受け入れることが出来ません。
それは、人生に対する争いとなり、最善を否定することになるのです。
最善を受け入れることがなければ、人生に幸福や豊かさを実現することは出来ません。
未熟者が人生に幸福や豊かさを実現するためには、人生が導く最善を受け入れる以外には方法がないのです。
未熟者が努力を重ねても、それが人生の幸福や豊かさを実現することはありません。
なぜなら、未熟者の認識は歪んでおり、積み重ねた努力は、人生の幸福や豊かさを実現するものとはならないからです。
未熟者の努力は、人生に不幸と乏しさを実現してしまうのです。
それは、最善を知らないからです。
最善を理解しているのは、この世界において唯一正しい理だけです。
理だけが、最善を知っているのです。
理は、あなたにとっての最善を人生に対して導きます。
そのため、人生に実現する状況は、あなたにとっての最善に他ならないのです。
しかしながら、未熟者にはそのようには思えません。
未熟者は、良いと思いながら悪いものを取るのです。
それは、認識が歪んでいるからです。
多くの人は、幸福だと思い不幸を掴みます。
未熟者にとっては、良いと思うものが悪いのです。
あなたは、自分の認識が歪んでいることを理解しなければなりません。
あなたが幸福や豊かさを実現するためには、自分の認識の逆をいかなければならないのです。
あなたは未熟です。
知らず識(し)らず物事を歪めて見ているのです。
理想を最善だと考えてはなりません。
最善とは、目の前の避けることの出来ない現実なのです。
あなたは、良いものと思って悪いものを取ります。
大切なのは、自分が未熟であり、認識は歪んでいると理解することです。
そうすれば、あなたは悪いものと思って良いものを取ることが出来るのです。
あなたが悪いと思うものを取れば、良いものを手にすることが出来るでしょう。
無理に悪いと思うものを取る必要はありません。
しかしながら、状況を好転させたいと思うのであれば、悪いと思うものを取らなければならないのです。
他者の嫌がることを熟(こな)すことが、貢献(こうけん)するということです。
他者の嫌がることは、大抵の場合、あなたにとっても嫌なことです。
それは、あなたにとっての悪いことなのです。
悪いことを敢(あ)えて取ることによって、貢献しましょう。
それは、人生を好転させるための切っ掛けとなるでしょう。
多くの人達と同じように、悪いことを取るのを恐れてはなりません。
悪いことを取る時、それが良いことであると理解することが出来るでしょう。
利己的に生きることの空しさを知りましょう。
自らの認識が歪んでいるということを理解しなければなりません。
あなたは、世界を反対に見ているのです。
そのことを忘れてはなりません。
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