この世界には、必要だけが実現します。
人生には、必要だけが導かれるのです。
どのような状況も必要であるということを覚えておかなければなりません。
目の前の状況に対して、その必要性を理解することが出来なければ、それを不要と思い込んでしまいます。
人は、不要なものに対して、それを排除(はいじょ)しようと努めるのです。
この世界には、不要は存在しません。
存在しないものを排除しようと努めるのは、不自然に努めるようなものなのです。
不自然は、様々な問題を引き起こします。
人生は、不自然を引き込むことによって乏しさを実現するのです。
この世界に不要が存在するという考えは不自然です。
なぜなら、すべてが必要であるからです。
必要を不要とすることは、昼を夜と主張するようなものです。
それは、とても不自然なことなのです。
必要は必要として認めなければなりません。
しかしながら、すべてを必要として受け入れることには抵抗があるでしょう。
それも仕方のないことです。
不要が存在すると考えるのが”普通”なのです。
それは、多くの人がそのように思い込んでいるからです。
多くの人の考えは、平均的な答えしか導くことは出来ません。
それは、平凡(へいぼん)な考えであるです。
平凡な考えは、平凡な答えに行き着くのです。
平凡な答えとは、誤解です。
平均は、決して本質ではないのです。
多くの人と同じように考えても、本質へと辿り着くことは出来ません。
本質を得なければ、必要を理解することは出来ないのです。
不要が存在すると考えるのは誤解です。
この世界には、不要は存在しないのが本質なのです。
すべてが必要であることが本質なのです。
本質を理解することが出来れば、不要と考えているものは、不要ではなくなります。
不要と考えていたものは、やがて必要となるのです。
必要を理解すれば、否定する必要はなくなります。
すべての人は、未熟に歪んでいます。
すべての人は、否定しているのです。
否定は、争いを導くでしょう。
すべての人は、不要と争っているのです。
本来ならば、この世界には不要は存在しません。
そのため、争いは存在しないはずなのです。
しかしながら、多くの人は敵を作って争うのです。
争いは、疲弊(ひへい)を促(うなが)します。
人は、争うことによって苦しみ、人生は、争うことによって乏しさを得るのです。
この世界に敵は存在しません。
敵が存在すると主張するのであれば、それは誤解です。
誤解によって本質を得ることは出来ません。
本質を得なければ、豊かさを得ることは出来ないのです。
すべての人は、人生に豊かさを求めています。
しかしながら、多くの人は人生に乏しさを得ています。
それは、敵を作り出して争うからです。
どのような問題も、どのような不都合も、決して敵ではありません。
あなたは、問題や不都合と争う必要はないのです。
問題や不都合は、あなたにとっての大切な学びです。
あなたは、問題や不都合を通じて成長を実現することが出来るのです。
気に入らないからといって、安易(あんい)に争ってはなりません。
自分の主張を貫(つらぬ)くことが最善ではないのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたは何も知りません。
あなたは、何も理解してはいないのです。
この世界には、不要は存在しません。
あなたは、すべてから学びを得ることが出来ます。
敵は存在しません。
そこには、必要が存在するだけなのです。
必要から学びを得ましょう。
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