人は、自分が”何”であるのか?を知りません。
人は、未熟に生まれるのです。
そして、無知を生きているのです。
人は、未熟であり、無知を生きているために、自分が”何”であるのか?を知らないのです。
あなたは、自分が”何”であるのか?を知っていますか?
残念ながら、あなたの考える自分というものは、自分ではありません。
それは、誤解であり、幻想に過ぎないのです。
未熟であり、無知を生きているあなたには、自分の本質を容易に理解することは出来ないのです。
すべての人は、自分を知りません。
自分を知らないということは、自分が経験している人生が何であるのか?ということも知らないのです。
すべての人は、人生が何であるのか?を知らないのです。
自分が”何”であり、人生が何であるのか?ということを知っている人はいないのです。
すべての人は、誤解を抱え、幻想に酔い痴(し)れています。
あなたの考える幸福は、幸福ではありません。
あなたの考える不幸は、不幸ではないのです。
もちろん、幸福も不幸ではありませんし、不幸も幸福ではありません。
残念ながら、あなたには、何も判断することが出来ないのです。
それは、自分が”何”であり、人生が何であるか?を知らないからです。
自分勝手な判断によって、物事を決め付けてはなりません。
あなたには、何一つとして判断を下すことは出来ないのです。
幸福も不幸も存在しません。
この世界に存在するのは、必要だけです。
それ以外には存在しないのです。
幸福や不幸というものは、誤解であり、幻想に過ぎません。
多くの人は、誤解や幻想に対して、一喜一憂(いっきいちゆう)しているのです。
多くの人にとって、人生は悲劇です。
それは、嵐に翻弄(ほんろう)される小舟(こぶね)のようなものなのです。
小舟は、嵐に逆らうことは出来ません。
嵐に逆らえば、一溜まりもなく転覆(てんぷく)してしまうのです。
小舟が転覆しないためには、嵐に従う他ありません。
嵐を利用しなければならないのです。
嵐を利用するためには、嵐に従うことなのです。
風や波に従って操舵(そうだ)するのです。
それ等に逆らっても、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
小舟とは、あなたのことです。
そして、嵐とは人生のことなのです。
あなたは、人生に翻弄されます。
人生における問題や苦しみに対して、振り回されてしまうのです。
小舟が嵐に逆らうことが間違いであるように、あなたが人生に逆らうことは間違っています。
人生は、現状におけるあなたに対しての必要を導くのです。
それは、あなたが成長を実現するためです。
人生は、賢明(けんめい)な親のように、あなたの成長を手助けしています。
人生に逆らうことは、賢明な親に逆らうようなものです。
それでは、必要な成長を実現することは出来ないのです。
人生は、信用に値するものです。
あなたにとっての最善は、人生が知っているのです。
そのため、人生をコントロールする必要はありません。
未熟であり、無知を生きるあなたには、自分にとっての最善は分からないのです。
そのため、すべての人が人生に苦しみます。
人は、自分の願いを叶えれば、人生に豊かさを実現することが出来ると思い込んでいるのです。
しかしながら、人が受け取るのは豊かさではなく、苦しみという乏しさであるのです。
それは、人生に逆らい、自分勝手に振る舞ったからです。
願いを叶えても、人生に満足することが出来るとは限りません。
残念ながら、大抵の場合、願いを叶えても人生に満足することは出来ません。
人生をコントロールしても、豊かさは得られないのです。
元より、人生をコントロールすることなど出来ないのです。
愚かな子どもが、どうして賢明な親をコントロールすることが出来るでしょう?
小舟が嵐をコントロールすることが出来ないように、あなたが人生をコントロールすることなど出来ないのです。
あなたは、人生という嵐の中で、自分が”何”であるのか?人生が何であるのか?ということを学びましょう。
人生をコントロールする必要はありません。
人生が思い通りにならなくても、心配する必要はありません。
なぜなら、人生は思い通りにならないものだからです。
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