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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年2月29日土曜日

幸福病

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生の目的を無視して生きることは出来ません。
誰もが、自分の人生の目的と向き合い、それを果たさなければならないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれました。
それ以外の理由は存在しないということを理解しなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
あなたは、他者とは異なる理由のために生まれたのです。
あなた以外には、あなたの人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたの人生の目的は、あなたでなければ果たすことが出来ないのです。
それは、この世界に唯一(ゆいいつ)の役割なのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければなりません。
それは、誰にも頼むことが出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を見極める必要があります。
人生の目的が何であるか分からなければ、それを果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的を見極めることは容易(ようい)ではありません。
すべての人が、それを忘れています。
そして、大抵の人がそれを見極めることが出来ないのです。
多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
そのため、目の前の快楽や欲望に根差(ねざ)した目標を人生の目的と思い込むのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望のために生きているのです。
それは、自分に都合の良い思考を生み出します。
目の前の快楽や欲望を満たすためには、自分に都合の良い思考が必要です。
自分に都合の良い思考でなければ、目の前の快楽や欲望を満たすことは出来ないのです。
そのため、多くの人は、自分に都合の良い思考に救いを求めます。
多くの人は、幸福のみを求めます。
多くの人は、幸福を求める一方で、不幸を拒絶するのです。
多くの人は、自分に都合の良い人生を求めているのです。
残念ながら、良いことばかりを求めても良いことはありません。
なぜなら、すべての人は未熟であり、何が最善であり、何が必要であるか知らないからです。
多くの人は、幸福であれば良いと考えています。
多くの人は、自分に都合の良いことが最善だと考えているのです。
残念ながら、幸福や自分に都合の良いことだけを手に入れたとしても、あなたが満たされることはありません。
なぜなら、それはバランスを欠いた状態であるからです。
この世界は、光と相対的に闇が存在するのです。
良いことは、悪いことと切り離すことが出来ません。
幸福と不幸は、切り離すことが出来ないのです。
あなたは、世の中に蔓延(まんえん)する幸福という病に注意しなければなりません。
多くの人の考える幸福とは、不幸を拒絶することで成り立っているものです。
それは、偽りであるということを理解しなければなりません。
幸福と不幸が共存する状態こそが真(まこと)なのです。
良いことばかりを追い求めても、あなたが真に辿り着くことは出来ません。
悪いことや敵を拒絶することは愛ではないのです。
愛の無い者が幸福であると思いますか?
愛の無い者が幸福に辿り着くことが出来ると思いますか?
残念ながら、愛の無い者が辿り着くのは偽りです。
それは、愛から最も離れた場所なのです。
多くの人は、不安や不満を抱えながら生きています。
不安や不満を隠すために、それを否定してはなりません。
一歩を愛して一方を軽んじることは出来ないのです。
愛とは、両方を重んじることだからです。
地上を”天国”にする必要はありません。
”天国”は、別のところに存在するのです。
この世界は、良いことと悪いことの両方を体験することが出来る素晴らしい場所なのです。
それを、一方を重んじて一方を軽んじることで、詰(つ)まらない場所にしてはならないのです。
思考では、最善や必要を計り知ることは出来ません。
思考が楽しむ世界は、最善と必要を欠いた歪んだ世界であることを理解しなければなりません。
理想を信用してはなりません。
あなたや周りの人の考える幸福など、最善でもなければ、必要でもないのです。
最善と必要は、人生が導きます。
それぞれの目の前の状況が最善であり、必要なのです。
思考(理想)に従うことは傲慢(ごうまん)であるということを理解しましょう。
あなたには、果たさなければならない目的が存在しています。
それは、あなたの考える理想などではありません。
思考では、人生の目的を見極めることが出来ないのです。
人生の目的を見極めるためには、損得勘定(そんとくかんじょう)を度外視(どがいし)した純粋な心でなければ見極めることは出来ません。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
幸福という病に犯されて、バランスを欠いてはなりません。

2020年2月28日金曜日

迷いの道

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生に意味などないと考えている人もいますが、人生には意味しかありません。
それは、あなたには、果たすべき目的があるからです。
目的が存在するからこそ、人生が存在するのです。
目的が存在しなければ、人生は存在することが出来ないのです。
人生が存在して、目的が生じた訳ではありません。
目的が存在して、人生が生じたのです。
あなたは、この順序を理解しなければなりません。
果たすべき目的が存在するのだから、人生には意味があるのです。
あなたは、無意味に生まれた訳ではないのです。
無気力に人生の目的を諦(あきら)めている者達の意見は、彼等に必要な価値観です。
しかしながら、それがあなたにも必要であるとは限りません。
人は、それぞれの段階にあって、それぞれの学びを得ているのです。
誰もが、同じ段階を学んでいる訳ではないのです。
人は、それぞれに必要が異なります。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は異なるのです。
それが自然なのです。
しかしながら、多くの人は、自分と他者を一緒くたに考えます。
自分がそうなのだから、他者も同じであると決め付けるのです。
残念ながら、人はそれぞれに異なります。
誰一人として、同じではないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在します。
他者も同じように目的を以て生まれます。
しかしながら、人はそれぞれに異なる目的のために生まれるのです。
そうでなければ、生まれる意味がないのです。
人は、それぞれに異なった役割によって、それぞれに世界を支えるのです。
同じ場所にいては、役割が重複(ちょうふく)してしまうのです。
それでは、二人の内の一人は役に立ちません。
それでは、生まれる意味がないのです。
人には、それぞれの場所が与えられているのです。
あなたには、あなたの場所が与えられています。
それを見失ってはならないのです。
あなたは、他者とは異なる目的のために生まれたのです。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
そのことを忘れてはならないのです。
あなたは、自らの人生に意味を探さなければなりません。
そして、目的を果たさなければならないのです。
人生は、誰にとっても迷いの道です。
人は、人生において、紆余曲折(うよきょくせつ)を経るのです。
それは、様々な可能性を経験する必要があるからです。
様々な可能性を経験していなければ、必要を満たすことが出来ないのです。
様々な可能性を経験することによって、人は偏見(へんけん)や誤解を手放すことが出来るのです。
偏見や誤解を手放すことによって、あなたは自分自身に成るのです。
あなたは、様々な可能性を経験することによって自分に成ります。
しかしながら、必要な経験をするためには、都合の悪い状況や理不尽も経験しなければなりません。
多くの人は、それを嫌いますが、あなたが自分に成り、人生の目的を果たすためには仕方のないことなのです。
自分にとって都合の良いことばかりを選び、必要な経験を得られずに人生の目的を果たすことが出来ないよりは、苦悩を生きた方が良いのです。
人生は、迷いの道です。
何一つ、思い通りにはならないのです。
しかしながら、最終的には目的地へと辿り着くことが出来るのです。
自分勝手に生きるのであれば、目的地へと辿り着くことは出来ません。
自分勝手に生きるのであれば、必要な経験を得ることが出来ないからです。
あなたには、人生の意味が分からないのです。
”自分が何か?”も分からない者には、人生の意味は分からないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために、必要な経験を得ています。
様々な可能性を経験しなければ、必要な経験を得ることは出来ません。
自分の都合で人生を判断してはなりません。
残念ながら、あなたは何も判断することが出来ないのです。
あなたは未熟です。
そのために、都合の悪いことも経験しなければならないのです。
良いことも悪いことも経験し、すべての経験を統合した時に、理(ことわり)を見極める力が得られるのです。
物事を善悪で判断しようとしているような人には、理を見極めることが出来ません。
理を見極めることが出来なければ、人生の目的は自ずと見えて来るものなのです。
現状がどのようなものであったとしても、それを学びましょう。
そうすれば、人生は意味のあるものになるでしょう。

2020年2月27日木曜日

不自由な人生

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
目的の存在しない人生など存在しません。
どのような人生であろうとも、果たすべき目的が存在するということを理解しなければなりません。
あなたは、人生に目的が存在するということを理解しなければなりません。
そして、人生の目的を果たす必要があるということを忘れてはならないのです。
誰一人として、人生に自分勝手に生まれることは出来ません。
果たすべき目的が存在しなければ、誰も生まれることは出来ないのです。
人生は、決して自由に生きて良い場所ではないのです。
目的が存在するということは、役割が与えられているということです。
人は、役割を担(にな)うことによって、目的を果たすことが出来るのです。
目的を果たすためには、役割を果たす必要があるのです。
自由に生きたところで、役割を果たすことは出来ません。
人生とは、不自由なものなのです。
それは、役割が存在し、目的が存在するからです。
人生を自由なものだと考えているのであれば、それが誤解であるということを理解しなければなりません。
人生を思い通りに生きることの出来る人はいません。
誰一人として、思い通りに生きることは出来ないのです。
人生を思い通りに生きようとしても、そのようには生きられません。
なぜなら、あなたは、必要を満たさなければならないからです。
必要とは、避けることの出来ない最善です。
どのような人物も、必要を避けることは出来ないのです。
しかしながら、多くの人は、必要を避けようとします。
多くの人は、自分勝手に生きようとして、必要を避けようとするのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
すべての人は、人生の目的を知りません。
すべての人は、自らの担う役割を知りません。
すべての人は、人生が不自由であることを知らないのです。
必要を満たすためには、人生に従わなければなりません。
あなたにとっての必要は、人生が知っているのです。
人生に従って生きれば、自由は手放さなければなりません。
人生に従うとは、不自由なものなのです。
しかしながら、人生に従うことで得る不自由とは、決して悪いものではありません。
人生に従うことで得る不自由からは、遣(や)り甲斐(がい)を得られるのです。
それは、満足を導くでしょう。
しかしながら、人生に従うこともなく、自由という自分勝手を生きれば、結果的には空しさを得るのです。
なぜなら、あなたが自分勝手に生きたとしても、役割や目的を果たすことが出来ないからです。
人生の目的を果たすことがなければ、何を果たしても人生は空しいのです。
人生の目的は、人それぞれに独自のものが与えられています。
一人として、同じ目的のために生まれることはないのです。
避けられないことは、必要であり、最善です。
避けられないことは、避けなくても良いのです。
人生は、自由に生きれば良いというものではありません。
人生は、自由に生きることが出来なくても良いのです。
人生は、不自由でも良いということを理解しなければなりません。
現実は、覆(くつがえ)ることがありません。
悪いことのように思えたとしても、それは悪くありません。
なぜなら、あなたの目の前には、必要が導かれるからです。
残念ながら、それは都合の悪いことであるかも知れません。
人生に導かれる大抵のことは、あなたにとって都合の悪いことでしょう。
しかしながら、あなたが人生の目的を果たすためには、都合の悪いことを経験することは仕方のないことなのです。
なぜなら、あなたは人生の目的を知らないからです。
人生の目的は、人生が知っています。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生に従わなければならないのです。
目的地までの道程(どうてい)は、先導者にしか分かりません。
しかしながら、あなたは道が分からないにもかかわらず、先導者である人生に不満を抱き、文句を吐(は)いているのです。
先導者に反すれば、目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたには、目的地までの道程が分からないのです。
大人しく人生の道案内に従いましょう。
不自由を受け入れるのです。
人生がもたらす不自由は、決して悪いものではないのです。
あなたは、人生を信用しましょう。
頼るべきは、人生なのです。
先導者が導いていれば、自分勝手に歩むことが出来ません。
現状が思い通りにならないからといって、自分勝手に生きてはなりません。
その選択は、あなたを人生の目的から遠ざけるのです。
人生には、避けられないことがあります。
あなたは、それを無理に避けようとしてはなりません。
避けられないことは避けられないのです。
人生は、自由であれば良いというものではありません。
不自由であったとしても、人生の目的を果たすことの出来る生き方が良いのです。

2020年2月26日水曜日

問題の解決方法

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような人物のどのような人生にも、果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたは、人生に目的が存在し、それを果たす必要があるということを理解しなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすには、あなたは未熟であるからです。
未熟であるあなたには、人生の目的を果たすことは難しいのです。
あなたは、人生の目的を果たすことを簡単に考えてはなりません。
人生の目的を果たすことは、至難(しなん)の道であるということを理解しましょう。
しかしながら、あなたは人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、人生において、最も難しいことのために生まれたということを理解しましょう。
人生の目的を果たすことが難しいのは、人生の目的に対して、あなたが未熟であるからです。
人生の目的は単純であり、決して難しいことではありません。
しかしながら、それを果たすことが難しいのは、条件が整わないからです。
人生の目的を果たすためには、それを果たすための条件を満たさなければなりません。
条件を満たさなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生において難しいのは、人生の目的を果たすための条件を満たすことです。
人生の目的を果たすための条件を満たすことが難しいのは、人生に理想が実現することはないからです。
人生は、思い通りには出来ません。
人生は、思い通りには成らないのです。
あなたは、理想に対して、常に不足しています。
あなたは、人生において常に不足を感じなければならないでしょう。
理想が実現すれば、簡単に思えることも、理想が実現しないために難しいのです。
人生には、問題が生じます。
それは、あなたが解決しなければならない課題なのです。
問題を解決するためには、それに感謝することが出来るようになる必要があります。
問題は、感謝によって解決するのです。
あなたが感謝することがなければ、問題は解決しません。
上辺(うわべ)の解決方法では、解決しないのです。
それは、何度、葉を引き千切っても復活して花を咲かせるたんぽぽのようにしつこいのです。
たんぽぽを取り除くためには、根を断たなければなりません。
綺麗に葉を引き千切ったとしても、根を残していれば、何度でも復活するのです。
問題の根は感謝によって引き抜くことが出来ます。
感謝することがなければ、問題は何度も復活するということを理解しなければなりません。
問題を解決するためには、問題に対して感謝することです。
あなたは、感謝することが問題を解決する唯一(ゆいいつ)の方法であることを知らなければなりません。
感謝することを目指さなければ、持っているもので問題を解決するしかないのです。
残念ながら、あなたは常に不足を経験します。
問題を解決しようとしても、何かしらの不足が生じるのです。
そして、理想的な問題解決を実現することが出来ないのです。
持っているものは、必ず何かしら足りません。
持っているもので問題の解決に努めても、部品が足りないのに作り始めたということに成ってしまうのです。
どれだけ探しても、部品は足りないのです。
理想は、足りない部品が揃(そろ)っている状態なのです。
しかしながら、現実は部品が足らないのです。
それは、どこを探しても見付かりません。
残念ながら、理想の部品はどこにも存在しないのです。
あなたは、足りないままで向き合わなければならないのです。
問題の解決は、感謝することです。
要(よう)するに、感謝することが出来れば良いのです。
物理的な方法に執着(しゅちゃく)して、本質を見失ってはなりません。
あなたは、理想を実現するために問題と向き合っている訳ではないのです。
理想の実現は、問題ではないのです。
感謝することが出来るかどうか?ということが問題であるのです。
問題の本質を取り違えてはなりません。
人生には、理想が実現しなくても良いのです。
理想に惑(まど)わされてはなりません。
表面的な方法に執着してはならないのです。
本質を見失えば、理想を実現するために、”無駄な”努力を繰り返さなければならないのです。
あなたは、人生には、理想が実現する必要がないということを理解しなければなりません。
問題に対して、感謝することが出来れば良いのです。
ただし、表面的、形式的な感謝ではなりません。
実質的な感謝とは、その問題を経験して良かったと思えることなのです。
あなたは、現状によって問題を解決するしかないのです。
不足を補(おぎな)えば問題を解決することが出来るなどと考えてはなりません。
不足は補うことが出来ないし、理想を実現することは出来ないのです。
問題の解決方法を見誤ってはなりません。

2020年2月25日火曜日

現実は変わらない

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外のことのために生まれる人はいないのです。
どのような人物であろうとも、自らの人生の目的を果たさなければならないのです。
どのような人生にも、果たさなければならない目的が存在します。
あなたは、それを果たさなければならないのです。
残念ながら、人生の目的を無視して生きることの出来る人はいません。
どのような人物も、人生の目的と向き合う必要があるのです。
人生の目的は、宿命が案内してくれます。
宿命とは、避けることの出来ない学びのことです。
あなたは、宿命に導かれて、人生の目的を果たすのです。
残念ながら、人生を思い通りに生きることの出来る人は存在しません。
どのような人生も、決して思い通りには出来ないのです。
すべての人生は、思い通りには出来ません。
理想は実現しません。
人生に実現するのは、必要だけなのです。
人生における必要とは、人生の目的を果たすために必要なことなのです。
人生は、目的を果たすために展開するのです。
あなたが意識するしないに関わらず、人生は宿命を使ってあなたを人生の目的へと導くのです。
あなたは、嫌でも人生の目的と向き合わなければならないのです。
人生に生じるどのような状況も、あなたにとっての必要であり、あなたにとっての最善であるのです。
残念ながら、多くの人は、それを理解することが出来ません。
多くの人は、自分には、より良い状況が存在すると思い込んでいるのです。
多くの人は、目の前の現実を受け入れることが出来ません。
多くの人は、目の前の現実を嫌うのです。
それは、理想とは異なるからです。
目の前の現実は、そのどれもが理想とは異なります。
残念ながら、人生に理想が実現することはありません。
なぜなら、理想とは、未熟者の誤解に過ぎないからです。
あなたは、”自分とは何か?”分かりますか?
残念ながら、その問いに答えることは出来ないのです。
なぜなら、すべての人は、自分に成るために生まれたからです。
人生の目的を果たすということは、自分に成るということなのです。
あなたは、自分に成るために生きているということを理解しましょう。
人生とは、”自分とは何か?”という問いに答えを出す道程(どうてい)であるということを覚えておかなければなりません。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)り、不満と戦い、不安から逃げることが人生ではないのです。
あなたは、自分に成るために生きなければなりません。
あなたが自分に成るためには、自分の本質を得なければなりません。
本質は、最も深く、最も中心に存在しています。
あなたは、そこへ辿り着かなければならないのです。
本質を得なければ、本質を見ることも、聞くことも、言うことも、触れることも、生み出すことも出来ないのです。
人生を完成させるためには、本質を得なければなりません。
あなたは、真(まこと)を見て、真を聞いて、真を言い、真に触れて、真を生み出すのです。
真に生きることによって、人生は完成するのです。
偽りを生きては、人生が完成することはありません。
真を生きれば豊かさを得ます。
しかしながら、偽りを生きれば空しさを得るのです。
真を生きれば満足を得ます。
しかしながら、偽りを生きれば不満を得るのです。
あなたは、現状に満足を得ていますか?
あなたが現状に満足を得ているというのであれば、そのまま進むべきです。
しかしながら、現状に不満を得ているのであれば、進み方を改める必要があるでしょう。
偽りを生きることでは、自分に成ることも、人生を完成することも出来ません。
真を生きなければ、自分に成ることも、人生を完成させることも出来ないのです。
あなたは、真を生きましょう。
真とは、宿命が導く現実のことです。
あなたは、現実を生きなければならないのです。
現実が喜びであれば喜び、現実が苦しみであれば苦しむのです。
喜びを苦しみに変えようとしたり、苦しみを喜びに変えようとしてはなりません。
現実は、必要として導かれたのです。
あなたには、その現実を経験する必要があるのです。
起きたことはどうすることも出来ないし、過ぎたことを悔やんでも仕方のないことです。
起きたことや過ぎたことをどうするか?ではなく、これからのことを考える必要があるのです。
現実は変わりません。
変えられるとすれば、次の現実なのです。
あなたは、真を生きましょう。
あなたには、それは辛(つら)いことであるかも知れません。
しかしながら、未熟であるために辛いということを覚えておきましょう。
成長すれば、その辛さも感謝へと変わるのです。
現実は変わらないということを覚えておく必要があるのです。
変わるのは、あなたの方なのです。
成長しましょう。

2020年2月24日月曜日

負けを認める

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、何よりも重要なことです。
あなたは、どのような理由があっても、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的とは、人生に生まれた理由です。
それ以上に重要なことは、人生においてありません。
しかしながら、多くの人は、人生の目的の重要性を理解しません。
多くの人は、自らの抱える快楽や欲望の実現や、トラウマや妄想(もうそう)への対応を重要視するのです。
それ等は、人生の目的から目を背けるための仕掛けです。
ただ生きているだけでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
多くの人は、人生の目的から目を背けるための仕掛けに陥(おちい)ってしまうのです。
残念ながら、それでは人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生の目的から目を背けるための仕掛けを退(しりぞ)けなければならないのです。
人生の目的を考えながら生きなければ、人生の目的から目を背けるための仕掛けを退けることは出来ません。
あなたは、人生の目的を考える必要があるのです。
人生の目的を考えるのは、人生の目的を理解するためです。
人生の目的を理解することによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
何をすれば良いか分からなければ、何をして良いか分からないのです。
あなたは、人生の目的を考えましょう。
”普通”に生きてはなりません。
”人生とは何か?”と考えなければなりません。
そして、”自分とは何か?”と考えなければならないのです。
あなたは、それ等の問いに向き合い続ける必要があるのです。
もしも、それ等の問いに向き合い続けるのであれば、その答えが人生において、どれだけ重要なのかを理解することが出来るでしょう。
それ等の問いに対する答えが無ければ、人生の目的を果たすことは出来ないからです。
あなたは、答えを得なければなりません。
そのためには、無知や未熟を認める必要があるのです。
なぜなら、自分が正しいと思い込んでいる者や、自尊心(じそんしん)の強い者は、それ以上に理解を深めることは出来ないからです。
自分が正しいと思い込んでいる者は、それ以上の知恵を受け入れることが出来ません。
残念ながら、すべての人が無知や未熟に生まれるのです。
誰一人として、正しい人など存在しないのです。
そのことを受け入れることが出来なければ、それ以上の知恵を得ることは出来ないのです。
そして、無知や未熟を克服することは出来ないのです。
大切なのは、負けを認めることです。
人生は、思い通りにはなりません。
何一つ、あなたの思い通りにはならないのです。
それは、あなたが負け続けているということを意味しているのです。
あなたよりも、強力な相手や状況が現れるのです。
あなたは、それをどうすることも出来ません。
あなたは常に負けなければなりません。
何をしても、あなたは間違えているし、失敗するのです。
それは、あなたが無知であり、未熟であるために仕方のないことなのです。
しかしながら、それは、決して悪いことではありません。
誰にとってもそれが自然なのです。
あなたは負けます。
それは仕方のないことです。
大切なのは、負けを認めることです。
それは、自分自身の無知や未熟を認めることなのです。
自分の弱さを認めることが出来れば、より良い知恵を受け入れることが出来るのです。
負けを認めない限りは、それ以上に成長することは出来ないということを理解しなければなりません。
傲慢(ごうまん)に意地を張ってはなりません。
あなたは、弱いのです。
負けることは、多くを失うことではありません。
負けることは、多くを得ることだと理解しましょう。
残念ながら、多くの無知と未熟を抱える者には、そのことを理解することが出来ません。
多くの人は、負けることが損失だと思い込んでいるのです。
負けを認めることは、弱さではありません。
負けを認めることは、強くなければ出来ないことなのです。
あなたは、自分が正しいという思い込みや、自尊心を手放し、負けを認めましょう。
より良い知恵は、負けを認め、心を開かなければ得られないものなのです。
あなたは何も知りません。
あなたは、何も出来ないのです。
自分自身が無知で未熟であるということを受け入れましょう。
そして、負けを認めるのです。
人生に勝ち続けることは出来ません。
あなたでは、人生をどうすることも出来ないのです。
人生を思い通りにすることは出来ません。
より良い知恵を得るために、心を開きましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2020年2月23日日曜日

諦めずに進む

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような人物であっても、人生の目的を無視することは出来ません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたが人生を生きる理由は、人生の目的を果たすためです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由は存在しないということを理解しなければなりません。
人生の目的は、何よりも重要なことだと理解しましょう。
あなたが優先すべきは、人生の目的です。
人生の目的を果たす以上に重要なことなど存在しないのです。
人生におけるすべての経験は、あなたが人生の目的を果たすために経験しなければならない必要です。
人生におけるすべての経験は、あなたが人生の目的を果たすために導かれているのです。
そのため、人生において、偶然や不運というものは存在しないのです。
もちろん、奇跡や幸運というものも存在しません。
すべては、あなたにとっての必要だと理解しなければなりません。
多くの人が、人生に偶然や不運、奇跡や幸運が存在すると思うのは、人生の目的と、その過程を理解することが出来ないからです。
それ等のことが分からないから、物事が何の因果(いんが)もなく、突然に出現するように思えるのです。
しかしながら、人生を振り返った時には、すべての経験が必要であったという事実に気が付くことが出来るのです。
多くの人は、過剰や不足が存在すると思い込んでいます。
自分の判断によって、過剰や不足を決め付けているのです。
それは、人生が必要で満たされているということを信用することが出来ていないからです。
人生に無意味に生まれる人はいません。
どのような人物であろうとも、必要によって生まれるのです。
無意味に生まれるのであれば、生まれる意味が無いのです。
どのような人物の、どのような人生にも、この世界やあなたにとっての重要な意味が存在するということを理解しなければなりません。
あなたが、どのような性質、性格、特徴、能力、環境に生まれようとも、それを悲観する必要はありません。
もちろん、それに歓喜(かんき)し、図(ず)に乗ってはなりません。
すべては、必要のためなのです。
あなたには、過剰も不足も与えられてはいません。
あなたには、必要だけが与えられているのです。
しかしながら、多くの人は、そのことを理解しません。
人生には、過剰や不足が存在すると信じ込み、暗中模索(あんちゅうもさく)しているのです。
それが、どのような現状であろうとも、あなたにとって、この世界にとっての必要です。
自分の都合で考えているのであれば、必要を理解することは出来ません。
残念ながら、自分の都合というものは、必要を理解することが出来ません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
あなたは、”自分が何か?”ということすら分からないのです。
”自分が何か?”ということすら分からないのに、”人生が何か?”ということは分からないのです。
当然のことながら、すべての経験が必要であることも分からないのです。
何も知らない者の都合など、当てにならないということを理解しなければなりません。
多くの人は、自分の都合で人生を考えます。
自分にとって都合の良いことが必要であり、自分にとって都合の悪いことが不要であると信じているのです。
残念ながら、そのような幻想を信じてはなりません。
あなたには、知らないことの方が多いのです。
都合とは、既存(きぞん)の価値観によって導かれる価値判断です。
あなたは、自分の以前の価値観に従うことが出来ますか?
五年前、十年前の価値観で判断することが最善だと思うでしょうか?
残念ながら、そのようには思わないはずです。
なぜなら、あなたは様々な知識と経験を経て、価値観を育てているからです。
未熟な価値観に従うことが問題を引き起こすことを学習しているのです。
多くの人は、過去との比較によってはそのことを理解しています。
しかしながら、未来との比較ではそのことを理解しないのです。
現状のあなたは、未来の自分に対して未熟です。
明日のあなたは、今日のあなたよりも優れた価値観に従っています。
明日のあなたが、今日のあなたの価値観に従うと思いますか?
今日のあなたが、過去のあなたの価値観に従うことが無いように、明日のあなたが今日のあなたの価値観に従うことは無いのです。
あなたは無知です。
自分自身の判断を信用してはならないのです。
都合で判断するのは浅はかなのです。
あなたには、人生の目的が分からないのです。
都合が悪いことが必要であるかも知れません。
問題や苦悩が必要であるかも知れないのです。
過去に、都合の悪いことや問題や苦悩が必要であったことは幾度(いくど)となくあったことなのです。
都合で判断してはなりません。
既存の価値観で人生を計ってはならないのです。
無謀(むぼう)に思えることも、それが必要であると”感じる”のであれば、挑戦してみましょう。
周囲の人や、自分自身の弱い心が反対するとしても、それを必要と”感じる”のであれば、挑戦してみるのです。
失敗を恐れることはありません。
なぜなら、あなたは何に挑戦しても、初めは必ず失敗するからです。
失敗しなかったことなど無かったのです。
ただ、そのことを忘れているだけです。
あなたは、問題や苦悩に道を塞(ふさ)がれようとも、諦めずに進みましょう。
必要を”感じて”、諦めずに進みましょう。

2020年2月22日土曜日

美しい心

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人生には、果たさなければならない目的が存在するのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような人生にも、目的が与えられているのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれました。
どのような人にも果たすべき目的が存在するのです。
人生の目的は、人生を始める前に決めてあるものです。
それは、生まれた後では変えることが出来ません。
あなたは、人生の目的のために生まれ、人生の目的のために死ぬのです。
それが、人生であるということを理解しなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
多くの人は、目的を決めるものだと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたは人生の目的を決めることは出来ません。
なぜなら、人生の目的は、人生を始める前に既に決めてあるものだからです。
人生の目的は、あなたが自分自身で決めるのです。
残念ながら、あなたはそれを覚えてはいないだけです。
しかしながら、因果の仕組みが支配するこの世界においては、人生の目的という原因が存在しなければ、人生という結果を実現することは出来ないのです。
後天的(こうてんてき)に決めた人生の目的によっては、本来の人生の目的を書き替えることは出来ません。
どのような意思も、本来の人生の目的を変えることは出来ないのです。
人生の目的は、どのような理由があろうとも変わることはないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれるのです。
それが、人生における約束であるということを理解しましょう。
あなたは、本来の人生の目的のためにしか生きることは出来ないのです。
本来の人生の目的を果たす以外には、人生に満足する方法はないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それ以外の生き方は、人生を空しいものにしてしまうのです。
大切なのは、宿命に従うことです。
人生は、宿命によって、人生の目的を知らせます。
あなたは、宿命に従うことによって、人生の目的を果たす方法を知るのです。
宿命に逆らっているのであれば、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたには、何が人生の目的であるか分からないのです。
そして、どうやって人生の目的を果たせば良いかも分からないのです。
人生の目的を理解し、それを果たすためには、宿命の導きが必要なのです。
あなたが人生の目的を果たし、人生に満足するためには、宿命に従わなければなりません。
しかしながら、無条件に宿命に従うことが出来る訳ではありません。
人が、宿命に従うためには、美しい心が必要なのです。
純粋であり、素直でなければ、宿命に従うことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は心を汚しています。
多くの人の心は、酷(ひど)く歪められているのです。
汚れ、歪んだ心では、宿命の導きに従うことが出来ません。
なぜなら、汚れ、歪んだ心では、宿命の導きを信用することが出来ないからです。
残念ながら、宿命は、あなたの都合に配慮(はいりょ)しません。
あなたにとって都合の悪いようなことであったとしても、宿命に従うのであれば、受け入れなければならないのです。
心が美しく純粋でなければ、そのようなことを受け入れることは出来ないのです。
汚れて歪んだ心は、自分に都合の良いことが最善だと思い込むのです。
多くの人が、自分に都合の良いことを選ぶのは、そのためなのです。
子どもは、損得勘定(そんとくかんじょう)の影響を直接的には受けません。
それは、心が美しく、純粋な割合が多いからです。
そのため、幼年である程に、宿命に従うことが出来るのです。
残念ながら、人は、この世界に馴染(なじ)む程に心を汚してしまいます。
長く生きる程に、人生の目的を見失い、宿命を信用することが出来なくなってしまうのです。
反対に考えれば、心を磨けば、宿命を再び信用することが出来るということなのです。
人生の目的を果たし、人生に満足するためには、心を磨くしかありません。
心を磨き、宿命に従って生きることによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
大切なのは、美しく純粋な心で生きることです。
宿命に従うことが重要なのです。
人生は、自分勝手に生きることを目的とはしていません。
本来の人生の目的とは、この世界に貢献(こうけん)するものであるのです。
自分自身のために生まれる者はいないのです。
誰かや何かのために生きることによって、結果的に自分自身のために成るということはあれど、自分自身のために生まれることはないのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
心が汚れ、歪んでいる者は、自分自身のために生きようと努めます。
それは、不安や心配に支配されているからです。
自分自身のために生きなければ不安であり、心配なのです。
残念ながら、貢献しなければ、自分自身のためにはなりません。
自分自身のために生きることは、自分自身のためにはならないということを理解しましょう。
あなたは、宿命に従って貢献しましょう。
宿命は、あなたに貢献をさせるのです。
あなたは、自分以外の誰かや何かのために生まれたのです。
そのことを忘れてはなりません。
心を磨く程に、あなたは、自分以外の誰かや何かのために生きるようになるでしょう。
自分以外のために生きることを恐れてはなりません。
心を磨き、人生の目的を果たしましょう。

2020年2月21日金曜日

結果オーライ

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人生には、目的が存在するのです。
それは、初めから決まっていることです。
因果の仕組みが支配するこの世界においては、原因が存在しなければ、結果は存在することが出来ません。
人生という結果を実現するためには、人生の原因が必要なのです。
人生の原因とは、果たすべき目的です。
人生に目的が存在するからこそ、人生を始めることが出来たのです。
この世界に無意味に生まれる人はいません。
どのような人物も、果たすべき目的を以て生まれるのです。
目的も無く人生を始めることの出来る人はいません。
無意味な人生など存在しないのです。
どのような人生であろうとも、意味があり、価値があるということを理解しなければなりません。
あなたが人生の意味や価値を理解しなければ、人生に意味や価値が見出されることはないのです。
人生は、その目的である意味や価値を見付けて欲しいと願っているのです。
残念ながら、多くの人は、人生に対して、その意味や価値を見失っています。
ただ、生存するために生きているのが現状なのです。
多くの人は、死なないために生きています。
多くの人は、人生に目的も無く生きているのです。
残念ながら、そのような生き方は間違いです。
人生は、意味や価値の無い空しいものではありません。
すべての人生には大切な意味があり、重要な価値があるのです。
この世界には、無意味や無価値は存在することが出来ないのです。
なぜなら、それは無意味であり、無価値であるからです。
無意味や無価値というものは、あなたの認識の中だけに存在する誤解なのです。
この世界には、無意味や無価値というものは存在しません。
それ等は、あなたの中だけに存在し、やがてはその誤解も解けるということを理解しましょう。
人生に対して真剣に向き合えば、すべてに意味が存在し、価値があるということに気が付くのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生に向き合うというのは、人生について考えることです。
そして、宿命に従(したが)って行動することです。
人生について考えれば、宿命の導きに気が付きます。
人生について考えれば、人生が思い通りにはならないことに気が付くのです。
そして、それでも最善が実現しているということに気が付きます。
宿命に従えば、常に最善を得られるということを理解するのです。
宿命とは、避けることの出来ない経験です。
それは、あなたにとっての必要のことなのです。
必要は、どのような理由があろうとも受け取らなければなりません。
あなたは、やらなければならないことは、やらなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、宿命(必要)を受け入れることが出来ません。
自分の考えが正しいと思い込み、宿命の導きを信用することが出来ないのです。
なぜなら、宿命の導きは、あなたにとって予想外の展開だからです。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
そして、すべての人が無知なのです。
そのため、最善である宿命の導きに従う意味や価値を理解することが出来ないのです。
あなたは、何を始めるにしても、細かいことは気にしてはなりません。
何を始めるにしても、それを大雑把(おおざっぱ)に始めるのです。
細かいことは、後に考えるのです。
そうでなければ、何事も始めることが出来ないのです。
赤子は、上手く歩けることを気にしません。
赤子は、歩く必要があるから歩こうとするのです。
もちろん、容易(ようい)に歩くことは出来ません。
大抵の挑戦は失敗に終わるのです。
しかしながら、諦めずに歩もうと努めるのです。
あなたが何気無く歩いているのは、赤子の時に細かいことは気にせずに歩もうと努めたからです。
あなたは、歩く必要があったのです。
だから、歩いているのです。
赤子が歩くのは、宿命に従った行動です。
赤子には、宿命に従って行動することが出来るのです。
しかしながら、成長するに連れて、多くの人は、宿命に従うことが出来なくなってしまったのです。
人生は、難しく考える必要はありません。
あれが良いとか、これが悪いとか、損得勘定(そんとくかんじょう)で生きてはならないのです。
他者よりも有利に生きることには、残念ながら思うような価値はありません。
それは、あなたの人生の豊かさには、何の関係も無いことなのです。
人生の豊かさとは、人生の目的を果たしたかどうか?という基準でしか決まりません。
人生の目的を果たす者だけが人生の豊かさを手にするのです。
宿命に反し、人生の目的を拒絶する者は、乏しさを手にするのです。
何が良いか?あなたには分かりません。
何が悪いか?あなたには分からないのです。
過程から結果を理解することは出来ません。
現状の人生から、人生の終焉(しゅうえん)を理解することなど出来ないのです。
あなたは、宿命(必要)に従って歩みましょう。


そうすれば、人生は”結果オーライ”なのです。

2020年2月20日木曜日

装飾

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
これは、とても重要なことです。
なぜなら、あなたは、人生の目的を果たすために生まれて来たからです。
あなたが人生を生きる理由は、人生の目的を果たすことなのです。
これは、多くの人が忘れていることです。
大抵の人は、人生に目的が存在することを知りません。
多くの人は、人生に目的を探しているのです。
探しているのは、それが無いと思っているからです。
無いから探すのです。
しかしながら、人生の目的は、常にあなたと共に存在しているのです。
そのことを理解しなければなりません。
人生の目的が常に自分と共に存在することを知れば、人生の目的を探す必要は無くなります。
人生の目的が常に自分と共に存在することを知れば、自分に成れば良いだけだからです。
多くの人は、人生の目的を探します。
しかしながら、どれだけ探しても見付かりません。
なぜなら、自分という状態でなければ、見ても見えないからです。
自分でなければ、聞いても理解することが出来ません。
自分でなければ、触れても理解することが出来ないのです。
ただ、生存を続けるだけでは、人生の目的に気付くことは出来ません。
なぜなら、ただ生存を続けるだけでは、自分である必要がないからです。
自分でなくても、ただ生存を続けることは出来るのです。
自分を否定(ひてい)し、人生の目的を無視しても、ただ生存を続けることは出来るのです。
残念ながら、多くの人は自分を否定し、人生の目的を無視しています。
多くの人は、ただ生存を続けるのです。
人生の目的を果たさなければ、人生は空しい時間です。
何を得ても、人生の目的を果たさなければ、人生に豊かさを実現することは出来ません。
この世のすべての富を手に入れたとしても、真実の愛を手に入れたとしても、人生の目的を果たさなければ、人生は空しいのです。
残念ながら、多くの人はそのことを理解しないのです。
有り余る富を手に入れたり、真実の愛を手に入れることによって、人生に豊かさが実現し、満足することが出来ると信じているのです。
例え、貧しい暮らしを強いられていたとしても、例え、真実の愛を手に入れることが出来なくても、人生の目的を果たすのであれば、人生に満足することが出来るのです。
表面的な価値に惑(まど)わされてはなりません。
人生の本質的な価値とは、人生の目的を果たすことが出来るか?どうか?ということだけなのです。
人生の目的以外は、すべてが”張(は)りぼて”なのです。
見た目に騙(だま)されてはなりません。
大切なのは、本質を見極めることなのです。
あなたが、人生に豊かさを求めているのであれば、自分に成りましょう。
人生の目的を果たすのです。
自分でなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
自分でなければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
富や愛によって、騙されてはなりません。
それ等は、人生における装飾(そうしょく)に過ぎないのです。
人生の目的よりも、重い富や愛があると思いますか?
残念ながら、そのようなものはありません。
人生の目的は、人生の内で最も重要なものなのです。
人生の目的に勝るものは存在しないのです。
残念なことに、人生の目的を果たす以外には、人生を完成させることは出来ません。
富や愛を探し回っても、人生を完成させることは出来ないということを理解しなければなりません。
多くの人は、富や愛を探し回っています。
そのような人は、装飾に目が眩(くら)み、本質を理解することが出来ないのです。
多くの人が、不安や不満に陥(おちい)り、人生を満足することが出来ないのはそのためなのです。
多くの富や愛を手に入れ、幸せに生きることで、人生を満足することが出来るでしょうか?
残念ながら、人生の目的を無視して、自分勝手に満足を得ることなど出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
そのために、先ずは自分に成りましょう。
あなたは、自分として生きるのです。
幸せに成ることが目的ではありません。
人生は思い通りにはなりません。
それが自然です。
しかしながら、それで良いということを覚えておかなければなりません。
先のことは分かりません。
最善は分からないのです。
表面的なことに惑(まど)わされず、本質を見極めましょう。
幸せに成ることが目的ではありません。
満足することが目的なのです。
幸せは、考え方一つでどうとでもなります。
しかしながら、満足は、人生の目的を果たさなければ得られないのです。

2020年2月19日水曜日

異なる手段

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、誰にとっても重要なことなのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければなりません。
誰一人として、同じ目的のために生まれることは出来ません。
人は、それぞれに異なる目的のために生まれなければならないのです。
あなたには、あなただけの目的があります。
あなたは、自分だけの目的地へと向かって歩まなければならないのです。
その目的地には、あなた以外には誰も到達することはありません。
あなたの人生の目的は、あなただけが果たすべきものなのです。
他の誰かがそこへ辿り着くことはありません。
誰も、あなたの辿り着くべき目的地へと歩みを進める人はいないのです。
あなたの人生の目的は、あなたが果たさなければなりません。
あなたの人生の目的は、あなただけが担(にな)ったこの世界の役割なのです。
あなたでなければ果たすことが出来ないのです。
この世界には、無駄は存在しません。
すべてが無駄なく準備されているのです。
この世界には、余りは存在しません。
誰一人として、無駄に生まれる者はいないのです。
どのような人物であろうとも、生まれる意味と価値があるということを理解しなければなりません。
あなたにも、意味と価値が与えられているのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
あなたは、自分自身に意味と価値が与えられているということを理解して、目的地へと歩みを進めなければなりません。
目的地へと歩みを進めるということは、自分自身の役割を果たすために努めるということです。
人が、人生の目的を果たすためには、自分自身に成る必要があるのです。
自分自身に成ることが、人生の目的を果たすということなのです。
あなたが、自分自身に成るためには、誰かの真似をしてはなりません。
誰かの様に生きても、あなたは自分自身には成れないのです。
あなたが自分自身に成るためには、自分の目的地へと向かう必要があるのです。
目的地は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれに異なる場所に向かわなければならないのです。
あなたが自分の目的地へと辿り着くためには、他者とは異なる道を歩まなければなりません。
目的地が異なれば、そこへ辿り着く手段も異なります。
人が自分自身に成るためには、それぞれに相応しい手段を用いなければならないのです。
誰かと同じような手段を用いても、自分自身に成ることは出来ないのです。
あなたが自分自身に成るためには、自分自身に成るための手段を選択しなければなりません。
そして、それを実行しなければならないのです。
人生の目的地は、人それぞれに異なります。
そこへ辿り着く手段も異なるのです。
あなたは、自分自身に成るために生きなければなりません。
あなたは、自分自身の目的を果たすために生きなければならないのです。
人が、自分自身を目指す時、生き方は自然と異なります。
あなたの生き方が、他者と異なっている時は、人生が順調に進んでいるということを理解しなければなりません。
多くの人は、誰かと同じような生き方に安心感を覚えます。
しかしながら、誰かと同じように生きても、自分自身に成ることは出来ません。
目的地が異なれば、手段も異なるのが自然なのです。
あなたは、誰かの様に生きる必要はありません。
誰かと同じように生きたとしても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
自分自身に成るために生きることは、心細さを覚えます。
それは、人にはそれぞれの生き方が存在するからです。
あなたが自分自身に成るためには、必要と不要を選ばなければなりません。
必要を得ることによって、あなたは自分自身に成ることが出来るのです。
自分自身に成るということは、偏(かたよ)るということです。
自分自身に成るということは、孤独に成るということでもあるのです。
あなたは、他者からの理解や賛同(さんどう)を得られないかも知れません。
しかしながら、それでも良いということを理解しなければなりません。
自分自身に成るということは、そういうことなのです。
目的地が異なれば、手段も異なります。
人生における必要は、人それぞれに異なるのです。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は異なるのです。
そのことを理解して、違いを認め合いましょう。
同じ手段では、異なる目的地へは辿り着くことが出来ないのです。
あなたは、自分の目的地へと向かって歩みましょう。
違いを恐れてはなりません。

2020年2月18日火曜日

自由な心

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、人生に果たすべき目的があるのです。
人生は、無意味な時間ではありません。
すべての人が、人生に意味を以て生まれるのです。
人生に目的が存在しなければ、無意味な時間に成ってしまいます。
しかしながら、この世界に無意味なことは存在しません。
無意味なことは、この世界に存在することが出来ないのです。
この世界には、すべてに意味が存在します。
すべてのことに大切な意味が存在するのです。
どのようなことも、決して無駄ではありません。
あなたは、すべてに意味が与えられているということを理解しましょう。
あなたの人生には、果たすべき目的が存在します。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
無意味に生まれる人は存在しないのです。
意味も無く、この世界に生まれることの出来る人など存在しないのです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めたものです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれるのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を知りません。
多くの人は、人生に目的があることを知らずに生きるのです。
しかも、それが人生を始める前に決めた目的であるということを理解することが出来ないのです。
そのため、既存(きそん)の価値観で人生を計ります。
人生の目的は、既存の価値観で計ることは出来ません。
そして、既存の価値観で果たすことも出来ないのです。
多くの人は、人生を思い通りにしようとします。
多くの人は、人生が思い通りに進むことを喜ぶのです。
なぜなら、多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるからです。
自分の思い通りに進めば、人生が完成すると思い込んでいるのです。
残念ながら、理想を実現したとしても、人生が完成することはありません。
理想を実現したとしても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、あなたには、人生の目的を理解することが出来ません。
既存の価値観では、人生の目的を計ることは出来ないのです。
多くの人は、人生の目的を知らずに生きています。
そのため、思い通りにすることが最善だと信じています。
多くの人は、人生が思い通りに進まなければ、すぐに不満や不安に思うのです。
多くの人が、不満や不安を抱えながら生きています。
それは、理想が実現しないためです。
人生は、あなたの思い通りに進んではなりません。
なぜなら、あなたは何も知らず、偏見(へんけん)と誤解に満ちているからです。
あなたは、人生の目的を知りません。
人生の目的を知らないのに、どうして理想が実現することが最善だと分かるのでしょうか?
人生の目的を知らないのだから、何が最善なのかも分からないはずなのです。
人生は、未熟者の理想が実現すれば良いというような、単純なものではないということを理解しなければなりません。
人生の目的を知らないのだから、理想の実現に執着(しゅうちゃく)する必要はありません。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
人生は、思い通りにならなくても良いのです。
寧(むし)ろ、人生は思い通りに進んではならないのです。
あなたは、宿命の導きを信じなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、もらうことばかりを考えています。
未熟であり、弱いために、不満や不安を覚えます。
多くの人は、未熟であり、弱いために、もらうことばかりを考えるのです。
もらうことばかりを考えている者は、自分にとって都合の悪い状況を受け入れることが出来ません。
なぜなら、もらうことばかりを考えているからです。
人生の目的を果たすためには、貢献(こうけん)する必要があります。
なぜなら、自分勝手に生きることが、人生の目的を果たす手段ではないからです。
貢献することは、価値を与えることで実現します。
もらうことばかり考えている者には、価値を創造することは出来ません。
価値を創造することが出来なければ、価値を与えることも出来ないのです。
もらうことばかりを考えていれば、人生は決して思い通りには進みません。
しかしながら、与えることは思い通りです。
人生は、思い通りにすれば良いような単純なものではありません。
しかしながら、与えることによって、心は思い通りにならない不自由を離れ、自由に成るのです。
あなたは、不満や不安という不自由を手放しましょう。
不自由に執着してはなりません。
もらうことや、得ることばかりを考えて暮らしてはなりません。
与えることや、得させることを考えましょう。
自由な心で生きましょう。
そうすれば、人生の目的を果たすことも出来るでしょう。

2020年2月17日月曜日

終わりの繰り返し

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に果たすべき目的があるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して、完成することの出来る人生というものは存在しないのです。
どのような人生にも、目的が与えられています。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれることはないのです。
あなたは、自分の目的を果たす必要があるのです。
あなたの人生の目的は、この世界に唯一(ゆいいつ)のものです。
あなたは、特別な目的のために生まれたのです。
その自覚がなければなりません。
残念ながら、大抵の人は、自分の人生に目的が与えられていることを知りません。
そして、それがこの世界に唯一のものであるということには、考えが及(およ)ばないのです。
大抵の人は、誰かと同じように生きようとします。
誰かのように成れば、満足することが出来ると思い込んでいるんです。
残念ながら、満足は、自分の人生を完成しなければ得られない感情です。
自分の人生の目的を果たす以外には、満足を得る方法はないのです。
誰かのように生きても、自分の人生の目的を果たすことは出来ません。
何を手に入れても、自分の人生の目的を果たすことがなければ、人生に満足を得ることは出来ないのです。
大抵の人が、人生に不満を抱えています。
大抵の人が、人生に満足することが出来ないのです。
人が不満を抱えている時、それは、人生の目的から遠ざかっているという意味なのです。
人生の目的から遠ざかっていれば、満足を得ることは出来ないのです。
あなたが人生に満足するためには、人生の目的に従(したが)って生きなければなりません。
それは、人生の目的を果たすことがなければ、人生に満足を得ることは不可能だからです。
人生の目的を果たすためには、本質に近付く必要があります。
本質とは、自分自身の本質であったり、人生の本質のことなのです。
自分とは、何なのでしょう?
あなたは、何のために生まれて来たのですか?
人生とは、何なのでしょう?
あなたは、何のために生きているのですか?
このような問いが、本質というものであるのです。
本質を得なければ、人生の目的を理解することが出来ないのです。
人生の目的を理解することが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、本質へと近付かなければなりません。
本質へと近付くためには、終わりを繰り返す必要があります。
あなたは、終わりを得ることによって、本質へと近付くことが出来るのです。
例えば、現状を手放すことによって、より本質的な状況を得ることが出来ます。
現状に執着(しゅうちゃく)していれば、それよりも本質的な状況を得ることは出来ないのです。
より本質的な状況を得るためには、現状を手放さなければならないのです。
現状を終わらせなければ、新たな状況を手に入れることは出来ないのです。
何事も、手放さなければ得られません。
両手に何かを抱えたままでは、他の何かを手にすることは出来ないのです。
あなたが手に入れるためには、手放さなければなりません。
樹木は、葉を落とします。
樹木が葉を落とすのは、新たな葉や枝を得るためです。
古い葉を落とさなければ、新たな成長を得ることは出来ないのです。
樹木は、葉を落とすことによって、新たな葉と枝を得ることが出来るのです。
現状を手放さなければ、より本質的な状況を得ることは出来ないのです。
より本質的な状況を得なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、本質を得るために、終わりを繰り返しましょう。
手放さなければ得られません。
何事も、いつまでも大切に抱えていてはなりません。
執着を手放し、現状を快(こころよ)く手放しましょう。
そうすることによって、あなたはより本質的な状況を得ることが出来るでしょう。
あなたには、果たさなければならない人生の目的があるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それ以外に、人生を満足する方法はないのです。
人生を空しく生きてはなりません。
手放せるものは手放しましょう。
残念ながら、現状は、あなたが考えている程、重要なものではありません。
何気無く生きてはなりません。
空しさを引き継いではならないのです。
終わりを受け入れましょう。
そして、終わりを繰り返しましょう。
本質へと近付くのです。

2020年2月16日日曜日

進むことの出来る道

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたには、果たすべき目的があるのです。
そのことを忘れてはならないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的以外の目的を果たすことは、人生の理由にはならないのです。
人生の目的を無視して、人生を完成させることは出来ません。
人生を完成させるためには、人生の目的を果たさなければならないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたは、人生の目的を果たすことに尽力しなければなりません。
人生の目的以外のことに尽力する必要はないのです。
例えば、目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)る必要はありません。
目の前の快楽や欲望を貪ったところで、人生を完成させることは出来ません。
目の前の快楽や欲望を貪れば、苦悩に陥(おちい)るだけなのです。
それは、人生を完成させる道ではないのです。
人生を完成させるためには、人生の目的を果たす必要があるということを覚えておきましょう。
あなたは、人生の目的を果たすための道を進まなければなりません。
しかし、残念ながら、あなたには人生の目的が何か分かりません。
あなたには、何を果たせば良いのか?分からないのです。
しかしながら、人生の目的は果たさなければならないのです。
あなたは、人生の目的を知らずに、人生の目的を果たさなければならないのです。
それは、とても難しいことなのです。
誰もが、自分の進むべき道を知りません。
それが自然です。
あなたは、自分の進むべき道を知る必要はありません。
あなたは、人生が導くままに進むべきなのです。
人生の目的は、人生が知っています。
残念ながら、あなたは知らないのです。
人生の目的を知るためには、人生に導かれなければなりません。
知らない者は、知っている者に導かれる必要があるのです。
人生は、あなたの道案内として宿命を与えます。
あなたは、宿命を受けることによって、自分の進むべき道へと進むのです。
残念ながら、人生は思い通りにはなりません。
人生は、あなたの思い通りには出来ないのです。
人生を好き勝手に生きることの出来る人はいないのです。
あなたは、必要を果たすことが求められているのです。
思い通りにはならなくても、道を進むことは出来ます。
それが、理想とは異なる道であったとしても、あなたは、その道を進まなければなりません。
どのような理由があろうとも、あなたは、目の前の道を進まなければならないのです。
目の前の道を否定(ひてい)しても、他の道を歩むことは出来ません。
許されるまでは、その道を進まなければならないのです。
その道を進むことが出来なくなるまでは、その道を進まなければなりません。
その道が正しいかどうかなど、気にする必要はありません。
なぜなら、あなたには、その道以外に進むことの出来る道は存在しないからです。
あなたは、目の前の道を歩まなければなりません。
それが、どのような道であろうとも、あなたは歩まなければならないのです。
何が正しいか?など、誰にも分からないことです。
誰にも、正しい道など分からないのです。
今は良くても、後(のち)のことは分かりません。
今は悪くても、後のことは分からないのです。
人生には、何が起こるか分かりません。
短絡的(たんらくてき)な判断に踊らされてはなりません。
大切なのは、それがどのような道であろうとも、進むことが出来るのであれば、進まなければならないということなのです。
理由を気にする必要はありません。
理由は、後から付いてくるのです。
進むことが出来るのは、とても良いことなのです。
進むことが出来なければ悲惨(ひさん)なのです。
問題や苦しみが生じたとしても、あなたは目の前の進むことの許された道を進みましょう。
停滞(ていたい)は最善ではありません。
一歩でも前に進むことが最善なのです。
許されている内は、その道を進みましょう。
どのような一歩も決して無駄にはなりません。
どのような一歩も、あなたを人生の目的へと近付けるのです。
安心して、次の一歩を踏み出しましょう。

2020年2月15日土曜日

両方

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは、人生の豊かさを無視して生きることに同じです。
人生に豊かさを実現するためには、人生の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
人生の目的とは、人生を始める前に決めた目的です。
すべての人は、それを果たさなければならないのです。
後天的(こうてんてき)に定めた目標を果たしたところで、人生に満足することは出来ないのです。
なぜなら、後天的な目標というものは、思考や経験値から導き出したものだからです。
思考や経験値は、残念ながら本質に触れません。
思考や経験値というものは、発展途上の感覚なのです。
あなたがいくら経験値を元に思考しても、”自分とは何か?”、”人生とは何か?”という本質的な問いに答えることは出来ないのです。
本質的な問いに対する答えは、思考や経験値とは異なる感覚によって導き出さなければならないのです。
どれだけ考えても、本質的な答えは出ません。
思考や経験値という感覚では、本質へは辿り着くことが出来ないということを理解しなければなりません。
例えば、思考や経験値に従う時、人は自分にとって都合の悪いことを否定(ひてい)します。
問題や苦しみや敵を拒絶(きょぜつ)するのです。
表面的には、問題や苦しみや敵などの自分にとって都合の悪いものは、自分にとって不利であり、無駄なもののように思えます。
自分に有利なものを集める方が、人生に豊かさを実現し、満足を得らえると考えるのです。
しかしながら、人生があなたに都合良く展開することはありません。
自分に都合の良いものばかりでは、人生は完成しないのです。
この世界には、陰陽(いんよう)の仕組みが存在します。
すべては、相対的に成り立つのです。
都合の良いことは、都合の悪いことによって成り立つのです。
良いことだけで存在することは出来ません。
多くの人は、幸福を求めます。
人生に幸福を求めることは決して悪いことではありません。
不幸を感じている者にとっては、幸福を得ることが希望であるからです。
しかしながら、幸福だけを手に入れることは出来ません。
幸福を手に入れるためには、不幸も手に入れなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、そのことを理解しないのです。
多くの人は、幸福だけを手に入れられると思い込んでいます。
しかしながら、それは不可能です。
もちろん、不幸だけを手に入れることも不可能です。
幸福を手に入れようとする者は、不幸も手に入れなければなりません。
不幸を手に入れようとする者は、幸福も手に入れなければならないのです。
幸福を手に入れようと必死に成る者は、やがて自分が不幸であることに気が付きます。
不幸を手に入れようと必死に成る者は、やがて自分が幸福であることに気が付くのです。
それは、美しい花が咲いている場所は、泥(どろ)や糞尿(ふんにょう)の中であるということなのです。
”美しい”純水(じゅんすい)では、美しい花を咲かすことは出来ません。
寧(むし)ろ、その根を腐らせてしまうのです。
”汚い”泥水は、美しい花を育てます。
寧ろ、その根に勢いを与えるのです。
思考や経験値は、本質に触れません。
認識が歪(ゆが)んでいるのです。
思考や経験値では、美しいものを汚く、汚いものを美しいと認識します。
思考や経験値は、未熟であるということなのです。
苦しみの経験が無ければ、人は成長することが出来ません。
楽しみばかりであれば、堕落(だらく)してしまうのです。
苦しみは喜びを実現し、楽しみは悩みを実現します。
都合の良いことばかりでは、都合の悪いことに成るのです。
あなたは、幸福を求める余り、不幸を拒絶してはなりません。
幸福も不幸も、両方が大切なものなのです。
どちらが良くて、どちらが悪いということではないのです。
美しい花を手に入れるためには、汚い泥を手に入れる必要があるのです。
どちらも大切なものなのです。
一方を重んじて、一方を軽んじてはなりません。
敵を愛するのです。
そして、味方を疑うのです。
何に関しても、一方に偏(かたよ)ってはなりません。
一方が無ければ、もう一方は成り立たないということを理解しましょう。
幸福と不幸は、同時に手に入れるのです。
幸福と不幸の両方を許(ゆる)しましょう。

2020年2月14日金曜日

価値の提供

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に果たすべき目的があるのです。
人生の目的を無視して生きることの出来る人はいません。
誰もが、人生の目的を果たさなければならないのです。
これは、とても重要なことなのです。
そのため、繰り返して伝えなければならないのです。
あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在するのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生の目的を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
人生において大切なことは、人生の目的を果たすことです。
それは、何よりも優先すべきことなのです。
人生の目的を果たすためには、自らに与えられた役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
役割を果たすことが出来なければ、目的を果たすことは出来ません。
あなたは、自らの役割について考えなければならないのです。
あなたが役割を果たすためには、自らの能力を生かす必要があります。
すべての人は、役割を果たすための能力を授(さず)けられているのです。
個性がそれぞれに異なるように、能力もそれぞれに異なります。
この世界には、同じ能力を以て生まれる者はいません。
それぞれが異なる能力と共に生まれるのです。
人は、それぞれに異なる能力を以て生まれます。
あなたの能力は、この世界に唯一(ゆいいつ)のものです。
他を探しても、同じ能力は存在しません。
しかしながら、この世界に唯一の能力であったとしても、それが特別であるということではありません。
あなたが唯一であるように、他者も唯一の能力を以て生まれるのです。
すべての人が唯一であるために、特別ということではないのです。
しかしながら、すべての能力が必要です。
この世界には、不要なものなど存在しないのです。
あなたの能力がどのようなものであったとしても、世界にはそれが必要なのです。
あなたは、自らの能力を生かさなければなりません。
そして、貢献(こうけん)しなければならないのです。
そうすれば、価値を提供(ていきょう)することが出来ます。
価値を提供することが、能力の必要性なのです。
すべての能力は、価値を提供することに価値があるのです。
唯一の能力を授けられているにもかかわらず、その価値を知らずに怠(なま)けているのであれば、貢献することは出来ません。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
どのような能力を授けられているかは、それぞれが自分を磨くことによって理解することが出来ます。
自分を磨くことをしなければ、どのような能力を与えられているか分からないのです。
どのような状況においても、あなたは自分を磨くことが出来ます。
大きな問題や苦しみの中にあっても、あなたは自分を磨くことが出来るのです。
自分を磨くということは、”腐らない”ということなのです。
多くの人は、思い通りにならない状況において、不満や不安を訴(うった)えます。
それは、自分を汚す行為なのです。
大切なのは、感謝することです。
感謝することで、”腐らない”ようにすることが出来るのです。
あなたは、感謝を心掛けましょう。
そうすれば、自らの能力を生かすことが出来るのです。
自らの能力を生かすために、特別な方法を用いる必要はありません。
ただ、日々を感謝して生きることによって、自らの能力を生かすことが出来るのです。
これは、とても単純なことですが、実践(じっせん)することは難しいのです。
しかしながら、難しいという理由で諦めてはなりません。
あなたは、感謝によって能力を生かし、価値を提供し、貢献しなければならないのです。
互いに価値を提供しなければ、世界に豊かさを実現することは出来ません。
あなたは、感謝を軽んじてはなりません。
それは、能力を生かす”鍵”なのです。
感謝がなければ、どのように努めても能力を生かすことが出来ないのです。
感謝することは当たり前のことです。
当たり前のことは、実践しなければなりません。
特別なことをする訳ではありません。
誰でも、どこでも、出来ることなのです。
感謝は、無理をしなくても出来ます。
それは、努めなくても出来ることなのです。
素直に生きましょう。
そうすれば、感謝することが出来るのです。
あなたは、授かった能力によって、人生に豊かさを実現しましょう。

2020年2月13日木曜日

浄化

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、何よりも優先されるべき課題なのです。
それは、何よりも大切なことなのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生の目的を無視してはなりません。
そのような生き方は、人生に乏しさを実現し、あなたは空しさに陥(おちい)るのです。
人生の目的を果たすことは大切です。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は豊かさを実現してはくれないのです。
財産をどれだけ集めても、人生に豊かさを実現することは出来ません。
他者をどれだけ集めても同じことです。
人生の目的に反するものは、それをどれだけ集めても人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
人生の目的に必要なものが揃(そろ)っていれば、それだけで人せに豊かさは実現するのです。
多くの財産や、多くの他者は必要ではありません。
必要な財産と他者があればそれで良いのです。
残念ながら、人生の目的は、この世の富を集めることではありません。
財産で豊かさを得られるほど、人生は容易(ようい)なものではないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことなのです。
それ以上に重要なことはないのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易ではありません。
なぜなら、すべての人が、自分が果たすべき人生の目的を知らないからです。
あなたは、自分が果たすべき人生の目的を知っていますか?
”自分が何か?”という問いにすら答えることの出来ないあなたには、自分が果たすべき人生の目的を答えることは出来ないのです。
誰もが、自分が果たすべき人生の目的を答えることが出来ません。
それも、仕方のないことなのです。
なぜなら、すべての人が汚れているからです。
すべての人が汚れ、歪(ゆが)んでいるのです。
そのため、自分が果たすべき人生の目的が分からないのです。
あなたは、自分の汚れを理解しなければなりません。
人生には、生まれた理由があるのです。
あなたは、何を始めるにしても、そこに理由を設(もう)けます。
人生を始める前にも、そこに理由を設けたのです。
人生は、勝手に始まった訳ではありません。
人生は、あなたが始めたのです。
すべての人生には理由があるのです。
それが人生の目的なのです。
しかしながら、すべての人がそれを見失っているのです。
人生の目的を思い出すためには、汚れを取り除かなければなりません。
汚れを取り除かなければ、人生の目的を思い出すことが出来ないのです。
すべての人が汚れています。
それは、すべての人が未熟であることを意味しているのです。
あなたは、未熟です。
汚れを取り除かなければなりません。
人生は、汚れを取り除くための時間です。
あなたは、人生がそのような場所だと理解しなければなりません。
人生に問題や苦しみが存在するんは自然です。
汚れを取り除いているのだから、問題や苦しみが存在しない方が不自然なのです。
あなたは、ただ幸福を得るために生まれたのではありません。
問題や苦しみも同じように経験しなければならないのです。
良いものばかりでは、やがて悪いものに成るのです。
あなたは、自分が考えるよりも汚れています。
自分が他の人よりも綺麗だなどと考えてはなりません。
自らの汚れは、他者と比較するものではありません。
汚れは、その状態にかかわらず汚れなのです。
汚れの薄い者が偉いなどということはありません。
少しでも汚れていれば、同じ立ち位置なのです。
人は、誰もが汚れています。
人は、誰もが同じ場所に存在しているのです。
人に上下はありません。
上下は、役割に与えられるのです。
あなたは、人生の目的を追求しなければなりません。
人生の目的を思い出すために、自らの汚れを取り除きましょう。
問題や苦しみを受け入れることによって、浄化は行われるのです。

2020年2月12日水曜日

人生を信用する

すべての人は、人生に果たすべき目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
人生の目的は、何よりも優先すべきことです。
なぜなら、それ以上に重要なことは存在しないからです。
しかしながら、人生の目的は、あなたの理想とは異なります。
あなたの理想が人生の目的であるとは限らないのです。
大抵の場合、あなたの理想と人生の目的は異なります。
あなたは、理想とは異なる人生の目的を果たさなければならないのです。
それは、とても難しいことだと理解しなければなりません。
人生の目的は、あなたの都合に関係ないのです。
人生の目的を果たすためには、自分にとって都合の悪いことも受け入れなければなりません。
それは、誰にとっても難しいことなのです。
しかしながら、自分にとって都合の良いことばかりを選んでいても、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、すべての人は未熟に生まれるからです。
すべての人は、認識を歪めています。
自分が何かも分からず、人生が何かも知らないのです。
それ程、歪んでいるのです。
大切なのは、自分が未熟であることを理解することです。
そして、自分の認識が歪んでいることを受け入れることなのです。
残念ながら、あなたは何も知りません。
あなたには、何も分からないのです。
それは、あなたが間違っているということを示しています。
残念ながら、あなたは正しくないのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
もしも、正しい人がいるのであれば、人生の目的を理解しているはずです。
もしも、人生の目的を理解しているのであれば、自分が正しいなどとは思わないはずなのです。
人生の目的を理解しているのであれば、人生に従うはずなのです。
しかしながら、多くの人は、人生に逆らいます。
思い通りにならないことを嫌い、思い通りにしようとするのです。
都合の悪いことを嫌い、都合の良いように捻(ね)じ曲げようとします。
それ等の行為は、人生を信用してはいないということを現しているのです。
人生の目的を理解しているのであれば、人生を信用して、思い通りにならない状況も受け入れているはずなのです。
しかしながら、多くの人はそれが出来ません。
思い通りになるまで、抵抗(ていこう)を続けるのです。
どれだけ抵抗しても、決して思い通りにはなりません。
なぜなら、あなたが間違っているからです。
正しいのは、人生の方なのです。
思い通りにならなくても、それが正しいのです。
なぜなら、あなたは人生の目的を知らず、人生の目的を知っているのは人生の方だからです。
人生に逆らうことは、人生の目的に逆らうことだと理解しなければなりません。
あなたは、思い通りに生きることは出来ません。
人生は、決して自由なものではないのです。
人生の目的を果たすためには、やらなければならないことがあるのです。
そして、人生の目的を果たすためには、やってはならないことがあるのです。
人生は、不自由なものです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
あなたは、人生の導くままに歩まなければなりません。
自分勝手に歩むことは出来ないのです。
許(ゆる)されるまで、あなたはその道を歩まなければなりません。
気に入らないからといって、道を放棄(ほうき)することは出来ないのです。
人生は、思い通りにならない道です。
人生は、思い通りにならないことが最善なのです。
未熟者の理想が実現すれば、それは恐ろしい世界なのです。
未熟者の理想とは、誤解です。
未熟者の理想は、問題を引き起こします。
そして、苦しみを導くのです。
それは、空しい世界だと理解しなければなりません。
理想は、空しい世界を実現するのです。
豊かな世界を実現するためには、人生の目的を果たさなければならないのです。
現状が、理想とは掛け離れていたとしても、あなたはそれを恨(うら)んではなりません。
現状は、理想と掛け離れている方が良いのです。
あなたは、自分が辿り着くべき場所を知りません。
人生だけが、それを知っているのです。
人生を思い通りにしようと考えてはなりません。
人生には、理想は実現しなくても良いのです。
人生には、必要が実現すれば、それで良いのです。
人生を信用しましょう。
人生に無駄は存在しません。

2020年2月11日火曜日

自分を後悔しない

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人生には、果たさなければならない目的が存在するのです。
人生の目的は、どのような理由があろうとも果たさなければならないのです。
なぜなら、それが生まれた理由であり、生まれる条件であるからです。
人生の目的を果たすという条件によって、あなたは生まれることが出来たのです。
目的も無く生まれてくることの出来る人など存在しないのです。
どのような人物の、どのような人生にも目的があるということを理解しましょう。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生の目的を理解する必要があります。
人生の目的を理解することが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
何を成せば良いか分からないのに、何をするというのでしょうか?
人生の目的を理解することがなければ、あなたは人生を生きることが出来ないのです。
目的地に向かって歩みを進めるのです。
人生は、目的を果たすために生きなければならないのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
人生の目的を果たすことがなければ、何を得ても空しいということを覚えておきましょう。
この世の何を得ても、人生の目的を果たすことがなければ、決して満たされないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
誰も、自力だけで人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが人生の目的を果たすことが出来るように、人生は宿命をあなたに与えます。
あなたは、宿命によって、人生の目的を知るのです。
そして、宿命に従うことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
どのような理由があっても、宿命を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
あなたにとって、宿命はとても大切なものなのです。
宿命は、あなたの道案内なのです。
道案内に反発し、自分勝手に歩めば、道に迷ってしまうのです。
宿命に逆らう人は、決して人生の目的を果たすことが出来ません。
どのように努力を重ねたとしても、宿命に逆らうのであれば、空しさを得るのです。
あなたは、宿命に忠実でなければなりません。
宿命とは、あなたにとっての必要なのです。
宿命は、あなたに必要を導くのです。
必要を拒絶(きょぜつ)するのであれば、必要を受け取ることが出来ません。
それでは、停滞(ていたい)しなければならないのです。
必要を受け取らなければ、先へ進むことは出来ません。
人生を完成させるためには、必要を受け取る以外に方法はないのです。
あなたは、宿命に従わなければなりません。
宿命とは、避けることの出来ない必要です。
あなたは、必要を受け入れることによって、自分自身と成るのです。
自分自身でなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
これは、あなたの人生なのです。
そして、その目的は、あなたに与えられたものなのです。
あなた以外には、人生を生きることは出来ません。
そして、あなた以外には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、自分に生まれたことを後悔してはなりません。
あなたは、自分自身として生きなければならないのです。
宿命(必要)を否定し、自分自身として生きることが出来なければ、必ず後悔することになります。
必要は、それがどのようなものであれ、受け取らなければなりません。
必要と、あなたの都合は関係ないのです。
やることは、やらなければなりません。
受けることは、受けなければなりません。
必要を否定しているのであれば、後悔しなければならないのです。
あなたは、自分の都合で判断してはなりません。
宿命に従うことは、自分の都合に反することであると理解しましょう。
自分の都合に従っているのであれば、人生の目的を果たすことが出来ないと理解しなければなりません。
人生の目的を果たす以上に大切なことはありません。
どのような理由があっても、あなたは人生の目的を果たしましょう。
それが生まれた理由であり、生まれる条件なのです。
避けられないことは避けられません。
あなたは、宿命を受け入れなければなりません。
自分自身を生きるのです。
理想と必要は異なります。
理想が実現しないからといって、悲観する必要はありません。
必要が実現していれば、それで良いのです。
人生が思い通りにならないことは避けられません。
避けられないのであれば、それが最善なのです。
宿命を受け入れましょう。
自分を後悔しないように生きましょう。