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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年2月15日土曜日

両方

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは、人生の豊かさを無視して生きることに同じです。
人生に豊かさを実現するためには、人生の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
人生の目的とは、人生を始める前に決めた目的です。
すべての人は、それを果たさなければならないのです。
後天的(こうてんてき)に定めた目標を果たしたところで、人生に満足することは出来ないのです。
なぜなら、後天的な目標というものは、思考や経験値から導き出したものだからです。
思考や経験値は、残念ながら本質に触れません。
思考や経験値というものは、発展途上の感覚なのです。
あなたがいくら経験値を元に思考しても、”自分とは何か?”、”人生とは何か?”という本質的な問いに答えることは出来ないのです。
本質的な問いに対する答えは、思考や経験値とは異なる感覚によって導き出さなければならないのです。
どれだけ考えても、本質的な答えは出ません。
思考や経験値という感覚では、本質へは辿り着くことが出来ないということを理解しなければなりません。
例えば、思考や経験値に従う時、人は自分にとって都合の悪いことを否定(ひてい)します。
問題や苦しみや敵を拒絶(きょぜつ)するのです。
表面的には、問題や苦しみや敵などの自分にとって都合の悪いものは、自分にとって不利であり、無駄なもののように思えます。
自分に有利なものを集める方が、人生に豊かさを実現し、満足を得らえると考えるのです。
しかしながら、人生があなたに都合良く展開することはありません。
自分に都合の良いものばかりでは、人生は完成しないのです。
この世界には、陰陽(いんよう)の仕組みが存在します。
すべては、相対的に成り立つのです。
都合の良いことは、都合の悪いことによって成り立つのです。
良いことだけで存在することは出来ません。
多くの人は、幸福を求めます。
人生に幸福を求めることは決して悪いことではありません。
不幸を感じている者にとっては、幸福を得ることが希望であるからです。
しかしながら、幸福だけを手に入れることは出来ません。
幸福を手に入れるためには、不幸も手に入れなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、そのことを理解しないのです。
多くの人は、幸福だけを手に入れられると思い込んでいます。
しかしながら、それは不可能です。
もちろん、不幸だけを手に入れることも不可能です。
幸福を手に入れようとする者は、不幸も手に入れなければなりません。
不幸を手に入れようとする者は、幸福も手に入れなければならないのです。
幸福を手に入れようと必死に成る者は、やがて自分が不幸であることに気が付きます。
不幸を手に入れようと必死に成る者は、やがて自分が幸福であることに気が付くのです。
それは、美しい花が咲いている場所は、泥(どろ)や糞尿(ふんにょう)の中であるということなのです。
”美しい”純水(じゅんすい)では、美しい花を咲かすことは出来ません。
寧(むし)ろ、その根を腐らせてしまうのです。
”汚い”泥水は、美しい花を育てます。
寧ろ、その根に勢いを与えるのです。
思考や経験値は、本質に触れません。
認識が歪(ゆが)んでいるのです。
思考や経験値では、美しいものを汚く、汚いものを美しいと認識します。
思考や経験値は、未熟であるということなのです。
苦しみの経験が無ければ、人は成長することが出来ません。
楽しみばかりであれば、堕落(だらく)してしまうのです。
苦しみは喜びを実現し、楽しみは悩みを実現します。
都合の良いことばかりでは、都合の悪いことに成るのです。
あなたは、幸福を求める余り、不幸を拒絶してはなりません。
幸福も不幸も、両方が大切なものなのです。
どちらが良くて、どちらが悪いということではないのです。
美しい花を手に入れるためには、汚い泥を手に入れる必要があるのです。
どちらも大切なものなのです。
一方を重んじて、一方を軽んじてはなりません。
敵を愛するのです。
そして、味方を疑うのです。
何に関しても、一方に偏(かたよ)ってはなりません。
一方が無ければ、もう一方は成り立たないということを理解しましょう。
幸福と不幸は、同時に手に入れるのです。
幸福と不幸の両方を許(ゆる)しましょう。

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