このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年4月3日金曜日

文句

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人が、人生の目的を果たすために生まれたのです。
誰一人として、人生の目的を無視することは出来ません。
人は、それぞれの目的を以て生まれます。
人は、それぞれが異なる目的のために生まれたのです。
あなたには、あなただけの目的が与えられています。
それは、他者にも同じことが言えるのです。
人は、それぞれの目的のために生まれたのです。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
人生の目的を果たすことが、人生において最も重要な課題なのです。
人生の目的を果たす以外のことは、残念ながら、何一つ重要ではありません。
すべては、人生の目的を果たすためなのです。
どのような経験も、決して無駄にはなりません。
どのような経験も、あなたが人生の目的を果たすためには必要なものなのです。
しかしながら、あなたが経験することの中には、無駄に思えることも存在します。
多くの経験が無駄であるようにも思えるかも知れません。
それは、あなたが自分自身の視点で経験を思考しているからです。
あなたから見れば、物事の本質を見極めることは出来ません。
なぜなら、あなたの視点は、本質を見極めるには近過ぎるのです。
そして、本質を見極めるには遠過ぎるのです。
そして、低過ぎて、高過ぎるのです。
あなたは、自分が何のために生まれたのか?知りません。
そして、人生が何のためにあるのか?を知らないのです。
それは、あなたの焦点(しょうてん)が合っていないからなのです。
焦点が合わなければ、視界は滲(にじ)んでしまいます。
それでは、像を正しく結ぶことが出来ないのです。
多くの人は、見ても見えません。
多くの人は、ぼやけた視界を生きているのです。
それでは、本質を見極めることが出来ません。
本質を見極めることが出来なければ、自分が何をしているのか?何をしなければならないのか?ということが分からないのです。
自分が何をしているのか?何をしなければならないのか?ということが分からなければ、目の前のことに対して文句が出るのです。
残念ながら、多くの人は、自分が何をしているのか?何をしなければならないのか?ということを知りません。
そのため、文句を吐(は)くことになるのです。
多くの人は、目の前の状況に対して文句を吐きます。
それは、多くの人が目の前の状況を気に入らないからです。
意味が分からないことを気に入ることが出来ないのは、ある意味、仕方のないことです。
人は、納得しなければ気に入ることが出来ないのです。
しかしながら、意味が分からないとしても、納得することが出来ないとしても、必要は必要です。
必要には、あなたの同意など必要ないのです。
必要は、あなたに認められることがなくても、必要として導かれるのです。
残念ながら、あなたは何も知らないに等しいのです。
あなたは、自分が何をしているのか?何をしなければならないのか?を知らないのです。
あなたは、自分とは何か?という問いに答えることが出来ないのです。
あなたは、何も知りません。
文句を吐くことは、仕方のないことなのです。
しかしながら、仕方がないで済ませることは出来ません。
なぜなら、文句は問題を引き起こすからです。
文句とは、否定です。
人は、文句によって、目の前の学びを否定することになってしまうのです。
人生には、無駄は存在しません。
それがどのような状況であったとしても、あなたにとっては相応(ふさわ)しいものなのです。
あなたは、その状況から学ぶ必要があるのです。
残念ながら、学びから逃れることは出来ません。
どのように文句を吐こうとも、あなたはその状況を学ばなければならないのです。
それがどのような状況であり、どのような学びであろうとも、文句が出なくなるまで続けなければなりません。
文句が出なくなることが、理解を深めたことを意味するのです。
文句が出る時には、理解は深まってはいません。
理解することが出来ないからこそ文句を吐いているのです。
あなたが、理解すれば、文句を吐くことはないでしょう。
人は、理解することが出来ないことに文句を吐くのです。
学びの目的は理解を深めることです。
文句が出なくなるまで、その学びが続くことを覚悟しましょう。
文句を吐いている内は、その学びを離れることは出来ないのです。
あなたは、自らを顧(かえり)みましょう。
そして、態度を改めましょう。
謙虚(けんきょ)に学ばなければなりません。

0 件のコメント:

コメントを投稿