すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を避けることは出来ません。
どのような人物も、未熟を生きなければならないのです。
あなたは、すべての人が未熟であるということを知りましょう。
誰一人として、完成された人は存在しないのです。
すべての人は、未熟です。
それは、無知であるということを理解しましょう。
すべての人は、知らないのです。
あなたは、自分が知らないということを理解しなければならないのです。
自分が知らないということを理解しない限りは、未熟を離れることは出来ないのです。
残念ながら、大抵の人は知りません。
あなたは、自分が何であり、人生が何であるか?分かりますか?
何が幸福であり、何に価値があるか?分かるでしょうか?
残念ながら、あなたにはそれ等のことが分からないでしょう。
自分が何であり、人生が何であるか?を答えることの出来る人はいません。
何が幸福であり、何に価値があるか?ということも答えられないのです。
残念ながら、多くの人は間違えます。
多くの人は、間違った価値観に従っているのです。
それは、反対に価値を見出す価値観なのです。
本来ならば、価値の小さなものに大きな価値を認めることは、矛盾(むじゅん)を生じさせるのです。
この世界には、必要だけが存在します。
どのようなものも、その局面(きょくめん)によって必要です。
この世界には、不要は存在しないのです。
そのため、価値の存在しないものはありません。
それがどのようなものであっても、価値は存在するのです。
しかしながら、その局面によって価値の大小は異なるために、その選択には注意が必要なのです。
価値の判断は、価値観によって決められます。
価値観は、信仰によって形作られるのです。
あなたの信仰が、価値を判断しているのです。
価値の判断は、無意識の内に行われています。
信仰も無意識の内に行われているのです。
多くの人の信仰は、教育によるところが大きいのです。
多くの人の信仰は、他者からの影響によって決められていることが普通なのです。
しかしながら、それは無意識の内に行われているために、自分の意思によって決められていると思い込んでいるのです。
残念ながら、多くの場合、多くの人の価値観は、他者によって形作られているのです。
しかしながら、多くの人は、そのことには気が付きません。
自分にとって、自分の人生にとっての価値を追い求めることが最善です。
その局面に対しての価値の大小は、自分や自分の人生というものを基準として決められるべきなのです。
しかしながら、多くの人はその基準が定まってはいないのです。
例えば、常識を基準とした価値判断が行われているのです。
それは、とても良いことのように思えるでしょう。
常識的に生きて行くことは、無難(ぶなん)であるように思えるのです。
そのため、多くの人は価値の基準をそこに置くのです。
しかしながら、常識的に生きて行くことは、最終的には大きな問題を引き起こすことになるのです。
なぜなら、あなたには果たすべき目的というものが存在するからです。
あなたは、目的を以(もっ)て生まれるのです。
それは、あなただけの目的です。
誰とも同じものではないのです。
常識は、あなたの目的とは異なる価値観です。
常識も大切ではありますが、そこにとどまっているのであれば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたの価値観と、常識の価値観は異なります。
無難が、あなたにとっての最善であるとは限りません。
すべての人が未熟を生きています。
常識とは、未熟者の考える無難なのです。
残念ながら、この世は矛盾で溢れています。
単純なものを複雑に見せ掛けているのです。
簡単なものを難しく見せ掛けているのです。
価値の無いものを価値があるように見せ掛けているのです。
この世には、偽りが溢れています。
それは、人が未熟であるからです。
多くの人は、偽りに価値を見出(みい)だすのです。
偽りとは、自分や自分の人生(の目的)に対して価値の小さなもののことです。
多くの人は、自分や自分の人生(の目的)に対して価値の小さなものを選択して安心しているのです。
あなたは、自分や自分の人生(の目的)に対しての価値を考えなければなりません。
常識的に価値判断を行ってはならないのです。
これまでと同じように選んではならないのです。
自分であることは、非常識であるということでもあります。
なぜなら、自分という存在は、この世に唯一(ゆいいつ)のものだからです。
あなたには、あなただけの価値観が存在します。
常識的に生きても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
他者に迷惑を掛けないという点においては、常識は大切です。
しかしながら、他者に対する迷惑を考える余り、自分や自分の人生(の目的)を放棄(ほうき)してはならないのです。
他者に迷惑を掛けても、やらなければならないことがあります。
常識を顧(かえり)みずに行わなければならないことがあるのです。
あなたは、自らの価値観を注意深く観察しなければなりません。
それが、自分と自分の人生(の目的)にとって有意義(ゆういぎ)であるかどうかを考えましょう。
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