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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年1月24日木曜日

得意な順路

人生において大切なことは、その道を自分の力で切り開いていかなければならないということです。
自分自身の人生の生き方は、自分自身で決めなければなりません。
誰かがあなたに変わってあなたの生き方を決めることはありませんし、できません。
あなたは自分自身でどのように生きるのかを決めなければならないのです。
どのように生きても良いのです。
人生は思うがままに自由なものなのです。
あなたは自らの責任の名の下に、人生を自由に選択することができるのです。
道を切り開くも、変更するもあなたの自由です。
あなたにはどちらも選ぶ権利があるのです。
しかしながら、どのような道を進むにしても、道を進むということは楽なものではありません。
ある程度は快適に進むことができますが、ある場所を境に容易には進めなくなってしまうものなのです。
どのような道を進み、どのような目的地を目指すにしても、いつかは問題や壁に突き当たるのです。
人生は登山に似ています。
誰かが整備した道は山の入り口までで終わっています。
そこから先は道無き道です。
自分の知識と経験と工夫と努力によって山頂を目指さなければならないのです。
頂上に向かうには様々な順路を選ぶことができます。
それは、茂みを進む順路かもしれません。
もしくは、岩だらけの崖を進む順路かもしれないのです。
どちらにしても、道を極め、頂上に辿り着くためには、道無き道を進まなければならないのです。
その順路は自分自身で選択することができますが、あなたが頂上に辿り着きたいと思うのであれば、自分の進みやすい順路を選ぶことをしなければならないでしょう。
自分の能力で頂上に辿り着く確率の一番高そうな順路を選択しなければ、それを達成するということは難しいのです。
人にはそれぞれに得手不得手があります。
状況によってもできることが違うでしょう。
自らの得手不得手と状況から推測される一番確率が高い順路を見極めることをしなければならないのです。
自分自身や進む順路を見極めること無く、道の達成はありません。
不得手や、現状では困難な順路を選択して進んでも、そこに不満や苦しみを覚えて投げ出してしまうでしょう。
自らにとって得意や現状で十分に対処することのできる順路であるのならば、その道のりはらくだは無いかもしれませんが、楽しく進むことができるのです。
岩登りが得意で、そのための道具しか持っていないのに、茂みを切り開いて道にすることはできないのです。
茂みを進むのが得意で、そのための道具を持っているのであれば茂みを進むのが得策でしょう。
自らの得意と現状が合わされば、あなたはどのような困難な道のりも乗り越えて進むことができるのです。
あなたが人生を切り開き、自らの夢や理想を実現させるためには、自らの得意とする方法と「今できること」を合わせなければならないでしょう。
自らの得意なことを目一杯伸ばせば良いのです。
不得意なことは無理に伸ばす必要はないのです。
選択の間違いによって問題が大きくなっているということがあるのです。
あなたが停滞や後退を感じているのであれば、その道順が自らにとって心地好いものであるのか?得意で「今できる」ことなのか?を考えなければならないでしょう。
岩登りができないのに、岩に挑み続けても問題は解決しません。
得意な順路からなら先へと進むことができるのです。
あなたは自分のことを知っていますか?
何が得意で、何が不得意ですか?
今の自分が十分にこなすことができることは何ですか?
見当違いの方向や方法では頂上には辿り着くことができません。
現状の自分自身を冷静に判断しなければなりません。
今できないことをわざわざやろうとするのは時間と労力の浪費です。
今できることが小さなことであったとしても、その一歩の前進が次の可能性に繋がっていくのです。
難しいこと、不得意なことをやろうとしては、一歩を出すことができなくなってしまうのです。
停滞は可能性を導きはしません。
それが小さな一歩であっても、進み続けることと、立ち止まっているのでは大きな違いなのです。
あなたはどちらを選択しますか?
人生を切り開きたいと思うのであれば、一歩でも先へと進むことのできる順路を探さなければなりません。
一歩でも先へと進むためには、自らの得手を心得、「今できること」を精一杯に楽しみながらこなさなければなければならないでしょう。
好きでもないことや、不得手のことがあなたの可能性を広げることはありません。
人生という道を切り開くために、自分という存在を理解しましょう。

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