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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年12月31日日曜日

見難い可能性

すべての人は豊かさを求めています。
すべての人が、豊かな人生を得たいと願っているのです。
すべての人が、人生を豊かに生きることが許されています。
誰であっても、豊かな人生を生きることが出来るのです。
しかしながら、多くの人が人生に豊かさを実感することが出来ません。
多くの人は、人生に乏しさを感じているのです。
多くの人にとって、人生は乏しいのです。
不満や不安を抱え、悩みと苦しみに追われているのです。
豊かな人生とは、不満や不安を喜び、悩みと苦しみを追う生き方のことなのです。
楽を求めている人は、不満や不安を抱え、悩みと苦しみに追われるでしょう。
苦を求めている人は、不満や不安を喜び、悩みと苦しみを追うでしょう。
楽を求める者は苦しみ、苦しみを求める者は喜びます。
それは、この世界の理(ことわり)なのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
結果を受け取るのはあなたです。
その原因はあなた自身なのです。
あなたは、自らの選択の結果を受け取ります。
あなたは、自らの選択の結果を拒絶することは出来ません。
あなたは、人生を自分の意思によって築くのです。
人生を豊かなものにするためには、自分の選択に注意を払わなければならないのです。
自分の選択によって、人生は築かれるのです。
あなたは、自分の選択が人生を築いているということを理解し、それをどうするのかを決めましょう。
すべての人が豊かさを求めていますが、多くの人は乏しさを得ます。
乏しさを感じながら生きている人は、乏しさを得るように選択したのです。
それ以外の理由はありません。
乏しさを選択した者は、乏しい人生を得るのです。
難しいことではありません。
多くの人は人生を悲観し、希望を失っているのです。
愚痴(ぐち)を吐くのはそのためです。
多くの人は、吐いても仕方のない言葉を吐き続けます。
それは、建設的な行為ではないのです。
愚痴は豊かさを破滅(はめつ)させ、乏しさを建設するのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、愚痴を吐くことをやめましょう。
人生に悲観してはなりません。
希望を失ってはならないのです。
人生には可能性が満ち溢れ、希望は常に目の前に存在しています。
しかしながら、それは日差しの下の炎のように、見難いものなのです。
見難くても、それは確実に存在しているのです。
希望を見失い、可能性を失っている人は、日差しの下の炎に気が付かずに凍(こご)えるでしょう。
希望を見失うことなく、可能性を得ている人は、日差しの下の炎によって力を得るでしょう。
人生を豊かなものにするためには、希望を見失わず、目の前に存在している可能性を得なければなりません。
目の前の可能性は見難いものではありますが、それは確実に存在しています。
手を伸ばすのです。
そうすれば、熱によって炎の在り処(か)に気が付くでしょう。
自主的に行動する者だけが、可能性を掴みます。
可能性が転がり込んでくることを待ち望んでいる者には、目の前で燃えている炎に気が付くことが出来ないのです。
”奇跡”など存在しません。
見難い可能性であったとしても、自分の力で探し出すのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、その思いの通りに求めましょう。
地面に落ちた種子を探し出すように、可能性を探すのです。
辛抱強く探し続けましょう。
希望を見失ってはなりません。
可能性は確実に存在していますが、未だにそれを見付け出すことが出来ていないだけなのです。
探せば見付かります。
見付けられないのは、探し方が間違っているだけなのです。
豊かさを見付け出すことは容易ではありません。


しかしながら、探し続ければ見付け出すことが出来るということを覚えておきましょう。

2017年12月30日土曜日

許されていること

人生を豊かなものにするためには、自分に許されていることを理解しなければなりません。
あなたには、許されていることと、許されてはいないことがあるのです。
すべてが許されているなどと考えてはなりません。
あなたには、出来ることと出来ないことがあるのです。
何もかもを欲しがるのは傲慢(ごうまん)です。
あなたには、手に入れられるものと、手に入れられないものがあるということを理解しましょう。
叶う願いもあれば、叶わない願いもあるのです。
実を結ぶ努力もあれば、実を結ばない努力もあります。
すべてが思い通りになるなどと思い込んではなりません。
残念ながら、人生はあなたの思い通りにはなりません。
それは、あなたが未熟であり、歪んでいるからです。
そのため、あなたは、自分の見解に注意しましょう。
自分に許されてることと、許されてはいないことを見極めなければならないのです。
多くの人は、人間関係に問題を抱えます。
多くの人は、他者によって苦しむのです。
それは、あなたを成長させるための問題であり苦しみです。
あなたは、他者によって成長する必要があるために、それで苦しむのです。
多くの人は、苦しみを悪いことだと思い込んでいます。
苦しみは悪いことでしょうか?
あなたに導かれることで、悪いことがあるでしょうか?
傲慢に陥(おちい)っている者には理解することが出来ません。
傲慢に陥っている者には、苦しみは悪いことのように思えるのです。
あなたは、自分が未熟であり、歪んでいるということを前提に考えてみましょう。
あなたに苦しみが導かれるのは何のためでしょうか?
それは、あなたの抱えている誤解を教えるためです。
あなたが苦しみを受ける時には、その要因について考えなければなりません。
初めは、誰かや何かによって苦しみが導かれていると考えるのです。
その考えによって挑んでみても、苦しみが解消されることはなく、寧(むし)ろ悪化することになるのです。
そこで、自分が誤解を信じていたことに気が付きます。
苦しみの原因が誰かや何かでないことを悟った時、自分自身が苦しみの原因であるということに気が付くのです。
そこで、自分自身の考え方を改めることによって、苦しみが去ることを知るのです。
多くの人は、誰かや何かが苦しみの原因だと考えています。
自分が苦しんでいるのは、誰かや何かのせいだと思い込んでいるのです。
そのため、誰かや何かを変えることに尽力するようになるのです。
残念ながら、誰かや何かを変えることによって苦しみが去ることはありません。
なぜなら、あなたには、誰かや何かを変えることは出来ないからです。
誰かや何かを変えることは傲慢です。
それは、あなたには許されてはいないことなのです。
誰かや何かがあなたを変えることも許されてはいません。
あなたに許されていることは、自分自身を変えることだけなのです。
あなたは、自分の選択によって苦しんでいるということを知らなければなりません。
あなたは、自分の選択によって、苦しみを受ける自分へと変化したのです。
誰かや何かによって苦しんでいるのではありません。
誰かや何かによって自分が変わった訳でもないのです。
あなたは自分自身の選択によって自分を変えたということを理解しなければならないのです。
あなたには、誰かや何かを変える必要はありません。
他者のことは他者に任せておけば良いのです。
何かのことは何かに任せておけば良いのです。
あなたに許されているのは、自分を変えることだけです。
あなたは自分を改め、自分の道を進めば良いのです。
誰かや何かに苦しめられていると考えるのは傲慢です。
誰かや何かを苦しめていると考えるのも傲慢なのです。
あなたによって、他者は苦しみません。
他者は、自分によって苦しんでいるだけなのです。
しかしながら、誤解してはなりません。
これは、自分勝手に行動しても良いということではありません。
人は、自分に対しても他者に対しても、礼節を重んじなければなりません。
謙虚(けんきょ)であれば、自分に許されていることと、許されていないことを見極めることが出来るでしょう。


許されることを選択すれば、苦しみは存在しないということを覚えておきましょう。

2017年12月29日金曜日

従順な奴隷

人は、感情に引き摺(ず)られて行きます。
人は、自分の意思で歩むことが出来ないのです。
あなたの意思は、感情よりも薄弱(はくじゃく)であり、直ぐに屈(くっ)してしまいます。
あなたは、自分が弱いということを理解しましょう。
あなたの意思は、感情の前に無力なのです。
多くの人は、感情が自分の意思であると思い込んでいます。
それは、抵抗することが出来ない力に対して従う奴隷(どれい)のようなものなのです。
奴隷は、支配者に対して従順です。
それは、支配者の強大な力の前に抵抗することを諦(あきら)めるからです。
人は、楽を求めます。
人は、強大な力に抵抗することよりも、それに従っていく方が楽であることを知っているのです。
人が楽を求めるのは、苦しみを否定するからです。
人が苦しみを否定する時には、従順な奴隷と成ることを知りましょう。
奴隷は、支配者に逆らうことが出来ません。
奴隷は、いつしか支配者の指示を自分の意思だと思い込んでしまいます。
奴隷は、それが自分の意思ではないにもかかわらず、それを自分の意思だと思い込み、自主的に行為するようになるのです。
支配者に屈する者は、決して自分の意思によって生きることが出来ないということを理解しておきましょう。
感情とは、自我意識によって導かれる歪んだ命令です。
それは、自我意識の抱える劣等感を解消するための命令なのです。
自我意識が劣等感を解消するために行うのは、優越感を得ることです。
自我意識が優越感を得るためには、他者よりも優れている状態を作り上げなければなりません。
それは、他者に劣等感を抱かせることによって、劣等感を抱えている自分が、劣等感の上に優越感を上塗りする形で行われるのです。
それは、劣等感を忘れるということなのです。
優越感を得たとしても、劣等感が消えることはありません。
優越感を得ようとする行為によっては、劣等感を解消することは出来ないのです。
しかしながら、自我意識にはそのことが分かりません。
自我意識は、自分が他者よりも優れていたり、自分よりも劣っている他者がいれば満たされると思い込んでいるのです。
自我意識は、その信条を感情を使ってあなたに伝えているのです。
多くの人は、それを自分の意思だと思い込み、自我意識の命令に従っているのです。
そのため、人の世には争いが絶えません。
人は、自分と他者の間に優劣を探すのです。
そして、劣等感に苦しみ、優越感を喜ぶのです。
それは、愚者(ぐしゃ)の苦しみであり、喜びであるということを知りましょう。
あなたは、他者に劣等感を与えることや、他者に優越感を覚えることでは、決して満たされることはないのです。
そのような方法は、あなたに幸福を導きはしないのです。
好い加減、争いによっては豊かさを得られないことを理解しましょう。
他者との間に、優劣を探すことをやめなければならないのです。
人は、異なることが自然であり、美しいのです。
自分の存在を認めること、他者の存在を認めることがあなたを満たすのです。
豊かさの本質とは、認め合うことです。
多くの人が陥っている間違いに気が付きましょう。
争いによっては、決して豊かさを得ることが出来ないのです。
本質を見極めなければ、本質に辿り着くことは出来ません。
自由を得たければ、自分が奴隷であることに気が付くことです。
自分が奴隷であることに気が付くためには、主観を離れなければなりません。
客観を得なければ、自分が奴隷であることに気が付くことは出来ないのです。
客観を得なければ、自我意識の感情を自分の意思だと思い込んでいることにも気が付かないのです。
本質を得たければ、それから離れるしかありません。
あなたが満足を得たいと考えているのであれば、優劣を探す習慣から離れましょう。
感情に引き摺られ、意思を見失ってはなりません。
あなたは何のために生まれたのですか?
人生は、何のためにあるのですか?
あなたは、誰なのですか?
考えましょう。
そうすれば、劣等感がその問いの答えを覆い隠していることに気が付くでしょう。
残念ながら、あなたは誰にも劣ってはいません。
あなたはあなたなのです。


認めましょう。

2017年12月28日木曜日

人生を豊かにする技術

人生を豊かなものにするためには、人生を豊かにするための技術が必要です。
残念ながら、この世界には”奇跡”というものは存在しません。
この世界には、因果関係の存在しない偶然というものは存在しないのです。
同じ場所で、同じことをしても、結果が異なります。
この世界には、豊かに生きる人もいれば、乏しく生きる人もいるのです。
それは、豊かに生きる人に特別な才能があったからではありません。
乏しく生きる人が無才(むさい)であったからでもないのです。
人生に対する技量によって、豊かに生きるか、乏しく生きるかが決まるのです。
人生を豊かに生きる人は、人生を豊かに生きるための選択を続けています。
豊かに生きるための選択を続けるのは、技術なのです。
人は、奇跡を待ち望んでも豊かさを得ることは出来ません。
あなたがどれだけ強く望んだとしても、それだけでは何も実現することはないのです。
豊かさを得るためには、豊かさを望み、豊かさを得るための選択を行い、豊かさを受け入れる態勢を整え、豊かさを喜ぶ覚悟が必要なのです。
この世界においては、望んでいるだけでは得られないのです。
実際に行動する必要があるのです。
闇雲に行動するだけでも豊かさを得ることは出来ません。
豊かさを得るための行動を選択しなければならないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果は、それに相応しい原因によって導かれます。
原因が存在しなければ、結果も存在しないのです。
結果を得るためには、それに相応しい原因が必要だということなのです。
人生においての原因はあなたです。
あなたは、自分自身が人生の原因であるということを理解しなければなりません。
あなたの人生は、あなたに相応しく展開しているのです。
それは、自分自身の実情が重要だということなのです。
自分自身の実情に相応しくないものを望んだとしても、それが実現することはありません。
なぜなら、それを望んだとしても、それを結果へと導くための過程を実行することが出来ないからです。
これは、あなたの人生です。
あなたが出来ないことは実現しません。
あなたの目の前に導かれるすべての状況は、あなたにとって相応しく、あなたが扱えるものであるということを覚えておきましょう。
あなたは、目の前に導かれる状況から学ばなければなりません。
それは、あなたに相応しいのです。
あなたがどのように考えようが関係ありません。
それは、あなたの認識が間違っているからです。
あなたは、自分に相応しい人生を生きます。
自分に相応しくない人生を生きることは出来ません。
そのため、あなたは自分を成長させることを大切にしましょう。
自分を成長させるために、多くの師匠(ししょう)を持たなければなりません。
あなたは、謙虚さを以(もっ)て、様々なものに師事(しじ)するのです。
樹木からは耐え忍ぶことを学び、鳥には空の飛び方を学びましょう。
魚には泳ぎ方を学び、他者からは自分自身を学ぶのです。
人生を豊かなものにするためには、自分自身を磨く以外に方法はありません。
誰かや何かと争ったところで、人生を豊かなものにすることは出来ないのです。
それは、あなたに必要なものと、他者に必要なものとが異なるからです。
あなたにとっての必要とは、あなたに相応しいものです。
それは、他者とは異なるのです。
自分に相応しいものを大切にしましょう。
それは遠くには存在しません。
それは近くにあって、いつでも手が届くものなのです。
理想を追い求めることを戒(いまし)め、現実と向き合うことを教訓としましょう。
”奇跡”を願う虚しさに気付き、豊かさを得る技術を身に付けましょう。
自分自身を磨いていれば、汚れが付着することはありません。
しかしながら、自分自身が汚れていれば、更なる汚れが付着するのです。
人は、美しさの中の僅(わず)かな汚れを嫌いますが、汚れの中の僅かな汚れは気に掛けないのです。
それは、乏しさを積み重ねる結果を導くことを理解しましょう。
人生を乏しくする技術に頼ってはなりません。


あなたは、人生を豊かにするのです。

2017年12月27日水曜日

因果の資産

人生を豊かなものにするためには、理(ことわり)に寄り添って生きなければなりません。
理を無視して生きることは、乏しさを得る道のりなのです。
理とは、この世界の真(まこと)です。
あなたがこの世界の真と寄り添って生きる時、自らの人生の意義を見出すことが出来るのです。
人にとって、人生の意義を見出すことは重要です。
人生の意義を見出すことがなければ、自分が何によって満足を得るかを知ることが出来ないからです。
人は、幸福を探し続けています。
人が幸福を探し続けているのは、手にしたものが幸福ではなかったからです。
人は、それを幸福だと思って大切に扱います。
しかしながら、時が経つに連れて、それが自分を満足させないことを知るのです。
あなたが幸福だと思って大切にしている”それ”は、やがて輝きを失うでしょう。
幸福が輝きを失った時には、再び、輝く幸福を探し出さなければならないのです。
すべての人は、心の満足を求めているのです。
あなたが心の満足を得るためには、理に寄り添って生きなければなりません。
理こそが、あなたの満足を知っているのです。
理こそが、あなたに満足を導くのです。
理とは、この世界の真ですが、それは、あなたの考えとは異なります。
すべての人は未熟です。
それは、認識が汚れて歪んでいるからです。
すべての人は、真を見極めることが出来ません。
すべての人は、真を歪めて見ているのです。
そのため、理と寄り添って生きることが出来ません。
すべての人は、理に反して生きているのです。
それは、自分勝手な判断によって、自分勝手に生きているということなのです。
多くの人にとって、それは”普通”のことです。
自分勝手な判断によって、自分勝手に生きることは、自らに与えられた権利だと考えている者もいるのです。
あなたが自分勝手に生きることが悪いということではありません。
あなたは、自分の好きなように生きることが出来ます。
誰も、あなたの判断や生き方を邪魔することは出来ません。
あなたは自分の意思で、自由に生きることが出来るのです。
しかしながら、自由には責任が伴(ともな)います。
責任の伴わない自由は存在しません。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
あなたは、自らの選択によって生み出した原因に相応しい結果を受け取らなければならないのです。
自分勝手に生きることは、自らの責任を放棄するということです。
自らの責任を放棄すれば、その分の仕事を誰かに肩代わりさせることになります。
それは、因果の負債を負うことなのです。
この負債は目には映りません。
形のあるものでもないのです。
しかしながら、それは確実に人生に影響を与えるものなのです。
因果の負債によって、あなたは問題を抱えることになるでしょう。
それは、悩みを引き起こし、苦しみを導くのです。
未熟な者にとっては、そのような状態に満足することは出来ないのです。
それは、人生の乏しさを意味しているのです。
理は、あなたに因果の資産を得る方法を教えるでしょう。
理に寄り添って生きることによって、あなたは目には映らず形もないが、確実に人生を豊かなものにする資産を得ることが出来るのです。
理とは、この世界の真です。
この世界の真とは、原則のことです。
それは、いつ、どこで、誰であっても同じ結果を得る仕組みのことです。
理は、あなたが満足する方法を教えます。
しかしながら、理を無視し、自分勝手に生きる者には、その方法を理解することが出来ないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、理に寄り添って生きましょう。
理は、遍(あまね)く存在しています。
しかしながら、それはとても繊細(せんさい)です。
騒がしい”頭”では捉えることが出来ません。
騒がしい”心”でも捉えることは出来ないのです。
自分勝手な快楽や不満や不安に溺れていれば、理に寄り添うことは出来ません。
頭を冷やし、心を静め、理に寄り添いましょう。



2017年12月26日火曜日

本質を照らす光

あなたは、成長するための人生を生きています。
あなたは、人生における様々な体験を通じて成長しなければならないのです。
あなたが成長を実現しようとする時には、自分を知る必要があります。
自分の現状を理解することなく、それを成長へと導くことは出来ないのです。
大切なのは、自分を知ることです。
あなたは、人生における様々な体験を通じて自分を教わっているということを理解しましょう。
あなたが自分の現状を知るということは、必ずしも易(やさ)しいことではありません。
それは、自分の現状というものが歪んでいるからです。
すべての人は未熟です。
しかしながら、人は理想を求めます。
人は、理想の中に自分を見ているのです。
人は未熟であるが故(ゆえ)に、自分の現状を見誤ります。
人は、自分が”ある程度”優れていると思い込んでいるのです。
人は、自分が正しいという思い込みを抱えて生きているのです。
そのため、思い描く理想と導かれる現実との間には、いつも大きな隔(へだ)たりがあるのです。
すべての人は、そこに矛盾を生み出すのです。
矛盾を抱えることによって、人は問題を導きます。
問題を導くことによって苦しみを得るのです。
すべての人が矛盾を抱えているために、苦しみは避けられません。
あなたは、苦しみを受けなければならないということを覚悟しなければならないでしょう。
それは、あなたが成長するためです。
苦しみによって、あなたの抱える矛盾が指摘されます。
苦しみによって、あなたは抱える矛盾と向き合わなければならないのです。
苦しみによって、あなたは矛盾を手放します。
苦しみによって、あなたは理想と現実との差を埋めます。
苦しみによって、あなたは自己の歪みを取り除きます。
苦しみによって、あなたは成長することが出来るのです。
苦しみがなければ、成長もありません。
あなたは、苦しみが大切なものであることを理解しましょう。
苦しみを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
苦しみは、すべての本質を露(あらわ)にします。
苦しみによって顕著(けんちょ)にならない本質はありません。
苦しみとは、本質を照らす光であり、矛盾を取り除く道具でもあるのです。
寒風は、木の葉を散らします。
夏には葉を茂らせる樹も、寒風の前では枝を隠すことは出来ません。
嵐の前では、大樹も引き倒され、根を露にするでしょう。
冬の寒さの前では、海も海底を隠すことは出来ません。
本質はいつも隠されていますが、それは苦しみによって露にされるのです。
あなたが苦しみを受ける時、自分のことが露になります。
苦しみの前では、あなたは偽りを演じ続けることが出来ないのです。
苦しみによって、あなたの本心が露にされるでしょう。
それは、誰もが認めたくない弱さです。
人は、弱さを否定することで理想を生み出しているのです。
弱さと向き合うということは、現実と向き合うということです。
それは、決して心地の好いことではありません。
それは、嫌悪に向き合うということであるからです。
あなたが成長を実現するためには、自分の弱さと向き合うことは避けられません。
人は、自分の弱さを克服することで成長することが出来るからです。
あなたは自分の弱さを克服することを求められています。
それは、あなたにとって可能なことなのです。
人生は、あなたに対して不可能を求めることはありません。
あなたに可能であるからこそ、それを求めているのです。
あなたは常に自分と向き合っているということを理解しましょう。
目の前の他者や状況に対して、自分を探しましょう。
すべては自分自身の反映です。
あなたは人生に自分の弱さを見るでしょう。
その時には、苦しみの助けを借りましょう。


苦しみこそが、本質を照らし、あなたを成長へと導くでしょう。

2017年12月25日月曜日

多過ぎる選択肢

すべての人は幸福を求めています。
幸福とは満足です。
人は、満足を得ることを目指しているのです。
人が人生に満足するためには、人生の目的を果たす必要があります。
すべての人生には目的が存在しています。
誰一人として、無駄に生まれた訳ではありません。
人は、それぞれに価値のある存在として生まれたのです。
すべての人が、役割を与えられています。
その役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、自分には価値があるということを理解しましょう。
多くの人は、自分の価値を見失っています。
それは、自分の役割と、人生の目的を見失うという結果へと結び付いてしまうのです。
大切なのは、自分の価値を見出すことです。
あなたは、自分に価値があるということを理解しましょう。
多くの人は、自分の価値を見失っています。
そのため、多くの人は、多くの場合、悲観的に生きています。
悲観的に生きることは可能性を失わせます。
悲観的に生きることによっては、可能性は得られないのです。
可能性とは選択肢のことです。
本来ならば、すべての人には多くの選択肢が存在していますが、悲観的に生きることによって、それを認識することが出来ないのです。
多くの人は、少ない選択肢の中から選びます。
すべての人は、”悪いもの”の中から”それよりは悪くないもの”を選ばなければなりません。
選択肢が多い程に、悪いものであったとしても、より良いものを選ぶことが出来るのです。
そのため、選択肢が多い方が人生には可能性が導かれます。
そして、それは人生を豊かなものにするのです。
豊かさは選択肢によって生まれます。
そのため、あなたは選択肢を多く得る必要があるのです。
あなたが選択肢を得るためには、悲観的に生きてはなりません。
悲観的に生きないためには、自分の価値を探すことなのです。
自分の価値とは、必ずしも特別なものではありません。
あなたにしか出来ないことは自分の価値です。
あなただから出来ることも自分の価値です。
あなたでも出来ることも自分の価値なのです。
あなたが出来ることは、自分の価値であるということを理解しましょう。
自分の価値とは、特別なものではないということを理解し、自分に出来ることを懸命に努めれば良いのです。
それによって、あなたは自分や人生に悲観することがなくなり、多くの選択肢を得ることが出来るのです。
それは人生を豊かなものにするでしょう。
しかしながら、それでも幸福を得ることは出来ません。
なぜなら、多過ぎる選択肢は、人を不幸にしてしまうからです。
あなたの目的は役割を果たすことです。
役割を果たすためには、役割に専念する必要があります。
役割に専念するためには、決心が必要なのです。
多過ぎる選択肢は、人の決心を弱めてしまいます。
多過ぎる選択肢によって決心が揺らぐのです。
そのため、あなたが悲観を離れ、多くの選択肢を得ることが出来たなら、次には選択肢を選別しなければならないのです。
多過ぎる選択肢を狭めていくのです。
それは、より本質的な選択をするためです。
多くの選択肢によって見識を深めたならば、”悪いもの”の中から”必要なもの”を選ぶことが出来るのです。
それは、自らの役割を果たすために必要なものです。
あなたが必要なものを選択することが出来るようになれば、漸(ようや)く満足を得ることが出来るでしょう。
満足を得ることによって、幸福を得ることが出来るのです。
あなたは幸福を求めているでしょう?
しかしながら、幸福を求めてはなりません。
幸福とは、結果に過ぎません。
結果を得るためには、原因が必要なのです。


安易に幸福を求めず、磨かれた自己という原因を求め、それを実現しましょう。

2017年12月24日日曜日

自分の使い方

人生とは、ただ生きるための場所ではありません。
あなたは、ただ生活すれば良いと考えてはなりません。
もちろん、豊かに生活するための場所でもないのです。
多くの人は、本能や劣等感に従って生きています。
それは欲望を生み出し、人生の意義を覆い隠します。
あなたが欲望に従って生きる時には、無明(むみょう)を生きているということを理解しましょう。
大切なのは、理(ことわり)と共に生きることです。
あなたが理と共に生きる時、真理の光によって道が示されるでしょう。
あなたの道は、理によって啓示(けいじ)されるのです。
残念ながら、ただ生きることは理の求めることではありません。
ただ生きることが目的であるのならば、人の心に虚無(きょむ)が生まれることはないのです。
すべての人は生きることに成功しています。
どのような状態であろうとも、すべての人は生きているのです。
ただ生きることが人生の目的であるのならば、すべての人が豊かさを実感しているはずなのです。
あなたは生きています。
豊かに生きているかも知れません。
豊かさを実感しているでしょうか?
不満も不安も吐かず、満たされた心境を楽しんでいるでしょうか?
残念ながら、生きることや、豊かに生きることでは心は満たされません。
豊かに生きる人ほど、その心には虚無が生じるのです。
それは、生きることが人生の意義ではないということを示しているのです。
あなたは、生きることや豊かに生きることを目指してはなりません。
あなたは、自らの人生の意義を目指さなければならないのです。
人生の意義は、人それぞれに異なります。
誰一人として、人生の意義を同じにする者はいません。
なぜなら、人にはそれぞれに役割が与えられているからです。
あなたが、この世界に唯一無二(ゆいいつむに)の存在であるのは、あなただけの役割が存在しているからです。
役割が存在するからこそ、あなたが存在するのです。
それは、あなたにだけ与えられた役割なのです。
多くの人は、自分に与えられた役割を知りません。
役割が与えられていることすら知らずにいるのです。
そのため、多くの人はただ生きることに専念します。
豊かに生活することを人生の目的としているのです。
ただ財産を蓄えることを人生の目的としてはなりません。
ただ子孫を増やすことを人生の目的としてはなりません。
ただ好きに生きることを人生の目的としてはなりません。
何のために財産を蓄え、何のために子孫を増やし、何のために好きに生きるのか?ということを考える必要があるのです。
あなたは、自分の使い方を考えましょう。
あなたは、自分に与えらえた時間をどのように使うべきなのかを考えましょう。
自分に与えられてた能力をどのように使うべきなのかを考えるのです。
何のために生きるのか?ということが重要なのです。
そして、何のために死ぬのか?ということを考えなければならないのです。
自分の使い方を考えない者は、豊かな人生を生きることは出来ません。
自分をどのように使って世界に貢献するべきなのか?を考える必要があるのです。
自分の使い方を考えない人は、自分を使うことが出来ません。
自分を満足に使うことの出来ない人は、自らに与えられた役割を果たすことが出来ないのです。
ただ生きることや、ただ豊かに生活することしか考えていない人は、自分勝手に振る舞います。
それは、利己主義を生み出し、全体性を失います。
豊かな人生とは、他者との協力によって導かれるものです。
これまでに、利己的な考えによって豊かな人生を手にした者はいません。
人生の意義は、世界に貢献することによって導かれるのです。
それは、全体性である利他の心で生きることによって導かれるということを覚えておきましょう。
大切なのは、考えることです。
考え続けなければなりません。
多くの人は、自分の使い方を忘れています。
あなたは、自分がどのような”道具”なのかを知りましょう。


そうすれば、貢献することが出来るのです。

2017年12月23日土曜日

宝の隠し場所

これは、あなたの人生です。
他の誰の人生でもありません。
あなたは、自分の人生に責任を持たなければなりません。
それは、あなた以外には、あなたの人生を生きることのできる人はいないからです。
あなたは、自分の人生を生きる必要があるのです。
それは、これが、あなたの人生であるからです。
多くの人は、これが自分の人生であることを知りません。
多くの人は、自分の人生に対する責任を蔑(ないがし)ろにしています。
多くの人は、自分の人生を誰かや何かに譲り渡しているのです。
しかしながら、そのことには気が付かないのです。
多くの人は、それが自分の求めている人生ではないにもかかわらずに、そこに満足を見出そうと努めています。
多くの人は、幸福でもないことを幸福であると思い込もうと努めているのです。
これは、あなたの人生です。
あなたには、人生の目的があるのです。
あなたの人生には、あなたの目的があるということを覚えておきましょう。
誰かの目的と、あなたの目的は異なります。
そのため、誰かの幸福とあなたの幸福は異なっているのが自然なのです。
誰かの幸福とあなたの幸福が一致するのは不自然であるということを覚えておく必要があるのです。
そのため、あなたが自分に無理をして、常識的な幸福を求めているのであれば、それによって苦しむということを知りましょう。
目的に反する選択によって、あなたは苦しみを受けるのです。
人生に幸福を求めているのであれば、目的に従って選択することです。
それ以外には、人生において幸福を得る方法はないのです。
多くの人は人生に答えを探しています。
多くの人は、答えを教えてもらおうとしているのです。
残念ながら、あなたの人生の答えを知る人は存在しません。
あなたの人生の答えは、その持ち主であるあなた以外には知るはずがないのです。
宝の隠し場所を、盗人が知っているでしょうか?
残念ながら知りません。
宝の隠し場所は、その宝の持ち主が知っているのです。
あなたの人生の目的を、誰かに求めたとしても得られるものではありません。
人生の答えは、あなたが知っているのです。
そのため、あなたは自分自身に対して問う必要があるのです。
あなたが、自分以外の存在から得られるのは、人生の答えに対するヒントだけです。
誰も、あなたの人生の答えを知らないのです。
知らない者に聞いてはなりません。
知らない者を苦しめてはならないのです。
あなたは、人生に答えが与えられないことを理解しましょう。
しかしながら、答えのヒントは常に与えられているのです。
人は孤独な存在です。
あなたは、独りでこの人生を歩んでいるのです。
あなた以外に決められる者はいません。
あなたは、自分で決断しなければならないのです。
誰かに決断を求めたとしても叶いません。
最終的な決断は、常にあなたがするのです。
これはあなたの人生です。
あなたは、孤独の内に歩まなければなりません。
孤独の内に決断しなければならないのです。
しかしながら、あなたは未熟です。
その選択は必ず間違えます。
その選択は必ず問題を引き起こし、あなたは苦しむことになるでしょう。
しかしながら、それを恐れてはなりません。
人は、間違えるようにできているのです。
人は、間違えるように作られています。
それが自然の理(ことわり)なのです。
あなたは、宝を隠しておきながら、それを忘れているのです。
間違えることによって、隠し場所に近付くでしょう。
間違えを続ければ、宝の隠し場所に至るということを覚えておきましょう。
答えを得ることはできません。
間違えて良いのです。
決して、悪いことにはなりません。
安心して間違えましょう。



2017年12月22日金曜日

賢者の収穫

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての因果は実を結ぶのです。
原因は必ず結果へと結び付きます。
この世界においては、結果を導かない原因は存在しないのです。
原因があれば、それは必ず結果を導くのです。
誰一人として、因果の仕組みを離れることは出来ません。
すべての人は、自らの抱える原因に相応しい結果を受け取る必要があるのです。
誰も、導かれる結果を否定することは出来ません。
どのような理由があろうとも、自らの選択の責任を果たさなければならないのです。
良い結果であろうと、悪い結果であろうとも、あなたはそれを受け取らなければならないということを覚えておきましょう。
その時になって拒(こば)んだとしても、それを受け取らなければならないのです。
この世界においては、賢者(けんじゃ)でも愚者(ぐしゃ)でも、種を蒔(ま)けば同じように芽が出ます。
この世界においては、賢者でも愚者でも、世話をすれば同じように育ちます。
この世界においては、賢者でも愚者でも、時期が来れば同じように花を咲かせ、実を結び、収穫するのです。
賢者であるから収穫を得るとか、愚者であるから収穫を免れるとかいうことはありません。
賢者であるから収穫を免れ、愚者であるから収穫を得るなどということもないのです。
賢者が蒔いた種であっても、愚者が蒔いた種であっても、見た目は同じものなのです。
見た目の同じ樹に育ち、見た目の同じ花を咲かせ、見た目の同じ実を結ぶのです。
そのため、この世界においては、愚者であろうとも幸福を得るように思えます。
愚者であろうとも、人生を豊かに生きていると思えるのです。
しかしながら、あなたは目に映ることだけに捕らわれてはなりません。
大切なことはいつも、目には映らないものだからです。
目に映るものだけを頼りにしていれば、あなたは毒を飲んでしまうでしょう。
甘い果実も、苦い果実も、見た目には違いがないのです。
甘い果実も苦く見え、苦い果実も甘く見えるのです。
残念ながら、見た目には大きな価値はありません。
価値とは、目には映らない本質であるということなのです。
賢者の収穫は豊かさです。
それは、見た目には乏しいかも知れません。
しかしながら、その本質は豊かであるのです。
愚者の収穫は乏しさです。
それは、見た目には豊かであるかも知れません。
しかしながら、その本質は乏しさであるのです。
あなたは、見た目に騙(だま)されてはなりません。
愚者の樹にも、たわわに因果の果実が結ばれています。
多くの人は、遠くからそれを見て、良いものだと思うのです。
愚者は、樹に結ばれた無数の果実を見て喜びます。
そして、収穫を祝うのです。
それは、自らの業績を誇る祭りなのです。
愚者は多くの果実を収穫して喜びます。
しかしながら、それが苦い果実だと知るのは、果実を収穫した後のことなのです。
見た目の良い果実も、愚者が育てるのであれば、その中身は苦いのです。
愚行を働いて、人が豊かさを得ることはありません。
愚行を働けば、それに相応しい実りがあるのです。
愚者は愚行の結果を収穫しなければならないのです。
愚行を働けば、必ず苦しみます。
愚行とは、思いやりに欠ける行為のことです。
あなたは、誰かや何かに対して思いやりの欠ける行為を行ってはなりません。
それは、苦い果実を収穫しないためです。
誰一人として、因果の仕組みを否定することは出来ません。
あなたの行為が、あなたの受け取る状況を決めるのです。
人生は因果の仕組みによって、あなたに相応しい状況を導きます。
多くの人は、それを理解することが出来ずに抵抗するのです。
あなたが種を蒔いたことを忘れたとしても、大地はそのことを覚えています。
あなたの蒔いた種を覚えている天は、雨を降らすでしょう。
あなたは、自分で蒔いた種の果実を収穫しなければなりません。
それは避けられないことなのです。
種を蒔く時点において、何を収穫するかは決まっているのです。


そのため、あなたは自らの原因(蒔く種)に気を付けておきましょう。

2017年12月21日木曜日

未熟な信仰

人生を豊かなものにするためには、自分自身を変える必要があります。
あなたは、自分自身に対して変化を導く必要があるのです。
自分自身が変化することこそが、豊かさへの道なのです。
しかしながら、多くの人は自分自身を変化させることを嫌います。
それは、自分が正しいと思い込んでいるからです。
多くの人は、自分が正しいと思い、自分以外が間違っていると思い込んでいるのです。
残念ながら、それは誤解に過ぎません。
言っておきますが、あなたは正しくありません。
もちろん、あなた以外の他者も正しくはないのです。
すべての人が正しく、すべての人が間違っているのです。
この世界には、正しいものは存在しません。
そして、間違っているものも存在しないのです。
この世界に存在しているのは、正しくもあり間違ってもいるものだけなのです。
どのようなものにも、必ず光と影が同時に存在しています。
この世界には、光だけは存在しません。
影だけも存在することはないのです。
光は影によって生まれ、影は光によって生まれるのです。
正しさは間違いによって導かれ、間違いは正しさによって導かれるのです。
すべての人が未熟です。
多くの人は、自分が正しく、自分以外が間違っていると思い込んでいます。
もしくは、自分が間違っていて、自分以外が正しいと思い込んでいるのです。
あなたは正しくもあり、間違ってもいます。
あなた以外が正しくもあり、間違ってもいるのです。
すべてには、陰陽の性質が備わっているということを覚えておきましょう。
あなたは、誤解を手放さなければなりません。
誤解を手放すためには、自分自身を変えなければなりません。
自分を変えることなく、誤解を手放すことは出来ないのです。
多くの人は、人生の乏しさを誰かや何かのせいにします。
しかしながら、それは、自分の誤解が導く選択の結果に過ぎないのです。
あなたの人生が、自分以外の存在によって左右されることはありません。
人生を豊かにするのも、乏しくするのも、すべては自分自身の選択なのです。
あなたは、自分を正しいとする誤解を手放しましょう。
人生は、あなたの信仰に従って展開します。
目の前に導かれる状況とは、あなたの信仰の形なのです。
自分を正しいと思い込んでいる人は、未熟な知識を信仰しています。
それは、未熟な状況を導くでしょう。
未熟な状況とは、問題の導かれる状況のことなのです。
人生が乏しさを得るのは、未熟な信仰に由来しているということを覚えておきましょう。
あなたが自尊心を手放し、謙虚(けんきょ)であれば、未熟な信仰に頼る必要はないでしょう。
自分が正しくもあり、間違っていることを知れば、人生は豊かなものになるのです。
自分が正しいと思い込むのであれば、人生は偏(かたよ)るでしょう。
自分が間違っていると思い込むのも同じことです。
偏りによって、人は変化する必要性を失います。
それは、偏りによって自らを正当化するからです。
人は、偏ることによって何かに属する時、相対的に敵を生み出します。
人が偏るためには、敵が必要なのです。
そのため、自分が正しいと考えることによって敵を見出している人は、必ず偏っているのです。
多くの人は、自分を正当化することによって、敵がいることを当然のことだと信じ込みます。
しかしながら、あなたはそれが異常な状態であるということを理解する必要があるのです。
本来、この世界に敵は存在しません。
すべての存在があなたの成長を助ける役割を担っているのです。
しかしながら、多くの人はそのことを信じません。
多くの人は、敵が存在することが当然のことだと考えているのです。
そのため、わざわざ外に敵を作るのです。
他者に信仰を捨てさせ、変化させることは出来ません。
人はそれぞれの信仰に従うのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、自分自身を変える必要性を見出しましょう。
自分以外を変える必要はありません。
自分が変わらなければ、何も変わりはしないのです。
未熟な信仰を守り続けてはなりません。


未熟な信仰を手放し、新たな変化を実現しましょう。

2017年12月20日水曜日

次の幸福

すべての人は幸福を求めています。
すべての人は、幸福を目指しているのです。
幸福を否定する人はいません。
あなたが幸福を求めているように、すべての人も幸福を求めているということを理解しましょう。
しかしながら、あなたは幸福を一緒くたに考えてはなりません。
幸福を一括(ひとくく)りに考えてしまえば、幸福の本質を見失ってしまうことになるのです。
幸福の本質を見失ってしまえば、幸福を得ることは出来ないのです。
あなたは、幸福の本質について考えなければなりません。
多くの人は、幸福が一つのものだと考えています。
”ある状態”に至ることを幸福だと考えているのです。
例えば、友好的な人間関係を構築することや、満足の出来る仕事に携(たずさ)わることや、最愛の伴侶(はんりょ)を得ることや、好きな場所や物を得ることなどです。
どのような状態であろうとも、それを幸福と考える人がいます。
あなたにとっての幸福を不幸と考える人もいれば、あなたにとっての不幸を幸福と考える人もいるのです。
あなたにとっての幸福も、立場によって入れ替わるのです。
暗闇の中では光が幸福であり、光の中では暗闇が幸福なのです。
あなたは、幸福の条件が立場によって異なるということを覚えておきましょう。
人の求めている幸福などというものは、”無い物ねだり”に他ならないのです。
真夏には日陰を求め、真冬には日向(ひなた)を求めるのです。
楽しい時には苦しみを求め、苦しい時には楽しみを求めるのです。
幸福の本質とは、現状の立場に相対する立場であるということなのです。
あなたが現状を幸福だと考えていても、それも長くは続きません。
なぜなら、幸福の本質は現状の立場と相対する立場であるからです。
あなたが幸福だと考えている現状に居座れば、必ず他の立場を欲しいと思うのです。
多くの人は幸福を満足することが出来ると思い込んでいます。
しかしながら、あなたが幸福に満足することはありません。
あなたはいつか、次の幸福を求めることになるのです。
あなたは、幸福に満足することは出来ません。
必ず、満足することが出来なくなるのです。
あなたはいつか、幸福に不満を抱くようになるのです。
そして、かつての幸福を裏切るでしょう。
人生は、新たな幸福を探す旅路です。
立ち止まることは幸福ではありません。
幸福は、変化の中にこそ存在しているのです。
あなたが一つの幸福に執着(しゅうちゃく)すれば、そこには必ず退屈と不満が導かれます。
あなたが一つの幸福に執着すれば、その幸福によって不幸を得ることになるのです。
あなたの考えている幸福は幻想に過ぎません。
それは、確かに幸福であったでしょうが、同時に不幸でもあるのです。
あなたが幸福を見ている時には、不幸を見失っています。
あなたが不幸を見ている時には、幸福を見失っているのです。
しかしながら、幸福と不幸は同時に存在しています。
そのことを覚えておかなければならないのです。
あなたは、幸福の条件が限定されてはいないということを覚えておきましょう。
幸福の条件など、立場によって簡単に変わってしまうのです。
現状の幸福や、理想の幸福に執着してはなりません。
幸福の中に不幸を見出し、不幸の中に幸福を見出しましょう。
そうすれば、あなたは変化し続けることが出来るのです。
それが、人生を歩むということなのです。
幸福を求める者は不幸に至り、不幸を求める者は幸福に至るでしょう。
あなたは幸福を踏み締め、それが不幸となれば、別の幸福を踏み締めるのです。
人生はその繰り返しです。
現状に満足することは出来ますが、それは一時のことであることを理解しておきましょう。
あなたは変わり続けなければなりません。
人生に安住はありません。
幸福を得るというのは、変化し続け、歩み続けるということなのです。
あなたは、幸福が誤解であるということを覚えておきましょう。
それは幸福であり、同時に不幸なのです。


次の幸福を探しましょう。

2017年12月19日火曜日

好きに出来ない好きなこと

人生を豊かなものにするためには、好きなことをしなければなりません。
それを仕事にしても良いですし、遊びとして関わるのも良いでしょう。
どのような関わり方であったとしても、あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、好きなことをしなければならないのです。
多くの人は、好きでもないことをしています。
多くの人は、自分の気持ちに背いているのです。
多くの人は、好きなことに触れることを恐れています。
多くの人は、好きなことをすることが罪であるかのように考えているのです。
それは、誰かの影響です。
多くの人は、人生の豊かさを諦めた誰かの影響を受けています。
多くの人は、好きなことに携(たずさ)わることを諦めた誰かの言葉に従っているのです。
そのため、多くの人は惨(みじ)めな人生を生きています。
多くの人は、不満や不安に苦しむ人生を生きているのです。
あなたが不満や不安に苦しむ必要はありません。
わざわざ、必要のないことをする必要はないのです。
あなたは豊かな人生を生きることが許されています。
あなたは、好きなことをして生きることが許されているのです。
好きなことに携わることは大切です。
好きなことは、あなたに意欲をもたらします。
あなたは意欲によって、多くを学ぶでしょう。
それは、世界への貢献と、自分自身の成長を実現するのです。
好きでもないことに携わる人には意欲がありません。
意欲のない者は学ぶことをしません。
学ぶことのない者は、世界への貢献と、自分自身の成長を実現することが出来ないのです。
世界への貢献と、自分自身の成長を実現することなく、どうやって豊かな人生を生きるというのでしょうか?
残念ながら、世界への貢献と、自分自身の成長を実現することのない者が、豊かな人生を生きることは出来ません。
世界への貢献と、自分自身の成長を実現することのない者は、乏しい人生を生きる以外には選択肢が残されていないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
あなたが現在、好きでもないことに携わっているのであれば、そのような選択を考え直さなければならないでしょう。
あなたは、自分が好きなことに携わる時間を増やしていかなければならないのです。
それがどのようなものであっても構いません。
周囲の人からどのように思われようとも、自分の好きなことに携わることが最も優れているのです。
他者の意見は重要ではありません。
それは、自分の好きだと思うことこそが、あなたにとっての正解であるからです。
あなたにとっての正解が、他者にとっての正解であるとは限りません。
あなたの人生の目的と、他者の人生の目的は異なります。
あなたの人生の豊かさと、他者の人生の豊かさは異なるのです。
そのため、人生を豊かに生きるためには、他者の意見は重要ではないのです。
他者の意見に従うよりも、自分が好きなことに携わっている方が、人生が豊かになるということを理解しなければならないのです。
あなたは、自分の好きなことをしなければなりません。
自分の好きなことに携わらなければならないのです。
あなたは、自分の好きな道を歩みましょう。
しかしながら、自分の好きな道を志(こころざ)したからといって、好き勝手に振る舞うことが出来るということではありません。
寧(むし)ろ、反対です。
あなたは、好きなことをしなければなりませんが、それを好きに行えるなどと考えてはなりません。
自分にとっての正しい道であるからこそ、思い通りにはいかないものなのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
未熟であるあなたが、世界に貢献するためには、思い通りにしてはならないのです。
未熟であるあなたの思い通りにしていては、世界に貢献することなど出来るはずがないのです。
もちろん、成長することも出来ないのです。
そのため、自分の好きなように出来るなどと考えてはならないのです。
好きなことをしても、思い通りには出来ません。
しかしながら、それで良いのです。
寧ろ、思い通りに出来ることを疑わなければなりません。
未熟なあなたが思い通りに出来ることは、歪んだ道なのです。
未熟なあなたの思い通りに出来るということは、それ以上に成長する必要がないということだからです。
未熟なあなたが成長することがなければ、世界に貢献することは出来ません。
あなたは好きなことをしなければなりませんが、それを好きに出来ると考えてはなりません。
理不尽に思えることであっても、謙虚(けんきょ)さを以(もっ)て受け取り、深く考えてみましょう。
そうすれば、あなたには知恵が育ち、成長を実現することが出来るでしょう。


好きに出来ない好きなことをしましょう。

2017年12月18日月曜日

命があれば何だって

これは、あなたの人生です。
あなたは、自らの人生を創造しなければなりません。
人生は、あなたの選択によって築かれていくのです。
人生の選択権はあなたに与えられています。
あなたは、自分の人生に責任を持たなければならないのです。
多くの人が不満を心に秘めています。
多くの人が、苦悩に従って生きているのです。
そして、それを誰かや何かのせいにしているのです。
残念ながら、人生が乏しいのは、あなたの選択の結果に他なりません。
不満が導かれたのも、苦悩に付き従うのも、あなたの選択なのです。
あなたは自分でそのような状態を選んだのです。
あなたが選択しなければ、そのような状態は導かれはしないのです。
あなたの人生は、誰かや何かによって決められてはいません。
あなたが自分で決めたのです。
これはあなたの人生です。
誰かや何かの人生ではありません。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
大切なのは、人生は自分自身を現しているということを理解することです。
目の前の状況は、あなたに相応しいのです。
あなたにはそのような実感はありません。
そのため、目の前の状況が自分に相応しいと言われても、それを受け入れることは出来ないでしょう。
しかしながら、この世界には無意味なことは存在しないのです。
すべてには意味があり、すべてには価値があるということを覚えておきましょう。
あなたは目の前の状況から学ぶことが許されています。
学ぶことによって、あなたは成長することが出来るのです。
成長することによって、選択肢には幅が生まれます。
選択肢に幅があれば、不満や苦悩を選択しなくても良いのです。
成長するということは、不満や苦悩以外の選択を許されるということなのです。
あなたが不満や苦悩を選択したくなければ、成長する以外には方法がないのです。
”奇跡”を望んだとしても、そのようなことは起きません。
人生には、自分に相応しい状況以外が導かれることはないのです。
この世界には、無駄は存在しないのです。
あなたは、因果関係の存在しない”奇跡”を望むことが無駄であるということを理解しましょう。
それは、時間と労力を浪費することになるのです。
理想を追い求めることによって、力を失ってはなりません。
不満や苦悩を生きている多くの人は、力を失っているのです。
それは、自力という力です。
多くの人は、他力を望んでいるのです。
そのため、自分に相応しい状況は乏しいものになるのです。
自力が不足しているのだから、状況も乏しくなるということです。
大切なのは、自力を育むことです。
”奇跡”や理想を追い求めてはなりません。
他力を待ち望んではならないのです。
多くの人は、自らの非力を嘆(なげ)きます。
自分には何も出来ないと考えているのです。
しかしながら、あなたに出来ないことはありません。
それは、あなたには手もあり足もあるからです。
手足がなければ知恵があります。
知恵がなければ意志があります。
意志がなければ命があるのです。
世の人は、あなたと同じ力を持っています。
世の人は、あなたと同じように手足を持ち、知恵を持ち、意志を持ち、命を持ちます。
どうして、あなたは自分が非力だと嘆くのでしょうか?
他の人も、あなたと同じです。
あなたは、自分を悲観してはなりません。
あなたは、世の人のように何でも出来るのです。
勇気を以(もっ)て、新たな可能性を選択すれば良いだけです。
不満や苦悩を選択してはなりません。


豊かな人生を選択するのです。

2017年12月17日日曜日

純粋性

すべての人は未熟です。
すべての人は歪んだ自己によって選択します。
すべての人は、自らの人格に従った人生を生きるのです。
すべての人が未熟であり、歪んだ自己によって選択します。
それは、未熟であり、歪んだ選択となるのです。
そのため、すべての人に問題が導かれます。
誰一人として、問題を避けることは出来ません。
それは、すべての人が未熟であるからです。
人が未熟である以上、豊かさを得ることは出来ません。
それは、人が未熟である以上、乏しさを得る必要があるからです。
人は、未熟さ故(ゆえ)に問題を引き起こし、乏しさを得るのです。
あなたは、それが仕方のないことであることを認めましょう。
自らの未熟さを受け入れることが出来れば、それを改善することも出来るのです。
受け入れることがなければ、改善することも出来ないということを理解しましょう。
改善するためには受け取らなければなりません。
突き放しているのに、それを改善することなど出来るはずがないのです。
すべての人が未熟です。
当然、あなたも未熟なのです。
未熟というのは、少な過ぎる状態でもあり、多過ぎる状態でもあります。
あなたは、”丁度良い”状態を目指さなければならないのです。
それは、何かに対して少な過ぎることもなく、多過ぎることもない状態のことです。
それは、純粋な状態のことなのです。
純粋な状態である時、人は中立を得ることが出来るのです。
純粋でなければ、偏(かたよ)るということを覚えておきましょう。
偏れば、歪みます。
歪みとは、未熟さなのです。
あなたは、純粋性を高めなければなりません。
偏りを手放し、中立を得るように努めるのです。
それは、自らを磨くことによって実現するでしょう。
あなたは、自らを磨く必要があるということを覚えておきましょう。
自らを磨くというのは、向上心を以(もっ)て生きるということです。
あなたは、意欲的に生きなければならないのです。
しかしながら、向上心や意欲は、頑張れば出てくるものではありません。
向上心や意欲は、それが出る選択をしなければならないのです。
それは、興味のあること、好きなことを見付けることです。
誰にでも、興味のあることや好きなことはあります。
向上心や意欲は、それに触れている時に自然と出てくるものなのです。
興味がないことや、好きでもないことに対しては、向上心や意欲は出ません。
向上心や意欲が出なければ、退屈を得るのです。
それでは豊かさを得ることは出来ないのです。
豊かさの前提としては、あなたが興味のあることや好きなことに触れなければなりません。
興味のないことや好きでもないことに触れていてはなりません。
増しては、不快なことや嫌いなことに触れていてはならないのです。
あなたが偏りを離れ、中立を得るためには、少な過ぎるものを補(おぎな)い、多過ぎるものを削り落とさなければなりません。
そのための技術は、勉強と鍛錬(たんれん)によって習得しなければ身に付きません。
この世界には、奇跡などという”茶番”は存在しません。
誰かや何かの影響によって、あなたが苦悩している訳ではないのです。
あなたに技術(実力)が無かったことで苦悩しているに過ぎないのです。
それは、あなたが未熟であったということなのです。
未熟者は苦悩します。
それは自然の理(ことわり)です。
言い換えれば、未熟でなければ苦悩する必要がないということなのです。
勉強しましょう。
鍛錬しましょう。
あなたは、自分を磨き続けるのです。
純粋性を見失ってはなりません。
少な過ぎず、多過ぎず、中立を保ちましょう。
純粋であれば、本質を見極めることが出来るでしょう。


そこには、完全が存在しているのです。

2017年12月16日土曜日

分際の道

人には、それぞれにやらなければならないことがあります。
人は、それぞれに役割を与えられているのです。
あなたのやらなければならないことと、他者のやらなければならないことは異なります。
あなたは、自分が何をしなければならないのかを考えましょう。
そして、他者のやらなければならないことと、自分のそれを区別することを覚えなければなりません。
多くの人は、苦悩の中に生きています。
それは、この世界に苦しいことが存在しているからではありません。
あなたが苦悩の中に生きているのは、自分がやらなければならないことを見失っているからなのです。
それ以外に理由はありません。
自分がやらなければならないことをせず、やらなくても良いことをやっているために苦悩しているのです。
人は、自分がやらなければならないことをやっている時には、心が満たされるものです。
しかしながら、やらなくても良いことをやっている時には、心が乱れるのです。
あなたは、責任を放棄(ほうき)して楽しく過ごすことが出来るでしょうか?
頼まれ事を果たさずに、満足することが出来るでしょうか?
残念ながら、人の心はそのようにはできていません。
人の心は、責任を果たすことで満たされるようにできているのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
あなたが何かの問題に悩み、苦しんでいるのであれば、自分は責任を果たしているのか?と自問してみましょう。
そうすれば、あなたは自分がやらなければならないことを放棄し、やらなくても良いことに力を使っていることに気が付くでしょう。
やらなければならないことに力を使っているのであれば、あなたは満足を得ます。
やらなくても良いことに力を使っているのであれば、あなたは苦悩を得るのです。
あなたが幸福や豊かさを求めているのであれば、やらなければならないことに力を使う必要があるのです。
しかしながら、多くの人は自分がやらなければならないことが何であるのかを知りません。
そのため、多くの人は苦悩を生きているのです。
先ずは、自分がやらなければならないことは何か?と問わなければなりません。
あなたはそれを自分に問わなければならないのです。
誰かや何かに問うてはなりません。
答えば、自分の中に存在しているのです。
あなたがやらなければならないことは、目の前の現実の中に存在している問題と向き合うことです。
多くの人はそれを否定し、遠ざけます。
そして、理想を欲し、追い求めることになるのです。
目の前に導かれる現実とは、あなたの実態を現しています。
あなたの抱えている問題とは、あなたの実態を現しているのです。
あなたは、それと向き合い、自分という存在を成長へと導かなければならないのです。
多くの人は、苦悩と向き合うことを恐れています。
そのため、無理に欲しがるのです。
あなたは、何かを無理に欲しがることをやめましょう。
あなたが満足を欲しているのであれば、無理はしないことです。
人には、その分際に相応しい道があるのです。
鳥は空の道を行き、人は地の道を行き、魚は水の道を行くのです。
それぞれの分際に相応しい道を行かなければ、そこには無理が生じて苦悩となるのです。
鳥は空の道を行き、人は地の道を行き、魚は水の道を行けば良いのです。
現実逃避によって、無理な理想を実現するように働くものではないのです。
人が鳥のように空の道を行くものではありません。
空の道は鳥に任せておけば良いのです。
あなたは、分不相応な責任を諦めなければならないのです。
諦めなさい。
それはあなたの道ではありません。
執着を手放し、責任を果たすのです。
何も知らない子どものように、いつまでも身勝手に振舞っている訳にはいかないのです。
”遊び”への執着を手放し、”働く”のです。
自分の道ではない道を進んではなりません。
そこでは苦悩を得るでしょう。
目の前の現実こそが、あなたの進むべき道なのです。
目の前の現実を受け入れることによって、あなたは自分がやらなければならないことを知るでしょう。
やらなければならないことをしている時には、決して苦悩は導かれないということを覚えておきましょう。



2017年12月15日金曜日

世界の見方

すべての人は真実を所有しています。
すべての人が真実の世界を生きているのです。
それは、心の真実です。
あなたの真実は、あなたにとっての真(まこと)です。
他者の真実は、他者にとっての真なのです。
それぞれの真実の形は異なりますが、それぞれが真実に違いはないのです。
あなたは、この世界には多くの真実が存在しているということを理解しましょう。
あなたの信じる真実だけが真実なのではありません。
あなたの信じる真実とは異なる真実も、それが真実に違いないのです。
あなたは、自分の真実を尊重しているように、他者の真実も尊重しましょう。
真実とは、それぞれにあって良いのです。
真実はそれぞれにあるのが自然なのです。
それは、人生がそれぞれの学びであるからです。
人は、それぞれの立場によって学んでいます。
誰も、同じ立場を所有してはいません。
誰も、同じ学びを得てはいないのです。
そのため、それぞれが異なるものを見ています。
それぞれが異なる体験をしているのです。
そのため、真実が一つであるということはないのです。
あなたは、自分の中の真実を尊重し、他者の中の真実をも尊重しましょう。
尊重するというのは、それに満足するということではありません。
言っておきますが、誰の真実も未熟です。
それは、変化しなければならないものなのです。
尊重することによって、向上的な変化を与えることが出来ます。
しかしながら、軽んずるのであれば、劣化していくのです。
人は、真実を通して見ています。
言わば、あなたの中の真実とは、あなたの目なのです。
人は、自分の中の真実を通して世界を見ているのです。
真実が育たなければ、世界を広く見ることが出来ません。
真実が育たなければ、世界を詳しく見ることが出来ないのです。
真実を育てることが出来れば、世界の輪郭(りんかく)は美しさを増します。
しかしながら、真実が劣化すれば、世界の輪郭は滲(にじ)むのです。
それは、盲人(もうじん)が見ているようなものなのです。
盲人には見ることが出来ません。
盲人は、それを想像に頼るしかないのです。
想像に頼ることによって得られるのは、偽りの世界です。
それは、本質を映しません。
多くの人は、偽りの世界に生きているのです。
多くの人は、偽りの真実を生きているということを知りましょう。
あなたの見ている世界は、偽りの真実です。
それは、真実ではありますが、幼い真実なのです。
残念ながら、あなたは世界の輪郭を正しく捉(とら)えてはいません。
そのため、あなたの人生には苦しみが存在するのです。
この世界に存在しているのは必要だけです。
この世界には、必要以外は存在してはいないのです。
必要に対して苦しむ必要はありません。
必要に対して苦しんでいるということは、そこに誤解を見ているということなのです。
誤解によって、あなたは必要を歪めているのです。
そのことに気が付かなければなりません。
あなたは、真実を育てなければなりません。
そのためには、互いの真実を尊重し、それぞれの真実を学ぶことです。
それは良い経験となり、良い練習となるでしょう。
そうすれば、見えないものも見えてくるようになるのです。
あなたは、世界の見方を覚えなければなりません。
自分の真実に執着し、現状の必要を見失ってはなりません。


他者の真実を否定し、盲目に陥(おちい)ってはならないのです。

2017年12月14日木曜日

傲慢を打つ

あなたの目の前には、多くの問題が導かれます。
それは悩みとなり、苦しみとなるでしょう。
あなたは何かに悩み、苦しまなければなりません。
あなたが悩みと苦しみを避けることは出来ません。
それは、問題が必要だからです。
人生の目的は成長することです。
あなたは、この人生において成長を実現しなければなりません。
あなたが成長するためには問題の助けが必要なのです。
残念ながら、あなたは未熟です。
未熟なあなたは、問題によって悩み、苦しみます。
未熟者はそれが成長を助けることを知りません。
そのため、問題や悩みや苦しみを拒絶するのです。
しかしながら、未熟なあなたは、問題のもたらす悩みや苦しみを受けなければ成長することは出来ないのです。
それは、悩みや苦しみの助けがなければ、自分を改めることをしないからです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるが故(ゆえ)に、自分を改める必要などないと考えているのです。
多くの人は、変化を否定するのです。
それは、傲慢(ごうまん)を保有させるのです。
目の前に問題が導かれ、それによって悩み、苦しむのは、あなたの所有する傲慢を打ち砕くためなのです。
傲慢を打ち砕くためには、苦悩という強い力が必要なのです。
苦悩という強い力がなければ、あなたは自分が傲慢に陥(おちい)っていることに気が付くことが出来ないのです。
問題が導かれ、苦悩を受ける程に、自分が傲慢を所有しているということを理解しておきましょう。
苦悩とは、鑿(のみ)のようなものです。
それを打つ金槌(かなづち)とは謙虚(けんきょ)さなのです。
あなたは苦悩という鑿と、謙虚さという金槌によって、傲慢を打ち付けます。
そうすることによって、傲慢は少しずつ削られていき、洗練されていくのです。
残るのは真我(しんが)であり、それは、あなたの本来の姿なのです。
人生の目的は成長することにありますが、それは、本来の姿を取り戻すために、余計なものを手放していくということなのです。
成長とは洗練です。
それは、原石の中から美しい宝石を削り出す行為のようなものなのです。
成長とは、何かを積み重ねていく作業ではありません。
成長とは、何かを取り除くために、何かを積み重ねていく作業なのです。
積み重ねていくことを目的としてはならないのです。
宝石は、地中深くで生まれます。
それは、”塵(ちり)”を積み重ねていく作業です。
塵が積もることによって強い圧力が生じ、結果として宝石が生まれるのです。
生まれた宝石を取り出すためには、周囲の塵を取り除かなければならないのです。
塵であっても、積み重ねなければ宝石を生み出すことはありません。
あなたは”塵”を積み重ねます。
それは、傲慢によって積み重なります。
あなたが美しく輝くためには、多くの”塵”(傲慢)が必要です。
そのため、あなたは多くの問題と苦悩を得るでしょう。
しかしながら、それは仕方のないことなのです。
すべては、成長するためなのです。
あなたは、苦悩に意味を見失ってはなりません。
問題の価値を否定してはならないのです。
問題も苦悩も、あなたを成長させるための助けです。
あなたが成長を実現するためには、問題と苦悩の助けが必要不可欠なのです。
成長に必要不可欠なものを否定してはなりません。
今までに、苦悩が役に立たなかったことがあったでしょうか?
冷静に思い返しましょう。
そうすれば、すべての苦悩があなたに”自分(真我)”を教えていたことに気が付くでしょう。
傲慢を打ちなさい。
それはあなたの光を奪います。
光を失えば、乏しさが導かれるのです。
苦悩と謙虚によって、傲慢を打つのです。


そうすれば、あなたは光を得るでしょう。

2017年12月13日水曜日

自分のしたこと

多くの人は、自分が何をしているのかを知りません。
多くの人は、自分が何者であるのかを知らないのです。
自分が何者であるのかを知らなければ、自分が何をしているのかも理解することは出来ません。
人には、それぞれに役割が与えられています。
人生を豊かなものにするためには、与えられた役割を果たす必要があるのです。
与えられた役割を果たすことがなければ、豊かさは実現しないのです。
与えられた役割を果たすためには、その役割が何であるのか?ということを理解しなければなりません。
そのためには、自分が何者であるのか?ということを知る必要があるのです。
自分が何者であるのかを理解するためには、自分が何をしているのか?ということを知ることなのです。
残念ながら、あなたは自分が何をしているのかを知りません。
あなたは、既に躓(つまず)いているのです。
そのことを理解しておかなければなりません。
あなたは、自分の行為を理解していると思い込んではなりません。
あなたには、何も分からないのです。
あなたは、自分が何をしているのかを、その時には知ることが出来ないのです。
あなたが自分が何をしているのか?という問いの答えは、後になって知ることが出来るのです。
それは、状況という結果によって知ることが出来ます。
あなたは状況という結果を受け取ることによって、自分が何をしたのか?ということを知ることが出来るのです。
あなたは、自分が何をしているのかを知ることが出来ません。
しかしながら、後に自分が何をしたのか?ということを知ることが出来ます。
あなたは、受け取る状況から学ばなければなりません。
あなたは、受け取る状況によって、自分が何者であるのかを学ぶことが出来るでしょう。
そして、受け取る状況によって、自らに与えられた役割を知ることが出来るのです。
自らに与えられた役割を知ることができれば、それを果たすために力を尽くせば良いだけです。
あなたが考えている自らの役割と、この世界の求めるあなたの役割には大きな隔(へだ)たりが存在しています。
あなたが、自分が何をしているのかを知らないように、自分の本当の役割が何であるのかを知らないのです。
あなたの考えている自らの役割とは、過去を参考にした思い込みの役割に過ぎません。
それは、少ない情報と小さな見解によって導き出された答えに過ぎないのです。
そのような方法によって導き出された答えが正しい訳がないのです。
正しい答えを導き出すためには、多くの情報と大きな見解を必要としています。
情報は多い方が正解に近付きます。
見解は大きい方が正解に近付くのです。
結論を急いではなりません。
あなたは、自分が正しいと思い込み、自らの行為を正当化してはなりません。
あなたに求められているのは、より良い行為なのです。
自らの行為を正当化しているのであれば、より良い行為を選択することは出来ません。
情報が増えるに従って、あなたはより良い行為を選択することが出来ます。
見解が育まれるに従って、より良い行為を選択することが出来るのです。
あなたに求められているのは変化です。
あなたは、自らに与えられた役割を果たすのに相応しい形に変化していく必要があるのです。
自分が正しいと思い込んでいる人には、自らに与えられた役割を果たすのに相応しい形に変化していく態度はありません。
自分が正しいと思い込んでいる人は、変化することが出来ないのです。
自分が正しいと思い込んでいる人は、与えられた役割を果たすことが出来ません。
自分が正しいと思い込んでいる人は、豊かさを実現することが出来ないのです。
あなたの思い込んでいる豊かさと、この世界の提供する本当の豊かさは異なります。
そこには、大きな隔たりが存在しているのです。
多くの人は、本当の豊かさを知りません。
多くの人は、本当の幸福を知りません。
多くの人は、本当の喜びを知りません。
多くの人は、本当の満足を知らないのです。
自分を正しいと思い込む自惚(うぬぼ)れを手放しましょう。
傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってはなりません。
あなたが傲慢を手放す時、状況によって、自分が何をしたのか?ということを明確に理解することが出来るでしょう。
謙虚(けんきょ)でありましょう。
自分が何をしているのかを知らないということを受け入れましょう。


そうすれば、多くのことが見えるようになるでしょう。

2017年12月12日火曜日

道を開く

あなたは、自分勝手に道を進むことは出来ません。
誰も、自分勝手に歩むことは出来ないのです。
あなたが道を進むためには、許可が必要であるということを覚えておきましょう。
許可とは、条件のことです。
あなたが道を進めるためには、道を進めるための条件を整えなければならないのです。
条件を整えることなく、道を進むことは出来ません。
それは、旧友(きゅうゆう)の家であっても、自分勝手に上がり込むことが出来ないようにです。
あなたが旧友の家に上がるには、招かれなければならないのです。
道を進むためには、道に招かれる必要があります。
招かれなければ、決して進むことは出来ないのです。
どのような方法を用いても無駄なことです。
先へ進むためには、強固な扉を開かなければならないからです。
強固な扉とは、あなたの価値観のことです。
あなたの価値観は、あなたが先へ進むことを拒(こば)みます。
あなたが道を進むためには、自らの価値観を手放さなければならないのです。
しかしながら、それは容易なことではありません。
価値観とは、その人の信条です。
それは、その人を支えている柱なのです。
多くの人は、柱によって支えられています。
価値観を手放すということは、支えを手放すということです。
支えを手放すことによって、人は倒れてしまうと信じています。
誰も、倒れたくはないのです。
そのため、人は価値観を手放すことを恐れるのです。
しかしながら、価値観を手放さなければ、先へ進むことが出来ません。
そこで、人は矛盾を生きることになるのです。
矛盾とは、後の苦悩です。
人が苦悩しているのは、先に矛盾があったからなのです。
矛盾とは、価値観への執着です。
あなたが価値観に執着する程に、豊かさを求める心との間に矛盾が広がるのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、価値観を手放さなければなりません。
所有する価値観は、過去の遺物です。
価値観は、過去に依存するのです。
価値観に頼るということは、過去に頼るということです。
大切なのは、今を生きることです。
今には、今の方法が必要です。
しかしながら、多くの人は、今に過去の方法を用いるのです。
それは、扉に対して異なる鍵を差し込むようなものなのです。
当然、扉が開くことはありません。
自分勝手に道を進もうとするのは、扉に対して異なる鍵で扉を開こうとしているようなものなのです。
それでは、扉が開かないこと、先へ進むことが出来ないということを理解出来るでしょう。
大切なのは、現状に対する最善を探すことです。
現状に対する最善を過去に探しても見付かることはありません。
それは、あなたが成長しているからです。
通り過ぎたことを改める必要はないのです。
なぜなら、その過程を経て成長したからです。
あなたは、成長の道を歩んでいるのです。
立ち上がり、歩むことに練習が必要ですか?
あなたは幼い頃にその過程を経たのです。
一度覚えたことを練習する必要はないのです。
もちろん、より良くするためには練習が必要です。
覚えたことをより良くするためには、自分をより良くするための扉が現れるのです。
その時には、古い価値観を手放し、新たな価値観を受け入れなければならないのです。
古い価値観である扉を開く鍵とは、新たな価値観のことなのです。
自分を改めなければ、道を進むことは出来ません。
どのような理由があろうとも、自分勝手には道を進めないということを覚えておきましょう。
強引に扉を開こうとしても無駄なことです。
人生の扉は、自分勝手に開くことは出来ないということを覚えておきましょう。
新たな価値観によって、あなたは人生からの許可を得るのです。
停滞に苦悩する時には、自分を改める必要があるということを覚えておかなければなりません。
あなたが自分を改める時、苦悩の中に道が開けるでしょう。

2017年12月11日月曜日

価値の最大化

人生には、意味が存在します。
あなたが生まれたことには意味があるのです。
あなたは決して、無駄な存在として生まれたのではありません。
あなたは、この世界の大切な価値として生まれたのです。
多くの人は、自分が価値ある存在だということを忘れています。
多くの人は、人生の意味を見失っているのです。
あなたは、自分の生きる人生の意味を答えられるでしょうか?
自分の価値を言い表すことが出来るでしょうか?
多くの人は、自分の生きる人生の意味を答えられません。
多くの人は、自分の価値を答えられないのです。
人生に意味など無いと考える人もいます。
自分には、価値など無いと考える人もいるのです。
この世界に存在しているもので、無駄はありません。
どのような存在であろうとも、そこには大切な意味と価値があるのです。
それを理解することが出来なければ、今はそれを理解することが出来ないだけです。
後にその意味と価値を理解することも出来るでしょう。
あなたは、希望を捨ててはなりません。
あなたの人生には大切な意味が存在します。
そして、あなたは、この世界の大切な価値なのです。
そのことを覚えておかなければならないのです。
安易に悲観を招き入れてはなりません。
安易に落ち込んでいてはならないのです。
残念ながら、人は非力です。
あなたの力は、いつも理想には及ばないでしょう。
そのため、あなたは容易に悲観を招き入れ、容易に落ち込んでしまうのです。
覚えておかなければならないのは、あなたは非力であって、無力ではないということです。
あなたは非力ではありますが、力を持っているのです。
非力ながら、あなたには出来ることがあります。
あなたは、出来ることをしなければなりません。
あなたが出来ることをすれば、人生の意味や自分の価値を知ることも出来るのです。
しかしながら、出来ることをしなければ、その可能性さへ絶たれてしまうでしょう。
あなたは、出来ることしか出来ません。
そのため、出来ることをすれば良いのです。
あなたに出来ることはそれだけです。
理想と現実を比べることによって、悲観を招きれ、落ち込んではなりません。
あなたは非力なのです。
自分の実力を見極めましょう。
あなたは、出来ることから始めましょう。
出来ることの積み重ねが人生を豊かなものにするのです。
しかしながら、出来ることをしなければ何も積み重ねられず、人生は決して豊かなものにはならないのです。
人生の意味とは、自分の価値を最大化することによって導かれます。
あなたは、自分の価値を最大化するために、出来ることを懸命に行うのです。
蜜柑(みかん)の樹が、果実を付けなければ意味を成しません。
蜜柑の樹が価値を最大化すれば、美味しい果実を付けるのです。
林檎の樹は、その果実を付けることによって、命の意味と価値を示すのです。
葡萄(ぶどう)の樹はその果実を付け、梅の樹はその果実を付けるのです。
それぞれの樹は、自分に出来ることを懸命に行っているだけです。
自分に出来ないことはしていません。
誰かの真似や、出来ないことを行っているのではないのです。
あなたは、自分の出来ることを行い、自分の実を結ばなければなりません。
それが、あなたの価値を最大化するということです。
あなたは、あなたであれば良いのです。
誰の真似も必要ではありません。
自分に出来ないことを行う必要もないのです。
出来ることだけを懸命に積み重ねていくのです。
それ以外に、あなたに出来ることはありません。
難しいことはありません。
それは、あなたに出来ることをやるだけだからです。
人生には、言い訳は通じません。
人生の豊かさは、自分に出来ることを行った結果です。
人生の乏しさは、自分に出来ることを行わなかった結果なのです。
あなたは、自分に出来ることを行いましょう。
それは、難しいことではありません。


誰にだって出来ることなのです。

2017年12月10日日曜日

心根

あなたは、自らの魂に従わなければなりません。
あなたは、自らの魂に逆らうことは出来ません。
あなたは、自らの魂によって導かれるのです。
魂とは、心根(こころね)のことです。
あなたは、心根に背くことは出来ません。
心根は、あなたの真実を現します。
あなたは、心根を隠し通すことは出来ないのです。
心根は、状況として現れます。
あなたは、自らの心根を状況として見せられるのです。
そして、それを体験するのです。
あなたは、自らの心根を理解するために体験するのです。
それは、心根を理解し、それを改善するためです。
あなたは、心根を改善しなければなりません。
それは、心根が未熟であるからです。
未熟な心根を整え、魂を成長させる必要があるということを理解しましょう。
人生は、あなたに相応しく展開します。
人生は、あなたを現しているのです。
目の前に導かれる状況に対して、あなたは心当たりがあるでしょうか?
簡単には結び付きません。
それは、一つの結果が導かれるためには、複合的な要因が必要であるからです。
様々な原因が組み合わさることによって、一つの結果が導かれているのです。
そのため、あなたは目の前に導かれる状況が自分に相応しいとは思えずに困惑するでしょう。
しかしながら、冷静に考えてみれば、心当たりに行き着くはずなのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因が存在しなければ、結果は存在しません。
あなたが何かに対して不安や不満を覚えるのは、潜在的にその原因が自分にあることを知っているからです。
それは、自分に関係のないことに対しては、人は何も思うことが出来ないからです。
不安や不満を覚えるのは、それに心当たりがあるからだということを理解しましょう。
あなたの心根には、そのような状況を導く原因が存在しているのです。
あなたは、自らの心根を理解し、改善するためにそれを経験します。
そのため、あなたは問題を避けることは出来ません。
苦しみは避けられないのです。
あなたは必ず問題を導き、必ず苦しみます。
それは仕方のないことです。
なぜなら、それが最善だからです。
自分の未熟さを知り、それを繰り返さないようにする必要があるのです。
あなたを育むために、すべての状況が導かれているのです。
あなたは、すべての状況に意味があり、価値があるということを忘れてはなりません。
都合の良いことばかりを求めてはなりません。
楽しいことを楽しむことなど、愚者(ぐしゃ)にも行えるのです。
都合の悪いことをも受け入れる勇気が必要なのです。
苦しいことを楽しむことは、賢者(けんじゃ)にしか行えません。
苦しいことを楽しむことは、弁(わきま)えている者にしか行えないことなのです。
あなたは、人生が何のためにあるのか?ということを考えなければなりません。
目の前に導かれる状況に対して、感情的に向き合ってはなりません。
目の前に導かれる状況の中に意味を探し、そこに自らの心根を見出さなければならないのです。
そして、それを改善するのです。
自らの心根を改善することをせずに、問題を解決することは出来ません。
多くの人は、環境や他者(人間関係)を変えることによって、問題が解決すると考えています。
しかしながら、それが安易な発想であることは、経験を通じて理解するのです。
環境や他者(人間関係)を変えたところで、あなたの抱える問題が解決することはありません。
あなたは別の環境や他者(人間関係)によって、同じ問題を抱えるでしょう。
人生は、あなたに相応しく展開します。
あなたに関わりの無い状況はありません。
目の前に導かれている状況を深く考察しなければなりません。
状況の中で複合的に重なった原因を解き明かすのです。
そして、心根を改めるのです。
改めるべき心根は幾つも存在しています。


焦ることなく、目の前の問題に向き合いましょう。

2017年12月9日土曜日

命を保つ選択

人にはそれぞれの人生が与えられています。
人は、それぞれの人生を生きなければなりません。
それは、それぞれの役割を果たすためです。
人は、それぞれの役割を果たすことによって、この世界に貢献する必要があるのです。
人は、自らの役割を果たし、世界に貢献することによって幸福を覚えます。
貢献することがなければ、幸福は幻想に過ぎないのです。
貢献するためには役割を果たさなければなりません。
役割を果たすためには、必要を理解しなければならないのです。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は異なります。
それは、役割がそれぞれに異なるからです。
役割に対して必要があるのです。
あなたは、自分の必要と、他者の必要が異なることを理解しなければならないのです。
多くの人は、自らに与えられた役割を理解しません。
そのため、多くの人は、自分の必要と他者の必要を混同しています。
多くの人は、自分の必要と他者の必要を取り違えているのです。
それは、人に不要を求めさせるのです。
自分にとって不要なものを得ることは、役割を果たすことを遅らせます。
役割を果たすためには、必要な工程を経る必要がありますが、不要によって工程が淀(よど)むのです。
工程が淀むほどに、役割を果たす可能性は減るのです。
大切なのは、自分にとっての必要を見極めることです。
それは、自分にとっての不要を見極めることでもあります。
人生をどのようなものにするかは、自分で決める必要があります。
あなたは、自分にとっての必要と不要を選別する必要があるということを覚えておきましょう。
人は、毒を飲んで命を保つことは出来ません。
あなたが役割を果たすためには、毒を飲まないように注意しなければなりません。
命を失えば、役割を果たすことが出来ないのです。
この世界には、あなたの命を保つ選択と、あなたの命を絶つ選択が存在しているのです。
あなたにとっての必要は、命を保つ選択です。
あなたにとっての不要は、命を絶つ選択であるということを覚えておきましょう。
しかしながら、あなたは不要を選択します。
あなたは、不要を避けることは出来ません。
それは、誰もが未熟であるからです。
誰もが間違いを犯します。
誰もが問題を抱えます。
そして、誰もが苦悩するのです。
苦悩している状態においては、役割を果たすことは出来ません。
それは、苦悩している状態では、すでに命が絶たれているからです。
自分にとっての必要を見極めるためには、自らの動機を知る必要があります。
それを選択する動機によって、それが自分に必要なのか不要なのかを知ることが出来るのです。
それを選択する動機が建設的なものであれば、それはあなたにとっての必要です。
例えば、その選択に喜びや楽しみを感じることです。
問題や壁が生じたとしても、それに喜びや楽しみを感じることが出来るのであれば、それは必要な選択なのです。
それを選択する動機が破滅的なものであれば、それはあなたにとっての不要です。
例えば、その選択に不満や不安を感じることです。
問題や壁が生じた時に、それに不満や不安を感じるのであれば、それは不要な選択なのです。
自分の身体に合っていないものは毒です。
自分の心に合っていないものは不要な選択であるのです。
精神的な疲労を覚える選択は、あなたにとっての必要ではありません。
あなたにとっての必要は、あなたが役割を果たすための選択です。
それは、幸福の原因であるのです。
幸福の原因が、あなたを苦しめることなどないのです。
そのことを理解しましょう。
あなたは、あなたの人生を生きているのです。
それは、他者の人生とは異なります。
あなたの毒と、他者の毒は異なるのです。
必要を見極め、世界に貢献しましょう。


問題や壁を苦にしない道を歩みましょう。

2017年12月8日金曜日

陽の光の下を歩む

あなたは、自分の人生を歩まなければなりません。
これは、あなたの人生なのです。
あなたは、自分の人生を歩みます。
あなたは、他の誰の人生も歩むことは出来ません。
他の誰も、あなたの人生を歩むことは出来ないのです。
人は、それぞれの道を歩むのです。
その道は決して交わりません。
あなたも、他の人も、自分の人生だけを歩むのです。
あなたにはあなたの道があり、他の人にはその人の道があるのです。
あなたは、そのことを心得ておきましょう。
決して、他の誰かと共に歩もうとしてはなりません。
それは、叶わないからです。
あなたは独りで歩まなければならないのです。
人生とは、孤独な道のりであるということを覚えておかなければなりません。
誰も、連れて行くことは出来ません。
誰にも、連れて行かれることはありません。
あなたはあなたの道を独りで歩み、他の人は自分の道を独りで歩むのです。
そのことを弁(わきま)えていなければ、あなたは自分の道を見失うでしょう。
あなたは自分の人生を見失い、苦悩に彷徨(さまよ)うことになるのです。
苦悩に彷徨っている人は、自分がどこを歩んでいるのかを知りません。
苦悩に彷徨っている人には、道が見えないのです。
多くの人は、自分の姿を知りません。
多くの人は、足元でさえ見ることが出来ないのです。
暗闇に包まれている人が、どうして歩むことが出来るでしょう?
暗闇に包まれている人は、その場にうずくまるのです。
そこには苦悩と乏しさがあるのです。
あなたは、自分の人生を歩まなければなりません。
これは、あなたの人生なのです。
他の誰も連れて行こうとしてはなりません。
他の誰にも、付いて行こうとしてはなりません。
あなたは自力によって、自分の人生を歩まなければなりません。
あなたが自力によって、自分の人生を歩もうと決意した時、そこには光が降り注ぐということを覚えておきましょう。
人が自分の人生を歩もうとする時には、陽の光の下を歩むのです。
自ら歩もうとする者が、闇夜に出掛けることはないのです。
しかしながら、多くの人が苦悩を覚えているのは、自ら歩もうとしてはいないからです。
誰かと共に歩もうとし、誰かに連れられて歩もうとするのです。
それは、あなたを闇夜に誘(いざな)うのです。
自分で決める時には、陽の光の下を歩むことが出来ます。
しかしながら、自分で決めなければ、闇夜を歩むことになるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
他の人を連れて行くことは出来ません。
他の人が腰を下ろして休むのであれば、その人を休ませておかなければなりません。
あなたが歩もうとするのであれば、腰を下ろして休んでいる人は置いて行きましょう。
あなたはあなたの道を歩み、他の人は自分の道を歩むのです。
これを軽薄(けいはく)だと思ってはなりません。
疲れて休みたい者に鞭打(むちう)つことの方が軽薄であるということを理解する必要があるのです。
自分を尊重し、相手を尊重することが出来なければ、陽の光の下を歩むことは出来ないのです。
人生とは、それぞれの道です。
それは、決して交わることがありません。
あなたは独りで歩み、他の人も独りで歩むのです。
それが自然であるのです。
寂しさは、闇夜を歩むことによって生まれます。
陽の光の下を歩めば、寂しさは生まれないのです。
寂しさがあって闇夜を歩むのではありません。


闇夜を歩むから寂しいのです。

2017年12月7日木曜日

豊かさの法

人生を豊かなものにするためには、豊かなものにする法を守らなければなりません。
豊かさの法を守らなければ、人生に豊かさを保つことは出来ないのです。
人生とは、不安定なものです。
それは、常に変化の中に存在しているのです。
人生は、簡単に傾きます。
それは、豊かさへも傾きますが、乏しさへも傾くのです。
あなたは油断をしてはなりません。
一本の綱の上を歩むように、慎重にバランスを保たなければならないのです。
多くの人は、人生が不安定なものであることを忘れています。
豊かさを求めていますが、豊かさの法を守ることはしません。
多くの人は、豊かさを求めていながらも、怠慢(たいまん)に溺れています。
多くの人は、努力を嫌います。
多くの人は、怠慢を喜ぶのです。
人生を豊かなものにするためには、豊かさの法を守らなければなりませんが、すべての人にとって、それは難しいものなのです。
それは、すべての人が未熟であり、弱い心を抱えているからです。
未熟者にとって、豊かさの法を守ることは簡単ではありません。
未熟者にとって、それは怠慢を許さず、努力を強いるからです。
自らを律(りっ)することが出来い者には、豊かさを得ることは出来ないのです。
未熟な自分にとって簡単な方を選ぶような者には、豊かさは導かれないということを覚えておきましょう。
例えば、多くの人は嘘を吐きます。
それは、嘘を吐く方が簡単だからです。
多くの人は、嘘を吐くことによって自分を守ろうとします。
嘘を吐くことによって、努力から逃れようとしているのです。
あなたにどのような事情があろうとも、嘘の性質が変わることはありません。
あなたにどのような事情があろうとも、嘘の因果が変わることはないのです。
あなたにどのような事情があろうとも、あなたは嘘によって乏しさを得ることになるのです。
嘘を吐くということは、そういうことなのです。
あなたにどのような事情があろうとも関係ないのです。
嘘は弱さです。
嘘は破滅的な力です。
嘘は豊かさを蝕(むしば)みます。
それは、白蟻に喰われる柱のようにもろいのです。
見た目には大した変わりがなくても、中身は大きく変わっているのです。
変化は急に訪れます。
大丈夫だと思ってはいても、柱は急に折れるのです。
嘘によって、あなたは乏しさを得るでしょう。
嘘によって豊かさを得る人はいません。
それは、今までもいなかったし、これからもいないのです。
嘘に労力と時間を費やしてはなりません。
それは、未熟者に一時的な安楽をもたらしますが、その安楽も嘘なのです。
嘘は嘘を招きます。
それは、白蟻が増えていくのと同じです。
あなたは嘘によって、更なる嘘を重ねなければならないのです。
嘘を吐く者が豊かさを得ることは出来ないのです。
あなたは誠実でありましょう。
何事に対しても真摯(しんし)に向き合い、真実を用いなければなりません。
豊かさは、真実によって導かれるのです。
嘘を吐かずに生きるのです。
これを綺麗事と思い込んではなりません。
嘘を吐かずに生きることは、どのような人にも許されていることなのです。
しかしながら、多くの人にはそれが難しいのです。
それは、努力を嫌い、怠慢を喜ぶからです。
真実を生きることは簡単ではありません。
しかしながら、それは人生を豊かなものにするための唯一の道です。
あなたが豊かさを求めているのであれば、嘘を吐かず、真実を生きましょう。
小さなことにも気を付けなければなりません。

小さな嘘を許せば、大きな嘘を許すようになるからです。

2017年12月6日水曜日

"神"のために生きる

人生とは、選択です。
あなたは、自由に選ぶことが出来ます。
どのように生きるのかは、あなたが自分で決めることなのです。
どのように選んでも、それは許されます。
この世界には、許されること以外の選択肢は存在しないのです。
あなたは、許されている選択肢の中から、好きなものを自由に選ぶことが出来るのです。
あなたの選択によって、導かれる状況が決まるのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての人は、因果の仕組みの中に存在しているのです。
誰一人として、因果の仕組みから逸(はぐ)れることは出来ません。
誰もが、自らの選択である原因の結果を、導かれる状況という結果として受け取るのです。
受け取りを拒否することは出来ません。
あなたは、必ず選択の報(むく)いを受けるのです。
人生がどのようなものになるかは、あなたの選択によって決められることです。
あなたの生き方が、人生を築くのです。
あなたは、自らの人生を決めなければなりません。
それは、自らの生き方によって決めるのです。
ただ、生きるだけではなりません。
あなたは、自分がどのように生きるのか?ということを考える必要があるのです。
どのように生きようがあなたの自由ですが、受け取る状況は自由という訳にはいきません。
生き方は選べても、状況や人生を選ぶことは出来ないのです。
多くの人は、誤解を所有しています。
思い通りの人生が得られるなどという誘惑(ゆうわく)に諂(へつら)うのです。
思い通りの人生が得られるなどということはありません。
なぜなら、あなたは自分を知らないからです。
あなたは、自分が何者であるのかを知りません。
そして、自分が何をしているのかも知りはしないのです。
自分が何者であり、何をしているのかを知らなければ、導かれる状況がどのようなものになるのかも知ることは出来ません。
そのような者が、思い通りの人生を得ることなど出来るはずがないのです。
あなたが思い通りの人生を得られるなどという誘惑に諂っているのであれば、そのような無益な誤解は手放しましょう。
残念ながら、人生は、あなたの思い通りには展開しません。
それは、あなたが”正しい”道を歩むためです。
正しい道とは、”神”の喜ぶ生き方のことです。
”神”とは、あなたの最も純粋な心です。
あなたの最も純粋な心が喜ぶ生き方を選択することによって、正しい道を歩むことが出来るのです。
それは、豊かさへの道のりです。
多くの人は、”自分”の喜ぶ生き方を選択しています。
その結果として、苦悩と乏しさを得るのです。
多くの人が人生に苦悩と乏しさを覚えるのは、それが正しい道ではないからです。
多くの人は、”自分”を知りません。
多くの人は、知りもしない”自分”を喜ばせることが豊かさだと考えているのです。
あなたが人生に対して、苦悩や乏しさを覚えているのであれば、”自分”を喜ばせているということを理解しましょう。
その結果として、苦悩や乏しさが導かれているのです。
それが因果の仕組みであり、自然なのです。
あなたが喜ばせている”自分”とは、歪んだ心のことです。
それは、劣等感のことなのです。
多くの人は、劣等感を補(おぎな)うことによって、人生を豊かなものにしようとしているのです。
劣等感を大切に扱えば、それは助長されます。
”自分”を喜ばせているのであれば、人生は苦悩に満ちた乏しいものになってしまうのです。
大切なのは、”神”を喜ばせる生き方を選択することです。
それは、”自分”である利己から離れることです。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、”神”である利他に近付くことです。
それは、他者を喜ばせるということではありません。
あなたは”神”である自らの純粋な心を喜ばせるのです。
それは、結果として他者を喜ばせることにもなるでしょう。
”自分”のために生きてはなりません。
それは、あなたを不幸にします。
”神”のために生きるのです。


それは、あなたを幸福にするのです。

2017年12月5日火曜日

深く掘ること

あなたは、すべてを独りで行う必要はありません。
あなたは全体の一部であり、全体ではないのです。
そのため、あなたは一部の仕事を行えば良いのです。
ただし、あなたは、自らに与えられた仕事を無責任に行ってはなりません。
あなたは良い仕事を行い、良い成果を導かなければならないのです。
あなたに求められているのは、仕事の質を高めることです。
あなたは、より良い仕事を求められているのです。
そのことを理解しておかなければなりません。
真面目な人の中には、すべてを独りで行おうとする余り、自分の仕事に専念することができていない人がいます。
大切なのは、自分の仕事をより良いものにすることなのです。
仕事の質を高めるためには、質を高めることに集中する必要があります。
それは、現時点において行っていることを、より良く行うということなのです。
今、出来ることをより的確に出来ることが良いのです。
多くの人は、出来ることの質を高めることよりも、新たに出来ることを増やそうと考えています。
幅広く展開することによって、質を高めることができると考えているのです。
幅広く展開することは良いことです。
しかしながら、幅は深さに比例していなければならないのです。
深さが足らなければ、浅く広がってしまいます。
それでは、良い成果を導くことはできないのです。
幅を広げるためには、それに比例する深さが必要であると知らなければなりません。
地面に穴を掘る時、深く掘ろうとすれば、それに比例して幅を広げる必要があります。
深く掘り進めようと思えば、自ずと幅は広がっていくものなのです。
そのため、あなたは幅を広げることを考える必要はありません。
幅というものは、深く掘る過程において導かれる副産物と考えれば良いのです。
あなたが考えるべきは、深く掘ることです。
それは、与えられた自分の仕事の質を高めることに集中するということなのです。
出来ないことを出来るようになることが、必ずしも良いのではありません。
今、出来ることが十分に出来ていなければ、出来ないことを新たに習得する必要はないのです。
多くの人は、多くのことに目移りしています。
それは、現実逃避とも言えるかもしれません。
あなたの現実は、目の前の仕事です。
今、自分に出来ることが現実なのです。
あなたは、今の自分に出来ることをより良いものにしなければならないのです。
現実を受け入れ、それを充実させるのです。
目の前の仕事を十分に行えない者が、他の仕事を探すものではありません。
多くの人は、どこかに別の良い仕事を探しているのです。
しかしながら、どこかに別の良い仕事を探しているような者には、良い仕事など与えられないのです。
どこかに別の良い仕事があるのではないのです。
退屈な仕事を、あなたが良い仕事にするのです。
出来ることをより的確に出来ない者が、出来ないことを出来るはずがありません。
あなたは現実逃避に陥(おちい)ってはなりません。
自分に出来ることを疎(おろそ)かにしてはなりません。
自分に出来ることに真剣に向き合い、それをより的確に出来るように努めるのです。
あなたに出来ることは、全体の一部でしかありません。
あなたは、全体の一部をより良くするという仕事を与えられているのです。
あなたがより良い仕事を行えば、全体の一部はより良くなります。
それは、全体を良くするために貢献することなのです。
出来ないことを出来ることが良いのではありません。
今、出来ることをより的確に出来るようになることが良いのです。
誰もが、自分に与えられた仕事をより良いものにするために努め励(はげ)んでいます。
あなたもそのようにしましょう。
出来ないことを出来るようになることよりも、出来ることをより的確に出来るようになることに力を尽くしましょう。
深く掘ることに専念していれば、必要に応じて幅を広げるのです。
幅を広げてから深く掘ろうとしても、それが難しいことを覚えておきましょう。

2017年12月4日月曜日

正しく繋げる方法

あなたは、本質を見極めなければなりません。
本質を見極めることは、何よりも大切な作業なのです。
それは、目の前に導かれている状況の意味を見出す作業だからです。
本質を見極めることによって、学びを得ることができます。
学びを得ることは成長へと繋がり、成長は人生の豊かさへと繋がっているのです。
大切なのは、本質を見極めようとする姿勢です。
あなたは、目の前に導かれた状況の本質を探らなければなりません。
本質とは、物事の深部に存在します。
本質を見極めるためには、物事の深部を見なければなりません。
そのためには、全体性を見る必要があるのです。
すべての状況は、全体性の一部に過ぎません。
あなたは、目の前の状況の中に全体の一部を見ているのです。
多くの人は、全体の一部によって、状況の意味を考えます。
どのような意味も、全体の一部によって得ることはできません。
意味を得るためには、一部の連なりである全体を見る必要があるのです。
全体を見ることができなければ、それが何であるのかを理解することはできません。
深部を見るということは、全体を見るということなのです。
そのため、全体を見ることができれば、深部を見ることができるということなのです。
あなたにできることは、一部を繋げていく作業です。
現状において見ることができる一部を繋げていくことによって、全体像を構築するのです。
一部を繋げていけば、やがて全体像に近付いていきます。
しかしながら、ただ繋げていくだけであっては、それが何であるのかを理解することはできません。
そのため、あなたは想像力を働かさなければなりません。
想像力を働かせ、全体像を本質へと近付けていくのです。
ただ、繋げただけではなりません。
意味のある繋ぎ方をしなければならないのです。
意味のある繋ぎ方とは、美しいのです。
あなたは、一部が美しく繋がるように並べ替えなければならないのです。
美しさとは、愛情のことです。
愛情とは、原則(げんそく)のことなのです。
それは、この世界の理(ことわり)です。
あなたは、愛情に根差した解釈をしなければならないのです。
この世界の理は、決して偏ることをしません。
愛情とは公平なものであり、美しいのです。
あなたは、一部を公平に繋ぎ合わせなければならないのです。
自分に都合の良いように繋ぎ合わせてはなりません。
人生には、あなたの都合の良いこともあれば、都合の悪いこともあるのです。
それが自然であり、原則なのです。
全体性とは、陰陽の交わりです。
陰だけの全体性は存在しません。
陽だけの全体性も存在しないのです。
陰陽が交わり、公平なバランスを保っている状態が本質なのです。
あなたは、自分にとって都合の良いように見てはなりません。
また、自分にとって都合の悪いように見てもならないのです。
本質とは、あなたに都合の良いようにも、悪いようにも見えるものなのです。
本質は、自分に都合の良い時もあれば、都合の悪い時もあるということを覚えておきましょう。
そうすれば、偏ることもないでしょう。
人生には、良いことばかりではありません。
悪いこともあるのです。
それが人生の本質です。
想像力を働かさなければなりません。
本質は決して、都合の良いものではないのです。
偏った見解に捕らわれてはなりません。
離散した一部を、愛情に従って繋ぎ合わせ、本質を得ましょう。
全体性を見失ってはなりません。


自分に都合良く考えてはなりません。

2017年12月3日日曜日

必要を見極める

人は、それぞれの目的を果たさなければなりません。
人は、誰もが人生に対する目的を所有しているのです。
人は、誰もが人生の目的を果たさなければならないのです。
すべての人にとって、人生の目的を果たすことは必要です。
それは、豊かさを得る唯一の方法であるからです。
必要を満たすことによって、人は豊かさを得ることができます。
あなたが豊かさを求めているのであれば、必要を満たさなければならないのです。
人生とは選択です。
あなたは、無数の選択肢の中から、自分にとっての必要を選ばなければなりません。
残念ながら、人生には、あなたを満足させる選択もあれば、あなたに不満を与える選択もあるのです。
不満を与える選択を繰り返しているのであれば、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは、自分にとっての必要を見極めなければなりません。
この世界には、不要は存在しません。
それは、誰かにとっての必要な選択肢であるからです。
そのために、あなたは見極めなければなりません。
そして、選ばなければならないのです。
選択肢は、自らの意思によって選ばなければなりません。
それは、あなた以外には、自分にとっての必要を知らないからです。
しかしながら、それは自我意識(作られた自分、弱い心)によって選ぶということではありません。
人生の選択肢は、不安や不足を基準として選ぶものではないのです。
大切なのは、真我(しんが)(自然の自分、穏やかな心)によって選ぶと良いでしょう。
あなたが自分にとっての必要を見極めるためには、不安や不足に捕らわれることなく、冷静な状態を得る必要があるのです。
不安や不足に捕らわれてしまうと、心は荒れます。
そのような状態は、自分にとっての必要を見失わせるのです。
自分にとっての必要を見失えば、自分にとっての不要を選択することになるでしょう。
多くの人は、不安や不足に捕らわれることによって、自分にとっての不要を選んでいます。
多くの人が人生に対して不満を抱いているのです。
それは、必要を選ばず、不要を選んでいるからなのです。
しかしながら、誤解してはなりませんが、不要を選ぶことは無駄にはなりません。
人は、不要を選ぶことによって、それが不要であるということを知るのです。
それが不要であることを知れば、自ずと必要が見えてくるものなのです。
”わたし”があなたに必要を見極めるように働き掛けるのは、時間を大切にするためです。
残念ながら、あなたにとっての時間は有限です。
あなたには、浪費できるほどの時間を与えられてはいないのです。
誰もが、時間を大切に扱わなければならないのです。
時間を浪費している者は、人生の目的を果たすことができません。
人生の目的を果たすためには、時間が必要だからです。
あなたは、時間を浪費してはなりません。
意義深い時間を生きましょう。
そのためには、必要を見極めることです。
これは、あなたの人生です。
そして、あれは他者の人生なのです。
あなたは、自分の人生と他者の人生を混同してはなりません。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は同じものではありません。
他者にとっては必要なものであっても、あなたにとっては不要である可能性があるのです。
あなたが他者と同じものを求める必要性などないということを理解しましょう。
あなたの人生の目的は、他の誰とも異なっています。
そのことに気が付かなければならないのです。
多くの人は、誰かと同じものを手に入れることができれば満足することができると思い込んでいます。
誰かの満足は、自分にとっても満足に違いないと考えているのです。
残念ながら、満足は人それぞれです。
あなたは、自分の満足を探す必要があるのです。
自分の人生を見失ってはなりません。
必要は、決して同じものではありません。
あなたには、あなただけの必要があるのです。
あなたには、あなただけの満足があるのです。
あなたには、あなただけの幸福があるのです。
あなたには、あなただけの豊かさがあるのです。
あなたには、あなただけの人生があるということを覚えておきましょう。
自分にとっての必要を見極め、豊かな人生にしましょう。

2017年12月2日土曜日

旅の目的

人生とは、目的の旅路です。
それは、魂の目的を果たすための道のりなのです。
あなたは、人生に大切な目的を持って生まれました。
あなたは、ただ生きるために生まれたのではないのです。
立派に生きるために生まれたのです。
あなたは人生において、与えられた目的を果たさなければなりません。
それは、目的を果たすことが人生の目的であるからです。
目的を果たすことによって、人生には幸福が導かれるのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、目的に沿った人生を歩まなければならないのです。
しかしながら、目的を果たすことは容易ではありません。
多くの人は、目的地に辿り着くことが、目的を果たすことだと考えています。
しかしながら、目的地に辿り着くことは目的の一部に過ぎないのです。
大切なのは、成長した状態で目的地に辿り着くということです。
目的地に辿り着いたとしても、成長していなければ役には立たないのです。
何も出来ない者が辿り着いたとしても、意味がないのです。
大切なのは、目的地に辿り着いてからのことなのです。
何の芸も身に付けていない者が舞台に上がったところでどうするというのでしょうか?
成長していない者が目的地に辿り着いたところで、何の役にも立たないのです。
貢献することが大切なのであって、ただそこに佇(たたず)むことに価値を見出すことはできません。
あなたは、目的地に辿り着くことよりも、その過程において成長することに重きを置かなければならないのです。
多くの人は、自分の利益ばかりを考えます。
それは、逸早(いちはや)く目的地へと辿り着こうとする気持ちを強めます。
ただ、素早く目的地へと辿り着くことに価値があると思い込んでいるのです。
逸早く目的地へと辿り着いたところで、何の役にも立たなければ価値がないのです。
そのため、あなたは人生を生き急いではならないのです。
必要を忘れて、目的地に辿り着いてはならないのです。
あなたは焦らずに、確実に成長を実現しましょう。
そのためには、自分の利益ばかりを考える習慣を手放さなければなりません。
それは、他者の利益をも考えるということなのです。
則(すなわ)ち、それは自分の損失のことも考えるということなのです。
あなたは、自分の利益を考えることと同時に、相手の利益(自分の損失)を考えなければならないのです。
それは、他者のために時間と労力を費やすということです。
そのような行為は、あなたが目的地へ到達する時間を奪います。
あなたが他者のために時間と労力を費やせば、あなたの歩みは遅くなるのです。
しかしながら、それで良いのです。
なぜなら、他者のために時間と労力を費やすことによって、あなたは成長することができるからです。
自分の利益ばかりを考えている人は、利己的な解釈に固執(こしゅう)します。
利己的な解釈への固執は、人を盲目的にしてしまうのです。
利己的な解釈への固執によって、人は視野を狭めます。
それは、可能性を狭めることに等しいのです。
可能性を狭めてしまえば、成長を乏しくしてしまうのです。
素早く辿り着くことには価値がありません。
ただ、早く辿り着いたところで空(むな)しいのです。
目的地に辿り着くのが遅くても、その道のりを充実したものにしなければならないのです。
あなたは旅の途中で、困っている人を助けなければなりません。
困っている人のために、時間と労力を費やしましょう。
自分の利益のための時間と労力の一部を手放し、それを相手のために費やすのです。
それは、その時には損失のように思えるかもしれませんが、決して悪いことにはなりません。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
この世界が、恩(おん)を仇(あだ)で返すようなことは有り得ないのです。
あなたが相手のために時間と労力を費やせば、それは、成長という結果として返ります。
それは、目的地に辿り着いた後でどうしても必要な要素なのです。
目的地に辿り着くことだけを目的としてはなりません。
旅は、どう歩んだのか?ということが重要なのです。


人生においては、どれだけの困っている人を助けたのか?ということが重要であるということを覚えておきましょう。

2017年12月1日金曜日

見ようとしなければ見えない

人生の目的は成長することにあります。
あなたは、成長しなければなりません。
成長するためには、可能性の扉を開く必要があります。
それは、変化をもたらすということです。
あなたは、可能性の扉を開き、現状という部屋から出て、新たな可能性に向き合わなければならないのです。
新たな可能性に向き合うことは、多くの問題と喜びに向き合うということです。
新たな可能性に向き合う時、あなたは必ず多くの問題を抱えることになります。
それは、今までの方法が機能しないからです。
今までには、成功を収めることができた方法も、新たな可能性の前では力を失います。
それは、新たな可能性の前では、今までの方法が力不足であるからです。
力不足によって、問題を引き起こすのです。
そこで求められるのが新たな方法です。
あなたは、より力強い方法を探さなければならないのです。
より力強い方法とは、より本質的な方法のことです。
何事も、本質に近付くほどに力を増します。
あなたが力を求めているのであれば、本質に近付く必要があるということを覚えておきましょう。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの人は、間違った方法によって力を増すことを求めているのです。
そのため、多くの人は力強い方法を見付け出すことができません。
そして、問題に苦悩するのです。
あなたが本質に近付くことは難しいことではありません。
誰もが、本質に近付くことができるのです。
あなたが本質に近付くために必要なことは意欲です。
ただ、それだけで、あなたは本質に近付くことができるのです。
意欲さえあれば、他に特別な方法も道具も必要ではありません。
それは、意欲が合理的な方法や道具を教えてくれるからです。
意欲とは、熱意のことです。
それは、本質を求める熱意のことなのです。
本質は、どこにでも存在しています。
本質は、いつでも近付くことができるのです。
条件は、意欲を持っていることだけです。
あなたは、意欲を以(もっ)て目の前の事象に向き合いましょう。
多くの人は、”奇跡”を信じています。
大人しく待っていれば、目の前に幸福が運ばれてくると思い込んでいるのです。
残念ながら、この世界には”奇跡”など存在しません。
すべてが因果の仕組みの中に存在するのです。
原因がなければ、結果は有り得ないということを覚えておきましょう。
意欲を原因とすれば、より力強い方法が結果として導かれます。
あなたは、意欲を以て見なければなりません。
意欲を以て聞かなければなりません。
意欲を以て触れなければなりません。
意欲を以て伝えなければなりません。
意欲を以て受け取らなければなりません。
意欲を以て手放さなければなりません。
意欲を以て行わなければなりません。
意欲を以て生きなければならないのです。
見ようとしなければ見えません。
聞こうとしなければ聞けません。
触れようとしなければ触れられません。
伝えようとしなければ伝わりません。
受け取ろうとしなければ受け取れません。
手放そうとしなければ手放せません。
行おうとしなければ行えません。
生きようとしなければ生きられないのです。
漠然(ばくぜん)と過ごしてはなりません。
あなたは人生を意義深いものにしなければならないのです。
それは、意欲によって決まるのです。


可能性の扉を開き、変化を導き、成長を実現し、豊かさを得るためには、何よりも意欲が必要であるということを覚えておきましょう。