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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年12月29日金曜日

従順な奴隷

人は、感情に引き摺(ず)られて行きます。
人は、自分の意思で歩むことが出来ないのです。
あなたの意思は、感情よりも薄弱(はくじゃく)であり、直ぐに屈(くっ)してしまいます。
あなたは、自分が弱いということを理解しましょう。
あなたの意思は、感情の前に無力なのです。
多くの人は、感情が自分の意思であると思い込んでいます。
それは、抵抗することが出来ない力に対して従う奴隷(どれい)のようなものなのです。
奴隷は、支配者に対して従順です。
それは、支配者の強大な力の前に抵抗することを諦(あきら)めるからです。
人は、楽を求めます。
人は、強大な力に抵抗することよりも、それに従っていく方が楽であることを知っているのです。
人が楽を求めるのは、苦しみを否定するからです。
人が苦しみを否定する時には、従順な奴隷と成ることを知りましょう。
奴隷は、支配者に逆らうことが出来ません。
奴隷は、いつしか支配者の指示を自分の意思だと思い込んでしまいます。
奴隷は、それが自分の意思ではないにもかかわらず、それを自分の意思だと思い込み、自主的に行為するようになるのです。
支配者に屈する者は、決して自分の意思によって生きることが出来ないということを理解しておきましょう。
感情とは、自我意識によって導かれる歪んだ命令です。
それは、自我意識の抱える劣等感を解消するための命令なのです。
自我意識が劣等感を解消するために行うのは、優越感を得ることです。
自我意識が優越感を得るためには、他者よりも優れている状態を作り上げなければなりません。
それは、他者に劣等感を抱かせることによって、劣等感を抱えている自分が、劣等感の上に優越感を上塗りする形で行われるのです。
それは、劣等感を忘れるということなのです。
優越感を得たとしても、劣等感が消えることはありません。
優越感を得ようとする行為によっては、劣等感を解消することは出来ないのです。
しかしながら、自我意識にはそのことが分かりません。
自我意識は、自分が他者よりも優れていたり、自分よりも劣っている他者がいれば満たされると思い込んでいるのです。
自我意識は、その信条を感情を使ってあなたに伝えているのです。
多くの人は、それを自分の意思だと思い込み、自我意識の命令に従っているのです。
そのため、人の世には争いが絶えません。
人は、自分と他者の間に優劣を探すのです。
そして、劣等感に苦しみ、優越感を喜ぶのです。
それは、愚者(ぐしゃ)の苦しみであり、喜びであるということを知りましょう。
あなたは、他者に劣等感を与えることや、他者に優越感を覚えることでは、決して満たされることはないのです。
そのような方法は、あなたに幸福を導きはしないのです。
好い加減、争いによっては豊かさを得られないことを理解しましょう。
他者との間に、優劣を探すことをやめなければならないのです。
人は、異なることが自然であり、美しいのです。
自分の存在を認めること、他者の存在を認めることがあなたを満たすのです。
豊かさの本質とは、認め合うことです。
多くの人が陥っている間違いに気が付きましょう。
争いによっては、決して豊かさを得ることが出来ないのです。
本質を見極めなければ、本質に辿り着くことは出来ません。
自由を得たければ、自分が奴隷であることに気が付くことです。
自分が奴隷であることに気が付くためには、主観を離れなければなりません。
客観を得なければ、自分が奴隷であることに気が付くことは出来ないのです。
客観を得なければ、自我意識の感情を自分の意思だと思い込んでいることにも気が付かないのです。
本質を得たければ、それから離れるしかありません。
あなたが満足を得たいと考えているのであれば、優劣を探す習慣から離れましょう。
感情に引き摺られ、意思を見失ってはなりません。
あなたは何のために生まれたのですか?
人生は、何のためにあるのですか?
あなたは、誰なのですか?
考えましょう。
そうすれば、劣等感がその問いの答えを覆い隠していることに気が付くでしょう。
残念ながら、あなたは誰にも劣ってはいません。
あなたはあなたなのです。


認めましょう。

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