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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年12月17日日曜日

純粋性

すべての人は未熟です。
すべての人は歪んだ自己によって選択します。
すべての人は、自らの人格に従った人生を生きるのです。
すべての人が未熟であり、歪んだ自己によって選択します。
それは、未熟であり、歪んだ選択となるのです。
そのため、すべての人に問題が導かれます。
誰一人として、問題を避けることは出来ません。
それは、すべての人が未熟であるからです。
人が未熟である以上、豊かさを得ることは出来ません。
それは、人が未熟である以上、乏しさを得る必要があるからです。
人は、未熟さ故(ゆえ)に問題を引き起こし、乏しさを得るのです。
あなたは、それが仕方のないことであることを認めましょう。
自らの未熟さを受け入れることが出来れば、それを改善することも出来るのです。
受け入れることがなければ、改善することも出来ないということを理解しましょう。
改善するためには受け取らなければなりません。
突き放しているのに、それを改善することなど出来るはずがないのです。
すべての人が未熟です。
当然、あなたも未熟なのです。
未熟というのは、少な過ぎる状態でもあり、多過ぎる状態でもあります。
あなたは、”丁度良い”状態を目指さなければならないのです。
それは、何かに対して少な過ぎることもなく、多過ぎることもない状態のことです。
それは、純粋な状態のことなのです。
純粋な状態である時、人は中立を得ることが出来るのです。
純粋でなければ、偏(かたよ)るということを覚えておきましょう。
偏れば、歪みます。
歪みとは、未熟さなのです。
あなたは、純粋性を高めなければなりません。
偏りを手放し、中立を得るように努めるのです。
それは、自らを磨くことによって実現するでしょう。
あなたは、自らを磨く必要があるということを覚えておきましょう。
自らを磨くというのは、向上心を以(もっ)て生きるということです。
あなたは、意欲的に生きなければならないのです。
しかしながら、向上心や意欲は、頑張れば出てくるものではありません。
向上心や意欲は、それが出る選択をしなければならないのです。
それは、興味のあること、好きなことを見付けることです。
誰にでも、興味のあることや好きなことはあります。
向上心や意欲は、それに触れている時に自然と出てくるものなのです。
興味がないことや、好きでもないことに対しては、向上心や意欲は出ません。
向上心や意欲が出なければ、退屈を得るのです。
それでは豊かさを得ることは出来ないのです。
豊かさの前提としては、あなたが興味のあることや好きなことに触れなければなりません。
興味のないことや好きでもないことに触れていてはなりません。
増しては、不快なことや嫌いなことに触れていてはならないのです。
あなたが偏りを離れ、中立を得るためには、少な過ぎるものを補(おぎな)い、多過ぎるものを削り落とさなければなりません。
そのための技術は、勉強と鍛錬(たんれん)によって習得しなければ身に付きません。
この世界には、奇跡などという”茶番”は存在しません。
誰かや何かの影響によって、あなたが苦悩している訳ではないのです。
あなたに技術(実力)が無かったことで苦悩しているに過ぎないのです。
それは、あなたが未熟であったということなのです。
未熟者は苦悩します。
それは自然の理(ことわり)です。
言い換えれば、未熟でなければ苦悩する必要がないということなのです。
勉強しましょう。
鍛錬しましょう。
あなたは、自分を磨き続けるのです。
純粋性を見失ってはなりません。
少な過ぎず、多過ぎず、中立を保ちましょう。
純粋であれば、本質を見極めることが出来るでしょう。


そこには、完全が存在しているのです。

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