すべての人は未熟です。
すべての人は歪んだ自己によって選択します。
すべての人は、自らの人格に従った人生を生きるのです。
すべての人が未熟であり、歪んだ自己によって選択します。
それは、未熟であり、歪んだ選択となるのです。
そのため、すべての人に問題が導かれます。
誰一人として、問題を避けることは出来ません。
それは、すべての人が未熟であるからです。
人が未熟である以上、豊かさを得ることは出来ません。
それは、人が未熟である以上、乏しさを得る必要があるからです。
人は、未熟さ故(ゆえ)に問題を引き起こし、乏しさを得るのです。
あなたは、それが仕方のないことであることを認めましょう。
自らの未熟さを受け入れることが出来れば、それを改善することも出来るのです。
受け入れることがなければ、改善することも出来ないということを理解しましょう。
改善するためには受け取らなければなりません。
突き放しているのに、それを改善することなど出来るはずがないのです。
すべての人が未熟です。
当然、あなたも未熟なのです。
未熟というのは、少な過ぎる状態でもあり、多過ぎる状態でもあります。
あなたは、”丁度良い”状態を目指さなければならないのです。
それは、何かに対して少な過ぎることもなく、多過ぎることもない状態のことです。
それは、純粋な状態のことなのです。
純粋な状態である時、人は中立を得ることが出来るのです。
純粋でなければ、偏(かたよ)るということを覚えておきましょう。
偏れば、歪みます。
歪みとは、未熟さなのです。
あなたは、純粋性を高めなければなりません。
偏りを手放し、中立を得るように努めるのです。
それは、自らを磨くことによって実現するでしょう。
あなたは、自らを磨く必要があるということを覚えておきましょう。
自らを磨くというのは、向上心を以(もっ)て生きるということです。
あなたは、意欲的に生きなければならないのです。
しかしながら、向上心や意欲は、頑張れば出てくるものではありません。
向上心や意欲は、それが出る選択をしなければならないのです。
それは、興味のあること、好きなことを見付けることです。
誰にでも、興味のあることや好きなことはあります。
向上心や意欲は、それに触れている時に自然と出てくるものなのです。
興味がないことや、好きでもないことに対しては、向上心や意欲は出ません。
向上心や意欲が出なければ、退屈を得るのです。
それでは豊かさを得ることは出来ないのです。
豊かさの前提としては、あなたが興味のあることや好きなことに触れなければなりません。
興味のないことや好きでもないことに触れていてはなりません。
増しては、不快なことや嫌いなことに触れていてはならないのです。
あなたが偏りを離れ、中立を得るためには、少な過ぎるものを補(おぎな)い、多過ぎるものを削り落とさなければなりません。
そのための技術は、勉強と鍛錬(たんれん)によって習得しなければ身に付きません。
この世界には、奇跡などという”茶番”は存在しません。
誰かや何かの影響によって、あなたが苦悩している訳ではないのです。
あなたに技術(実力)が無かったことで苦悩しているに過ぎないのです。
それは、あなたが未熟であったということなのです。
未熟者は苦悩します。
それは自然の理(ことわり)です。
言い換えれば、未熟でなければ苦悩する必要がないということなのです。
勉強しましょう。
鍛錬しましょう。
あなたは、自分を磨き続けるのです。
純粋性を見失ってはなりません。
少な過ぎず、多過ぎず、中立を保ちましょう。
純粋であれば、本質を見極めることが出来るでしょう。
そこには、完全が存在しているのです。
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