人生を豊かなものにするためには、理(ことわり)に寄り添って生きなければなりません。
理を無視して生きることは、乏しさを得る道のりなのです。
理とは、この世界の真(まこと)です。
あなたがこの世界の真と寄り添って生きる時、自らの人生の意義を見出すことが出来るのです。
人にとって、人生の意義を見出すことは重要です。
人生の意義を見出すことがなければ、自分が何によって満足を得るかを知ることが出来ないからです。
人は、幸福を探し続けています。
人が幸福を探し続けているのは、手にしたものが幸福ではなかったからです。
人は、それを幸福だと思って大切に扱います。
しかしながら、時が経つに連れて、それが自分を満足させないことを知るのです。
あなたが幸福だと思って大切にしている”それ”は、やがて輝きを失うでしょう。
幸福が輝きを失った時には、再び、輝く幸福を探し出さなければならないのです。
すべての人は、心の満足を求めているのです。
あなたが心の満足を得るためには、理に寄り添って生きなければなりません。
理こそが、あなたの満足を知っているのです。
理こそが、あなたに満足を導くのです。
理とは、この世界の真ですが、それは、あなたの考えとは異なります。
すべての人は未熟です。
それは、認識が汚れて歪んでいるからです。
すべての人は、真を見極めることが出来ません。
すべての人は、真を歪めて見ているのです。
そのため、理と寄り添って生きることが出来ません。
すべての人は、理に反して生きているのです。
それは、自分勝手な判断によって、自分勝手に生きているということなのです。
多くの人にとって、それは”普通”のことです。
自分勝手な判断によって、自分勝手に生きることは、自らに与えられた権利だと考えている者もいるのです。
あなたが自分勝手に生きることが悪いということではありません。
あなたは、自分の好きなように生きることが出来ます。
誰も、あなたの判断や生き方を邪魔することは出来ません。
あなたは自分の意思で、自由に生きることが出来るのです。
しかしながら、自由には責任が伴(ともな)います。
責任の伴わない自由は存在しません。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
あなたは、自らの選択によって生み出した原因に相応しい結果を受け取らなければならないのです。
自分勝手に生きることは、自らの責任を放棄するということです。
自らの責任を放棄すれば、その分の仕事を誰かに肩代わりさせることになります。
それは、因果の負債を負うことなのです。
この負債は目には映りません。
形のあるものでもないのです。
しかしながら、それは確実に人生に影響を与えるものなのです。
因果の負債によって、あなたは問題を抱えることになるでしょう。
それは、悩みを引き起こし、苦しみを導くのです。
未熟な者にとっては、そのような状態に満足することは出来ないのです。
それは、人生の乏しさを意味しているのです。
理は、あなたに因果の資産を得る方法を教えるでしょう。
理に寄り添って生きることによって、あなたは目には映らず形もないが、確実に人生を豊かなものにする資産を得ることが出来るのです。
理とは、この世界の真です。
この世界の真とは、原則のことです。
それは、いつ、どこで、誰であっても同じ結果を得る仕組みのことです。
理は、あなたが満足する方法を教えます。
しかしながら、理を無視し、自分勝手に生きる者には、その方法を理解することが出来ないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、理に寄り添って生きましょう。
理は、遍(あまね)く存在しています。
しかしながら、それはとても繊細(せんさい)です。
騒がしい”頭”では捉えることが出来ません。
騒がしい”心”でも捉えることは出来ないのです。
自分勝手な快楽や不満や不安に溺れていれば、理に寄り添うことは出来ません。
頭を冷やし、心を静め、理に寄り添いましょう。
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