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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年2月28日水曜日

乏しさを受け入れる度量

すべての人は、豊かな人生を求めています。
すべての人は、豊かな人生を生きることが許されています。
誰一人として、あなたが豊かな人生を生きることを阻止することは出来ません。
あなたはいつでも、豊かな人生を生きることが出来るのです。
すべての人が豊かな人生を求めています。
それは、人生が豊かではないからです。
人生が豊かでないために、豊かさを求めるのです。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、現状が乏しいということを認識しなければなりません。
現状が乏しいということを認識するのは重要です。
それは、認めること、受け入れることによってのみ、改めることが出来るからです。
多くの人は、現状が乏しいことを認めたり、受け入れることをしません。
現状の乏しさを否定しつつ、豊かさを求めているのです。
大切なのは、この世界には、陰陽の仕組みが存在していると理解することです。
すべての状況に対して、陰と陽の性質が同時に存在します。
陰は陽によって、陽は陰によって成り立ちます。
どちらかが欠けてしまえば、陰陽は成り立たないのです。
矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、豊かさとは、乏しさと同じものなのです。
豊かさと乏しさは、同時に存在することが自然です。
そのため、あなたが豊かさを得るためには、乏しさを否定することは出来ないのです。
乏しさを受け入れる度量によって、豊かさは実現するということを覚えておきましょう。
人生が豊かさを離れ、乏しさを得る原因は恐怖です。
恐怖の感情に支配される人の人生は、必ず乏しいということを覚えておきましょう。
人生を豊かにするためには、恐怖の感情を受け入れる度量が必要なのです。
未熟な者は恐怖を抱えます。
恐怖は偏見を生み出します。
偏見は主張を強めます。
主張が強まれば、それは正義となるのです。
正義は敵を作り、それと争います。
争いは問題を導くのです。
問題はやがて苦悩となるでしょう。
苦悩は新たな恐怖となるのです。
未熟な者の人生の状態はこのようなものです。
未熟な者は、恐怖の過程を繰り返すのです。
それでは、人生は乏しさを脱することは出来ません。
人生を豊かなものにするためには、恐怖の感情に支配されないことです。
ただ、これだけのことで、あなたの人生は豊かさを得るでしょう。
難しいことではありません。
恐怖を受け入れる度量を育めば良いだけなのです。
恐怖を受け入れる度量を育てるためには、すべてが必要であることを理解するだけです。
目の前の恐怖も必要であると理解することが出来れば、それだけで人生は豊かさを得るのです。
それは、恐怖という乏しさを受け入れることになるからです。
乏しさを受け入れることによって、豊かさを得ることが出来ます。
乏しさを否定している状態では、豊かさを得ることは出来ないのです。
この世界において、光だけを手にすることは出来ません。
光を手にする時には、必ず影も手にすることになるからです。
太陽に手を翳(かざ)しても、手の甲には影を得るのです。
光だけを得ることは出来ないのです。
それが自然です。
”良いもの”だけを得るのであれば、人は後に多くの”悪いもの”を得るでしょう。
”良いもの”と”悪いもの”を同時に得るのであれば、人は後に本当に良いものを得るのです。
恐怖に支配されてはなりません。
どのような状況を得ようとも、それが必要であるということを心得ましょう。
そうすれば、あなたが恐怖に支配され、乏しさを否定することもなくなるのです。
成長を欲する時には、時間と経験という名の老いを必要とします。
人が成長する時には、老いる必要があるのです。
老いることは悪いことではありませんが、多くの人はそれを悪いことと考えます。
老いを恐れない人が成長することが出来るのです。
老いを恐れる人は、老いることが出来ません。
それでは、いつまでも幼いままなのです。
陰陽の仕組みを大切にしましょう。
乏しさと豊かさが合わさることが、本当の豊かさなのです。


乏しさを受け入れる度量を育みましょう。

2018年2月27日火曜日

人生は人を整える

人生とは、成長の時間です。
あなたは、すべての状況において成長を求められているのです。
人生の目的は成長することです。
あなたは、常に成長を求められているのです。
人生において、成長を無視することは出来ません。
それは、すべての状況が成長のために導かれているからです。
しかしながら、多くの人は成長を忘れています。
目の前に導かれる状況が成長のために導かれていることを忘れ、学ぶことをしないのです。
多くの人は、自分が気に入らない状況を拒絶します。
自分に都合の悪い状況を受け入れることをしないのです。
多くの人は、自分に都合の良い状況を求めているのです。
多くの人は、自分にとっての利益を追い求めているのです。
残念ながら、多くの人は自分という存在を誤解しています。
多くの人が自分と考えているものは、自分ではありません。
人は未熟であることが自然です。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に、誤解を所有しているのです。
誤解を所有している状態においては、自分にとっての利益を理解することは出来ません。
誤解を所有している状態においては、自分にとっての利益を誤解してしまうのです。
多くの人は、利益だと思い込んで、損失を手にしています。
そのため、人生には問題が蔓延(まんえん)し、苦悩は絶えないのです。
多くの人は、利益を得ようと欲しますが、損失を得るという矛盾を抱えているのです。
大切なのは、自分が未熟であり、誤解を所有しているということを理解することです。
自分が間違っているということを理解しない人は、自分が正しいと思い込んでいます。
自分が正しいと思う人は傲慢(ごうまん)です。
傲慢な人は、必ず乏しさに辿り着くのです。
あなたは誤解を手放さなければなりません。
人生とは、成長の時間であって、あなたの欲望を満足させるための時間ではないのです。
あなたの成長と満足は、必ずしも一致するものではありません。
なぜなら、あなたは未熟であり、成長に対する必要に対して、満足が追い付かないからです。
成長のための必要であるにもかかわらず、それを理解することが出来ないのです。
あなたが満足することは需要ではありません。
大切なのは、成長した後に満足を得ることなのです。
必ずしも、その時に満足する必要はありません。
自分にとって不利な状況が導かれようとも、頭ごなしにそれを拒絶してはならないのです。
自分にとって不利な状況が導かれようとも、それが本当に損失であるのかは分からないことなのです。
それは、あなたが未熟であり、正確な判断を下すことが出来ないからです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、人生の目的を見失わないように努めなければなりません。
人生とは、成長の時間です。
人生の目的は成長することなのです。
人生は、あなたを成長させるのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人生は、あなたを整えます。
あなたの不足を補(おぎな)い、過剰(かじょう)を削ります。
傲慢な者は謙虚(けんきょ)にされます。
消極的な者は積極的にされます。
怠慢(たいまん)な者は働き者にされ、偽りを好む者は正されるのです。
不満を吐く者はその舌を失い、不安を思う者は胸を貫(つらぬ)かれるでしょう。
人生は、様々な方法を用いて、人を整えるのです。
人生は、あなたが成長するための最善を導きます。
それがどのような状況であれ、それが今のあなたにとっての必要なのです。
そのことを理解しなければならないのです。
あなたに都合の悪いことは、あなたを成長させるための最善です。
それは、未熟な自分にとって都合の悪いことであるからです。
自分に都合の良いこととは、未熟な自分にとって都合の良いものであるのです。
そのため、あなたにとっての都合の良いことは、あなたを堕落(だらく)させるために最善なのです。
自分に都合の良いことや、利益を安易(あんい)に信用してはなりません。
あなたは、自分にとっての都合の悪いことや、損失を信用しましょう。
親が子どもを叱(しか)り付けるように、人生はあなたを叱り付けます。
親は子どものために叱るのです。
人生も、あなたのために叱るのです。
あなたにとって都合の悪いことは、あなたを整えるための叱りなのです。
そのことを覚えておきましょう。
思い通りにならない現実を大切にしましょう。



2018年2月26日月曜日

不自然が世界を滅ぼす

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
誰も、因果を退(しりぞ)けることは出来ません。
因果は必ず導かれます。
あなたは、それを理解しておかなければなりません。
すべての結果は、それに相応しい原因によって導かれます。
原因とは、あなた自身です。
あなたの選択によって、受け取る結果である状況が決定されるのです。
どのような状況が導かれようとも、それは自分自身の選択の結果であるということを理解しなければならないのです。
しかしながら、多くの人は因果の仕組みを知りません。
原因と結果を結び付けて考えることが出来ないのです。
多くの人は結果に注目しますが、原因のことは見向きもしません。
多くの人は、結果が偶然に導かれていると思い込んでいるのです。
残念ながら、この世界には、不運というものは存在しません。
この世界には、必然しか存在してはいないのです。
偶然や不運というものはどこを探しても存在しないということを受け入れなければならないのです。
多くの人は、因果を認めたくはありません。
多くの人は、自分の未熟さを認めたくないのです。
それは、未熟であり、弱いからです。
因果を認めることは簡単なことではありません。
それは、目の前の苦しみを受け入れるということだからです。
多くの人は苦しみを嫌います。
そのため、偶然や不運という幻想を描き、責任転嫁(せきにんてんか)を試みるのです。
因果を受け入れることは、人生にとっての自然です。
人が豊かに生きるためには、自然を大切にしなければなりません。
水や空気や土が自然な状態でなければ、人が健康を維持することが出来ないように、人生の在り方が自然でなければ、あなたが心の健康を維持することは出来ないのです。
偶然や不運を装(よそお)い、因果を否定することは不自然です。
導かれた結果は、それが自然だから導かれたのです。
この世界においては、自然こそが導かれるのです。
この世界が不自然を導くことはないのです。
不自然を導くのは人間です。
多くの人は、自然に対して不自然を導くのです。
この世界は、豊かさを導きます。
しかしながら、多くの人はそれを理解することは出来ません。
そして、導かれた豊かさを誤解し、不満や不安を選択するのです。
導かれた豊かさは、人の選択によって乏しさへと変貌(へんぼう)します。
自然を歪めているのは人間なのです。
人生を乏しくしているのは、人間である自分自身だということを理解しなければならないのです。
あなたは、不自然が世界を滅ぼすということを理解しましょう。
あなたは、不自然に生きてはならないのです。
例えば、拝金主義は人生を破滅させるでしょう。
自然界に金銭は存在しません。
金銭が存在しているのは、人間社会という不自然な世界だけなのです。
不自然を生きている人は、金銭を拠(よ)り所として生きています。
多くの人は、金銭によって人生を左右されているのです。
不自然な人間社会では、金銭があれば便利です。
しかしながら、金銭で交換することの出来るものに本質は含(ふく)まれません。
金銭という不自然なものでは、自然という本質を得ることは出来ないのです。
大切なのは、不自然に支配されないことです。
多くの人が金銭のために生きているような状況です。
それでは、心が衰(おとろ)えてしまうでしょう。
人生を豊かにするためには、不自然を拠り所としてはならないのです。
多くの人は、金銭に対して傲慢(ごうまん)なことを拝金主義と考えるかも知れません。
しかしながら、金銭に対して心配や不安を抱えていることも、同じ拝金主義であるということを理解しなければならないのです。
拝金主義は人生を滅ぼします。
あなたは本質のために生きなければなりません。
自然を大切にする心を育みましょう。
金銭も大切ですが、それは大切な道具に過ぎず、本質を得ることは出来ません。


人生に豊かさを求めるのであれば、拝金主義を超えた”思いやりの心”を大切にしましょう。

2018年2月25日日曜日

幸福の断定

すべての人は幸福を求めます。
すべての人は、幸福を求めて生きているのです。
すべての選択は、幸福を実現するためのものです。
人は、それぞれの幸福を目指しているのです。
幸福に規定はありません。
幸福というものは、人それぞれに異なっているものなのです。
幸福は、それぞれに異なるのが自然です。
そのため、あなたは自分の幸福を目指しましょう。
誰かと同じ幸福を追い求めたとしても、それがあなたの幸福であるということはないのです。
あなたには、あなただけの幸福の形が存在しているのです。
それを探す必要があるということを覚えておきましょう。
多くの人は、幸福には規定が存在すると思い込んでいます。
多くの人は、幸福そうな人と同じ状態を得ることによって、自分も幸福を得られると考えているのです。
しかしながら、他者の幸福の形を自分に当てはめたとしても、あなたが幸福を得ることは出来ません。
なぜなら、人は、それぞれの目的のために生まれたからです。
幸福とは、それぞれの人生の目的に従っているのです。
目的に反する幸福は存在しません。
あなたの人生の目的と、他者の人生の目的は異なります。
目的が異なれば、幸福も異なるのです。
そのため、あなたは他者の真似をしたとしても、それだけでは幸福を得ることは出来ないのです。
他者の幸福の形を当てはめたとしても、空しさを覚えるだけです。
そのようなものであなたが満たされることはないのです。
残念ながら、あなたは未熟です。
未熟であるが故(ゆえ)に、その認識は歪んでいます。
あなたは、自分の幸福の形を知らないのです。
それは、人生の目的を知らないからです。
大切なのは、自分が無知であると受け入れることです。
自分が無知であることを受け入れることが出来れば、決め付けることがなくなります。
多くの人は、無知であるにもかかわらず、幸福を断定しています。
それは、推測に過ぎないのですが、それを固く信じているのです。
しかしながら、多くの人はその先に空しさを得るのです。
空しさは苦しみとなり、苦しみは悩みとなるのです。
大切なのは、決め付けないことです。
多くの人は決め付けによって、自分にとっての”良いもの”を得ようと尽力します。
しかしながら、あなたは未熟です。
自分にとって、それが本当に”良いもの”であるか分からないのです。
大切なのは、選り好みをしないことです。
強欲に”良いもの”だけを得ようとしないことなのです。
”良いもの”と”悪いもの”を同時に得るのが人生です。
それが自然なのです。
大切なのは、何を得ても良いということを理解することなのです。
大切なのは、自分の心を真っ直ぐに保つということです。
あなたは、真っ直ぐな心で、自分のことを確(しっか)りとこなさなければならないのです。
多くの人は、自分のことを疎(おろそ)かにしています。
多くの人は、”心ここに在らず”という状態で生きているのです。
大切なのは、自分のことを堅実にこなすことなのです。
多くの人は、他者のことを気に掛けています。
他者を心配したり、羨(うらや)んだり、毛嫌いしたり、自分と比べたりしているのです。
他者のために気を揉む必要はありません。
あなたが他者を判断する必要はないのです。
他者のことは、本人に任せておけば良いのです。
他者を気に掛けて、自分のことを疎かにしてはなりません。
あなたは、何が”良いもの”であり、何が”悪いもの”かを知りません。
自分に集中しましょう。
自分を知らなければ、幸福を得ることは出来ません。
どのような努力も、間違っていれば成果を導かないのです。
自分に当てはまる幸福を実現するための努力をするべきなのです。
他者には当てはまり、自分には当てはまらない幸福を実現するための努力は、徒労(とろう)となるということを覚えておきましょう。
”良いもの”だけを得ようとしてはなりません。
”良いもの”も”悪いもの”も大切にしましょう。
幸福を断定してはなりません。


謙虚(けんきょ)に学びましょう。

2018年2月24日土曜日

上手い話

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
原因の存在しない結果はありません。
それがどのような結果であれ、そこには必ず原因が存在しているのです。
因果の仕組みは、この世界に遍(あまね)く存在しています。
この世界のどこにも、因果の仕組みを逃れられる場所はないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、この世界に因果の仕組みが存在していることを知りません。
そして、多くの人は、この世界には因果の仕組みが存在していることを知ってはいましたが、いつの間にかに忘れてしまったのです。
この世界に存在しているものは最善です。
すべてが必然であり、最善なのです。
それは、因果の仕組みが存在しているためです。
因果の仕組みは、世界を最適化します。
因果の仕組みによって、世界には矛盾が無くなるのです。
どのような結果にも、それに相応しい原因が存在していることを理解すれば、この世界に矛盾が存在しないことを理解することが出来るのです。
多くの人は、因果の仕組みを知らないか、忘れているために、多くの矛盾を抱えるのです。
矛盾とは、無理解のことです。
無理解によって、矛盾が生じるのです。
多くの人は矛盾によって苦しみます。
それは、多くの苦しんでいる人が無理解であるためなのです。
理解を得ない者は問題を引き起こします。
それは、この世界の仕組みや、人生の意味を理解することが出来ないからです。
この世界や人生に対する理解が及べば、すべてが必然であり、最善であることを理解することが出来ます。
それは、目の前の状況から学ぶことが出来るということです。
学ぶ者は成長することが出来ます。
成長する者は、問題を引き起こすことがないのです。
それは、知恵を身に付けるからなのです。
多くの人は、無理解によって愚かさを増します。
残念ながら、多くの人は愚行(ぐこう)を好むのです。
多くの人は、傲慢(ごうまん)や怠慢(たいまん)などを好むのです。
そのような態度は、利益を欲するようになるのです。
そのため、多くの人は自分にとって有利な情報を信じます。
自分にとって都合の悪いことは拒絶するのです。
多くの人は、見たいものを見て、聞きたいことを聞きます。
多くの人は、自分に都合の良い世界を求めているのです。
そのため、多くの人は自分の望みを叶えてくれる相手を信用するようになります。
それは、楽だからです。
多くの人は、自分にとっての利益を得ることが最善であると考えているのです。
しかしながら、自分という存在ほど信用に値(あたい)しないものはありません。
なぜなら、自分とは未熟な存在であり、常に変化し続けているからです。
自分にとっての利益が、自分にとっての”良いもの”であるとは限らないのです。
寧(むし)ろ、それは損失であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、現在の利益が、同じように後の利益であることを保証することが出来るでしょうか?
子どもにとっての利益と、大人にとっての利益は異なります。
大人にとっての利益と、老人にとっての利益は異なるのです。
利益というものは、立場によって異なるのです。
そのようなものを信じていてはならないのです。
あなたは、自分の望みを叶えてくれる者を信用してはなりません。
あなたの望みのものを与える者に従ってはならないのです。
この世界には、”上手い話”などというものは存在しません。
自分の利益を追求しているのであれば、後に必ず悔やむことになるでしょう。
あなたは、自分が未熟であることを理解しなければなりません。
未熟者は必ず愚行を行います。
愚行によってもたらされるのは、損失なのです。
多くの人は、損失を利益だと考えています。
残念ながら、この世界はあなたの考えているような容易(たやす)いものではありません。
この世界と人生の目的は成長です。
そのためには、望まない状況を学ぶ必要があるのです。
望みが叶うのであれば、知恵の助けは必要ではありません。
自分の利益を追求し、望みが叶うことを喜ぶのであれば、後にはより苦しむことになるでしょう。
あなたは、すべてが必然であり、最善であることを理解し、望まない状況から学びを得なければなりません。
”上手い話”に従ってはなりません。
望む結果に相応しい自分であるのか?を考えましょう。
望む結果に相応しい生き方をしたのか?しているのか?を考えましょう。


自分の望みを叶えることが、必ずしも豊かさではないということを覚えておきましょう。

2018年2月23日金曜日

気長に歩む

人生というものは、長い旅路です。
それは、簡単に完成することの出来るものではありません。
あなたは長く歩まなければなりません。
人生を完成させるためには、気長に歩まなければならないのです。
多くの人は先を急ぎます。
多くの人は、人生を焦るのです。
多くの人は、答えを急ぎます。
多くの人は、目的地へと辿り着くことを焦っているのです。
すべての人が人生を完成させることを目指しています。
しかしながら、人生が完成するのは、人生を終える時です。
それ以外に人生が完成することはありません。
人生の答えというものは、人生を終える時まで分からないのです。
しかしながら、多くの人が傲慢(ごうまん)さによって、答えを急ぐのです。
重要なのは、答えを焦らないことです。
人生を急がないことなのです。
多くの人は利益を求めています。
多くの人は、自分の都合を優先します。
そのため、損失を得ることを嫌います。
自分に都合の良い人生を求めているのです。
その結果、人は愚(おろ)かさを加速させるのです。
多くの人は人生の目的を見失っています。
都合の良い人生を生きることなど、目的ではないのです。
あなたは未熟です。
未熟者の都合は歪んでいるのです。
そのため、都合の良い人生を求めているのであれば、人生は歪みを強めることになります。
歪みが強い人生とは、問題の多い人生ということなのです。
問題の多い人生とは、乏しい人生のことだと理解しましょう。
多くの人は、乏しい人生を生きています。
それは、自分の都合を優先するからです。
多くの人は、問題の多い人生を生きているのです。
人生の目的は、成長することです。
ただ、それだけを目的としているのです。
大切なのは、目の前に導かれた状況から学ぶことです。
あなたは、この世界に存在している理(ことわり)を通じて、自分という存在を学んでいるのです。
利益や都合の良い人生を得ることが目的ではありません。
損失や都合の悪い人生を得たとしても、それによって成長することが出来れば良いのです。
人生の目的を見失ってはなりません。
答えを急ぐ必要はないのです。
分からない時は分からなくて良いのです。
分からない時は大いに悩みましょう。
そして、大いに苦しめば良いのです。
多くの人が自分の利益と都合を考えているために、悩みや苦しみを拒絶します。
答えは、分かる時まで分からなくて良いのです。
分かる時に分かれば良いのです。
多くの人は、分からないものを分かろうとしています。
その姿勢は大切ではありますが、無理をして分かろうとする必要はありません。
自然と理解が及ぶことが重要なことなのです。
答えを急いでも、それが得られることはありません。
焦ったところで、理解が追い付きません。
長期的な視点で人生を考えなければならないのです。
目先のことを考えて、利益や都合を追い求めてはなりません。
成長するために損失や都合の悪い状況が必要であるのならば、喜んでそれ等を受け入れましょう。
そうそれば、あなたは成長を実現し、豊かな人生を得ることが出来るでしょう。
与える者は受け取り、受け取る者は与えなければなりません。
奪い取る者は失い、失う者は与えられます。
何が正解なのか、あなたには理解することが出来ません。
それで良いのです。
あなたには、答えは分からないのです。
分かるまで、分からなくても良いのです。
答えが分からないのであれば、答えを決め付けてはなりません。
あなたには、何が正しいかを理解することが出来ないのです。


気長に学びましょう。

2018年2月22日木曜日

程度

誰の人生にも、必ず問題が生じます。
この世界において、問題を避けることの出来る者はいません。
すべての人が問題を抱えるのです。
それは、すべての人が未熟であるからです。
未熟さによって問題が導かれます。
問題とは、未熟さの現れなのです。
人が未熟である程に、多くの問題を抱えることになります。
それは、人生が自らの選択によって築かれるからです。
人生は、あなたに相応しい状況を導きます。
導かれるすべての状況は、あなたに相応しいものなのです。
なぜなら、それを選んだのはあなた自身であるからです。
選択とは、人生に対する望みです。
人生は、あなたの望みを叶えるのです。
未熟な者の選択は、問題を引き起こすものなのです。
あなたが問題を抱えるのは、問題となる選択をしているからに他なりません。
偶然や不運などによって、あなたが問題を抱えるということは有り得ないのです。
問題を抱えるには、それに相応しい原因があるのです。
それが、あなたの未熟さなのです。
未熟な者は、必ず問題を引き起こします。
それは避けられないことです。
あなたが問題を抱えているのであれば、自分自身が未熟であるということを認めなければなりません。
自分自身が未熟であることを認めることが出来ずに、問題に対して不満を抱いたり、悲しんでいてはならないのです。
問題に対して憤慨(ふんがい)し、悲観したところで、問題が解決することはありません。
問題には、それを導いた原因があるのです。
その原因を改めなければ、再び同じ問題が導かれるのです。
それは、当たり前のことなのですが、多くの人は気が付きません。
問題をどうにかすれば、その苦しみから逃れられると思い込んでいるのです。
これは、あなたの人生です。
これは、あなたのための人生なのです。
人生は、あなたのために導かれます。
人生は、あなたの成長のために存在しているのです。
あなたは、人生において成長しなければならないのです。
成長するために問題と向き合う必要があるのです。
問題を悪いものと考えてはなりません。
問題は、あなたの成長を助ける大切な補助(ほじょ)であるということを知らなければならないのです。
あなたは、問題に対して前向きな心を保ちましょう。
大切なのは、成長することです。
目の前の問題から学び、成長することによって、問題は解決します。
それは、読み終えた本を手放すようなものです。
あなたは、読み終え、学び終えた本を棚(たな)にしまってはおかないでしょう。
読み終え、学び終えた本は、それを読み、学びたい誰かに譲(ゆず)るはずなのです。
目の前の問題を学び終える時、あなたは問題を手放すことになるのです。
その時には、どれだけ大切に飾(かざ)っていたとしても、棚から落ちて消えるのです。
あなたが成長すれば、問題に相応しい自分ではありません。
その時には、もうその問題に苦しむことは出来ないのです。
いつまでも、未熟であってはなりません。
成長し、程度(レベル)を高めなければなりません。
未熟な者がどれだけ集まったとしても、問題は解決しません。
未熟者は集います。
未熟者は簡単を求めます。
未熟者は簡単を楽と思い、それを喜びます。
しかしながら、簡単なこと、楽なことを続けていたとしても、成長することは出来ません。
簡単なこと、楽なことを続けているのであれば、程度は低まり、多くの問題を引き起こすでしょう。
問題を導くのも、それを解決するのも、自分自身の程度です。
それ以外の原因はないのです。
あなたは必ず問題を引き起こします。
その時に、未熟者同士で集ってはなりません。
傷を舐め合い、慰め合っていてはならないのです。
優しい(簡単な、楽な)言葉は、あなたの成長を阻害するでしょう。
人生の目的を見失ってはなりません。


あなたは、戯(たわむ)れるために生まれたのではないのです。

2018年2月21日水曜日

然る可き経験

人生において重要なことは、人生には無駄が存在しないということを理解することです。
人生におけるすべての経験は、あなたにとっての最善です。
それがどのような経験であろうとも、あなたの成長を助けているのです。
人生は、あなたの味方です。
人生があなたを苦しめることはありません。
人生は、あなたを成長させようとしているのです。
それを理解することが出来なければ、人は自分の意思によって苦しむことになるのです。
あなたが苦しみを抱えているのであれば、それは、あなたが勝手に苦しんだのです。
人生が苦しみを導いたのではありません。
導かれた経験に対して、あなたが自分勝手にそれを苦しみと決めたのです。
あなたが苦しみを選択したが故(ゆえ)に、その経験が苦しみとなったのです。
人生は、あなたが決めるのです。
人生は、あなたにとっての最善を導きます。
それをどのようなものにするかは自分次第です。
多くの人は誤解を抱えています。
多くの人は、人生があなたに与えようとしているものを知らないのです。
人生は、あなたの成長を願っています。
それは、あなたに豊かさを導くためです。
人生というものは、あなたが豊かに生きるようにしか出来ていないのです。
あなたの人生は、豊かであることが自然なのです。
人生に乏しさを感じているのであれば、自然を歪めているということなのです。
多くの人は、不自然を生きています。
人生は、豊かであって然(しか)る可(べ)きなのです。
あなたは自然を歪めてはなりません。
不自然を生きてはならないのです。
人生に苦しみを覚え、乏しさを感じているのであれば、自分が不自然と共に生きているということを理解しましょう。
不自然と共に生きても、豊かさを得ることは出来ません。
自然と共に生きなければ、豊かさを得ることは出来ないのです。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、自然と共に生きなければなりません。
自然とは、目の前に導かれる経験を受け入れるということです。
目の前に導かれる経験は、あなたにとって然る可き経験なのです。
目の前に導かれる経験こそが、今のあなたに相応しく、今のあなたにとっての最善です。
それを否定するのは、不自然な選択なのです。
あなたは、自分に然る可き選択をしなければなりません。
それは、目の前に導かれる経験を学ぶということです。
親があなたに差し出す食物は、あなたの健康を考えた結果です。
親が、あなたに毒を食べさせることはありません。
況(ま)して人生が、親よりも悪いものを与えることなどないのです。
中には、気に食わない食物もあるでしょう。
口に合わず、食べる必要を見出すことの出来ない食物もあるのです。
しかしながら、色色(いろいろ)な味の食物も、飲み込めば血と成り肉と成るのです。
親の差し出す食物は、あなたの健康を支えるでしょう。
味に関わりなく、食物は肉体の栄養であるのです。
況して、人生が導く経験が、あなたの成長を助けない訳がないのです。
人生は、あなたに苦しみを導きます。
あなたにとって、苦しみは口に合わない食物のようなものです。
あなたは苦しみを受け入れたくはないでしょう。
しかしながら、人生は、あなたの成長のために苦しみを導くのです。
その苦しみが成長に必要不可欠であることを知っているのです。
それを理解することが出来ないのは、あなたなのです。
多くの人は文句を吐きながら生きています。
その行為が、自分自身を苦しめるのです。
人生を乏しくしているのは、自分自身の選択であるということを理解しなければならないのです。
大切なのは、人生から学ぶことです。
あなたの判断は、浅はかなものであるということを知らなければなりません。
人生には、深い意味があるのです。
利益を得ることには価値がありません。
それは、利益というものは、未熟な自分の判断に過ぎないからです。
成長することに価値があるのです。
損失だと思えることも、それが成長に繋がると思うのであれば大切にしましょう。
安易に否定してはなりません。


人生があなたの敵ではないことを知りましょう。

2018年2月20日火曜日

自立

すべての人は、自分の人生を生きています。
人は、それぞれの人生を生きているのです。
人は、それぞれに目的を以(もっ)て生まれました。
人は、それぞれに役割を担っているのです。
多くの人は、自分の担っている役割を知りません。
自分の人生に重要な目的があることを知らずに生きているのです。
多くの人は、自分が特別な存在であるということを知らないのです。
この世界において、すべての人が特別な存在です。
あなたも、他者も、それぞれが特別な存在であるということを覚えておかなければならないのです。
社会的には、代わりはいくらでもいます。
あなたの社会的な仕事に対する代役は、誰であっても担うことが出来るのです。
しかしながら、この世界において、あなたの代役を勤めることの出来る人は存在しません。
あなたはあなたであり、他者は他者なのです。
あなたは、人がそれぞれに別の存在であり、別の人生を生きているということを理解する必要があるのです。
多くの人は、自分を知りません。
自分が何であるのかを理解することなく生きているのです。
そのため、自分の人生の目的も知りません。
多くの人は、自分が何であり、何をするべきなのかを知らないでいるのです。
そのため、自分と他者を同一視してしまいます。
多くの人は、自分に良いものが、相手にも良いと考えるのです。
自分の正義を相手に押し付けてしまうのです。
あなたにとって良いものは、あなたにとっての良いものです。
それに間違いはありません。
しかしながら、あなたにとって良いものであっても、それが相手にとって良いものとは限りません。
あなたの正義は、あなたにとって正しいのです。
あなたは自分の正義を貫(つらぬ)けば良いのです。
しかしながら、あなたの正義はあなただけの正義であり、他者と同一であるはずがありません。
それは、それぞれに異なる目的を以て生きているからです。
人は、それぞれに立場が異なるのです。
そのため、良いものも正義も、それぞれに異なるのです。
腹が減っている人にとっては、食物は良いものであるでしょう。
しかしながら、満腹な人にとっては、食物は良いものではないのです。
あなたが食事を残さないという正義を掲げていたとしても、満腹であれば残します。
正義とは、立場によって簡単に覆(くつがえ)るようなものなのです。
多くの人は、自分の正義を絶対的に信じていますが、それが湖に張った氷のように、頼りにならないものであることを理解しなければならないのです。
分厚く張った氷も、春と共に消え去ります。
いつまでも、自分の正義を信じることは出来ないのです。
あなたにとって良いものは、それが良い内は自分だけで喜びましょう。
あなたにとっての正義は、それが正義の内は自分だけで貫けば良いのです。
それを誰かに押し付ける必要はありません。
理解してもらう必要もないのです。
人は、それぞれの人生を生きなければならないのです。
人は、それぞれの良いものと正義を得なければならないのです。
あなたは、相手の立場になって考えなければなりません。
自分の立場から考えるだけでは、世界は限定されてしまうのです。
世界とは、可能性です。
自分と相手を同一視する人にとって、世界は狭いのです。
自分と相手を同一視する人の可能性は少ないということを覚えておかなければならないのです。
人生を豊かなものにするためには、世界を広げなければなりません。
可能性を手に入れなければ、人生に豊かさを導くことは出来ないのです。
あなたが自分の人生を尊重するように、相手の人生も尊重しましょう。
相手は、あなたとは異なる選択をするでしょう。
あなたにとっての悪いものを掴み、不義を働くかも知れません。
あなたには、それを認めることは出来ないかも知れません。
しかしながら、それで良いということを覚えておきましょう。
人は、違っているのが自然です。
それぞれの役割を果たすことが最善なのです。
相手の人生は相手に任せましょう。
あなたは、自分の人生を完成しなければなりません。

他者からの自立を果たしましょう。

2018年2月19日月曜日

機嫌を直す

これは、あなたの人生です。
人生の選択権はあなたに与えられています。
あなたは、自分の選択によって人生を築くのです。
すべての選択が人生を構成します。
一つ一つの選択は、確実に人生となるのです。
あなたは常に選択を迫られます。
あなたは選ばなければならないのです。
あなたは、目の前の選択によって人生を築いているということを理解しましょう。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
原因とは、あなたの選択です。
結果とは、目の前に導かれる状況のことなのです。
あなたは、自分の選択に相応しい状況を得ることになるのです。
目の前に導かれる状況には意味があります。
それは、あなたの現状を教えているのです。
あなたは、目の前に導かれる状況から学ばなければなりません。
それは、結果から原因を学ぶことなのです。
残念ながら、あなたは未熟です。
あなたには、因果を理解することが出来ないのです。
多くの人は幸福を求めながらも、苦悩を得ています。
豊かさを望みながら、乏しさを得るのです。
それは、因果を理解していないためです。
因果を理解しているのであれば、自分が望む結果に相応しい原因を選択することが出来るのです。
しかしながら、人は矛盾した人生を歩むのです。
あなたは、因果を理解してはいません。
そのために苦しむのです。
大切なのは、因果を学ぶことです。
因果を学ぶためには、結果から原因を逆算しなければなりません。
導かれた状況から、自分の選択を推測(すいそく)するのです。
その繰り返しによって、原因を探るのです。
それ以外に方法はありません。
あなたは、導かれた状況から理(ことわり)を学ぶのです。
しかしながら、多くの人は導かれた状況に対して冷静ではいられません。
怒りや悲しみや諦めなどの感情によって、心を乱すのです。
多くの人は、思い通りにならない状況を前にして機嫌を悪くします。
それは、状況から学ぶ態度ではありません。
あなたは、冷静に学ばなければならないのです。
あなたは、導かれる結果から、原因を探る必要があるのです。
それは、何よりも大切な作業なのです。
機嫌を損ねている場合ではありません。
乱れた心では、理を得ることは出来ないのです。
あなたは、機嫌を直さなければなりません。
自分の機嫌は自分で直すのです。
誰かや何かに期待してはなりません。
誰かや何かが機嫌を直してくれることを期待して待っているのであれば、それだけ時間を無駄にすることになります。
残念ながら、誰もあなたの機嫌を直してはくれません。
誰も、あなたの機嫌を直すことなど出来ないのです。
あなたは自分で勝手に機嫌を損ね、勝手に機嫌を直します。
あなたは人生が思い通りにいかずに拗(す)ねているだけなのです。
無力な子どものように、癇癪(かんしゃく)を起こしているに過ぎないのです。
自分の機嫌くらい、自分で直しましょう。
自分の心くらい、自分で整えるのです。
あなたに学ぶ気がなければ、誰も教えることは出来ません。
あなたに学ぶ気がなければ、成長することは出来ないのです。
機嫌を損ねてはなりません。
人生が乏しさを得ます。
機嫌を損ねてはなりません。
それは、時間の無駄です。
気持ちを切り替えましょう。
起きたことは過ぎたことだとして、気持ちを切り替えるのです。
機嫌が良ければ、あなたは多くを学ぶことが出来るでしょう。
機嫌が良いだけで、多くの気付きが得られるのです。
あなたが豊かさを望むのであれば、機嫌良く生きれば良いだけです。
それ以上のことは必要ではありません。


これが、自分の人生であるということを覚えておきましょう。

2018年2月18日日曜日

最高の自分

すべての人は、自分に成らなければなりません。
それは、これがあなたの人生だからです。
あなたの人生は、自分で生きなければならないのです。
あなたの人生を自分でない誰かが生きることは出来ません。
あなたの人生を生きることが出来るのは、自分だけなのです。
多くの人は、自分に成ることが出来ません。
多くの人は、自分の人生を生きることが出来ないのです。
多くの人は、人の目を気にします。
多くの人は、他者からの評価を重要視しているのです。
そのため、多くの人は自分に成ることが出来ません。
多くの人は、他者に媚(こ)び諂(へつら)った自分に成るのです。
それは自分ではありません。
それは、不自然な存在なのです。
不自然な存在は自然の調和を乱します。
不自然な存在は、豊かさを壊すのです。
多くの人が乏しい人生を生きているのは、自分ではないからです。
多くの人は、自分ではない”何か”の人生を生きているのです。
あなたは自分として生まれました。
本来ならば、あなたは自分です。
しかしながら、教育によって、あなたは不自然な存在として成立したのです。
あなたは他者からの教育や、自分自身に対する教育によって、自分ではない”何か”に成ってしまったのです。
あなたの人生にとって、自分であることが自然です。
自分ではない”何か”を当てはめてしまえば、調和は乱れ、乏しさが導かれるのです。
そのため、あなたが豊かさを求めるのであれば、自分に成る必要があるのです。
先ずは、あなたが不自然な状態であることに気が付かなければなりません。
あなたは人の目を気にします。
あなたは、他者からの評価を重要視しているのです。
誰もが、嫌われることを恐れています。
それは、誰もが孤立を恐れているからです。
残念ながら、あなたが孤立することはありません。
それは、世界には可能性が満ち溢れているからです。
例えば、あなたが人の目や評価を気にすることなく生きるとして、それを嫌う人たちがいます。
そのような人たちは、あなたを非難するか、あなたから遠ざかるでしょう。
しかしながら、それであなたが孤立するということはないのです。
あなたは器の中の水を割ることが出来るでしょうか?
あなたがどれだけ掻(か)き分けたとしても、水は必ず結合し、一つの水面を形成するのです。
人間関係とは、水のようなものなのです。
蒸発した水は、雨となって降り注ぎます。
あなたを離れた人がいる一方で、あなたに近付く人がいるのです。
あなたを非難する人がいる一方で、あなたを賞賛(しょうさん)する人がいるのです。
この世界には、あなたには数え切れない程の人間が存在しているのです。
海の水が枯渇(こかつ)することがないように、人間関係が途切れることなどありません。
現状の人間関係がすべてではありません。
寧(むし)ろ、そのような小さな集団に執着していてはならないのです。
世界は広いのです。
可能性は満ち溢れています。
あなたが自分に成ることは簡単なのです。
あなたは、自分の最高を目指せば良いということを覚えておきましょう。
素直な心に従って生きることによって、あなたは自分に成ることが出来ます。
人の目や評価を気にすることなく、自分の生きたいように生きるのです。
自分の人生の責任は、自分が負うのです。
あなたは、自分であれば良いのです。
梅は梅として生まれました。
梅は梅として美しくあれば良いのです。
芝は芝として生まれました。
芝は芝として美しくあれば良いのです。
梅が桜を目指す必要はありません。
芝が椿(つばき)を目指す必要もないのです。
梅には梅の美しさがあり、芝には芝の美しさがあります。
あなたにはあなたの美しさがあり、他者には他者の美しさがあるのです。
最高の自分を目指しましょう。
誰かに左右されるような生き方をしてはなりません。
あなたはあなたなのです。
他者には、あなたの人生を理解することが出来ないのです。
理解することが出来ない人の意見を受け入れる必要はないのです。
自分に成りましょう。



2018年2月17日土曜日

相手の損得

人生を豊かなものにするために必要なのは、人が他者を通じて自分を知ることです。
あなたは、他者によって自分を知ることが出来ます。
他者がいなければ、あなたは自分ではいられないのです。
人は、相対的にしか自分自身を認識することが出来ません。
他者を認識するからこそ、自分を認識することが出来るのです。
例えば、多くの人は幸福のみを求めます。
幸福を求め続けるのであれば、幸福を得られると考えているのです。
しかしながら、初めから何が幸福であるのかを知る人はいません。
人が幸福を知るためには、不幸という相対的な存在が必要なのです。
不幸を知らなければ、幸福を知ることは出来ません。
同じように、幸福を知らなければ、不幸を知ることは出来ないのです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
すべての性質は相対的に分け離されているのです。
しかしながら、それ等は一つの器の中で分けられているのです。
陰陽は、二つで一つです。
そして、陰陽の隔たりを取り除く時、本質を得ることが出来るのです。
二色の絵の具を混ぜ合わせる時、二色の絵の具の本質が現れるのです。
陰の性質だけで本質を知ることは出来ません。
陽の性質だけでも同じことです。
人生を豊かなものにするためには、他者によって認識することの出来る自分が必要なのです。
これは、あなたの人生ですが、自分を大切にすることがなければ、豊かさを得ることは出来ません。
自分を大切にするためには、他者を大切にする必要があるのです。
人が自分であることは重要です。
それは、人生の本質は自分であるからです。
自分という本質を知らずに、人生に豊かさを導くことは出来ないのです。
多くの人が人生に乏しさを得ているのは、人生の本質である自分を知らないからなのです。
あなたが自分を知るためには、他者を知る必要があります。
あなたは、他者によって自分を知るのです。
多くの人は、損得勘定によって人生を生きています。
多くの人は、自分の損失と利益のことを考えているのです。
多くの人は、損失を嫌います。
そして、多くの人は利益を好むのです。
多くの人は、自分の損得しか考えることが出来ません。
多くの人は、自己を中心として生きているのです。
自己を中心としなければ生きられないのです。
それは、未熟であるからです。
多くの人は、仕方なく自分の損得を考えているのです。
あなたが自己を中心として生きるのは仕方のないことではありますが、それでは人生に豊かさを導くことは出来ません。
それは、自分のことを考えたとしても、自分のことを理解することが出来ないからです。
自分というものは、他者を通じて理解するものなのです。
そのため、あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、自分の損得だけではなく、相手の損得も考えなければならないのです。
多くの人には余裕がありません。
そのため、多くの人が自分の損得勘定にとどまるのです。
多くの人の人生が乏しいのはそのためです。
大切なのは、相手の損得も考えることです。
自分という存在は相手によって教えられます。
そのため、自分の損失を避け、利益を追求したとしても、自分というものを理解することは出来ないのです。
自分というものを理解することができなければ、損失と利益がどのようなものであるのか?ということを理解することは出来ないのです。
多くの人は、誤解によって損失と利益を捉(とら)えています。
そのために、人生には多くの問題と大きな苦悩が導かれ、乏しいのです。
多くの人は、自分にとっての損失と利益を知りません。
それは、他者に教わらないからです。
あなたは、自己を中心に損得勘定をしてはなりません。
相手と付き合う自分の損得を考えるよりも、自分と付き合う相手の損得を考えなければならないのです。
多くを欲するだけではなりません。
多くを与えなければならないのです。
あなたによって、相手が被(こうむ)る損失と、得られる利益について考えましょう。
相手によって、自分が被る損失と、得られる利益についてばかり考えてはならないのです。
相手を批判するのをやめましょう。
相手を批判するのは、情け無い行為であるということを理解しましょう。
あなたは、相手を批判することが出来るような立場にはないのです。
あなたは、相手から自分を教わる立場にあるのです。
謙虚(けんきょ)に教えを受ける必要があるのです。
今のあなたによって、相手にはどのような損失と利益が導かれるでしょうか?


そのことを考えていなければなりません。

2018年2月16日金曜日

他者との競争

人生というものは、誰かとの競争ではありません。
あなたは、人生を誰かと競争する必要はないのです。
自分の人生と誰かの人生を比較する必要はありません。
人生を比較するのは無意味なのです。
なぜなら、人生とは、それぞれに異なるものであるからです。
人生は、それぞれに異なった目的のために存在するのです。
人生は、それぞれに異なっているのが自然です。
異なっているものを比較することには価値がありません。
異なっているものを競争することには価値がないのです。
多くの人は、価値のないことを続けます。
人生を比較し、競争することには価値がありません。
価値がないことを続けたとしても、価値を得ることは出来ません。
価値のないことを続けているのであれば、人生には乏しさが導かれるのです。
多くの人が人生に乏しさを感じているのは、人生を比較し、競争しているからです。
競争とは、同じ目的地へと辿り着くための高め合いです。
それは、良いことのように思えます。
しかしながら、人生において重要なのは、確実に目的地へと辿り着くことであるのです。
競争して早く進んだとしても、目的地へと辿り着くことが出来なければ意味がないのです。
人生の目的地が同じであるというのであれば、比較し、競争することによって高め合うことは良いことです。
しかしながら、人生の目的地は、それぞれに異なっているものなのです。
人生の目的は、それぞれに異なっているのが自然です。
あなたの人生の目的と、他者の人生の目的は異なるのです。
あなたは自分の目的を果たす必要があり、他者は他者の目的を果たす必要があるのです。
人生の目的が異なっている以上、比較も競争も価値を失います。
誰かと競争することによって、自分の道を見失ってはならないのです。
大切なのは、道を誤らないことです。
道を誤ることがなければ、それで良いということを覚えておきましょう。
多くの人は、自分と他者を比較し、競争するために、自分の人生の目的と目的地を見失ってしまいます。
競争することによって、人は冷静さを失ってしまうのです。
相手に勝つことだけを考え、方向性を考えることを忘れます。
相手よりも早く進めば良いと思い込み、どこへ向かうのかを考えることがないのです。
頭に血が上り、視野を狭めてしまうのです。
多くの人が道を誤ります。
多くの人が、人生の目的地でない場所に向かって急いでいます。
盛(さか)りのついた獣のように、分別(ふんべつ)を失います。
大切なのは、自分の人生の目的を見失わないことです。
あなたは、他者との比較と競争の中で、自分の目的ではない目的を果たそうと躍起(やっき)になっている可能性があります。
人生に豊かさを感じることが出来ないという人は、自分の目的ではない目的を果たそうとしている可能性を疑わなければならないのです。
自分の目的を果たそうとしている時には、人生に豊かさを感じることが出来ます。
歩みが遅く、展開が乏しいとしても、自分の目的地へと向かっている時には、心は晴れやかであるのです。
そのため、人生に展開の速さを求める必要はありません。
変化は大切ですが、正しい変化が大切なのであって、間違った変化は問題となるのです。
あなたは人生の方向性を考えていましょう。
目的を見失うことなく生きているのであれば、それで良いのです。
誰かと比較するものではありません。
誰かと競争するものでもないのです。
歩みが遅く、展開に乏しいとしても、それを気にする必要はありません。
あなたは、自分の人生を生きられてさえいれば、それで良いのです。
そのことを見失ってはならないのです。
人生とは、誰かとの比較でもなければ、競争でもありません。
誰かとの比較と競争を離れた時、あなたは人生に豊かさが導かれることに気が付くでしょう。
価値のない比較と競争を離れましょう。
あなたは、誰かと同じ目的地を目指す必要はないのです。
あなたの目的地は、この世界において唯一のものなのです。
素直に歩めば、あなたは他者とは別の場所へ辿り着くことが出来るのです。
素直であることが重要なのです。
争いによっては価値が導かれないということを知りましょう。


自分の道を、自分のペースで歩みましょう。

2018年2月15日木曜日

今日

人生を豊かなものにするために必要なのは、日々を充実させることです。
日々を充実させるのは、あなたの選択です。
日々が勝手に充実することはありません。
誰かや何かによって充実するようなこともないのです。
あなたの選択によって、日々が充実するかどうかが決まるのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、日々が充実するような選択を行う必要があるということを覚えておきましょう。
すべての選択は、あなたに任されています。
環境や状況や人間関係も、あなたの選択によって決められているのです。
進むも止まるも、やるもやらないも、YESもNOも、あなたが決めることです。
どちらにしても、それはあなたの選択として人生に反映されます。
あなたは常に選んでいるのです。
あなたは、選ばなければならないのです。
何を、どう選択するのかによって、人生は大きく変わるということを覚えておきましょう。
人生の質は、あなたの選択によって決まります。
あなたの日々の過ごし方によって、人生は決まるのです。
人生を豊かにするために、あなたは一日を充実させる必要があります。
今日というこの日を充実させる必要があるのです。
大切なのは、人生には今日しか存在しないということを理解することです。
人生には、”今”しか存在しないのです。
あなたは、今日という日に生きています。
あなたは、今日という日にしか生きることが出来ないのです。
昨日や明日は存在しません。
それは、昨日や明日を生きることが出来ないからです。
あなたは、”今”という日にしか生きることが出来ないのです。
そのことを理解しておきましょう。
昨日というのは、過ぎ去った一日です。
あなたは、それを生きることは出来ません。
生きることの出来ない日を気にする必要はありません。
明日というのは、未だ来ない一日です。
あなたは、それを生きることは出来ません。
あなたには、昨日も明日も存在しません。
あなたには、今日という一日のみが存在しているのです。
あなたが今日を生きるのは確実です。
今日という日は現実なのです。
今日という日を充実させることが出来れば、昨日と明日という今日は充実するのです。
昨日と明日も今日の一部なのです。
あなたは、そのことを知りましょう。
今日を充実させることによって、昨日と明日は自ずと充実していきます。
しかしながら、今日を充実させることがなければ、昨日と明日が充実することはないのです。
あなたは、今日出来ることは今日中に行いましょう。
今日出来ることを明日に回してはならないのです。
今日出来ることは、今日行うのです。
そして、明日出来ることは明日行えば良いのです。
明日出来ることを今日行おうとすれば、今日に負担がかかります。
明日の仕事を今日行えば、今日を疎かにするということを理解しなければなりません。
無理をして充実させることは出来ません。
荷物を詰め込み過ぎれば、袋は避けてしまうのです。
明日出来ることを今日に回したり、昨日しなければならなかったことを今日行っているのであれば、今日を充実させることなど出来るはずがないのです。
昨日しなければならなかったことは、昨日の内に終わらせておきましょう。
今日出来ることは今日中に行いましょう。
明日出来ることは明日行えば良いのです。
無理な段取りを組んではなりません。
何事も余裕を以(もっ)て行わなければ、充実を導くことは出来ないのです。


昨日のことは昨日、今日のことは今日、明日のことは明日行いましょう。

2018年2月14日水曜日

罪悪感

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
あなたは、自分の人生を放棄することは出来ません。
誰かの人生を代わりに生きることも、誰かが代わりに生きることも出来ないのです。
あなたは自分の人生を生き、他者は他者の人生を生きなければならないのです。
多くの人は、人生に苦しみを覚えています。
多くの人は、満たされてはいないのです。
多くの人は不満を抱えています。
多くの人は、不安に襲われているのです。
多くの人は乏しさを感じています。
多くの人は、道に迷っているのです。
多くの人が人生に苦しみを覚えるのは、自分の人生を生きていないからです。
多くの人は、自分の人生を軽んじています。
多くの人は、自分の人生を他人任せにしているのです。
あなたは、自分の道を歩むことが出来ていますか?
自分の道とは、自分に課せられた使命を全(まっと)うする生き方のことです。
自分の道は、あなたの本心が知っています。
あなたが、自分の本心に従って生きれば、自分に課せられた使命を全うする生き方が出来るのです。
人は、それぞれに使命が与えられているのです。
それは、それぞれの、この世界における役割です。
人は、この世界の歯車として生まれたのです。
誰一人として、無駄な存在はいません。
どのような人物であろうとも、この世界のために生まれたのです。
それぞれの人物が”機能”しなければ、この世界は正しく働きません。
世界が正しく働かなければ、豊かさは導かれないのです。
世界は、正しく機能してこそ、豊かさを導くのです。
世界が正しく機能するためには、自分が正しく機能しなければなりません。
自分が正しく機能するためには、自分の道を歩む必要があるのです。
人は元来(がんらい)、別々の役割を担って生まれました。
それぞれが、それぞれの役割を担うことによって、世界は正しく機能するのです。
この世界には無駄は存在しません。
あなたには、あなただけに課せられた使命が存在するのです。
あなたは、自分の性質を恥じる必要はありません。
自分と他者が違っているのが自然です。
自分と他者は、違っていなければならないのです。
あなたは、自分と他者の違いに戸惑ってしまうでしょう。
それは、自分と他者が同じであるように教育されたからです。
同じであることは、良いことのように思うかも知れません。
しかしながら、同じであることには価値がありません。
人は、別々の形(役割)で協力することに価値があるのです。
同じ能力の人物が幾ら集まったところで、何の役にも立たないのです。
別の能力の人物が集まれば、それは大きな力となることを理解しましょう。
あなたは、人と違っていることに価値があるということを理解しなければなりません。
人と違う道を進むことにこそ価値があるのです。
多くの人は、教育によって、人と違う道を歩むことに罪悪感を覚えます。
人と違う形を保つことは、悪いことだと思い込んでいるのです。
しかしながら、多様性を失った集団は必ず滅びます。
多様性にこそ可能性が存在しているのです。
多様性を失えば、同時に可能性を失うことになるのです。
あなたは、人と違う道を進むことに罪悪感を覚える必要はありません。
人と違う道を進むことに罪悪感を覚えなくても良いのです。
寧(むし)ろ、人と同じ道を歩むことに罪悪感を覚えなければならないのです。
人の道は違っているのが自然です。
自然を破壊してはなりません。
人は、自然を離れて生きることは出来ません。
誰も、自然を離れて豊かさを得ることは出来ないのです。
自分の道を歩みましょう。
進みたい道が人と違っているのであれば、それが正しい道であり、役割です。


それを見付けたのであれば、大切に歩みましょう。

2018年2月13日火曜日

唯一の現実

あなたに与えらえるのは唯一の現実です。
あなたは、現実を与えられます。
あなたには、現実を拒否する権利はありません。
それがどのような現実であろうとも、あなたは受け取らなければならないのです。
残念ながら、現実は容易(たやす)いものではありません。
現実は、あなたにとっては難しいものなのです。
すべての人にとって、導かれる現実は困難であるということを覚えておきましょう。
現実を目の当たりにして、あなたは苦しみます。
しかしながら、それは他の人も同様です。
慰(なぐさ)める訳ではありませんが、誰もが現実を前にして苦しむのです。
あなたが現実に苦しむのは当然です。
それは、未熟であるからです。
未熟である者の判断は未熟です。
それは、無知による誤解を所有しているからです。
本来ならば、現実に苦しむ必要はありません。
なぜなら、現実とは、あなたに気付きを与え、成長を促(うなが)すものであるからです。
あなたが現実に喜ぶのであれば、それが自然であるということを理解しましょう。
現実に喜ぶためには、現実を受け入れる他ありません。
多くの人は未熟さ故(ゆえ)に現実を受け入れることなく否定します。
それでは、現実の指し示す意味を理解することは出来ません。
多くの人は、現実の価値を理解することなく、それを否定しているのです。
受け入れることがなければ、意味と価値を理解することは出来ません。
所有し、体験しなければ、理解を得ることは出来ないのです。
体験してもいないことを評価することは出来ません。
体験してもいないことを理解することなど出来ないのです。
多くの人は、思い込みの自己判断によって現実を評価しています。
意味も価値も分からないのに、それを判断しているのです。
それが、どれだけ愚(おろ)かなことなのかを考える必要があるのです。
多くの人は、”分かった気”でいます。
多くの人は、浅はかな知識を事実だと思い込んでいるのです。
多くの人は、小さな世界に生きています。
多くの人は、何も知らないくせに、”知った気”でいるのです。
残念ながら、あなたは何も理解してはいません。
あなたは何も知らないのです。
知っている者が苦しむことはありません。
知っている者は喜んでいるのです。
あなたは現実に喜んでいますか?
現実に苦しんでいるのであれば、自分が無知で未熟であることを受け入れましょう。
人は、与えられた現実を生きる以外に方法はありません。
現実を否定したとしても、同じ現実が形を変えて導かれるだけです。
それは、現実は自分に相応しいからです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
原因はあなた自身です。
結果は、現実として導かれます。
人生は、あなたに相応しく展開し、因果を離れることはありません。
あなたは目の前の現実から自分の無知と未熟を学び、それを改善する必要があるのです。
現実は唯一のものです。
あなたには、それを否定することは出来ません。
あなたは、与えられた現実を生きる以外に道はないのです。
現実とは、あなたにとっての最善です。
与えられた現実以上の学びは存在しません。
目の前の現実は気に食わないものかも知れません。
人生には、幸せではない現実も存在します。
しかしながら、あなたはそれを生きなければなりません。
あなたにとって、現実は容易いものではありませんが、それを学ばなければならないということを覚えておきましょう。
現実によってあなたは成長することが出来ます。
成長することによって、それに相応しい現実が導かれます。


現実を受け入れることによって、人生が豊かさを増すということを覚えておきましょう。

2018年2月12日月曜日

力と時間

あなたの扱うことのできる力には限りがあります。
あなたに与えられた時間にも限りがあるのです。
あなたには、必要が与えられています。
しかしながら、それを超えるものは不要です。
あなたには、不要は与えられません。
あなたには、必要な力と時間が与えられているのです。
あなたは限られた力と時間によって、問題を解決し、豊かさを導かなければならないのです。
上手く扱わなければ、力も時間も不足することになります。
良く考えなければなりません。
何も考えずに、感情に従って選択するのであれば、人生には問題と停滞が導かれてしまうのです。
問題と停滞によって、あなたは苦悩と乏しさを得ることになるでしょう。
大切なのは、”浪費”に気を付けることです。
あなたは、力と時間を浪費してはなりません。
力と時間をどのように扱うのか?ということを考え、浪費しないように注意しなければならないのです。
どのようなものも、浪費してはなりません。
この世界に存在するすべてを大切に扱わなければならないのです。
あなたの仕事は、役割を果たすということです。
役割を果たすというのは、貢献するということなのです。
すべての存在は貢献するために存在しているのです。
あなたは役立てなければならないのです。
あなたの力と時間も、世界に貢献するために存在しているのです。
あなたは力と時間を役に立たないことのために扱ってはならないのです。
あなたの力と時間は、何かに役立つように扱わなければならないということを覚えておきましょう。
多くの人は、自らに与えられた力と時間を浪費しています。
多くの人は、自らに与えられた力と時間を役立たせることが出来ていないのです。
多くの人は、起きてもいないことを心配し、不安に陥(おちい)ることに力と時間を使っています。
あなたは、未来に生きることは出来ません。
未来に起きるかも知れないことを心配する必要はないのです。
そして、未来を不安に思う必要もないのです。
なぜなら、あなたの心配する出来事は実現しないかも知れないからです。
その問題は起こらないかも知れないのです。
あなたの考える未来は、思い込みの妄想(もうそう)に過ぎません。
あなたの妄想が実現するような世界ではないのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたには、因果の仕組みを理解することが出来ません。
あなたは、自らの抱える原因を理解することは出来ないのです。
そのため、どのような結果が導かれるのかも理解することは出来ません。
未来とは、妄想による推測(すいそく)でしかないのです。
多くの人は、存在しない未来に対して、心配や不安を行います。
それには、力と時間が費やされているのです。
存在しないものに対して力と時間を費やすというのは、力と時間を溝(どぶ)に捨てるようなものなのです。
多くの人は未来に怯(おび)え、過去に苦しんでいます。
多くの人は、未来と過去が好きです。
多くの人は、存在しないものに対して、力と時間を浪費する(溝に捨てる)ことが好きなのです。
未来と過去に力と時間を費やすことは、現在を蔑(ないがし)ろにする行為です。
現在に力と時間を費やすことがなければ、目の前には問題が導かれます。
目の前に問題が導かれたとしても、力と時間は未来と過去に浪費されています。
そのような人が、目の前の問題を解決することは出来ないのです。
未来と過去に生きる人にとって、目の前の問題は難しいのです。
大切なのは、”今”を生きることです。
あなたは、現在に対して力と時間を費やさなければならないのです。
目の前の現在に、それは起こっているのです。
目の前で起こっていることを無視して、起きてもいないことを心配することはやめましょう。
力と時間の無駄です。
大切なのは、目の前の現実に対して、真摯(しんし)に向き合うことなのです。
力と時間は、妄想ではなく、目の前の現実に費やさなければならないのです。
未来や過去を思い煩(わずら)うことによって、あなたが幸福でいられるでしょうか?
寧(むし)ろ、あなたは不幸になってしまうのです。
目の前の現実を大切に扱いましょう。
それがどのようなものであろうとも、あなたにとっては必要であり、最善なのです。
あなたは、目の前の現実から学ばなければならないのです。
力と時間には限りがあります。
人生は、あなたが力と時間を浪費しないように苦悩という制度を設けたのです。
そのため、苦悩しているのであれば、力と時間の費やし方が間違っているということなのです。
苦悩するのをやめましょう。
苦悩するのであれば、別のことに力と時間を費やしてみましょう。


執着(しゅうちゃく)を離れましょう。

2018年2月11日日曜日

嫌いなことの意味と価値

人生には、大切な意味があります。
人生は、最善によって構成されています。
何一つとして、無駄は存在しません。
何一つとして、無意味は存在しないのです。
すべての状況に意味があり、それはあなたにとっての最善であるということを覚えておかなければなりません。
すべての人は問題と出会います。
そして、すべての人が問題を苦悩とするのです。
すべての人は苦悩と共に生きるのです。
そして、多くの人は苦悩に執着します。
多くの人は、苦悩を手放そうとはしません。
それは、その人にとって、苦悩することに意味があり、それが最善であるからです。
多くの人は苦悩を嫌いますが、あなたが苦悩と共に生きているのであれば、それを嫌ってはなりません。
それを嫌うということは、そこに存在している意味を学ばないということだからです。
大切なのは、苦悩にも、幸福と同じ役割が内在されているということです。
多くの人は、好きなことには価値があり、学びがあり、成長があると考えています。
しかしながら、そのように考えて好きなことだけを求めた者は苦悩を得るのです。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
本質は、陰と陽が一つであるということなのです。
陰陽のどちらかが欠けたとしても、本質を得ることは出来ません。
そのため、好きなことだけを求めたとしても、豊かさを得ることは出来ないのです。
大切なのは、嫌いなことの意味を理解することによって、好きと嫌いの陰陽のバランスを整え、本質を得ることなのです。
嫌いなことや悪いことにも、大切な意味と価値があるということを理解しましょう。
そして、問題を抱え、苦悩を覚えたとしても、いつまでもそれに執着しないように計(はか)らうのです。
好きなことだけではなく、嫌いなことにも意味と価値を見出すことが出来れば、あなたが苦悩に落ち込むことはないのです。
あなたは、落ち込むことなく学ばなければなりません。
あなたは、楽しく生きていなければならないのです。
もちろん、楽しめなければ、楽しく生きる必要はありません。
その時には、苦しみを生きれば良いのです。
しかしながら、あなたはそれでも生きていなければなりません。
生きている間は、前に進み続けなければならないのです。
希望が見えなくても、暗闇の中を前進するのです。
命は、あなたに生きることを望んでいます。
命は、無条件にあなたを生かそうとするでしょう。
人生は、あなたに学ぶことを望んでいます。
人生は、無条件にあなたに学ばせようとするのです。
人生の目的は成長することです。
それは、本質を得るためなのです。
あなたは本質を得なければならないのです。
本質を理解することによって、あなたは豊かさを得ることが出来るのです。
”人生とは、何ですか?”
”あなたは、何ですか?”
この問いに答えることなく、豊かさを得ることは出来ません。
この問いは本質を問うているのです。
しかしながら、あなたには答えることが出来ません。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたは未熟であるために、学ばなければならないのです。
あなたが未熟であることも、学ばなければならないことも仕方のないことです。
それが現実なのです。
あなたの人生からは、好きなことも嫌いなことも無くなりはしません。
あなたは、好きなことと嫌いなことと、共に生きなければならないのです。
好きなことを残して、嫌いなことを手放そうとしても無駄です。
それは、あなたが未熟であり、学ばなければならないからです。
嫌いなことはあって自然です。
嫌いなことがなければ、困るのはあなたなのです。
好きなことと同じように、嫌いなことも大切にしましょう。


どちらにも、大切な意味と価値があるということを忘れてはなりません。

2018年2月10日土曜日

紐の結び方

人は、人生を結びます。
それは、紐(ひも)のように結ばれているのです。
結び目は現状を現します。
人は、それを自らの手で結ぶのです。
あなたは、自分で自分の現状を選択します。
あなたが自分で人生を結ぶのです。
誰かや何かが結ぶのではありません。
どのような現状(人生)も、あなた次第なのです。
すべての人は幸福を求めています。
それは、幸福ではないからです。
所有していないから求めるのです。
すべての人は、幸福に不足しているのです。
人が幸福でないのは、未熟であるからです。
すべての人は無知であり、誤解を抱えているのです。
人は、幸福の結び方を知りません。
そのため、幸福ではないのです。
多くの人は不満や不安を吐きます。
多くの人は、不足を抱えているのです。
多くの人は、現状を不幸だと考えているのです。
それは、結び方が間違っているためです。
紐は、用途に合わせて結び方を変えなければなりません。
紐を上手く結ぶことが出来れば、物事は順調に進むでしょう。
しかしながら、紐を上手く結ぶことが出来なければ、問題が生じます。
紐が解(ほど)けてしまったり、絡まっていて使い物にならなければ、それは苦悩を導くことになるのです。
正しく結ぶことが出来なければ、正しく解くことも出来ません。
多くの人は、無知と誤解によって紐を上手く扱うことが出来ないのです。
状況に応じて、結び方を改める必要があります。
しかしながら、無知と誤解によっては、結び方を改めることは出来ないのです。
大切なのは、正しい結び方を知ることです。
いい加減に結んだのは良いが、解けなくなるようではなりません。
状況は常に変化しています。
変化した状況に対応しなければ、問題と苦悩が生じるのです。
多くの人は、自らの考え方や生き方、価値観を固く結びます。
多くの人は、自らの無知や誤解に執着しているのです。
無知や誤解に執着している状態であっては、状況に対応することは出来ません。
多くの人は、状況が変わったにもかかわらず、役に立たない古い考え方や生き方や価値観を手放そうとはしません。
多くの人は、愚かにも頑固に生き続けているのです。
覚えておかなければならないのは、自分が未熟であるということです。
あなたは、自分では良い結び方をしていると自賛(じさん)するのです。
しかしながら、その時は良くても、後に問題が生じるような結び方をしているのです。
あなたは、自分が未熟であることを認めなければなりません。
結び方が間違っているために不幸なのです。
結び方を知らないのであれば、学ばなければなりません。
学ぶためには、謙虚(けんきょ)でなければならないのです。
あなたは、学ぶ姿勢を身に付けましょう。
自分が正しいなどと考えてはなりません。
あなたが正しければ、そこには常に幸福が導かれているのです。
あなたが不幸なのは、結び方が間違っているからです。
あなたは、間違った方法で結ばれた紐を解かなければなりません。
紐は、結ばなければ絡まりません。
あなたは自分で結んだのです。
現状の不幸を導いたのは自分自身です。
結び目を解くためには、結んだのと反対のことをすれば良いのです。
あなたは、自らの考え方や生き方や価値観を疑いましょう。
そして、それと反対の考え方や生き方や価値観を選択すれば良いのです。
不幸の対極には幸福が存在しています。
現状が不幸であるのならば、反対のことをすれば良いのです。
部屋が散らかっていれば、掃除すれば良いのです。
悪口を吐くのであれば、誉(ほ)めれば良いのです。
愚痴を飲み込むのであれば、感謝を飲み込めば良いのです。
反対のことをすれば、絡んだ紐も解けるのです。


あなたは、自分で人生を結んでいることを忘れてはなりません。

2018年2月9日金曜日

原因の選別

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての状況は、原因に相応しい結果です。
原因とは、あなたです。
あなたの状態や選択のすべてが、結果に対する原因となるのです。
状況は、あなたに相応しい結果です。
あなたは、自分に相応しい人生を生きるのです。
しかしながら、あなたは自分に相応しい人生を理解することが出来ません。
あなたは、自分に相応しいものを知らないのです。
それは、自分を知らないからです。
あなたは自分を知りません。
目の前の状況に対して、目の前の誰かに対して、目の前の人生に対して不満を吐いているのがその証(あかし)です。
自分を知らないために、自分に相応しいものに対して不満を吐くことが出来るのです。
自分に相応しいものとは、自分にとっての最善であり、最高です。
それ以上に良いものは存在しないのです。
あなたは、最も良いものを得ながら、不満を吐いているのです。
あなたは、自分が矛盾を生きていることに気が付きません。
人生には、より良いものが存在すると考えているのです。
しかしながら、目の前の人生以上に良いものなど存在しません。
それは、人生が自分に相応しいからです。
場所や人間関係や生活を変えたとしても、あなたには、同じ状況が導かれるのです。
人は、自分に相応しくないものを手にすることは出来ないのです。
それがどのような状況や人生であれ、あなたに相応しいために導かれています。
あなたが納得する必要はありません。
それは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
あなたには、理解が及(およ)ばないのです。
そのため、納得することは出来ません。
無理なことをする必要はないのです。
目の前に導かれる状況に対して、あなたが納得する必要はありません。
あなたは、自分に出来ることをしなければならないのです。
あなたに出来ることといえば、目の前に導かれる状況を学ぶことです。
学ぶことなら、誰にでも出来ます。
学ぶのは、納得するためです。
学ばなければ、納得することが出来ないのです。
多くの人は、学ぶ前に納得しようとしますが、それは不可能なことなのです。
納得するためには、学ばなければなりません。
四の五の言わずに学べば良いのです。
それ以外のことは出来ないのです。
あなたは自分を知りません。
そして、自分に相応しいものを知りません。
目の前の状況に対して、それ等を学ばなければならないのです。
人生には、何が起きるのか分かりません。
あなたには、理解することが出来ないのです。
あなたに出来ることは学ぶことと、原因を選択することなのです。
人生を豊かなものにしたければ、原因を選別しなければなりません。
豊かさという結果を導くためには、それに相応しい原因を選択する必要があるのです。
あなたは、良い原因を選択し、それを積み重ねなければなりません。
良い原因とは、良い結果に相応しいものなのです。
愛されるに相応しい人は、愛しています。
喜ばれるに相応しい人は、喜んでいます。
豊かさに相応しい人は、豊かに生きているのです。
人生には何が起きるか分かりませんが、良い原因を積み重ねていれば、苦悩を免(まぬが)れることが出来ます。
良い原因を積み重ねていない者に導かれる状況は、苦悩を導く問題となるのです。
良い実を結ぶ樹を植えなければなりません。
悪い実を結ぶ樹を植えるのであれば、悪い実を収穫し、それを腹に収めなければならないのです。
悪い実は、腹の中でも悪いのです。
あなたは苦悩することになるでしょう。
良い実を結ぶ樹を植えましょう。
それは、あなたの腹にも良いものなのです。

あなたは、自らが求める結果に対して、矛盾しないように生きましょう。

2018年2月8日木曜日

美しい音楽

人生を豊かなものにするためには、人生が孤独な道であるということを理解しなければなりません。
あなたは、孤独を生きているということを理解しましょう。
多くの人は、自分が孤独を生きていることを知りません。
誰かと共に生きていると思っているのです。
残念ながら、あなたは独りで生きています。
あなたの代わりを許されている他者は存在しません。
誰かが、あなたを幸福にしたり、不幸にすることも許されてはいません。
あなたは、自分の人生を自分で選択し、築かなければならないのです。
あなたの人生は、あなたが自力によって決めるものなのです。
すべてが自己責任です。
あなたは、孤独を生きているということを覚えておかなければなりません。
孤独を恐れる必要はありません。
なぜなら、すべての人が孤独を生きているからです。
この世界において、孤独を離れることの出来る人はいません。
すべての人が、独りの力で人生を生きているのです。
あなたは、そのことを理解する必要があるのです。
あなたの人生は、あなたの選択が決めるのです。
”奇跡”を望んだとしても、そのようなものは導かれません。
それは、この世界には、因果の仕組みが存在しているからです。
すべての結果は、それに相応しい原因によって導かれているということを忘れてはならないのです。
自らの選択によって、人生は変化するのです。
あなたは、自分の選択に気を付けなければなりません。
何を選んでも構いませんが、選んだ後に不平、不満、要求を言い立ててはならないのです。
自分の選択が導く結果を、立派に受け入れなければならないのです。
人生は孤独な道ではありますが、ただ、孤独であるということではありません。
自分勝手に振る舞えば、状況は乏しさを得るのです。
大切なのは、全体を見失わないことです。
あなたは、全体から離れてはなりません。
孤独とは、全体の一部です。
孤独である時には、一部としての質を高めなければなりません。
それは、全体のためです。
すべての人は全体を無視することが出来ません。
それは、全体があってこその一部だからです。
あなたという存在は、全体の一部なのです。
一部は全体のために存在します。
一部が一部のために存在するということはないのです。
全体は、部分よりも高尚(こうしょう)です。
それは、オーケストラのようなものなのです。
それぞれの楽器は、それぞれの楽譜(がくふ)を与えられます。
それぞれの楽器は、自らの特徴を最大限に発揮して、与えられた楽譜を演奏するのです。
それぞれの楽器は、全体のために演奏を行います。
それは、結果的に自分のための演奏となるのです。
それぞれの楽器が手を抜けば、全体は美しい音楽を生み出すことが出来ないのです。
それぞれの楽器が、与えられた楽譜を懸命に演奏するからこそ、全体は美しい音楽を生み出すことが出来るのです。
人は孤独を生きています。
人は、孤独を生きなければなりません。
それは、全体のためです。
あなたは全体のために、孤独を懸命に生きる必要があるのです。
あなたは全体性を見失ってはなりません。
豊かさは、孤独を歩む者が全体性を見出した時にこそ導かれるのです。
多くの人は、自分のために生きています。
しかしながら、自分のために生きることには限界があるのです。
好きなものを食べても、自分のためであれば、すぐに満腹を得てしまうでしょう。
しかしながら、誰かに自分の好きなものを食べさせるのであれば、そこに限界はないのです。
全体は、部分よりも高尚です。
あなたの人生は、全体のためにあるのです。
利己主義にも、利他主義にも陥(おちい)ってはなりません。
全体のために孤独があり、孤独のために全体があるということを覚えておかなければなりません。
あなたは、世界のために孤独を生きるのです。
そして、孤独のために世界を生きるのです。
あなたは非凡(ひぼん)ではありますが、平凡(へいぼん)でもあります。
全体性を見失ってはなりません。
部分性も見失ってはならないのです。
当たり前のことを大切に扱わなければなりません。


人生が孤独の道であることを理解し、全体に貢献することの出来る自分を育てましょう。

2018年2月7日水曜日

公平

あなたは、この世界が公平であることを理解しなければなりません。
この世界の一切は、公平に扱われます。
特別は存在しません。
すべてが、理(ことわり)に従って公平に扱われるのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
多くの人は、特別が存在していると思い込んでいます。
多くの人は、この世界が不公平な場所だと思い込んでいるのです。
それは、思い通りにいかないからです。
人は、理想を追い求めています。
理想とは、要求です。
多くの人は、自分の要求が通ることを望んでいるのです。
多くの人にとって、他者の成功は心地好いものではありません。
多くの人は、他者の成功を恐れているのです。
それは、他者が成功することによって、自分を蔑(さげす)むからです。
多くの人は、自分と他者を比較します。
多くの人は、自分と他者を同一視しているのです。
多くの人は、自分と他者を別の存在として考えることが出来ません。
どうしても、比較してしまうのです。
多くの人は、他者に理想を反映します。
そして、他者に反映した理想と、自分の現状とを比較することによって、自己憐憫(じこれんびん)に陥(おちい)るのです。
それは、歪んだ認識であり、歪んだ感情を引き起こします。
そのため、多くの人は、世界を不公平な場所だと思い込むのです。
この世界には、豊かな人生を生きる人と、乏しい人生を生きる人が存在しています。
両者は、隣り合わせに生活しています。
豊かな人生を生きる人も、乏しい人生を生きる人も、同じ場所で生活しているのです。
豊かな人生を生きる人だけが暮らす場所など存在しません。
乏しい人生を生きる人だけが暮らす場所も存在しないのです。
どこであろうとも、豊かな人生を生きる人がいれば、乏しい人生を生きる人もいるのです。
それは、この世界が公平であることの証明です。
人生を喜んでいる人の隣には、人生を嫌っている人がいます。
すべての人は、理に従った現状を得るのです。
理が人を選ぶのではありません。
人が、理を選ぶのです。
豊かな人生を生きる人は、喜びを選んだのです。
乏しい人生を生きる人は、苦しみを選んだのです。
ただ、それだけのことなのです。
この世界は公平です。
人は、自分の選んだ結果を受け取ることが許されているのです。
あなたは、この世界には因果の仕組みが存在しているということを理解しなければならないのです。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
あなたの現状は、あなたの選択の結果であるということを理解しなければならないのです。
自らを顧(かえり)みれば、現状が当然の結果であるということを理解することも出来るでしょう。
理解が及(およ)ぶのは簡単なことではありませんが、考え続けることによって、理解することが出来るのです。
あなたは、自分の態度を思い出してみましょう。
豊かな人生を生きているのであれば、喜びを選んでいるはずです。
現状に対して喜ぶ者は、必ず豊かな人生を得るのです。
乏しい人生を生きているのであれば、苦しみを選んでいるはずです。
現状に対して苦しむ者は、必ず乏しい人生を得るのです。
すべては当然の結果です。
なぜなら、この世界には不公平は存在しないからです。
人は、自らの選択によって人生を決めるのです。
誰かや何かによって人生が決まることはありません。
誤解してはなりません。
この世界は公平です。
この世界には特別は存在しません。


この世界には、当然しか存在しないということを理解しましょう。

2018年2月6日火曜日

幸福の材料

すべての人は幸福を求めています。
幸福とは、人生の自由度です。
人生の自由度が高まることによって、人は目的を果たす可能性が高まります。
人生の自由度が低まることによっては、目的を果たすことが難しくなるのです。
自由とは、自分勝手ということではありません。
当然、自由には責任が付き添(そ)います。
責任を果たすことによって自由が得られます。
無責任な者には、自由が与えらえることはないのです。
責任とは、不自由のことです。
自由には、必ず不自由が付き従うのです。
自由だけを手に入れることは出来ません。
光を浴びる時には、必ず影が生じるのです。
光だけを得ることは出来ません。
あなたは必ず、影を引き連れるのです。
自由には、責任という不自由が同時に存在します。
あなたが自由を得るためには、不自由をも得る必要があるのです。
責任という名の不自由を果たさない者が自由を得ることは出来ません。
あなたが自由を必要としているのであれば、同時に不自由を必要とすることを覚えておきましょう。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
陰と陽は相反する二つの性質でありますが、それは一つの存在なのです。
あなたには、それを否定する力は与えられていません。
あなたは必ず、陰と陽の相反する二つの性質を受け取る必要があるのです。
大切なのは、バランスを保つことです。
あなたは、良いものだけを取ることは出来ません。
良いものに加えて、悪いものも取らなければならないのです。
多くの人は、強欲です。
良いものは喜んで貪(むさぼ)り取りますが、悪いものは忌(い)み嫌って拒絶するのです。
そのため、良いものばかりが蓄積(ちくせき)されます。
多くの人は良いものが積み重なることを喜びます。
しかしながら、それではバランスを崩してしまうのです。
良いものが崩れ落ちれば、そのすべてが悪いものとなるのです。
強欲な人は、良いものを積み重ねた分、悪いものを受け取らなければならないのです。
人生には、何が起こるのか分かりません。
結果がどのようなものになるのか、あなたには隠されているのです。
しかしながら、あなたは原因を知っています。
あなたは、自分がしたことは分かっているのです。
原因がどのような結果として導かれるかを知ることは出来ませんが、推測(すいそく)することは可能です。
ある程度の材料を見れば、何が出来上がるのかを推測することは出来るのです。
あなたの(心の中も含めた)行いが、必ず導かれます。
幸福を求めることは良いことです。
しかしながら、強欲によって良いものだけを貪り取ることは、悪い報(むく)いが導かれるということは覚えておかなければなりません。
自由を得るためには、責任(不自由)を果たさなければなりません。
不自由は、自由の材料です。
不自由(責任)という材料が不足すれば、自由が出来上がることはないのです。
あなたは、”ある程度”の不自由を受け入れなければなりません。
思い通りにならない状況に対して腹を立ててはなりません。
そのような状況を受け入れることによって、冷静に考え直さなければならないのです。
冷静に考え直すことによって、今までに無い知恵を導くことが出来るのです。
それが、自由を保証します。
人は、知恵によって自由を得るのです。
人は、知恵によって幸福を得るということを覚えておきましょう。
自分にとっての良いものをいくら積み重ねたとしても、あなたが自由と幸福を得ることは出来ません。
自分にとっての良いものを積み重ねることには、大きな危険性があるということを覚えておかなければならないのです。
思い通りにならない人生を否定してはなりません。
思い通りにならないから楽しいのです。
思い通りにならないから知恵を得ることが出来るのです。
思い通りにならないという不自由さによって、知恵という自由の原因が得られるということを覚えておかなければなりません。


人生は、知恵によって幸福になるのです。

2018年2月5日月曜日

熱意に手をかざす

人生を豊かなものとするためには、物事の本質に触れなければなりません。
本質に触れることなく、豊かさを得ることは出来ないのです。
多くの人は、本質を求めません。
多くの人は、自身の納得に満足しているのです。
すべての人は未熟です。
すべての人が無知であり、すべての人が歪んでいるのです。
そのため、すべての人が間違っています。
間違っているというのは、本質に触れていないということなのです。
すべての人は本質に触れることなく、判断を下します。
自分の価値観に寄り添う判断を下すことが出来ればそれで良いのです。
多くの人は本質を求めません。
多くの人は、自分に心地好い条件が整うことを望んでいるのです。
そのため、多くの人は真実を必要としてはいません。
多くの人は、それが偽りであろうとも、自分に心地好い条件を探すのです。
すべての人は未熟です。
未熟者に心地好い条件とは、本質から離れた偽りであるということを理解しなければならないのです。
本質とは、豊かさです。
人生に豊かさを求めているのであれば、本質に近付く必要があります。
本質から遠ざかることは、乏しさを導くのです。
あなたは、本質に近付く程に豊かさが増すことを理解しておきましょう。
あなたが豊かさを求めているのであれば、そのことを理解して、本質に向かわなければならないのです。
本質とは、炎に似ています。
炎に近付く程に熱を得ることが出来ます。
熱は、力を与えます。
熱が無ければ、力はありません。
力を得るためには、熱が必要なのです。
人は、本質に近付く程に力を得ます。
それは、本質に近付く程に熱意を得ることが出来るからです。
本質に近付く程に、あなたは力を得るでしょう。
本質に近付く程に、楽しみと喜びは膨(ふく)らむのです。
本質には、”気付き”が存在しています。
人は、理解を喜ぶのです。
本質から遠ざかる程に誤解は強くなります。
本質から遠ざかる程に豊かさは薄れるのです。
そのため、本質から遠ざかる者は不満や不安を抱くのです。
本質から遠ざかる者は熱意を失います。
熱意が無ければ、力がありません。
力が無ければ、問題を解決することが出来ません。
力が無ければ、人は苦悩を得るのです。
大切なのは、熱意を得ることです。
そのためには、本質へと近付かなければならないのです。
あなたは、寒い時に炎があれば手をかざすでしょう。
寒い時に炎があれば、そこへ歩み寄るはずです。
それだけのことで良いのです。
本質を求めるということは、特別なことをするのではありません。
目の前の事象に興味を抱き、疑問を問い続ければ良いだけなのです。
それだけで、あなたは力を得ることが出来るのです。
難しい方法も、特別な条件もありません。
あなたが興味を抱き、疑問を問い掛ける時、本質へと近付くことが出来るのです。
放心を選択してはなりません。
人生を気に掛けずに生きてはならないのです。
あなたは、自分が今、何をしているのか?ということを考えましょう。
それは難しいことではありません。
答えを求めるのではありません。
考えるだけなのです。
それだけで、あなたは本質に手をかざし、熱意を感じることが出来るでしょう。
小さな熱意であっても、あなたに力を与えます。
大きく求める必要はありません。
自分に相応しく求めれば良いのです。
本質を遠ざける者は苦しみと乏しさを受けます。
本質を遠ざけてはなりません。
熱意を以(もっ)て生きましょう。


自らの納得の中に生きてはなりません。

2018年2月4日日曜日

球根と花芽

あなたは、成長しなければなりません。
人生を豊かに生きるためには、自分自身の在り方が問われます。
あなたは、自分に相応しい人生を生きるのです。
あなたの現状は、あなたの状態に比例します。
人生は、あなたに起源するのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
誰も、因果の仕組みを無視することは出来ません。
人生における原因はあなたです。
自分自身が原因となり、それに相応しい結果が導かれるのです。
そのため、あなたに関係のない状況が導かれることはありません。
どのような状況であろうとも、それはあなたにとって必要な学びであるということを覚えておかなければならないのです。
自分自身に相応しい状況を得るのは、あなたが成長しなければならないからです。
人は、目の前の状況から自分自身を学ぶことが出来るのです。
あなたが成長するためには、自分自身の現状を知る必要があります。
現状を知るためには、自分自身を客観視しなければならないのです。
自分自身を顧(かえり)みることもなく、成長することは出来ないのです。
なぜなら、人が成長するためには、自分自身を改める必要があるからです。
自分自身を正しいと考えている者は、自分を改めることをしません。
自分を改める必要のない者が、成長することは出来ないのです。
すべての人は未熟です。
それは、疑いようのない事実です。
この世界には、完成した人など存在しないのです。
成長を実現するためには、自分が未熟であるということを受け入れなければならないのです。
先ずは、そこから始めなければならないのです。
あなたは、目の前に導かれる状況に対して、それを学ぶ姿勢を持ちましょう。
どのような状況が導かれようとも、それはあなたに相応しいということを理解して、学びを探すのです。
安易に否定してはなりません。
すべての状況には、あなたには隠された意図が存在しています。
あなたは、それを探し出さなければなりません。
そして、そこから自分を改めなければならないのです。
どのような人物も正しくはありません。
他者は間違っていますが、あなたも同じように間違っているのです。
すべての人が未熟であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、地中に潜む百合(ゆり)の球根のように、謙虚(けんきょ)でありましょう。
百合の球根は、姿を見せません。
それは、地中に隠されているのです。
しかしながら、百合は他の植物に負けない程に高く成長し、後に大きく美しい花を咲かせます。
そして、枯れた後に高い場所から種を蒔(ま)くのです。
百合は、球根の何十倍もの花芽を伸ばし、美しい大輪の花を咲かせるのです。
百合の球根は深く埋まる程に、花芽は高く、花は美しいものとなるのです。
人もこれと同じです。
謙虚である者は、自らを改めることが出来るでしょう。
しかしながら、傲慢(ごうまん)に陥(おちい)った者は、自らを正しいと思い込み、自らを改めることがありません。
自らを改める者は成長し、自らを改めない者は停滞するのです。
自らを改める者は高く伸び、自らを改めない者は低く縮むでしょう。
植物は高く成長します。
それは、その方が豊かさに有利であるからです。
高く成長した方が、高い場所に枝葉を伸ばすことが出来ます。
高く成長した方が、高い場所に花を咲かせることが出来るのです。
高く成長した方が、高い場所から種を蒔くことが出来るでしょう。
高い場所から種を蒔くことによって、より良い地を得ることが出来るのです。
人は、成長することによって豊かさを得るでしょう。
しかしながら、成長することのない者は乏しさを得なければなりません。
成長しない者は、良いものを得られないのです。
成長しない者は、悪いものを得なければなりません。
そして、それに我慢しなければならないということを覚えておきましょう。
あなたは、謙虚によって自らを低めましょう。
そして、改善によって自らを高めるのです。
根は深く、枝葉は高く、花は美しく咲かせるのです。
謙虚さと志(こころざし)を以(もっ)て、豊かな人生を築きましょう。



2018年2月3日土曜日

自分の形

すべての人は幸福を求めます。
幸福とは、人それぞれに異なる形をしています。
そのため、幸福には決められた形はありません。
人は、それぞれの幸福を欲しているのです。
あなたは、自分に相応しい幸福を求めなければなりません。
誰かの求める幸福の形が、あなたにとっての幸福であるとは限りません。
それは、自分の形がそれぞれに異なっているからです。
人は、自分に相応しい幸福を求めます。
自分に相応しくないものを当て嵌(は)めたところで、それを幸福と認識することはないのです。
あなたは、自分に相応しい幸福を見極めなければなりません。
自分に相応しくないものを懸命に求めたとしても、それによって幸福を得ることは出来ないのです。
自分に相応しくないものを手に入れたとしても、あなたがそれによって幸福を感じることはありません。
相応しくないものは、どのように工夫しても相応しくないのです。
人が魚のように水中で生活することは相応しくありません。
人は、大地を歩むことが相応しいのです。
それは、人と魚の形が異なっているためです。
人は人としての形を持ち、魚は魚としての形を持ちます。
人が水中に没することは不幸ですが、魚が大地に打ち上げられることも不幸なのです。
人が大地に居ることは幸福ですが、魚が水中に居ることも幸福なのです。
人には人の道があり、魚には魚の道があるのです。
あなたには、あなたの道があります。
他者には、他者の道があるのです。
あなたの自分の形と、他者の自分の形は異なっています。
人はそれぞれに自分の形を持っているのです。
自分の形は一つとして同じものはありません。
そのため、幸福の形は必ず異なるということを理解しなければならないのです。
誰かの幸福の形を求めたとしても、あなたが幸福を得るとは限りません。
多くの財産によって幸福を得られる人もいれば、財産を必要とせずに幸福を得られる人もいるのです。
多くの友人によって幸福を得られる人もいれば、孤独によって幸福を得られる人もいるのです。
人は、それぞれの幸福を必要としています。
幸福の形は、それぞれに異なっていて良いのです。
幸福の形は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
あなたはそのことを理解しましょう。
誰かを羨(うらや)む必要はありません。
誰かと自分を比較する必要もありません。
自分の形が異なっているのです。
自分に相応しい幸福の形が同じであるはずがないのです。
誰かの幸福の形を自分の形に当て嵌めようとしても、当て嵌まることはありません。
人は人、自分は自分なのです。
あなたは、自分を見詰めなければなりません。
他者を見詰めてはなりません。
あなたは常に自分と向き合っているのです。
あなたは常に、自分の形を研究しているということを理解しましょう。
他者を見詰める先には、いつも自分が存在しているということを知りましょう。
あなたは他者を通じて、自分自身を見ているのです。
それは、幸福を得るためです。
他者の幸福の形は、あなたの幸福にはなりません。
とある機械の部品を別の機械に流用することは難しいのです。
その機械には、専用の設計が成されているからです。
自分を知ることが重要です。
あなたの幸福の形は、あなたが見付け出さなければなりません。
それは、あなただけが自分の形を見付け出すことが出来るからです。
人生だけが、あなたの自分の形を知っているのです。
人生は、あなたにとっての必要な状況を導きます。
それは、あなたに自分の形を見付け出させるためです。
あなたは目の前の現実に向き合いましょう。
そうすれば、あなたは自分と向き合うことになるでしょう。
自分と向き合うことによって、自分の形に触れ、その一端(いったん)を知ることが出来るでしょう。
あなたは自分を知り、自分にとっての必要や価値を知るのです。
自分にとっての必要や価値こそが、自分に相応しい幸福の形なのです。
自分の形を知りたければ、目の前の現実と向き合いましょう。
幸福の形を知りたければ、自分と向き合いましょう。



2018年2月2日金曜日

身に覚えのない願い

人生を創造するのはあなたの仕事です。
人生は、あなたの選択によって築かれていくのです。
人生が、あなたの選択を無視することはありません。
すべての状況は、あなたが自分の意思で選んだ結果なのです。
すべての状況が、当然の結果であるということを覚えておかなければなりません。
人生には、あなたに関係の無い状況は存在しません。
身に覚えのないような状況であろうとも、それはあなたの選択の結果であるのです。
多くの人は、目の前に導かれる状況を否定します。
それは、身に覚えがないからです。
目の前に導かれる状況に対して、困惑(こんわく)しているのです。
多くの人は、目の前に導かれる状況を受け入れることが出来ません。
それは、難癖をつけられているような感覚なのです。
難癖をつけられる方は、その理由を理解することが出来ません。
それは、自分が正しいと思った選択であるからです。
自分では正しいと思っているにもかかわらず、それを難癖とされるのは納得がいかないのです。
そのため、身に覚えのないような状況を前にして、困惑してしまうのです。
あなたが、目の前に導かれる状況を受け入れることが出来ないのは仕方のないことです。
それは、認識の行き違いがあるからです。
すべての人は、人生を誤解しています。
すべての人は、自分が何をしたのか?を知らないのです。
そのため、導かれる状況に対して、否定を選択してしまうのです。
あなたには、受け入れ難い状況があるでしょう。
それは、身に覚えのないものだからです。
納得することが出来れば、あなたはどのような状況であっても受け入れることが出来るのです。
目の前に導かれる状況を受け入れることは大切です。
なぜなら、その選択によって人は成長することが出来るからです。
あなたが成長することによって、人生は豊かさを得るのです。
あなたの成長に合わせて、人生の豊かさも決まるのです。
成長するためには、人生に対する誤解を手放さなければならないのです。
人生に対する誤解とは、人生を創造するのが自分以外の誰かや何かであるという考えです。
残念ながら、人生を創造するのはあなたの仕事です。
誰かや何かがあなたの代わりに人生を創造することは出来ません。
そのように見えているだけです。
すべての状況は、あなたの願いであるということを理解しなければなりません。
目の前に導かれるすべての状況は、あなたが願い求めた状況であるのです。
身に覚えが無くても、あなたがそれを願ったのです。
多くの人は、幸福を求めていながら不満を吐きます。
不満を吐いている時や場所には、幸福が存在することは出来ません。
多くの人は、この矛盾に気が付いていないのです。
そのため、自分の願いにも気が付きません。
あなたは、不満によって、文句によって、愚痴(ぐち)によって、嘆(なげ)きによって、悪口(あっこう)によって、人生を願います。
人生は、あなたの願いの通りに状況を導くのです。
言っておきますが、人生があなたを無視することも、無視したこともありません。
すべては、あなたに相応しいのです。
そのことを理解し、自分を改めなければならないのです。
あなたは、自分に相応しい人生を生きます。
人生は、あなたの願いを聞き続けています。
あなたが口の中で吐いた言葉であっても聞き逃しはしません。
あなたが心の中で思った感情であっても見逃しはしないのです。
人生は、常にあなたを思い遣(や)るのです。
あなたが自分に相応しい人生を生きることが出来るように手助けをしているのです。
あなたは、自分を受け取ります。
目の前に導かれるすべての状況は、あなた自身の在り方なのです。
目の前に導かれる状況によって、あなたは自分自身を顧(かえり)みることが出来るのです。
自分自身を顧みることは、成長するための基礎(きそ)です。
自分を顧みることをしない者は、成長することは出来ません。
状況は、自分に相応しく導かれます。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
身に覚えのない状況であろうとも、それが導かれている事実を受け入れましょう。
目の前の現実を真摯(しんし)に受け止め、謙虚に学びましょう。


人生の豊かさと幸福を必要としているのであれば、目の前の現実を学び、成長することは必要不可欠なのです。

2018年2月1日木曜日

多様性を愛する

人は、誰もが正義を掲げています。
人は誰もが、自分の信じる正義に従って生きるのです。
正義とは、偏見に過ぎません。
人が正義を振り翳(かざ)す時には、対極には敵が存在しているのです。
敵が存在しなければ、正義は存在することが出来ません。
偏(かたよ)ることがなければ、正義は正義としての形を保つことが出来ないのです。
誰もが正義に従います。
それは、誰もが偏見を所有しているということなのです。
この世界において、偏見を所有しない人は存在しません。
どのような人物であっても、必ず偏見を所有しています。
すべての人が無知であり、未熟なのです。
そのため、必ず偏ります。
中には、偏りの少ない者もいますが、それでも偏っているのです。
人は、自らの偏見に従います。
そして、自分と似ている者を認めるのです。
人は、正義によって仲間を集めるのです。
仲間とは、偏見によって集う同類のことなのです。
多くの人にとっての仲間とは、同属のことなのです。
正義の形が共通していれば、それを仲間と見做(みな)します。
同じものを見て、同じものを信じている者を仲間と考えるのです。
多くの人は、同類で集まることを良いことだと考えます。
しかしながら、同類で集まることには、リスクが存在しているということを理解しなければならないのです。
同類で集まることのリスクとは、多様性を失うということなのです。
人生を豊かなものにするためには、多様性が必要です。
しかしながら、正義は多様性を嫌います。
正義は、一様を求めているのです。
そのため、自分とは異なるものを敵と見做すのです。
正義に従っていれば、多様性を失うということを覚えておきましょう。
正義を掲げている人は、小さな世界を生きています。
それは、同類で集まっているからです。
この世界には、様々な種類が存在しています。
例えば、自分が人間という属(ぞく)であるとするのであれば、他の動植物を敵とする正義も生まれてしまうでしょう。
自分が特定の宗教に属し、多様性を認めないのであれば、他の宗教を敵とする正義に従わなければなりません。
世界には、多様性が存在しています。
それは、未熟なあなたにとって必要であるからです。
未熟者は、多様性を嫌います。
未熟者は、狭い世界に生きることで自尊心を保とうとしているのです。
それは、狭い世界では、自分の小ささを知らずに済むからです。
狭い世界では、人は偉そうに振る舞っていられるのです。
しかしながら、広い世界では威張(いば)っていることは出来ません。
多様性の中では、正義は通用しないのです。
正義が通用するのは、狭い世界の中だけであるということを理解しましょう。
狭い世界に生きる者は、下らない正義と自尊心に酔い痴(し)れます。
しかしながら、それは幻想に過ぎないのです。
狭い世界に生きることは、限られた知識と手段を用いなければならないということです。
限られた知識と手段では、目の前の問題を解決することは出来ません。
それは、限られた知識と手段とは誤解だからです。
限られた知識と手段では、苦しむ以外に方法はないのです。
狭い世界で生きる者は、必ず乏しい人生を生きることになります。
それは、狭い世界の限られた情報以外には知り得ないからです。
あなたが豊かな人生を必要としているのであれば、狭い世界を手放さなければなりません。
広い世界の多様な情報に触れ、より良い知識と手段を用いなければならないのです。
多様性があなたの人生に可能性を導きます。
正義に従っている者は、可能性を失ってしまうのです。
あなたは、自分に似ている者ばかりを集めてはなりません。
あなたに手向かう者も同じように集めなければなりません。
正義に陥(おちい)らないように注意しておきましょう。
多様性を愛しましょう。


広い世界を生きるのです。