人は、誰もが正義を掲げています。
人は誰もが、自分の信じる正義に従って生きるのです。
正義とは、偏見に過ぎません。
人が正義を振り翳(かざ)す時には、対極には敵が存在しているのです。
敵が存在しなければ、正義は存在することが出来ません。
偏(かたよ)ることがなければ、正義は正義としての形を保つことが出来ないのです。
誰もが正義に従います。
それは、誰もが偏見を所有しているということなのです。
この世界において、偏見を所有しない人は存在しません。
どのような人物であっても、必ず偏見を所有しています。
すべての人が無知であり、未熟なのです。
そのため、必ず偏ります。
中には、偏りの少ない者もいますが、それでも偏っているのです。
人は、自らの偏見に従います。
そして、自分と似ている者を認めるのです。
人は、正義によって仲間を集めるのです。
仲間とは、偏見によって集う同類のことなのです。
多くの人にとっての仲間とは、同属のことなのです。
正義の形が共通していれば、それを仲間と見做(みな)します。
同じものを見て、同じものを信じている者を仲間と考えるのです。
多くの人は、同類で集まることを良いことだと考えます。
しかしながら、同類で集まることには、リスクが存在しているということを理解しなければならないのです。
同類で集まることのリスクとは、多様性を失うということなのです。
人生を豊かなものにするためには、多様性が必要です。
しかしながら、正義は多様性を嫌います。
正義は、一様を求めているのです。
そのため、自分とは異なるものを敵と見做すのです。
正義に従っていれば、多様性を失うということを覚えておきましょう。
正義を掲げている人は、小さな世界を生きています。
それは、同類で集まっているからです。
この世界には、様々な種類が存在しています。
例えば、自分が人間という属(ぞく)であるとするのであれば、他の動植物を敵とする正義も生まれてしまうでしょう。
自分が特定の宗教に属し、多様性を認めないのであれば、他の宗教を敵とする正義に従わなければなりません。
世界には、多様性が存在しています。
それは、未熟なあなたにとって必要であるからです。
未熟者は、多様性を嫌います。
未熟者は、狭い世界に生きることで自尊心を保とうとしているのです。
それは、狭い世界では、自分の小ささを知らずに済むからです。
狭い世界では、人は偉そうに振る舞っていられるのです。
しかしながら、広い世界では威張(いば)っていることは出来ません。
多様性の中では、正義は通用しないのです。
正義が通用するのは、狭い世界の中だけであるということを理解しましょう。
狭い世界に生きる者は、下らない正義と自尊心に酔い痴(し)れます。
しかしながら、それは幻想に過ぎないのです。
狭い世界に生きることは、限られた知識と手段を用いなければならないということです。
限られた知識と手段では、目の前の問題を解決することは出来ません。
それは、限られた知識と手段とは誤解だからです。
限られた知識と手段では、苦しむ以外に方法はないのです。
狭い世界で生きる者は、必ず乏しい人生を生きることになります。
それは、狭い世界の限られた情報以外には知り得ないからです。
あなたが豊かな人生を必要としているのであれば、狭い世界を手放さなければなりません。
広い世界の多様な情報に触れ、より良い知識と手段を用いなければならないのです。
多様性があなたの人生に可能性を導きます。
正義に従っている者は、可能性を失ってしまうのです。
あなたは、自分に似ている者ばかりを集めてはなりません。
あなたに手向かう者も同じように集めなければなりません。
正義に陥(おちい)らないように注意しておきましょう。
多様性を愛しましょう。
広い世界を生きるのです。
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