すべての人は幸福を求めます。
幸福とは、人それぞれに異なる形をしています。
そのため、幸福には決められた形はありません。
人は、それぞれの幸福を欲しているのです。
あなたは、自分に相応しい幸福を求めなければなりません。
誰かの求める幸福の形が、あなたにとっての幸福であるとは限りません。
それは、自分の形がそれぞれに異なっているからです。
人は、自分に相応しい幸福を求めます。
自分に相応しくないものを当て嵌(は)めたところで、それを幸福と認識することはないのです。
あなたは、自分に相応しい幸福を見極めなければなりません。
自分に相応しくないものを懸命に求めたとしても、それによって幸福を得ることは出来ないのです。
自分に相応しくないものを手に入れたとしても、あなたがそれによって幸福を感じることはありません。
相応しくないものは、どのように工夫しても相応しくないのです。
人が魚のように水中で生活することは相応しくありません。
人は、大地を歩むことが相応しいのです。
それは、人と魚の形が異なっているためです。
人は人としての形を持ち、魚は魚としての形を持ちます。
人が水中に没することは不幸ですが、魚が大地に打ち上げられることも不幸なのです。
人が大地に居ることは幸福ですが、魚が水中に居ることも幸福なのです。
人には人の道があり、魚には魚の道があるのです。
あなたには、あなたの道があります。
他者には、他者の道があるのです。
あなたの自分の形と、他者の自分の形は異なっています。
人はそれぞれに自分の形を持っているのです。
自分の形は一つとして同じものはありません。
そのため、幸福の形は必ず異なるということを理解しなければならないのです。
誰かの幸福の形を求めたとしても、あなたが幸福を得るとは限りません。
多くの財産によって幸福を得られる人もいれば、財産を必要とせずに幸福を得られる人もいるのです。
多くの友人によって幸福を得られる人もいれば、孤独によって幸福を得られる人もいるのです。
人は、それぞれの幸福を必要としています。
幸福の形は、それぞれに異なっていて良いのです。
幸福の形は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
あなたはそのことを理解しましょう。
誰かを羨(うらや)む必要はありません。
誰かと自分を比較する必要もありません。
自分の形が異なっているのです。
自分に相応しい幸福の形が同じであるはずがないのです。
誰かの幸福の形を自分の形に当て嵌めようとしても、当て嵌まることはありません。
人は人、自分は自分なのです。
あなたは、自分を見詰めなければなりません。
他者を見詰めてはなりません。
あなたは常に自分と向き合っているのです。
あなたは常に、自分の形を研究しているということを理解しましょう。
他者を見詰める先には、いつも自分が存在しているということを知りましょう。
あなたは他者を通じて、自分自身を見ているのです。
それは、幸福を得るためです。
他者の幸福の形は、あなたの幸福にはなりません。
とある機械の部品を別の機械に流用することは難しいのです。
その機械には、専用の設計が成されているからです。
自分を知ることが重要です。
あなたの幸福の形は、あなたが見付け出さなければなりません。
それは、あなただけが自分の形を見付け出すことが出来るからです。
人生だけが、あなたの自分の形を知っているのです。
人生は、あなたにとっての必要な状況を導きます。
それは、あなたに自分の形を見付け出させるためです。
あなたは目の前の現実に向き合いましょう。
そうすれば、あなたは自分と向き合うことになるでしょう。
自分と向き合うことによって、自分の形に触れ、その一端(いったん)を知ることが出来るでしょう。
あなたは自分を知り、自分にとっての必要や価値を知るのです。
自分にとっての必要や価値こそが、自分に相応しい幸福の形なのです。
自分の形を知りたければ、目の前の現実と向き合いましょう。
幸福の形を知りたければ、自分と向き合いましょう。
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