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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年9月30日日曜日

水面

すべての人は、選ばなければなりません。
人生は、選択の連続です。
あなたは、自分の人生を選択する必要があるのです。
どのような選択も、人生を形成します。
あなたは常に選択を迫られています。
そして、あなたは常に選択を下しているのです。
すべての行為が、選択であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、常に選択しているということを覚えておきましょう。
人生は、選択によって築かれます。
すべては、自分自身の選択によって決まるのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの人は、誰かや何かによって人生が左右されていると思い込んでいるのです。
確かに、他者や環境によって人生が変わるように思えるかも知れません。
しかしながら、そのように見えるだけです。
他者や環境の影響を受けたとしても、選択を下すのは自分自身なのです。
他者や環境によって、あなたの選択肢が決められる訳ではないのです。
誰と、どこで、何をしようとも、人生の責任は自分自身に任されているのです。
そのことを知らない者が、人生を誰かや何かのせいにしているのです。
責任転嫁は楽なのです。
自分が傷付かずに済みます。
誰かや何かを悪者にすれば、自分自身の愚かさと向き合わずにいられるのです。
しかしながら、それも一時のことです。
あなたは直ぐに、自分自身という現実に向き合わなければならないのです。
理想とは、自分自身を否定する行為です。
多くの人は、自分自身を否定することによって、理想と向き合います。
理想とは、自分勝手な幻想に過ぎません。
幻想と向き合ったとしても、人生の問題や苦悩が改善することはありません。
人生の問題や苦悩を改善することをしなければ、あなたが幸福や豊かさを得ることは出来ないのです。
幻想を生きてはなりません。
理想に逃れてはならないのです。
大切なのは、現実を生きることなのです。
現実においては、自分自身が人生の原因です。
あなたの選択によってのみ、人生が築かれるのです。
それ以外の要因は存在しないのです。
未熟であり、無知な人間には、誰かや何かによって人生が左右されているように思えるだけなのです。
理想と現実は異なります。
それが自然です。
それは、理想が未熟であり、現実は完璧であるからです。
目の前の現実こそが最善なのです。
目の前の現実は、あなたの選択によって築かれました。
そのことを理解し、現実を受け入れなければなりません。
選択とは、限定することです。
それは、道を定めるということなのです。
何かを得れば、何かを諦めなければなりません。
それが、選択するということなのです。
すべてを手に入れることは出来ません。
現実は、理想のようには成らないのです。
しかしながら、何かを諦めるということは、何かを得なければならないということでもあります。
そのため、何かを諦めたからといって、悲観する必要はありません。
右を諦めれば、必然的に左を得るのです。
それが、この世界の理(ことわり)なのです。
失うことを恐れてはなりません。
諦めることを悪いことだと思い込んではなりません。
手放せば、新たに得られます。
手放さなければ、新たに得ることは出来ないのです。
掻き分けた水面は元に戻ります。
しかしながら、水は掻き混ぜられているということを理解しましょう。
同じように見えたとしても、同じではありません。
覚えておきましょう。

2018年9月29日土曜日

欲と支配

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれました。
人生には、辿り着かなければならない目的地があるのです。
そして、果たさなければならない目的があるのです。
あなたは、目的地へと辿り着かなければなりません。
そして、人生の目的を果たさなければならないのです。
残念ながら、多くの人は人生に目的があるということを忘れています。
多くの人は、人生の目的を見失って生きているのです。
それが、目の前の快楽や欲望や苦悩に根ざすような生き方を助長するのです。
多くの人は、人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)る暮らしをしているのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を貪ったところで、人生に豊かさが実現することはありません。
残念ながら、そのような生き方では、人生には乏しさが実現してしまうのです。
人生に乏しさを実現するのは得策ではありません。
なぜなら、それは空しいからです。
人生には、豊かさを実現しなければならないのです。
それは、幸福なのです。
あなたは、人生を幸福に生きなければならないのです。
人生について、深く考えなければなりません。
感情的に人生を選択してはならないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に根差して生きています。
それが、人の世における”普通”であり、常識なのです。
残念ながら、人の世は、不自然であり、歪んでいます。
人の世は、自然を破壊するのです。
不自然を生きて、豊かさを得ることは出来ません。
例えば、自然環境が存在しなければ、あなたの人生も存在しないのです。
欲に根差して生きることを、多くの人は喜びます。
それは、快楽と欲望を満たしてくれるからです。
しかしながら、それは一時(いっとき)の愉悦(ゆえつ)に過ぎません。
残念ながら、この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
すべての結果は、それに相応しい原因によって実現するのです。
欲に根差し、目の前の快楽や欲望を貪れば、その結果として苦悩が実現します。
残念ながら、欲の結果は苦悩なのです。
それは、欲に根差すことは、支配を受けるということだからです。
強欲は、自由を奪うのです。
人は、欲に根差すことによって執着します。
執着は、自由を奪うのです。
そのため、欲に根差して生きれば、自由を失うのです。
人生の目的を果たすためには、自由が必要です。
何かに執着し、その場に根差すことは、あなたとあなたの人生を束縛(そくばく)するのです。
多くの人は、自由が得られずに苦しんでいます。
それは、欲に根差すからです。
自由は、人に可能性を見せます。
あなたが、人生に可能性を求めているのであれば、欲を手放し、自由を生きなければならないのです。
残念ながら、欲を手放すことは容易ではありません。
それは、人が弱いからです。
しかしながら、あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、欲を手放さなければなりません。
欲を捨てることがなければ、人は乏しさを受け取ることになるからです。
人生を心配しなくても大丈夫です。
それは、人生には、常に最善が生じているからです。
心配をしていれば、いつまで経っても欲を捨てることが出来ません。
心配と欲は同じものです。
心配だから欲が生じ、欲だから心配が生じるのです。
心配を抱えながら、豊かに生きることは出来ません。
それは、矛盾しているからです。
心配を手放しましょう。
欲に根差せば、あなたは支配を受けます。
あなたは、強欲が自由を奪うということを理解しましょう。
人生の目的を果たすために、欲に根差すことをやめましょう。
あなたは、歩み続けなければなりません。
人生の目的地へと辿り着き、目的を果たしましょう。

2018年9月28日金曜日

月の光は、蜘蛛の巣を照らす

この世は、暗闇で満ちています。
残念ながら、あなたには見えてはいません。
あなたは、暗闇の中を歩んでいるのです。
それは、容易なことではありません。
なぜなら、見えないからです。
見えていれば何でもない道であっても、見えなければ険しい道です。
暗闇の中では、人は小石にさえ躓(つまず)いてしまうのです。
暗闇の中では、人はどう歩めば良いか分かりません。
自分がどこにいるかも分からないのです。
自分の位置が分からなければ、どこへ次の足を運んで良いのかも分からないのです。
足の運びを誤れば、倒れてしまいます。
それは、問題と苦悩を導くには十分な要因なのです。
多くの人は、人生に問題と苦悩を抱えています。
それは、多くの人が暗闇の中を歩んでいるからです。
人生の目的は豊かに生きることです。
それは、暗闇を照らし、問題と苦悩を学びと幸福へと変えることなのです。
暗闇の中では、学びと幸福は問題と苦悩へと変わります。
見えなければ、それがどのようなものであろうとも、問題や苦悩となってしまうのです。
暗闇は、すべてを歪ませます。
この世界には、無駄は存在しません。
そして、無意味も無価値も存在しないのです。
この世界には、学びと幸福以外には存在していません。
しかしながら、暗闇の中では、それは、問題と苦悩へと歪んでしまうのです。
あなたの目の前に存在しているのは、問題と苦悩ではありません。
問題や苦悩だと認識している、学びと幸福であるのです。
人は、暗闇の中で偏見と誤解を生み出します。
偏見と誤解が世界を歪めてしまうのです。
暗闇の中を生きたとしても、人生は豊かさを得ません。
人生に豊かさを実現するためには、暗闇を照らす光が必要なのです。
暗闇の中では、あなたは蜘蛛の巣に引っ掛かってしまいます。
それが、人生における問題のようなものです。
蜘蛛の巣に引っ掛かることは大したことではありません。
しかしながら、それが何度も繰り返されるのであれば、あなたは気分を害し、やがては苦悩することになってしまうのです。
月明かり程度の光でもあれば、あなたは蜘蛛の巣を認識することが出来ます。
蜘蛛の巣を認識することが出来れば、それを避けることも、対処することも出来るでしょう。
月明かり程度の光があれば、もはや蜘蛛の巣は問題ではありません。
問題ではない蜘蛛の巣によって、苦悩が引き起こされることはないのです。
微かな光で良いのです。
あなたには、光が必要なのです。
あなたにとっての光とは、希望のことです。
小さな希望であっても、あなたは苦悩を避けることが出来ます。
残念ながら、問題を避けることは叶いませんが、苦悩を避けることは出来るのです。
それは、人生にとってはとても大きなことだと理解しなければなりません。
あなたは、希望の光を探さなければならないのです。
誰かに笑われるようなことでも構いません。
希望は、どれだけ小さくても希望なのです。
暗闇の中では、どんなに小さな光でも力を発揮します。
希望の力を侮(あなど)ってはなりません。
僅(わず)かでも、楽しいことを探しましょう。
欲深くあってはならないのです。
あなたには、小さな希望でも探すことは難しいかも知れません。
しかしながら、それは必ず見付かります。
星の見えない夜空であっても、探せば一つや二つは見付かるのです。
雲の切れ間には、必ず星が現れます。
途切れない雲が存在しないように、どうすることも出来ない問題や苦悩は存在しません。
必ず希望は存在します。
諦めずに探しましょう。
月明かりが蜘蛛の巣を照らし出すことを忘れてはなりません。
人生には、希望を持って生きましょう。

2018年9月27日木曜日

調和

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きています。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
それは、自分の人生を生きることが、人生の目的だからです。
人は、それぞれに必要な役割が与えられています。
人は、それぞれが必要な役割を果たさなければなりません。
それは、この世界を構築するためです。
人は、それぞれの役割を果たすことによって貢献(こうけん)することが出来ます。
貢献とは、支え合うことです。
人は、互いに支え合うことによって、世界を構築するのです。
それぞれが、自分に与えられた役割を果たし、自分の人生を生きることによって、世界には調和が生まれるのです。
この世界に調和を実現するためには、それぞれが支え合わなければならないのです。
これは、あなたの人生です。
そのことを忘れてはならないでしょう。
これが自分の人生であることを忘れてしまえば、役割を放棄することになるのです。
役割を放棄するということは、支え合うという状態が保たれないということです。
役割を放棄してしまえば、調和を実現することは出来ないのです。
それは、問題を引き起こします。
問題は、苦悩へと発展するのです。
必要な役割を放棄し、自分の人生を生きることのない者には、問題と苦悩が従います。
問題と苦悩は、人生に乏しさを実現してしまうのです。
それを避けることは出来ません。
必要な役割を放棄し、自分の人生を生きることのない者は、必ず乏しさを得るということを覚えておかなければなりません。
残念ながら、多くの人が乏しい人生を生きています。
多くの人が、不平不満を吐き、否定や拒絶と共に暮らしているのです。
そのような状態が豊かさであるはずがありません。
多くの人が乏しい人生を生きているのは、正義感が強いからです。
正義感というものは、良いもののように思うかも知れませんが、それが争いを生むのです。
残念ながら、人は未熟です。
人は無知であり、歪んでいるのです。
未熟な正義感は、偏った秩序(ちつじょ)を保つことに努めます。
偏った秩序を保とうとすれば、それに異(い)を唱える人が現れるのです。
残念ながら、正義感というものは偏見と誤解によって生じます。
偏見と誤解に捕らわれなければ、相手の主張や立場を尊重することが出来るからです。
正義感に従っている者は未熟です。
敵を作り出し、争いを生むのは最善ではないのです。
互いに支え合い、調和を実現することが最善であり、賢明(けんめい)な選択であるのです。
あなたは、常に調和を実現することを目的としなければなりません。
残念ながら、あなたは正しくありません。
残念ながら、相手も正しくはありません。
この世界においては、誰もが正しくはないのです。
調和こそが正しいのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩に従ってはなりません。
それでは、必要な役割を果たし、自分の人生を生きることが出来ないのです。
”頭”で考えることは間違っています。
”頭”は、利己的な判断をするのです。
そのため、”頭”に従っているのであれば、目の前の欲望や快楽や苦悩に従ってしまうようになるのです。
大切なのは、利他的(りたてき)な判断を下すことです。
利他的な判断は、目の前の欲望や快楽や苦悩に反することによって下すことが出来ます。
それは、あなたに必要な役割を教えます。
あなたがどう生きれば良いか?ということは、利他的に判断することによって次第に理解することが出来るのです。
利己的に生きている者は、必要な役割を果たすことも、自分の人生を生きることも出来ません。
それでは、人生は乏しいのです。
あなたには、あなたの生き方が存在します。
他者には、他者の生き方が存在するのです。
互いの人生を尊重しなければなりません。
歪んだ秩序を保つために、詰まらない正義感を押し付けてはなりません。
必要な役割を果たし、自分の人生を生きましょう。
そして、世界に調和を生み出しましょう。

2018年9月26日水曜日

我慢

人は、学ばなければなりません。
それは、成長を実現するためです。
成長を目指すのは、人生に豊かさを実現するためです。
人は、豊かな人生を生きなければなりません。
人生を乏しく生きてはならないのです。
それは、人生の目的に反しているからです。
ここでいう乏しさとは、不平不満や否定や拒絶に陥(おちい)った状態のことです。
人生において、乏しさは大切な要素ではありますが、必要以上に貪(むさぼ)る必要はありません。
乏しさは、必要なだけあれば良いのです。
無理に執着する必要はないのです。
残念ながら、多くの人は、乏しさを必要以上に受け取っています。
この世界に無駄は存在しませんが、足踏みをしていては、いつまでも目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
乏しさとは停滞です。
停滞するのは必要なことですが、それを必要以上に長引かせてはならないのです。
十分に休憩したのであれば、歩み始めなければならないのです。
この世界においては、豊かさとは歩むことであり、乏しさとは立ち止まることです。
人は、歩むことによって学びます。
学ぶことによって豊かさを得るのです。
人は、立ち止まることによって苦しみます。
立ち止まることによって乏しさを得るのです。
人生の目的は、豊かに生きることによって、目的地へと辿り着くことです。
しかしながら、人は誰もが未熟です。
そのため、残念ながら、豊かに生きることは容易ではありません。
それは、未熟者は、簡単に不平不満や否定や拒絶に陥ってしまうからです。
未熟であるために、我慢することが出来ずに、感情的な判断を下してしまうのです。
そのため、多くの人は簡単に乏しさを得るのです。
大切なのは、乏しさに陥らないことです。
そのためには、不平不満や否定や拒絶に陥らないように我慢を覚えなければなりません。
我慢することが出来ずに、感情的な判断を下してしまうのであれば、人はそれ以上に学ぶことが出来ません。
学ぶことが出来なければ、その場に停滞する以外に方法はないのです。
その場に停滞することは苦しみを実現します。
人にとっての最大の苦しみは、停滞することなのです。
あなたは、学ばなければなりません。
学ぶためには、我慢しなければならないのです。
我慢とは、感情に流されずに耐え忍ぶことです。
それは、決して、停滞することではありません。
我慢するのは、その状況の中に存在する理(ことわり)を見極めるためなのです。
感情に従えば、物事を表面的に判断してしまいます。
表面的な判断は、偏見(へんけん)を通じて誤解へと至ります。
誤解によって理を見極めることは出来ません。
理を見極めるためには、誤解や偏見を手放さなければならないのです。
誤解や偏見を手放すためには、辛抱強く目の前の状況と向き合う必要があるのです。
一度目に見るのと、二度目に見るのでは、印象は大きく変わっています。
それは、見る度に新たな情報が得られるからです。
情報を重ねることによって、理解は深まるのです。
何度も向き合うことをしなければ、理を得ることは出来ません。
何事においても、簡単に諦める者が、豊かさを得ることなど出来るはずがないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、感情に従ってはなりません。
感情の誘惑は避けられません。
それは、未熟な人の心には魅力的に映るのです。
しかしながら、それに従えば乏しさは避けられません。
我慢の重要性を理解しなければなりません。
"千里の道も一歩から"という言葉があるのです。
安易に楽をしてはなりません。
もちろん、無理をする必要もありません。
耐えられなければ休めば良いのです。
しかしながら、目の前の状況に向き合い、やがては理を得ることを諦めてはなりません。
何度も向き合うことを我慢しなければならないのです。
理を見極めることが出来れば、あなたは新たな道へと進むことが出来るでしょう。
それは、とても豊かなことなのです。
新たな道では、新たな学びがあります。
あなたはそこでも我慢しなければなりませんが、要領(ようりょう)は同じです。
我慢は、理を見極めるために行いましょう。
理を見極めるための我慢は、停滞を導かないことを理解しましょう。

2018年9月25日火曜日

毒の種

すべての人は種を蒔(ま)きます。
すべての人は、人生という大地に種を蒔くのです。
それは、収穫のためです。
すべての人は、収穫しなければなりません。
自分で蒔いた種を収穫するのです。
収穫は避けられません。
種を蒔けば、それをいつかは収穫しなければならないのです。
どのような収穫物であろうとも、それは、あなたのものなのです。
否定することは出来ません。
因果は必ず実ります。
そのことを覚えておかなければならないのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
すべての人が無知であり、歪んでいます。
それは仕方のないことです。
すべての人は未熟に生まれます。
未熟であるために生まれなければならないのです。
収穫は、命を得るためです。
命とは、成長のことなのです。
あなたは、未熟さのために種を蒔き、成長のために収穫するのです。
すべての種が未熟さのためであり、すべての収穫物が成長のためなのです。
あなたは、成長に必要な種を蒔かなければなりません。
そして、成長に必要な収穫物を得るのです。
すべてが成長を実現するためであることを忘れてはなりません。
収穫物は、状況として現れます。
あなたの目の前に導かれる状況は、以前にあなたの蒔いた種なのです。
それが、どのような状況であろうとも、あなたの蒔いた種なのです。
そして、それは命(成長)を与え、人生を豊かなものにするのです。
残念ながら、良い収穫物を得ることは容易ではありません。
なぜなら、あなたが未熟であるからです。
未熟者は、毒の種を蒔きます。
それは、命を奪う収穫物なのです。
毒の実りによって、あなたは問題や苦悩を抱えることになります。
それによって、あなたは成長を失い、停滞しなければなりません。
それは、仕方のないことです。
人が成長するためには、自分を知らなければなりません。
自分を知らなければ、自分を改めることが出来ないのです。
自分を知るためには、自分がどのような種を蒔いたのか?ということを知る必要があります。
それも、強く実感しなければならないのです。
毒によって命を奪われなければ、それがどのような種なのかを理解することが出来ません。
命を奪われて初めて、それが命を奪う種であったことを知るのです。
結果を受け取らなければ、原因を知ることは出来ません。
人は未熟です。
実際に経験しなければ、何も理解することが出来ないのです。
あなたが自分の選択を理解するために必要な状況が導かれます。
それを否定するのは最善ではありません。
目の前に導かれる状況は、自分にとっての大切な学びです。
状況は、あなたに自分自身を知らせようとしているのです。
あなたは、目の前の状況から、自分を知りましょう。
自分を知ることは、未熟さを知るということです。
それは、辛く、苦しいものです。
しかしながら、あなたが成長するためには、それは仕方のないことです。
収穫物を否定すれば、それは熟し、やがては腐り落ちてしまうのです。
あなたが収穫物を否定すれば、腐り落ちた収穫物を飲み込まなければならないのです。
そうなる前に、受け入れなければなりません。
収穫は避けられません。
それは、あなたの蒔いた種だからです。
収穫物を考えて、種を蒔きましょう。
種は、慎重に蒔くのです。
原因は慎重に選ぶのです。
それは、とても大切なことです。
なぜなら、すべてが自分自身に返るからです。

2018年9月24日月曜日

どうするか?

人生において重要なのは、どうするか?ということです。
あなたは、常に選択を迫られています。
あなたは選ばなければなりません。
人生は、選択の連続なのです。
一つ一つの選択が人生の質を決めるのです。
残念ながら、人生は自分の選択によって決まります。
人生は、誰かや何かによって決められる訳ではないのです。
誰かや何かによって人生が決められているように見えることがあるでしょうが、最終的な決定はあなたに任されているのです。
誰かや何かがどのように動こうとも、それに対する最終的な反応は、あなたが決めているのです。
どのような感情を選択するかは、あなた以外の誰にも決めることが出来ないのです。
人生が築かれるのは、あなたが選択する瞬間です。
あなたが、目の前に導かれた状況に対して、どうするか?を決めた時に、人生は動き出すのです。
誰かや何かが導く状況によって、人生が決まる訳ではありません。
誤解してはならないのです。
人生は、あなたの手元で始まるのです。
あなたは、人生を築くことが出来るのです。
そのことを理解し、忘れてはなりません。
自分が人生を築いていることを忘れてしまえば、人生に対して無責任に振舞ってしまいます。
人生に対しての無責任な態度は、人生に対する無関心へと繋がってしまうのです。
人生に対しての関心を失えば、人生は乏しさへと向かってしまいます。
この世界においては、磨かなければくすんでしまうからです。
この世界において、磨くことなく輝きを保ち続けられるものはありません。
美しい水も、流れが滞れば汚れてしまうのです。
何かしらの流れ(働き)が存在しているからこそ、美しく保たれるのです。
磨かなければ、春先の砂塵(さじん)のように、いつの間にかに全体を覆い尽くすのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、人生に対して関心を抱かなければなりません。
そして、責任を果たそうと努めなければならないのです。
あなたの人生に対する責任とは、豊かに生きることです。
豊かに生きるためには、成長という人生の責任を果たさなければなりません。
成長を実現するためには、人生と自分を磨き続けなければならないのです。
”どうするか?”という問いが必要です。
あなたは、自分の人生を責任を以(もっ)て選択しなければなりません。
責任を以て選択するというのは、より良く返すということなのです。
人生における選択というものは、状況に対する返事です。
あなたは、人生に対して応答しているのです。
人生は、様々な問いを投げ掛けます。
あなたが人生の豊かさを望むのであれば、様々な問い掛けに対して、より良く返すことなのです。
人生からの問い掛けを磨かなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、導かれる状況に対して、不満や不安で返します。
それでは、人生からの問い掛けを磨いたことにはならないのです。
より良く返すというのは、人生からの問い掛けに対して、感謝の気持ちや成長を実現するということなのです。
目の前の状況に対して、感謝や喜びや安心などの建設的な感情を選択することが出来たのであれば、人生は豊かさを実現するでしょう。
人生に豊かさを求めているのであれば、人生からの問い掛けを汚してはなりません。
悪くして返してはならないのです。
それは、堕落(だらく)を実現してしまうからです。
一度付着した汚れを取り除くのは容易ではありません。
それを取り除くためには、多くの時間と労力が必要なのです。
一つ一つの積み重ねが重要であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、日々、人生と自分を磨きましょう。
人生と自分を磨く手を止めてはなりません。
あなたは、常に”どうするか?”と考え続けなければならないのです。
無関心に、無責任に人生を生きてはなりません。
これは、あなたの人生なのです。
どうするか?は、あなたが決めなければなりません。
より良く返すのも、悪くして返すのもあなた次第です。
人生に乏しさが実現しても良いと考えるのであれば、無関心と無責任に従いましょう。
人生に豊かさを実現しようと考えるのであれば、関心と責任を以て、磨くことを続けましょう。

2018年9月23日日曜日

虚像と実像

あなたは、自分の道を見極めなければなりません。
自分の道とは、あなたの歩むべき人生のことです。
あなたは、あなたの人生を生きなければならないのです。
多くの人は、自分の道を見失っています。
それは、他者を気にしているからです。
残念ながら、人生には見本はありません。
あなたの手本となる人はいないのです。
しかしながら、多くの人は、自分ではない他者を見て人生を考えます。
人は、他者を気にすることで、他者の影響を受けているのです。
しかしながら、正確には、他者から影響を受けることはありません。
それは、これがあなたの人生だからです。
あなたの人生と、他者の人生は別のものです。
それは、目には見えず、認識することが難しい壁によって隔(へだ)たっているのです。
人生は、あなたが自分の意思で選択し、築いているのです。
他者があなたの人生を変えることは出来ません。
それは、あなたが他者の人生を変えることが出来ないようにです。
多くの人は、自分の人生と他者の人生が別のものであることを理解しません。
そのため、自分の人生と他者の人生を混同し、混乱している状態を実現するのです。
あなたは、他者の人生を生きることは出来ません。
他者の人生を生きようとすれば、自分の道を見失ってしまうのです。
自分の道を歩むことが無ければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
多くの人は、人生に乏しさを感じています。
不満や不安を抱えながら生きることは乏しさなのです。
人が不満や不安を抱えて生きるのは、自分の道を歩まないからです。
自分の道を歩めば、不満や不安に出会うことはあっても、それに陥(おちい)ることはないのです。
多くの人が不満や不安に陥り、人生を停滞させています。
それが苦悩の原因なのです。
あなたが不満や不安を抱え、人生に乏しさを感じて苦悩しているのであれば、それを打開するために自分の道を歩まなければなりません。
あなたが人生を展開させるためには、自分の道を歩む以外に方法はないのです。
しかしながら、自分の道を歩むことは容易ではありません。
なぜなら、これまでに自分の道を歩もうとは考えなかったからです。
人は、誰かのように歩もうと試みます。
それは、仕方の無いことであり、決して悪いことではありません。
なぜなら、それ以外には方法がなかったからです。
大切なのは、いつかは自分の道を歩まなければならないという意思を手放さないことなのです。
誰かの真似をするのは、いつか自分の足で自分の道を歩むためです。
歩み方は教わりますが、目的地と道程(どうてい)を教わることは出来ないのです。
それは、自分で見付け出さなければならないことなのです。
あなたにとっての自分の道は、他の誰にも分かりません。
誰も、あなたの道をあなたに教えることは出来ないのです。
容易なことではありませんが、あなたは自分で自分の道を見出さなければなりません。
先ずは、自分の好きなことを見付けることです。
好きなことが自分の道であるとは限りませんが、自分が好きなことすら知らない者が、自分のやりたいことを知ることは出来ないのです。
他者の道は、あなたにとっては虚像でしかありません。
あなたは、虚像に対して真剣に向き合ってはならないのです。
虚像は虚像です。
残念ながら、そこに価値はありません。
虚像を追っても、それを掴むことは出来ないのです。
掴むことが出来る実像を追わなければならないのです。
真剣に向き合うべきは実像です。
それは、とても価値のある自分の道であり、人生なのです。
自分の道であり、人生こそが現実であるということを忘れてはなりません。
自分の道を歩みましょう。
自分の人生を生きるのです。

2018年9月22日土曜日

盲目

多くの人は、盲目(もうもく)です。
多くの人は、見ていても見えません。
しかしながら、多くの人は見えている気でいます。
多くの人は、自分が見えていると思い込んでいるのです。
残念ながら、多くの人は見てはいても、見えてはいないのです。
それは、瞼(まぶた)を開けたまま、ぼんやりと景色を眺めているような状態です。
そのような時には、見てはいても、見えてはいないのです。
景色を見ても、それがどのようなものであるのか?という認識に至らなければ、見えていることにはなりません。
大切なのは、認識することなのです。
あなたは本当に見えているでしょうか?
残念ながら、大抵の人は見ているだけです。
人生とは何でしょうか?
あなたには、答えることが出来るでしょうか?
多くの人は、人生を見ています。
しかしながら、それが何であるか?という認識は持ちません。
人生を見てはいますが、見えてはいないということなのです。
人生を認識するためには、道理を見極めなければなりません。
それは、道理を認識することこそが、人生が見えているということだからです。
多くの人は、道理を認識しません。
多くの人には、道理が見えないのです。
そのため、目の前の快楽や欲望や苦悩を見詰めているのです。
多くの人は、人生に対して、目の前の快楽や欲望や苦悩を見ています。
多くの人には、目の前の快楽や欲望や苦悩が見えているのです。
そのため、それに従います。
多くの人の人生が乏しく、問題や苦しみを抱え、不満や不安に苛(さいな)まれているのは、道理を認識してはいないからなのです。
人は、見えているものに従います。
認識しているものにしか、従うことが出来ないのです。
人生を豊かなものにするためには、道理を認識しなければなりません。
目の前の快楽や欲望や苦悩を認識していてはならないのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、目の前の快楽や欲望や苦悩に対して、瞼を閉じなければなりません。
そして、道理に対して瞼を開かなければならないのです。
あなたが人生に豊かさを望むのであれば、道理を見ましょう。
そして、それを認識しなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、道理に対して盲目です。
目の前の快楽や欲望や苦悩に捕らわれないようにしなければならないのです。
それは、気にしないことです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を気にするために、それを見てしまうのです。
気にしなければ、見なくて済むのです。
未熟であるすべての人にとっては、目の前の快楽や欲望や苦悩は大切な感情です。
しかしながら、人生において、それは重要なものではないのです。
残念ながら、多くの人が重要だと思っているものは、重要ではありません。
そして、気にしてはいないものを気にしなければならないのです。
あなたは、見ているものを見ず、見ていないものを見なければなりません。
暗闇を歩めば、地面の形をより明確に認識することが出来ます。
明るい場所では、無意識の内に補正し、容易に歩むことが出来るのです。
しかしながら、暗闇で歩むことは困難です。
それは、地面の情報をより詳細に認識しているからなのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩に瞼を閉ざしましょう。
そうすれば、道理を認識することが出来ます。
あなたが普段歩んでいる道を暗闇の中で歩んでみるのです。
そうすれば、そこに道理が見えるのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩に惑(まど)わされて、道理を見失ってはなりません。
瞼を閉じて、同じ道を歩んでみましょう。
そうすれば、同じ道の上に道理を見るでしょう。

2018年9月21日金曜日

道理と理想

人は、人生に豊かさを実現しなければなりません。
豊かさとは、必要を受け入れている状態のことです。
豊かな人生とは、必要と共に生きる時間のことなのです。
あなたは、必要と共に生きなければなりません。
必要とは、あなたの理想のことではありません。
残念ながら、多くの人は、理想が必要と考えています。
理想が実現することが、人生の豊かさだと考えているのです。
残念ながら、あなたは未熟です。
あなたは、歪んでいるのです。
未熟であり、歪んでいるあなたの理想が、あなたにとっての必要であるはずがないのです。
理想とは、好みに過ぎません。
好みとは、偏見に過ぎないのです。
偏見とは、誤解のことです。
誤解とは、不自然のことなのです。
不自然に従えば、災いを引き起こすのが道理です。
不自然が導くのは乏しさなのです。
自然から離れて、豊かさを実現することなど出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、理想を追い求めています。
しかしながら、その道が乏しさに通じているということは知らないのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
しかしながら、それは誤解です。
なぜなら、自分が正しいと思い込んでいる傲慢(ごうまん)な者には、多くの問題が引き起こされるからです。
傲慢な者が、豊かに生きることは出来ません。
それは、それ以上に成長することが出来ないからです。
傲慢な者は、自分を改めようとはしません。
問題が生じれば、それを誰かや何かのせいにするのです。
問題の原因が自分以外に存在すると信じ込み、不毛な争いを繰り返すのです。
大切なのは、学ぶことです。
学び、成長することなのです。
そのためには、誰かや何かに教えてもらわなければならないのです。
謙虚(けんきょ)でなければ、人が成長を実現することは出来ません。
誰かや何かによって、未知の情報を得なければならないのです。
自分が正しいと思い込んでいる傲慢な者には、必ず問題が導かれるのです。
道理とは、この世界の仕組みです。
道理を無視して、豊かさを実現することは出来ません。
残念ながら、道理である必要と、理想である好みとでは、大きな隔たりが存在しているのです。
道理と理想は別のものだと知らなければなりません。
理想に目が眩(くら)み、道理を無視する者は問題を引き起こします。
どう考えても、あなたがこの世界の仕組みに勝ることはないのです。
あなたは、道理に従わなければならないのです。
道理を考慮(こうりょ)しない者の人生は、必ず乏しさへと至ります。
あなたは、常に道理を考えましょう。
自分の理想がどのようなものであったとしても、それを先行させてはなりません。
道理に対して、自分の理想がどのようなものであるのか?ということを考えなければならないのです。
人生の中心には、道理が存在しています。
道理を無視することは、人生を無視するということです。
自分勝手に豊かさを実現することなど出来ません。
道理を無視すれば、乏しさが導かれるということを忘れてはならないのです。
道理とは、必要です。
自分にとっての必要をあなたは知りません。
何が最善なのか、あなたは知らないのです。
知るためには学ばなければなりません。
理想を追わず、目の前の現実を受け入れましょう。
理想を追うことに懸命になる余り、現実を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
道理である必要を無視してはなりません。
理想である好みに振り回されてはなりません。
必要を学び、人生に豊かさを実現しましょう。

2018年9月20日木曜日

苦しみを大切に

人生の目的は成長することです。
人は、成長しなければならないのです。
どのような人物も、成長を実現する必要があるのです。
この世界には、完全な人は存在しません。
すべての人が未熟であり、不足しているのです。
成長する必要は、誰にでもあるということを理解する必要があるのです。
あなたは、自らの人生において、成長することを求められています。
成長を実現することが人生の目的であり、それを実現することによって豊かさが導かれるのです。
残念ながら、多くの人は、成長することを嫌います。
なぜなら、多くの人は、現状維持を好むからです。
成長するということは、現状を否定することです。
現状を手放すことがなければ、成長が実現することはないからです。
成長とは、変化です。
人は、変化することによって、成長を実現することが出来るのです。
変化するためには、現状を手放さなければなりません。
現状を手放し、未知を手に入れなければならないのです。
残念ながら、現状を手放すことは容易ではありません。
なぜなら、それは苦しいからです。
現状維持を好む人にとって、それを手放すことは苦しみです。
誰もが、慣れ親しんだものに愛着を覚えます。
多くの人は、それを手放すことを恐れるのです。
しかしながら、成長を実現するためには、慣れ親しみ、愛着を覚えたそれを手放さなければなりません。
苦しみを得なければ、人は成長を実現することが出来ないのです。
多くの人は、苦しみを嫌います。
多くの人は、安心や安全を好むのです。
それでは、現状維持に力を注ぎ込むことになるのです。
現状維持に励(はげ)めば、人生の可能性は減少します。
それは、未知の世界に挑戦することがないからです。
人生を豊かなものにするためには、人生の可能性を増加させる必要があるのです。
人生の可能性を増加させるのを可能にするのが、未知の世界なのです。
未知の世界に至るためには、苦しみを得なければなりません。
現状を手放す時には、苦しみを得なければならないのです。
そして、未知の世界に至る時には、不安や心配を得なければなりません。
人生の可能性を広げることは、決して楽しいことばかりではないのです。
苦しみや不安や心配を受け入れる覚悟のある者だけが、未知の世界に生きることが出来るのです。
現状維持を続けていれば、誰もが傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ります。
それは、”井の中の蛙(かわず)”のように、小さな世界で思い上がるようになってしまうのです。
乏しい人生を生きている者は、傲慢に陥っています。
自分が正しいと思い込み、自分が偉いと考えているのです。
残念ながら、それでは成長することは出来ません。
成長することがなければ、豊かさを実現することも出来ません。
あなたが豊かな人生を生きるためには、傲慢を打ち砕く必要があるのです。
傲慢を打ち砕くのは、苦しみです。
苦しみこそが、あなたの傲慢を打ち砕くのです。
人は、苦しみを経なければ、考え方を改めることがありません。
苦しみを経なければ、話を聞き入れはしないのです。
多くの人は、苦しみを嫌います。
現状維持を好む人は、苦しみを受け入れることが出来ません。
それは、怖いからです。
勇気が必要です。
人生を変えるのは、自分自身の意思なのです。
苦しみと不安と心配を受け入れる覚悟を決め、勇気を以(もっ)て現状を手放し、未知の世界へと一歩を踏み出さなければならないのです。
それを実行するのはあなた自身です。
誰も、あなたの人生を変えてはくれません。
誰にも、あなたの人生を変えることは出来ないのです。
未知に至ることは容易ではありません。
しかしながら、あなたには必要なことです。
苦しみを嫌ってはなりません。
苦しみこそが、あなたを成長させる原動力なのです。
傲慢を抱えたままで、未知の世界へと一歩を踏み出すことは出来ません。
苦しみによって、傲慢を打ち砕き、身軽な状態で前進しましょう。
苦しみを大切にしましょう。

2018年9月19日水曜日

問題提起

人生において重要なのは、問題を解決していくことです。
人生には、問題が生じます。
問題の生じない人生など有り得ないのです。
どのような人物の、どのような人生にも、必ず問題が生じるのです。
それは、人が未熟であるからです。
すべての人は未熟です。
すべての人が無知であり、歪んでいるのです。
この世界には、完成された人は存在しません。
未熟であるために、人生を経験しているのです。
未熟であるために、学ばなければならないのです。
未熟な人は、未熟な価値観を所有しています。
未熟な価値観から、未熟な考えが生まれます。
未熟な考えは、未熟な選択を生みます。
未熟な選択は、未熟な行為に至るのです。
未熟な行為は、問題を引き起こすのです。
そして、問題は苦悩となってあなたを襲うでしょう。
人は、未熟さを改めなければなりません。
未熟さを改めなければ、抱えている苦悩や問題は解決しないのです。
残念ながら、多くの人は、苦悩や問題の解決策を知りません。
苦悩や問題の原因は、自分自身の未熟さにあるにもかかわらず、外にその解決策を探し求めているのです。
状況や環境や他者を変えたとしても、苦悩や問題が解決することはありません。
苦悩や問題の原因は、自分自身です。
それは、自分自身から生じるのです。
原因を断たなければ、結果は変わりません。
あなたは、自身の未熟な価値観を改めなければなりません。
現状の価値観が、現状の苦悩や問題を引き起こしたのです。
価値観を改めるのであれば、現状の苦悩や問題は新たな苦悩や問題へと書き換えられるのです。
どちらにしても、あなたが受け取るのは苦悩と問題です。
それは、あなたが未熟だからです。
あなたは、生涯を通じて、問題と向き合い続けることになるでしょう。
多くの人は、それを嫌いますが、それが自然なのです。
問題の生じない人生には価値がありません。
なぜなら、問題の生じない人生には、それ以上の成長を望むことが出来ないからです。
あなたは何のために生まれたのでしょうか?
目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れるために生まれたのではないのです。
あなたは、成長を実現するために生まれたのです。
それは、より良く成るということなのです。
何かをより良くするためには、問題提起(もんだいていき)が必要です。
それは、問題が生じなければ、現状を維持する以外に方法はないからです。
現状維持は、停滞をもたらします。
停滞は、衰退(すいたい)を意味しているのです。
呼吸が止まれば、命を失います。
それと同じように、現状維持という停滞に陥(おちい)れば、人生は豊かさを失ってしまうのです。
大切なのは、新たな価値観を実現することです。
新たな価値観こそが、道を切り開くのです。
以前と変わらない価値観で苦悩や問題に向き合ったとしても、何も解決しないし、変わることもないのです。
苦悩や問題を解決するためには、それを生み出した価値観よりも本質的な価値観が必要なのです。
自分を改めることをせずに、人生は変わりません。
どのような苦悩や問題を背負ったとしても、自分を改めるように努めましょう。
古い価値観を手放し、新たな価値観によって人生を築きましょう。
いつまでも、問題を放置してはなりません。
逃れようとしても無駄です。
あなたは、自分自身からは逃れられないのです。
良く考えましょう。

2018年9月18日火曜日

問題や苦悩からの手助け

残念ながら、人生に問題は避けられません。
すべての人生には、必ず問題が生じるのです。
それを避ける方法はありません。
どのような人物の人生にも、必ず問題が導かれるのです。
問題が人生に生じることは、自然です。
そして、それから逃れられないことも自然なのです。
問題は、苦悩を引き起こします。
すべての問題が苦悩を引き起こす訳ではありませんが、問題が存在すれば、やがて苦悩も存在するようになるのです。
問題を放置しているのであれば、それが苦悩を引き起こすことを理解しなければなりません。
そのため、問題を放置することや、それから逃れようとするのは得策とは言えないのです。
多くの人は、生じた問題を嫌います。
多くの人は、問題を受け入れることが出来ません。
それは、仕方のないことなのです。
問題が生じるのは、人が未熟であるからです。
問題は、人の未熟さによって生じるのです。
無知や誤解こそが、問題を導きます。
問題は、あなたの中に、未熟さである無知や誤解が存在しているということを理解させるためのものなのです。
問題と向き合うことをしなければ、苦悩という形で、あなたの中の未熟さを教えるのです。
人生における問題や苦悩は、自分自身の未熟さと向き合うために導かれるのです。
人は、問題や苦悩によって、自らの内面と向き合うことが出来ます。
残念ながら、問題や苦悩が生じなければ、人は、外にばかり目を向けてしまうのです。
人生の原因は、自分自身です。
どのような現状であろうとも、それを実現したのは自分自身なのです。
あなたの選択によって、人生は築かれているということを理解しなければならないのです。
人生は、あなたの内で築かれるのです。
多くの人は、人生が外で築かれていると思い込んでいます。
多くの人は、誰かや何かによって人生が決まると考えているのです。
残念ながら、あなたの人生が誰かや何かによって決められることはありません。
ただ、そのように見えるだけです。
人生における問題や苦悩は、あなたのために導かれます。
それは、問題や苦悩によって自分自身を改めるためなのです。
誰かや何かが人生の原因であるのならば、その問題や苦悩は誰かや何かに導かれているはずなのです。
しかしながら、その問題や苦悩が導かれたのはあなたの目の前なのです。
それは、その問題や苦悩によって改善する必要があるのが、あなた自身であるということを示唆(しさ)しているのです。
人は未熟です。
問題や苦悩が生じなければ、自分自身を改めようとは思いません。
問題や苦悩が生じなければ、このままで良いと思い込むのが人間なのです。
残念ながら、現状維持が許される程、人生は甘くはありません。
現状維持がもたらすのは、乏しさです。
しかしながら、あなたに求められているのは、豊かさなのです。
豊かさを実現するためには、原因である自分自身を改善しなければなりません。
改善するというのは、現状を打開するということなのです。
そのために、問題が生じ、苦悩が導かれるのです。
人生は、あなたに歩むことを求めています。
問題や苦悩は、あなたの歩みを促(うなが)しているのです。
人生とは、自分自身と向き合う時間です。
それは、自分自身をより良くするためです。
残念ながら、人生に問題は避けられません。
人生の問題は、あなたに未熟さを教えているのです。
あなたが人生に豊かさを必要とするのであれば、問題や苦悩を大切に扱いましょう。
感情的に否定してはなりません。
問題や苦悩の意味を探し、その価値に気が付かなければならないのです。
問題や苦悩は、あなたが意識の変化を実現することを助けてくれます。
意識の変化を実現しなければ、他のどのような方法を用いても、人生の問題や苦悩が解決することはありません。
どこで、誰と、何をしようとも、自分自身を改めることがなければ、問題や苦悩は解決しないのです。
特別な方法も意味がありません。
内面に目を向け、意識(考え方や捉え方)を変化させるだけで良いのです。
外に目を向けて、問題や苦悩を解決することが出来るなどと考えてはなりません。
誰かや何かに縋(すが)り付いても無駄です。
あなたは、自分で自分自身を変えるのです。
そのためには、問題や苦悩の手助けが必要です。
助けとなる問題や苦悩を、蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
問題や苦悩の力を借りて、自分自身を改めましょう。



2018年9月17日月曜日

命を生み出す

残念ながら、人生には詰まらないことしか存在しません。
あなたは、詰まらないことをしなければならないのです。
なぜなら、どのようなことにも慣れが生じてしまうからです。
初めは新鮮に思えることにも、後に慣れが生じます。
慣れることによって、人は、退屈を得てしまうのです。
そのため、何をしても、あなたはそれを詰まらないと思ってしまうのです。
詰まらないことは避けられません。
あなたは、詰まらないことをしなければならないのです。
人生は、詰まらないことの繰り返しです。
あなたは、詰まらない日常を生きなければなりません。
多くの人は、簡単に成果を求めます。
それは、詰まらないことを嫌う気持ちなのです。
多くの人は、楽しいことが成果を導くと考えています。
そのため、興奮することが出来るものを探し続けているのです。
残念ながら、楽しいことも楽しくなくなります。
興奮は、冷めてしまうのです。
あなたは、何をしてもそれを詰まらないものにしてしまうのです。
あなたは、すべてが詰まらないことだと理解しなければならないでしょう。
人生は、誰にとっても空しいのです。
あなたは、人生が空しいということを理解しなければなりません。
あなたがどこで、何をしようとも、人生には空しさが訪れます。
すべては、詰まらないことへと変化してしまうのです。
それが自然です。
あなたは、本質を捕えなければなりません。
人生に対して、過度の期待を抱くものではありません。
環境や他者に対しても、過度の期待は慎(つつし)まなければならないのです。
そうすれば、あれこれと探し続けることをやめることが出来ます。
渇きを潤すために欲し続けることがなくなるのです。
人生は、何をしても同じです。
残念ながら、特別なものは存在しません。
人生は、すべてが空しく、すべてが詰まらないことなのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
しかしながら、あなたは人生を豊かなものにすることを求められます。
あなたは、空しく、詰まらないものを豊かなものにしなければならないのです。
空しく、詰まらないものを豊かなものにするためには、空しく、詰まらないものを組み合わせなければならないのです。
例えば、車の部品の一つ一つは空しく、詰まらないものです。
なぜなら、その鉄の塊(かたまり)は、機能することがないからです。
しかしながら、部品を組み合わせることによって、そこには”命”が宿ります。
そして、それは豊かさを導くようになるのです。
部品だけでは空しく、詰まらないのです。
しかしながら、それが機能すれば、豊かさを導くということを理解しなければならないのです。
多くの人は、多くの”部品”を抱えています。
それ等を組み合わせることはせず、ただ乱雑に抱えているのです。
そのため、人生は空しく、詰まらないのです。
大切なのは、”部品”が機能するように組み合わせることです。
残念ながら、人は、”設計図”を所有してはいません。
人が得るのは、どのような機能を有するかも分からない部品なのです。
部品を眺めていても、いつかは退屈を覚えてしまいます。
あなたは、多くの部品を集め、それを適当に組み合わせなければならないのです。
そのためには、様々な可能性を考えなければなりません。
空しく、詰まらないことを退屈だと決め付けてはなりません。
空しく、詰まらないことも、繰り返して積み重ねなければならないのです。
それは、繰り返して積み重ねると、やがては面白くなるからです。
どのように機能するか分からない部品も、繰り返し組み合わせている内に理解を深めることが出来ます。
そうすれば、ただの部品が命を生み出すことも出来るのです。
成果は必ず導かれます。
完成するまでは、最善とは掛け離れているでしょう。
未完成のものは、決して良いものではありません。
しかしながら、完成するためには、未完成の状態を経る必要があるのです。
すべては、空しく、詰まらないことの積み重ねです。
あなたは現状に捕らわれてはなりません。
命は、”部品”が正しく組み上がった時に生まれます。
正しく組み上げることが出来るまで、学び続けなければならないのです。
あなたは、空しく、詰まらないことを学び続けましょう。
そして、命を生み出しましょう。

2018年9月16日日曜日

思い通りにならない現実

人生を思い通りに進めることは、残念ながら得策ではありません。
人生は、思い通りに進まないことが最善なのです。
多くの人は、人生を思い通りに進めようと努めます。
思いが実現することが最善だと思っているのです。
残念ながら、それは誤解なのです。
人生に最善を実現するためには、目の前の現実を受け入れる必要があります。
なぜなら、目の前の現実こそが、あなたにとっての最善であるからです。
人生の最善は、常に実現しています。
しかしながら、人がそれを受け入れることが出来ないのです。
なぜなら、人が未熟であるからです。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
すべての人は無知であり、その認識を歪めているのです。
そのため、目の前の最善を最善と認識することが出来ません。
多くの人が、現状に不満や不安を抱えているのは、認識が歪んでいるからなのです。
大切なのは、自身の認識が歪んでいることを受け入れることです。
残念ながら、あなたは未熟であり、無知なのです。
未熟であり、無知でもあり、認識が歪んでいる者の理想が最善であるはずがありません。
人生があなたの思い通りに展開するのであれば、それは多くの問題と苦悩を抱えることになってしまうのです。
玄人(くろうと)は、素人(しろうと)の意見を受け入れません。
なぜなら、素人の言うようにはならないからです。
玄人は、経験を通じて、道理を弁(わきま)えています。
それは、自分の理想とはことなるものなのです。
玄人も、初めは素人のように考えます。
しかしながら、経験を経れば、その考えや言動は異なるものになるのです。
それは、理想と実際が異なっていたことを学んだからです。
経験の少ない人は、人生を思い通りに進めようと考えます。
自分の考えが最善であると考えるのです。
しかしながら、経験を経た人は、人生を思い通りに進めようなどとは考えないのです。
それは、思いが実現することを恐れるからです。
親は、悪いものだと知っていて、それを子に与えることはありません。
親は、子がねだるものを見境もなく与えることをしないのです。
親は子に、良い(と思う)ものを与えます。
しかしながら、子にはその良さを理解することが出来ないのです。
多くの人は、現状に対して不満や不安を抱えています。
それは、その良さを理解することが出来ないからです。
人生は、あなたの最善を知っています。
人生は、あなたに最善を導くのです。
あなたは、自らの最善を知りません。
そのため、不満や不安を抱えるのです。
あなたのためには、思いが実現しないことの方が良い時もあります。
人生が、自分勝手にあなたに現状を導くことはありません。
あなたに導かれているものは、すべてが最善です。
どのように思えるものであったとしても、そこから学ぶ必要があるのです。
人生は、あなたのためにあなたの思いを断ります。
努力を重ねても、人生は思い通りにはいきません。
それは、あなたにとっては、それが最善だからです。
子を思う親であれば、子の要求を断らなければならないことがあると知っています。
人生には、相手のために断らなければならない時があるのです。
利他的に生きなければなりません。
多くの人は、自分の利益を考えて、相手を容認します。
相手の願望を叶えてやることが、相手の最善だとは限らないのです。
願望が叶わない方が良いと思うのであれば、断らなければならないのです。
人生は、決して思い通りに展開してはなりません。
あなたは、思い通りにならない現実を嫌ってはなりません。
思い通りにならない現実こそが、あなたにとっての最善なのです。

2018年9月15日土曜日

僅かな一歩

人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれるのです。
目的を果たすためには、目的地へと辿り着く必要があります。
人は、誰もが目的地へ向かって歩まなければならないのです。
一歩一歩を踏み出し、前進することが求められるのです。
しかしながら、歩むことは容易ではありません。
なぜなら、人生には問題が生じるからです。
問題は、障壁となって、あなたの歩みを妨げます。
立ち止まることは、苦悩することです。
人は、停滞によって苦しみ、悩まなければならないのです。
多くの人が、人生に問題を抱えています。
そして、問題によって苦しんでいるのです。
多くの人は、苦悩によって、その場に立ち止まらなければならないのです。
多くの人は、苦悩に執着してしまうのです。
しかしながら、多くの人は苦悩を嫌います。
問題を嫌うのです。
そして、そこから逃れようとします。
問題を嫌い、そこから逃げることは悪い選択ではありません。
どうしても、逃れたい人は、背を向けて逃れれば良いのです。
倒れるよりは、停滞している方が良いからです。
しかしながら、逃げることを続けていても、目的地へと辿り着くことは出来ません。
目的地へ辿り着くことが出来なければ、人生には豊かさは実現しないのです。
大切なのは、目的地へと辿り着くことです。
あなたは、問題を乗り越えて、目的地へと歩みを進めなければならないのです。
そのためには、問題と向き合わなければなりません。
例え、背を向けて逃れようとも、再び立ち返って向き合い、乗り越えなければならないのです。
問題とは、ぬかるみのようなものです。
それは、片足を上げると身体が揺られます。
多くの人は、その不安定を嫌うのです。
しかしながら、人は歩まなければなりません。
軸足(じくあし)に力を込めて、踏ん張る必要があるのです。
多くの人は、軸足で踏ん張ることをしません。
倒れそうになると、すぐに元の位置に足を戻してしまうのです。
そうやって、足踏みをしているのです。
人は、一歩を踏み出さなければなりません。
そのためには、与えられた場所で、与えられたことを懸命にこなさなければならないのです。
軸足の置き場は、あなたに与えられた現状です。
歩みを進めるために片足を上げることは、あなたの現状を不安定なものにします。
多くの人は、そこに不安や不満を抱えるのです。
そして、現実逃避を試みるのです。
大切なのは、目の前の現実がどのようなものであろうとも、そこで出来ることを懸命に行うことです。
残念ながら、あなたに出来ることは小さなことです。
あなたは、自分の実力を情けなく思うかも知れません。
しかしながら、それしか出来ないのです。
それは、仕方のないことなのです。
それしか出来ないのであれば、それを懸命に行うのです。
それ以上のことを求めても無駄です。
次の一歩が僅(わず)かなものであったとしても、その一歩を踏み出すことが重要なのです。
情けなくても、一歩を踏み出すことが優れているのです。
多くの人は、僅かな一歩をも踏み出すことをしません。
様々な言い訳を用いて、その場に立ち竦(すく)むのです。
情けなくても、そこで出来ることを懸命に行うのです。
小さなことや、僅かなことしか出来ません。
それが自然です。
多くを求めてはなりません。
懸命を生きるのです。

2018年9月14日金曜日

詳細

すべての人は、意味のある人生を生きています。
どのような人の人生にも、大切な意味があります。
意味のない人生に生まれた人はいません。
あなたがどのような現状を生きていようとも、そこにも意味が存在しているということを理解しなければならないのです。
大切なのは、意味を理解することです。
残念ながら、あなたが理解しようとしなければ、意味を理解することは出来ません。
すべての人は、未熟に生まれます。
そのため、人には、人生の意味が隠されているのです。
人生の意味を見出すためには、未熟を克服して成長し、意味を理解することの出来る自分に成る必要があるのです。
当たり前に、惰性的(だせいてき)に生きているのであれば、人生の意味を見出すことも、理解することも出来ません。
それは、当たり前の生き方というのは、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)る生き方のことであるからです。
人が当たり前に生きるのであれば、目の前の快楽や欲望や苦悩と向き合わなければなりません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩と向き合って生きているのです。
それは、簡単だからです。
目の前の快楽や欲望や苦悩と向き合うことには、努力は必要ありません。
泳ぐことには努力が必要ですが、溺れることには努力は必要ないのです。
多くの人は、努力を手放し、溺れることを受け入れているのです。
そのため、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れ、それ等と向き合わなければならないのです。
残念ながら、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れても、人生の意味を見出すことは出来ません。
そして、それを理解することも出来ないのです。
大切なのは、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れることなく、より深く人生と向き合うことなのです。
必要なのは、克己心(こっきしん)です。
人が自分の弱さに負け、克己心を手放す時、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れてしまいます。
人生と深く向き合うためには、自らの抱える弱さに打ち克(か)たなければならないのです。
弱さは、容易に人を堕落させてしまいます。
努力を重ねなければ、人は沈んでしまうのです。
あなたは、弱さに溺れないように、克己心を大切にし、努力を重ねなければなりません。
あなたが弱さに打ち克つためには、学び続けなければなりません。
泳ぐということは、学ぶということです。
人は、学んでいる時には、浮かんでいることが出来るのです。
それは、学んでいる時に、手足が動いているからです。
多くの人は、学ぶことをやめてしまいます。
それは、疲れるからです。
未熟である人には、学ぶことは疲れる作業なのです。
そのため、多くの人が簡単に目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れてしまうのです。
それでは、人生は乏しいままであり、人生に意味を見出すことも出来ません。
あなたは人生の意味を理解し、人生を豊かなものにしなければなりません。
その目的を見失ってはならないのです。
あなたは、学ばなければなりません。
情報を集め、知識を蓄えるのです。
そして、経験を手に入れて、知恵を育むのです。
何かに詳しくなる必要があるのです。
なぜなら、成果を導くためには、何かに詳しくなければならないからです。
詳しくなければ、方法を知ることが出来ません。
一つの情報や知識、経験を知っている者の方法と、二つの情報や知識、経験を知っている者の方法は異なります。
詳しい者の方が、より本質的な方法を知ることが出来るのです。
より本質的な方法を知ることによって、可能性が実現するのです。
可能性とは、人生の意味を知る可能性のことです。
何かに詳しい者の方が、人生の意味を知る可能性が高いということを理解しなければならないのです。
人生には、大切な意味があります。
しかしながら、多くの人はそれを知りません。
あなたは、人生の意味を知らなければなりません。
なぜなら、それが豊かさであるからです。
あなたは、乏しい人生を生きるために生まれたのではありません。
あなたは、豊かな人生を生きるために生まれたのです。
どのようなことでも構いません。
あなたは情報と知識と経験を集めましょう。
詳しくなれば、知恵も生まれるのです。
知恵によって、あなたは人生の意味を理解することが出来るでしょう。

2018年9月13日木曜日

最大の苦しみ

すべての人は、自分の人生を完成させなければなりません。
人生を完成させるというのは、人生の目的を果たすということです。
人は、目的を以(もっ)て生まれます。
人生に、目的も無く生まれる者はありません。
どのような人物も、何かしらの目的を以て生まれるということを理解しなければなりません。
あなたにも、大切な目的があります。
そのことを知って、生きなければならないのです。
残念ながら、多くの人は人生に大切な目的があるということを知らずにいます。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を見失っているのです。
それは、当てもなく人生を彷徨(さまよ)っているような状態なのです。
それは、迷いの生存です。
人生における最大の苦しみは、退屈です。
問題や悩みなど、退屈に比べると小さな苦しみなのです。
なぜなら、問題や悩みと向き合っている時には、人は幾らか人生を進んでいます。
問題や悩みに向き合っていることは、決して苦しみではないのです。
しかしながら、退屈と向き合っている時には、人は人生に停滞しているのです。
人生に目的を以て生まれたすべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、目的地へと辿り着かなければならないということなのです。
例え、何かしらの問題や悩みを抱えていても、前進して少しでも目的地へと歩みを進めるのであれば、希望を得ることが出来るのです。
しかしながら、退屈と向き合い、その場に停滞しているのであれば、目的地へと近付くことが出来ないのです。
それは、平穏な日々かも知れませんが、絶望を得ることになるのです。
平穏な日々を生きて絶望を得るよりは、問題や悩みを抱えて希望を得る方が良いのです。
残念ながら、多くの人は、平穏な日々を願います。
問題や悩みよりも、退屈を選ぶのです。
それは、希望よりも絶望を選ぶということでもあるのです。
絶望を選べば、人生は乏しさによって満たされます。
それでは、人生は完成しないのです。
あなたは、一歩でも前に進み、目的地へと辿り着き、目的を果たし、人生を完成させなければなりません。
そのためには、平穏な日々を選び続けるような頑固さを手放さなければならないのです。
人は、強情によって平穏を選びます。
人は、頑(かたくな)に問題や悩みを嫌うのです。
残念ながら、人が歩みを進めるためには、平穏を手放し、問題や悩みを選択しなければならない時もあります。
有利なことばかりを選ばず、不利を選ばなければならない時もあるのです。
あなたは、人生を柔軟に考えなければなりません。
それは、知らなければならないからです。
人は無知を抱えて生まれます。
誰もが、知らないのです。
知らないのに、自分勝手な判断によって、利益を求めているのです。
残念ながら、知らない者の考える有利が、本当に有利であるとは限りません。
知らない者の考える有利は、不利である可能性が高いのです。
それは、知らないからです。
あなたは、知らなければなりません。
どのようなことにも興味を抱き、学ぶように努めなければならないのです。
あなたが学ぶためには、頑なであってはなりません。
氷は、その場を動くことが出来ません。
しかしながら、水は、どこへでも入り込むことが出来ます。
それは、柔らかいからです。
水が霧となれば、より入り込むことが出来るでしょう。
大切なのは、自在に形を変えることです。
形を変えて入り込むことが重要なのです。
形を変えて入り込むことが出来なければ、学ぶことは出来ないのです。
頑なに生きてはなりません。
問題や悩みをも受け止めて、多くを学びましょう。
平穏からは、学ぶことが少ないのです。
学ぶことが少ないために、何の問題も悩みも生じないということを理解しなければならないのです。
あなたが一歩を踏み出す時には、状態は不安定となり、倒れる可能性も高まります。
それでも、一歩を踏み出すことが求められるのです。
人生の目的は、平穏に長生きすることではありません。
成長し、目的を果たし、人生を完成させることなのです。
何も知らずに、立ち止まったまま百年を生きてはなりません。
何かを知って、一歩を踏み出すことで一日生きることの方が尊(とうと)いのです。
柔らかく生きましょう。

2018年9月12日水曜日

能力

すべての人は、役割を担(にな)って生まれました。
すべての人には、役割が与えられているのです。
それは、特別な役割です。
あなたの役割は、あなたにしか与えられていないのです。
それは、あなたがあなたであるからです。
この世界には、あなたは唯一の存在です。
あなたの他に、あなたの役割を果たすことの出来る人はいません。
なぜなら、それぞれが特別な役割を与えられているからです。
あなたの役割が特別なものであるのと同じように、他者の役割も特別なものなのです。
あなたは、自分が特別な役割を担って生まれたということを理解しなければなりません。
それは、すべての人が”自分”である必要があるということなのです。
人が役割を果たすためには、”自分”である必要があります。
あなたに与えられた役割とは、”自分”を生きるということだからです。
”自分”でなければ、役割を果たすことは出来ません。
それは、与えられた役割を知っているのは、”自分”だけだからです。
役割を果たすためには、それを果たすための能力が必要です。
能力が不足しているのであれば、役割を果たすことが出来ないのです。
どのような役割を果たすにしても、それに相応しい能力が必要であるということを理解しなければなりません。
あなたが役割を果たすためには、”自分”であることです。
”自分”であることによって、必要な能力が得られます。
しかしながら、あなたが”自分”を見失い、偽りを生きているのであれば、役割を果たすのに必要な能力は失われてしまうのです。
あなたは、”自分”を大切にしなければなりません。
”自分”とは、真(まこと)のことです。
それは、偽りの無い心です。
残念ながら、多くの人は、”自分”を偽っています。
多くの人は、”自分”を欺(あざむ)き、偽りを生きているのです。
それが、普通(常識)になっているのです。
多くの人は、そのような生き方が人生に乏しさを導くことを理解しないのです。
多くの人は、誰かや何かによって、人生には問題や苦悩が導かれていると思い込んでいます。
多くの人は、人生の乏しさを、誰かや何かのせいにしているのです。
残念ながら、人生が乏しいのも、豊かであるのも、あなたの責任です。
人生の貧富は、あなたが”自分”を生きるか?生きないか?によって決まるのです。
真を生きれば、豊かさが実現します。
偽りを生きれば、乏しさが実現するのです。
それが、この世界の理(ことわり)なのです。
あなたは、”自分”を生きなければなりません。
そのためには、真を生きることです。
”自分”に偽りの無いように生きなければならないのです。
しかしながら、”自分”に偽りの無いように生きようとすれば、人は乏しさを実現してしまいます。
なぜなら、人が”自分”に偽りの無いように生きようとすれば、利己的に生きるようになってしまうからです。
残念ながら、人は未熟であり、歪んでいます。
人には、”自分”という存在を理解することが出来ないのです。
先ずは、”自分”を知る必要があるのです。
”自分”を知るのは難しいことではありません。
あなたが”自分”を知るためには、今の自分に出来ることを、他者に対して行えば良いだけなのです。
本来、”自分”の能力は他者のためにあります。
あなたは、他者の役に立つために生まれたのです。
残念ながら、人は”自分”の能力を自分に使うために生まれたのではないのです。
支え合わなければ、崩壊してしまいます。
残念ながら、人の力はか弱いのです。
この世界を独りで支えることは出来ません。
豊かさや幸福も、独りで支えることは出来ないのです。
他者と協力することによって、世界や豊かさや幸福を支えることが出来るのです。
残念ながら、あなたは独りでは豊かさを実現することが出来ません。
これは、あなたの人生ですが、その能力は他者のために使うのです。
他者のために”自分”の能力を使うことによって、それは最終的にあなたのためになるのです。
直接的に利益を求めるものではありません。
利益とは、間接的に実現するものなのです。
あなたは、他者の協力によって豊かさを実現することが出来ます。
あなたの豊かさは、他者の力によって実現するのです。
そのためには、あなたが他者の力にならなければなりません。
他者に貢献することによって、あなたは”自分”になれるのです。
あなたが”自分”になることによって、人生は豊かさを実現するのです。
能力は、他者のために使いましょう。

2018年9月11日火曜日

判断材料

大切なのは、歩むことです。
あなたは、歩みを進めなければなりません。
人生において重要なことは、目的地へと辿り着くことです。
あなたは、目的地へと辿り着かなければならないのです。
人生は決して、当てのない旅ではありません。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれたのです。
そのため、すべての人は目的地を持っているのです。
あなたは、あなたの目的を果たし、あなたの目的地へと辿り着かなければなりません。
そのためには、歩まなければならないのです。
しかしながら、闇雲に歩む訳にもいきません。
あなたは、目的地に向かって歩まなければならないのです。
しかしながら、すべての人は人生の目的を見失っています。
自分が何であり、何をすべきなのか?を見失っているのです。
そのため、目的地がどこにあるのか分からないのです。
それは、仕方のないことです。
誰もが忘れているのです。
あなたは、自らの目的を思い出し、目的地を探し出さなければならないのです。
あなたが人生の目的を思い出すためには、経験を積み重ねなければなりません。
忘れたものは、それを思い出すまで、様々な経験を積み重ねる必要があるのです。
様々な経験を積み重ねることによって、あなたは人生の目的を思い出すことが出来るのです。
あなたは、多くの経験を必要とするのです。
多くを経験するためには、足取りが軽やかでなければなりません。
慎重に一歩を踏み出しているのであれば、多くを経験することは出来ません。
あなたには、何が正解か分からないのです。
そのため、数を熟(こな)す必要があるのです。
あなたが足取りを軽やかにするためには、思考が単純でなければなりません。
足取りは、思考に関係します。
思考が慎重であれば、足取りは重いのです。
思考が軽率であれば、足取りは軽いのです。
慎重に成り過ぎてはなりませんが、軽率に成り過ぎてもなりません。
要は、バランスなのです。
あなたは、約7割を軽率に、約3割を慎重にしましょう。
それは、物事を複雑に考えずに、ある程度単純に考えるということなのです。
大切なのは、歩むことです。
歩まなければ、答えは出ません。
立ち止まっていても、何の答えも得られないのです。
あなたは、余計なことを考えてはなりません。
物事は、出来る限り単純に考え、とにかく経験することを主軸(しゅじく)とするのです。
その結果、失敗を得たとしても、それも一つの立派な答えなのです。
失敗を悪いものと考えてはなりません。
それは、失敗も判断材料に違いないからです。
失敗を得ることによって、その方向性に対する見解を得ることが出来るのです。
失敗の道の先に目的地がないとは限りませんが、一つの判断材料が得られたのです。
失敗も繰り返せば、正解も見えてくるのです。
しかしながら、失敗を繰り返すことがなければ、何が正解かを知ることは出来ないのです。
多くの人は、二の足を踏んでいます。
それは、正解だけを求めているからです。
残念ながら、正解は、多くの失敗の後に得られるものです。
正解だけを得ようとしても、それは不可能なのです。
大切なのは、歩むことです。
どのような経験であっても、それを積み重ねることなのです。
あなたには、人生の目的と目的地を知るための判断材料が足りません。
判断材料を集めなければならないのです。
あなたは、出来る限り単純に考えましょう。
歩みを止めてはなりません。
どのような結果でも良いのです。
大切なのは、それを得ることなのです。
物事は複雑に考えず、単純に考えるべきだと覚えておきましょう。
とにかく、あなたには、判断材料である経験が必要なのです。
人生は、出来る限り軽やかに歩みましょう。

2018年9月10日月曜日

空しい人生

人生とは、本来、豊かなものです。
人生とは、誰にとっても、とても価値のあるものなのです。
この世界に存在するものは、必要なものだけです。
この世界には、無駄や不要は存在することが出来ません。
それがどのようなものであれ、この世界に存在しているのであれば、価値のあるものなのです。
しかしながら、多くの人は、その価値を見失っています。
この世界には、無駄や不要が存在していると思いこんでいるのです。
残念ながら、この世界には無駄や不要は存在しません。
あなたが、この世界に無駄や不要が存在しているように思うのであれば、そのような認識が存在しているだけなのです。
すべての人は未熟です。
すべての人は、小さな世界を生きているのです。
残念ながら、あなたには何も見えてはいません。
この世界は、広くて深いのです。
あなたに見えているものは、限られたものだけなのです。
あなたは何も知りません。
人生が何であるか?
自分が何であるかも知らないのです。
あなたは、人生と自分が何であるか?を答えることが出来ますか?
残念ながら、あなたには答えることが出来ないでしょう。
例え、答えられたとしても、納得のいく答えではないのです。
それは、人が空しく生きているからです。
多くの人は、空しさを生きています。
空しさを感じないという人は、それが空しいと気が付いていないだけなのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に従います。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に手を焼いているのです。
そのため、人生の目的は、目の前の快楽や欲望や苦悩に従うことだと思い込んでしまうのです。
確かに、目の前の快楽や欲望や苦悩に向き合っていることは忙しく、達成感を得ることも出来るでしょう。
しかしながら、目の前の快楽や欲望や苦悩に向き合ったとしても、人生と自分が何であるか?という問いに答えを導くことは出来ないのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩と向き合うことによって、暇を潰すことは出来ます。
そして、人生と自分が何であるか?という問いを忘れることも出来るのです。
目の前に集中していることは、健全なことのように思えますが、それは、視野を狭めてしまうことになるのです。
大切なのは、全体を見ることです。
全体を見なければ、自分が何をしているのか?自分が何であるのか?ということは分かりません。
一部だけを見ても、自分が何をしているのか?自分が何であるのか?ということは分からないのです。
多くの人は、見えている気になっています。
世界は広大であるにもかかわらず、その一部を切り取って分かった気になっているのです。
それは、島の中で生まれ育った人が、人生を語るようなものなのです。
残念ながら、あなたには、何も見えてはいません。
あなたには、何も分からないのです。
視野を広げなければなりません。
世界を広げるのです。
多くの人は、不満や不安を抱きながら生きています。
そのような状態を乏しさと呼びます。
多くの人は、人生に乏しさを実現しているのです。
それは、本来の人生の在り方ではありません。
人生は、本来、豊かなものなのです。
あなたが人生に乏しさを感じているのであれば、それは認識が間違っているということです。
それは、世界が狭いということなのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
人生の目的を見失っているために、目の前の快楽や欲望や苦悩に従っているのです。
人生を空しく生きてはなりません。
外に存在する快楽や欲望や苦悩に魅了(みりょう)されてはなりません。
内に存在する志(こころざし)を探すのです。
全体を見なければ、志の在り処(か)は分かりません。
現状に満足することなく、世界を探求し続けなければなりません。
現状に満足することなく、人生を探究し続けなければならないのです。

2018年9月9日日曜日

熱意の差

人生は、成長するための時間です。
あなたは、成長を実現しなければなりません。
残念ながら、あなたは未熟に生まれました。
すべての人は、未熟に生まれ、未熟を経験するのです。
成長するためには、未熟を克服しなければなりません。
それは、未熟という状態を抜け出すということなのです。
あなたは、未熟を手放し、成長を掴まなければならないのです。
未熟に執着しているのであれば、成長を実現することは出来ません。
未熟に停滞し、成長を実現することが出来なければ、人生は乏しさを導くのです。
多くの人は、人生に乏しさを感じています。
それは、多くの人が未熟であることを意味しているのです。
乏しさとは、空しいということです。
乏しさとは、不満や不安を抱えて生きるということなのです。
誤解と偏見によって、問題や苦悩を生じさせている状態を乏しさというのです。
豊かさとは、充足しているということです。
豊かに生きている人は、どのような状況に対しても充足しています。
自分にとって都合の悪い状況に対しても、そこに意義を見出し、成長に繋げていくことを充足というのです。
多くの人は、自分にとって都合の悪い状況を否定します。
その結果として、成長することが出来ないのです。
成長することが出来なければ、人は空しさを覚えます。
空しさが不満や不安を生み出し、人生を乏しくしてしまうのです。
大切なのは、成長することです。
成長することがなければ、人生は空しいのです。
残念ながら、多くの人は成長に興味を持ちません。
多くの人は、停滞を好むのです。
何事も無く、日々が過ぎることを望んでいます。
多くの人は、自分がより良くなることを望んではいないのです。
あなたが豊かな人生を生きるためには、現状を疑わなければなりません。
大抵の場合、人は自分と同じレベルの熱意の人間と交わります。
熱意が盛(さか)んな者は、熱意が盛んな者と交わり、熱意が衰(おと)えた者は、熱意が衰えた者と交わるのです。
熱意に差があれば、交わることは出来ません。
なぜなら、歩む方向性が異なるのです。
あなたは、振り返りながら歩くことは出来ません。
人は、同じ方向に歩む人でなければ、共に歩むことが出来ないのです。
熱意が盛んでなければ、成長することは出来ません。
熱意が衰えた者は、それ以上に向上しようとはしないからです。
あなたが成長を実現し、人生に豊かさを必要とするのであれば、熱意の衰えた者を諦めなければなりません。
熱意の衰えた者と共に歩むことは出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
人は、それぞれの人生を生きているのです。
そのため、あなたが誰かを歩ませることは出来ません。
他者は、自分の意志で歩むのです。
そのため、他者が自分の意志で歩もうと決めなければ、それ以上に歩みを進めることはありません。
あなたは他者を担(かつ)いで歩むことは出来ません。
停滞を喜び、それ以上に歩まない者をどうすることも出来ないのです。
あなたは、向上意欲を持ち続けましょう。
未熟に満足し、停滞を喜んでいる者と共に歩んではなりません。
停滞を喜ぶ多くの仲間を持つよりも、独りで歩む方が優れています。
低俗を喜ぶ者は、低俗にとどまります。
残念ながら、あなたの声は届かないのです。
人生において大切なのは、孤独を生きるということです。
人は、独りで生きなければなりません。
自分で歩もうと決めれば、他者を気にすることなく歩まなければならないのです。
人生は、仲間と共に停滞するような、幼稚(ようち)なものではありません。
赤子のように、いつまでも寝そべっていてはならないのです。
自立、独立した状態によって、他者と協力すべきなのです。
あなたは成長し、他者や世界に貢献(こうけん)しなければなりません。
他者や世界に貢献することは、残念ながら、容易ではありません。
そのためには、熱意を盛んにし、成長しなければならないのです。
停滞を喜んではなりません。
低俗を喜んではなりません。
そのような者と共に歩もうとしてはなりません。