人は、誰もが未熟を抱えて生まれます。
この世界において、未熟を抱えずに生きる人はいません。
誰もが未熟であるのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
人は、未熟であって自然です。
人は、未熟なのです。
それは、決して悪いことではないのです。
未熟を悪と考えてはなりません。
人が未熟であるのは、仕方のないことなのです。
生まれを恨(うら)むことは無意味です。
魚は魚として生まれ、鳥は鳥として生まれます。
魚は魚として生涯を完成し、鳥は鳥として生涯を完成する必要があるのです。
あなたは、人として生まれました。
魚には鰓(えら)があり、鳥には翼があります。
その反面、魚には翼がなく、鳥には鰓がありません。
この世界においては、すべてが未熟です。
それぞれに一長一短が備わっているのです。
それによって、それぞれが支え合う構造が存在しているのです。
この世界においては、それぞれが支え合う必要があります。
それは、それぞれの生まれた目的が成長することにあるからです。
すべての存在は、成長を目的として生まれたのです。
この世界において成長を実現するためには、不足が必要なのです。
すべてが満たされているのであれば、それ以上に成長することが出来ません。
魚は、翼がないことで成長することが出来ます。
鳥は、鰓がないことで成長することが出来るのです。
人は、それぞれが個性を所有しています。
それは、生まれと共に所有しているものなのです。
個性とは、一長一短です。
それは、決して完全なものではありません。
満足と不足を抱えているのです。
人は個性という未熟を抱えているのです。
それは、あなたが成長するために必要なことなのです。
残念ながら、あなたには、鰓や翼がありません。
他者には出来ることも、あなたには出来ません。
しかしながら、あなたには出来ることも、他者には出来ないのです。
人は、パズルのピースのように凸凹(でこぼこ)な存在です。
突出している能力もあれば、欠損している能力もあります。
出来ることは出来るが、出来ないことは出来ないのです。
それは、仕方のないことなのです。
何もかもを出来るように成る必要はありません。
出来ることをより良く出来れば良いのです。
出来ないことを無理に出来るようにする必要などないのです。
出来ない(不得意な)ことは、出来る(得意な)人に任せた方が効率的なのです。
その代わり、出来ることは、出来ない人の分まで引き受けるのです。
出来ないことは自然です。
出来ないことで、自分を責めてはなりません。
未熟なのは、仕方のないことなのです。
自分に対しての欲求が強過ぎるのは不幸なのです。
あなたは、幸福に生きるために生まれたのです。
魚が水を離れるのは不幸です。
鳥が空を離れるのも不幸なのです。
人には、それぞれに個性が備わっています。
自らの個性を見極め、それに合った場所を生きましょう。
未熟とは、制限です。
人は、自らの能力を活用しなければなりません。
そのためには、ある程度の制限が必要なのです。
”餅(もち)は餅屋”ということなのです。
自分を責めないで済む道を進みましょう。
道を誤ってはなりません。
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