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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年9月6日木曜日

個性という未熟

人は、誰もが未熟を抱えて生まれます。
この世界において、未熟を抱えずに生きる人はいません。
誰もが未熟であるのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
人は、未熟であって自然です。
人は、未熟なのです。
それは、決して悪いことではないのです。
未熟を悪と考えてはなりません。
人が未熟であるのは、仕方のないことなのです。
生まれを恨(うら)むことは無意味です。
魚は魚として生まれ、鳥は鳥として生まれます。
魚は魚として生涯を完成し、鳥は鳥として生涯を完成する必要があるのです。
あなたは、人として生まれました。
魚には鰓(えら)があり、鳥には翼があります。
その反面、魚には翼がなく、鳥には鰓がありません。
この世界においては、すべてが未熟です。
それぞれに一長一短が備わっているのです。
それによって、それぞれが支え合う構造が存在しているのです。
この世界においては、それぞれが支え合う必要があります。
それは、それぞれの生まれた目的が成長することにあるからです。
すべての存在は、成長を目的として生まれたのです。
この世界において成長を実現するためには、不足が必要なのです。
すべてが満たされているのであれば、それ以上に成長することが出来ません。
魚は、翼がないことで成長することが出来ます。
鳥は、鰓がないことで成長することが出来るのです。
人は、それぞれが個性を所有しています。
それは、生まれと共に所有しているものなのです。
個性とは、一長一短です。
それは、決して完全なものではありません。
満足と不足を抱えているのです。
人は個性という未熟を抱えているのです。
それは、あなたが成長するために必要なことなのです。
残念ながら、あなたには、鰓や翼がありません。
他者には出来ることも、あなたには出来ません。
しかしながら、あなたには出来ることも、他者には出来ないのです。
人は、パズルのピースのように凸凹(でこぼこ)な存在です。
突出している能力もあれば、欠損している能力もあります。
出来ることは出来るが、出来ないことは出来ないのです。
それは、仕方のないことなのです。
何もかもを出来るように成る必要はありません。
出来ることをより良く出来れば良いのです。
出来ないことを無理に出来るようにする必要などないのです。
出来ない(不得意な)ことは、出来る(得意な)人に任せた方が効率的なのです。
その代わり、出来ることは、出来ない人の分まで引き受けるのです。
出来ないことは自然です。
出来ないことで、自分を責めてはなりません。
未熟なのは、仕方のないことなのです。
自分に対しての欲求が強過ぎるのは不幸なのです。
あなたは、幸福に生きるために生まれたのです。
魚が水を離れるのは不幸です。
鳥が空を離れるのも不幸なのです。
人には、それぞれに個性が備わっています。
自らの個性を見極め、それに合った場所を生きましょう。
未熟とは、制限です。
人は、自らの能力を活用しなければなりません。
そのためには、ある程度の制限が必要なのです。
”餅(もち)は餅屋”ということなのです。
自分を責めないで済む道を進みましょう。
道を誤ってはなりません。

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