残念ながら、人生には詰まらないことしか存在しません。
あなたは、詰まらないことをしなければならないのです。
なぜなら、どのようなことにも慣れが生じてしまうからです。
初めは新鮮に思えることにも、後に慣れが生じます。
慣れることによって、人は、退屈を得てしまうのです。
そのため、何をしても、あなたはそれを詰まらないと思ってしまうのです。
詰まらないことは避けられません。
あなたは、詰まらないことをしなければならないのです。
人生は、詰まらないことの繰り返しです。
あなたは、詰まらない日常を生きなければなりません。
多くの人は、簡単に成果を求めます。
それは、詰まらないことを嫌う気持ちなのです。
多くの人は、楽しいことが成果を導くと考えています。
そのため、興奮することが出来るものを探し続けているのです。
残念ながら、楽しいことも楽しくなくなります。
興奮は、冷めてしまうのです。
あなたは、何をしてもそれを詰まらないものにしてしまうのです。
あなたは、すべてが詰まらないことだと理解しなければならないでしょう。
人生は、誰にとっても空しいのです。
あなたは、人生が空しいということを理解しなければなりません。
あなたがどこで、何をしようとも、人生には空しさが訪れます。
すべては、詰まらないことへと変化してしまうのです。
それが自然です。
あなたは、本質を捕えなければなりません。
人生に対して、過度の期待を抱くものではありません。
環境や他者に対しても、過度の期待は慎(つつし)まなければならないのです。
そうすれば、あれこれと探し続けることをやめることが出来ます。
渇きを潤すために欲し続けることがなくなるのです。
人生は、何をしても同じです。
残念ながら、特別なものは存在しません。
人生は、すべてが空しく、すべてが詰まらないことなのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
しかしながら、あなたは人生を豊かなものにすることを求められます。
あなたは、空しく、詰まらないものを豊かなものにしなければならないのです。
空しく、詰まらないものを豊かなものにするためには、空しく、詰まらないものを組み合わせなければならないのです。
例えば、車の部品の一つ一つは空しく、詰まらないものです。
なぜなら、その鉄の塊(かたまり)は、機能することがないからです。
しかしながら、部品を組み合わせることによって、そこには”命”が宿ります。
そして、それは豊かさを導くようになるのです。
部品だけでは空しく、詰まらないのです。
しかしながら、それが機能すれば、豊かさを導くということを理解しなければならないのです。
多くの人は、多くの”部品”を抱えています。
それ等を組み合わせることはせず、ただ乱雑に抱えているのです。
そのため、人生は空しく、詰まらないのです。
大切なのは、”部品”が機能するように組み合わせることです。
残念ながら、人は、”設計図”を所有してはいません。
人が得るのは、どのような機能を有するかも分からない部品なのです。
部品を眺めていても、いつかは退屈を覚えてしまいます。
あなたは、多くの部品を集め、それを適当に組み合わせなければならないのです。
そのためには、様々な可能性を考えなければなりません。
空しく、詰まらないことを退屈だと決め付けてはなりません。
空しく、詰まらないことも、繰り返して積み重ねなければならないのです。
それは、繰り返して積み重ねると、やがては面白くなるからです。
どのように機能するか分からない部品も、繰り返し組み合わせている内に理解を深めることが出来ます。
そうすれば、ただの部品が命を生み出すことも出来るのです。
成果は必ず導かれます。
完成するまでは、最善とは掛け離れているでしょう。
未完成のものは、決して良いものではありません。
しかしながら、完成するためには、未完成の状態を経る必要があるのです。
すべては、空しく、詰まらないことの積み重ねです。
あなたは現状に捕らわれてはなりません。
命は、”部品”が正しく組み上がった時に生まれます。
正しく組み上げることが出来るまで、学び続けなければならないのです。
あなたは、空しく、詰まらないことを学び続けましょう。
そして、命を生み出しましょう。
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