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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年9月10日月曜日

空しい人生

人生とは、本来、豊かなものです。
人生とは、誰にとっても、とても価値のあるものなのです。
この世界に存在するものは、必要なものだけです。
この世界には、無駄や不要は存在することが出来ません。
それがどのようなものであれ、この世界に存在しているのであれば、価値のあるものなのです。
しかしながら、多くの人は、その価値を見失っています。
この世界には、無駄や不要が存在していると思いこんでいるのです。
残念ながら、この世界には無駄や不要は存在しません。
あなたが、この世界に無駄や不要が存在しているように思うのであれば、そのような認識が存在しているだけなのです。
すべての人は未熟です。
すべての人は、小さな世界を生きているのです。
残念ながら、あなたには何も見えてはいません。
この世界は、広くて深いのです。
あなたに見えているものは、限られたものだけなのです。
あなたは何も知りません。
人生が何であるか?
自分が何であるかも知らないのです。
あなたは、人生と自分が何であるか?を答えることが出来ますか?
残念ながら、あなたには答えることが出来ないでしょう。
例え、答えられたとしても、納得のいく答えではないのです。
それは、人が空しく生きているからです。
多くの人は、空しさを生きています。
空しさを感じないという人は、それが空しいと気が付いていないだけなのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に従います。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に手を焼いているのです。
そのため、人生の目的は、目の前の快楽や欲望や苦悩に従うことだと思い込んでしまうのです。
確かに、目の前の快楽や欲望や苦悩に向き合っていることは忙しく、達成感を得ることも出来るでしょう。
しかしながら、目の前の快楽や欲望や苦悩に向き合ったとしても、人生と自分が何であるか?という問いに答えを導くことは出来ないのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩と向き合うことによって、暇を潰すことは出来ます。
そして、人生と自分が何であるか?という問いを忘れることも出来るのです。
目の前に集中していることは、健全なことのように思えますが、それは、視野を狭めてしまうことになるのです。
大切なのは、全体を見ることです。
全体を見なければ、自分が何をしているのか?自分が何であるのか?ということは分かりません。
一部だけを見ても、自分が何をしているのか?自分が何であるのか?ということは分からないのです。
多くの人は、見えている気になっています。
世界は広大であるにもかかわらず、その一部を切り取って分かった気になっているのです。
それは、島の中で生まれ育った人が、人生を語るようなものなのです。
残念ながら、あなたには、何も見えてはいません。
あなたには、何も分からないのです。
視野を広げなければなりません。
世界を広げるのです。
多くの人は、不満や不安を抱きながら生きています。
そのような状態を乏しさと呼びます。
多くの人は、人生に乏しさを実現しているのです。
それは、本来の人生の在り方ではありません。
人生は、本来、豊かなものなのです。
あなたが人生に乏しさを感じているのであれば、それは認識が間違っているということです。
それは、世界が狭いということなのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
人生の目的を見失っているために、目の前の快楽や欲望や苦悩に従っているのです。
人生を空しく生きてはなりません。
外に存在する快楽や欲望や苦悩に魅了(みりょう)されてはなりません。
内に存在する志(こころざし)を探すのです。
全体を見なければ、志の在り処(か)は分かりません。
現状に満足することなく、世界を探求し続けなければなりません。
現状に満足することなく、人生を探究し続けなければならないのです。

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