すべての人は未熟です。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に知りません。
すべての人は、この世界の理(ことわり)を知らないのです。
理とは、この世界の本質です。
本質を知ることがなければ、人は人生に対して、問題や苦悩や乏しさを実現するのです。
多くの人が、人生に対して、問題や苦悩や乏しさを実現しています。
それは、本質である理を知らないからなのです。
すべての人は未熟であり、理を知りません。
あなたも未熟であり、理を知らないのです。
それは、"普通"のことです。
残念ながら、多くの人は、"普通"を可(か)もなく不可(ふか)もないものだと考えています。
未熟者は、それを良いものと判断します。
多くの人は、"普通"を良いものだと考えるのです。
残念ながら、"普通"とは良いものではありません。
なぜなら、"普通"というのは、未熟者の常識であるからです。
未熟者の常識は、間違いであり、歪んでいるのです。
それを良いものと考えていては、更なる問題や苦悩や乏しさを実現してしまうことになるのです。
大切なのは、"普通"を良いものと判断しないことです。
"普通"の感覚で生きていたとしても、人生に展開や幸福や豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたが、人生に対して展開や幸福や豊かさを必要としているのであれば、"普通"を疑わなければならないのです。
重要なのは、本質を見極めることであり、理に従って生きることなのです。
あなたは、理に従って生きることが出来ません。
あなたには、本質を見極めることが出来ないからです。
そのため、理想と現実は大きく異なります。
頭で考えることと、実際に得られる結果は違うのです。
あなたは、理想を実現することが出来ません。
残念ながら、あなたの理想は目の前には実現しないのです。
それは、あなたがその理想に対して相応しくないからです。
多くの人は、自分の分際を弁(わきま)えることが出来ません。
それは、未熟であるからです。
人は、未熟であるが故に分際を見誤るのです。
それは、誤解を育みます。
多くの人は、誤解しているのです。
多くの人は、自分が実際よりも優れているように錯覚するのです。
残念ながら、あなたは自分が考えているよりも劣っています。
自分を過大評価してはならないのです。
あなたは、自分が他者のように行えるなどと安易に考えてはなりません。
他者があなたのように行うことが出来ないように、あなたも他者のようには行えないのです。
何かを行うためには、それ相応の時間と労力を必要とします。
相応の時間と労力を費やしてもいないのに、他者のように行うことは出来ないのです。
あなたは、物事を安易に考えてはなりません。
誰かが時間と労力を費やして会得した技と同じように行うためには、それに相応しい時間と労力を必要とするのです。
理想とは、多くの時間と労力を費やした後の姿です。
目の前に実現するのは、理想とは異なる現実なのです。
それは、理想よりも劣っています。
あなたが受け止めなければならないのは、理想ではなく、現実です。
現実は、とても粗末(そまつ)なものです。
あなたは、思い描く理想の半分も実現することが出来ないということを覚えておかなければならないのです。
謙虚(けんきょ)である必要があります。
分際を弁えなければ、現実は歪んでしまいます。
錯覚と誤解に注意を払わなければなりません。
他者と自分を重ねてはならないのです。
あなたは、ある部分で他者よりも劣っています。
しかしながら、ある部分では他者よりも優れているのです。
優劣を認めなければなりません。
そのためには、冷静に、客観的に見極めなければなりません。
理想と現実の間には、大きな隔(へだ)たりが存在しています。
その差異(さい)を理解しなければならないのです。
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