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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年10月31日水曜日

優雅

あなたは、自分自身を知らなければなりません。
自分自身を知ることは、人生における主題なのです。
自分自身を知ることなくして、人生に豊かさを実現することは出来ません。
なぜなら、豊かさとは、自分自身の選択によって実現するからです。
人生を豊かなものにするためには、人生の原因である自分自身が豊かでなければなりません。
自分自身が豊かでなければ、人生に豊かさを導くことは出来ないのです。
自分自身を豊かにするためには、自分自身を知らなければなりません。
あなたは、自分自身を知る必要があるということを覚えておきましょう。
人生におけるすべての時間が、あなたに自分自身を教えています。
あなたは、人生を通じて自分自身を知ることが出来るのです。
どのような経験も決して無駄ではありません。
すべての経験から、自分自身を知ることが出来るのです。
ぼんやりと生きてはなりません。
あなたは、人生の目的を見失って生きてはならないのです。
自分自身を知ることが、人生の目的であり、主題です。
残念ながら、自分自身を知ること以上に重要なことはありません。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
残念ながら、多くの人は自分自身を見失っています。
そして、自分自身を見失っているにもかかわらず、それを探そうともしないのです。
多くの人は、ぼんやりと生きているのです。
人生に目的を持たず、人生の主題にも気が付かずに生きているのが現状なのです。
そのため、多くの人の考える”自分”というものは、自分自身のことではないのです。
多くの人は、虚像(きょぞう)を実像だと思い込んでいるのです。
残念ながら、虚像には力がありません。
それは、実体ではないからです。
あなたは、自らの従える影によって、塵(ちり)の一つでも動かすことが出来るでしょうか?
虚像に頼るというのは、そのようなことなのです。
塵の一つでも動かそうとすれば、実像を働かせることが必要です。
この世界においては、実像の働きがなければ、何一つ動かすことは出来ないのです。
あなたは、虚像を追ってはなりません。
あなたの思っている”自分”とは、決して自分自身ではありません。
何かを知っているつもりでいるのならば、虚像に頼ることになるでしょう。
それでは、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
残念ながら、あなたは、”自分”が考えるような人物ではありません。
あなたは、”自分”が考えるよりも、より優雅な存在なのです。
”自分”とは、自我意識の考える姿です。
それは、偏見と誤解による虚像です。
自分自身というのは、光のように汚れることのない存在なのです。
自分自身という実像は、汚れることがないということを覚えておかなければなりません。
汚れているのであれば、それは虚像です。
自分自身は、決して汚れることはないのです。
最も雅(みや)びやかな状態こそが、実像であり、自分自身なのです。
あなたは、光として生まれました。
どのような人物の本質も、無垢(むく)な光であるということを覚えておかなければならないのです。
あなたは、そのことを思い出さなければならないのです。
優雅に生きなければなりません。
粗野(そや)に振る舞ってはならないのです。
あなたの本質は、無垢な光です。
そして、どのような悪人の本質も、無垢な光なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
優雅に生きましょう。
光は汚れることがありません。
あなたが自分自身に触れた時には、雅びやかであり、厳(おごそ)かな気分でいることが出来るでしょう。
自分自身に触れた時に、粗野であることは出来ません。
あなたは光であり、光は汚れないのです。
あなたが自分自身を理解するためには、優雅を探しましょう。
あなたは、優雅に生きなければなりません。
優雅の中に自分自身を見付けるでしょう。

2018年10月30日火曜日

生まれたことが苦しみ

すべての人にとって、人生は苦しみです。
すべての人が苦しみを抱えて生きているのです。
誰一人として、苦しみを知らずに生きる者はいません。
どのような人物であろうとも、苦しみと共に生きなければならないのです。
苦しみを隠している人はいますが、苦しみを知らない人はいません。
人生は、苦しいことが自然なのです。
多くの人は、苦しみを嫌い、それを避けようとして手を尽くします。
それは、自然を否定する行為なのです。
苦しみを拒絶する人は、不自然を受け取ることになるのです。
不自然は、人生の乏しさを実現します。
人生が苦しいことは自然ですが、人生が乏しいことは不自然なのです。
苦しみの中に幸福を見出すことは出来ます。
それは、自然だからです。
しかしながら、乏しさの中に幸福を見出すことは出来ません。
なぜなら、それは不自然だからなのです。
自然は幸福をもたらしますが、不自然は不幸をもたらすのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生が苦しいことは自然です。
誰の人生も苦しいのです。
苦しいことは、幸福には関わりのないことです。
苦しくても、幸福を得ることは出来るのです。
あなたは、苦しみが幸福の言い訳にはならないということを覚えておかなければなりません。
あなたは、不自然に陥(おちい)らないように注意しなければなりません。
人生を乏しく生きてはならないのです。
生まれたことは苦しみです。
誰にとっても、生まれることは苦しみであるのです。
なぜなら、生まれたのであれば、この歪んだ世界で生きなければならないからです。
それは、苦しみなのです。
そのため、苦しむことは自然です。
あなたは、苦しみを否定してはならないのです。
苦しみは、成長のために導かれます。
人は、苦しみを経なければ成長を実現することは出来ないのです。
人は、成長するために生まれたのです。
人生が楽なものだと考えてはなりません。
残念ながら、人生は苦しいものです。
あなたは、多くの問題と矛盾を抱えることになるのです。
それが自然です。
多くの人は、苦しみを騒ぎ立てます。
それは、当然のことに対して騒ぎ立てるようなことなのです。
あなたは、人生の苦しみが自然だと理解しなければなりません。
苦しみに会うことを特別なことと考えてはなりません。
あなたはいつでも苦しみに会うことになるのです。
生まれたことが既に苦しみです。
苦しみに対して不安や不満を抱えてはなりません。
労力と時間を、そのようなことに浪費してはならないのです。
時間と労力は、豊かさのために使いましょう。
あなたは、苦しみの中に幸福を探しましょう。
それが自然です。
苦しみを避けて幸福を手にすることは出来ません。
そのことを理解して、自らの選択を改めましょう。
人生を乏しくしてはなりません。
人生は苦しくても良いのです。
苦しいことを問題としてはなりません。
乏しいことを問題としましょう。
美しい心で生きなければなりません。
苦しみに屈することがなければ、乏しさに至ることはありません。
美しい心で生きているのであれば、苦しみに屈することはありません。
美しい心は、苦しみの中に幸福を見出すことの出来る力です。
それを多用しましょう。
苦しみの中にあって、心を汚してはなりません。

2018年10月29日月曜日

連鎖

すべての人は、人生に豊かさを望みます。
どのような人物も、豊かな人生を求めているのです。
豊かさとは、それぞれ独自のものです。
豊かさは、人によって形が異なるのです。
あなたには、あなただけの豊かさの形があります。
他者には、他者だけの豊かさの形があるのです。
すべての人は、役割を与えられて生まれます。
どのような人物であろうとも、この世界に必要な役割を担(にな)っているのです。
与えられた役割は、それぞれに異なります。
それぞれが、異なる役割を担うことによって、この世界は成り立つのです。
それぞれが同じ役割を担ってしまえば、この世界は成り立ちません。
役割は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
豊かさの形は異なっているのが自然です。
豊かさの形は、それぞれに異なっていなければならないのです。
残念ながら、多くの人はそのことを理解しません。
豊かさの形に正解を求め、手本となる形に近付けようと努めます。
自らの豊かさの形を、自分のものではない誰かの豊かさの形に近付けるということは、豊かさから遠ざかるということなのです。
それぞれが異なる役割を担い、それぞれが異なる豊かさを与えられています。
あなたは、そのことを理解し、自らの豊かさの形を求め、それを実現しなければならないのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
人生には、手本となる正解が存在しないことを理解し、自らの感じる豊かさを追い求めなければならないのです。
自分の人生を生きることは簡単ではありません。
なぜなら、手本が存在しないからです。
あなたが成すべきことは、手本が存在しない自分の人生を実現することなのです。
あなたは、自分の人生を築かなければならないのです。
自分の人生を生きることが簡単ではないというのは、多くの人が自分の人生を生きることを恐れているからです。
多くの人は、自分に自信がありません。
多くの人は、自分の人生を生きることが出来ないのです。
誰かを手本として人生を生きることの方が簡単です。
それは、探さなくて済むからです。
それは、考えなくて済むからです。
それは、勇気を出さなくて済むからです。
それは、傷付かずに済むからです。
そのように考えている者には、自分の人生を生きることが出来ません。
それは、人生の乏しさを意味しているのです。
あなたは、人生を改めなければなりません。
誰か(の人生)を手本とする生き方を手放し、自分の人生を生きるのです。
あなたは、人生を変えなければなりません。
誰も、あなたの人生を変えることは出来ません。
あなたは、自分自身によって、人生を変えなければならないのです。
人生は連鎖(れんさ)します。
それは、変化が連鎖するということなのです。
この世界においては、何か一つを動かせば、バランスを取るために別の何かを動かさなければなりません。
バランスを保たなければ、世界が存続することはないのです。
一つの切っ掛けは、多くの変化をもたらします。
あなたが、人生において自発的に何か一つでも改めれば、バランスを取るために別の何かを変える必要が生まれるのです。
それは、将棋倒しのように、多くの変化へと連鎖するのです。
人生を変えることは、思っている程難しいものではありません。
一つの変化が、多くの変化を引き起こすのです。
あなたが、自発的に何かを変化させれば、状況や環境も変わらざるを得ません。
あなたが何かを変化させれば、人生も変わらなければならないのです。
あなたは、人生においては、変化が連鎖するということを覚えておきましょう。
切っ掛けは、一つの変化で良いのです。
一つの変化が二つとなり、五つとなり、百となるのです。
世界はバランスを保ちます。
あなたの引き起こす変化とは、不安定さなのです。
あなたの引き起こす変化とは、世界のバランスを崩す行為なのです。
あなたが変化を選択することによって、バランスを好み、不均衡(ふきんこう)を嫌う世界は、それを埋めようとして働きます。
あなたが変化を選択すれば、世界はバランスを保つために新たな変化を要求するのです。
その変化の積み重ねこそが、自分の人生を築くのです。
人生を変えることは、決して難しいことではありません。
変化の切っ掛けを作り、後は人生の提唱(ていしょう)する流れに従って行動すれば良いのです。
一つの変化が、多くの変化を引き起こします。
そのことを覚えておきましょう。
豊かな人生のために気負(きお)う必要はありません。
切っ掛けである一つの変化を起こせば良いのです。
変化は連鎖するということを覚えておきましょう。

2018年10月28日日曜日

原因の収穫

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
人は、因果の仕組みの中に人生を築いているのです。
そのため、誰一人として、因果の仕組みを無視することは出来ません。
すべての人は、因果の仕組みに従わなければならないのです。
因果の仕組みとは、原因に相応しい結果が導かれる理(ことわり)のことです。
すべての人は、それを無視することが出来ないのです。
あなたの人生における原因とは、あなた自身のことです。
あなたという存在が原因となり、人生という結果を導くのです。
原因が存在しなければ、結果は存在しません。
因果を理解しない人もいますが、そこにも因果は存在しています。
この世界には、偶然も奇跡も存在しないのです。
どのような不思議なことも、それに相応しい原因が存在するのです。
人は、因果関係を理解することが出来ないことに対して、因果関係が存在しないと思い込みます。
それは、理解が追い付かないからです。
因果関係が存在しないと思い込むことによって、自らの無知を隠し、正当化しようとしているのです。
すべての結果は、それに相応しい原因によって導き出されます。
あなたは、そのことを知らなければなりません。
原因が存在しなければ、結果は存在しません。
因果関係を理解することが出来ないからといって、因果関係が存在しないということではないのです。
一つの結果も、様々な原因によって導かれます。
人生というものは、人の考えで理解することが出来るような単純なものではありません。
人には、理解することが出来ないために、偶然や奇跡などという言葉が存在しているのです。
自分自身がどのような原因を所有しているかは、結果を得てみなければ分かりません。
あなたは、結果から原因を理解する他ないのです。
あなたには、自分が所有している原因を理解することさえ出来ません。
あなたは自分自身を知らず、人生がどうなるかなど知らないのです。
そのため、あなたは結果を受け取らなければなりません。
結果を経験することによって、自分自身を知り、人生を知ることが出来るのです。
残念ながら、原因は結果を導くまでは消えることがありません。
原因が存在し続けるのであれば、結果も導かれ続けるのです。
火種があれば、炎は復活するのです。
炎を得ないためには、火種を絶つ必要があるということを覚えておきましょう。
小さな火種は、認識することが難しいのです。
小さな火種であっても、炎となるのです。
原因が取るに足らないものであったとしても、それが必要な分だけ集まれば、結果を導くのです。
あなたは、結果を受け取らなければなりません。
結果を避けることは出来ないのです。
原因は、結果を導くまでは消えることがありません。
あなたは、因果を受け取らなければなりません。
残念ながら、それがどのような結果であったとしても、甘んじて受け入れなければならないのです。
結果を否定することは建設的な選択ではありません。
なぜなら、あなたは結果を受け取ることによって、原因を絶つことが出来るからです。
あなたは、原因を結果という形で収穫しているのです。
原因は、結果として収穫しなければなりません。
なぜなら、結果はあなたの成長を助けるからです。
原因の状態では、成長の助けにはなりません。
例えば、傲慢(ごうまん)という原因を所有していたとしても、結果を得なければ、自分が傲慢であることには気が付きません。
傲慢は、問題や苦悩という結果を導きます。
傲慢によって問題や苦悩を受け取れば、どのように鈍感な人物であったとしても、自分の傲慢さに気が付くのです。
原因に気付くための結果なのです。
あなたは、結果という状況を通じて、自分自身と対話しているということを理解しなければなりません。
人は未熟です。
経験を通じてしか、自分自身を理解することが出来ないのです。
因果の仕組みは確実に働きます。
悪い結果は、悪い原因によって導かれます。
良い結果は、良い原因によって導かれるのです。
何をしても、導かれる結果を改めることは出来ません。
原因が存在すれば、それを実現するための結果は導かれ続けるのです。
一度所有した原因が導く結果を否定することは出来ませんが、新たな原因を選択することによって、古い結果を否定することは出来るのです。
選択を改めたからといって、すぐに結果が変わる訳ではありません。
それは、自分では認識することが出来ない原因が存在しているからです。
あなたは、結果が変わるまで、原因を改め続けましょう。
結果は、それに相応しい原因によって導かれるのです。
そのため、あなたの選択は決して無駄にはなりません。
思い通りの人生でなくても、原因のことを考え続けなければなりません。
自暴自棄(じぼうじき)に陥(おちい)ってはなりません。
すぐに結果として現れなくても、原因を改めることを続けなければなりません。
古い原因が終われば、結果は変わるのです。
何事も諦めることなく、原因を収穫し続けましょう。

2018年10月27日土曜日

必要な繰り返し

人生とは、繰り返しの学びです。
人は、繰り返しの中に学びを得なければなりません。
人は、繰り返すことでしか学びを得ることが出来ないのです。
それは、人が一度で学びを得ることが出来ないからです。
すべての人が未熟です。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に、繰り返さなければならないのです。
それは、認識が追い付かないからです。
どのようなことも、一度で理解することは出来ません。
理解に達するためには、多くの経験が必要なのです。
あなたの認識が理解を得るまでは、何度も繰り返して経験を積む必要があるということを覚えておきましょう。
理解を得るまでは、繰り返す必要があります。
理解を得るまでは、人生を進めることが出来ません。
それは、人生の扉を開く鍵が理解だからです。
あなたは、理解によって人生を進めることが出来るでしょう。
理解を得るまでは、どのように努めても人生を進めることは出来ません。
そのため、先へ進もうとしてはなりません。
理解を深めようと努めるのです。
人生に焦りは必要ではありません。
急ぐことは良いですが、焦ってはならないのです。
焦りは、理解を浅くします。
焦りは、熟考を妨げるからです。
必要な部品を集めなければ、完成しません。
学びを完成させるためには、それに必要な経験が必要なのです。
しかしながら、必要な経験は簡単に集まるものではありません。
それは、認識が及ぶ必要があるからです。
認識が及ぶことによって、経験を得ることが出来ます。
それは、認識しなければ、理解することが出来ないからです。
すべての人は無知です。
人は、何も知らないのです。
あなたも、知りません。
知らない者が知るためには、繰り返しを必要とすると覚えておきましょう。
あなたは、どのようなことでも繰り返し学ばなければなりません。
それは、仕方のないことです。
繰り返す程に、あなたは理解を深めることが出来るでしょう。
それは、繰り返す程に、本質へと近付くことが出来るからです。
遠くにあるものは朧(おぼろ)げです。
遠くからは、それを理解することが出来ないのです。
繰り返すことは、歩むことに似ています。
一歩一歩を繰り返し踏み出すことによって、目標へと近付くことが出来るのです。
近付く程に、それを鮮明に認識することが出来ます。
認識を深めるためには、目標へと近付く以外に方法はないのです。
朧げな像を理解することは出来ません。
推測(すいそく)は、想像に過ぎず、想像は事実とは異なるのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
実際に確かめることがなければ、理解を得ることは出来ません。
あなたは、それを実際に確かめるために繰り返すのです。
繰り返しによって認識を深めることもなく、何かを理解した気になってはなりません。
理解には、多くの労力と時間を必要とします。
誰かに教わった知識によって、理解を得たと思い込む人は多いのです。
本を読んだことで、理解を得たと思い込む人も多いのです。
残念ながら、どれだけの知識を得ても、理解を得ることにはなりません。
他者や本による知識は、どうしても他者の主観による知識なのです。
実際に経験することによって得られる理解は、同じことであっても、与えられた知識とは大きく異なるのです。
理解とは、全身全霊によって得るものです。
理解とは、知識と経験による知性だからです。
理解を深めることは、知性を育むことなのです。
知性が豊かな人は、人生を豊かなものにするでしょう。
知性に乏しい人は、人生を乏しくするものなのです。
繰り返しは、知性を高めます。
諦めずに繰り返しましょう。
詰(つ)まらないと投げ出してはなりません。
目的は、知性を高め、人生を豊かに生きることなのです。
そのことを忘れてはなりません。

2018年10月26日金曜日

仕事は遊び、遊びは仕事

人生は、目的のある旅路です。
あなたは、目的地へと向かって歩んでいるのです。
人は、生まれながらに、目的地を目指しています。
人生とは、無駄な時間ではないのです。
あなたは、自分が目的を以(もっ)て生きているということを知らなければなりません。
この世界に、目的も無く存在している人はいません。
どのような存在も、目的のために生まれ、存在しているということを理解しましょう。
しかしながら、多くの人は、人生に対して目的を見失っています。
多くの人は、宛てもなくさまよっているのです。
多くの人は、それを空しく思います。
それは、自信を失わせるのです。
多くの人は、自分自身を信じることが出来ません。
多くの人は迷い、苦しんでいるのです。
残念ながら、人生の目的を知る人はいません。
誰もが、人生の目的を把握(はあく)しないままに歩みを続けているのです。
しかしながら、それは、決して無駄な行為ではありません。
無駄に思えることは多くありますが、無駄なことは存在しないのです。
幼子は、遊びの中に生きる術を身に付けます。
這(は)うのも、立ち上がるのも、歩むのも、遊びの中で身に付ける生きる術です。
幼子は、寝ているよりも、這うことが楽しいのです。
這うことよりも、立ち上がる方が楽しく、立ち上がることよりも、歩むことの方が楽しいのです。
人は、楽しいことを通じて、様々なことを学び、身に付けるのです。
人生を豊かなものにするためには、楽しみを必要とするのです。
楽しみを通して、人生は豊かさを得るのです。
人生に楽しみが失われるのであれば、豊かさも失われてしまうということを覚えておきましょう。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、楽しみを生きなければならないのです。
多くの人は、大切なことを忘れています。
それは、楽しむことです。
単純なことではありますが、多くの人が忘れていることなのです。
人生は、苦しい場所ではありません。
辛抱(しんぼう)を貫(つらぬ)く場所でもないのです。
あなたは仕事を遊びとし、遊びを仕事としなければなりません。
仕事には、想像性が必要です。
仕事というものは、退屈な作業の繰り返しではならないのです。
遊びのように想像力を発揮し、楽しみを見付けなければなりません。
楽しんでいる時、人は良い仕事を世の中に導くのです。
楽しんで仕事をしていない人が、世の中の役に立つことはありません。
あなたと、あなたの仕事が世の中の役に立つためには、楽しんでいることが必要不可欠であるということを理解しなければなりません。
仕事を重たく考えてはなりません。
責任感は必要ですが、楽しむことの方が重要です。
それは、責任を果たさなければ楽しくないからです。
楽しもうとする人は、結果として責任を果たすということなのです。
しかしながら、責任を果たそうとする人は、楽しむことを忘れてしまうのです。
あなたは、仕事を真剣な遊びと考えなければなりません。
しかしながら、遊びを遊びと考えてはなりません。
それは、歯止めが利かなくなる可能性が高いからです。
遊びによって、人は身を崩します。
遊びを遊べば、人は快楽や欲望に溺れてしまうのです。
それでは、責任を果たすことも、目的を果たすことも出来ないのです。
遊びには、歯止めが必要です。
それが、遊びを仕事だと考えることなのです。
あなたは遊びに手を抜いてはなりません。
真剣に遊びと向き合うのです。
仕事に対しての緊張をほぐし、遊びに対しての気持ちを引き締めましょう。
仕事は遊びであり、遊びは仕事です。
自由な発想によって仕事を行い、責任を以て遊びましょう。
そうすれば、人生の目的が見えてくるでしょう。

2018年10月25日木曜日

因果は、忘れた頃に巡る

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、結果には、それに相応しい原因が存在し、原因には、それに相応しい結果が導かれるというものです。
因果は巡ります。
原因は結果に、結果は原因へと向かうのです。
残念ながら、因果の仕組みを免(まぬが)れる人はいません。
それは、因果の仕組みが理(ことわり)に従っているからです。
理とは、この世界そのものです。
あなたの人生は、この世界の中に存在しているのです。
そのため、人生を生きるあなたには、理を否定する力はありません。
あなたは、因果の仕組みを免れることは出来ないのです。
結果は、それに相応しい原因によって実現します。
それは、最善の時を知っています。
因果は、最も心に響く時に巡るということを覚えていなければなりません。
人生は、思い通りにはならないのです。
良い結果も、悪い結果も、最も心に響く時に実現するということを忘れてはならないのです。
因果は必ず巡ります。
そのことを忘れてはなりません。
多くの人は、良い結果を諦めてしまいます。
自分の思い通りに結果が導かれないのに落胆し、善行を諦めてしまうのです。
良い結果が導かれないからといって、善行を諦めてはなりません。
なぜなら、善行を諦めなかった者にだけ、良い結果が導かれるからです。
誰でも、褒美(ほうび)のために善行を積むことが出来ます。
残念ながら、褒美のための行為は善行ではないのです。
善行とは、純粋な動機によって導かれる行為なのです。
"楽しくて仕方がない"、"誰かや何かの役に立ちたい"などという純粋な動機による行為こそが、善行であるのです。
純粋な動機によって行為する人は、問題や苦しみの中でも善行を積むことが出来ます。
純粋な動機によって行為する人には、問題や苦しみが善行を諦める理由にはならないのです。
そのため、他の人に比べると良い原因を所有します。
良い原因は、良い結果を導きます。
問題や苦しみの中でも、善行を諦めなかった者にだけ、良い結果は導かれるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
善行を簡単に諦めるものではありません。
強い意志を以(もっ)て、善行を積まなければならないのです。
多くの人は、悪行を積んでいます。
それは、悪い結果が導かれないからです。
悪い結果が導かれないからといって、悪行を積んではなりません。
理は、最善の時を知っています。
結果は、最善の時に導かれるのです。
悪い原因を積み上げるのであれば、悪い結果は確実に実現します。
原因が、結果を導かないことはないのです。
因果は、忘れた頃に巡るのです。
多くの人は、悪い結果が導かれないことに思い上がり、更なる悪行を積むのです。
高く積み上げた石は、それがどのように安定した形をしていたとしても崩れ落ちます。
高く積み上げる程に、崩れ落ちる可能性は高まるのです。
そして、高く積み上げた方が被害は大きいのです。
悪行は、災難として自分に降り注ぎます。
それは、様々な問題であり、苦しみとして降り注ぐのです。
避ける術はありません。
あなたは、自らの手で積み上げた悪行によって、苦悩を受けるのです。
改めなければ、苦悩は大きく成長します。
どのような報(むく)いを受けるかは、自分自身で決めるのです。
誰かや何かによって、あなたの人生が左右されるのではありません。
そのように見えるだけです。
原因は自分自身にあり、結果は自分自身のものなのです。
あなたは、誰かや何かを裁(さば)いてはなりません。
誰かや何かを裁くために、心を汚してはなりません。
人生を豊かに生きるために唯一必要なのは、美しい心なのです。
何を手に入れても、美しい心を所有しなければ、人生は乏しいのです。
どのようなものも、美しい心には及ばないのです。
裁きは、理に任せれば良いのです。
理は、それぞれの最善の時に、それぞれを裁くのです。
あなたは、自ら手を下してはなりません。
誰かや何かを裁いてはならないのです。
裁きは理に任せ、あなたは善行を積みましょう。
それ以外に、人生を豊かに生きる方法はありません。
あなたは、良いことのために手を下すのです。
因果は必ず巡ります。
心配せずに、善行を積みましょう。

2018年10月24日水曜日

幸福な声

人は、人生を自分自身で築きます。
人生の原因は自分自身なのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果関係の存在しないような状況もあるでしょうが、それは、因果関係を見出すことが出来ないだけなのです。
原因が存在しなければ、結果は存在しません。
種が存在しなければ、芽吹きは無いのです。
種蒔きをしなくても、野草は芽吹きます。
あなたは、そこに因果関係を見出すことが出来ないでしょうか?
何かしらの原因によって種が存在し、芽吹いたのです。
種が存在せずに、野草が芽吹くことは無いのです。
畑や庭に、身に覚えのない野草が芽吹いたとしても、それは、あなたの所有する畑や庭であり、芽吹きを体験するのは他の誰でもないあなたなのです。
畑や庭を所有することが既に原因であり、風や鳥や自分自身の衣服などによって運ばれて来た種が芽吹くのは、当然のことなのです。
知らないことであっても、それが結果を導く原因であるということを理解しなければなりません。
人生とは、自分自身の結果です。
人生は、自分自身という原因を現しているのです。
人生を見れば、その人が分かります。
人生は、その人の価値観や考え方を如実(にょじつ)に現しているのです。
無関係が実現することなどありません。
実現しているすべての状況は、あなたに関係していることなのです。
不幸な人間は、不幸な方法しか知りません。
不幸な人間が不幸なのは、当然の結果なのです。
不幸な価値観や考え方を所有する者の人生が不幸なのは、当たり前なのです。
種を蒔けば、芽吹きます。
すべての種が芽吹く訳ではありません。
芽吹くのは、あなたに必要な分だけなのです。
人生は、最善を導きます。
人生において、無駄は存在しません。
それがどのような状況であろうとも、あなたにとっては必要な学びなのです。
不幸な人間は、不幸を経験します。
不幸な人間が、幸福を経験することは出来ません。
なぜなら、相応しくないからです。
不幸な人間に相応しいのは、不幸な状況なのです。
あなたが人生を不幸だと思うのであれば、あなたの価値観や考え方が不幸の原因です。
破滅的な思考や感情によって、人は不幸に陥(おちい)るのです。
不幸をやめたければ、破滅的な思考や感情をやめることなのです。
破滅的な思考や感情とは、短絡的であり、利己的なものです。
それが、俗にいう優しさであったとしても、短絡的であり、利己的な思考や感情であるのならば破滅的なのです。
それが、熟慮(じゅくりょ)され、利他的な思考や感情であるのならば、建設的なのです。
自分自身が人生を築きます。
自分自身の価値観や考え方が人生と成るのです。
あなたの価値観や考え方が人生です。
そして、人生は、あなたの価値観や考え方を教えます。
人生は、その人の真(まこと)を教えるのです。
見た目や言動に騙(だま)されてはなりません。
その人を知りたければ、その人の人生を見ましょう。
不幸な人間は、不幸な方法しか知りません。
幸福な人間は、不幸な方法と幸福な方法を知っているのです。
残念ながら、不幸な方法を知ることがなければ、幸福な方法を知ることは出来ません。
失敗を繰り返すことがなければ、成功を実現することは出来ないのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、不幸な人間の声に従ってはなりません。
不幸な人間の声は大きいのです。
そのため、あなたの”耳(心)”には良く届きます。
良く聞こえるからといって、従ってはなりません。
幸福を求めているのであれば、幸福な人間の声に従いましょう。
幸福な人間は、失敗を繰り返し経験しているのです。
不幸な人間には、幸福な人間の言葉が不愉快に聞こえるかも知れません。
しかしながら、その人が幸福であるのならば、その声に従わなければなりません。
暗闇の中で光を見るのは不愉快なのです。
それと同じことが、人生にも起きているのです。
不快に思う声が、あなたを不幸にするとは限りません。
愉快に思う声が、あなたを幸福にするとは限らないのです。
自分自身の立ち位置を確認しましょう。
自分が暗闇の中にいることを知れば、光を不快には思わないでしょう。
自分が不幸だと知れば、幸福を不快には思わないのです。
光(幸福)へと歩み続けましょう。

2018年10月23日火曜日

小石

すべての人生には意味が存在しています。
それは、人生を築く人が生まれたことに意味があるからです。
この世界には、意味の無いものは存在しません。
意味も無く生まれた人は、一人もいないのです。
どのような人物であれ、意味を以(もっ)て生まれます。
あなたには、意味を見出すことが出来ない人生や人物であったとしても、誰かや何かには意味のある人生や人物なのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
意味は存在しています。
しかしながら、それはとても見付け難いものなのです。
例えば、川底に沈む特定の小石を拾い上げるようなものなのです。
どのように澄んだ水であっても、川の流れによって小石は隠されます。
そして、光の屈折(くっせつ)によって、違う場所に手を伸ばしてしまうのです。
一見すると簡単そうに思えることも、難しいということを理解しなければなりません。
どのような人物の、どのような人生にも意味があります。
それは、川底の小石のように確実に存在しているのです。
しかしながら、それを見付けることと、拾い上げることは難しいのです。
あなたが人生の意味を見出し、それを実現するためには、様々な方法を用いて、何度も挑戦する必要があります。
一度では叶いません。
二度目でも叶わないでしょう。
千度目でも叶わないかも知れません。
それ程、人生の意味を見出し、それを実現することは難しいのです。
しかしながら、あなたはそれを諦めることは出来ません。
なぜなら、それが幸福であり、豊かさであるからです。
すべての人は幸福を求めます。
そして、すべての人は、人生に豊かさを求めるのです。
幸福は、人生の意味を見出すことです。
豊かさは、それを実現することなのです。
あなたが幸福と豊かさを求めているのであれば、人生の意味を見出し、それを実現することを諦める訳にはいかないのです。
多くの人は、暗中(あんちゅう)を生きています。
人生の意味や目的を見出すことが出来ず、空しく生きているのです。
多くの人は、退屈や苦悩と共に生きているのです。
現状がどのようなものであったとしても、自暴自棄(じぼうじき)に陥(おちい)ってはなりません。
人生は、思い通りにならないのが自然なのです。
川底の特定の小石を拾い上げることが簡単に見えて難しいように、人生の意味を見出し、それを実現することも、簡単に思えて難しいのです。
そのため、人生は、長い目で見なければなりません。
辛抱強く人生と向き合わなければならないのです。
現状がどのようなものであれ、それに悲観する必要はありません。
それが”普通”です。
人生は、より良く成るということを理解しなければならないのです。
あなたは、日々より良く出来るようになります。
どのようなことも、上達するのです。
一度よりも二度目の方が上手く出来ます。
千度目ならば、より上手く出来るのです。
人は、日々成長しているのです。
どのような経験も成長の糧(かて)となります。
問題や苦悩であったとしても、それは成長を助けるのです。
人生には、何も心配する必要はありません。
なぜなら、あなたが日々成長することによって、人生はより良く成るからです。
あなたが成長することによって、人生の意味を見出す可能性は高まります。
そして、それを実現する可能性も高まるのです。
人生の意味は難解なものではありません。
川底の特定の小石を拾い上げるのと変わりません。
単純に考えましょう。
回数を重ねれば、どのようなことも上達します。
現状だけで判断することなく、未熟や失敗を楽しみましょう。
何度も何度も挑戦しましょう。

2018年10月22日月曜日

人生の組み立て

あなたは、人生を自由に生きることが出来ます。
人生は、誰にも、何にも支配されてはいないのです。
誰も、何も、あなたの自由に干渉(かんしょう)してはいません。
誰も、何も、あなたを縛り付けることは出来ないのです。
人生の原因はあなたです。
あなた自身が、人生を組み立てるのです。
その結果が、目の前の状態であり、状況であり、環境なのです。
誰かや何かがあなたの状態や状況や環境を導いたのではありません。
あなた自身が、自分でそれを選んだのです。
多くの人は、誰かや何かによって人生が左右されていることを願います。
それは、誰かや何かによって人生が左右される方が都合が良いからです。
なぜなら、誰かや何かによって人生が左右されているということを信じている方が、自分自身と向き合わずに済むからです。
多くの人にとって、自分自身と向き合うことは都合が悪いことなのです。
それは、自分自身と向き合うことを恐れているからです。
人は、自分自身を恐れているのです。
そのようには認識していないかも知れませんが、人が最も恐れているのは、自分自身なのです。
あなたは、自分自身を恐れます。
それは、自分自身の抱える弱さを恐れているのです。
最も恐れている自分自身と向き合うことは、誰にとっても都合の良いことではありません。
誰もが、自分自身の抱える弱さと向き合わずに済む方法を探しているのです。
最も簡単な方法は、誰かや何かのせいにすることです。
責任転嫁(せきにんてんか)によって、人生の責任をすり替えることで恐れから逃れようとしているのです。
残念ながら、人生の責任をすり替えることは出来ません。
誰かや何かに責任を擦(なす)り付けたとしても、その結果を得るのは自分自身なのです。
あなたは、人生に対する自分自身の責任から逃れることは出来ません。
どのような方法を用いても、あなたは人生の責任を負うのです。
どのような言い訳も通用しません。
すべての責任は、自分自身にあるということを覚えておかなければならないのです。
大切なのは、どのような選択を行うか?ということです。
人生は、あなたの選択によって築かれるのです。
残念ながら、材料は同じです。
原因は、心なのです。
結果は、心の組み立て方によって異なります。
同じ材料を用いても、結果は異なります。
同じ料理を作っても、人によって味は異なります。
同じ方法で調理しても、味は異なるのです。
それは、組み立て方が異なっているからなのです。
あなたは、他者とは異なる組み立て方によって人生を築きます。
あなたは、自分が作った料理の出来を、誰かや食材の責任にすることが出来るでしょうか?
同じ食材を使って、美味しい料理を作り、それによって幸福を得ている人もいるのです。
人生を豊かに生きている人がいる一方で、人生を乏しく生きている人がいます。
誰かや何かのせいで人生が左右されるというのは誤解です。
誰もが、自分の思い通りに人生を展開させることは出来ません。
しかしながら、それは誰かや何かによって妨害されているからではありません。
組み立て方が間違っているために、豊かさを得ることが出来ないのです。
誰かや何かのために人生が乏しいのではありません。
あなたよりも不利な立場にある人であっても、人生に豊かさを感じて生きている人は多いのです。
組み立て方を間違えてるのです。
そのことを理解しなければなりません。
受け入れたくはないことかも知れませんが、人生は、あなたのせいです。
現状は、あなたの選択の結果でしかないのです。
あなたが現状を組み立てたのです。
誰かや何かが、あなたのために組み立てることはないのです。
そのことを理解しなければなりません。
あなたには、自由が与えられています。
あなたは、自由の名の下に、人生を自由に組み立てることが出来るのです。
人生に問題や苦悩を抱えているのであれば、組み立て方を見直す必要があるのです。
誰かや何かを変えようとする必要はありません。
それは、組み立て方を変えれば、誰かや何かは気にならなくなるからです。
人生を難しく考える必要はありません。
自分自身を改めることが出来れば、人生は改まるということです。
因果の仕組みは、とても単純であり、簡単です。
料理を美味しくするためには、調理方法を改めれば良いだけです。
それと同じように、人生を豊かにするためには、考え方や生き方を改めれば良いだけなのです。
人生の原因が自分自身であるということを覚えておきましょう。
結果は、原因の組み立て方によって変わります。
そのことを覚えておかなければなりません。
あなたは、自分の責任によって、人生を豊かに組み立てましょう。

2018年10月21日日曜日

悟りを探す

多くの人は、欲望に従って生きています。
多くの人は、目の前の快楽を貪(むさぼ)るために生きているのです。
多くの人にとっての人生の動機は欲望です。
多くの人は、欲望を満たすことが人生の目的となっているのです。
多くの人は、欲望に従って行動します。
多くの人にとっては、それが空しい人生を紛らわす手段なのです。
多くの人にとっては、人生は空しいのです。
それを忘れるために、欲望に従うことが必要なのです。
ある程度は、欲望によって人生の空しさを紛らわすことが出来ます。
しかしながら、それは肉体が精気に満ち溢れている間です。
若い時には、肉体には精気が漲(みなぎ)っています。
肉体は、大き過ぎる欲望を満たそうと躍起(やっき)になります。
人生の中盤までは、欲望を満たす生き方によって、ある程度の満足を得ることが出来るのです。
しかしながら、人生が終盤に差し掛かり、肉体からは精気が失われるのであれば、欲望を満たすことでは人生の空しさを紛らわすことが出来ません。
精気によってごまかされてきた欲望を満たすことが心地好い人生も、精気が失われると同時に破綻(はたん)します。
精気が失われた肉体を通じては、快楽を貪り、欲望を満たすことに満足を得ることが出来ないのです。
老人が、快楽を貪り、欲望を満たすことを喜ぶでしょうか?
老体には、快楽を貪り、欲望を満たすことは重労働なのです。
若人(わこうど)には楽しいことも、老人には楽しくないのです。
老人には楽しいことも、若人には楽しめません。
それは、精気が漲っていることによって、大胆(だいたん)になっているからなのです。
若人には、静寂(せいじゃく)が耐えられません。
それは、静寂の価値を理解することが出来ないからです。
静寂の価値を理解することが出来るとすれば、精気の働きが弱まり、快楽や欲望から離れた時なのです。
若人は、精気の働きが盛んです。
若人は、快楽や欲望と離れることが出来ないのです。
快楽や欲望は、理解に容易(たやす)いからです。
それは、経験の浅い若人でも理解することが出来ます。
しかしながら、静寂の価値を理解することの出来る若人は少ないのです。
それは、精気が邪魔をするからです。
肉体や精神が精気で溢れている時、人は、傲慢(ごうまん)に振る舞います。
静寂の価値を見出すためには、精気を弱めなければならないのです。
精気を弱めることは、快楽や欲望から距離を置くことが出来ます。
例えば、老人は精気が弱く、快楽や欲望を満たすことが幸福ではないということを理解します。
快楽や欲望に従う生き方は、崇高な生き方を否定しましょう。
精気が衰えた肉体を生きることこそが、真の人生なのです。
それは、この世界の目的が、快楽や欲望を満たすことではなく、悟りを得るためだからです。
あなたは、悟りを探さなければなりません。
欲求が衰退(すいたい)すれば、悟りを探す以外に道は無いのです。
老人が、若人と同じ生活を維持することは出来ません。
それは、精気の違いがあるからです。
しかしながら、すべての人は精気の衰退を体験するでしょう。
誰もが歳を取り、精気は衰退します。
あなたは、それを悲しんではなりません。
精気が衰退することによって、快楽や欲望に対する願望が弱くなることに気が付くのです。
それは、あなたに真の道を示します。
快楽や欲望に従っている間は、真の道を知ることが出来ません。
本当の人生は、肉体と精神が衰え、精気が衰退することによって得られます。
若人は、本当の人生を生きることが出来ないのです。
若人の人生は虚像であり、空しいのです。
あなたは、いつまでも快楽や欲望を考えてはなりません。
歳を重ねたのに、貪ってはならないのです。
あなたは、悟りを探さなければなりません。
精気が衰えるのであれば、悟りを探す以外に道は無いのです。
悟りとは、理(ことわり)のことです。
人は、悟ることによって理を理解することが出来るのです。
理を理解すれば、豊かな人生を生きることが出来るでしょう。
いつまでも、快楽と欲望を追いかけてはなりません。
空しい人生を生きてはなりません。
悟りを探しましょう。

2018年10月20日土曜日

変化の循環

世界は、変化を求めています。
世界は、一時も静止することはありません。
世界は常に動き続け、常に変化し続けているのです。
それは、あなたの心臓が鼓動を打っているからなのです。
心臓は、常に動き続けています。
それは、静止することがありません。
心臓は動き続けながら、変化を続けているのです。
それは、死に対する変化です。
心臓は鼓動する度に、死へと近付きます。
人生は、常に終わりへと向かっているのです。
あなたは、終わりを迎えるために生まれたのです。
始まりの理由は、終わるためなのです。
心臓が死へと向かって鼓動するように、あなたは終わりへと向かって歩みます。
人生の終わりとは、完成のことなのです。
あなたは人生を完成させるために生きているのです。
変化は、人生を完成させるために導かれるということを理解する必要があるのです。
しかしながら、人生の完成は、あなたには理解することが出来ません。
あなたには、人生の完成が分からないのです。
しかし、あなたは人生を完成させなければなりません。
それは、とても難しいことのように思うかも知れませんが、人生を完成させるのに特別な方法は必要ありません。
自然に生きることこそが、人生を完成させる方法なのです。
自然に生きるというのは、時期が来ると葉が芽吹き、花が咲き、葉が落ち、果実が熟すという過程を邪魔しないことです。
すべては、自然の摂理(せつり)の中に生きています。
自然とは、摂理に逆らわず、従うことなのです。
樹木が自然の摂理に逆らえば、すぐに枯れてしまいます。
時期を間違えた樹木が生き長らえることは出来ないのです。
芽吹きの時には葉を茂らせ、開花の時には花を飾り、落葉の時には潔(いさぎよ)く散り、実りの時には熟するのです。
それが、樹木の完成です。
季節に逆らうことでは、樹木が完成することはないのです。
あなたの人生には、必要な時期が存在しています。
あなたが人生を完成させるためには、時期に従って生きなければなりません。
時期に逆らったとしても、豊かさを得ることは出来ないのです。
春に咲く花は、春に咲かせなければなりません。
夏に咲く花は夏に、秋に咲く花は秋に、冬に咲く花は冬に咲かせなければなりません。
時期に逆らえば、花は実りをもたらすことなく、朽(く)ちてしまうのです。
それは、変化ではありません。
変化とは、滅びることではないからです。
変化とは、繁栄です。
花は、果実へと変化し、種子へと変化し、苗へと変化しなければならないのです。
そして、苗は花へと変化することによって、季節のように樹木の変化が循環(じゅんかん)するのです。
変化の循環は、世界への貢献(こうけん)を実現します。
あなたが生まれたのは、世界への貢献を実現するためです。
あなたが世界への貢献を実現するためには、自分を完成させる必要があります。
自分の人生を完成させるのです。
変化に逆らうことは、貢献の手段ではありません。
残念ながら、人生は、思い通りの変化を実現しません。
老化は、誰もが避けることの出来ない変化です。
老化によって、肉体は不自由を得ます。
それは、望む変化ではありません。
しかしながら、それは避けることの出来ない必要な変化なのです。
人は、老化を経験しなければなりません。
それは、必要な学びだからです。
例えば、老化を経験することがなければ、傲慢(ごうまん)を手放すことが出来ないのです。
老化によって謙虚さを得る方が、傲慢を生きる若人(わこうど)よりも豊かなのです。
変化を避けることは出来ません。
あなたは、変化と共存しなければなりません。
変化を嫌い、争ってはなりません。
世界が変化を求めているということを覚えておきましょう。
変化を受け入れることによって、あなたは世界に貢献することが出来るのです。
世界に貢献することによって、人生は豊かさを得るでしょう。
変化し続けることによって、変化を循環させましょう。

2018年10月19日金曜日

理解は後に得られる

人生とは、長い旅路です。
過ぎ去ってしまえば短く思う人生も、途中の人にとっては長い旅路なのです。
あなたは、旅の途中です。
人生が直ぐに終わる訳ではありません。
あなたは、一歩一歩を確かめるようにして、踏み締めて歩まなければならないのです。
あなたは、目の前の現実と向き合わなければなりません。
残念ながら、現実というものに理想を期待することは出来ません。
現実は、理想通りには展開しないものなのです。
現実は、理想を裏切ります。
あなたは、理想通りの現実を生きることは出来ません。
残念ながら、思い通りに人生を生きることは出来ません。
あなたは問題と共に歩まなければならないのです。
問題を避けることは出来ません。
それは、あなたが未熟であるからです。
問題は、あなたの抱える未熟さが生み出します。
誰かや何かが問題を引き起こす訳ではありません。
現実を否定し、どこかへ逃れようとも、問題からは逃れることが出来ません。
どこへ逃れ、何をしようとも、あなたの抱える未熟さが問題を引き起こすのです。
問題は、苦しみを導きます。
あなたは、苦しみと向き合わなければならないのです。
人生において、苦しみとの対峙を避けることは出来ません。
あなたは苦しみながら生きることになるでしょう。
それが自然なのです。
人は、苦しみと共に生きなければなりません。
それを不自然と考えてはなりません。
多くの人は、苦しみを嫌います。
多くの人は、苦しみを悪いことだと考えるのです。
しかしながら、苦しみは悪いことではありません。
なぜなら、苦しみこそが、あなたの抱える未熟さを克服するためには必要な感情であり、体験であるからです。
人は、苦しみを通じて、未熟さと向き合い、それを克服することが出来るのです。
人は、苦しみを体験しなければなりません。
それを避けることは出来ません。
苦しみを避けることは、苦しみを先延ばしにしているだけであり、解決ではないということを理解しなければなりません。
あなたは、苦しみの中にあっても、不貞腐(ふてくさ)れることなく、自分の仕事を行いましょう。
例え、他者に認められなくても、自分の仕事を続けるのです。
それも、より良い仕事を続けなければならないのです。
種子は、芽吹くためにより良い状態を保ちます。
より良い状態を保たなければ、芽吹くことが出来ないからです。
途中で諦めてしまえば、芽吹くことが出来ません。
芽吹くことを諦めてしまった種子は、土と成り、花を咲かすことも、実りをもたらすこともないのです。
種子の価値を知る人は多くありません。
種子を見ただけでは、それが何の種子であるか分からないのです。
花の価値を知る人は多少はいます。
花の色香を愛(め)でる人は多少はいるのです。
果実の価値を知る人は多くいます。
それは、果実は命を与えてくれるからです。
種子は、果実を与えることによって価値を認められるのです。
種子が仕事を諦めてしまえば、命を与える果実を付けることは出来ません。
しかし、果実も熟れるまでは評価されません。
渋い果実は嫌われるのです。
あなたの仕事は、簡単に理解されるものではありません。
それが、良い仕事であっても、理解されるのは難しいのです。
理解は、後に得られます。
安易に成果を求めてはなりません。
成果(評価)を求めるようになれば、雑念が仕事を汚します。
それでは、良い仕事が出来ないのです。
良い仕事を目指しましょう。
理解や評価を求めて、媚(こ)び諂(へつら)ってはなりません。
理解や評価が自然に得られるのを待ちましょう。
人生は、長い旅路です。
焦らずに歩みましょう。

2018年10月18日木曜日

共有

この世界には、不要は存在しません。
この世界には、必要以外は存在していないのです。
あなたにとっては不要に思えるものであっても、他の誰かにとっては必要であるのです。
そして、あなたにとっては必要に思えるものであっても、他の誰かにとっては不要であったりするのです。
この世界を、自分勝手に考えることは出来ません。
人生は、あなたのものですが、この世界はあなたのものではないのです。
人生はあなたの責任ですが、この世界はそれぞれの責任なのです。
この世界では、人生は折り重なっています。
それぞれの人生が折り重なることによって、この世界は築かれているのです。
自分独りが生きている訳ではありません。
人は、それぞれが世界を分け合って生きているのです。
自分勝手に生きることは、世界を歪めることになります。
それでは、人生を豊かなものにすることは出来ません。
人生を豊かなものにするためには、世界を正しく存在させる必要があるのです。
世界を正しく存在させるためには、他者の人生を認めることです。
この世界には、様々な段階の人が存在しています。
人は、学びの段階に合わせた経験を必要としているのです。
学びの段階は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの学びを生きているのです。
この世界は、それぞれの学びのために存在しています。
この世界は、それぞれの学びのために分けられているのです。
それぞれの学びが幾重(いくえ)にも積み重なっているのです。
あなたは、それぞれの学びが積み重なった世界を生きています。
あなたは、自分だけの学びを得ることは出来ません。
あなたの学びと、他者の学びは重なっているのです。
あなたは、独りで学ぶことは出来ないのです。
あなたは、常に他の誰かと学ばなければならないのです。
学びというものは、独りのものではありません。
学びを得るためには、他者の存在が必要なのです。
学びは、他者によって導かれます。
あなたは、他者を通じて、学びを得るということを覚えておきましょう。
自分独りであっては、学びを得ることは出来ません。
なぜなら、独りでは、自己を中心とした考えに凝り固まることにさえ気が付かないからです。
人は、他者によって視野を得ます。
他者の存在がなければ、広い視野を得ることは出来ないのです。
独りであっては、視野は固定されます。
それは、視野を狭くするのです。
他者の存在によって、あなたは視野を動かすことが出来るのです。
それは、あなたにとっての学びと、他者にとっての学びが異なっているからなのです。
学びが異なっているために、視野は広がるのです。
それぞれの意見が異なっていることが、あなたの視野を広げます。
そのことを理解する必要があるのです。
人は、それぞれの学びを生きなければなりません。
それぞれの必要と不要を生きるのです。
それが最善です。
あなたにとっての最善と、他者の最善は異なります。
あなたはそれを認めなければなりません。
必要と不要はそれぞれに異なっているのが自然です。
必要と不要は、それぞれに異なっていて良いのです。
人は、それぞれの人生を生きることによって、この世界において与えられた役割を果たすことが出来ます。
与えられた役割を果たすことによって、貢献することが出来るのです。
互いが貢献することによって、豊かさと幸福が実現するのです。
互いが貢献することが必要なのです。
あなたは、どのような相手にも敬意を払わなければなりません。
あなたは、敬意を以(もっ)て生きなければならないのです。
互いが敬意を払って生きれば、人生の豊かさと幸福は実現します。
この世界には、不要に思えることは存在しても、不要は存在しないのです。
あなたにとっての不要も、他者にとっては必要なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
あなたは、世界を他者と共有していることを理解しなければなりません。
人生は、あなたの占有物(せんゆうぶつ)ですが、世界は共有物なのです。
自分が独りで生きている訳ではありません。
互いを尊重して生きましょう。

2018年10月17日水曜日

良い仕事

人生を豊かに生きるためには、良い仕事をしなければなりません。
仕事とは、誰かや何かに対して貢献する活動のことです。
金銭の有無は関係ありません。
その活動が、誰かや何かに対して貢献するのであれば、それが仕事なのです。
人生の状態は、仕事が決めます。
なぜなら、人生というものは、誰かや何かに対して活動する時間が長いからです。
多くの人は、誰かや何かに対して貢献しているという自覚もないままに、経済活動としての仕事に勤(いそ)しんでいます。
それは、給金を得るための活動であって、誰かや何かに貢献するための活動ではありません。
多くの人は、自分の生活や快楽や不安のために、仕事をしているのです。
それも、悪いことではありません。
自分のために活動することは、誰もが許されていることなのです。
しかしながら、自分のために活動することによって、豊かさが導かれることはありません。
なぜなら、自分のことは高(たか)が知れているからです。
自分自身の生活や快楽や不安を満たすことは、難しいことではないのです。
満たされてしまえば、持て余します。
余計は問題を引き起こすのです。
自分自身のために活動を続けている者には、満足が得られません。
一旦は満たされはするものの、すぐに溢れてしまうのです。
溢れたものは問題として受け取らなければならないのです。
自分のことを満たすのは、簡単ではありません。
人生の難しさは、誰かや何かのために貢献することがなければ、自分を満たすことが出来ないというところにあるのです。
自分を満たすためには、誰かや何かのために貢献する必要があります。
それは、誰かや何かを通じてしか、自分自身を知ることが出来ないからです。
多くの人は、自分自身を知っていると思い込んでいます。
しかしながら、多くの人は自分自身を知らないのです。
多くの人が自分自身と思い込んでいるものは、虚像(きょぞう)に過ぎないのです。
多くの人は、自分自身の揺らぎを、自分自身だと思い込んでいます。
それは、炎から立ち上る煙を実像だと思い込んでいるようなものなのです。
炎ですら、実像ではありません。
炎が燃やしているものこそが、実像なのです。
木片が燃えているのであれば、その実像は木片です。
煙も炎も木片ではないのです。
木片か変化したものではありますが、木片ではないのです。
多くの人は、歪んだ価値観や感情が見せる虚像を、自分自身だと思い込んでいます。
実像である自分自身は、歪んだ価値観や感情よりも、深い場所に存在しているのです。
客観視しなければ、見えるものではありません。
煙や炎を注視しても、何が燃えているか分かりません。
燃えているものを知るためには、視点を下げなければならないのです。
自分自身を深く知るためには、誰かや何かの視点を必要とします。
自分でも知らない癖を、他者であれば知っています。
無意識に行う所作(しょさ)も、他者であれば知っているのです。
煙や炎を注視することで精一杯の自分では、燃えているものを理解することが出来ません。
あなたは、誰かや何かの視点を借りなければなりません。
そのためには、誰かや何かに貢献する必要があるのです。
誰かや何かの立場に立って見るためには、誰かや何かのために活動しなければならないのです。
誰かや何かのために活動すれば、誰かや何かの視点に気が付くことが出来るのです。
自分のためだけに活動しているのであれば、自分だけの視点にとどまることになるのです。
良い仕事とは、自分を知ることの出来る活動のことです。
悪い仕事とは、自分を知ることが出来ない活動のことなのです。
あなたは、自分を知っていますか?
”知っている”と答えるのであれば、あなたの仕事は悪いということになるでしょう。
残念ながら、人は自分を知りません。
人生は、自分を知るために十分ではないのです。
あなたは、生涯を通じて、誰かや何かのために貢献する必要があるということを覚えておきましょう。
自分のために活動するためには、誰かや何かのために活動するしかないのです。
貢献する程に、人生は豊かさを増します。
利己的に活動する程に、人生は乏しさを増すでしょう。
良い仕事をしましょう。

2018年10月16日火曜日

濁水を離れる

人生は、無意味な時間ではありません。
誰にとっても、人生は意味のある時間なのです。
あなたの人生にも、大切な意味があります。
意味の無い人生を生きる人はいません。
それが、どのような人生であっても、あなたは意味を探さなければならないのです。
人生の意味を見付けることは容易ではありません。
残念ながら、人生の意味を見付けることは難しいのです。
あなたは、人生の意味を見付けることに苦労するでしょう。
それは、仕方のないことです。
なぜなら、すべての人が未熟であるからです。
大抵の場合、人生の意味は見付かりません。
それは、多くの人は、人生について考えていないからです。
多くの人が考えていることは、快楽や欲望や苦悩についてなのです。
過去を悔やんだり美化して執着し、未来に不安や過度の期待を抱きます。
それ等は快楽や欲望や苦悩が動機として引き起こされる感情の揺らぎなのです。
多くの人は、感情の揺らぎの中を生きています。
それは、嵐によって掻き混ぜられる海の濁水(だくすい)にも似た心の状態なのです。
濁水の中では、何も見えません。
濁水の中では、必要な感覚が遮断(しゃだん)されてしまうのです。
多くの人は、何も見えず、必要な感覚が遮断された状態を生きているのです。
人生には、大切な意味がありますが、多くの人はそれを見失っています。
それは、濁水の中を生きる魚のようなものなのです。
残念ながら、人生の意味を知らずに生きることは、豊かさを実現しません。
豊かさとは、人生の意味に従って生きることだからです。
意味に従って生きなければ、人生は乏しさを導きます。
それでは、辛いのです。
人生の意味に従って生きることは、自分の道を生きることです。
それは幸いです。
どのような事をして、どのような物を得ても、自分の道を生きることをしなければ、幸いとは無縁です。
自分の道を投げ出せば、必ず後悔することになります。
多くの人は、感情の揺らぎの中で人生の意味を見失い、自分の道を投げ出します。
多くの人は、人生の意味を考えることなく、空しく生きているのです。
”人生とは、何ですか?”
あなたは、この問いに答えることが出来るでしょうか?
あなたは、自分が無意味に生まれて来たと思いますか?
意味も無く、この世界に存在することが出来ると思いますか?
この世界に、無意味が存在すると思うでしょうか?
残念ながら、あなたが生まれたことには大切な意味があります。
それを探して生きなければならないのです。
そのために、先ずは濁水を離れましょう。
濁水の中で生き残ることが出来るのは、濁水を好む魚だけです。
濁水を好まない魚は、すぐに命を失ってしまうのです。
あなたは、感情の揺らぎに耐えることは出来ません。
いつまでも、快楽や欲望や苦悩を追い求めることは出来ないのです。
そのような生き方は、すぐに破滅をもたらすのです。
人生は、無意味な時間ではありません。
あなたは、自分の人生に意味を持たせなければなりません。
意味は、自分自身で見出さなければなりません。
自分自身で見付ける以外には、方法がないのです。
人生の意味、自分の道を見付けることは容易ではありません。
しかしながら、自分の道を投げ出せば、人生はそれ以上に難しいのです。
濁水の中では、互いが奪い合います。
それは、とても辛い生き方なのです。
清水(せいすい)の中では、互いが与え合うのです。
それは、とても幸いな生き方なのです。
人生の意味を探すことによって、濁水を抜け出すことが出来ます。
人生は、消耗戦ではありません。
無意味な争いのために生きてはならないのです。
人生を意味のあるものにしましょう。

2018年10月15日月曜日

気持ちの切り替え

人生は、常に変化の中に存在しています。
人生は、変化するのが自然です。
人生は、変化しなければならないのです。
それは、人生の目的が変化の先に存在しているからです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのためには、変化の中に存在しなければならないのです。
この世界においては、変化することが自然です。
変化していないように見えるものであっても、変化しないように変化を続けているのです。
どのようなものも、変化の中に存在しているのです。
変化は、必要不可欠なものです。
変化によって、人は、本質を得るのです。
本質を得ることは大切です。
なぜなら、本質を得なければ、人生の目的を果たすことが出来ないからです。
あなたは、本質を得るために変化を続けているのです。
変化は、より良く成るために存在しているのです。
変化を嫌うことは、より良く成ることを嫌うことなのです。
あなたが、より良く成ることを求めるのであれば、変化を受け入れなければなりません。
変化を受け入れることが出来ない者には、より良く成ることは許されないのです。
子どものように駄駄を捏(こ)ねるのは、得策ではありません。
変化に対応することが最善なのです。
状況は常に変わっていきます。
計画通りに物事は進まないのです。
その計画がどのように思案されたものであっても、計画通りに物事が進むことはないのです。
変化を避けることは出来ません。
計画も、それを練った時には、既に変化しているのです。
大切なのは、変化に対応することです。
変化に対応するためには、気持ちを切り替えることです。
計画は常に変化せざるを得ません。
それは、状況が変化し続けているからです。
あなたは、気持ちを切り替え続けなければなりません。
細かく気持ちを区切り、変化を絶やしてはならないのです。
執着は、人生の目的を果たす道のりではありません。
あなたが、人生の目的を果たすためには、執着を手放し、変化の中に身を置く必要があるのです。
状況は常に変化しています。
あなたはその度に気持ちを変化させなければなりません。
いつまでも、古い気持ちを引き摺(ず)ってはなりません。
人生は思い通りには進まないのです。
それが自然なのです。
自分の思い通りが良いとは限りません。
それは、あなたが未熟だからです。
詰(つ)まらない価値観を手放しましょう。
目の前の状況に対応することが出来ないから詰まらないのです。
そのように詰まらない価値観に執着してはならないのです。
あなたは、気持ちの切り替えと、計画の見直しを実行しなければなりません。
人生には、どうすることも出来ない状況が起こります。
どうすることも出来ないのは、方法が間違っているからです。
方法が正しければ、変化を実現することが出来るのです。
変化する程に、人は本質へと近付くのです。
それは、豊かさや幸福へと近付くことなのです。
気持ちの切り替えが早い者程、豊かさや幸福に辿り着くのは早いのです。
気持ちを切り替えることが出来ず、執着を続けているのであれば、豊かさや幸福に辿り着くのは遅いということを覚えておきましょう。
上手くいかない方法や気持ちは手放しましょう。
そのようなことを続けていても、上手くはいかないのです。
人生は、変化の中に存在していることが自然です。
人生が、あなたに合わせるのではありません。
あなたが、人生に合わせて自分を変えるのです。
それが、最善です。

2018年10月14日日曜日

水滴

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
人は、それぞれに人生を与えられています。
人生の目的は、それぞれに異なるのです。
あなたは、他者の人生を生きることは出来ません。
他者は、あなたの人生を生きることは出来ないのです。
人は、それぞれの人生を生き、それを果たさなければならないのです。
人生とは、孤独な道のりです。
人は、独りで歩まなければならないのです。
それは、これがあなたの人生であるからです。
そして、他者の人生は、その人のものなのです。
人の人生に干渉(かんしょう)することは出来ません。
あなたも他者も、自分の人生を生きなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、他者のように生きようと努めています。
自分の人生を歩んでいる誰かを手本として、人生を歩もうとするのです。
そのため、多くの人は、似通(にかよ)った人生を生きているのです。
もちろん、斬新な人生を生きることなど出来ません。
大抵の人生は、似たものとなるのです。
それは、水滴のようなものです。
天から降る雨粒は、どれも似ています。
人の能力や役割などというものには、大した差はないのです。
目や耳や口や手の数は、大抵が同じなのです。
異なっていたとしても、大差はないのです。
一つか二つ位の差でしかないのです。
人は良く似ています。
あなたは、雨粒を見分けることが出来るでしょうか?
水滴を見て、違いを明確にすることが出来るでしょうか?
人は水滴のようなものです。
一粒であれば、見分けが付きます。
しかしながら、まとまれば見分けが付きません。
水滴を見分けるためには、一粒でとどまっていなければなりません。
まとまってしまえば、見分けることは不可能なのです。
人は、水のようにまとまろうとする性質が備わります。
人は、他者と同調しようとするのです。
他者と同調することは、決して悪いことではありません。
なぜなら、それは強力関係を生じさせるからです。
しかしながら、人は自分として、他者と同調する必要があるのです。
あなたは、孤独に存在しなければなりません。
孤独に耐え切れずに、まとまってはならないのです。
窓にとどまる水滴も、まとまれば滑り落ちてしまいます。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
一粒の水滴が窓にとどまるように、独りの人として道を歩まなければならないのです。
誰かと群れることによって、自分の道を見失ってはならないのです。
人は、独りでなければ、道を見失ってしまうのです。
あなたは、自分という存在を大切にしなければなりません。
孤独こそが、あなたに道を示します。
これは、あなたの人生です。
他者に流されないように、自分の道を歩まなければなりません。
孤独に耐え兼(か)ね、道を手放してはなりません。
あなたは、自分の価値を信じなければなりません。
自分の価値を信じて歩まなければならないのです。
誰かのように生きることは、重たいのです。
それは、とても疲れる生き方なのです。
自分の人生を生きることは楽です。
そのことを理解しなければなりません。
与えられた役割を担うことの方が、与えられていない役割を担うよりも簡単なのです。
それは、あなたに相応しい役割が与えられているからです。
自分を生きることが出来れば、人生はとても簡単なのです。
他者を手本として生きることは、人生をとても難しくしてしまうのです。
人生をわざわざ難しく生きる必要はありません。
あなたは、自分の人生を生きることによって、簡単に生きましょう。
孤独によって自律しましょう。

2018年10月13日土曜日

実像を踏み締める

人は、人生を豊かに生きなければなりません。
人は、豊かに生きるために生まれたのです。
しかしながら、豊かさとは、裕福なことではありません。
自らの人生を受け入れることが出来る生き方こそが、豊かに生きるということなのです。
人生を否定、拒絶している状態を豊かさだとは言いません。
それがどのような人生であったとしても、受け入れて懸命に生きることこそが、豊かさなのです。
多くの人は、人生を嫌います。
現状を批判する者は多いのです。
存在しない過去を批判する者までいるのです。
そうやって、多くの人は人生を恨(うら)むのです。
人生は、仕方のないものなのです。
それは、原因が自分自身であるからです。
人生がどのようなものであれ、それは自分自身に相応しいものです。
人生は、自分自身を教えているのです。
残念ながら、多くの人は、人生が自分自身を知るための学びであることを知りません。
あなたは、人生において、自分自身を教わっているのです。
そのことを理解すれば、人生を批判することはありません。
なぜなら、それが人生の目的であるということに気が付くからです。
あなたは、自分自身を知らなければなりません。
自分自身を知らなければ、人生を受け入れることが出来ないからです。
人生とは、自分自身です。
人生を受け入れるということは、自分自身を受け入れるということなのです。
自分自身を受け入れることが出来れば、役割を果たすことが出来るのです。
すべての人は、意味を以(もっ)て生まれて来ます。
この世界に生まれたすべての存在には、意味があり、価値があるのです。
それは、必要な役割を与えられているからです。
残念ながら、この世界には、無駄は存在しません。
無意味に思えることも、決して無意味ではありません。
あなたには、あなたの役割が存在し、それによって貢献(こうけん)することが出来るのです。
貢献は、喜びを生み出します。
喜びは、幸福を育てるのです。
自分自身を否定すれば、人生には苦しみと不幸と乏しさが実現することになります。
それは、仕方のないことなのです。
あなたは、自分自身と向き合わなければなりません。
人生と向き合わなければならないのです。
多くの人は、人生と自分自身を批判します。
人生と自分自身とは、真実のことです。
多くの人は、それを批判するのです。
そして、偽りと向き合うようになるのです。
多くの人が、偽りを求めます。
理想とは、偽りの世界です。
頭と心は、見たいものを見ます。
自分の都合の良いように物事を解釈するのです。
多くの人は、自分の都合の良い世界を見るために、頭と心に頼っているのです。
多くの人は、偽りの世界を見詰めることによって、思い通りにならない人生を慰(なぐさ)めているのです。
あなたが向き合わなければならないのは真実です。
しかしながら、すべての人は未熟です。
真実に向き合うことを恐れるのです。
そのため、偽りを見ようとするのです。
しかしながら、偽りを見れば、目測や判断を誤ります。
人生は、理想通りには歩むことが出来ないのです。
虚像を踏み締めることは出来ません。
あなたが踏み締めることが出来るのは、実像だけなのです。
現実と向き合わなければなりません。
理想を追い掛けてはならないのです。
現実とは、目の前の人生であり、自分自身です。
それは、とても情け無いものかも知れません。
しかしながら、それが真実なのです。
情け無いのであれば、情け無いのです。
情け無い人生や自分自身と向き合い、それを受け入れ、改めなければならないのです。
受け入れることが出来なければ、改めることは出来ません。
手元に無いものを改めることは出来ないのです。
あなたは、見たくないものを見なければなりません。
自分自身の弱さと向き合い、改めなければならないのです。
現実から逃避して、理想を目指してはなりません。

2018年10月12日金曜日

欲求不満

すべての人は、不満を抱えています。
すべての人は、欲求が満たされてはいないのです。
すべての人は、欲求を満たすために活動しています。
すべての行為は、欲求を満たすための選択なのです。
あなたは、自らの抱える欲求を満たすために選択します。
それは、悪いことではありません。
しかしながら、多くの人は、そのことで苦悩を抱えることになります。
多くの人は、欲求を満たそうとして問題を引き起こし、苦悩を抱えるのです。
それは、満たすべき欲求を理解してはいないからです。
多くの人は、欲求を誤解しています。
満たすべき欲求を満たしているのであれば、問題を引き起こし、苦悩を抱えることはないのです。
問題を引き起こし、苦悩を抱えるのは、満たすべきではない欲求を満たそうとしているからなのです。
間違った選択をしているために、問題を引き起こし、苦悩を抱えるのです。
単純なことです。
難しく考えてはなりません。
多くの人は、満たすべきではない欲求を何とか満たそうと努めます。
それは、満たすべきではない欲求を、満たすべき欲求であると思い込んでいるからなのです。
多くの人は、頭で考えます。
そして、心で考えているのです。
残念ながら、頭や心では真実を見極めることが出来ません。
なぜなら、頭や心は自我の管轄(かんかつ)にあるからです。
自我とは、守りの自分です。
それは、未熟さを擁護(ようご)するための守護なのです。
自我は、未熟なあなたを守ります。
それは、あなたを制御するためのブレーキのようなものなのです。
スピードの出過ぎている車は、コーナーを曲がり切れずに衝突してしまいます。
それでは、自走が不可能になってしまうのです。
人生の目的は、目的地へと辿り着くことです。
安全に道程を進むためには、ブレーキの役割を担(にな)う自我の働き掛けが必要不可欠なのです。
しかしながら、ブレーキを踏み続けているのであれば、車は先へ進むことが出来ません。
車が先へと進むためには、ブレーキを緩め、アクセルを踏み込まなければならないのです。
自我に従っているのであれば、人は停滞してしまいます。
道を進むためには、真我(しんが)に従わなければならないのです。
多くの人は、自我の欲求を満たそうとしています。
目の前の快楽や欲望に溺れることで、自我の欲求を満たそうとするのです。
それは、ブレーキを踏み込むということなのです。
あなたは、真我の欲求を満たそうとしなければなりません。
それは、志(こころざし)に従って生きるということなのです。
志に従って生きるというのは、誰かや何かのために貢献する生き方を目指すということです。
人は、自分勝手に生きることは出来ません。
それは、自分勝手に生きることでは、豊かさを実現することが出来ないからです。
人は、自分以外の存在と支え合うことによって豊かさを実現するのです。
そのため、誰かや何かに貢献する生き方を実現することによって、真我の欲求が満たされるのです。
人は、欲求不満です。
それは、真我が欲求不満であるということなのです。
真我の欲求を満たさない限りは、人は欲求不満を生きなければなりません。
欲求不満を解消するためには、真我の欲求に従って生きなければならないのです。
自分勝手に生きることによっては、欲求が満たされることはありません。
何を手に入れても、それが自我の欲求であるのならば、すぐに渇いてしまうのです。
目の前の快楽や欲望を満たしたところで、人生が豊かさを得ることはありません。
なぜなら、それは一瞬の潤いだからです。
砂に水がとどまらないように、自我の欲求はすぐに渇きます。
砂の上に豊かさを築くことは出来ません。
水は石によってとどまります。
石の上には、水がとどまるのです。
あなたは、石のように強固な志を以(もっ)て生きましょう。
誰かや何かのために貢献するという欲求を満たそうと努めるのです。
誰かや何かのために尽力した時に、あなたの欲求は満たされるでしょう。
誰かや何かのために生きる時、あなたの欲求不満は解消されるのです。

2018年10月11日木曜日

因果の実り

すべての人は未熟です。
すべての人は無知であり、その認識は歪んでいるのです。
残念ながら、あなたには、正しい判断を下すことが出来ません。
あなたの判断は、事実とは異なるのです。
事実は、あなたの思い通りには展開しません。
それは、あなたが未熟であり、無知であり、その認識が歪んでいるからです。
人生が間違うことはありません。
間違えているのは、あなたの判断なのです。
多くの人は、思い通りにならない人生に不満や不安を抱きます。
多くの人は、人生が悪いと思い込んでいるのです。
しかしながら、人生には最善が導かれます。
人生には、最善以外は実現しないのです。
それがどのような状況であろうとも、それがあなたにとっての最善であるということを理解しなければなりません。
しかしながら、あなたは未熟であり、無知であり、その認識は歪んでいます。
そのため、目の前の状況を最善だと認めることは難しいのです。
目の前の状況を最善だと認めることが出来ないのは、それが帰結(きけつ)だと思っているからです。
帰結は、人生の終わりに実現します。
どのような状況も、経過に過ぎません。
結論は、人生の終わりでなければ分からないのです。
多くの人は、”今”を生きてはいません。
それは、現実を否定し、過去や未来という幻想に逃避するからです。
現実を否定することによって、人は自分を守ろうとするのです。
自分を美化したり、正当化することには価値がありません。
それは、現実逃避でしかないからです。
現実とは、思い通りにならない現状です。
現実とは、苦悩なのです。
あなたは、その事実を認めなければならないのです。
人生が思い通りにならないことは、決して悪いことではありません。
そして、苦悩を抱えることは、不幸ではないのです。
すべては、経過に過ぎません。
帰結へと辿り着く過程の一部が、思い通りにならなかったり、苦悩を抱えるだけなのです。
途中経過を見て、判断しているに過ぎないのです。
この世界には、因果の仕組みが働いています。
この世界において、因果の仕組みを無視することの出来る人はいません。
すべての人が、因果の仕組みに支配されているのです。
例外はありません。
因果の仕組みは、確実に実ります。
因果の実りは、忘れた頃に実現するのです。
因果の原因は、自分自身です。
あなたの態度や選択によって、原因が定められるのです。
人生は、自分の蒔(ま)いた種が実を実をつけ、それを収穫する作業のことなのです。
あなたの態度や選択は、確実に人生に反映されます。
悪い態度や選択は、悪い状況として実現します。
良い態度や選択は、良い状況として実現するのです。
悪いとは、破滅的のことです。
良いとは、建設的のことなのです。
破滅的な態度や選択は、人生に対して、問題や苦悩を引き起こします。
そして、建設的な態度や選択は、人生に対して、可能性や幸福を引き起こすのです。
一つ一つの選択が、人生に反映されます。
人生は、あなたの選択を一つとして見逃すことがありません。
問題や苦悩を抱えている人は、破滅的な態度や選択が、建設的な態度や選択を上回っているだけです。
可能性や幸福を抱えている人は、建設的な態度や選択が、破滅的な態度や選択を上回っているだけなのです。
ただ、それだけのことです。
人生に対して、不満や不安を信じてはなりません。
現状をすべてだと思い込んではならないのです。
人生は、終わるまでは分かりません。
それは、夏の俄雨(にわかあめ)や、台風の過ぎ去った後の晴天のように、変貌(へんぼう)するものなのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、どのような現状を生きていたとしても、良い態度や選択を続けましょう。
良い種を蒔けば、良い実を収穫することが出来ます。
悪い種を蒔けば、悪い実を収穫することになるのです。
例外はありません。
あなたは、自らの選択を受けるのです。
因果は、忘れたころに実るということを覚えておきましょう。