人生を豊かに生きるためには、良い仕事をしなければなりません。
仕事とは、誰かや何かに対して貢献する活動のことです。
金銭の有無は関係ありません。
その活動が、誰かや何かに対して貢献するのであれば、それが仕事なのです。
人生の状態は、仕事が決めます。
なぜなら、人生というものは、誰かや何かに対して活動する時間が長いからです。
多くの人は、誰かや何かに対して貢献しているという自覚もないままに、経済活動としての仕事に勤(いそ)しんでいます。
それは、給金を得るための活動であって、誰かや何かに貢献するための活動ではありません。
多くの人は、自分の生活や快楽や不安のために、仕事をしているのです。
それも、悪いことではありません。
自分のために活動することは、誰もが許されていることなのです。
しかしながら、自分のために活動することによって、豊かさが導かれることはありません。
なぜなら、自分のことは高(たか)が知れているからです。
自分自身の生活や快楽や不安を満たすことは、難しいことではないのです。
満たされてしまえば、持て余します。
余計は問題を引き起こすのです。
自分自身のために活動を続けている者には、満足が得られません。
一旦は満たされはするものの、すぐに溢れてしまうのです。
溢れたものは問題として受け取らなければならないのです。
自分のことを満たすのは、簡単ではありません。
人生の難しさは、誰かや何かのために貢献することがなければ、自分を満たすことが出来ないというところにあるのです。
自分を満たすためには、誰かや何かのために貢献する必要があります。
それは、誰かや何かを通じてしか、自分自身を知ることが出来ないからです。
多くの人は、自分自身を知っていると思い込んでいます。
しかしながら、多くの人は自分自身を知らないのです。
多くの人が自分自身と思い込んでいるものは、虚像(きょぞう)に過ぎないのです。
多くの人は、自分自身の揺らぎを、自分自身だと思い込んでいます。
それは、炎から立ち上る煙を実像だと思い込んでいるようなものなのです。
炎ですら、実像ではありません。
炎が燃やしているものこそが、実像なのです。
木片が燃えているのであれば、その実像は木片です。
煙も炎も木片ではないのです。
木片か変化したものではありますが、木片ではないのです。
多くの人は、歪んだ価値観や感情が見せる虚像を、自分自身だと思い込んでいます。
実像である自分自身は、歪んだ価値観や感情よりも、深い場所に存在しているのです。
客観視しなければ、見えるものではありません。
煙や炎を注視しても、何が燃えているか分かりません。
燃えているものを知るためには、視点を下げなければならないのです。
自分自身を深く知るためには、誰かや何かの視点を必要とします。
自分でも知らない癖を、他者であれば知っています。
無意識に行う所作(しょさ)も、他者であれば知っているのです。
煙や炎を注視することで精一杯の自分では、燃えているものを理解することが出来ません。
あなたは、誰かや何かの視点を借りなければなりません。
そのためには、誰かや何かに貢献する必要があるのです。
誰かや何かの立場に立って見るためには、誰かや何かのために活動しなければならないのです。
誰かや何かのために活動すれば、誰かや何かの視点に気が付くことが出来るのです。
自分のためだけに活動しているのであれば、自分だけの視点にとどまることになるのです。
良い仕事とは、自分を知ることの出来る活動のことです。
悪い仕事とは、自分を知ることが出来ない活動のことなのです。
あなたは、自分を知っていますか?
”知っている”と答えるのであれば、あなたの仕事は悪いということになるでしょう。
残念ながら、人は自分を知りません。
人生は、自分を知るために十分ではないのです。
あなたは、生涯を通じて、誰かや何かのために貢献する必要があるということを覚えておきましょう。
自分のために活動するためには、誰かや何かのために活動するしかないのです。
貢献する程に、人生は豊かさを増します。
利己的に活動する程に、人生は乏しさを増すでしょう。
良い仕事をしましょう。
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