人生は、豊かに生きるべきです。
人は、人生を豊かに生きなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生に豊かさを感じることが出来ないでいます。
多くの人は、人生に乏しさを感じているのです。
多くの人にとって、人生は空しいのです。
しかしながら、あなたは、そのようには認識していないかも知れません。
人生の空しさを認識するためには、自分を観察する必要があるのです。
人生の原因は自分自身です。
自分自身の状態が人生なのです。
多くの人は乏しさを生きていますが、認識は豊かさを感じています。
それは、実際と認識に矛盾が生じているということなのです。
多くの人は、豊かさを理解しません。
多くの人は、豊かさを誤解しているのです。
あなたは、自分を理解しているでしょうか?
自分が何であるか?を答えることが出来ますか?
自分を正しく答えることが出来れば、人生の豊かさも正確に理解していることでしょう。
自分を知っている者は、豊かさも知っているからです。
あなたは、自分が何であるか?分かりますか?
残念ながら、自分が何であるか?を答えることの出来る人はいません。
人は、自分を知らないのです。
自分を知らない者が、どうして豊かさを知っているでしょうか?
最も身近な自分を知らずに、それ以外のことを知っているはずがないのです。
そのため、あなたが豊かさだと思っている状態は、残念ながら豊かさではないのです。
多くの人が思っている豊かさは、目の前の快楽や欲望の実現です。
欲求を満たすことを豊かさだと思っているのです。
残念ながら、欲求を満たし続けることは出来ません。
なぜなら、欲求を満たし続けることは苦悩を生じさせるからです。
喉(のど)が渇いて飲む水は美味です。
しかしながら、渇きを潤した後の水は、無味なのです。
そして、腹が膨れた後の水は苦しみを引き起こすのです。
それでも飲み続ければ、やがては命を失ってしまうでしょう。
欲求の行き着く先は死であるのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を満たすことを豊かさだと思っていますが、それは死を引き起こすのです。
欲求を満たすことで得られる豊かさは一瞬です。
喉が渇いた時の水も、二口目には感動を失っているのです。
人生の豊かさとは、目の前の快楽や欲望を満たすことではありません。
より崇高(すうこう)な目的によってのみ、人生の豊かさは実現するのです。
目の前の快楽や欲望を満たすためには、人は利己的に振る舞わなければなりません。
それは、自分自身の快楽や欲望を満たす必要があるからです。
人が自分自身の快楽や欲望を満たすためには、都合の悪いものを排除しなければなりません。
そのために、多くの人は、嫌いなものを排除し続けているのです。
多くの人は、自分の都合で生きています。
しかしながら、人は自分が何であるのか?を知りません。
そのため、何が良いのかも知らないのです。
多くの人は、自分にとって都合の良いものを求め、都合の悪いものを排除し続けますが、それが本当に良い結果を導くかは分からないのです。
この世界には、無駄は存在しません。
それは、人生を振り返ってみれば理解することが出来ます。
すべてには意味があり、価値があるのです。
人は、傲慢(ごうまん)に、利己的に考えているために、都合の良し悪しを自分勝手に決めているのです。
謙虚(けんきょ)であれば、利他的に考えることが出来ます。
利他的に考えることが出来れば、自分の都合によって人生を判断することがなくなるのです。
自分の都合で人生を判断することがなければ、都合の悪いものを排除し続けることがなくなるのです。
大切なのは、都合の良し悪しを決めずに、様々なものから学びを得ることです。
栄養が偏(かたよ)ると、体調を崩してしまうように、学びが偏ると人生には問題が生じます。
都合の良いものが人生に乏しさを実現し、都合の悪いものが人生に豊かさを実現することもあるのです。
豊かさを知らない者が、豊かさを判断してはなりません。
あなたは、豊かさを知らないために、豊かさを求めているのです。
豊かさを知っている者は、豊かさを求めません。
あなたは豊かさを求めています。
それは、知らないということなのです。
謙虚に認めましょう。
そして、人生を都合で判断せずに学びましょう。
嫌いなものを排除し続ければ、最終的には、嫌いな自分自身だけが残ることになります。
嫌いな自分だけが残れば、それは豊かさではないのです。
バランスが大切です。
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