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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年10月21日日曜日

悟りを探す

多くの人は、欲望に従って生きています。
多くの人は、目の前の快楽を貪(むさぼ)るために生きているのです。
多くの人にとっての人生の動機は欲望です。
多くの人は、欲望を満たすことが人生の目的となっているのです。
多くの人は、欲望に従って行動します。
多くの人にとっては、それが空しい人生を紛らわす手段なのです。
多くの人にとっては、人生は空しいのです。
それを忘れるために、欲望に従うことが必要なのです。
ある程度は、欲望によって人生の空しさを紛らわすことが出来ます。
しかしながら、それは肉体が精気に満ち溢れている間です。
若い時には、肉体には精気が漲(みなぎ)っています。
肉体は、大き過ぎる欲望を満たそうと躍起(やっき)になります。
人生の中盤までは、欲望を満たす生き方によって、ある程度の満足を得ることが出来るのです。
しかしながら、人生が終盤に差し掛かり、肉体からは精気が失われるのであれば、欲望を満たすことでは人生の空しさを紛らわすことが出来ません。
精気によってごまかされてきた欲望を満たすことが心地好い人生も、精気が失われると同時に破綻(はたん)します。
精気が失われた肉体を通じては、快楽を貪り、欲望を満たすことに満足を得ることが出来ないのです。
老人が、快楽を貪り、欲望を満たすことを喜ぶでしょうか?
老体には、快楽を貪り、欲望を満たすことは重労働なのです。
若人(わこうど)には楽しいことも、老人には楽しくないのです。
老人には楽しいことも、若人には楽しめません。
それは、精気が漲っていることによって、大胆(だいたん)になっているからなのです。
若人には、静寂(せいじゃく)が耐えられません。
それは、静寂の価値を理解することが出来ないからです。
静寂の価値を理解することが出来るとすれば、精気の働きが弱まり、快楽や欲望から離れた時なのです。
若人は、精気の働きが盛んです。
若人は、快楽や欲望と離れることが出来ないのです。
快楽や欲望は、理解に容易(たやす)いからです。
それは、経験の浅い若人でも理解することが出来ます。
しかしながら、静寂の価値を理解することの出来る若人は少ないのです。
それは、精気が邪魔をするからです。
肉体や精神が精気で溢れている時、人は、傲慢(ごうまん)に振る舞います。
静寂の価値を見出すためには、精気を弱めなければならないのです。
精気を弱めることは、快楽や欲望から距離を置くことが出来ます。
例えば、老人は精気が弱く、快楽や欲望を満たすことが幸福ではないということを理解します。
快楽や欲望に従う生き方は、崇高な生き方を否定しましょう。
精気が衰えた肉体を生きることこそが、真の人生なのです。
それは、この世界の目的が、快楽や欲望を満たすことではなく、悟りを得るためだからです。
あなたは、悟りを探さなければなりません。
欲求が衰退(すいたい)すれば、悟りを探す以外に道は無いのです。
老人が、若人と同じ生活を維持することは出来ません。
それは、精気の違いがあるからです。
しかしながら、すべての人は精気の衰退を体験するでしょう。
誰もが歳を取り、精気は衰退します。
あなたは、それを悲しんではなりません。
精気が衰退することによって、快楽や欲望に対する願望が弱くなることに気が付くのです。
それは、あなたに真の道を示します。
快楽や欲望に従っている間は、真の道を知ることが出来ません。
本当の人生は、肉体と精神が衰え、精気が衰退することによって得られます。
若人は、本当の人生を生きることが出来ないのです。
若人の人生は虚像であり、空しいのです。
あなたは、いつまでも快楽や欲望を考えてはなりません。
歳を重ねたのに、貪ってはならないのです。
あなたは、悟りを探さなければなりません。
精気が衰えるのであれば、悟りを探す以外に道は無いのです。
悟りとは、理(ことわり)のことです。
人は、悟ることによって理を理解することが出来るのです。
理を理解すれば、豊かな人生を生きることが出来るでしょう。
いつまでも、快楽と欲望を追いかけてはなりません。
空しい人生を生きてはなりません。
悟りを探しましょう。

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