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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年11月30日金曜日

人生の規則

人生は、思い通りには進みません。
人生は、あなたの期待に応えてくれはしないのです。
それは、あなたが目的地へと無事に辿り着くためです。
残念ながら、あなたは自分勝手に人生を展開させることが出来ません。
なぜなら、あなたは人生という道を知らないからです。
すべての道には、規則が存在しています。
規則を守らない者が、道を進むことは出来ないのです。
規則を守らないのであれば、様々な問題と苦悩によって道が閉ざされてしまうのです。
交通規則を守らなければ、事故を起こしてしまうのと同じことなのです。
自分勝手に進もうとしても、進むことが出来ないということを理解しなければなりません。
無理に進もうとすれば、道は必ず閉ざされます。
無理に進むことが許されるような容易いものではないのです。
あなたは、道の規則に従いましょう。
それが道を進む唯一の方法なのです。
人生に逆らってはなりません。
人生に逆らうことは、道が閉ざされるということを理解しましょう。
交通規則に逆らって、目的地へと辿り着くことは困難であるのです。
人生は、信号機のように、あなたを進ませたり、止めたりします。
人生には、進むことが出来る時もあれば、止まらなければならない時もあるのです。
それは、それが最善だからそうしているのです。
人生が、何の考えも無く、あなたを進ませたり、止めたりはしません。
あなたが進む必要があれば進ませ、止まる必要があれば止めるのです。
理由も無く、あなたに干渉はしないのです。
最善の理由のために、人生があなたに干渉していることを理解しましょう。
すべては最善です。
すべては、あなたが目的地へと辿り着くための準備なのです。
しかしながら、あなたには、それが最善だとは思えません。
進む必要がある時には、進まなくても良いように思えます。
止まる必要がある時には、止まらなくても良いように思えるのです。
また、進む必要がある時には止まりたくなり、止まる必要がある時には進みたくなるものなのです。
人生が無駄を実現したことは、これまでに一度もありません。
そして、それは、これからも一度も無いのです。
未熟であるあなたが、無駄と思い込んでいるだけであるのです。
人生に無駄は存在しません。
道を円滑(えんかつ)に進むためには、進む必要がある時には進み、止まる必要がある時には止まらなければならないのです。
それが、理不尽に思えたとしても、あなたが人生の規則に勝ることはありません。
間違っているのは人生ではありません。
間違っているのは、あなたなのです。
人生が思い通りに進まないことは当然です。
そして、それが自然なのです。
人生が思い通りに進まないことを思い悩んではなりません。
そのようなことを思い煩(わずら)ってはならないのです。
人生は、思い通りに進まなくて良いのです。
理不尽に思える現状も、大切な学びであるということを理解しましょう。
規則に逆らっても良いことはありません。
無理をすれば、損をします。
規則に反して、良いことはないということを覚えておきましょう。
進まなければならない時には進みましょう。
そして、止まらなければならない時には止まるのです。
人生に欲をかいてはならないのです。
欲に根差せば、規則を守ることが出来ません。
欲とは、自分勝手な態度であるからです。
正しいのは人生の方です。
あなたが間違っているのです。
欲をかいて、人生の規則に反してはなりません。
無理に足掻(あが)いてはなりません。
あなたは、人生の求めに応じて進まなければならないし、止まらなければならないということを覚えておきましょう。

2018年11月29日木曜日

人生は空しい

あなたは、人生が空しいということを理解しましょう。
人生は空しいのです。
それは、殻(から)だけの卵のようなものです。
外見は存在しても、中身は存在しないのです。
どのような人生も空しいのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
すべての人は、人生に豊かさを求めます。
すべての人は、幸福を求めるのです。
幸福や豊かさを得ることが出来れば、人生の空しさを取り除くことが出来ると思っているのです。
残念ながら、人生の本質は空しさです。
幸福や豊かさを得たとしても、空しさが消滅することはないのです。
何を得ても、空しさが襲います。
人生は、空しいのが自然なのです。
すべての人が求める幸福や豊かさは、人生の本質ではありません。
空しさが本質である人生に対して、幸福や豊かさとは不自然な状態であるのです。
すべての人は、不自然を求めています。
それは、仕方のないことです。
それは、すべての人が未熟であり、不自然な存在であるからです。
人生の本質は空しいのです。
残念ながら、人生に空しさを避けることは出来ません。
どのような努力も、空しさには勝りません。
何を得ても満たされることはありません。
何を得ても、必ず飽きてしまうのです。
初めの感動は、必ず失われます。
新たな感動を得るために、新たな刺激を必要とするのです。
人は、新たな刺激によって、人生の空しさをごまかそうとしているのです。
感動している間は、空しさと向き合わずに済むのです。
しかしながら、人生の本質は空しさです。
あなたは、空しさと向き合わずにはいられないのです。
どのような感動も、空しさによって覆われてしまいます。
鉄が錆(さび)によって輝きを失うように、感動もやがては失せてしまうのです。
それが自然です。
生じたものは滅びます。
それが、この世界の理(ことわり)なのです。
あなたは、不自然を追い求めています。
不自然を追い求めることに安心を覚えているのです。
それは、周囲の人達も不自然を追い求めているからです。
この世界では、より大きな不自然を得た者が持て囃(はや)されます。
それを見て、不自然を得ることが良いことだと考えてしまうのです。
世の中は歪んでいます。
すべての人は不自然を生きているのです。
不自然を自然と考えてはなりません。
人生には、空しさがあって自然です。
問題や苦悩があって自然なのです。
幸福や豊かさだけの世界を安心してはなりません。
花畑には、土も糞尿も虫も棘(とげ)も死骸も存在しているのです。
自分にとって都合の良いものだけが存在することなど有り得ません。
自分にとって都合の良いものだけが存在する世界程、不自然なものはないのです。
自分にとって都合の良いものと都合の悪いものが共存する世界こそが自然なのです。
人生において、空しさは避けられません。
何を得ても空しさが襲うのは仕方のないことです。
それが自然であるということを覚えておきましょう。
人生は空しいものです。
あなたは、空しさに気付きましょう。
そうすれば、自分や周囲の人達の求めている不自然に気が付くことが出来るでしょう。
自然を生きることが最善です。
不自然を生きれば、暗闇に落ち込んでしまうでしょう。
人生を空しいものと理解して、自然を生きるように努めましょう。

2018年11月28日水曜日

異なる生き方

これは、あなたの人生です。
あなたは、与えらえた役割を果たすために人生を歩んでいるのです。
人生は、それぞれが異なる目的を果たすための時間です。
人は、異なる目的を果たさなければならないのです。
目的が異なるのであれば、生き方も異なるのが自然です。
人は本来、異なる生き方をしなければならないということを覚えておきましょう。
残念ながら、人は、同じ生き方を選択することは出来ません。
それは、目的が異なっているからです。
あなたは、誰かと同じように生きることは出来ないのです。
誰かと同じように生きようとすれば、無理をすることになります。
人は、無理を生きるべきではありません。
それは、無理は長続きしないからです。
人生は、思ったよりも長いのです。
過ぎ去れば短いものですが、それまでは長いということを覚えておかなければなりません。
そして、無理をしているのであれば、人生はより長いものとなるのです。
それは、無理は苦しいからです。
人は、それぞれが異なる目的のために生まれています。
本来ならば、それぞれが異なる生き方をしていなければならないのです。
それぞれが異なる生き方をしているのが自然なのです。
同じように生きることは、苦しみであるということを覚えておかなければなりません。
自分を偽ることは苦しみです。
あなたが苦しみを手放すためには、自分を偽ることを手放さなければならないのです。
それは、自分の心に正直に生きるということです。
あなたは、本当にやりたいことに挑戦することが出来るような生き方をしなければなりません。
誰もが、本当にやりたいことを所有しています。
それは、本当にやりいたいこととは、人生の目的であるからです。
すべての人は、目的を果たすために生まれました。
目的を果たすためには、本当にやりたいことをしなければならないのです。
自分を偽っては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
苦しみは、自分を偽ることによって導かれます。
苦しみは、自分を偽る程に強くなるのです。
無理をする程に、本当にやりたいことに対して挑戦したい気持ちが膨らむでしょう。
本当にやりたいことに挑戦することをしなければ、人は必ず後悔します。
自分を偽り、無理を続けているのであれば、後悔の中で人生は終わってしまうのです。
出来ることならば、あなたは人生を後悔しない方が良いでしょう?
本当にやりたいことに挑戦することがなければ、人は必ず後悔するのです。
あなたは、心の声を聞かなければなりません。
無理を続けてはなりません。
苦しみを続けてはならないのです。
無理を続けていれば、必ずどこかに歪(ひず)みが生じることになります。
それは、問題や苦悩として、あなたを苦しめるのです。
ずっと活動し続けることは出来ません。
眠気は必ず訪れます。
力を尽くして活動していたとしても、必ず遮(さえぎ)られます。
無理は、決して続かないのです。
無理を続けていても、そのような生き方は必ず遮られます。
様々な問題や苦悩によって、その道は断たれるのです。
あなたは、無理な道を歩み続けることは出来ません。
自然な道以外を、歩み続けることなど出来ないのです。
自然な道とは、本当にやりたいことに挑戦する生き方のことです。
あなたは、心に耳を傾けなければなりません。
心の声を聞くことがなければ、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自らの目的を果たさなければなりません。
本当にやりたいことを無視して、誰かと同じような生き方に安心を覚えていてはなりません。
他者と違うことに対して、多くの人は不安を覚えてしまいます。
それが”普通”です。
しかしながら、”普通”とは、不自然のことであると理解しなければなりません。
他者と違うことに対して、安心を覚えるのが自然であり、健全であるということを覚えておきましょう。
それぞれの目的を果たし、世界に貢献しましょう。
それが自然です。

2018年11月27日火曜日

心の蟠り

すべての人は未熟です。
すべての人は、無知と共に生きているのです。
無知は偏見を生じます。
そして、偏見は誤解を生むのです。
すべての人は誤解を生きています。
それは、世界を歪めて見ているということなのです。
それは、偽りの世界です。
すべての人は真(まこと)の世界を知りません。
すべての人は偽りの世界を生きているのです。
偽りの世界を生きることは苦しいのです。
視界が歪むことは、誰にとっても苦しみであるということを理解しましょう。
それは、焦点の合わない眼鏡を掛けて生活するようなものなのです。
すべての人は苦しみを抱えています。
それは、焦点が合っていないからです。
焦点が合わないというのは、本質を見極めることが出来ないということです。
人は、本質に対して焦点を合わせることが出来ないのです。
それは、未熟であり、無知であり、偏見を抱えており、誤解を生きているからです。
そのような状態では、本質を見極めることが出来ません。
すべての人が、本質を見極めることなく生きているのです。
それは、疑問を抱えながら生きているということなのです。
本質を見極めることがない限り、人は疑問を抱えてしまいます。
そのため、すべての人が疑問を抱えながら生きなければなりません。
疑問を抱えているのが”普通”です。
多くの人は、”普通”に慣れ過ぎているのです。
慣れることは、気が付かないということです。
多くの人は、焦点の合わない眼鏡を掛けて生活しているにもかかわらず、それに気が付いていないようなものなのです。
歪んだ世界を見慣れてしまえば、それを美しいと思うものなのです。
”当たり前”は、本質ではありません。
あなたは見慣れている景色を疑わなければならないのです。
心に浮かぶどのような疑問も放置してはなりません。
それは、疑問とは、心の蟠(わだかま)りだからです。
疑問を放置すれば、そこに不信や疑念が生まれます。
それは、不満となり、心に穴を開けてしまうのです。
疑問の数が多い程、心には多くの穴が開くことになるのです。
それは、心を乏しくしてしまいます。
心が乏しければ、不幸を抱えてしまうでしょう。
不幸を避けるためには、疑問を解決しなければならないのです。
どのような疑問も、そのままに放置してはなりません。
一つでも多くの疑問を解決するのです。
そのための行動を起こさなければなりません。
何かをすれば、疑問の解決に近付きます。
しかしながら、何もしなければ、疑問を解決することは出来ないのです。
方法はどのようなものでも構わないのです。
自分なりに、疑問と向き合えば良いのです。
疑問が解決することが最良ですが、必ずしも疑問を解決する必要はありません。
疑問を解決することに重きを置き過ぎてしまい、思い悩んではならないのです。
思い煩(わずら)うことで、幸福を得た人はいません。
あなたは、楽しみながら、心が抱える疑問と向き合いましょう。
疑問は苦しみです。
そのことを理解しなければなりません。
疑問から逃れようとしてはなりません。
疑問には向かって行くべきなのです。
疑問が解決することは、心に安心と幸福をもたらします。
その積み重ねによって、人は成長することが出来るのです。
疑問を解決することが楽しいということを理解しましょう。
疑問を放置してはなりません。
それは、心を乏しくするのです。

2018年11月26日月曜日

命の道

人生は仮初(かりそめ)です。
人生は、一時のものに過ぎないのです。
誰にとっても、人生は命が尽きるまでの時間なのです。
人が命にとどまっていられるのは一瞬です。
人生は、始まってすぐに終わりを迎えてしまうのです。
あなたが命を去る時には、人生を短く感じることでしょう。
振り返ると、人生は一瞬の出来事なのです。
あなたは、人生が思ったよりも早く終わってしまうということを理解しなければなりません。
どのような人物も、命にとどまり続けることは出来ません。
どのように努めても、あなたは一瞬の内に命を去らなければならないのです。
あなたは、この儚(はかな)い人生に何かを所有することは出来ません。
所有したと思い込んではいても、一瞬の内に失ってしまうのです。
あなたが命を去る時には、すべてを手放さなければならないのです。
そのため、あなたはこの世界の何一つとして所有することは出来ません。
それは、掌(てのひら)の水のように、掴んでも指の間を擦り抜けてしまいます。
例え、掌にとどめることが出来たとしても、蒸発していつの間にかに無くなってしまうのです。
あなたは、何一つ所有することが出来ないということを理解しなければなりません。
多くの人は、所有が許されていると思い込んでいます。
何か一つでも、所有することが出来ると思い込んでいるのです。
その気持ちは、必ず裏切られることになります。
それは、あなたがすべてを手放さなければならないからです。
命を去れば、あなたには何一つ残らないのです。
何も所有することは出来ません。
それが、この世界の理(ことわり)であり、自然なのです。
何かを所有しているという思い込みは、この世界の理に反する不自然さなのです。
そのため、何かを所有していると思い込んでいる者には、不自然な人生が実現します。
不自然な人生とは、問題や苦しみや乏しさを味わう人生のことなのです。
人生において、問題や苦しみや乏しさにとどまるのは不自然です。
それは、可能性や喜びや豊かさに溢れているのが人生の自然な姿だからです。
あなたの人生が、可能性や喜びや豊かさに溢れた自然の姿であるためには、所有を手放さなければならないのです。
所有とは、不自然な停滞です。
所有しようとすることによって、人は不自然に陥(おちい)ってしまうのです。
不自然に陥ってしまえば、豊かさを得ることは出来ないのです。
どのように努めても、あなたは何一つ所有することは出来ません。
命ですら、手放さなければならないのです。
命よりも身近なものがあるでしょうか?
残念ながら、命に比べれば、他のどのようなものも遠くに存在しているのです。
最も身近な命ですら所有することは出来ません。
それ以外のものを所有出来ると思い込んではならないのです。
あなたは何一つ所有することが出来ません。
何も所有することが出来ないのだから、互いに与え合わなければならないのです。
所有が許されないのだから、与える他ないのです。
与え合うことは重要です。
なぜなら、与え合えば循環が生まれるからです。
循環とは、命の道です。
命は、循環によって保たれるのです。
循環を失えば、命を存続することは出来ません。
あなたは、命を所有することは出来ませんが、共に生きることは出来ます。
何一つとして所有することは出来ませんが、共に生きることは出来るのです。
何事にも、質があります。
質とは、命のことなのです。
命の質は、循環の質によって決まります。
豊かに循環すれば、命は豊かさを得ます。
循環に乏しければ、命は乏しさを得るのです。
あなたは豊かさのために所有を諦めましょう。
所有とは、強欲です。
強欲な者が豊かさを得ることなど出来ないのです。
強欲を往(い)なし、与えることが出来る者にこそ、豊かさが導かれるということを理解しなければなりません。
それは、所有とは弱さであり、与えることは強さであるからです。
強くなければ与えることは出来ません。
弱い者は、与えることが出来ないのです。
弱い者は集めます。
それは、恐れを抱いているからです。
手放すことは、とても勇気のいる行為なのです。
人生を豊かに生きるためには、勇気を必要とするのです。
恐れに気圧(けお)されて、与えることを諦めてはなりません。
与え合うことによって、命の道を作りましょう。
互いに与え合えば、儚い人生の中にも豊かさを得ることが出来るでしょう。

2018年11月25日日曜日

楽しむ人

すべての人生は、思い通りには展開しません。
人生にどれだけ努めても、思い通りに扱うことは叶わないのです。
人生は、あなたの自由にはなりません。
それは、あなたが自分を知らず、それを自由に扱うことが出来ないからです。
人生とは、自分自身です。
あなたは、人生を通じて自分を体験するのです。
人生とはあなたであり、あなたとは人生です。
そのことを覚えておきましょう。
あなたは、自分自身を思い通りにすることが出来ません。
あなたは、人生を知らないように、自分自身を知らないのです。
人生とは、自分自身を知るための時間です。
あなたは、人生を通じて、自分自身を知ることを求められているのです。
人生は、そのためにあるのです。
自分自身を知ることは重要です。
なぜなら、自分自身を知らなければ、人生に価値が生まれないからです。
自分が何であるか?という問いに答えることがなければ、価値を得ることは出来ないのです。
自分が何であるかを知らずに、人生が何であるかを知ることは出来ません。
自分が何で、人生が何であるかを知らないのに、どうして価値を見出すことが出来るのでしょうか?
人生に価値を生むためには、自分が何であるか?を知らなければならないということを覚えておきましょう。
自分自身を知るためには、それと向き合わなければなりません。
否定や拒絶によっては、何の理解も得られないのです。
向き合うというのは、楽しむということです。
人が何かと向き合う時には、建設的な思考が必要です。
破滅的な思考を以(もっ)て、何かと向き合うことは出来ません。
楽しむことなく、理解を得ることは出来ないのです。
あなたは、楽しまなければなりません。
それは、春は花を楽しみ、夏は陽を楽しみ、秋は実りを楽しみ、冬は風を楽しむようなものです。
どのようなものにも、一長一短が存在しています。
良いところだけを抜き出すことは出来ません。
良いところと共に、悪いところも得なければならないのです。
喜びや楽しみを楽しむことは簡単です。
しかしながら、怒りや悲しみを楽しむことは難しいのです。
しかしながら、心には常に喜怒哀楽の感情が存在しています。
良いところを抜き出そうとすれば、心は歪んでしまうのです。
取り残された悪いところは、心の中で腐敗してしまうのです。
それでは、心は汚れてしまうのです。
あなたは、喜びを楽しみ、怒りを楽しみ、悲しみを楽しみ、楽しみを楽しみましょう。
そして、苦しみを楽しむのです。
苦しみを楽しむことによって、心の汚れは去ります。
心の汚れが去れば、真(まこと)の自分自身を理解することが出来るのです。
濁水(だくすい)では、沈んでいるものを理解することが出来ません。
清水(せいすい)においては、沈んでいるものを理解するのは容易(たやす)いのです。
心の美しさによって、自分自身や人生への理解が異なるのです。
心を汚れさせないためには、楽しむ他ありません。
人生は、思い通りにはならないものなのです。
人生においては、苦しみは避けられません。
避けられないものは、楽しく受け取った方が良いのです。
それ以外には、自衛の手段は無いのです。
苦しみに対して、否定や拒絶は価値を持ちません。
否定や拒絶は寧(むし)ろ、苦しみを勢い付けてしまうのです。
楽しむことによってのみ、苦しみは退きます。
しかしながら、あなたが苦しみを楽しむことは簡単ではありません。
苦しみは、簡単には楽しむことが出来ないのが自然です。
そのため、無理に楽しもうとする必要はありません。
しかしながら、否定や拒絶に拘(こだわ)らず、楽しめる観点を探し続けることは諦めてはならないのです。
良く見れば、良いように見えてきます。
向き合う時間に比例して、好感は増減するのです。
一度では理解することが出来ない魅力も、二度目には理解することが出来るかも知れません。
向き合う回数を重ねれば、それだけ好感が増すということを覚えておきましょう。
慣れによって、何事も楽しむことが出来るということを覚えておきましょう。
”住めば都”なのです。
楽しむ人は、満足を得るでしょう。

2018年11月24日土曜日

強欲は忙しい

人生とは、自らに与えられた役割を果たし、目的を果たすための時間です。
あなたは、自らに与えられた役割を果たさなければなりません。
自らに与えられた役割を果たすことが目的を果たすことにもなるのです。
人生における役割と目的は、一つに繋がっているということを覚えていなければなりません。
役割を果たさなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
人生において大切なのは、自らに与えられた役割を果たすことです。
それ以上に大切なことはありません。
あなたが大切にしなければならないのは、自らに与えられた役割を果たすことなのです。
人生は、自らに与えられた役割を果たせば良いのです。
あれやこれやと考えを巡らせる必要はありません。
自らに与えられた役割だけを考え、それを果たそうと努めれば良いのです。
人生には、多くのことは必要ではありません。
手広く生きる必要などないのです。
あれやこれやと欲してはなりません。
範囲を広げることによって、自らに与えられた役割を果たすことが難しくなってしまいます。
それは、多くを欲することによって、与えられた役割が埋(うず)もれてしまうからです。
多くを欲することによって、与えられた役割が埋もれてしまえば、自分が何をして良いか分かりません。
多くを欲すれば、それだけ忙しくなってしまうのです。
忙しくなれば、それだけ、様々なことに時間と労力を費やさなければなりません。
様々なことに時間と労力を費やせば、それだけ、与えられた役割を果たすことが難しくなってしまうのです。
与えられた役割を果たすことが、人生の本質です。
人生の本質に触れるためには、人生を深く掘り下げなければならないのです。
あれやこれやと欲しているのであれば、深く掘り下げることが出来ません。
何か一つに心を定め、探究することが求められるのです。
人生を深く掘り下げなければ、理解を得ることは出来ません。
理解を深めることは、与えられた役割を果たすためには必要不可欠な要素なのです。
何かに対して理解を深めることによって、あなたは客観的に自分への理解をも深めることが出来ます。
それは、人生が自分を理解するための場所だからです。
すべての経験や知識は、自分を教えているのです。
あなたは、様々な経験や知識を通じて自分を知るのです。
物事に対する理解を深めることは、自分に対する理解を深めることだと理解しなければなりません。
そのため、自分を深く知り、与えられた役割を理解するためには、物事に対する深い理解が必要なのです。
強欲は、触れる範囲を広げます。
欲が強い程、横方向に広げるのです。
それでは、穴は浅いままです。
深く掘り下げるためには、ある程度のところで、欲を断たなければならないのです。
欲が深ければ、余計なことに忙しくなってしまうでしょう。
あなたは、与えられた役割を果たすために生まれました。
与えられた役割を果たすことが、人生における最大の目的なのです。
それ以外のことには、それ以上の価値はありません。
すべては、与えられた役割を果たすためにあるのです。
あなたは、物事に対する理解を深め、自分に対する理解を深めましょう。
そして、与えられた役割を知るのです。
与えられた役割を知れば、それを果たすように努めなければなりません。
強欲によって、忙しく生きてはなりません。
人生は、ゆったりと生きなければなりません。
欲を断ち、時間を”大きく”使いましょう。
時間に余裕を以(もっ)て生きることが大切です。
時間に余裕のないような生活を選んではなりません。
人生は、忙しく働くためにあるのではありません。
あなたは、ゆったりと暮らしましょう。
時間の余裕こそが、理解を深めるためには必要です。
忙しく過ごしていれば、理解を深めることは出来ないのです。
日々の雑事に追われてしまい、本質へと辿り着くことは出来ないでしょう。
強欲を手放し、余計を手放しましょう。
単純で良いのです。
あれやこれやと欲し、人生を複雑にしてはならないのです。
強欲を手放し、ゆったりと生きましょう。

2018年11月23日金曜日

選択こそ命

人生とは、選択です。
あなたは、選ばなければなりません。
人生は、選択によって築かれるのです。
選択は常に求められます。
あなたは、選択を避けることは出来ないのです。
どのような選択も、人生に対して影響します。
人生とは、選択の結果なのです。
様々な選択の積み重ねが、人生なのです。
どのように選択するかによって、人生が決まります。
人生は、あなたの選択を使って、結果を導くのです。
人生には、因果の仕組みが存在しています。
どのような結果も、原因によってしか実現することは出来ないのです。
人生の原因は選択です。
あなたは、自らの選択によって人生が築かれるということを知りましょう。
人が生きるためには、食事を必要とします。
食事によって、あなたは生きることが出来るのです。
食事は大切なものであり、必要なものなのです。
しかしながら、食事が勝手に口に飛び込んでくることはありません。
待っていれば、腹が満たされるということはないのです。
あなたが腹を満たすためには、食事を自らの意思で口に運ばなければなりません。
口を開けて待っていたとしても、食事が運ばれることはないのです。
選択によって、人生は築かれるのです。
飢えるという選択も許されています。
しかしながら、それは豊かさではありません。
飢えに対して、豊かさを感じる人は多くありません。
多くの人は、飢えを乏しさと考えるのです。
食事が口に運ばれるのを待っているだけでは、飢えという乏しさを得ることになります。
人生を豊かに生きるためには、自らの意思で食事をすることです。
何を選択しても、それはあなたの自由です。
人生を豊かに生きても、乏しく生きても構いはしません。
しかしながら、豊かに生きなければ、辛く苦しいのです。
人生を辛く苦しく生きてはなりません。
人生は、楽しく生きるべきものなのです。
人生を楽しく生きるためには、そのような選択が必要です。
口を開けて、ただ待っていてはなりません。
自らの意思で食事を口に運び、腹を満たすべきなのです。
”わたし”は、あなたに言葉を用意しています。
しかしながら、”わたし”があなたに言葉を与えるのではありません。
”わたし”は、そのように傲慢(ごうまん)ではないのです。
あなたが、”わたし”の言葉を自分の意思で受け取るのです。
”わたし”の言葉を、あなたは自発的に受け取らなければならないのです。
自分の意思で受け取らなければ、言葉が命を得ることはないのです。
”わたし”の言葉も、それを受け取らなければ価値はありません。
”わたし”の言葉は、それを受け取る時に価値を生むのです。
人生において、豊かさを実現するためには、自らの意思によって手に入れなければなりません。
口を開けて待っているようではならないのです。
あなたは、選択しなければなりません。
選択こそが命なのです。
あなたが命を得るためには、自らが選択しなければなりません。
果実が枝から離れるのを待ってはなりません。
あなたは、自ら出向き、果実を枝から離し、口に運ばなければならないのです。
人生は、待っているだけで満足出来るような簡単なものではありません。
どのような局面であったとしても、自発的に選択しましょう。
必要を手に入れ、不要を避けるのです。
当たり前に価値を見出してはなりません。
食事は、自らの意思で口に運ぶのです。
人生は、自らの意思で生きるのです。
選択によって、価値を見出しましょう。



2018年11月22日木曜日

唯一の形

人は、それぞれの人生を生きています。
人は、それぞれの人生において、それぞれの役割を与えられているのです。
それぞれの役割は、世界のために与えられています。
人生はそれぞれに独立したものですが、世界は一つなのです。
人は、この世界にそれぞれの人生を持ち込んでいるのです。
人には、それぞれに個性があります。
容姿や性格や好みが異なるように、人は、それぞれが異なる存在なのです。
異なるそれぞれの存在が、一つの世界を生きているのです。
それぞれが一つの世界を生きるためには、秩序(ちつじょ)が必要です。
秩序が無ければ、世界を保つことは出来ないのです。
人には、世界の秩序を保つために、役割が与えられているのです。
役割は、それぞれに異なります。
それぞれが異なる役割を担(にな)い、それを果たすことによって、世界の秩序は保たれます。
一つでも機能しなくなれば、秩序は崩壊してしまうのです。
秩序とは、自然のことです。
自然とは、自分であることです。
自分とは、与えられた役割のことなのです。
あなたが、自らに与えられた役割を果たすことによって、自然は保たれます。
それによって、世界は成り立つのです。
自然とは、特別です。
それは、あなたにとっての自然とは、唯一の形であるからです。
与えられた役割を果たすことが、自然なのです。
そのため、自然は、それぞれに異なります。
それぞれに異なる自然は、特別だということを理解しましょう。
しかしながら、自然は難しいものではありません。
特別に違いありませんが、それは難しいものではないのです。
自分にとっての”普通”こそが、自然なのです。
人は、誰もが自分にとっての”普通”を目指さなければなりません。
あなたが”普通”であることが、あなたが特別であることなのです。
多くの人は、そのことを誤解します。
あなたが特別を目指すのであれば、あなたは”普通”となります。
特別を目指すというのは、自然を手放すということです。
自然を手放すのであれば、特別を手放すことになるのです。
あなたは、自分にとっての”普通”を目指す必要があるのです。
自分にとっての”普通”とは、自分にとっての自然であり、この世界の特別であるからです。
しかしながら、世界にとっての特別を目指すのであれば、自分にとっての不自然となり、世界の”普通”となるのです。
世界の”普通”とは、あなたには役不足なのです。
あなたが世界にとっての特別を目指し、世界の”普通”に陥(おちい)るのであれば、あなたは自らの能力を発揮することが出来ないでしょう。
あなたが自らの能力を発揮するためには、自分にとっての”普通”でなければなりません。
あなたは、自然体でいなければならないのです。
自分にとっての”普通”こそが最善です。
無理に、容姿や性格や好みを変える必要はありません。
あなたに与えらえたものは、あなたが自然を実現するために必要なものなのです。
気に入らないかも知れません。
嫌いでどうしようもないかも知れませんが、あなたには必要なものなのです。
自然であることが最善です。
多くの人は、自然であることを嫌います。
多くの人は、多くを否定し、多くを欲します。
多くの人は、別人に成りたいと願っているのです。
自分以外は、特別な存在ではありません。
あなたが成りたがっている別人は、決して特別な存在ではないのです。
唯一の存在が目の前にいるのです。
自分こそが唯一です。
自分こそが特別なのです。
あなたは、そのことを忘れてはなりません。
あなたは”普通”にしていれば良いのです。
”普通”が最善です。
余計なことをしてはならないのです。
自然でありましょう。

2018年11月21日水曜日

より良い発想と可能性

人生は、思い通りに展開するものではありません。
人生というものは、誰にとっても予想を上回るものなのです。
残念ながら、人生は思い通りには展開しません。
人生は、あなたの予想に反して展開するのです。
それは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
無知であり、未熟であるあなたの予想は外れます。
それが自然なのです。
人生が思い通りに展開すると考えてはなりません。
人生は、思い通りに展開しないことが自然なのです。
それは、あなたの認識と、この世界の理(ことわり)の間にずれが生じているからなのです。
理は、因果の仕組みを用いて、完全なる予定調和を実現します。
この世界のすべては、予定調和なのです。
残念ながら、原因に相応しい結果しか実現することはないのです。
しかしながら、あなたの認識は大きく歪んでいます。
あなたの認識は、因果の仕組みを理解することが出来ません。
そのため、見込みが外れてしまいます。
見込みが外れることによって、人生が思い通りに展開しないと思い込んでしまうのです。
人生は、思い通りにはなりません。
思い通りにならないことが自然であり、最善です。
多くの人は、人生を思い通りに展開しようと考えます。
そこで、傲慢(ごうまん)に振る舞うのです。
残念ながら、人生を思い通りに展開することは得策ではありません。
なぜなら、あなたは無知であり、未熟であるからです。
冷静に考えてみましょう。
あなたは、無知であり、未熟な者の思い通りの展開が最善だと思いますか?
残念ながら、多くの人は、無知であり、未熟な者が欲する思い通りの展開を最善だと思い込んでいるのです。
あなたは、日々成長しています。
あなたは、日々誤解と偏見を手放しているのです。
昨日よりも、今日の方が成長しています。
今日よりも、明日の方が成長しているのです。
どのような問題や苦悩を抱えていようとも、あなたは成長し続けているのです。
あなたは、人生を思い通りに展開することが最善だと思いますか?
今日のあなたよりも、明日のあなたの方が成長しているのです。
より良い発想と可能性が存在するのです。
もしも、人生が思い通りに展開するのであれば、より良い発想と可能性を得ることは出来ないということを理解する必要があるのです。
人生を思い通りに展開するということは、既知(きち)の発想と可能性によって人生を築くということです。
それは、停滞を意味しているのです。
停滞が導くのは乏しさです。
人生を豊かなものにするためには、より良い発想と可能性を手に入れなければならないのです。
そのためには、学ばなければなりません。
人は、学ぶことによって、未知の発想と可能性を手に入れることが出来るのです。
学べば、予想だにしない発想と可能性が生じます。
学べば、今までとは異なる道が見えてくるのです。
あなたは、常に学んでいます。
学ぶつもりがなくても、あなたは学び続けているのです。
そのため、人生は予想通りには展開しません。
人生は常に、未知の発想と可能性に満ち溢れているのです。
人生が思い通りに展開することは不自然です。
もしも、人生が思い通りに展開するようなことがあれば、停滞を疑いましょう。
停滞を喜んではなりません。
人生が思い通りに成ることを望んではならないのです。
そのような状態は、良い結果を導きません。
人生は、予想通りに展開しないことが自然です。
人生は、予想通りに展開しない方が良いのです。
あなたは常に、未知の発想と可能性を生きましょう。
学び続けることです。
学び続け、乏しさに立ち止まらないようにしましょう。
人生を豊かにしましょう。

2018年11月20日火曜日

無理

あなたは、無理をしてはなりません。
人生には、無理は必要ないのです。
あなたは、無理のないように生きなければなりません。
無理をしても、良いことはないのです。
無理とは、理(ことわり)の無い状態のことです。
それは、道理に反する行為なのです。
あなたは、それが不自然であるということを理解しなければなりません。
不自然とは、乏しさのことです。
不自然とは、問題や苦悩のことなのです。
問題や苦悩を抱え、乏しさを覚えている状態によっては、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、可能性や幸福を抱え、豊かさを覚えていなければならないのです。
それは、自然であるということなのです。
あなたが、人生の目的を果たすためには、自然でなければなりません。
自然とは、無理のない状態のことです。
それは、可能性や幸福や豊かさを抱えた状態のことなのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自然な状態でなければならないのです。
自然な状態を得るためには、無理を手放すことです。
無理を手放せば、自ずと自然な状態を実現することが出来るのです。
それは、とても単純なことなのです。
無理なく自然に生きれば良いだけなのです。
それだけで、可能性や幸福や豊かさを手に入れることが出来ます。
そして、人生の目的を果たすことが出来るのです。
しかしながら、多くの人にとっては、自然であるという単純なことが難しいのです。
多くの人は、自然であることが出来ません。
多くの人は、無理を手放すことが出来ないのです。
それは、恐怖を抱えているからです。
人は、恐怖心によって、不安や心配、そして、依存を抱えてしまいます。
そのような心境は、無理を強いるのです。
人は、恐怖心によって無理をします。
無理をすれば、恐怖心を克服することが出来ると考えているのです。
残念ながら、無理をしても、恐怖心を克服することは出来ません。
無理をしたところで、問題は解決しないのです。
問題を解決するためには、無理をしないことです。
無理を手放すことこそが、問題を解決する唯一の方法なのです。
問題は、恐怖心によって生じます。
恐怖心を静めるために必要なのは無理をすることではありません。
開き直ることこそが、恐怖心を手放す方法なのです。
無理をしなければ良いだけです。
心に余裕を与える必要があるのです。
すべての人は無知であり、未熟です。
多くの人は、知らず識(し)らずのうちに無理をしています。
多くの人は、道理に反しているのです。
道理に従うことが、あなたにとっての最善なのです。
人生には、最善が用意されています。
あなたは、それを選ぶことが出来ます。
しかしながら、最善を選ぶためには、必要な条件があるのです。
それは、人生を信じるということです。
ただ、それだけの条件を満たすことによって、あなたは最善を選ぶことが出来るのです。
人生には、思い通りにならないことばかりです。
しかしながら、それは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
それ以外の理由はありません。
あなたが知恵を高め、成長することによって、思い通りにならないことが最善であるということに気が付くことが出来るようになるのです。
そうすれば、無理をする必要がないことにも気が付くのです。
あなたが、無理をしているのであれば、それは不自然な道を進んでいるということです。
無理のない、自然な道を進むことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、無理なく生きましょう。
無理のない生き方を選ぶのです。
人生を誰かと比較する必要はありません。
これは、あなたの人生なのです。
自分にとって、無理のない生き方こそが最善なのです。
無理を手放し、ゆったりと生きましょう。

2018年11月19日月曜日

偽りは偽り

あなたは、自分が何のために生まれたのか?と考えなければなりません。
すべての人生には、目的が存在しています。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれたのです。
すべての人は、それを果たさなければなりません。
しかしながら、多くの人が自らの人生の目的を見失っています。
多くの人が、人生の意味を考えないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に翻弄(ほんろう)されています。
多くの人は、目的を見失った空しい生活を繰り返しているのです。
自分の生まれた意味を知らないのは空しいことです。
残念ながら、多くの人が空しい一生を終えるのです。
それは、不自然な人生なのです。
人は、目的を以て生まれたのです。
それが自然です。
目的を果たすことが自然な生き方なのです。
多くの人は目的を見失い、不自然に生きています。
人生の目的を見失うことによって、人は堕落します。
目的が無いのだから、気高くある必要がないのです。
人が気高くあるためには、目的が必要です。
当ての無い歩みは気高くはないのです。
目的を持ち、目的地へと向かう歩みは気高く美しいのです。
自分が何のために生まれたのか?と考える人は、堕落することはありません。
人生の目的を考える人は、気高く生きることが出来るのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、気高く生きなければなりません。
気高く生きるというのは、真(まこと)を生きるということなのです。
真を生きる時、人生は豊かさを実現するのです。
堕落することによって、人は偽りを許します。
人生に偽りを許せば、真を失ってしまいます。
偽りを用いて人生を築くことは、乏しさを実現してしまうのです。
腐った柱で家を建てると、そこから家は傷みます。
偽りを用いて人生を築けば、人生は乏しさを実現するのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
偽りによって、豊かさは得られません。
偽りによって実現するのは、乏しさだけなのです。
偽りは、どこまでも偽りです。
偽りが、真に成ることはないのです。
偽りを真にしようと努めても無駄です。
偽りを真にしようとする努力は、徒労に終わってしまうのです。
偽りを用いて人生を築いてしまったのであれば、それを取り除かなければなりません。
偽りが用いられている以上、人生が豊かさを得ることは出来ません。
腐った柱で建てた家は、初めは良いように思えます。
しかしながら、後には悪いのです。
偽りは、どこまでも偽りのままです。
残念ながら、あなたの偽りは数えられているのです。
もちろん、真も数えられています。
真と偽りの割合が人生を決めるのです。
自分が何のために生まれたのか?と問い続けるのであれば、偽りを用いることはありません。
目的を知っていれば、偽る必要はないのです。
目的を知らないために、人は不正を働くことが出来るのです。
目的を知ったのであれば、不正を働くことは出来ないのです。
あなたは良く考えましょう。
偽りによって豊かさを得ることは出来ません。
あなたが豊かさを求めているのであれば、真を生きましょう。
あなたは、気高く生きなければならないのです。
堕落してはなりません。
人は、目的を以て生まれました。
人生の意味を考え、目の前の快楽や欲望や苦悩に翻弄されることを避けましょう。
人生の意味を考える人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に従うことはありません。

2018年11月18日日曜日

不正

あなたは、人生を堅固に築かなければなりません。
堅固な人生でなければ、問題や苦しみによって崩壊してしまうのです。
多くの人生は、問題や苦しみに対して脆(もろ)く、簡単に曲がってしまいます。
多くの人は、問題や苦しみによって、道を外れてしまうのです。
道を外れることは簡単です。
しかしながら、道を行くことは難しいのです。
道を行くためには、堅固な姿勢が必要です。
自分の道を行こうとする強い意志が必要なのです。
自分の道を行くためには、覚悟が必要です。
それは、不正を手放す覚悟です。
不正を働けば、人は道を外れてしまいます。
不正を働く者は、自分の道を行くことは出来ないのです。
人生において、自分の道を行くことは重要です。
それは、自分の道を行くことこそが、人生の目的であるからです。
人生の目的を果たすことなく、豊かさを得ることは出来ません。
豊かさを得るためには、自分の道を行かなければならないのです。
不正を働けば、人は道を外れます。
自分の道を行くためには、不正を手放す必要があるのです。
不正を手放すためには、不正に陥(おちい)ることのない強い意志が必要です。
それが難しいのです。
多くの人は、恐怖を抱えています。
恐怖心は、人の心を簡単に支配してしまうのです。
多くの人は、恐怖心によって不正に陥ってしまいます。
恐怖心によって、利己的な選択をするようになるのです。
不正とは、奪い取ることです。
正しく生きるためには、与えられたもので満足しなければならないのです。
あなたが、自分の道を行くためには、与えられたもので人生を築かなければなりません。
どのようなものも奪い取ってはならないのです。
多くの人は、小さい不正を働きます。
小さければ良いと思うのです。
不正に大きさはありません。
小さい不正であっても、道を外れるには十分なのです。
一歩でも踏み外せば、崖(がけ)に転落することもあるのです。
一歩でも踏み外せば、怪我をすることもあるのです。
自分の道を行くことは、決して簡単なことではないのです。
恐怖心が、あなたを道から外します。
あなたは、自らの抱える恐怖心と向き合わなければなりません。
誰かや何かと向き合っている場合ではないのです。
あなたは、自分自身と向き合い、良い仕事を行いましょう。
良い仕事を行い、それによって与えられる報酬(ほうしゅう)に満足するのです。
決して、奪い取ってはなりません。
どのように良い仕事をしたと思い込んでいても、奪い取ってしまえば、それは良い仕事ではないのです。
良い仕事かどうかは、与えられる報酬に対してのあなたの態度によって決まるのです。
自分が良い仕事をしたという自負は、傲慢(ごうまん)に他ならないことを覚えておきましょう。
受け取るまでが仕事です。
どのように受け取るか?によって、その仕事の評価が決まるのです。
あなたが良い仕事をするためには、受け取り方まで考えていなければならないのです。
与えられる報酬は、思い通りにはなりません。
大抵の者は、与えられる報酬に不満を覚えます。
それは、傲慢であるからです。
最善とは、必要のことです。
必要以上や以下を最善というのではありません。
人生には、最善が実現します。
人生には、必要以外は存在しないのです。
未熟者にとって、与えられる報酬に満足することは容易ではありません。
多くの人が与えられる報酬に満足することが出来ず、それ以上に欲しがるのは、未熟であるからなのです。
最善によって、人生を築かなければ、人生は簡単に崩壊してしまうでしょう。
家を建てる時には、良い材料を用いなければなりません。
そうしなければ、簡単に倒壊してしまうからです。
与えられるものが最善です。
人生における良い材料とは、与えられるものだということを覚えておきましょう。
奪い取ったものは、倒壊の原因となるのです。
悪い材料を用いてはなりません。
人生に不正を持ち込んではなりません。
小さな不正が、やがて人生を倒壊させてしまうでしょう。

2018年11月17日土曜日

人生には、多くの仕掛けが存在します。
それは、あなたの心に対する駆け引きです。
すべての人は、人生を果たすために生まれました。
すべての人は、人生を果たさなければなりません。
人生を果たすというのは、人生の目的を果たすということです。
すべての人が、人生に対して目的を以(もっ)て生まれます。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めてあるのです。
始める前に目的を決めていなければ、人生が始まることはないのです。
目的が存在して、人生が始まるのです。
この世界においては、目的もなく始まることはありません。
なぜなら、因果の仕組みが存在しているからです。
因果の仕組みとは、すべての結果は、それに相応しい原因によって導かれるということです。
この世界においては、原因が存在しなければ、結果は存在しません。
この世界に人生が存在するためには、目的という原因が必要なのです。
そのため、すべての人生に目的が存在しています。
人生に目的など存在しないと思っても、認識が及んでいないだけであって、それは確実に存在しているのです。
この世界には、無意味なものや、価値の無いものは存在しません。
すべてに意味があり、価値があるのです。
あなたの人生には、大切な意味があります。
そして、あなたには、大切な価値があるのです。
残念ながら、多くの人には、そのことが分かりません。
人生には特別な意味など無く、自分には価値が無いと思い込んでいるのです。
あなたが自分をどのように考えようとも、この世界があなたの価値を証明しています。
この世界に存在しているということは、大切な意味があり、価値があるということだからです。
大切なのは、人生の意味は探し出さなければならないということです。
残念ながら、人生の意味を教えてくれる程、この世界は親切ではありません。
あなたは、価値のある存在ですが、その意味は自分で見出さなければならないのです。
しかしながら、それは容易なことではありません。
それは、あなたが、人生の意味を安易に見出すことのないようにするためなのです。
残念ながら、人生の意味を見出すことは容易ではありません。
なぜなら、人は無知であり、未熟であるからです。
無知で未熟な者の考えは歪んでいます。
歪んだ考えは、歪んだ認識へと辿り着くのです。
そのため、多くの人は、人生の意味を誤ります。
そして、誤った人生の意味に従った目的を得るのです。
人生の目的は、生まれた後に付け加えられたものではありません。
人生の目的は、生まれる前に決められたものなのです。
そのため、人生の目的は俗的なものではありません。
世俗には、人生の目的は存在しないのです。
世の中には、人生の楽しみが存在しています。
しかしながら、それは人生の目的ではないことを理解しなければならないのです。
世俗的な欲求を満たしたとしても、人生の目的を果たすことが出来る訳ではありません。
世の中の価値観が指し示す成功を果たしたからといって、人生の目的を果たしたことにはならないのです。
大切なのは、真(まこと)が指し示す成功を果たすことです。
真とは、あなたの内に存在する自然です。
多くの人は、真を見失っているのです。
そのため、世俗的な欲求を満たすことに満足することが出来るのです。
世俗的な欲求を満たしたとしても、残念ながら、真が満たされることはありません。
真は、人生の目的を果たすことで満たされるのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、様々な誘惑(ゆうわく)に陥(おちい)らずに、真の声を聞きましょう。
真は、常にあなたに語り掛けています。
真は、あなたに自然な生き方を教えようとしているのです。
世俗的な欲求を満たす生き方は自然な生き方ではありません。
自然な生き方とは、世俗的な欲求よりも深くに存在する欲求を満たす生き方のことなのです。
真が指し示すのは、世俗を超えた成功です。
それは、自分によって、自分の人生を生きるということなのです。
誰かや何かに左右されることなく、自らの心に従って生きることによって、真を理解するのです。
世俗的な欲求を満たし続けても幸福を得ることは出来ません。
それは、一時の満足に過ぎないのです。
渇(かわ)くことのない満足を得ましょう。
世俗的な欲求と、上手に付き合いましょう。
それは、人生の楽しみではあっても、人生の目的ではないのです。

2018年11月16日金曜日

道は違える

人は、それぞれの役割を与えられています。
あなたには、あなたの役割が存在するのです。
それは、あなたでなければ果たすことが出来ません。
それは、特別な役割だからです。
あなたは、特別な役割を果たすために生きているのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
多くの人は、自分が特別な役割を担(にな)っていることを忘れています。
多くの人は、自分が特別な存在であることを忘れているのです。
そのため、他者に迎合(げいごう)し、依存するのです。
大切なのは、自分であることです。
あなたは、自分を生きなければならないのです。
自分を生きるというのは、自然であることです。
人は、自分であることが自然なのです。
自分を見失い、他者に迎合し、依存するのは不自然な状態であるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、不自然を生きています。
他者に嫌われることを恐れ、自分を歪めるのです。
不自然に生きることは、不自然な人生を導きます。
不自然な人生とは、乏しい人生のことなのです。
この世界において、自然は豊かさです。
そして、不自然は乏しさなのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、自然を生きなければならないのです。
自然を生きるというのは、自分を生きるということです。
他者に嫌われることを恐れ、他者に迎合し、依存するのは、不自然を生きるということなのです。
それでは、人生は乏しさを得るのです。
残念ながら、多くの人は人生に乏しさを感じています。
それは、自然である自分を生きてはいないからです。
自然から離れて豊かに生きることは出来ません。
不自然を生きることは、多くの問題と苦しみ、そして、空しさを導くのです。
あなたは、人生を空しく生きてはなりません。
人生を空しく生きないためには、自然である自分を生きることなのです。
ただ、それだけのことによって、人生は豊かさを得るのです。
他者に嫌われることは、決して悪いことではありません。
なぜなら、人は分かり合えないからです。
人は、異なる役割を担います。
それは、異なる個性を担うということでもあるのです。
役割が異なれば、分かり合うことは出来ません。
異なる役割を果たすためには、異なる理解が必要であるからです。
人は、分かり合えないのが自然です。
恐怖によって、それを不自然なものにしてはならないのです。
多くの人は、他者に嫌われることを恐れます。
そして、他者に気に入られようと振舞うのです。
他者に嫌われることを恐れる人は、他者と分かり合おうとしているのです。
しかしながら、役割は異なるのです。
分かり合うことは出来ません。
役割や立場が異なれば、必要も理解も異なるのです。
役割や立場を成り立たせるためには、それぞれの必要と理解が異ならなければならないのです。
それぞれが異なるのが自然であり、最善です。
それぞれが独立した状態によって、協力することが求められているのです。
他者に嫌われることを恐れ、迎合や依存を許してはなりません。
あなたは、他者に好かれる必要はありません。
大切なのは、自らの役割を果たすことなのです。
そのために、他者に嫌われようと構わないのです。
人は、分かり合えないのです。
他者のことを気にする余り、自分と自分の役割を見失ってはなりません。
誰にも理解されることがなくても、自分の役割を果たしましょう。
人生において、それ以上の最善は存在しないのです。
何のために生まれたか?と考えましょう。
他者に気に入られるために生まれたのではありません。
他者に気に入られようが嫌われようが、自らの役割を果たすために生まれたのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
嫌われることを思い悩んではなりません。
嫌われても良いのです。
他者に嫌われることを、必要以上に気にしてはなりません。
人は、分かり合えないのが自然です。
無理に分かり合おうとするのは、自然を歪める行為であり、不自然を実現する行為であるのです。
不自然を実現すれば、豊かさを得ることは出来ません。
自分の役割を果たすことに努めてましょう。
その結果として、分かり合える人もいれば、分かり合えない人もいるのです。
それで良いのです。
すべての人と、共に歩むことは出来ません。
道は違(たが)えるということを覚えておきましょう。

2018年11月15日木曜日

施し

人は、それぞれの目的のために生まれました。
人は、それぞれの目的を果たさなければなりません。
目的は役割として所有し、役割を果たすことで目的を果たすことが出来るのです。
すべての人は、役割を担っています。
役割は、それぞれに異なります。
この世界には、同じ人物が存在しないように、同じ役割も存在してはいないのです。
役割とは、特別なものです。
しかしながら、それは大きく異なるものではありません。
役割は、少しづつ異なります。
少しだけ異なったとしても、それは同じものではないのです。
同じものでなければ、特別です。
すべての役割が特別だというのは、すべての役割が異なっているからなのです。
その違いを認識することは難しいかも知れません。
多くの人は、自分が他者と同じことをしていると思い込んでいます。
同じように生きたとしても、同じではありません。
どのように真似ても、決して同じには出来ないのです。
どのような生き方をしても、それは特別な生き方となります。
あなたという存在は、この世界に唯一の存在なのです。
その時点において、特別であるということを理解しなければなりません。
すべての人が、異なる役割と目的を以(もっ)て生まれ、生きています。
どのように生きても、同じには出来ません。
あなたは誰とも同じではありません。
誰も、あなたと同じには出来ないのです。
そのため、あなたは自分で行わなければなりません。
役割を果たし、目的を果たすのです。
残念ながら、多くの人はそのことに気が付きません。
多くの人は、自分の役割と目的を見失い、他者と自分を同一視するようになるのです。
多くの人は、他者への依存心を育むのです。
多くの人は、他者に期待します。
しかしながら、それは最善の選択ではありません。
なぜなら、その期待は裏切られてしまうからです。
人は、それぞれに異なる役割と目的を以て生まれ、生きています。
人は、それぞれに異なる役割と目的のために働かなければならないのです。
人は、同じように思えても、異なる選択と行為をしているのです。
他者に期待しても、それが実現することはありません。
あなたは、役割と目的の異なる他者に、何かを期待してはならないのです。
期待は必ず裏切られることになります。
裏切るつもりはありませんが、期待することで裏切られたと思い込んでしまうのです。
あなたは、他者を特別と認識しなければなりません。
他者は、あなたではありません。
特別な存在なのです。
あなたに出来ることは、期待しないで施(ほどこ)すことです。
他者の役割と目的を、あなたが代わりに果たすことが出来ないように、あなたの役割と目的を他者が果たすことは出来ません。
そのため、期待は裏切られるのです。
期待しないで施せば、相手に貢献することが出来ます。
相手に貢献することによって、自らの役割と目的を果たすことが出来るのです。
すべての存在は、自分のために、そして、世界のために生まれたのです。
期待しないで施すことによって、あなたは自分のためと、世界のために貢献することが出来るのです。
それは、真の豊かさを得るために必要不可欠なことなのです。
あなたは、他者に期待してはなりません。
他者は、あなたの役割と目的を果たしてはくれません。
あなたは、他者に期待されてもなりません。
あなたは、他者の役割と目的を果たすことが出来ないのです。
人は、それぞれの目的のために生まれました。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないということを覚えておきましょう。
期待しないで施しましょう。
それが大切です。

2018年11月14日水曜日

欲求と必要

どのような人生も、思い通りにはなりません。
すべての人生は、思い通りには展開しないものなのです。
それは、あなたの欲求と必要が合致しないからです。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人が無知を生きているのです。
未熟であり、無知な者の欲求は大きく歪んでいるのです。
それは、人生における必要とは異なるものなのです。
あなたが受け取るのは必要です。
人生において、不要を受け取ることは出来ません。
あなたは、必要を受け取る必要があるのです。
そのため、あなたの欲求と必要は合致しません。
あなたの欲求が実現するとは限らないのです。
大切なのは、目の前に実現する現実こそが必要であり、最善であることを理解することです。
あなたの欲求は、残念ながら最善ではありません。
なぜなら、あなたは未熟であり、無知であり、歪んでいるからです。
残念ながら、あなたには、最善を理解することが出来ないのです。
そのため、最善を導く人生に対して反発するのです。
人生は、あなたに必要を導きます。
人生は、あなたに対して、必要以外を導くことは出来ないのです。
人生が導く必要が最善であることを理解し、そこから学ぶ必要があるということを覚えておきましょう。
あなたの欲求は、最善に対して間違っています。
多くの人は、良いことばかりを求めるのです。
多くの人の欲求は、良いことに対して向けられています。
良いこととは、自分にとって都合の良いことをいうのです。
良いことを求める一方で、悪いことを否定します。
悪いこととは、自分にとって都合の悪いことを指すのです。
多くの人は、良いことばかりを選ぼうとします。
しかしながら、人生には、良いことばかりを選ぶことは出来ないのです。
残念ながら、あなたは悪いことも選ばなければならないのです。
自分の都合に良いと思う選択も、実際には自分の都合に悪いことを選んでいます。
人生とは、そのようなものなのです。
なぜなら、すべてが成長を実現するためだからです。
成長を実現するためには、自分の都合に悪いことも必要なのです。
自分の都合に悪いことを経験することによって、偏(かたよ)りの無い経験を経ることが出来るのです。
自分の都合に悪いことを経験しなければ、人が成長を実現することが出来ません。
それは、自分の都合に良いことばかりが実現すれば、それ以上に成長する必要がないからです。
改めることをしなくても、自分に都合の良いことが導かれるのであれば、改める必要などないのです。
成長とは、改めることによって実現します。
改めることをしなければ、成長を実現することは出来ないのです。
改めるためには、自分の都合に悪いことを経験しなければなりません。
自分に都合の悪いことは、あなたの欲求とは異なりますが、あなたの欲求と異なるということは、それが必要なのです。
あなたは、良いことばかりを選ぶことは出来ません。
それは、良いことばかりを選ぶ必要がないからです。
悪いことから学ぶことは多くあります。
悪いことからしか学ぶことが出来ないことは多いのです。
良いと思えるものは、必ずしも良いことは限りません。
悪いと思えるものも、必ずしも悪いとは限らないのです。
残念ながら、あなたには、正しい判断を下すことが出来ません。
あなたは未熟であり、無知なのです。
何が正しいかを理解することは出来ないのです。
あなたは、人生が思い通りにはならないことを受け入れましょう。
人生の導く必要が最善であるということを理解しなければならないのです。
努力をしても、人生の導く必要を避けることは出来ません。
気に入らないという理由では、最善を避けることは出来ないのです。
人生は、常に最善を実現します。
あなたは、人生が思い通りに展開するなどと考えてはなりません。
思い通りに展開しないことが人生なのです。
そのことを覚えておきましょう。
自分の都合に悪いことを、安易に否定してはなりません。
そこから学べることは学びましょう。

2018年11月13日火曜日

命の使い道

すべての存在は、命を与えられています。
この世界に存在するすべては、命なのです。
命を与えられていなければ、この世界に存在することは出来ません。
命によって、すべてはこの世界に存在を許されているということを理解しましょう。
命を失えば、存在することは出来ません。
命とは、それ程に重要なものなのです。
あなたは、自らに与えられた命を大切に扱いましょう。
命を粗末に扱ってはならないのです。
命は、無意味に与えられた訳ではありません。
すべての命は、原動力だからです。
すべての存在は、命を使って、自らに与えられた役割を果たさなければならないのです。
命は、役割を果たすための原動力として与えられたのです。
そのことを理解しなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、命の価値を知りません。
多くの人は、与えられた命を、自らの役割を果たすための原動力だとは考えないのです。
多くの人は、目的もなく生きています。
多くの人は、人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望を満たすためだけに生きているのです。
目の前の快楽や欲望を満たすことによって、偽りの幸福に酔い痴(し)れているのです。
偽りの幸福によって、人生を豊かにすることは出来ません。
偽りの幸福は、口には甘く、腹には苦いのです。
偽りの幸福とは、甘い毒であるということを覚えておかなければならないでしょう。
毒によって、命は奪われます。
残念ながら、毒によって豊かさを得た者はいないのです。
豊かさを得るためには、命を使い果たさなければなりません。
そのためには、毒を飲んではならないのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)っている内は、命を使い果たすことは出来ません。
毒を絶つように、目の前の快楽や欲望を絶たなければならないのです。
命は、与えられた役割を果たすためにあります。
命を粗末に扱う者には、与えられた役割を理解することは出来ないのです。
命を大切に扱う者だけに、与えられた役割を理解することが出来ます。
命を大切に扱うというのは、人生と向き合うということです。
人生とは、目の前の状況のことです。
それは、自分にとって、都合の良い場合も都合の悪い場合もあるでしょう。
都合の良い悪いに関わらず、それと向き合うことによって、人は命を大切に扱うことが出来るのです。
目の前の快楽や欲望を貪ることは、人生に向き合っていることではありません。
それは、人生からの逃避なのです。
人は、人生の苦しみに耐え兼ねて、目の前の快楽や欲望を貪るようになるのです。
毒を飲んで生き続ける人はいません。
毒を飲めば、誰でも寿命を縮めてしまうのです。
人生が苦しみに満ちていたとしても、安易に毒を飲んではなりません。
毒を飲まずに済む方法を考え続けるのです。
方法は必ず存在しています。
なぜなら、苦しみは誤解に過ぎないからです。
人生には、無駄は存在しません。
無駄に思えるのであれば、認識が至らないだけなのです。
苦しみは悪いことではありません。
苦しみから学ばなければならないこともあるのです。
苦しみを拒絶し続けるのであれば、大きく歪んでしまいます。
それでは、偏見と誤解に支配されてしまうのです。
偏見と誤解を抱えて、与えらえた役割を理解することなど出来るはずがありません。
与えられた役割を理解するためには、偏見と誤解を手放さなければならないのです。
そのために、人生と向き合うのです。
あなたは、命の使い方を考えましょう。
あなたは、無駄な存在ではありません。
人生に認められて存在しているのです。
そのことを理解し、命を大切に扱いましょう。
命を大切に扱わなければ、役割を果たすことは出来ません。
他のことに使っていると、役割を果たすまでに足らなくなってしまうのです。
命の使い道を考えましょう。

2018年11月12日月曜日

砂糖水

人は、それぞれに必要な人生を与えられています。
それは、必要な役割を与えられているからです。
どのような人物にも、果たさなければならない役割があるのです。
あなたは、自らに与えられた役割を果たし、自らの人生を歩まなければなりません。
与えられた役割を無視して生きるのは得策ではありません。
なぜなら、それは、乏しさを招いてしまうからです。
残念ながら、人が豊かに生きるためには、自らに与えられた役割を果たし、自らの人生を歩まなければならないのです。
与えられた役割を果たすことなく、人生を豊かなものにすることは出来ないのです。
あなたは役割を果たすことを考えましょう。
役割は、すべての人に対して必ず与えられています。
この世界には、無駄に生きている人など存在しないのです。
無駄に思える人生も、決して無駄ではありません。
その役割に気が付けば、その価値に気が付くことが出来るのです。
価値に気が付いていないだけで、価値が無い訳ではありません。
人は、人生の大半を価値を見出すために費やさなければならないのです。
簡単に与えられた役割を見出せる程、人生は甘いものではありません。
与えられた役割を見出すためには、挑戦と失敗を繰り返さなければならないのです。
それは、決して優しいことではないのです。
誰もが挑戦を恐れます。
そして、誰もが失敗を恐れるのです。
出来れば、挑戦や失敗を避けて通りたいと思うのが心情なのです。
しかしながら、挑戦や失敗を避けていれば、いつまで経っても自らの人生を歩むことは出来ないのです。
人は流されます。
流されて、自らの人生を外れてしまうのです。
多くの人が人生に乏しさを覚えるのは、自らの人生を外れているからです。
あなたが満足して日々を過ごせないのは、自らの人生を歩んではいないからなのです。
流されないことが重要です。
世の中には、多くの情報が溢れています。
それは、幅の広く、流れの急な川のようなものです。
自力によって泳ごうとすれば、たちまちのうちに流れに飲まれ、簡単に流されてしまうのです。
多くの人が、そのようにして生きているのです。
多過ぎる情報に翻弄(ほんろう)され、自らの役割や人生を果たすことが出来ない実状なのです。
多過ぎる情報によって、あなたは自らの人生を外れてしまいます。
あなたが自らの役割を見出してそれを果たし、自らの人生を歩むためには、多過ぎる情報を遮断しなければならないのです。
目の前の快楽や欲望を満たすことは、決して悪いことではありません。
それが必要であることも、仕方がないこともあるのです。
しかしながら、目の前の快楽や欲望を追い続けても、満足を得ることは出来ないのです。
それは、砂糖水を飲むようなものだからです。
目の前の快楽や欲望を満たすことは、とても甘美なことのように思えます。
しかしながら、それはすぐに渇(かわ)きを誘うのです。
砂糖水によって喉(のど)の渇きを潤すことが出来ないように、目の前の快楽や欲望によって満足を得ることは出来ないのです。
目の前の快楽や欲望に目が眩んでいては、自らに与えられた役割や人生を見出すことは出来ないのです。
幅の広く、流れの急な川を渡ることは出来ません。
川幅の狭く、流れの緩やかな場所を探さなければならないのです。
人生においてそれは、多過ぎる情報や刺激を避け、一心に生きるということなのです。
多過ぎる情報や刺激を遮断し、心を静かに生きるのです。
あれやこれやと憧れを抱いたり、患(わずら)ってはならないのです。
迷いを捨て去り、覚悟を決めましょう。
それが、自らに与えられた役割かどうかは挑戦と失敗を繰り返さなければ分からないものなのです。
簡単に答えが得られるなどと考えてはなりません。
答えは、人生が終わるまで得られないかも知れません。
多くの人は、自らに与えられた役割と人生を知らずに、それ等を手放さなければならないのです。
自らに与えられた役割と人生を知ることは、とても尊(とうとい)ことだと知りましょう。
多過ぎる情報に翻弄されて生きてはなりません。
流されずに、渡りましょう。
目の前の快楽や欲望に従って生きてはなりません。
どのような道にも、都合の良いことと都合の悪いことがあります。
あれやこれやと思い悩む必要はありません。
迷いを捨て、一心に生きましょう。

2018年11月11日日曜日

恵みを受け取る

人生には、相応しいことしか実現しません。
人生は、常に自分に相応しいものなのです。
自分に相応しい状況以外には受け取ることが出来ません。
それが、どのような状況であろうとも、自分に相応しいということを理解しなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、目の前の状況が自分に相応しいとは思えません。
目の前の状況が気に食わず、自分にはもっと別の状況が相応しいと考え、それを探し続けているのです。
現状を否定しても、別の状況を手にすることは出来ません。
人生には、常に最善が導かれているのです。
人生が、誤ることはありません。
人生は、因果の仕組みに従って、あなたに最善を導くのです。
原因は、自分にあります。
そのため、すべての結果は自分に相応しいのです。
そのため、あなたは自分の在り方に注意しなければならないのです。
受け入れる準備の整っていない者に恵みは不要です。
なぜなら、どれだけの恵みを施(ほどこ)したところで、それを受け入れることが出来ないからです。
受け入れることが出来ない者には、恵みが与えられることはないのです。
聞く耳を持たない者にとって、真実は価値のないものです。
聞く耳を持たない者は、自分の信じることを手放しはしません。
それが偽りであったとしても、それがその人の真実となるからです。
聞く耳を持たない者に本当のことを話すのは無駄なのです。
人生には、無駄は存在しません。
残念ながら、人生は無駄を許す程、甘いものではないのです。
因果の仕組みは確実に働きます。
人生は、あなたに合わせて、最善の状況のみを導くということを覚えておきましょう。
人生に豊かさを必要とするのであれば、受け入れる必要があるということを覚えておきましょう。
それは、現状を受け入れるということなのです。
現状には、多くの問題や苦しみが存在しています。
それ等を否定するのであれば、それ以上の可能性を得ることは出来ません。
なぜなら、現状の問題や苦しみによって、人は物事の本質に触れ、自らを改めることが出来るからです。
人生は、問題や苦しみを引き起こす状況を用いて、自分自身の抱えている歪みを教えているのです。
問題や苦しみを否定する人は、人生の教える自らの歪みに気が付くことが出来ません。
自らの歪みに気が付かない人は、指摘を受け入れることはないのです。
大切なのは、自らの歪みに気が付くことです。
そして、受け入れる準備を整えることなのです。
石の上に種を蒔(ま)いても育ちません。
川に蒔いては、流されてしまいます。
海に蒔いても同じことです。
種は、畑に蒔くものなのです。
そうしなければ、収穫を得ることは出来ません。
種とは、人生に恵みをもたらす言葉のことです。
畑とは、受け入れる準備の整った心のことなのです。
人生の豊かさは、受け入れる心を準備している者にだけ与えられるのです。
受け入れる準備をしていない者が、強欲に豊かさを望んでいます。
多くの人は、受け取る資格も無い豊かさを求め続けているのです。
受け取る資格が無ければ、受け取ることは出来ません。
強欲に求めてはなりません。
自らを改めることによって、豊かさに相応しい自分を準備しましょう。
問題や苦しみを経た先に、人は自らを改めることが出来るのです。
傲慢(ごうまん)や強欲が根を張る心には、恵の種を蒔くことは出来ません。
あなたは心を耕(たがや)しましょう。
傲慢や強欲の根を引き抜き、柔軟に変化することが出来るようにしておかなければならないのです。
純粋な心からは、多くの恵みを収穫することが出来ます。
しかしながら、不純な心には、雑草が蔓延(はびこ)るでしょう。
雑草とは、雑念のことです。
多くの人の心は雑念に支配されています。
心を荒らしてはなりません。
心を整えましょう。
恵みを受け取る準備を怠(おこた)ってはなりません。

2018年11月10日土曜日

自分でなんとかするしかない

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きているのです。
あなたは他者の人生を生きることは出来ません。
他者も、あなたの人生を生きることは出来ないのです。
人生の決定権は自分にあるのです。
他者によって人生が決まるのではありません。
あなたは、他者の人生を決めることも、他者に人生を決められることもないということを覚えておかなければなりません。
人生は、自分自身によって決めるのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果は、それに相応しい原因によって実現するのです。
原因の存在しない結果は存在しません。
そのようなものが存在すると思うのは、原因を見付け出すことが出来ないだけなのです。
原因を見付け出すことが出来ないために、”奇跡”や偶然などという幻想を思い描くことになるのです。
残念ながら、この世界には、”奇跡”や偶然などの因果の仕組みに反することは存在することが出来ないのです。
すべてが当然であり、必然なのです。
多くの人には、原因が結果を導く過程が分からないのです。
そのため、人生を誰かや何かに任せるようになるのです。
多くの人が、自分の人生の責任を放棄しています。
目の前に苦悩が導かれたとしても、”奇跡”や偶然や援助を待ち続けているのです。
すべての人が未熟です。
そのため、すべての人が誤ります。
すべての人が道を踏み外すのです。
その度に問題と苦しみが襲います。
悔やんでも、苦悩を避けることは出来ません。
未熟であるあなたは、苦悩を体験しなければならないのです。
人生は、自分でなんとかするしかありません。
協力はしてもらえますが、誰も助けてはくれないのです。
なぜなら、人生を築くのは自分自身であるからです。
あなたという原因が、人生という結果を築くのです。
他者の協力は、あなたの人生の原因には至りません。
原因を決めるのは、あなた自身なのです。
あなたは必ず誤ります。
そして、必ず苦悩し、後悔するのです。
苦悩を体験するのは、あなたにより良い選択をさせるためです。
あなたが、より良い選択をするためには、現状を否定されなければならないのです。
人生が思い通りに展開するのであれば、それよりも本質的な選択をする必要がありません。
しかしながら、人生が問題と苦しみに陥るのであれば、より本質的な選択が必要なのです。
より本質的な選択をしなければ、苦悩から抜け出すことが出来ないのです。
人生は、自分でなんとかするしかありません。
人生をより良くするためには、自分を変える以外には方法がないということなのです。
多くの人は、自分を改めることなく、人生を変えようとしています。
人間関係や環境を変えることによって、人生の転換を図るのです。
しかしながら、人間関係や環境が人生を築いている訳ではありません。
あなたが人生を築いているのです。
あなたが変わることで、人間関係や環境は変わります。
しかしながら、あなたが変わることがなければ、どこへ行っても、同じような人間関係や環境を築くことになるということを覚えておきましょう。
あなたは、苦悩を嫌ってはなりません。
苦悩こそが、あなたを変えるのです。
苦悩によって、あなたはより本質的な選択が出来るようになるのです。
苦悩を否定するのは間違いです。
苦悩こそが、あなたに変化を与えるのです。
どうしようもない時に、人は自分を改めることが出来ます。
余裕がある時には、自分を改めることはしないのです。
それは、人が未熟であるために、変化の必要性を感じることが出来ないからです。
悔やんでも苦悩を避けることは出来ません。
協力はしてくれても、誰も助けてはくれません。
人生は、自分でなんとかするしかないのです。
選択という原因によって人生を変えましょう。
それ以外に、人生が変わる方法はないのです。

2018年11月9日金曜日

自然な状態

すべての人には、分際というものが存在しています。
分際とは、その人に与えられた役割のことです。
すべての人は、必要な役割を与えられて生まれるのです。
この世界において、役割を与えられずに生まれる者はいません。
どのような人物も、必ず役割を与えられているのです。
人は、自らに与えられた役割を果たさなければなりません。
それは、与えられた役割を果たすことが幸福であり、豊かさであるからです。
与えられた役割を果たすことが無ければ、あなたが幸福や豊かさを感じることは出来ません。
与えられた役割を無視して生きることは、空しさを導くのです。
不安や不満に揺さ振られるのは、与えられた役割を無視して生きているからです。
自らの分際を生きないために、心の安定が得られないのです。
人は、自らの分際を生きることで幸福や豊かさを感じることが出来ます。
どこで、誰と、何をしても、自らの分際を生きることが無く、与えられた役割を無視して生きているのであれば、心の安定を得ることは出来ず、幸福や豊かさを感じることも出来ないのです。
大切なのは、幸福や豊かさを感じて生きることです。
あなたは、空しく生きてはならないのです。
人生を充実させるためには、自らの分際に従い、与えられた役割を果たさなければならないのです。
そのためには、自らの分際を弁(わきま)えなければならないのです。
残念ながら、多くの人は自らの分際を弁えることが出来ません。
多くの人が、自分が正しいと思っています。
多くの人が、相手が間違っていると思っているのです。
残念ながら、自分が正しいと思っている人は、自らの分際を履き違えています。
自分が正しいというのは間違えではありませんが、同じように相手も正しいのです。
自分は、自分の人生において正しく、相手は相手の人生において正しいのです。
互いに尊重することが求められるのです。
人は、それぞれが必要な役割を与えられて生まれます。
一つとして、同じ役割を与えられることはありません。
互いに異なる役割を与えられるのです。
そのため、どちらか一方が優れているということはないのです。
互いに正しく、互いに間違っているのです。
そのことを理解しなければならないのです。
多くの人は、傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまいます。
傲慢は、堕落なのです。
自らの分際を弁えることなく高く登る者は、必ず落ちるのです。
そして、無事では済まないのです。
大切なのは、分際を弁えることです。
あなたは、自らの分際を弁えなければなりません。
決して、自分が正しいなどと思い込んではなりません。
そして、決して、相手が間違っているなどと思い込んではならないのです。
人が自らの分際を弁えることが出来れば、同時に謙虚(けんきょ)さを身に付けることが出来ます。
謙虚さとは、消極的な態度のことではありません。
謙虚さとは、消極的でも、積極的でもなく、自然な状態のことを指すのです。
自然な状態とは、高くもなく低くもない状態のことです。
それが、あなたの分際なのです。
あなたにとって、高くも低くもない状態でありましょう。
不自然に生きることに満足することの出来る人はいません。
人は、自分にとっての自然を生きることによってのみ、満足を得ることが出来るのです。
自然界の生物には、それぞれの住処(すみか)があります。
魚は水を住処とし、獣は大地を住処とし、鳥は空を住処とするのです。
人には、それぞれの住処があります。
それが分際であり、役割であるということを覚えておきましょう。
謙虚に、自然に生きましょう。
無理をする必要はありません。
気楽に生きましょう。
自らの分際を手放してはなりません。