人は、それぞれが必要な役割を与えられています。
どのような人も、特別な役割を与えられているのです。
人は、それを果たさなければならないのです。
しかしながら、役割を果たすことは難しいことではありません。
それは、あなたが自分であれば良いだけだからです。
特別な役割は、特別なあなたに与えられたのです。
あなたは特別な存在です。
それは、他者も同じなのです。
すべての人が特別な存在なのです。
なぜなら、この世界にあなたと同じ人は存在しないからです。
あなたは、世界にただ一人の存在です。
他者も同じです。
人が自分であれば、それで特別な存在であることが出来るのです。
大切なのは、自分であることです。
自分であるのならば、特別な役割を果たすことも出来るのです。
しかしながら、あなたが自分であることは簡単ではありません。
なぜなら、あなたは弱いからです。
すべての人が未熟です。
未熟であるが故(ゆえ)に弱いのです。
弱さは、あなたが自分であることを否定します。
他者と比較することによって、あなたは自分であることが出来ないのです。
多くの人は、他者と自分を比較し、優劣を競います。
未熟である人の比較は、大抵の場合、他者の最高と自分の最低を比較するのです。
そのため、他者を優れたものと思い、自分を劣ったものと思い込んでしまうのです。
多くの人が、比較の基準を誤っています。
元より、他者と自分を比較する必要などありませんが、比較するのであれば、互いの最高を比較しなければならないのです。
そうすれば、他者との間に優劣を競う必要がないことに気が付くことが出来るのです。
他者は特別な存在であり、特別な役割を与えられています。
自分も特別な存在であり、特別な役割を与えられているのです。
比較するものではなく、高め合うものなのです。
そのことを理解しなければ、あなたは自信を失ってしまうでしょう。
自信を失ってしまえば、与えられた役割を果たすことは出来ないのです。
それを果たすと決心しなければ、与えられた役割を果たすことは出来ないのです。
役割は、それぞれに異なります。
それぞれが最高の役割なのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
必ずしも、他者からの理解を得る必要はありません。
多くの人は、他者からの理解を得ることによって、空しい安心を得ようと企(たくら)みます。
残念ながら、他者からの理解を得られたとしても、それで満たされる訳ではありません。
それは、他者からの理解を得ることが目的ではないからです。
残念ながら、他者には、あなたに与えられた役割を理解することは出来ません。
それは、あなたにも同じことで、他者に与えられた役割を理解することは出来ないのです。
他者の役割を必ずしも理解する必要はありません。
理解することが出来ないというのであれば、理解する必要はないのです。
あなたの目的は、他者からの理解を得ることではありません。
また、他者を理解することでもないのです。
自らに与えられた役割を果たすことが目的であるのです。
他者からの理解を目的とするのであれば、あなたは自分の役割を果たすことは出来ないでしょう。
なぜなら、他者からの理解を得るためには、他者に迎合(げいごう)する必要があるからです。
それは、自らの役割を手放し、他者の役割を支持するということなのです。
他者からの理解を得るためには、他者に合わせなければなりません。
他者に合わせることは、良いことのように思えます。
しかしながら、その分、自分からは離れてしまうということなのです。
人生において重要なことは、"これが自分の人生である"と理解することなのです。
他者のことを大切に思うことは大切ですが、自分の人生を犠牲にしてはなりません。
なぜなら、あなたには、特別な役割が与えられているからです。
その役割を果たすことが出来るのは、あなただけです。
あなたの他に、あなたの役割を果たすことが出来る人はいません。
他者のことも大切ですが、自分のこと程ではありません。
先ずは自分の役割を果たすことが求められます。
その結果として、他者の役に立つことが出来るのです。
他者に迎合することで自分を見失った者には、他者の役に立つ術はないのです。
自らの役割を果たすことが、他者の役に立つ唯一の方法です。
それを失ってはならないのです。
自分とは、自然です。
あなたは、自然(体)であることを目指しましょう。
それは、他者との比較無くして成り立つ状態です。
他者と自分を比較している間は、不自然であるということを理解しましょう。
残念ながら、他者には、あなたの役割を理解することが出来ません。
そして、あなたにも、他者の役割を理解することは出来ないのです。
割り切りましょう。
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