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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年11月27日火曜日

心の蟠り

すべての人は未熟です。
すべての人は、無知と共に生きているのです。
無知は偏見を生じます。
そして、偏見は誤解を生むのです。
すべての人は誤解を生きています。
それは、世界を歪めて見ているということなのです。
それは、偽りの世界です。
すべての人は真(まこと)の世界を知りません。
すべての人は偽りの世界を生きているのです。
偽りの世界を生きることは苦しいのです。
視界が歪むことは、誰にとっても苦しみであるということを理解しましょう。
それは、焦点の合わない眼鏡を掛けて生活するようなものなのです。
すべての人は苦しみを抱えています。
それは、焦点が合っていないからです。
焦点が合わないというのは、本質を見極めることが出来ないということです。
人は、本質に対して焦点を合わせることが出来ないのです。
それは、未熟であり、無知であり、偏見を抱えており、誤解を生きているからです。
そのような状態では、本質を見極めることが出来ません。
すべての人が、本質を見極めることなく生きているのです。
それは、疑問を抱えながら生きているということなのです。
本質を見極めることがない限り、人は疑問を抱えてしまいます。
そのため、すべての人が疑問を抱えながら生きなければなりません。
疑問を抱えているのが”普通”です。
多くの人は、”普通”に慣れ過ぎているのです。
慣れることは、気が付かないということです。
多くの人は、焦点の合わない眼鏡を掛けて生活しているにもかかわらず、それに気が付いていないようなものなのです。
歪んだ世界を見慣れてしまえば、それを美しいと思うものなのです。
”当たり前”は、本質ではありません。
あなたは見慣れている景色を疑わなければならないのです。
心に浮かぶどのような疑問も放置してはなりません。
それは、疑問とは、心の蟠(わだかま)りだからです。
疑問を放置すれば、そこに不信や疑念が生まれます。
それは、不満となり、心に穴を開けてしまうのです。
疑問の数が多い程、心には多くの穴が開くことになるのです。
それは、心を乏しくしてしまいます。
心が乏しければ、不幸を抱えてしまうでしょう。
不幸を避けるためには、疑問を解決しなければならないのです。
どのような疑問も、そのままに放置してはなりません。
一つでも多くの疑問を解決するのです。
そのための行動を起こさなければなりません。
何かをすれば、疑問の解決に近付きます。
しかしながら、何もしなければ、疑問を解決することは出来ないのです。
方法はどのようなものでも構わないのです。
自分なりに、疑問と向き合えば良いのです。
疑問が解決することが最良ですが、必ずしも疑問を解決する必要はありません。
疑問を解決することに重きを置き過ぎてしまい、思い悩んではならないのです。
思い煩(わずら)うことで、幸福を得た人はいません。
あなたは、楽しみながら、心が抱える疑問と向き合いましょう。
疑問は苦しみです。
そのことを理解しなければなりません。
疑問から逃れようとしてはなりません。
疑問には向かって行くべきなのです。
疑問が解決することは、心に安心と幸福をもたらします。
その積み重ねによって、人は成長することが出来るのです。
疑問を解決することが楽しいということを理解しましょう。
疑問を放置してはなりません。
それは、心を乏しくするのです。

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