すべての人生は、思い通りには展開しません。
人生にどれだけ努めても、思い通りに扱うことは叶わないのです。
人生は、あなたの自由にはなりません。
それは、あなたが自分を知らず、それを自由に扱うことが出来ないからです。
人生とは、自分自身です。
あなたは、人生を通じて自分を体験するのです。
人生とはあなたであり、あなたとは人生です。
そのことを覚えておきましょう。
あなたは、自分自身を思い通りにすることが出来ません。
あなたは、人生を知らないように、自分自身を知らないのです。
人生とは、自分自身を知るための時間です。
あなたは、人生を通じて、自分自身を知ることを求められているのです。
人生は、そのためにあるのです。
自分自身を知ることは重要です。
なぜなら、自分自身を知らなければ、人生に価値が生まれないからです。
自分が何であるか?という問いに答えることがなければ、価値を得ることは出来ないのです。
自分が何であるかを知らずに、人生が何であるかを知ることは出来ません。
自分が何で、人生が何であるかを知らないのに、どうして価値を見出すことが出来るのでしょうか?
人生に価値を生むためには、自分が何であるか?を知らなければならないということを覚えておきましょう。
自分自身を知るためには、それと向き合わなければなりません。
否定や拒絶によっては、何の理解も得られないのです。
向き合うというのは、楽しむということです。
人が何かと向き合う時には、建設的な思考が必要です。
破滅的な思考を以(もっ)て、何かと向き合うことは出来ません。
楽しむことなく、理解を得ることは出来ないのです。
あなたは、楽しまなければなりません。
それは、春は花を楽しみ、夏は陽を楽しみ、秋は実りを楽しみ、冬は風を楽しむようなものです。
どのようなものにも、一長一短が存在しています。
良いところだけを抜き出すことは出来ません。
良いところと共に、悪いところも得なければならないのです。
喜びや楽しみを楽しむことは簡単です。
しかしながら、怒りや悲しみを楽しむことは難しいのです。
しかしながら、心には常に喜怒哀楽の感情が存在しています。
良いところを抜き出そうとすれば、心は歪んでしまうのです。
取り残された悪いところは、心の中で腐敗してしまうのです。
それでは、心は汚れてしまうのです。
あなたは、喜びを楽しみ、怒りを楽しみ、悲しみを楽しみ、楽しみを楽しみましょう。
そして、苦しみを楽しむのです。
苦しみを楽しむことによって、心の汚れは去ります。
心の汚れが去れば、真(まこと)の自分自身を理解することが出来るのです。
濁水(だくすい)では、沈んでいるものを理解することが出来ません。
清水(せいすい)においては、沈んでいるものを理解するのは容易(たやす)いのです。
心の美しさによって、自分自身や人生への理解が異なるのです。
心を汚れさせないためには、楽しむ他ありません。
人生は、思い通りにはならないものなのです。
人生においては、苦しみは避けられません。
避けられないものは、楽しく受け取った方が良いのです。
それ以外には、自衛の手段は無いのです。
苦しみに対して、否定や拒絶は価値を持ちません。
否定や拒絶は寧(むし)ろ、苦しみを勢い付けてしまうのです。
楽しむことによってのみ、苦しみは退きます。
しかしながら、あなたが苦しみを楽しむことは簡単ではありません。
苦しみは、簡単には楽しむことが出来ないのが自然です。
そのため、無理に楽しもうとする必要はありません。
しかしながら、否定や拒絶に拘(こだわ)らず、楽しめる観点を探し続けることは諦めてはならないのです。
良く見れば、良いように見えてきます。
向き合う時間に比例して、好感は増減するのです。
一度では理解することが出来ない魅力も、二度目には理解することが出来るかも知れません。
向き合う回数を重ねれば、それだけ好感が増すということを覚えておきましょう。
慣れによって、何事も楽しむことが出来るということを覚えておきましょう。
”住めば都”なのです。
楽しむ人は、満足を得るでしょう。
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