このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年11月25日日曜日

楽しむ人

すべての人生は、思い通りには展開しません。
人生にどれだけ努めても、思い通りに扱うことは叶わないのです。
人生は、あなたの自由にはなりません。
それは、あなたが自分を知らず、それを自由に扱うことが出来ないからです。
人生とは、自分自身です。
あなたは、人生を通じて自分を体験するのです。
人生とはあなたであり、あなたとは人生です。
そのことを覚えておきましょう。
あなたは、自分自身を思い通りにすることが出来ません。
あなたは、人生を知らないように、自分自身を知らないのです。
人生とは、自分自身を知るための時間です。
あなたは、人生を通じて、自分自身を知ることを求められているのです。
人生は、そのためにあるのです。
自分自身を知ることは重要です。
なぜなら、自分自身を知らなければ、人生に価値が生まれないからです。
自分が何であるか?という問いに答えることがなければ、価値を得ることは出来ないのです。
自分が何であるかを知らずに、人生が何であるかを知ることは出来ません。
自分が何で、人生が何であるかを知らないのに、どうして価値を見出すことが出来るのでしょうか?
人生に価値を生むためには、自分が何であるか?を知らなければならないということを覚えておきましょう。
自分自身を知るためには、それと向き合わなければなりません。
否定や拒絶によっては、何の理解も得られないのです。
向き合うというのは、楽しむということです。
人が何かと向き合う時には、建設的な思考が必要です。
破滅的な思考を以(もっ)て、何かと向き合うことは出来ません。
楽しむことなく、理解を得ることは出来ないのです。
あなたは、楽しまなければなりません。
それは、春は花を楽しみ、夏は陽を楽しみ、秋は実りを楽しみ、冬は風を楽しむようなものです。
どのようなものにも、一長一短が存在しています。
良いところだけを抜き出すことは出来ません。
良いところと共に、悪いところも得なければならないのです。
喜びや楽しみを楽しむことは簡単です。
しかしながら、怒りや悲しみを楽しむことは難しいのです。
しかしながら、心には常に喜怒哀楽の感情が存在しています。
良いところを抜き出そうとすれば、心は歪んでしまうのです。
取り残された悪いところは、心の中で腐敗してしまうのです。
それでは、心は汚れてしまうのです。
あなたは、喜びを楽しみ、怒りを楽しみ、悲しみを楽しみ、楽しみを楽しみましょう。
そして、苦しみを楽しむのです。
苦しみを楽しむことによって、心の汚れは去ります。
心の汚れが去れば、真(まこと)の自分自身を理解することが出来るのです。
濁水(だくすい)では、沈んでいるものを理解することが出来ません。
清水(せいすい)においては、沈んでいるものを理解するのは容易(たやす)いのです。
心の美しさによって、自分自身や人生への理解が異なるのです。
心を汚れさせないためには、楽しむ他ありません。
人生は、思い通りにはならないものなのです。
人生においては、苦しみは避けられません。
避けられないものは、楽しく受け取った方が良いのです。
それ以外には、自衛の手段は無いのです。
苦しみに対して、否定や拒絶は価値を持ちません。
否定や拒絶は寧(むし)ろ、苦しみを勢い付けてしまうのです。
楽しむことによってのみ、苦しみは退きます。
しかしながら、あなたが苦しみを楽しむことは簡単ではありません。
苦しみは、簡単には楽しむことが出来ないのが自然です。
そのため、無理に楽しもうとする必要はありません。
しかしながら、否定や拒絶に拘(こだわ)らず、楽しめる観点を探し続けることは諦めてはならないのです。
良く見れば、良いように見えてきます。
向き合う時間に比例して、好感は増減するのです。
一度では理解することが出来ない魅力も、二度目には理解することが出来るかも知れません。
向き合う回数を重ねれば、それだけ好感が増すということを覚えておきましょう。
慣れによって、何事も楽しむことが出来るということを覚えておきましょう。
”住めば都”なのです。
楽しむ人は、満足を得るでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿