すべての存在は、命を与えられています。
この世界に存在するすべては、命なのです。
命を与えられていなければ、この世界に存在することは出来ません。
命によって、すべてはこの世界に存在を許されているということを理解しましょう。
命を失えば、存在することは出来ません。
命とは、それ程に重要なものなのです。
あなたは、自らに与えられた命を大切に扱いましょう。
命を粗末に扱ってはならないのです。
命は、無意味に与えられた訳ではありません。
すべての命は、原動力だからです。
すべての存在は、命を使って、自らに与えられた役割を果たさなければならないのです。
命は、役割を果たすための原動力として与えられたのです。
そのことを理解しなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、命の価値を知りません。
多くの人は、与えられた命を、自らの役割を果たすための原動力だとは考えないのです。
多くの人は、目的もなく生きています。
多くの人は、人生の目的を見失い、目の前の快楽や欲望を満たすためだけに生きているのです。
目の前の快楽や欲望を満たすことによって、偽りの幸福に酔い痴(し)れているのです。
偽りの幸福によって、人生を豊かにすることは出来ません。
偽りの幸福は、口には甘く、腹には苦いのです。
偽りの幸福とは、甘い毒であるということを覚えておかなければならないでしょう。
毒によって、命は奪われます。
残念ながら、毒によって豊かさを得た者はいないのです。
豊かさを得るためには、命を使い果たさなければなりません。
そのためには、毒を飲んではならないのです。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)っている内は、命を使い果たすことは出来ません。
毒を絶つように、目の前の快楽や欲望を絶たなければならないのです。
命は、与えられた役割を果たすためにあります。
命を粗末に扱う者には、与えられた役割を理解することは出来ないのです。
命を大切に扱う者だけに、与えられた役割を理解することが出来ます。
命を大切に扱うというのは、人生と向き合うということです。
人生とは、目の前の状況のことです。
それは、自分にとって、都合の良い場合も都合の悪い場合もあるでしょう。
都合の良い悪いに関わらず、それと向き合うことによって、人は命を大切に扱うことが出来るのです。
目の前の快楽や欲望を貪ることは、人生に向き合っていることではありません。
それは、人生からの逃避なのです。
人は、人生の苦しみに耐え兼ねて、目の前の快楽や欲望を貪るようになるのです。
毒を飲んで生き続ける人はいません。
毒を飲めば、誰でも寿命を縮めてしまうのです。
人生が苦しみに満ちていたとしても、安易に毒を飲んではなりません。
毒を飲まずに済む方法を考え続けるのです。
方法は必ず存在しています。
なぜなら、苦しみは誤解に過ぎないからです。
人生には、無駄は存在しません。
無駄に思えるのであれば、認識が至らないだけなのです。
苦しみは悪いことではありません。
苦しみから学ばなければならないこともあるのです。
苦しみを拒絶し続けるのであれば、大きく歪んでしまいます。
それでは、偏見と誤解に支配されてしまうのです。
偏見と誤解を抱えて、与えらえた役割を理解することなど出来るはずがありません。
与えられた役割を理解するためには、偏見と誤解を手放さなければならないのです。
そのために、人生と向き合うのです。
あなたは、命の使い方を考えましょう。
あなたは、無駄な存在ではありません。
人生に認められて存在しているのです。
そのことを理解し、命を大切に扱いましょう。
命を大切に扱わなければ、役割を果たすことは出来ません。
他のことに使っていると、役割を果たすまでに足らなくなってしまうのです。
命の使い道を考えましょう。
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