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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年5月31日金曜日

鍛錬

あなたは恐怖に対して無知ではなりません。
恐怖に対しての対策を練り、それに捕われないように計らわなければならないのです。
恐怖は幸福と対極に位置しています。
恐怖がそこに存在しているのであれば、そこに幸福は存在しません。
そこに幸福が存在しているのであれば、そこに恐怖が存在することもないのです。
恐怖と幸福は相反するものであり、互いに共存することはできないということを理解しなければならないでしょう。
恐怖を克服することができなければ、幸福がそこに存在するということはないのです。
人生を豊かなものにするためには、恐怖心を上手く取り扱うことこそが重要であると理解しなければならないのです。
恐怖心を扱うことができずに、幸福を得ることはできません。
どれだけ幸福を求めたとしても、そこに恐怖心が存在しているのであれば、幸福には居場所が存在しないのです。
あなたは恐怖に捕われてはなりません。
恐怖に縛られないように努めなければなりません。
人は未熟な存在ですが、鍛錬(たんれん)によって恐怖を克服することができます。
鍛錬することがなければ何も変わりはしませんが、鍛錬すれば必ず変わります。
心(価値観、考え方、捉え方、発想)は鍛えることができるのです。
鍛錬とは、その対象に向き合う行為です。
向き合い続けることによって、そのものに対する偏見や疑心が取り除かれます。
それはあたかも、鍛えられる鉄のようにです。
熱せられた鉄を叩けば叩くほど、そこに混ざり込む不純物が取り除かれます。
人の心にも偏見や疑心といった不純物が混ざり込み、そのもの自体を弱くしています。
不純物の多く含まれた鉄が脆(もろ)いように、偏見や疑心の含まれた心もまた脆いのです。
不純物の取り除かれた鉄は鋼(はがね)となり、それはしなやかで美しく、何より強いものです。
それは、そこに不純物が混ざり込んではいないからです。
あなたの心がしなやかで美しく、強く在るためには、余計な思想や価値観(偏見や疑心)を取り除かなければなりません。
あなたの心を害するその一端が恐怖心であるということを知らなければならないのです。
あなたの心が満たされるためには、多くの恐怖心は必要ではありません。
多くの恐怖心は心を煩(わずら)わせ、自身を損ないます。
それは端から発生した錆(さび)が、やがて鉄自体を粉々にするようなものなのです。
心の中に存在する恐怖心は、清らかな心を浸食し、やがてはそれ自体を破滅させてしまうのです。
発生した錆を放置するのは鉄の価値を損なう行為です。
恐怖心を放置するのは心の価値を損なう行為であるということを知りましょう。
あなたの心の価値が損なわれれば、人生の価値さえも損なわれます。
それは、心によってすべてがもたらされるからです。
人の本質は心です。
その心(精神、感情、意思など)が人を作り、人生を築くのです。
人生はあなたの判断の積み重ねです。
それ以外の何かがそれを築くことはありません。
あなたがどのように思おうとも、人生はあなたの心を中心として形成され、成り立っているのです。
その事実を知ることがなければ、人生を理想に近付けることはできないでしょう。
心にとって、ましてや幸福にとって、恐怖はネガティブなものです。
恐怖に根差した選択が心を満たし、人生に幸福を導くということはないのです。
恐怖心をコントロールし、それを正しく扱うことができなければ、必要を満たすことはできないということを理解しなければならないのです。
ただし、恐怖心が無駄であると言っている訳ではありません。
人にとって、恐怖は必要な要素です。
存在しているものはすべて必要なのです。
要はそれを正しく扱うことが求められるということです。
恐怖の必要性を理解し、それをバランス良く人生にちりばめ、役立てるように努めなければならないのです。
恐怖に支配されてしまうと幸福は得られませんが、幸福のためには恐怖の力も必要になるのです。
鉄の中から不純物を取り除くのが容易ではないように、心の中から偏見や疑心を取り除くことも容易ではありません。
しかしながら、それをしなければ「良い心」を得ることはできません。
恐怖も心を強くするためには必要です。
決して無駄にはなりません。
しかしながら、それを分かった上で取り除かなければならないのです。
人間誰しもが何等かの恐怖心を抱いています。
それをできる限り取り除きましょう。
あなたは正しい思想によって自らの心を打たなければなりません。
刀匠(とうしょう)が魂を込めて鉄を鍛えるようにです。
あなたは自らの心を正しい思想(思いやり)によって鍛えましょう。
正しいことのために恐怖を取り除けば、あなたは素晴らしい心を得ることができるでしょう。
素晴らしい心は素晴らしい人生を導きます。
そのことを忘れてはならないでしょう。

2013年5月30日木曜日

楽しいという価値

あなたは楽しく伝える人になりましょう。
あなたが志している道は、あなたにとって大切なものであるでしょう。
大切なものであるのならば、その価値を分かち合わなければなりません。
価値を分つことこそが価値の創出であるということを知らなければならないでしょう。
価値とは、分配されることによって創出されます。
一所に止まっているのであれば、価値は行き場を失い、それ以上に膨れることはありません。
小さな鉢の中に根を下ろした植物が、鉢以上の範囲に根を伸ばすことができずにその身を小さくするようにです。
小さな場所に止まっているのであれば、価値はそれを大きくすることはできないのです。
広大な大地に根を下ろした植物は、その身を限界にまで育むことができるのです。
あなたがそれを大切だと思い、そこに価値が存在していると考えているのであれば、それを自らの所だけに止めておくことはできません。
価値は分配し、分かち合う方が有意義であるということを知らなければならないのです。
植物が種を蒔くのは、その価値を自らだけで支えることができないからです。
そのため、子孫を残すことによって価値を育むのです。
植物は昆虫に花粉を提供し、動物に果実を提供し、人に住居を与えます。
それは植物という価値を生かそうとする結果であるのです。
植物には意思がないと考えているかも知れませんが、植物を利用しているのであれば、その意思に従っているのです。
昆虫は花粉を運び、動物は種子を運び、人は苗を運びます。
それは、植物の繁栄を示しているのです。
価値を分け与えない存在は、価値を得ることはできません。
価値を与える存在は価値を得るのです。
あなたはその理(ことわり)を忘れてはならないのです。
価値というものは「楽しい」ものです。
価値には心を満たす力が存在しています。
心が満たされる時、人は楽しいと感じるのです。
娯楽は手元には何も残しません。
娯楽で得られるものは楽しみという心の充足です。
それでも人はそれに価値を見出します。
楽しいということには価値があるということを忘れてはならないでしょう。
それが楽しいものであると認識すれば、人はそれを価値であると捉えます。
それが楽しくないと思うのであれば、人はそれに価値を見出すことはないのです。
価値というものは「楽しいもの」であるということを知らなければなりません。
そこに何等かの喜びが存在しているからこそ、人はそれを求めるのです。
ならば、あなたは楽しく伝えなければなりません。
その道の楽しみは何であるのか?
何が、どこが楽しいのか?
それを理解し、伝える人になりましょう。
自らが楽しいと思わず、その要点をつかむことがなければ、その価値を拡張することはできないということを理解しなければなりません。
植物が昆虫にとっての楽しい形や匂いの花を知らなければ、昆虫は花に見向きもしないでしょう。
植物が動物にとって楽しい色や味の果実を知らなければ、動物がそれを食することはありません。
植物が人にとっての楽しい姿を知らなければ、その苗を植えることもないのです。
楽しいからこそ、そこには価値が生まれ、重宝されるのです。
楽しいということを軽んじてはなりません。
楽しいことが良いのです。
楽しくなければ価値はありません。
楽しくなるように図らなければなりません。
価値を分つためには、それが楽しいものでなければなりません。
それを楽しく見せなければなりません。
それを楽しく理解させなければなりません。
そして、何よりもあなたがそれを楽しんでいなければならないのです。
楽しむことができれば、人はそれを追求することができます。
楽しいことにはいくらでも時間と労力を費やすことができるのです。
しかしながら、楽しくないことにはそうもいきません。
人は楽しみが価値であるということを知っています。
あなたは人にそれを楽しく伝えましょう。
価値を共有すれば高まります。
それはあなたに豊かさと喜びを導くことでしょう。

2013年5月29日水曜日

蔵の中の宝

あなたは人生に善行を積まなければなりません。
善行を積むことなく、豊かさを得ることはできません。
それは、あなたが積むものを受け取るからです。
人生はあなたの仕事に応じた報酬を与えます。
あなたの行いがあなたの収めた仕事です。
あなたは自らの行いによって人生(状況)を受け取るのです。
人生はすべてを正しく評価します。
人のように感情に流されて不正を働くことはありません。
人生は人を見て決めるのではなく、行いを見て決めるということを理解しなければならないでしょう。
あなたが大切にしなければならないのは、自らの行いです。
その行い通りに人生は展開するからです。
ただし、その展開がすぐに現れるとは限りません。
仕事の報酬をすぐに受け取れることもあれば、すぐには受け取れない場合もあるのです。
同じ日に種を蒔いた樹木が、その木の実を熟するのが違うようにです。
すべては必要なタイミングによって現れます。
あなたは最高の時期を以てそれを受け取るのです。
あなたはどのような理由があろうとも、それを拒否することはできません。
それがどのような報酬であるにしても、それを拒絶することはできないということを知らなければならないのです。
あなたの行いは例外なく人生に積み重なり、例外なくあなたに導かれます。
あなたは自らの行いに報(むく)いる結果(状況)を得るのです。
それを逃れることはできません。
あなたの行いはそれがどのように小さなことであれ、人生に書き記され、積上られます。
あなたにとっては取るに足らないような行いであっても、そこには必要な報酬が与えられるのです。
あなたは自らの行いを軽んじてはなりません。
それがどのような行いであっても、あなたがしたことには変わりないのです。
あなたが自らの行いを忘れたとしても、人生がそれを忘れることはありません。
あなたの行いは決して消えることはないのです。
どのような人物であっても、その報いを受けなければならないということを決して忘れてはならないでしょう。
あなたは自らの行いがどのような報酬に繋がるのかを想像しなければなりません。
あなたがしたことと同じようなことがその身に降り掛るでしょう。
あなたが善を行えば、その身には善が降り注ぎ、あなたが善を行わなければ、その身には善は降り注ぐことはありません。
善が積み重なることは良いことです。
それはとても素敵なことです。
あなたはそれを豊かさだと言い、幸福とも言うでしょう。
あなたが人生に豊かさや幸福を得るためには、善行を積む必要があるのです。
「良いこと」があれば、あなたは幸せであるでしょう。
良いことがなければ、あなたは不幸です。
良いことを導くためには、良いことを成さなければならないのです。
良いことをすれば良いことが返ってくるのです。
人に優しくすれば、自分も相手も気分が良いものです。
優しくされた相手はあなたに優しくすることでしょう。
その噂があなたに優しい人を導きます。
良いことをして、悪いことが返ってくることはありません。
そんなことは決してないのです。
あなたがそう思っているだけで、真意はそうではありません。
あなたは善行を諦めてはなりません。
どのようなことがあっても、それは豊かさの前触れであるということを忘れてはなりません。
善行を諦めた人には、豊かさも幸福も導かれません。
人生は自らの行いによって築かれているからです。
あなたは人生を信じなければなりません。
人生があなたを裏切ることはないのです。
原因と結果の法則は必要のみを導きます。
蔵の中にゴミを詰め込めば、内部は腐敗し、その改善のためにはより多くの労力を必要とします。
蔵の中に宝を詰め込むのであれば、それはあなたを必要に応じて助けることでしょう。
豊かさや幸福に対して役立つのは宝である善行です。
あなたは決してそのことを忘れてはなりません。
人が成すべきことは正しいことであるという理(ことわり)を理解しましょう。
人生を良い場所にするために、善行を積みましょう。

2013年5月28日火曜日

知る人と知らない人

あなたが豊かさを得たいと思っているのであれば、「価値を知る人」でなければなりません。
必要な知識を持たずに、必要な価値を得ることはできません。
価値を知る人でなければ、豊かさを得ることはできないのです。
知っている人は多く与えられます。
それは知っているからです。
何が価値であるのかを理解しているのであれば、多くの価値を得ることができるのです。
知らない人は多くを失います。
それは知らないからです。
何が価値であるのかを理解していないのであれば、多くの価値を失ってしまうのです。
価値を知っているということは重要です。
価値を知っている人と、それを知らない人には大きな差が生じてしまうということを理解しなければならないでしょう。
知っている人は与えられ、知らない人は失います。
その事実を覆(くつがえ)すことはできません。
知っていることが優れており、知らないことは劣っているのです。
豊かさは優劣によって分配されます。
それは、この世界が平等であるからです。
あなたは平等の意味を履き違えてはなりません。
価値を知る人と知らない人が同じ結果を得られるなどと考えてはなりません。
人は自らが知っている価値を受け取るのです。
知らない価値を受け取ることなどないのです。
すべては必要によって満たされています。
つまりはそう言うことなのです。
あなたは不平を撒き散らしてはいませんか?
不満を持つことは、価値を知らない者がすることです。
価値を知っている者は不満を持ちません。
不満を持つ必要がないのです。
それは、価値を知っていることによって、既に必要な結果を導いているからです。
価値を知らない人は、思い通りの結果を得ることができないために憤慨(ふんがい)し、不平を訴えます。
それは自らの愚かさを自ら暴露しているのと同じことです。
無知な者は、必要な結果を得ることはできません。
それは知らないからです。
知っているか?知らないか?ただそれだけの差でしかないのです。
しかしながら、その価値を知るためには努力が必要なのです。
怠慢で横暴な者にはそれを知ることはできないでしょう。
その価値を知るためには、勤勉であり、謙虚な者でなければならないのです。
あなたが価値を知る人になるためには、怠けていてはなりません。
不満によって気分を害しているようでもならないのです。
常に努め励み、多くの価値を理解しようと心掛けておかなければならないのです。
残念ながら、多くの人はその価値を理解してはなりません。
価値あるものを価値あると見ず、価値の無いものを価値があると見なしているのです。
そのため、必要な結果を得ることができずに苦悩するのです。
価値を見極めることができているのならば、満足はすれど苦悩することはないのです。
価値に従って行けば、それが手に入るのですから。
価値に従って行けない者は、いつか道を間違ったと気付いて慌てます。
来た道を引き返し、必要な価値に辿り着くことができるまで、何度も挑まなければならないのです。
価値を知っている人は、迷わずに進むことができ、確実に価値に辿り着くことができるのです。
あなたは知らなければなりません。
知るように努めなければなりません。
不平不満を言わずに良く見なければなりません。
良く聞かなければなりません。
良く理解しなければなりません。
価値を知るための努めを怠(おこた)っているのであれば、あなたは決してそれを得ることはできないのです。
価値を知る人は多く与えられ、価値を知らない人は失います。
それは差別などではありません。
それは当たり前のことなのです。
あなたはあの人よりも知っていますか?
知らないのであれば不満を持つべきではありません。
あなたが豊かさを得るためには、価値を知る必要があります。
それ以外の方法では、どのような価値も得ることはできないということを理解しなければならないでしょう。

2013年5月27日月曜日

迷い道

人生は選択(と決定)によって築かれます。
あなたが何を選ぶのかによって、人生は展開するのです。
あなたの選択と違う状況が導かれることはありません。
人生はあなたの意思によって築かれているということを理解しなければならないでしょう。
あなたは常に選択を迫られています。
そして、その時には必ず決めなければなりません。
あなたは選択と決定を強制されています。
それが生きるということです。
あなたが意識的に選択することは選択(決定)です。
あなたが意識的に選択しないということも選択(決定)なのです。
あなたが選ぶにしても、選ばないにしても、選択をしているという事実を理解しなければならないのです。
あなたは常に選択し、決定しているのです。
あなたは人生における状況が意にそぐわないと言うかも知れません。
人生が自分次第であるということを信じないかも知れません。
それは、あなたが自分自身のことを正当化し、美化しているからに違いありません。
残念ながら、あなたは自分自身のことを知りません。
人生が自身の意のままに存在しているということを理解することができず、不満を持っているような者には分かる訳もないのです。
自分自身の選択というものを、意識的な決定だけだと思っているのです。
決定しなかったことも決定であるということを理解してはいないのです。
多くの人は自分がしたことだけを数えています。
しなかったことは数えていないのです。
そのため、自らの理想と現実の間には隔たりが存在しているのです。
あなたは自らのしたことに加えて、しなかったことも数えなければなりません。
しなかったことも立派な決定であるにも関わらず、多くの人はそれを数えてはいないのです。
自らの功績を自慢げに掲げるのも良いですが、それは自分がしたことだけの偽善でしょう?
人生に対して、あなたがいくら偉そうに「自分はこのようにしました」と披露したところで、人生はあなたの選択と決定のすべてを数えています。
あなたが思っている功績と、人生が数えている功績が必ずしも同じではないということを理解しなければならないでしょう。
あなたが理想の状況を手に入れることができていないのは、正しく数えられていないからに他なりません。
自らの思っている功績が、事実とは違うものであるのです。
人生はあなたの選択と決定に従って、それに相応する状況を導きます。
それ以外のことを導くことはないのです。
すべての結果は、それに因(ちな)んだ原因によって導かれます。
それが狂うことは決してありません。
必要以外は存在しません。
人生が間違うことなどないのです。
あなたが人生に不満を持つのは、あなたの功績が必要に足りないからです。
あなたが不満を持つというのは、自ら自分の功績に対して、それが不足していると宣言しているようなものです。
自分は必要に達していないと公言しているようなものなのです。
人生があなたの選択以外によって築かれるということはありません。
あなたが人生に不満があるのであれば、自らを省みましょう。
あなたは見落としていることがあるはずです。
もしかしたら、それを自分では分かっているかも知れません。
既に気が付いている問題を先延ばしにし、同時に自分を正当化することによってそれから逃れようとしているのです。
しかしながら、逃げという方法ではあなたの不満が解消することはありません。
問題や壁に向き合い、それを乗り越える以外の方法では、それを成し得ないのです。
人生の道(選択)に迷う時があります。
そんな時は、自分自身に素直になりましょう。
正しいことを選択すれば、あなたは正しい道を見るでしょう。
あなたは正しい心を持たなくてはなりません。
道に迷った時にあなたを救うのは「正しい心」であるということを忘れてはなりません。
あなたは正しい選択と正しく選択しないという選択を選択(決定)しなければなりません。
あなたがしたことも、しなかったことも人生には数えられます。
すべてはあなたが築いているのです。
どのような不満も意味を成しません。
どのような状況も事実から導き出されます。
あなたがすべてを築いているということを理解し、今後の対策を考えましょう。

2013年5月26日日曜日

大切なこと

あなたにとって大切なことは、難しいということを知らなければなりません。
あなたにとって重要なことは、悩ましいということを知らなければなりません。
あなたにとっての幸福は、苦しみの中にこそ導かれるということを知らなければなりません。
あなたにとって貴重な言葉は、敵からもたらされるということを知らなければなりません。
あなたにとっての成長は、逆境によって育まれるということを知らなければなりません。
あなたの豊かな人生は、問題や壁によって築かれるということを知らなければならないのです。
あなたには知らなければならないことがたくさんあります。
知るべきことを知らず、知るべきでないことを知ったところで、あなたは豊かさを得ることはできません。
あなたは自らが知るべきことと、そうでないものの区別をしなければならないのです。
成すべきことを成し、成さざるべきことは成さないようにしなければならないのです。
何をして、何をしないかという判断は大切であるのです。
果たすべき責任を果たすことができなければ、必要な結果を得ることはできません。
働いてもいないのに、給料を得るのは不正なのです。
それは略奪です。
世界はあなたの働きに応じて、必要をもたらすのです。
あなたは自らが必要なものに対して、働かなければなりません。
働いて得ることのできる正しい富によって生きなければならないのです。
残念なことに、人生の大切なことは表面的な部分には現れていません。
大切なことの殆(ほとん)どが、深層にこそ存在しているのです。
そのため、多くの人は苦しみを遠ざけ、楽を欲しています。
働きよりも多くの富を得る方法を探し、しなければならないことに手を抜き、成すべきことをなおざりにするのです。
働きに相応する報酬が与えられます。
人生がそれを間違えることはありません。
あなたが思っているような結果を得られていないというのであれば、それはあなた自身の方法が間違っている可能性があるのです。
人生があなたに不正をするということは有り得ません。
人とは違い、人生は常に正しいのです。
あなたが得る状況(結果)は、あなたの働きの報酬であるということを理解しなければならないのです。
目に映る表面的なものだけを数えているのであれば、人は見誤ります。
大切なことは深層に隠されており、あなたの認識が届きにくい状態で存在しているのです。
あなたの受け取る報酬が理想と違っていたとしても、それに不満を持つべきではありません。
人生はいつの時も正しいのです。
もしも、間違っているのであれば、それは人(未熟な存在)であるあなたなのです。
そのことを決して忘れてはなりません。
何かに対して文句を言うような狭量な者が、人生を豊かなものにするとは考えられません。
豊かさはそれを楽しむ人にのみ微笑みかけるということを覚えておかなければならないのです。
人生に不満を持ち、目の前のことに怠慢であり、責任を果たさない者には、豊かな状況が与えられるはずもないのです。
人生を豊かなものにする人は、正しい人であるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生に存在しているすべての状況は、あなたの成長と向上、そして幸福には欠かすことのできない材料です。
美味しい料理を作るためには、味覚を満足させなければなりません。
味覚を満足させるためには、様々な味の刺激が必要になるのです。
甘いだけではなりません。
辛いだけでもなりません。
様々な味のハーモニーが美味しい料理を成り立たせているのです。
人生を満足するためには、心が満足しなければなりません。
心が満足するためには、楽なことばかりではなりません。
苦しいことばかりでもなりません。
様々な状況が必要なのです。
人生に楽なことばかりを求めている人は、甘い料理ばかりを好む人に似ています。
甘い料理ばかりを好む人は怠惰に太り、何等かの病気を煩(わずら)います。
楽な状況ばかりを求めても、心は太るばかりで満たされることはなく、人生が豊かなものになることもないのです。
大切なことは難しいということを覚えておきましょう。
重要なことは悩ましいということ。
幸福は苦しみの中にこそ導かれるということ。
貴重な言葉は敵からもたらされるということ。
成長は逆境によって育まれ、豊かな人生は問題や壁によって築かれるということを忘れてはならないのです。
あなたは知らなければなりません。
浅はかに物事を判断してはなりません。
思慮深く、目の前の状況に対して必要な意味を見出しましょう。

2013年5月25日土曜日

自己の修養

あなたは自己を修養しなければなりません。
自己を高め、より良い人にならなければならないのです。
すべての存在はより良い存在になるように努めなければならないのです。
それは、世界における目的が成長と向上であるからです。
どのような人物においても、自分自身を向上させ、成長することが求められます。
それは成長に努めなければ、どのような幸福をも手にすることができないからです。
成長することによって価値は高まります。
価値の高まりは、幸福を導くのです。
あなたの存在価値が高まれば、多くの事柄に貢献することができるでしょう。
貢献するほどにあなたは幸福を手にすることができます。
貢献することができずにいれば、不幸を得る以外にはないのです。
あなたが幸福を得るためには、何かに対して、何等かの方法によって貢献する必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
どのような世界においても、そこで豊かさを得るためには貢献する必要があります。
それは永遠の真理です。
貢献することの無い者が得られる豊かさや幸福など存在しないということを理解しなければなりません。
あなたが何を信じ、どのような思想に従って生きていようとも、貢献することができなければ無用の長物です。
それがどのような信仰であり、思想であれ、実際に貢献していることこそ至上であるのです。
あなたは貢献する人にならなければならないのです。
あなたが貢献するためには、貢献するための力が必要です。
力の不足している者には貢献することはできないのです。
貢献するための条件は、そのための力を持っているということである、ということを覚えておかなければならないでしょう。
状況において、貢献するための力には違いがあります。
あなたの得意な能力も、状況が違えば役には立たないかもしれません。
あなたは自らの能力が最大限に発揮される状況に赴(おもむ)き、励(はげ)まなければなりませんが、いつもそのような状況が手に入る訳ではありません。
しかしながら、自らの能力が十分に通用しない状況においても、その場において何等かの貢献を果たさなければなりません。
そのためには、基本的な力の大きさが必要なのです。
基礎となる力が膨大であり、堅硬(けんこう)であるのならば、能力が通用しない状況においてもある程度の力を発揮し、少しでも貢献することができるでしょう。
全く貢献しないよりは、少しでも貢献した方が数十倍もましです。
それは能力の拡張を意味し、新たな能力の芽生えでもあるのです。
基本が磐石(ばんじゃく)であるのならば、応用は多彩です。
基本が軟弱であるのならば、応用も見られないのです。
大切なのは本質がどのような状態であるのか?ということです。
どのように正しい言葉を用いても、それが正しく扱えなければ貢献には値しません。
基本ができていないのに、応用などできないのです。
人の本質はその心です。
心は人の基本であるということを覚えておきましょう。
心を正しく修養することができていない人には、正しい行いはできません。
偽善によって正しい言葉を吐くことはできるでしょうが、それを正しく扱う(行う)ことはできないのです。
心が正しく修養されていなければ、何事にも貢献することができないということを知らなければなりません。
あなたは自己を磨き高めることに努め励まなければなりません。
自己を修養することがなく、何の役に立つことができるでしょうか?
自分自身の思考や感情をその目的に対して正しく向けることができずに、それを果たすことなどできないのです。
自己をコントロールできない未熟者には、何も果たすことができないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自己を抑制しなければなりません。
自己をつつましく保ち、怠惰と憤怒に打ち克たなければならないのです。
あなたは心を乱してはなりません。
目的のために生きなければなりません。
目的を持てば、心は簡単には乱れることはありません。
目的を見失った心は、著(いちじる)しく乱れるということを知りましょう。
あなたがしなければならないのは、自己の修養です。
自己を高める以外に良い人になる方法はありません。
自己が高い人は貢献する良い人になるでしょう。
自己が低く、それを修養していない人は貢献することはできません。
残念ながら、自己が低い人が幸福を手にすることはできません。
それは自然の法則です。
役立たない者は害されるのです。
良くも悪くも何かに貢献する人になりましょう。
悪事を働く人であっても、何もしない愚か者よりは遥かにましであるということを知らなければなりません。
悪事でも貢献することには繋がるのです。
何もしなければ、何にも繋がることはないのです。

2013年5月24日金曜日

正しく行う人

あなたは正しい言葉を聞かなければなりません。
あなたは正しい知識を得なければなりません。
あなたは正しく生きなければなりません。
あなたは正しく死ななければなりません。
あなたは正しく在ることを実現しなければなりません。
正しく在ることは簡単なことではありません。
それは、正しい言葉、正しい行い、正しい人の中に自らを存在させなければならないからです。
残念ながら、人の世には正しいことは少なく、偽りが多くを占めています。
正しいことは得難いのです。
しかしながら、あなたが幸福を得るためには、正しさを得る必要があるのです。
正しく在る者には、正しい報いが訪れます。
偽っている者には、偽りの報いが訪れるのです。
あなたが正しく在るも、偽るも自分次第です。
それは、すべてがあなた自身のことであるからです。
人生に受け取ることのできるものは、自らの原因に根差した結果です。
自らの選択以外の結果を受け取ることなどできないのです。
あなたはそのことを理解しなければならないでしょう。
人生が自分次第であるということを忘れるのであれば、それは豊かには成り得ないからです。
あなたは自らの選択によって正しく在ることも偽ることもできます。
あなた以外の誰によっても、その権利を犯すことはできません。
あなたはあなたによって正しく在り、あなたによって偽るのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、正しく在ることが求められます。
正しく在ることがなければ、正しい富を手にすることなどできないのです。
すべての富はあなたに因(ちな)んでいます。
あなたが正しい富を得るためには、正しく言動を用いて、正しく生きる以外に方法はありません。
正しく生きることが正しい富を得る唯一の方法なのです。
何が正しいのか?は、その道を進んでいる人でなければ分かりません。
それは実際に多くの経験を重ねた上で初めて分かるものであるのです。
実践者以外に真実を知ることはできません。
自らがやったこともないのに、それについて知っているという偽善者に気を付けなければなりません。
その道の実際の苦楽を知る人でなければ、何が正しいことなのかを知ることはできないのです。
あなたは実践者の話を聞かなければなりません。
実際に経験を積んだ人の話以外は、あなたに正しさをもたらすことはないのです。
知識だけで実際の苦楽を知らない人は(結果的に)嘘を語ります。
あなたはその嘘を信じ込み、それに踊らされてはなりません。
あなたは人の言葉ではなく、人の行いを見ましょう。
人が知っていることは、既にやっていることです。
実践していること以外を知っていることはありません。
人は知らないことを行うことはできないのです。
人の行いを見れば、その人が何を知っているのかが分かります。
実践していること以外を知ることはないのです。
あなたは人の行いを信じましょう。
口では何とでも言えます。
しかしながら、行いは真実を照らすのです。
どのような人も行いに嘘を込めることはできません。
その行いには真実が見て取れるものなのです。
あなたの目の前にいる人の行いは正しいですか?
あなたの目の前にいる人の行いを褒(ほ)めることができるでしょうか?
あなたは正しい言葉を聞かなければなりません。
あなたは正しい知識を得なければなりません。
あなたは正しく生きなければなりません。
あなたは正しく死ななければ成りません。
あなたは正しく在ることを実現しなければなりません。
そのためには、正しく行っている人の側にいなければなりません。
正しく行っている人を探しましょう。

2013年5月23日木曜日

自己の責任

成長と責任は仲が良い。
あなたはそのことを知らなければなりません。
成長と責任の関係を知ることなく、成長を果たすことはできないということを理解しなければならないのです。
成長することは、人生を豊かなものにするために欠かせない大切なことです。
自己の成長が成されなければ、人生の豊かさも有り得ないということを知らなければならないのです。
人生に存在しているのは自己だけであるということを知りましょう。
自己の成長、熟練、洗練、豊かさ、が実現しなければ、人生の幸福を手にすることはできないのです。
そこに存在しているのは自己であるということを理解しましょう。
自己の成長なく、人生の幸福は有り得ません。
人生の幸福は自己の成長によってもたらされるのです。
あなたが求めなければならないもの、実現しなければならないものは自己の成長であるのです。
成長が実現するためには、責任の量と質が必要です。
成長は責任に比例しているのです。
責任の量と質が、成長を決めているのです。
あなたが成長を求めるのであれば、より多くの、より上質な責任を求めなければならないのです。
責任が上質であるほど、それを支えるために上質な自己が必要になります。
責任を支えるためにはそれに相応する自己が必要になるため、責任の量や質に応じたより良い自己が必要になるのです。
責任によって自己は高められます。
責任によってのみ、自己は高まるのです。
責任から逃れる人の自己は乏しいのです。
責任を支えようと心掛ける人の自己は豊かであるということを理解しましょう。
自己を高めるためには責任感を持たなければなりません。
それがどのような状況であろうとも、自己に対する責任感を持たなければならないのです。
それがどのような状況であろうとも、決して他人の責任にしてはなりません。
他人のせいでこのような状況に陥った、などとは決して考えてはならないのです。
すべての状況の責任を自己によって支えなければならないということを理解しなければならないでしょう。
人のせいにすれば簡単です。
人のせいにすれば一時の苦しみから逃れることができます。
しかしながら、簡単なことや楽なことがあなたにもたらすものは不幸です。
幸福は難しいことや苦しみの果てにこそ存在しているということを知らなければならないのです。
すべてを自己の責任とすることは決して簡単なことではありません。
それは、苦しいことだからです。
しかしながら、あなたはその責任を放棄することはできません。
あなたが幸福を手に入れたい願うのであれば、責任を果たすことのできる人にならなければならないのです。
どの世界においても、責任を果たさない者は嫌われます。
そこには相応の報いが存在します。
どのような世界においても、責任を果たす者は歓迎され、祝福されるのです。
世界の成功者は責任を果たします。
責任を果たすことができれば、誰でもその道の成功者になることができるのです。
しかしながら、大抵の人はその事実を知らずにいるのです。
そして、小さなことに争うのです。
人のせいにすれば、自己は弱ります。
自らのせいにすれば、自己は強化されます。
責任を果たす人は強いのです。
あなたは自らの責任に対してどのように向き合っていますか?
あなたの状況に思い煩(わずら)っているのであれば、あなたはその責任を他人になすり付けていることでしょう。
責任を取る人は思い煩うことはありません。
責任感のある人には思い煩って立ち止まっている暇はなく、その問題と責任を自己が抱え、解決しようと忙しく努めるからです。
怠惰(たいだ)な者は思い煩います。
思い煩っている者は、自己の責任に怠けているのです。
それを人のせいにしなければ良いだけです。
人のせいにしても構いませんが、それで何が救われるのでしょう?
人生は自己の責任です。
あなたが責任を果たしたことのみが幸福として実現するのです。
やらなかったことは、不幸として存在するということを決して忘れてはならないでしょう。
人生は決して甘い場所ではありません。
残念ながら、あなたは決して守られてはいません。
自分の足で立つ者のみ、自己によって自らを守るということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年5月22日水曜日

執着の束縛

この世界に存在するもので、あなたの所有物は自己以外には存在しません。
あなたが唯一所有しているのは己の自己であるということを理解しなければなりません。
それ以外のどのようなものもあなたの所有物ではないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自己以外のどのようなものも所有してはいないということを心に止めておかなければならないのです。
執着心は人の眼(まなこ)を曇らせ、歪めてしまいます。
執着心が人に苦しみをもたらすのです。
何かに執着する気持ちが存在しているからこそ、そこには争いが生まれます。
どのような怒りや憎しみも、何かに対する執着心から導き出されるということを理解しなければならないでしょう。
執着心があるからこそ、人は争い、苦しむのです。
あなたが争いから離れ、苦しみを受け取らないためには、執着を捨てるということが求められるのです。
人は執着します。
それは、この世界に存在しているものを所有しているという誤った認識を持っているからです。
自己以外は所有することができませんが、多くの人はそのことを知らずに生きているのです。
そのため、そこには執着心が生まれ、人と人とは争うのです。
争いの無い世界に生きるためには、執着心を捨てる以外に方法はないのです。
自己以外のどのような存在にも執着してはなりません。
何かを求めることは素晴らしいことです。
欲求があなたに多くの富を導きます。
あなたは自らの欲求に従って多くのものを手にすることでしょう。
しかしながら、あなたが手に入れたどのようなものも、必ずあなたの手元を離れます。
どのようなものであっても、自己以外を所有することはできないのです。
あなたが命を終えた時、一体何を所有しているでしょう?
どのような財産も手にしていることはありません。
小さな埃(ほこり)さえも所有することはできないのです。
あなたが本当に所有しているものは、自己だけなのです。
そのことを忘れてはなりません。
あなたは何かを手に入れます。
しかしながら、遅かれ早かれそれをすべて手放さなければならないのです。
どのようなものであっても、決して所有物ではないのです。
人生が求めるのであれば、あなたは必ず奪われます。
あなたがどのように努めようとも、失う必要があるのであれば、あなたは失うのです。
それを防ぐ方法など存在しないのです。
あなたがそれを大切だと思うのは、そこに愛情が存在するからです。
それはとても素晴らしいことです。
しかしながら、その愛情が歪み愛情でなくなれば、執着心を以てそれを必死に掴むことでしょう。
執着は恐れを生み出します。
執着心が在るからこそ、失うことを恐れるのです。
執着していないものを失うことに心を煩(わずら)う人はいません。
執着しているからこそ、人は心を煩うのです。
心を煩えば、その瞬間に幸福は逃げていきます。
思い煩う人が幸福を手にすることは不可能なのです。
あなたは自らの執着に気を付けていなければなりません。
すべては変化の中に在り、決してとどまることはないということを理解しなければなりません。
あなたが所有していると思い込んでいるどのようなものも、自己を残してすべて失うということを決して忘れてはなりません。
執着しても失います。
執着する度に思い煩い、不安と争い、そして苦しみが増すだけです。
それはあなたが求めているものですか?
あなたが求めているものが幸福であるのならば、執着を所有してはならないのです。
執着と幸福は共存しません。
すべては変化を求め、自由に存在します。
それが正しい姿です。
執着という束縛によってその自由を奪うのであれば、必要な代償を支払わなければならないということを知らなければなりません。
すべては自由にして美しいのです。
変化を食い止めてはなりません。
何かに執着し、世界の変化を食い止めるのであれば、幸福は決して手に入らないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが唯一所有することを許された自己を磨くことに執着し、それ以外を執着の束縛から解き放たなければなりません。

2013年5月21日火曜日

尊敬に値する人

人の意思は常に変化を求めています。
あなたが望んだとしても、望まないとしても、あなたの意思は常に変化しているのです。
あなたは常に変化にさらされています。
それは、自分自身を守り保つための本能であると言えるのです。
あなたは常に自分以外の存在に干渉され、その影響を受けなければなりません。
その影響を拒絶することはできません。
どのような心も世界に開かれ、心はあらゆる変化にさらされるからです。
心は、意思は、あなたの考えに捕われることなく変化を楽しみます。
あなたは自らの心や意思が常に変化の中に存在しているということを知らなければならないのです。
自らの心や意思が変化の中に存在しているという事実を知ることがなければ、必要を満たすことなどできないということを覚えておかなければならないのです。
心や意思は常に変化しているものです。
それはとても不安定なものであるということを知らなければならないでしょう。
あなたは自らの心や意思が、常に変化にさらされ、変化を受け入れていることを知り、それを知った上で自らの在り方を決めなければならないのです。
あなたは自分以外の存在によって変化しています。
あなたは自らに触れる影響力を決めなければならないのです。
それはあなたが決めることができます。
あなたがどのような場所で、どのような人物と向き合い、どのような思いや言葉や行動に触れるのか?ということで決めることができるのです。
あなたは自分自身に触れる影響力を決めることができるのです。
あなたが触れるものに、あなたは成ります。
あなたが付き合う人物のように成るのは容易に想像することができるでしょう。
人は互いに影響し合い、自ずと似てくるのです。
相手の言動に注意しなければなりません。
それが優れていないと考えるのであれば、それ正す努力をしなければなりません。
その努力をすることなく、自らの在り方の責任を他人や環境に擦り付けてはならないのです。
あなたがそうなったのは、あなたが決めたことです。
あなたがそこにいて、そのような人と向き合って、そのような自分に成ったのです。
誰の責任でもありません。
あなたの責任なのです。
あなたは自分にとって素晴らしいと思える場所や人物、そして、その言動や心に触れましょう。
理想の自己を手に入れるためには、尊敬がそこに存在していなければならないのです。
あなたは尊敬することができなければなりません。
少しの尊敬でも、そこに在れば救いとなるでしょう。
しかしながら、尊敬が存在しなければあなたは救われません。
そこには苦しみが在るのです。
あなたは幸福を手にしなければなりません。
幸福を手に入れるためには、幸福な場所、幸福な人物、そして、その言動と心に触れなければなりません。
争いを好み、暴力によって存在している場所や人物には触れてはならないのです。
例えそれに触れたとしても、それに触れ続けていてはなりません。
変えるか、変わるか。
在るか、無いか。
ただ、それだけです。
何事に対しても無理をする必要などありません。
無理をしても必要な結果を得ることはできないからです。
無理をすれば、あなたが予想するよりも多くのものを失ってしまうでしょう。
心地の好い場所には無理は存在しません。
心地の好い人物にも同じです。
無理をするということは、そこに心地好さが存在しないということなのです。
あなたは無理をする場所や人物から何を得ようというのでしょう?
あなたは心地の好い影響を受けなければなりません。
あなたの意思は常に変化を求め、変化にさらされています。
あなたのいる場所と向き合う人物は、あなたが決めなければなりません。
それがあなたにとって心地好いと思うものでなければ、無理をして所有する必要などないのです。
孤独が悪いものなどではありません。
寧(むし)ろ、本当に必要なことは孤独の中に存在しているということを知らなければならないでしょう。
あなたは必要な変化を、必要な場所や人物から受け取りましょう。
ただし、すべてを最終的に決めるのは自分自身であるということを忘れてはなりません。
あなたが心地好い場所や人物を求めるように、他人もそれを求めています。
あなた自身も、そうでなければなりません。
尊敬に値する人でなければならないでしょう。

2013年5月20日月曜日

汚い言動

人は自己を大切にしなければなりません。
自己を除いて、あなたの人生の幸福を実現する存在はないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの人生に幸福をもたらすのは、あなたの自己以外の何者でもないということを忘れてはならないのです。
あなたの自己を除いて、あなたの人生の幸福をもたらす者は存在しません。
他人には、あなたの人生の幸福に対して干渉するほどの力はないということを理解しなければならないのです。
あなたは他の誰の力によっても自らの人生の幸福を実現することはありません。
あなたの人生に幸福をもたらすのは、他でもない自らの内に存在する自己であるのです。
人生はあなたの認識によって築かれます。
あなたがどのように認識するのか?ということがすべてです。
認識の外には何も存在しません。
あなたの世界は、あなたの認識の中にしか存在していないのです。
あなたは知っているものを受け取ります。
知らないものを受け取ることはありません。
あなたが苦しみという感情を認識していなければ、人生に苦しみは存在しないのです。
あなたが苦しいと認識しているからこそ、あなたは苦しみを受け取るのです。
あなたの自己が認識するものをあなたは掴みます。
あなたがそれを苦しいと認識するのであれば、あなたは苦しみを受け取るのです。
あなたがそれを幸福であると認識するのであれば、あなたは幸福を受け取るのです。
何も特別なことではありません。
難しいことでもないのです。
この世界は単純で明快なのです。
あなたが思うような人生になります。
あなたが思うような自分になるのです。
あなたは世界を自己の認識によって築いているということに気が付かなければなりません。
それに気が付くことがなければ、人生は苦しみを抱き続けることでしょう。
あなたは理想に従って生きなければなりません。
その言動に理想を見なければなりません。
あなたの生き方、その言動こそが、あなたの認識です。
あなたの言動はあなたの理想に等しいものですか?
あなたは汚い思いに従って汚い言葉を使い、他人や自分自身を傷付けてはいませんか?
残念ながら、多くの人はそのことに気が付いていません。
汚い言動を汚いものだとは知らないのです。
それは、周りの人がそうだったからです。
周りの大人とその教育がそうだったからです。
ただそれだけのことです。
習慣に従って生きるのは怠惰(たいだ)です。
惰性に生きても成長や向上は有り得ないのです。
人は幸福を掴むために、「当たり前」から脱さなければならないのです。
今までの当たり前(常識)があなたを真実(幸福)から遠ざけているのです。
あなたはそれが正しいことなのか?美しいことなのか?を自己に問わなければなりません。
その言動によって幸福を得ることができるのか?を考えなければならないのです。
正しくあるために、自らに疑いを持たないことは不幸です。
正しくもない、美しくもない習慣を信じているのは不幸です。
あなたは習慣に捕われずに、それが自らに幸福をもたらすのかを考えなければなりません。
自ら考えないのは不幸です。
判断を他人に委(ゆだ)ねるのは不幸です。
あなたの人生は、あなたが築くものなのです。
あなたの自己が実現するのです。
あなたが幸福を手にするためには、自己がそれを掴まなければなりません。
あなたの言動や生き方が幸福でなければならないのです。
幸福を所有している人は更なる幸福を手にします。
苦しみを手にしている人は更なる苦しみを手にします。
それは当然のことです。
持つ者は更に得ることができ、持たない者は更に失うことになるのです。
あなたは何を掴み、何を所有しますか?
人生に幸福を求めているのであれば、その自己が幸福を所有しなければなりません。

2013年5月19日日曜日

正しい場所

人は人の中で生きなければなりません。
人が人である以上、人を離れることはできません。
人であるあなたは、人の中でいきなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
人の中に生きず、人は人ではありません。
人の中に生きることで、人は人と成り得るのです。
あなたは人です。
あなたは人でなければなりません。
人であるということを否定することはできません。
植物が植物であるように、水が水であるように、鉱物が鉱物であるように、人であるあなたは人でなければならないのです。
あなたは人を完成させなければなりません。
あなたが人に成り得ない限り、人の幸福は訪れることがないのです。
あなたは人の中に生き、人に成りましょう。
人という存在は尊い存在です。
その心は清らかに澄み切り、地上を照らす光となるのです。
人という存在は本来、大地を照らす陽の光のように輝かしい誉(ほま)れなのです。
あなたは人を間違えてはなりません。
世にはびこる人の行いは汚れてはいますが、人は高尚な存在であるのです。
あなたは人の本来の姿を知らなければなりません。
そして、それを見失ってはならないのです。
あなたは怒り、嫉妬(しっと)、憎しみ、悲しみ、の中に在ってはなりません。
ネガティブで破滅的な思想に取り付かれてしまえば、自らの誉れを見失ってしまうことになります。
そうなれば、幸福を手にすることはできないのです。
人は人の中に在って人に成らなければなりません。
しかしながら、本来の人の姿を知ることがなければ、それを成すことは叶わないのです。
あなたは何事に対しても思い煩(わすら)ってはなりません。
どのような理由を以てしても、あなたは自らの思想を汚してはならないのです。
人の中には汚れが横行しています。
思いやりに欠けるネガティブで破滅的な思想や行いが存在し、人を誘(いざな)うのです。
人道(思いやり)に反すれば、何等かの利益を簡単に得ることができます。
正しくない行いによって得られるものは容易です。
しかしながら、あなたにとって本当に価値のあるものは容易には手に入らないということを理解しなければならないでしょう。
価値があるものとは、希少であるということは理解することができるはずです。
希少であり、簡単には手に入らないからこそ価値があるのです。
簡単な方法によって手に入るものには価値を見出すことなどできないでしょう。
ありふれているものに価値を見出すことはできないのです。
人の中にあっては、正しく生きることは決して簡単なことではありません。
思いやりを持たない方が生き易いでしょう。
しかしながら、思いやりから逸脱した生き方にどのような価値があるというのでしょう。
この世界には原因と結果の法則が存在しています。
どのような人物であっても、自らの言動が築く状況を受け取らなければなりません。
どこに逃げても、逃げ切れるものではありません。
責任は必ず果たさなければならないのです。
その時はうまく進んでいたとしても、その悪事がやがて実を結ぶ時がやってくるのです。
人生に言動という種を蒔くと、それは余すことなく芽を出します。
野菜のように短期間で収穫を迎えるものもあれば、果実のように長期間で収穫を迎えるものもあるのです。
悪事の種が育つと、それを善事によって枯らせ、根こそぎ取り除かなければなりません。
大きく育ってしまった悪事の大木を善事によって取り除くのは、鍬(くわ)を用いて人力で取り除くに等しく、その苦行を容易に想像することができるでしょう。
軽い気持ちで悪事を働いてはなりません。
人の中に在って、その汚れに倣(なら)ってはなりません。
全員がそうしていようとも、あなたがそれが正しくはないと思うのであれば従ってはなりません。
あなたの居場所は「正しい場所」でなければなりません。
あなたは人を間違ってはなりません。
清らかに澄み切った心を以て、地上を照らす光となりましょう。
あなたがその光で地上を照らす時、あなたは至上の愛を手にするでしょう。

2013年5月18日土曜日

ただ、あるがままに

あなたはただあるがままにそこに在れば良いのです。
あなたは自らを偽る必要はありません。
あなたはあなたでしかなく、それ以上にもそれ以下にもなれません。
あなたはあなたを出ることはできないのです。
あなたはあなたを捨てることなどできません。
あなたはいつまでも、自分自身であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたはあなたである以外に方法はありません。
ありのままのあなたであることが求められるということを理解しなければなりません。
あなたは自分自身になれば良いのです。
自分以外の何者にもなる必要はないのです。
多くの人は小さなことに思い煩(わずら)います。
自分自身を好きではなかったり、自分自身を信じることができないのです。
そのために、思い煩い、人生に苦しむのです。
大切なのは自分自身であるということです。
あなたはあなたであることが重要であるのです。
それ以外のことは重要なことではないのです。
あなたはあるがまま自分自身であること以外のことで思い煩ってはなりません。
自分自身を思い煩うことは馬鹿げています。
自分自身から遠ざかることほど愚かなことはありません。
それは、あなたはあなたでしかないからです。
それ以外のどのような存在にも決してなれません。
どのような存在も必ず自分自身に辿り着きます。
自分を捨てることなどできないのです。
進めば進むほどに、あなたは自分自身に近付くのです。
それを避けることはできません。
あなたはどのような理由があっても自分自身を嫌ってはなりません。
あなたが自分のことをどのように思っていても、あなたはあなたでなければならないのです。
自分自身という形によって人生を勝負しなければならないのです。
あなたが自分自身を捨て去ろうと努力するということは、人生の豊かさ(心の平穏)を捨て去ることに等しいということを理解しなければなりません。
自分自身でなければ、心を満たすことはできません。
他人を騙すことはできても、自分自身の心を騙すことはできません。
あなたはあなたとして人生に誕生しました。
ならば、あなたはあなたでなければならないのです。
自然はあるがままに自らを受け入れ、自分自身を使って精一杯に命を繋ぎます。
鳥は鳥として自らを受け入れます。
樹木は樹木として自らを受け入れるのです。
あなたは何ですか?
あなたは何を受け入れるべきなのでしょう?
あなたはただあるがままにそこに在れば良いのです。
自らを偽れば、心が犠牲になるということを覚えておかなければなりません。
心が犠牲になるのであれば、その平穏は保てません。
心が平穏を失ってしまえば、どのような豊かさもそれを豊かさだと感じることはできないのです。
あなたが自分らしくいられる道を探しましょう。
無理をして自らを偽らなければならない道が、あなたに幸福を与えることはありません。
あなたが自然体でいられる場所こそが、あなたに幸福を与えるのです。
あなたが本当に求めているものはなんですか?
周囲の価値観ではなく、自分自身の価値観に聞かなければなりません。
人が求める価値が、あなたにとっての価値であるとは限りません。
あなたが自分自身を受け入れ、ただあるがままにそこに在る時、小さなことに思い煩うことはなくなるでしょう。
苦しみの正体は偽りにあります。
偽るから苦しむのです。
あなたは人生に苦しむ必要などないのです。
あなたは自分自身という道を極めるように努めましょう。
自分のことを嫌ってはなりません。
自分を偽ってはなりません。
あなたは唯一の存在です。
自らを誇りましょう。
そして、ただあるがままにそこに在りましょう。

2013年5月17日金曜日

人生の仕事

あなたが貢献する程に、人生は豊かさを増していきます。
人生が豊かさを増すためには、貢献しなければなりません。
何かに対して役に立つことができなければ、人生は豊かさを得ることができないのです。
仕事をすることで給与を得ることができます。
それは当たり前のことです。
それが職業ではなくても、「人生の仕事」をすれば必要な豊かさを得ることができるのです。
人生の仕事とは、この世界に対して貢献するということです。
人助けなどの「良いこと」をし、それが何かや誰かの役に立ち、世界が少しでも成長や向上に向かって良くなる作業こそが人生の仕事です。
人の役割(仕事)は社会的な業務だけではないということを理解しなければなりません。
社会的な立場を取り除いた「人」としての役割を忘れてはならないのです。
あなたは自分自身が「人」であるということ、この世界を支える個人であるということを理解しなければなりません。
あなたの目的は世界の成長と向上なのです。
そのことを理解しておかなければならないでしょう。
世界が成長し、向上するためには、弱い部分を強めなければなりません。
どのように精密な機械であっても、一部の部品が耐え切れなくなって壊れてしまえば、機械全体がその機能を果たせずに止まってしまうでしょう。
その機械が精密である程、小さな故障が大きな損失へと繋がっていくのです。
人の文化は長い年月をかけて成長し、向上してきました。
あなたが生きる世界には、複雑な文化が形成されています。
単純な作りの文化ならば、弱いところが壊れても最低限の機能を失うことはありません。
しかしながら、複雑な文化ならば、一カ所が壊れてしまえば、やがては最低限の機能さえ失ってしまうことになるのです。
あなたは弱さを気にしなければなりません。
弱い部分を支えなければなりません。
弱い部分を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
強い部分を強化するのは大切なことですが、弱い部分を無視して強いところを強化することで、弱い部分には更なる負担が掛かることになります。
強い部分を強化するだけでは、全体はうまく動かないのです。
全体を動かすためにはバランスが必要なのです。
互いが補い合い、支え合う関係を築かなければならないのです。
底上げを図らなければ、やがて全体が崩れてしまうということを理解しなければならないでしょう。
あなたがしなければならないのは、強い部分の強化に加えて、弱い部分の強化でもあります。
強い部分だけを優遇してはなりません。
弱い部分も強化しなければなりません。
弱い部分を強化することは簡単ではありません。
それは多くの労力を必要とするため、多くの人はその作業を嫌います。
しかしながら、弱い部分が弱いままであるのならば、あなたが求めている強い部分にも影響が及んでしまうのです。
強さだけを追い求め、弱さを忘れてはなりません。
固さだけを追い求めて柔らかさを失ってしまえば、衝撃によって折れてしまうでしょう。
芯を持った柔らかさが必要なのです。
固いだけでもだめであり、柔らかいだけでもだめです。
しなやかになければならないのです。
あなたは強さと弱さのバランスを見極めなければなりません。
強い者に従うだけではなりません。
弱い者を救わなければなりません。
貢献するということは、問題を解決し価値を生み出すということだからです。
強い者に従い、弱い者を見捨てるのであれば、あなたは人に、世界に対して貢献することはできないでしょう。
弱い者を助けることは世界に取って重要なことなのです。
強い者は弱い者を守ることによって強さを増します。
弱い者は強い者に守られることによって強さを得ます。
弱さを見捨てることが強くなると考えてはなりません。
弱さを見捨てた時、同時に大切なことを見失ってしまうということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自らの弱さを助けましょう。
自分よりも弱い者に手を差し伸べましょう。
本当の強さとは何であるのかを理解しなければならないでしょう。
あなたは貢献しなればなりません。
その時に、弱さを忘れていてはならないでしょう。

2013年5月16日木曜日

人生の思い

すべては順調に進んでいます。
それがどのような状態であっても、それは現状において正しい状態にあるということを忘れてはならないでしょう。
それがどのような状態であったとしても、それは必要を満たしています。
すべては必要を満たすための出来事であるということを理解しなければならないでしょう。
それがあなたにとって何等かの問題であり、苦しみであるにしても、それは必要を満たすための出来事であるということを忘れてはならないのです。
それがどのように思う出来事であったにしてもです。
あなたにとっての必要とは、あなたが成長や向上を得るということです。
人生では、あなた自身やその状況に関わる存在が、何等かの成長や向上を得ることが重要視されるのです。
すべては成長や向上のためなのです。
それ以外の出来事は決して存在することはありません。
うまくはいかないこと、問題だと思えること、苦しみを感じること・・・
それがあなたにとっては受け入れ難い状況であっても、それがあなたの必要の範囲を出ることはないのです。
そこには必ず必要が備わっています。
あなたの認識が必要に対して届いていないだけです。
あなたが目の前の状況の中に存在している必要を認識することができれば、あなたの抱える問題は問題ではなくなります。
苦しみは苦しみという体裁(ていさい)を保つことができなくなってしまうのです。
あなたが問題や苦しみだと思い煩(わずら)っていることは、あなたやそれに関わるものの成長や向上にとっては必要なことなのです。
そのことを忘れてしまうのであれば、問題や苦しみを敵視してしまい、更なる問題や苦しみを得るという結果を引き起こしてしまうでしょう。
満たされないことが悪いことではありません。
人生が思い通りに進むなどと考えてはなりません。
あなたは必ず間違えます。
自らが完璧などと思い上がってはなりません。
すべての人は未熟です。
目の前の問題や苦しみを利用して、自らの間違いに気付くということに気が付かなければならないのです。
与えたもの以上のものを受け取ることができると誰が教えたのでしょう?
必要以上を受け取ることができると、誰から教わったのでしょう?
あなたは自らが与えたもの以上のものを受け取ることはできません。
支払った代償以上の報酬を得ることができるなどと考えてはなりません。
世界は必要を満たしながら形成されます。
必要以外の材料など存在しません。
あなたにとっては不本意なこと、そして決して満足することのできない状況があるでしょう。
あなたがそれをどのように思おうとも、その状況を受け取る必要があるのです。
あなたにとっての問題や苦しみを受け取る必要がないと誰が決めたのですか?
もしも、それをあなたが決めているのであれば、あなたには何が正しいことなのかを判断することができているということでしょうか?
残念ながら、人知を尽くしても人生の思いを超えることはできません。
人生が与える必要性こそが正しいということを理解することができなければ、人は永遠の苦しみの中にさ迷うことになるでしょう。
問題は問題でも構いません。
苦しみは苦しみでも良いのです。
それらを敵と見なすことは、人生を敵に回すということなのです。
理想通りに進むことが正しいのであれば、人生があなたに伝えることは何一つとしてないでしょう。
あなたに必要なことを教えようとすれば、あなたの機嫌など伺うことはできないのです。
人に正しい道を伝えるためには、真実を告げる以外に方法はありません。
嘘を使っても、人を正しい道に導くことなどできないということを知らなければなりません。
人生があなたから問題や苦しみを奪えば、あなたは正しい道を知ることはできないということを理解しなければならないのです。
問題や苦しみが存在するからこそ、あなたは正しい道を見ることができるということを知らなければならないのです。
問題や苦しみを敵視してはなりません。
すべてが必要の中にあるということを忘れてはならないでしょう。

2013年5月15日水曜日

幸福な人

自分自身を見失わない人は幸福です。
それは、人生の意義を見出し、その目的を果たすことができるからです。
自分自身こそが人生の要点であるということを理解しなければなりません。
自分自身の実現なくして、人生の目的を果たすことはできないのです。
人生の目的は人それぞれに違います。
それを果たすためには、人は自分自身を実現させなければなりません。
自分自身に聞く以外に、人生の目的は分からないのです。
誰もあなたの目的を知りません。
あなたがそれを知るためには、自分自身に聞かなければなりません。
自分自身のことは自分自身にしか分かりません。
他人には分からないことなのです。
大切なのは自分自身を見失わないことです。
人生における自分自身の実現です。
人は多くの人と関わりながら人生を育みます。
それは自身の価値観の形成です。
多くの人の価値観から何等かの影響を受けながら、それを築いていくのです。
自分自身にとって最も大切なことは、自分自身にしか分かりません。
絶えず受け続けている他人からの影響力をかいくぐり、自己を実現させなければなりません。
他人からの影響力は素晴らしいものです。
しかしながら、それに支配されて自己を見失っては本末転倒であるのです。
他人からの影響を正面に受け、それに左右されているようではならないということです。
他人からの影響力を使って、自らの価値観を洗練させることが重要なのです。
多くの人は、多くの人との関わりの中に自己を見失ってしまいます。
自己を見失えば、人生の本当の目的を果たすことはできないでしょう。
目的だと思うものは果たすことができるかもしれませんが、本当の意味で心を満たすことは実現させることができないのです。
あなたは自己を見失ってはなりません。
自分自身を実現するということは、心が満たされる状態を保つということです。
あなたの心が満たされる時、あなたは自己を実現しているのです。
何かをしている時、そこに空虚感が迫ってくるのであれば、それは自己の実現に対してある意味間違った方向(方法)へと進んでいるということを知らなければならないでしょう。
あなたの心が満たされるのはどのような時間ですか?
何をしている時が楽しく、心満たされるでしょう。
没頭することができることこそ、あなたの道しるべであるということを理解しなければなりません。
それがどのようなものでも構いません。
ただし、役立つもの(誰かが喜ぶもの)でなければなりません。
人を傷付けて没頭することや、中毒などの依存でもなりません。
何かに対して貢献するようなことで没頭することができるものを見出さなければならないのです。
どのような人物も、何かに対して役立つために生まれて来ました。
役に立たない人物など存在しません。
それは、世界が成長や向上のために存在しているからです。
あなたには何等かの役立つ力が備わっているのです。
それは世界をより良くするための力です。
それが小さな力であっても構いません。
世界は小さなことの積み重ねによって築かれているからです。
あなたは人の喜びを見なければなりません。
人の楽しみを見なければなりません。
人の幸福を見なければなりません。
あなたがそれらを見るためには、それらを所有し、与えることができなければなりません。
あなたは楽しいことをしましょう。
あなたは自らが喜ぶことをしましょう。
あなたは幸福でありましょう。
自分自身を見失わない人は幸福です。
人生に楽しみが尽きないからです。
どのような人物も、自分自身を見失ってしまえば、どのようなことをしても決して楽しみを感じることはないのです。
自分自身の実現こそが人生の幸福であるということを理解しなければなりません。
あなたがどこで何をしていても、そこに自分自身がなければ幸福ではないということを忘れてはならないでしょう。

2013年5月14日火曜日

人助け

あなたが豊かな人生を求めているのであれば、貢献しなければなりません。
誰かや何かに対して役立つことこそが、人生を豊かなものにするということを忘れてはならないでしょう。
貢献するということは、その状況をより良くするということです。
その場の向上や発展に努めるということなのです。
向上や発展に尽力することなく、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは何かや誰かに対して貢献するということを忘れてはなりません。
向上や発展とは、より良くなるということです。
より良くなるということは、より楽しくなるということです。
あなたはより楽しくなるように尽力しなければならないのです。
それは人助けです。
社会を良くすることで、あなたは様々な豊かさを得ることができます。
社会を良くすること、楽しい場所にすることができなければ、豊かさを手にすることはできないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは社会に尽くさなければなりません。
社会とは、人の集まりです。
人と人との繋がりが社会を築いています。
個人が存在し、それぞれが何等かの繋がりを持っている状態が社会なのです。
社会に尽くすということは、人に尽くすということを覚えておかなければならないでしょう。
人に尽くすということは、人を助けるということなのです。
あなたは人を助けなければなりません。
あなたの持てる力を使って、役に立たなければならないのです。
どのような偽善者、愚か者であっても、社会に貢献することが自らの利益に繋がることを知っています。
誰かを助けることこそが、自らを助けるということを知っているのです。
しかしながら、そこに偏見が存在していることも事実です。
人を助け、社会に貢献することは素晴らしいことですが、そこに利己的な考えが存在しているのです。
利己的な考えは偏見を導きます。
それは、ある種の利益をもたらすかもしれませんが、ある種の代償を求めます。
あなたの貢献が偽善であったにしても、それが結果的に誰かや何かに貢献することになれば、あなたは豊かさを得ることができます。
しかしながら、それが自身の為であり、自身に貢献する結果になれば、豊かさを得ることはできないのです。
ただし、自分のために力を使っても利益を得ることはできます。
しかしながら、それが本当の意味での利益ではなく、見せかけであるということを覚えておかなければなりません。
あなたの行いが善意からのものであっても、偽善からのものであっても、誰かや何かに対して貢献することが求められます。
あなたが誰かや何かに貢献するためには、誰かや何かに対して貢献することを考えていなければなりません。
人は自らの内にあるもの(思想)を結果として状況の中に受け取ります。
あなたが受け取るものは、自らの原因が導き出した結果に他ならないのです。
誰かを助けたい。
社会をより良い場所にしたい。
このような思想を持っていれば、誰かや何かに貢献することができるでしょう。
それが自らの保身であるのならば、誰かや何かに貢献することは叶わないでしょう。
あなたは私欲を去らなければなりません。
私利私欲に根差していれば、誰かや何かに貢献することなどできないのです。
どのような成功者(本人が必要な豊かさを得た者)も、誰かや何かのために尽力し、結果的に貢献しているのです。
それが偽善であってもです。
人生は結果を重視します。
結果がすべてを物語っているからです。
偽善者であっても、結果的に貢献することができた人は、その深い部分に善意を持っているのです。
例えそれが誰かや何かのために貢献しようと努めた結果ではないにしても、結果的に誰かや何かに対して貢献することができているのであれば、それで良いのです。
自分自身を善人だと主張しても、実際に誰かや何かに貢献するという結果を残せない者は、豊かさを受け取ることはできないのです。
善人ぶるのはやめましょう。
善人とは貢献した者のこと言うのです。
それが例え結果的に人を助けることであったにしても、人を助けた事実を残した人は幸いです。
善人面をしていても、実際に人を助けないのであれば、罪人であるのです。
世界に存在しているのであれば、世界に対して貢献しなければなりません。
あなたができることから、誰かや何かに尽力し、貢献することができるように努めなければならないのです。
人を助けることは、人の苦しみを担うということです。
問題を解決し、価値を生み出すことが貢献であるということを忘れてはなりません。
人助けは簡単なことではありません。
それは、人の苦しみを担わなければならないからです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないでしょう。
人の苦しみを担う覚悟の無い者は、豊かさを求めてはなりません。
その覚悟が無ければ、どのように努めてもそれが手に入ることは無いからです。

2013年5月13日月曜日

責任感の鎖

あなたは遊ぶことを忘れてはなりません。
人生に遊び心を失ってはなりません。
あなたは遊ぶために生まれて来たのです。
人生を遊びのように楽しまなければならないのです。
ただし、遊ぶということは決して簡単なことではありません。
それは、本当の遊びというものが責任を果たした状態で楽しむことだからです。
責任から逃れることが遊びではありません。
それはただの逃げでしかありません。
あなたは本当の意味で遊び、楽しまなければなりません。
責任感に支配される時、人は遊び心を失います。
責任感によって心を縛られ、その自由が奪われるのです。
ただし、責任感を持つことは大切です。
責任を果たすことができなければ、本当の意味での遊びは実現しないからです。
責任感を以て事に当たることは大切ですが、責任感が強過ぎて縛られてしまえば、あなたは苦しむことになってしまうでしょう。
それは、あなたの本質がその心であるからです。
心が自由でなければ、人生を遊ぶことはできません。
心を自由な状態にするためには、責任感という鎖(くさり)によって縛り付けてはならないのです。
しかしながら、責任感の鎖を完全に外してもなりません。
責任感の鎖によって心を掴んではいても、その自由を確保しなければならないのです。
そのバランスが難しくはありますが、それを実現させるように努めなければなりません。
あなたは責任感を強く持ち過ぎ、その心を縛り付けてはいませんか?
それをしなければならないという気負いを持ってはいませんか?
責任感が大きければあなたはその責任に縛られることになるのです。
それは心の自由を奪います。
自由を奪われた心は多くの重圧に耐えなければなりません。
重圧に耐え続けた心は、やがてその重みに耐え切れなくなり、壊れてしまうでしょう。
あなたの心は完璧なものなどではありません。
疲れたら休ませなければなりませんし、傷付いたら手当もしなければなりません。
丁寧に世話をしなければならないのです。
あなたは自らの心の面倒をみなければなりません。
心が健やかになければ、人生に幸福を得ることはできません。
それは、幸福というものを心が感じているからです。
心がそれを幸福であると認識することがなければ、あなたはどのような方法を用いても幸福を手にすることはできないのです。
人生の幸福は、その心が幸福を認識することのできる状態を築くことである、ということを覚えておかなければならないでしょう。
心が幸福を認識することなく、どのような幸福も手には入らないのです。
心が健やかでなければ、幸福を認識することはできません。
心が健やかであるためには、心が自由でなければならないのです。
遊びこそがあなたの心を責任から解放します。
遊ぶことができなければ、心は常にプレッシャーにさらされるということを覚えておかなければなりません。
人生は楽しむものです。
人生は楽しんだ者勝ちです。
人生は苦行などではありません。
強過ぎる責任感に押し潰されていてはならないのです。
人生に遊び心を忘れてはなりません。
あなたは遊ばなければなりません。
遊びのない人生が楽しいと思いますか?
それで良いというのであれば構いませんが、力(責任感)を抜いて「楽」に生きることの良さを知ることも良いものです。
あなたは遊ぶことを忘れてはいませんか?
仕事(責任)を放棄して遊びに徹しろということではありません。
仕事にも遊び心を取り入れれば良いのです。
人生のすべてを遊び心で築くことができます。
なにも頑(かたくな)に生きなくても良いのです。
リラックスして生きても良いのです。
力んでも上手くいくとは限りません。
苦しいよりも、楽しい方が良いでしょう。
遊び心を失わなければ、楽しい人生を歩むことができるでしょう。
あなたは遊ばなければなりません。

2013年5月12日日曜日

少なく受け取ること

富を多く受け取ることは良いことです。
どのような富であっても、多く受け取ることは素晴らしいことです。
あなたは多くの富を受け取ることのできる状態を築かなければならないでしょう。
多くの富があなたの人生を豊かなものにしてくれます。
受け取る富が少なければ、人生は乏しいものになってしまうのです。
あなたは多くの富を受け取るための努力をしなければならないでしょう。
あなたは多く受け取らなければなりませんが、多くを受け取るためには少なく受け取らなければなりません。
矛盾しているように聞こえるでしょうが、多く受け取るためには少なく受け取ることが重要なのです。
あなたが何かを受け取る時、それはあなたが何かを与えた結果です。
あなたが与えたという事実が、受け取るという事実を導きます。
あなたが与えることがなければ、受け取ることは叶いません。
与えることもなく受け取ることはできないのです。
あなたは与えなければなりません。
あなたが何かを受け取るのは、既に何かを与えた結果でありますが、また新たに受け取るためには更に与えなければなりません。
あなたが与えることをやめてしまえば、受け取ることはできなくなってしまうのです。
簡単な原理です。
あなたが誰かに親切心を以て接したとしましょう。
すると、あなたの親切心に触れた者は良い気がします。
その結果、あなたに対してささやかながら何等かのお礼をすることでしょう。
あなたが求めるものを返すことがなくても、何等かをあなたに与えようとするのです。
それはとても小さなものや、的外れのものかもしれません。
あなたにとっては取るに足らないものかもしれません。
しかしながら、何かは必ず返そうとするものなのです。
そして、何かは必ず返ってくるものなのです。
あなたは与えたものが何らかの形によって必ず返ってくるということを理解しなければならないのです。
あなたが与えたものは、何等かの形で必ず返ってきます。
あなたが与えたことは決して無駄にはならないのです。
何かを受け取るためには、何かを与えなければなりません。
多くを受け取るためには、多くを与える必要があります。
あなたが少なく受け取ることは、多くを与えたことに等しく、それはとても簡単なことなのです。
あなたが少なく受け取ることは、相手に得をさせるということです。
相手があなたとの関係において得をしたと思ったのであれば、相手はあなたとの関係に対して良い印象を抱くことでしょう。
相手はあなたのために何かできないかと考え始めるのです。
そうすれば、あなたが与えたものよりも多くのものが返ってくることになるのです。
あなたは受け取ったものが予想を上回っていてとしても、それにただ単に喜んでいてはなりません。
多くを受け取ったのであれば、今度は多くを返すことを忘れてはならないのです。
相手には「貸し」を作っておくべきなのです。
原因と結果の法則を無視してはなりません。
どのようなことにも、必ずこの法則がついて回ります。
少なく与え、多くを受け取ることを「得」だと考えている人がいます。
その人は注意しておかなければなりません。
この世界においては、目に映るものだけが取引の材料ではないということを理解しなければならないのです。
あなたは受け取るものが与えるものを上回らないように注意をしておきましょう。
多くを受け取ることは素晴らしいことですが、多く受け取り過ぎることを喜ぶことはできません。
与えることと受け取ることのバランスが重要なのです。
収入を超えた支出では成り立ちません。
支出を超えた収入で成り立つのです。
人生においては、有形無形に関わらず、あなたのすべての所有物が取引の材料になります。
多くの富を受け取り、人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、少なく受け取ることの大切さを理解しましょう。
欲を掻いて与えることを忘れてはなりません。
多く食べても排出しなければどうなるかは、安易に想像することができるでしょう。
あなたはバランスを見失ってはなりません。
あなたが与えたものは形はともあれ、与えたものよりも大きな富として必ず返ってきます。
与えることに心配する必要はありません。
むしろ、受け取り続けるだけで与えないことの方に心配しなければならないのです。
受け取り続けるだけでは必ず破滅します。
理解しなければなりません。

2013年5月11日土曜日

思い煩い

あなたは思い煩(わずら)う必要はありません。
どのようなことにも心を重くしてはなりません。
すべてが必要で満たされており、すべてが意味のあることなのです。
すべてのことが上手く進みます。
問題は問題としての姿を止めません。
すべては必要な豊かさとなって導かれるのです。
人生はすべてが必要に従って進んでいるのです。
思い煩うことが問題の解決に役立つのであればそうすれば良いでしょう。
しかしながら、思い煩うことによって問題の解決が実現することはありません。
問題はそれを解決するための条件を整えることがなければ解決することはないのです。
問題を解決するためには、それを解決するための条件を整えるために動かなければなりません。
実際に動くことがなければ、問題は解決することはないのです。
奇跡が起きて、問題が消え去るということは残念ながらありません。
すべては自分自身の実際の行動によって導かれる結果であるからです。
問題を解決するのは自分自身の行動です。
それが足りなければ、問題の解決は有り得ないのです。
問題に対して思い煩う時、人は行動を恐れ、立ち止まってしまいます。
立ち止まってしまうのであれば、行動は自ずと不足してしまうのです。
行動が不足すれば問題を解決することはできません。
問題に対して思い煩っているのであれば、いつまで経っても問題は解決しないということを覚えておかなければならないでしょう。
時が解決してくれることなどありません。
時はただ流れるだけです。
時があなたを救うことなどないのです。
あなたを救うのは自分自身であるということを忘れてはならないでしょう。
あなたを決めるのは自分自身です。
あなたの考え、感情、判断などがあなたを決めています。
あなたを救うのは自分自身です。
また、あなたを苦しめるのも自分自身であるということを忘れてはならないのです。
人生は自らの意思によって決められます。
あなたがどのような意思を持つのか?ということによって、状況に変化が現れるのです。
あなたが思い煩えば、ネガティブな状態(状況)を得ることになるでしょう。
思い煩うことが問題を引き起こし、あなたは先へと進むことができなくなってしまうのです。
問題に対して思い煩う時、あなたは決して先へは進むことができないということを理解しなければならないでしょう。
問題に対して思い煩うことはありません。
どのように大きく見える問題も、必ず解決します。
それがあなたの理想に沿う形であるかは分かりませんが、必要な条件を満たすことができれば折り合いがつきます。
大きな問題に対してあなたができることが小さなことであったにしても、それを実際に行動しなければなりません。
小さな行動も、諦めずに続けていれば問題を砕きます。
あなたのこれまでに抱えた問題で、解決しなかったものがあるでしょうか?
それを解決しようと努力したことで、問題のままであり続けたものがあったでしょうか?
どのような形にせよ、問題は必ず解決します。
あなたがそれを解決するために努力しているにも関わらず、形を変えない問題など存在しないのです。
問題自体が変わるかもしれませんし、自分自身が変わるかもしれません。
どちらにしても、形は変わるものなのです。
物事を必要以上に大きく見積もってはなりません。
問題を大きく捉えてしまえば、そこには悩みが導かれることでしょう。
問題に対しての過剰な反応があなたを煩わせるのです。
すべてのことが必要であり、大切な意味があり、豊かさへと続いているということを理解することができていたなら、あなたが思い煩うことはないでしょう。
あなたの態度が重要なのです。
問題を問題にしてはなりません。
うまいやり方があるはずです。
苦しみではないものに対して、わざわざ苦しむ必要などないのです。
どのようなことにも思い煩うことなく、それをどのようにすれば解決することができるのか?を考えましょう。
大切なのは立ち止まらないことです。
行動に繋げましょう。
意味が分からなくても、動いていれば意味が理解できます。
しかしながら、動いていなければ何も得られないのです。
思い煩うことで足を止めることの不毛さを理解しなければならないでしょう。

2013年5月10日金曜日

単純、複雑、単純

人は経験と共に、その生き方を洗練させることができます。
経験を重ねる程に選択は本質に迫り、その生き方は豊かさを導くようになるのです。
人生を豊かなものにするためには、多くの経験を積み、その生き方を洗練する必要があるのです。
選択と行動が洗練され、その生き方が本質に迫れば、必要な目的、利益、状況を手にすることができるでしょう。
しかしながら、洗練されていない未熟な生き方では、必要な目的、利益、状況を手にすることはできないのです。
あなたは自らの生き方を洗練するように努めなければなりません。
より多くの経験を積み、自らを成長させなければならないのです。
物事の洗練とは、単純、複雑、単純という流れ(工程)によって導かれます。
未熟な生き方は物事を単純に考えます。
言い方を変えれば、複雑には考えられないということです。
未熟な生き方は単純な選択と行動を選びます。
少し成長すれば、ただ単純な選択と行動では満足することができません。
得られた知識や経験を元に、より複雑な選択と行動を実現します。
それはより高度な生き方であるでしょう。
大きく成長すれば、自らにとって無駄も見えてきます。
余計に持っていること、持ち過ぎていることを自覚するために、今まで積み上げて来たものの中から、不要だと思うものを手放し、複雑な選択や行動を今度は単純にしていくのです。
しかしながら、それは未熟な元の単純に戻るということではありません。
複雑を理解した上での、より洗練された状態の単純に辿り着くのです。
未熟な者は多くのものを求めます。
多くのものを欲し、掴むのです。
しかしながら、経験によってそれが重荷となることが分かると、必要なものだけを残して、それ以外のものは手放すようになるのです。
不要なものを手放した後に始めて、人は本当に大切なものが見えてくるのです。
樹木は枝葉を伸ばします。
初めは大きな枝(幹)となるように少ない数を縦に直線的に伸ばします。
そして、縦に直線的に伸ばした大きな枝から、複数の小さな枝を横に伸ばします。
横に伸びた枝はより多くの日光を集めるのに適しています。
横に伸びた枝は樹形を複雑なものにするのです。
しかしながら、複雑にした枝も、互いが干渉すれば効率的ではありません。
多くの枝葉を抱えていて少ないエネルギーを得るよりも、少ない枝葉で大きなエネルギーを得る方が良いのです。
そのため、干渉する枝葉を枯らせます。
そして、より多く日光を得ることができる場所に枝葉を伸ばすのです。
その行程が美しい大樹を育てるのです。
無駄のない姿ほど美しいものはありません。
洗練された生き方は美しいものなのです。
人は樹木に似ています。
経験の浅い時には考えもなく直線的に生きます。
経験を積んで少し成長すれば、縦だけではなく横にも複雑に選択肢が存在することを知ります。
更に成長すれば、不要なものが見えてきて、それを手放します。
そして、自分自身にとって本当に必要な生き方がそこに残るようになるのです。
あなたは経験の必要性を理解しなければなりません。
どのような経験も、自分自身の生き方を洗練するための材料であるということを理解しなければなりません。
経験が浅い時には見えないことも、経験を積めば見えてくることもあります。
逆に経験を積めば見えない(見なくても良い)こともあるのです。
すべての経験があなたの生き方の知恵へと繋がっています。
経験を重ねる度に知恵が増すのです。
経験を積むことと、時間を過ごすことは違います。
ただ時間を過ごすだけでは経験を手にすることはできません。
経験を手にするためには、経験を得ようとする心掛けが必要なのです。
経験を積むということは、挑戦するということです。
未知なものにこそ経験が存在しているのです。
同じことの繰り返しが経験にはなりません。
例えそれが同じ作業であったとしても、違う見方によってそれに触れることができれば、必要な経験を得ることができるでしょう。
自らの成長のために生きるのであれば、あなたは必要な経験を手にすることが許され、その生き方は洗練されます。
経験を重ねましょう。
人生は常に学びであるということを忘れてはならないでしょう。

2013年5月9日木曜日

真剣な心持ち

あなたはどのような道に対しても、真剣な心持ちによって向き合わなければなりません。
それはあなたが進む道です。
どのような理由であれ、あなたが決めた道なのです。
あなたがその道を歩んでいるということは、あなたがそれを選んだのです。
あなたが進む道に対しては誠実に、懸命に努めなければならないのです。
道に対して真剣になることができないのであれば、その道に対して礼儀を欠くということを覚えておかなければならないでしょう。
道に対して真剣さが欠けているのであれば、道の追求を継続することはできません。
道を軽んじる者は道に嫌われ、それよりも先へと進むことはできないのです。
先へと進むことができなければ、その道の目的を果たすことはできません。
あなたが欲している目的、そして結果は、道の究極を成すこと無く得ることはできないのです。
どのような目的も、真剣な心持ち無くして果たすことができないということを理解しなければなりません。
あなたの進むべき道は、自らが真剣に向き合うことのできるものでなければならないでしょう。
真剣に向き合うことができない道であるのならば、それを進むことはできません。
例え進むことができたとしても、あなたが求めるものを与えてはくれません。
あなたがその道にどのようにしがみ付こうとも、真剣さを欠いてしまっているのであれば、そこに得られるものは苦しみ以外の何物でもないということを知らなければなりません。
あなたは様々な基準によって人生(道)を判断しているでしょうが、そこでは自分自身の心が判断基準となっていなければなりません。
自らの心を無視して道を選んではならないのです。
大切なのは真剣な心持ちによって道に向き合うことができるのか?ということです。
真剣に向き合うことができない道に執着する必要はありません。
人生は時間との闘いでもあります。
見苦しい執着は持つべきではないのです。
道に対して真剣に取り組むことができなければ、道を追求することはできません。
その道において、必要な目的を果たすことはできないのです。
人を動かすのは心です。
人は心によって動きます。
その心が抱える気分がどのようなものであるのか?ということが重要なのです。
気分が乗らないことに対して真剣に向き合う人はいません。
気分が乗らないことに対して真剣に向き合うことができる人はいないのです。
真剣さとはその心の持つ集中力であるということを知らなければなりません。
心が目的に対して集中し、それをどうしても手にしたいと願う時、そこには真剣さが導かれます。
心が目的を欲していなければ、真剣さは導かれないのです。
人は好きなこと、興味のあること、楽しいこと、嬉しいこと、未知のこと、に対して目的を欲します。
嫌いなこと、興味の無いこと、退屈なこと、辛いこと、既知(きち)のこと、に対しては好奇心が抱けないために、そこに目的を見出しません。
もちろん、見出すことのできない目的を欲することもないのです。
人にはそれぞれに価値観というものがあります。
それぞれが違う個性を以て存在しているため、興味を抱く道は異なるのです。
それぞれの個性に合った道を志すことが重要であるのです。
興味も無い道を進もうとしても、目的に辿り着けずに挫折するのが落ちです。
その道を極めることなど到底不可能な話なのです。
しかしながら、興味のある道を進むのであれば、必要な目的に辿り着くことのできる可能性は上がります。
興味のある道であると、どのようなことにも真剣に向き合うことができます。
関心があるのとないのでは、心持ちに大きな違いが現れるのです。
自らの道に真剣に向き合うことのできる人は幸福です。
進み続けることのできる道を見出した人は、人生に豊かさを得ることができるからです。
嫌嫌進むことで良い結果など得ることはできません。
どのような道もそんなに甘いものではないのです。
必要な結果を残し、必要な目的を果たすためには、自らが道に対してどれだけ真剣であるのか?ということが求められます。
ネガティブで破滅的な思想によって得られる結果はその通りのものです。
あなたはポジティブで建設的な思想を以て結果を求めなければならないのです。
好きでもない道は進めません。
どのような道も深く進む程に必要な目的を果たすことができます。
人生は限られた時間との闘いです。
限られた時間の中でどれだけ先へと進むことができるのか?それが重要なのです。
あなたは自らの心持ちを確認しましょう。
真剣に向き合わなければ道に対して失礼です。
真剣に向き合わなければ失敗します。
あなたは自らが真剣に向き合うことのできる道を探しましょう。
嫌嫌ながら進むべき道など存在しないということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年5月8日水曜日

発芽

あなたは自らが一粒の種子であるということを理解しなければなりません。
あなたは人生という大地に蒔かれた植物の種子のような存在です。
あなたは自らを包む殻を破り、人生という大地に根を伸ばし、枝を伸ばして葉を茂らせ、花を咲かせて実を結ばなければならないのです。
そして、新たな種子を人生という大地に蒔かなければならないのです。
あなたは人生により多くの豊かさを生み出さなければなりません。
より大きく育ち、より多く実らなければなりません。
あなたが人生を生きているのは、自分自身の幸福を実現するためです。
そして、自分以外の幸福を実現するためでもあるのです。
あなたは自分自身とそれ以外のための幸福を追求しなければなりません。
どのような人も、幸福を追い求めなければならないのです。
あなたは幸福をその手に掴まなければなりません。
あなたは如何なる理由があろうとも、幸福を手にしても良いのです。
あなたは幸福のために力を尽くさなければなりません。
どのような状況に対しても幸福を探しましょう。
種子が発芽するためには、それに適した条件が必要です。
種子を取り巻く環境や状況、そして、種子自体の準備ができていなければ、種子が発芽することはないということを知らなければならないでしょう。
条件が整うことがなければ、どのようなことがあろうとも種子が発芽することはありません。
種子が発芽するためには、適切な温度、必要な水分、陽の光が必要です。
それらの条件を満たさなければ、どのような種子も発芽することはできません。
種子が発芽するということは、生きるということです。
それは自分自身を確立する闘いでもあります。
厳しい命の競争の中に、多くの豊かさを生み出すレースでもあるのです。
条件を満たし続けなければその命を保つことはできません。
適切な温度、必要な水分、陽の光などの条件が不足(もしくは超過)してしまえば、植物はその命を保つことはできないのです。
大切なのは、命を繋ぐために必要な条件、大きく育ち、多くの実を結び、豊かさを得るために必要な条件を満たし続けることです。
植物にとっての必要は気候です。
それでは人にとっての必要とは何でしょう?
人にとって必要なのは心境です。
その心が必要な条件に満たされていることが求められるのです。
あなたは、その心が春の気候のように暖かくなければなりません。
その心が多くの喜びで潤い、希望を以て輝いておかなければならないのです。
自分自身やそれ以外の存在に対する思いやり。
目の前の状況に対する喜び。
将来に対する希望、夢、目標、目的。
あなたは多くの喜びを抱えていなければならないのです。
それが、あなたの中に眠る自分自身という存在を揺り起こし、人生という大地に根差した人に育てます。
自分自身を揺り起こした人は大地に根を張り、空に枝葉を伸ばし、幹を太らせ、多くの花と果実を実らせ、世界に多くの豊かさを供給するでしょう。
あなたは世界に対して貢献しなければなりません。
あなたの存在が自分自身や自分以外の存在の助けにならなければならないのです。
あなたは自分自身という存在です。
そのことを忘れてはなりません。
その心を思いやりの満る暖かい場所に保ち、喜びという水をやり、希望という光を当てなければならないのです。
人は種子とは違って、すべての人が自分自身という自己を実現することができます。
しかしながら、その種を蒔く場所と時期は自分自身で判断しなければなりませんし、その後も手入れをして育てなければならないのです。
自分自身を育てないのは人の業です。
それは怠慢に他なりません。
どのような理由があろうとも、あなたが幸福を手にするためには、自分自身という存在を実現する必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生は決して気楽な場所ではありません。
必要なものが勝手に天から降ってくるというようなことはありません。
あなたは必要を求め、それを自らの手によって掴まなければならないのです。
あなたは人生という大地に大きく育ち、多くの豊かさを導きましょう。
あなたは「あなた」でしかありません。
他の誰でもないのです。
自己の追求のために生きれば良いということを覚えておきましょう。

2013年5月7日火曜日

祝福する人

あなたは祝福する人にならなければなりません。
あなたは素直に祝福することができなければならないのです。
どのようなことも、祝福に値します。
人生に存在するすべての事象が幸福に満たされており、それは祝福されるべきものであるのです。
人生には必要が満ちています。
人生に不要などというものはありません。
どのようなことも必要性があって、そこに存在しているのです。
あなたはそのことを忘れてはならないでしょう。
人生が思い通りに進むことはありません。
人生はことあるごとにあなたに問題を投げ掛けます。
あなたはその問題を抱えて悩み、苦しまなければならないのです。
どのような人物であっても、必ず何らかの問題を抱え、それに苦悩するのです。
問題の無い人生などは存在しません。
悩みや苦しみの存在しない人生などないのです。
人生には問題があって当たり前です。
多くのことに思い悩み、苦しみを感じることは自然なことなのです。
あなたは人生が都合の良い場所ではないことを理解しなければならないのです。
理不尽に思えることも人生です。
それが当たり前だと知らなければなりません。
問題や悩みや苦しみを抱えても、それを否定した状態では幸福を得ることはできません。
どのような人物のどのような人生も、問題や悩みや苦しみなどの不幸を受け入れることがなければ、人生が幸福になるということはないのです。
不幸を受け入れないままでは、幸福を手にすることはできません。
それは、不幸に思えることも大切な人生の一部であり、不幸が担う役割は非常に大きなものであるからなのです。
不幸に思えるものは、あなたに大切な学びを導きます。
問題や悩みや苦しみこそが、成長や向上や発展を導くということを知らなければならないのです。
理不尽に思えることを乗り越えることができなければ、豊かさや幸福を得ることはできないのです。
問題を問題とし、悩みを悩みに、そして、苦しみを苦しみとしているような状態では、人生の幸福を掴み取ることはできないということを覚えておかなければならないでしょう。
すべての状況が豊かさであり、それは紛れもなく豊かさに繋がっています。
どのような状況からも豊かさを見出し、幸福を得ることができる人物は幸いです。
それは、一方の人が苦しみを感じている時に、喜びを感じることができるからです。
あなたはどのような状況も、それを祝福する人にならなければなりません。
どのような状況も受け入れ、それを力に変える人にならなければならないのです。
失敗を成功に導く人は幸いです。
それは、失敗を失敗に繋げる人が多いからです。
多くの人は失敗が成功に繋がっていることを知りません。
そのため、失敗を恐れ、それをなるべく遠ざけようとしているのです。
しかしながら、失敗が存在しなければ、成功の方法を理解する手立ては見付かりません。
人は誰もが未熟であるために、失敗から学ぶ以外に成功を導く方法を知り得ないのです。
失敗を祝福する人は成功に辿り着くことができます。
失敗を敵視する人は、更なる失敗を得ることになるのです。
それがどのような問題であり、悩みであり、苦しみであっても、それを敵視してはなりません。
あなたが幸福を手にしたいと考えているのであれば、それらを祝福することができなければならないのです。
人生に無駄なものなど存在しません。
人生は必要によって満たされています。
それがどのように感じるものであっても、それを祝福しなければならないのです。
人生を受け入れる人は豊かさを受け入れる人です。
人生を受け入れない人は豊かさを受け入れない人です。
人生を豊かなもの、幸福なものにするためには、それがどのような状況であろうとも受け入れなければなりません。
一つ一つの積み重ねが、大きな成果を導きます。
それがどのような形をしている部品であれ、欠けているのであれば全体が稼動することはないのです。
あなたは人生のどのような状況も大事な部品であることを理解し、それを磨いて組み立てるようにしましょう。
気に入らない形だからと磨かずにいれば、いずれその部品が意味を成す時になって後悔します。
あなたがどのように考えようとも、人生に無駄は存在しません。
あなたはどのような状況も祝福する人にならなければなりません。
人生におけるすべてを祝福しましょう。

2013年5月6日月曜日

失うことのない財産

あなたは必要以上を受け取る必要はありません。
あなたが受け取るべきは必要のみです。
必要以上は不要であるということを知らなければなりません。
必要というのは、あなたの働きに等しい報酬のことです。
あなたが受け取るべきものは、自らの働きに等しい報酬のみです。
働きよりも多くの報酬を欲することは、自らに負担を強いることであるということを覚えておかなければならないでしょう。
すべては原因と結果の法則によって支配されています。
どのような人物も、原因と結果の法則を無視することはできません。
あなたの所有する原因が、それに等しい結果を導くのです。
あなたが受け取るものは、次の原因となり、次の結果を導きます。
それがどのような原因によって導かれた結果であっても、あなたはそれを必ず受け取らなければならず、決して拒絶することはできません。
それは、あなたが受け取ったものに対して原因は発生し、それに対する必要な結果を得るのです。
あなたが何かを求め、その報酬を受け取れば、それに等しい代償が架せられます。
その結果は更なる原因となり、新たな結果が導かれるのです。
どのような報酬にも、必ず代償が必要となります。
言わば、報酬というものは結果であり、代償というのは原因なのです。
代償によって報酬が導かれます。
あなたが支払う代償によって、必要な報酬が得られるのです。
支払う代償が報酬を上回ることはありません。(ただし、代償と報酬の比率は違います。代償よりも報酬の方が大きな比率を持っているのが自然です。3割の代償で7割の報酬を得るようにです)
支払う代償に見合った報酬が与えられるのです。
しかしながら、人は代償に見合った報酬では満足することができません。
自らが支払った代償よりも、(比率的に)大きな報酬を期待しているのです。
それは、人の深い欲がそうさせるのです。
多くの人は、自らの支払った代償よりも多くの報酬が受け取れるものだと考えています。
人生に得を得ることを考え、支払う代償を少なく、受け取る報酬を大きくしようと努めるのです。
それは決して間違ったことではありません。
小さな力で大きなものを動かすこと(効率化)は大切なことです。
しかしながら、受け取る報酬には支払うべき代償が伴っているということは決して忘れてはならないことなのです。
強欲によって自らの支払うことができない代償に等しい報酬を得たところで、待っているのは破滅だけです。
借金を抱えても、それを返済することができなければ、その先はどのような苦しみが待っているのかは容易に想像することができるでしょう。
あなたが扱っているのはお金や物資などの目に見える財産だけではありません。
あなたは目には見えない財産も扱っているのです。
それは、あなたの心かもしれません。
あなたの信用(絆)かもしれません。
あなたの幸福かもしれません。
あなたの安心かもしれません。
あなたの命なのかもしれないのです。
あなたは目には見えない財産を抱えているのです。
あなたが人生に対して支払う代償というのは、お金や物資などの目に見える財産に加えて、心や命などの目には見えない財産であるのです。
あなたはそのことを忘れてはならないでしょう。
目に見えるものだけが取引の材料などではありません。
目に見えるものだけで損得を考えていてはならないのです。
目に見えるものだけが大切ではないのです。
人にとっては、目に見えないものの方が重要であるということを理解しなければならないでしょう。
お金や物資などの目に見えるものは、残念ながら大した価値はありません。
それは、あなたの所有物ではないからです。
あなたの所有物は、あなたが何も持たない時にも失わないもののことです。
目に見える財産は、いつかはあなたの元を去ります。
本当にあなたを救うのは、決して失うことの無い財産であるのです。
あなたには何が大切なのか理解することができたでしょうか?
必要以上の報酬を受け取ることも構いませんが、そこには必要な責任が生じ、それはどのような理由があっても必ず果たさなければならないということを知らなければなりません。
あなたが求めるそれ(報酬)が本当に必要であるのか?を考えましょう。
あなたの働きに見合った報酬であるのかを考えましょう。
収入よりも多くの支出は身を滅ぼすということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年5月5日日曜日

美の追求

あなたは美しさを追求しなければなりません。
美を意識して生きなければならないのです。
美しくあることが大切であるということを忘れてはなりません。
それは、美しくあることがそれだけで大きな価値であるからです。
美しさとは、簡単に手に入るものではありません。
手間暇をかけた丁寧な仕事が成されなければ、それを成立させることはできないのです。
美しさとは、それに裏打ちされた丁寧な仕事の結果であるということを理解しなければならないでしょう。
美しさは洗練の結果です。
物事の洗練の先にこそ、美は輝くのです。
物事を洗練させることが美しさを導くということを理解しなければならないでしょう。
あなたは必要な美しさを得なければなりません。
それを生み出さなければならないのです。
丁寧な仕事が求められます。
どのような仕事にも丁寧さを忘れず、時間と労力を惜しみなく注がなければ、美しさを導くことはできないのです。
適当な仕事をしていてはなりません。
あなたの仕事は常に評価されているということを忘れてはならないでしょう。
あなたは仕事(選択と行動)によって、世界に何かを生み出します。
それは、良いものでなければなりません。
良いものを生み出し、それが世界に貢献する必要があるのです。
良いものは決まって美しさをまとっています。
それは、良いものが皆洗練された良い仕事によって生み出されたものだからです。
世界に生み出さなければならないものは、美しいものでなければならないということを忘れてはなりません。
あなたはより洗練された仕事をしなければならないということを忘れてはならないのです。
あなたは自らの道の追求に手を抜いてはなりません。
それがどのような仕事であろうとも、丁寧な仕事をすることを心掛けておかなければなりません。
熱意を持って仕事に向き合わなければなりません。
仕事を洗練し、より良いものを生み出すためには、それだけの力が必要であるということを理解しなければならないのです。
半端な覚悟では美しさには辿り着くことができません。
自分自身を磨くことを忘れる者にはできないでしょう。
どのような状況の中にも成長や向上のための学びを探し、それによって自身を磨き高めなければならないのです。
向上心の無い者には、美しさに対する概念もありません。
向上心を持っている者には、自然とその概念も備わります。
どのように仕事をしても、美しくなければ価値がありません。
どれだけの時間と労力をかけても、美しさを生み出すことができなければ評価には値しないのです。
美を意識して仕事をしなければならないでしょう。
自分自身の生き方や仕事が美しくあることが、どれだけ重要であるのかを理解する必要があるのです。
あなたは自分自身の心と仕事を磨かなければなりません。
如何なる理由があろうとも、成長と向上に対して手を抜いてはなりません。
意識が人を変えます。
どれだけの時間と労力を使っても、意識することがなければ必要な結果を得ることはできないのです。
もちろん、意識しただけで必要な結果を得られるほど簡単なものでもありません。
美に辿り着くことは簡単ではないということです。
あなたはただ仕事をしてはなりません。
ただ日常を過ごしてはなりません。
その仕事や生き方が意味を以て世界に貢献することを実現させなければならないのです。
粗悪な考え方から粗悪な仕事が生み出されます。
あなたは自らの考え方に注意しなければなりません。
美しい考え方からは、美しい仕事が生み出されるでしょう。
あなたはどのような考え方で生きているでしょう?
あなたがその心や思考に抱えているものは美しいですか?
美しい自分から、美しさが導かれるということを忘れてはなりません。
あなたは美を追求しなければなりません。
もちろん、それは表面的な美しさなどではありません。
真から美しい仕事をして、真から美しいものを生み出さなければなりません。
美しさこそが人生を豊かなものにするということを忘れてはならないでしょう。

2013年5月4日土曜日

甘い実と苦い実

どのような罪も決して許されることはありません。
どのような罪に対しても必要な罰が与えられ、どのような理由があろうともあなたはそれを受け入れなければならないのです。
自らの犯した罪によって生じる罰から逃れることのできる人など存在しません。
どのような人物も、その責めを負わなければならないのです。
人生は責任によって成り立っています。
どのような理由があっても、自らの責任を果たさなければならないのです。
あなたは自らの罪が導く罰から逃れることができないということを理解しましょう。
どのような方法を用いようとも、それを回避することはできないのです。
責任は必ず果たさなければなりません。
どのような罪も消えることはなく、どのような罰からも逃れることができないとうことを知らなければならないでしょう。
あなたは「正しい人」でなければなりません。
罪を犯せば、どのような理由があってもその責任を負います。
その責任を果たすことが、人生の均等を導き、バランスを取っているのです。
損得でものを考える人がいます。
大抵の人が損得によって物事を考え、判断しているのです。
できる限り損をしないように、そして、できる限り得をするようにと考えているのです。
あなたが損をすることなく得を受け取るためには、自らにとって何が損であり、何が得であるのかを知らなければならないでしょう。
損と得がどのように導かれているのかも知らずに、それらを自由に得ることはできないのです。
損得の判断もできずに、理想を実現することはできません。
あなたにとって得をするということは、理想の実現に近付くということです。
それは自らの抱える理想の実現こそが人生の豊かさであり、幸福であるからです。
自分自身(の理想)を実現することこそが人生の成功なのです。
あなたが豊かで幸福な人生を生きるためには、理想の実現が欠かせません。
理想を実現させるためには、人生(の法則)に逆らうことはできません。
状況や環境や自分以外の存在、人生に逆らうという方法では、どのような理想も実現することがないということを知らなければならないでしょう。
あなたは何事にも逆らってはなりません。
否定や拒絶を持たず、怒りや争いに心を奪われてはなりません。
何事に対しても常に「正しい人」でなければならないのです。
「正しい人」というのは、誠実な人を指します。
嘘や偽り、裏切りや怒りを抱えている人が、「正しい人」であるとは言えません。
どのような状況に対しても誠実な自分であるということを努めなければなりません。
損得のために嘘や争いを用いる人がいます。
それは、不実な方法によって損を遠ざけ、得を得ようとする考えに等しいのです。
どのような理由があろうとも、不実な方法で実を結んだものは、あなたにとって苦いものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生の果実を美味しく食べるためには、誠実な方法によってそれを実らせなければならないということなのです。
誠実な方法では損をすると考える人がいます。
誠実な方法によって損をすることがあったとしても、しかしながら、それは一時的な損でしかありません。
長い目で見ると、誠実な方法を用いた場合の方が得をすることができるということを知らなければなりません。
どれだけ多くの実が結んでも、それが苦く、食べることができなければ損です。
少ない実であっても、それが甘く美味しい方が得であるのです。
実が結んだということだけで喜んではなりません。
どのような実が結んだのか?ということを確認し、それが甘く、美味しく食べるに値していることに喜ばなければならないのです。
苦い実を多く食べなければならないのは辛いことです。
あなたは甘い実を食べるために、誠実な生き方をしなければなりません。
一粒の甘い実を食べれば、それを多く得ることが快感となるでしょう。
一度甘い実を食べれば、もう苦い実を食べたいとは思わないでしょう。
あなたの行いは確実に実を結びます。
罰を受けずに許される罪はありません。
あなたは自らの育てた実を必ずその口に運び、飲み込まなければならないのです。
あなたはどのような実を食べたいですか?
人生に受け取る状況は、あなたの生き方によって決まります。
何が損に結び付き、何が得を生み出すのかを知ることが重要であるということを知らなければならないでしょう。
得を得るためには誠実に生きなければなりません。
人道(思いやり)に反しているのであれば、甘い実は結ばないということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年5月3日金曜日

楽しい人生

人生に必要なものは「楽しみ」です。
あなたは人生を楽しむことを忘れてはなりません。
楽しむことを忘れてしまえば、人生は虚(うつ)ろなものになってしまうでしょう。
どのような人生も楽しくなければなりません。
楽しく生きなければならないのです。
あなたは人生を楽しむことを忘れてはならないのです。
どのような状況にも、楽しむことを犠牲にしてはなりません。
楽しむことよりも価値のあるものなどないということを知りましょう。
楽しむことは何よりも大切であるということを理解しなければならないのです。
人生は苦行などではありません。
辛抱に辛抱を重ねる必要などないのです。
好きでもないこと、嫌なこと、苦しいことを継続する必要などないのです。
人は世界に貢献しなければなりません。
誰かや何かの役に立たなければならないのです。
それ以外の方法によって人生を豊かな場所にすることはできないのです。
あなたが役に立つためには、それに見合った実力を持っていなければなりません。
必要な実力がなければ、役に立てないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自らの力を最大限に発揮する必要があります。
そうしなければ、誰かや何かに対して貢献することは叶わないのです。
あなたが実力を発揮するためには、物事を仕方なくこなしているようではなりません。
好きでもないこと、嫌いなこと、苦しいことを辛抱して継続したとしても、実力を発揮することなどできないのです。
あなたが実力を発揮するためには、総力を以て事に当たらなければならないのです。
あなたには様々な力が存在(潜在)しています。
それらの力を十分に引き出すことができなければ、実力を発揮して誰かや何かに貢献することはできないのです。
力を引き出すためには、自分自身の状態が重要であるということを知らなければなりません。
その心(思考、感情)が建設的な状態でなければ、総力を以て事に当たることなどできないのです。
あなたが実力を発揮するためには、楽しい気分が必要です。
楽しい気分を得るためには、環境と状況と心境の充実が欠かせないのです。
あなたは環境と状況と心境の充実を図らなければなりません。
あなたが楽しめる環境、状況、心境を整えなければならないのです。
楽しい気分があなたの扱うことのできる力を左右します。
その環境、状況、心境が楽しいものであるのならば、力は十分に使うことができるでしょう。
しかしながら、楽しくもない環境や状況や心境であるのならば、使える力はほんの少しのものにとどまるということを忘れてはならないでしょう。
人は外の世界に影響を受けています。
少なからず、自分以外の存在によって左右されていることがあるのです。
あなたが抱える環境や状況があなたの心境を(ある程度)左右します。
環境や状況があなたを決定する訳ではありませんが、あなたの選択の要因の一部になっているということがあるのです。
あなたの選択が心境を決定し、それがやがて人生を築くのです。
あなたの選択がより豊かなものになるように、より楽しい気分によって生きなければならないのです。
より楽しい環境や状況や心境を目指しましょう。
無理をしてはなりません。
自分自身の本心を誤摩化して無理をしても疲れるだけです。
疲れるだけだったら構いませんが、耐え切れずに心が壊れてしまあうこともあるのです。
限界を超えて動くことができても、壊れてしまうのであれば意味がないのです。
限界を超えて動くことはできなくても、長く動くことができれば必要を満たすことは十分に可能なのです。
あなたは無理をしてはなりません。
楽しみを犠牲にするようなやり方は間違っています。
楽しくなければなりません。
進み具合がそれほど早くはなくても、辿り着けるのです。
人生に焦って走る必要はありません。
それが楽しいことであるのならば、歩いていても必要な結果に辿り着くことができるのです。
人生に生き急ぐ必要はないのです。
自分のペースで人生を進め、それを楽しみましょう。
楽しく生きることができなければ、人生は虚ろなものになるということを忘れてはならないでしょう。

2013年5月2日木曜日

余計なもの

大切なのは問題を未然に防ぐことです。
問題を問題としないことが求められるのです。
あなたが受け取るものに無駄なものはありませんが、どのようなものも必要よりも多くを受け取る必要などないのです。
「余計なもの」をわざわざ受け取る必要はないのです。
人生は必要によって満たされていますが、その必要には適量というものがあるのです。
必要な量を超えてしまったものは過剰であり、多過ぎるものは破滅を招くということを覚えておかなければならないでしょう。
どのようなものをどれだけ受け取るのか?それはあなたが決めることができます。
それは、すべては原因によって導かれる結果であるからです。
あなたは受け取る状況に対して初めは驚くこともあるでしょう。
しかしながら、それに対応することによって、どれだけの量を受け取るのかを決めることができるのです。
人生は自分自身の選択によって築くことができます。
あなたが何を求めるのか?によって、何が得られるのかが決まるのです。
人生が自分の思い通りにならないなどと考えてはなりません。
あなたがそうとは思わなくても、人生は自分の思いのままに形作られていくのです。
あなたがそこにいるのは、あなたがそこにとどまったからに他なりません。
あなたがそれを手にしているのは、あなたがそれに手を伸ばしたからです。
あなたがそれを手にしていないのは、あなたがそれに手を伸ばさなかったからなのです。
それ以上でも、それ以下でもありません。
あなたがどのように思っていようとも、自分自身の原因の生み出した結果が現状であるということを理解しなければならないのです。
あなたはその事実を受け入れなければなりません。
それを受け入れることができなければ、あなたの人生は理想に対して更にかけ離れてしまうということを知らなければならないのです。
人生(現状)の成り立ちを理解することができなければ、どのように足掻いたとしても、自身の掲げる理想を手にすることはできないのです。
あなたの人生、目の前の現状がどのようなものであろうとも、それは自分自身によって築かれた「完全な形」であるということを理解しましょう。
人生はあなたの意思によって築かれるのです。
そこに例外はありません。
どのような状況も、自らの意思が反映されているということを忘れてはならないのです。
あなたが受け取るものは、自分自身の原因です。
あなたがそのように選択したことによって、それを受け取ったのです。
人生は自分自身の意思選択によって自由に形を変えることができます。
あなたは人生が自分自身の心の中で既に始まっているということを知らなければならないのです。
問題は常に自分自身の中に存在しているのです。
それを改善することなく、状況に現れる問題が消滅することなどないのです。
状況に問題が発生すれば、自分自身に対して原因を探し、その問題を改善するように努めなければなりません。
状況に何らかの問題が発生しているにも関わらず、自分自身を改善しようとしないのは怠慢です。
必要な働きをすることができなければ、状況はそれを問題として抱えてしまいます。
目の前の問題を解決するために働き、次の問題を発生させないように努めなければならないのです。
問題の原因を改善することがなければ、問題は新たな問題を引き起こします。
問題の原因となるものを断たなければならないのです。
問題を生み出す原因といつまでも繋がっていてはなりません。
あなたにとって問題となるものならば、それがどのようなものであれ、それを手放さなければならないのです。
問題を抱えたまま幸福を得ることはできません。
問題を問題と認識する以上は、幸福を得られないのです。
問題と幸福は両立しません。
問題は問題として、幸福は幸福として独立しているのです。
あなたは問題を問題としないということの重要性に気が付かなければなりません。
問題に対して無頓着になるなと言っている訳ではありません。
抱えている問題に対しては危機感を持っていなければならないのです。
しかしながら、必要以上に大きなものとして問題を扱ったり、必要以上に無頓着であるということも避けなければならないのです。
それが問題であると正しく認識した上で、問題に苦悩しないということが求められるのです。
あなたが求めなければならないのは、問題を解決するための力ではありません。
あなたが本当に求めなければならないのは、問題を問題にしない力であるのです。
問題が問題になれば未熟です。
必要以上の問題は必要ないのです。
問題が問題とならないことが求められます。
あなたは問題が問題とならないように努めましょう。
小さく考えてはなりません。
余計なものは抱え込まないように注意しましょう。

2013年5月1日水曜日

ルール

あなたは強さを求めなければなりません。
強さを求め、強くなることが求められます。
それは、あなたの大切な人やものを守るためです。
強くなければ大切な人やものは守れないのです。
あなたが命を育んでいる人生は、自然界の一部であるということを忘れてはなりません。
あなたは自然界に生きる一つの小さな存在に他なりません。
あなたは自然の法の中に生きているのです。
あなたは自らが自然の一部であるということを忘れてはならないでしょう。
あなたが従わなければならないルールはたくさんあります。
それは人間社会の法律に始まり、地域、職場、家庭、対人、自分自身・・・など、様々なルールの中に生きているのです。
そのルールを守れば豊かさが得られ、それを乱せば大切なものを失ってしまいます。
それがどのようなルールであっても、それを守ることは大切なことなのです。
あなたは決められたルールを守らなければなりません。
世界は常に向上を求めています。
それはどのようなルールにも該当します。
どのような世界のどのようなルールも常に向上を求めて改善されていくのです。
ルールはその世界をより良くするために定められた全体に共通する決まり事です。
どのようなルールにも何らかの理由が存在しているのです。
それがルールであるのならば、あなたはそれを守らなければなりません。
そのルールが未熟であると感じるのであれば、ルールを改善しなければならないのです。
どのような理由があろうとも、ルールはあなたよりも大きな権限を持っているということを忘れてはなりません。
それがどのようなルールであり、あなたがそれをどのように感じようとも、それがルールであるのならば従いましょう。
ルールは全体の決め事であり、それに個人が上回ることはできません。
ルールこそがあなたに豊かさを導くということを忘れてはなりません。
あなたは様々なルールに従っていますが、その中でも大切にしなければならないのは自然界のルールでしょう。
それは命を持つあなたにとって、最も大きなルールであるということを理解しましょう。
自然界のルールを乱して、豊かさを得ることはできません。
自然界のルールはその他のすべてのルールの基礎となっているということを理解しなければなりません。
それは最も大きなルールであるため、どのような小さなルールの中にも基礎として潜在しているのです。
大きなルールが小さなルールの中には潜在しています。
それは、自然界のルールが「大は小を兼ねる」ということだからです。
強いものが生き残るのは自然の成り行きです。
力の及ばないものは淘汰(とうた)されるのです。
自然界で生き残るためには、強さが必要なのです。
あなたが人生を豊かなものにするためには、大切なものを守らなければなりません。
大切なものを守るためには力が必要です。
大きく力のある者が大切なものを守るのです。
人が決めたルールは大切ですが、その中には自然界が定めたルールが潜在しているということを知らなければならないでしょう。
あなたは最も大きな自然界のルールを無視することはできません。
人が決めたルールをどれだけまじめに守ったとしても、その中に潜在している自然界のルールを守ることができなければ、必要な豊かさを得ることができないのです。
あなたは自然界のルールに従って生きなければなりません。
力を持つ者、強い者が生き残るのは自然界の原則(ルール)です。
あなたは強くならなければなりませんが、本当の強さが何であるのか?ということを理解しなければならないでしょう。
本当の強さとは、自分を守ることではありません。
自分のことを守り、それに加えて他人をも守ることができることこそが強さなのです。
あなたが強さを求めているのであれば、自分のことを守るだけではなりません。
他人のことをも守ることのできる力を得なければならないのです。
強さが正義です。
大は小を兼ねるのです。
自分のことだけを気にかける小さな思考を持ってはなりません。
自分以外の人のことも考えられるような大きな思考を持たなければならないのです。
本当の強さとは、大切なものを守ることができる力のことです。
大切な仲間を守ることができる力こそ、強さであると認識しなければなりません。
本当の強さとは何か?
考えなければならないでしょう。