人は経験と共に、その生き方を洗練させることができます。
経験を重ねる程に選択は本質に迫り、その生き方は豊かさを導くようになるのです。
人生を豊かなものにするためには、多くの経験を積み、その生き方を洗練する必要があるのです。
選択と行動が洗練され、その生き方が本質に迫れば、必要な目的、利益、状況を手にすることができるでしょう。
しかしながら、洗練されていない未熟な生き方では、必要な目的、利益、状況を手にすることはできないのです。
あなたは自らの生き方を洗練するように努めなければなりません。
より多くの経験を積み、自らを成長させなければならないのです。
物事の洗練とは、単純、複雑、単純という流れ(工程)によって導かれます。
未熟な生き方は物事を単純に考えます。
言い方を変えれば、複雑には考えられないということです。
未熟な生き方は単純な選択と行動を選びます。
少し成長すれば、ただ単純な選択と行動では満足することができません。
得られた知識や経験を元に、より複雑な選択と行動を実現します。
それはより高度な生き方であるでしょう。
大きく成長すれば、自らにとって無駄も見えてきます。
余計に持っていること、持ち過ぎていることを自覚するために、今まで積み上げて来たものの中から、不要だと思うものを手放し、複雑な選択や行動を今度は単純にしていくのです。
しかしながら、それは未熟な元の単純に戻るということではありません。
複雑を理解した上での、より洗練された状態の単純に辿り着くのです。
未熟な者は多くのものを求めます。
多くのものを欲し、掴むのです。
しかしながら、経験によってそれが重荷となることが分かると、必要なものだけを残して、それ以外のものは手放すようになるのです。
不要なものを手放した後に始めて、人は本当に大切なものが見えてくるのです。
樹木は枝葉を伸ばします。
初めは大きな枝(幹)となるように少ない数を縦に直線的に伸ばします。
そして、縦に直線的に伸ばした大きな枝から、複数の小さな枝を横に伸ばします。
横に伸びた枝はより多くの日光を集めるのに適しています。
横に伸びた枝は樹形を複雑なものにするのです。
しかしながら、複雑にした枝も、互いが干渉すれば効率的ではありません。
多くの枝葉を抱えていて少ないエネルギーを得るよりも、少ない枝葉で大きなエネルギーを得る方が良いのです。
そのため、干渉する枝葉を枯らせます。
そして、より多く日光を得ることができる場所に枝葉を伸ばすのです。
その行程が美しい大樹を育てるのです。
無駄のない姿ほど美しいものはありません。
洗練された生き方は美しいものなのです。
人は樹木に似ています。
経験の浅い時には考えもなく直線的に生きます。
経験を積んで少し成長すれば、縦だけではなく横にも複雑に選択肢が存在することを知ります。
更に成長すれば、不要なものが見えてきて、それを手放します。
そして、自分自身にとって本当に必要な生き方がそこに残るようになるのです。
あなたは経験の必要性を理解しなければなりません。
どのような経験も、自分自身の生き方を洗練するための材料であるということを理解しなければなりません。
経験が浅い時には見えないことも、経験を積めば見えてくることもあります。
逆に経験を積めば見えない(見なくても良い)こともあるのです。
すべての経験があなたの生き方の知恵へと繋がっています。
経験を重ねる度に知恵が増すのです。
経験を積むことと、時間を過ごすことは違います。
ただ時間を過ごすだけでは経験を手にすることはできません。
経験を手にするためには、経験を得ようとする心掛けが必要なのです。
経験を積むということは、挑戦するということです。
未知なものにこそ経験が存在しているのです。
同じことの繰り返しが経験にはなりません。
例えそれが同じ作業であったとしても、違う見方によってそれに触れることができれば、必要な経験を得ることができるでしょう。
自らの成長のために生きるのであれば、あなたは必要な経験を手にすることが許され、その生き方は洗練されます。
経験を重ねましょう。
人生は常に学びであるということを忘れてはならないでしょう。
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