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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年5月4日土曜日

甘い実と苦い実

どのような罪も決して許されることはありません。
どのような罪に対しても必要な罰が与えられ、どのような理由があろうともあなたはそれを受け入れなければならないのです。
自らの犯した罪によって生じる罰から逃れることのできる人など存在しません。
どのような人物も、その責めを負わなければならないのです。
人生は責任によって成り立っています。
どのような理由があっても、自らの責任を果たさなければならないのです。
あなたは自らの罪が導く罰から逃れることができないということを理解しましょう。
どのような方法を用いようとも、それを回避することはできないのです。
責任は必ず果たさなければなりません。
どのような罪も消えることはなく、どのような罰からも逃れることができないとうことを知らなければならないでしょう。
あなたは「正しい人」でなければなりません。
罪を犯せば、どのような理由があってもその責任を負います。
その責任を果たすことが、人生の均等を導き、バランスを取っているのです。
損得でものを考える人がいます。
大抵の人が損得によって物事を考え、判断しているのです。
できる限り損をしないように、そして、できる限り得をするようにと考えているのです。
あなたが損をすることなく得を受け取るためには、自らにとって何が損であり、何が得であるのかを知らなければならないでしょう。
損と得がどのように導かれているのかも知らずに、それらを自由に得ることはできないのです。
損得の判断もできずに、理想を実現することはできません。
あなたにとって得をするということは、理想の実現に近付くということです。
それは自らの抱える理想の実現こそが人生の豊かさであり、幸福であるからです。
自分自身(の理想)を実現することこそが人生の成功なのです。
あなたが豊かで幸福な人生を生きるためには、理想の実現が欠かせません。
理想を実現させるためには、人生(の法則)に逆らうことはできません。
状況や環境や自分以外の存在、人生に逆らうという方法では、どのような理想も実現することがないということを知らなければならないでしょう。
あなたは何事にも逆らってはなりません。
否定や拒絶を持たず、怒りや争いに心を奪われてはなりません。
何事に対しても常に「正しい人」でなければならないのです。
「正しい人」というのは、誠実な人を指します。
嘘や偽り、裏切りや怒りを抱えている人が、「正しい人」であるとは言えません。
どのような状況に対しても誠実な自分であるということを努めなければなりません。
損得のために嘘や争いを用いる人がいます。
それは、不実な方法によって損を遠ざけ、得を得ようとする考えに等しいのです。
どのような理由があろうとも、不実な方法で実を結んだものは、あなたにとって苦いものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生の果実を美味しく食べるためには、誠実な方法によってそれを実らせなければならないということなのです。
誠実な方法では損をすると考える人がいます。
誠実な方法によって損をすることがあったとしても、しかしながら、それは一時的な損でしかありません。
長い目で見ると、誠実な方法を用いた場合の方が得をすることができるということを知らなければなりません。
どれだけ多くの実が結んでも、それが苦く、食べることができなければ損です。
少ない実であっても、それが甘く美味しい方が得であるのです。
実が結んだということだけで喜んではなりません。
どのような実が結んだのか?ということを確認し、それが甘く、美味しく食べるに値していることに喜ばなければならないのです。
苦い実を多く食べなければならないのは辛いことです。
あなたは甘い実を食べるために、誠実な生き方をしなければなりません。
一粒の甘い実を食べれば、それを多く得ることが快感となるでしょう。
一度甘い実を食べれば、もう苦い実を食べたいとは思わないでしょう。
あなたの行いは確実に実を結びます。
罰を受けずに許される罪はありません。
あなたは自らの育てた実を必ずその口に運び、飲み込まなければならないのです。
あなたはどのような実を食べたいですか?
人生に受け取る状況は、あなたの生き方によって決まります。
何が損に結び付き、何が得を生み出すのかを知ることが重要であるということを知らなければならないでしょう。
得を得るためには誠実に生きなければなりません。
人道(思いやり)に反しているのであれば、甘い実は結ばないということを覚えておかなければならないでしょう。

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