人の意思は常に変化を求めています。
あなたが望んだとしても、望まないとしても、あなたの意思は常に変化しているのです。
あなたは常に変化にさらされています。
それは、自分自身を守り保つための本能であると言えるのです。
あなたは常に自分以外の存在に干渉され、その影響を受けなければなりません。
その影響を拒絶することはできません。
どのような心も世界に開かれ、心はあらゆる変化にさらされるからです。
心は、意思は、あなたの考えに捕われることなく変化を楽しみます。
あなたは自らの心や意思が常に変化の中に存在しているということを知らなければならないのです。
自らの心や意思が変化の中に存在しているという事実を知ることがなければ、必要を満たすことなどできないということを覚えておかなければならないのです。
心や意思は常に変化しているものです。
それはとても不安定なものであるということを知らなければならないでしょう。
あなたは自らの心や意思が、常に変化にさらされ、変化を受け入れていることを知り、それを知った上で自らの在り方を決めなければならないのです。
あなたは自分以外の存在によって変化しています。
あなたは自らに触れる影響力を決めなければならないのです。
それはあなたが決めることができます。
あなたがどのような場所で、どのような人物と向き合い、どのような思いや言葉や行動に触れるのか?ということで決めることができるのです。
あなたは自分自身に触れる影響力を決めることができるのです。
あなたが触れるものに、あなたは成ります。
あなたが付き合う人物のように成るのは容易に想像することができるでしょう。
人は互いに影響し合い、自ずと似てくるのです。
相手の言動に注意しなければなりません。
それが優れていないと考えるのであれば、それ正す努力をしなければなりません。
その努力をすることなく、自らの在り方の責任を他人や環境に擦り付けてはならないのです。
あなたがそうなったのは、あなたが決めたことです。
あなたがそこにいて、そのような人と向き合って、そのような自分に成ったのです。
誰の責任でもありません。
あなたの責任なのです。
あなたは自分にとって素晴らしいと思える場所や人物、そして、その言動や心に触れましょう。
理想の自己を手に入れるためには、尊敬がそこに存在していなければならないのです。
あなたは尊敬することができなければなりません。
少しの尊敬でも、そこに在れば救いとなるでしょう。
しかしながら、尊敬が存在しなければあなたは救われません。
そこには苦しみが在るのです。
あなたは幸福を手にしなければなりません。
幸福を手に入れるためには、幸福な場所、幸福な人物、そして、その言動と心に触れなければなりません。
争いを好み、暴力によって存在している場所や人物には触れてはならないのです。
例えそれに触れたとしても、それに触れ続けていてはなりません。
変えるか、変わるか。
在るか、無いか。
ただ、それだけです。
何事に対しても無理をする必要などありません。
無理をしても必要な結果を得ることはできないからです。
無理をすれば、あなたが予想するよりも多くのものを失ってしまうでしょう。
心地の好い場所には無理は存在しません。
心地の好い人物にも同じです。
無理をするということは、そこに心地好さが存在しないということなのです。
あなたは無理をする場所や人物から何を得ようというのでしょう?
あなたは心地の好い影響を受けなければなりません。
あなたの意思は常に変化を求め、変化にさらされています。
あなたのいる場所と向き合う人物は、あなたが決めなければなりません。
それがあなたにとって心地好いと思うものでなければ、無理をして所有する必要などないのです。
孤独が悪いものなどではありません。
寧(むし)ろ、本当に必要なことは孤独の中に存在しているということを知らなければならないでしょう。
あなたは必要な変化を、必要な場所や人物から受け取りましょう。
ただし、すべてを最終的に決めるのは自分自身であるということを忘れてはなりません。
あなたが心地好い場所や人物を求めるように、他人もそれを求めています。
あなた自身も、そうでなければなりません。
尊敬に値する人でなければならないでしょう。
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