すべての存在は、因果の仕組みによって支配されます。
この世界において、因果の仕組みに逆らうことのできる存在はいません。
どのように抵抗しようとも、それは空しい努力であるということを知らなければならないのです。
因果の仕組みが導く結果からは、逃れられないのです。
あなたは受け入れる必要があります。
因果の仕組みによって受ける結果を変えることはできません。
あなたの受け取る結果は、過去において既に確定しているのです。
あなたは過去に遡(さかのぼ)ることはできません。
既に確定してある結果を変えることなどできるはずがないのです。
すべての抵抗が空しいものとなります。
結果を否定しても意味がないということを理解する必要があるのです。
因果の仕組みによって導かれた結果を受け入れましょう。
それを否定することはできません。
因果の仕組みによって導かれる結果を否定するのであれば、それは非常に個人的であり、利己的な願望に他ならないのです。
受け入れることができなければ、苦悩はその力を増します。
飢えによって口に合わなくても食す必要がある食物を、個人的であり、利己的な理由によって食すことがなければ、やがて腐ってしまいます。
しかし、それを食す以外には生きる道が無いとするのであれば、あなたの肉体の維持のためには嫌いな食物を摂る必要があるのです。
目の前に食物があるにもかかわらず、口に合わないという理由で餓死するのは愚かなことです。
その食物が口に合わないという個人的であり、利己的な理由であっては、命を放棄する理由にはならないのです。
口に合わないものであっても、それが腐る前に食す必要があるのです。
人生における状況は、魂の活力源です。
食物から肉体が力を受け取るように、魂はすべての状況から力を得ることができるのです。
その中には苦しい状況もあるのです。
しかし、それが苦しいからという個人的で、利己的な理由によって拒絶しているのであれば、魂は活力源を失い、やがては死を迎えてしまうのです。
それは、本当に否定すべき状況なのでしょうか?
あなたは個人的で、利己的な理由によってそれを否定してはいませんか?
受け入れることができなければ活力を得ることができません。
多くの人は嫌なことや苦しいことに対して有意性を見出すことができません。
しかし、本当にそうでしょうか?
苦悩には良いことがないのでしょうか?
あなたは客観的に考える必要があります。
口に合わない食物と餓死、あなたはどちらを取りますか?
詰まらない理由によって死を迎えて良いというのでしょうか?
すべての状況が因果の仕組みによって導かれたのです。
それを否定する権利があなたにあると思いますか?
人生は自分自身によって選択した結果なのです。
それを否定するのですか?
あなたがどのような結果を得るのかは、過去に自分自身で決めるのです。
結果を受ける時になって慌てたところで、その結果を変えることなどできないのです。
そのような結果しか導くことができなかったのだから、それ以上の結果を今更導くことなどできるはずがないのです。
ある意味、諦める必要があるのです。
諦めて受け入れることも大切なのです。
対抗は何の意味も成しません。
それは、事態を悪化させるだけであると気が付きましょう。
導かれる結果を変えることはできません。
どのような結果であろうとも、諦めて一旦それを受け取り、新たな原因の選択によって新たな結果を導く以外に最善の方法はないのです。
多くの人は受け入れることができず、それを否定しながらより良い結果を求めるために歪むのです。
目の前に存在する結果こそが、あなたの食することのできる唯一の食物であるのです。
その状況以外の結果を受けることはできません。
口に合わないことなど大した問題ではないのです。
あなたはそのことに気が付かなければならないのです。
一瞬の味覚を過ぎれば栄養となるのです。
それでも一瞬の味覚を重要視しますか?
詰まらない理由に生きてはなりません。