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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年2月28日土曜日

口に合わない食物と餓死

すべての存在は、因果の仕組みによって支配されます。
この世界において、因果の仕組みに逆らうことのできる存在はいません。
どのように抵抗しようとも、それは空しい努力であるということを知らなければならないのです。
因果の仕組みが導く結果からは、逃れられないのです。
あなたは受け入れる必要があります。
因果の仕組みによって受ける結果を変えることはできません。
あなたの受け取る結果は、過去において既に確定しているのです。
あなたは過去に遡(さかのぼ)ることはできません。
既に確定してある結果を変えることなどできるはずがないのです。
すべての抵抗が空しいものとなります。
結果を否定しても意味がないということを理解する必要があるのです。
因果の仕組みによって導かれた結果を受け入れましょう。
それを否定することはできません。
因果の仕組みによって導かれる結果を否定するのであれば、それは非常に個人的であり、利己的な願望に他ならないのです。
受け入れることができなければ、苦悩はその力を増します。
飢えによって口に合わなくても食す必要がある食物を、個人的であり、利己的な理由によって食すことがなければ、やがて腐ってしまいます。
しかし、それを食す以外には生きる道が無いとするのであれば、あなたの肉体の維持のためには嫌いな食物を摂る必要があるのです。
目の前に食物があるにもかかわらず、口に合わないという理由で餓死するのは愚かなことです。
その食物が口に合わないという個人的であり、利己的な理由であっては、命を放棄する理由にはならないのです。
口に合わないものであっても、それが腐る前に食す必要があるのです。
人生における状況は、魂の活力源です。
食物から肉体が力を受け取るように、魂はすべての状況から力を得ることができるのです。
その中には苦しい状況もあるのです。
しかし、それが苦しいからという個人的で、利己的な理由によって拒絶しているのであれば、魂は活力源を失い、やがては死を迎えてしまうのです。
それは、本当に否定すべき状況なのでしょうか?
あなたは個人的で、利己的な理由によってそれを否定してはいませんか?
受け入れることができなければ活力を得ることができません。
多くの人は嫌なことや苦しいことに対して有意性を見出すことができません。
しかし、本当にそうでしょうか?
苦悩には良いことがないのでしょうか?
あなたは客観的に考える必要があります。
口に合わない食物と餓死、あなたはどちらを取りますか?
詰まらない理由によって死を迎えて良いというのでしょうか?
すべての状況が因果の仕組みによって導かれたのです。
それを否定する権利があなたにあると思いますか?
人生は自分自身によって選択した結果なのです。
それを否定するのですか?
あなたがどのような結果を得るのかは、過去に自分自身で決めるのです。
結果を受ける時になって慌てたところで、その結果を変えることなどできないのです。
そのような結果しか導くことができなかったのだから、それ以上の結果を今更導くことなどできるはずがないのです。
ある意味、諦める必要があるのです。
諦めて受け入れることも大切なのです。
対抗は何の意味も成しません。
それは、事態を悪化させるだけであると気が付きましょう。
導かれる結果を変えることはできません。
どのような結果であろうとも、諦めて一旦それを受け取り、新たな原因の選択によって新たな結果を導く以外に最善の方法はないのです。
多くの人は受け入れることができず、それを否定しながらより良い結果を求めるために歪むのです。
目の前に存在する結果こそが、あなたの食することのできる唯一の食物であるのです。
その状況以外の結果を受けることはできません。
口に合わないことなど大した問題ではないのです。
あなたはそのことに気が付かなければならないのです。
一瞬の味覚を過ぎれば栄養となるのです。
それでも一瞬の味覚を重要視しますか?
詰まらない理由に生きてはなりません。

2015年2月27日金曜日

分岐点

あなたは自分の人生を選ぶことができます。
どのような人生に築くのかは、自分次第であるのです。
この世界には大きく分けて二つの選択肢が用意されています。
それは、善意と悪意の二つです。
人は善意によって導かれるか、悪意によって導かれるのかを決めることができるのです。
この選択肢を放棄することはできません。
言い方を変えれば、善意の道か悪意の道のどちからを選ばなければならないのです。
人は選ばなければなりません。
選択を放棄することはできません。
あなたは常に進んでいるのです。
生きているということは、進んでいるということだからです。
人は、善意の道にしろ、悪意の道にしろ、人生を進み続けています。
人は歩みを止めることはできません。
あなたは常に進み続けているのです。
この世界には善意の道と悪意の道が用意されています。
すべての人はどちらかの道を進む必要があります。
善意の心を以て善意の道を進む人がいます。
善意の心を以て悪意の道を進む人がいます。
悪意の心を以て善意の道を進む人がいます。
悪意の心を以て悪意の道を進む人がいるのです。
あなたは、心と人生に対して善意と悪意のどちらかを所有することができるのです。
善意の心を以て善意の道を進めば、喜びと調和によって豊かさと幸福に辿り着きます。
善意の心を以て悪意の道を進めば、無知によって愚かに苦悩し「気付き」を得ることができます。
悪意の心を以て善意の道を進めば、思い掛け無い結果に反省を得ることができます。
悪意の心を以て悪意の道を進めば、怒りと恐怖によって乏しさと苦しみに辿り着くでしょう。
あなたは自分で選ぶことができます。
どのように生きようとも、それはあなたの自由(責任)です。
どのような結果を得ようとも、それもあなたの自由なのです。
しかし、それによってどのように感じようとも、それもあなたの自由です。
しかし、人生は自分自身の都合だけで動いているのではありません。
全体としての意向が存在しているのです。
あなたは自分の人生を選ぶことができますが、個人的な感情によって選ぶだけでは足りないのです。
人生が何のために存在しているのかを考える必要があります。
それは、真実を知るということです。
世界の真実を知ることがなければ、人生の意味を理解することはできません。
あなたは真実を知らなければなりません。
そのためには、純粋な心が必要です。
心は世界を映します。
歪んだ心であれば、世界は歪みます。
大抵の人は心が歪んでいるために、歪んだ世界を真実だと思い込んでいます。
そのために、目の前の状況や人生の意味を理解することができないのです。
そのために、人生を苦しんでいるのです。
あなたは純粋な心を大切にしましょう。
純粋な心は善意によって構築されます。
善意を忘れた者には、純粋さは失われるのです。
善意の心で見れば、どの道が善意によるものかを見極めることができます。
善意の道を進まなければ、善意のある場所には辿り着くことができないのです。
この世界には善意と悪意が共存しています。
それ等には明確な性質の違いがあるものの、見た目では分かりません。
善意は悪意を偽装することもあり、悪意は善意を偽装するからです。
大切なのは本質であるのです。
それを見極める必要があるのです。
正しく見るためには、純粋な心が必要です。
どのような心によって、どのような道を選ぶのか?ということを大切にしましょう。

2015年2月26日木曜日

魂の段階

すべての存在は「魂の段階」というものを持っています。
魂は成長するために存在しています。
それは、未熟であるからです。
人の本質は魂です。
人は人生に成長を求めているのです。
成長するために生きています。
有意識下にはありませんが、人は様々な経験を通じて、自らの魂の成長の実現に励んでいるのです。
しかし、そのことには気が付いていません。
そのために、破滅的な生き方によって人生と心を蔑(ないがし)ろにするのです。
あなたは魂の成長のために存在しているということを理解しなければなりません。
そこには喜びがあります。
魂が成長する必要があることを知らず、何の志も無く怠惰(たいだ)に生きるのであれば、喜びというものを得ることはできないのです。
人は魂の成長のために生きています。
すべての経験を魂の成長に結び付けましょう。
すべての存在は「魂の段階」を所有しています。
それぞれに「魂の段階」は違います。
「魂の段階」とは、魂の成長を現しています。
人(存在)によって、魂の成長段階は違います。
それは、年齢とは関係ありません。
知識量とも関係ありません。
愛の大きさによる違いがあるのです。
愛の大きさこそが魂の成長です。
愛が大きいほど「魂の段階」としては進んでいるのです。
しかし、多くの人はその事実を知らないということを、あなたは心得ていなければなりません。
多くの人は知らないのです。
無知であるが故に理解することができません。
そのために、苦悩するのです。
あなたが優しい人だとしましょう。
目の前には傷付いた動物が倒れています。
あなたはそれをかわいそうだと思い、手当てを思い付きます。
そして、傷付いた動物に触れようと手を伸ばします。
その動物はどのような反応を示すでしょうか?
あなたの好意に対して、それを理解し、身を委(ゆだ)ねるでしょうか?
大抵の場合、動物はあなたを恐れて威嚇(いかく)します。
傷付いた身体で攻撃もするでしょう。
より恐怖が増せば逃げ出すのです。
あなたは好意によって手を差し伸べたのですが、傷付いた動物にはその気持ちを理解することはできません。
なぜでしょうか?
それは、意思の疎通が正しく行われないためです。
気持ちが通じないために、苦悩が生じるのです。
「魂の段階」と意思の疎通には大きな関係があります。
先進的な魂の意思を、成長途上の魂が理解することはできません。
常識という偏見によって洗脳されている者には、画期的な者の話を理解することができないのです。
歴史を振り返る必要があります。
以前のあなたには信じられなかったことが、今のあなたの当たり前になっているということは多々あることなのです。
あなたに理解することができないことであったとしても、それを知っている者がいるのです。
物事を深く考えることができない子どもには、大人の気持ちは伝わりません。
「魂の段階」として途上な者にとっては、進んでいる者の言葉を理解することは難しいのです。
そのために、小さな価値観によって否定するようになります。
成長する必要があるのです。
あなたは他人に接する時に「魂の段階」を意識する必要があります。
そうでなければ、意思の疎通が上手くいかない状況に対して苦悩します。
年齢や知識量は関係ありません。
愛の大きさによって計りましょう。
人が「魂の段階」を生きているということを知りましょう。

2015年2月25日水曜日

「ある」と「ない」

人生は主観によって築かれます。
人生はあなたの意思を反映して形成されるのです。
あなたが「ある」と言えば、即(すなわ)ちそれはあります。
あなたが「ない」と言えば、即ちそれはないのです。
あなたの人生は、あなたの主観に頼っているのです。
あなたと他人の生きる人生は違います。
あなたが見ているものと、他人の見ているものは違います。
あなたが知っているものと、他人の知っているものは違います。
あなたが触れているものと、他人の触れているものは違います。
あなたが所有しているものと、他人の所有しているものは違います。
あなたの人生と他人の人生は違うのです。
そのことを理解していなければ、あなたは無知の罠にはまり込み、誤解という迷路をさ迷い、苦悩という結果を受けるのです。
自分と他人を一緒くたに考えてはなりません。
あなたが「ある」と言うものは、あなたの人生の中にあるのです。
あなたが「ない」と言うものは、あなたの人生の中にはないのです。
他人が「ある」と言うものは、他人の人生の中にはあります。
他人が「ない」と言うものは、他人の人生の中にはないのです。
それは、自らの認識の幅、度量の規模、知性の発達、魂のレベル・・・などの自己の原因によって導かれる価値観の違いによって生じる結果です。
あなたが「ある」と言うものは、あなたの可能性として現れます。
あなたが「ない」と言うものは、あなたの可能性としては現れないのです。
あなたが「ある」と言えば、それを追求し、新たな知恵を得ることもできますが「ない」と言えばそこで終わりです。
それ以上に何かを学ぶということは有り得ないのです。
それは、自分自身がその可能性を閉ざしているからなのです。
あなたは自分がどれほどの人物だと思っているのですか?
あなたに「ない」という資格があると思いますか?
あなたはなぜ、それが「ない」と言い張ることができるのですか?
あなたがどれほどのことを知っているというのですか?
あなたが「本当に」知っていることは残念ながら何もありません。
あなたが知っていると思っているものですら、浅い知識であり、又は偽りであるということを理解する必要があるでしょう。
しかし、多くの人は自分が知っているものが偽りものであるということすら知らないのです。
あなたは自分が優れていると思いますか?
あなたの人生は、あなたに何を伝えていますか?
あなたが人生に受け取るものはどのような感想ですか?
あなたは不満や不安によって苦悩を受け取ってはいませんか?
争いによって痛みを感じてはいないでしょうか?
あなたがネガティブな感想を抱いてるのであれば、それは自らの状態が未熟であるということなのです。
成熟した魂は愛に近付きます。
愛に近付いた魂が不満や不安によって苦悩を受けることはありません。
愛に近付いた魂が争いによって痛みを感じることはないのです。
あなたの主観は何に向けられていますか?
あなたの主観は何を人生に見ているでしょうか?
人生は自分自身で築くのです。
無知であること、未熟であることは問題ではありません。
それは、仕方のないことであるからです。
赤ん坊に立って歩け、言いたいことがあるなら話せと言うのは酷なのです。
無知な者に今すぐ知恵を持てと言うことはできません。
未熟な者に今すぐ成熟しろとは言えないのです。
しかし、無知な者は無知なりに、未熟な者は未熟なりに、可能性に向かって進む必要があるのです。
否定を所有する者がそれ以上に成長することがあると思いますか?
初めから決め付けている者にはそれ以上の可能性はないのです。
あなたは何のために人生を生きているのでしょう?
あなたの主観がその問いに向けば、素晴らしい答えを導くこともできるでしょう。
可能性はすべての方向に「ある」ということを忘れてはなりません。
無知であり、未熟なあなたには信じられないようなことが、人生にはいくらでもあるのです。
可能性を「ない」ものとする、詰まらない人生を築いてはなりません。
多くの可能性と共に楽しく生きましょう。

2015年2月24日火曜日

神の法

人は自分自身の価値観の中に生きています。
すべての人が同じ世界を共有しているのではありません。
人は、それぞれの世界を生きているのです。
あなたはそれを混同してはならないのです。
あなたはあなたの世界を生き、他人は他人の世界を生きているのです。
そのことを認められない限りは、誤解によって苦悩に導かれるでしょう。
あなたは世界が自分が信じるものだけではないということを理解する必要があるのです。
人は自分自身の価値観の中に生きるのです。
そのことを忘れてはなりません。
あなたと他人が同じ世界を生きることはできません。
それは、その価値観が同じになることは有り得ないからです。
人はそれぞれに「学びの段階」というものを持ちます。
人は人生に対して、魂の成長を目的としています。
魂は幾つもの人生を重ねます。
それによって多くの経験を得て、少しづつ成長するのです。
今回の人生も、魂を成長させるための経験に過ぎません。
あなたと他人の学ぶべきことは違います。
そのために、同じ人生を生きることには価値がないのです。
同じ世界に生きることには、何の重要性もないということを理解しなければならないのです。
あなたが他人と同じ世界を生きようと考えるのであれば、それは、自分自身の学びを放棄するということです。
それでは、魂は必要な経験を受けることができず、必要な成長を実現することはできないのです。
必要な成長を実現することができなければ、同じことをもう一度繰り返さなければなりません。
成長するまでは、何度も繰り返す必要があるのです。
そのため、あなたは人生を大切に生きる必要があるのです。
繰り返すことは喜びではありません。
新たに受けることが喜びであるのです。
あなたはそのことを忘れてはならないのです。
他人との間で価値観が余りにも違うと、理解が及びません。
理解することができなければ苦悩を引き起こします。
多くの人は理解が及ばない状態に苦しんでいるのです。
しかし、それに苦しむ必要はありません。
理解することが重要なのではないのです。
大切なのは、認めることです。
理解することができなくても、他人の価値観を認めることが重要であるのです。
違いはあって当たり前です。
違う世界において、違う学びがあるのが自然であるのです。
あなたには他人を理解することができません。
できないことに苦悩する必要はないのです。
苦悩するのではなく、ただ、それを認めるように努めましょう。
あなたは自分が知らないことがどれだけ存在すると思いますか?
あなたは自分が知っていることが多いと思うのですか?
あなたは自分が未熟であり、無知であるということを理解する必要があります。
そうすることによって、人は他人と、他人の世界を認めることができるのです。
しかし、理解は必要ありません。
違いがそれぞれに独立すれば良いのです。
違いは互いに尊重し合うことができるのです。
「神の法」においては、違いは共存することができるのです。
違いを許したのは「神」であるのです。
しかし、未熟で無知な小さな存在は、それを誤解して争います。
小さな価値観の中に生き、それがすべてだと思い込むのです。
そのように愚かな生き方をしてはなりません。
世界は愛によって見守られているのです。
愛によって違いを乗り越えましょう。
愛によって他人を認めるのです。

2015年2月23日月曜日

静かな心

何が起ころうとも、動じてはなりません。
あなたは心を収め、動揺を起こしてはならないのです。
人生は学びの場所です。
人にとっての学びとは困難です。
人生には困難が付き物であるのです。
そして、困難に立ち向かうことによって成長を得ることができるのです。
人は学びによって成長を得る必要があるのです。
なぜなら、それが人生の目的であるからです。
すべての経験は成長のために存在します。
成長に関わりのないものは存在しません。
因果の仕組みが存在するのは何のためですか?
あなたはなぜ、自分自身の選択の結果を受けなければならないのでしょうか?
それは、成長するために他ならないのです。
因果の仕組みによって受ける結果によって反省することがなければ、人は成長することができません。
振り返って深く考えることがなければ、それがどのような意味を投げ掛けているのか?ということを理解することはできないのです。
人が熟考するためには、冷静な心境が必要です。
乱れた心は思考を乱すのです。
冷静さを欠いた状態によって意味を理解することは無く、成長することも有り得ないのです。
そのために、何が起ころうとも動じてはならないのです。
あなたは心を収めるように努めていなければなりません。
人生におけるすべての事柄は因果の仕組みによって導かれる当然の結果です。
それは、原因を所有している以上、いずれは受けるべきものであるのです。
結果から逃れることはできません。
人は常に自らの選択(がどのような結果を導くのか?)を理解する必要があるのです。
結果に対して一々動揺していては、進歩がないのです。
人は学ばなければならないのです。
慌てふためき、醜態(しゅうたい)を晒(さら)すために生きているのではありません。
苦悩によって絶望するために生まれたのではないのです。
様々な困難を理解によって乗り越え、幸福であり豊かな人生を生きるために生まれたのです。
あなたはその事実を忘れてはならないのです。
しかし、多くの人は既にその事実を忘れているのです。
そして、人生の出来事に対して一々動揺し、ネガティブな心によって人生を選択しているのです。
あなたが動揺したところで何になりますか?
あなたの求める幸福や豊かさが、動揺することによって僅(わず)かでも実現するでしょうか?
あなたが動揺した時には、すぐさま不幸と乏しさが実現するのです。
人は心を大切にしなければなりません。
心と共に生きるのです。
心は具体的な形を持ちません。
そのために、知恵の浅い者には理解することができません。
形のあるものをすべてだと思い込むのは悪い癖です。
この世界には、具体的な形を持たないものの方が圧倒的に多いというのに、愚かな考えに従ってはならないのです。
自分が知っていることだけを受け入れるというのは愚かな考えです。
あなたは予想だにしない事態を受け取ります。
予想することができないのだから、それは知らないことです。
しかし、現実にそれは起こります。
人生が思い通りに進むなどとは考えない方が良いでしょう。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
未熟であるあなたの考えと、世界を支配する真理の考え(因果の仕組み)のどちらが正しいというのでしょう?
あなたは人生を信頼する必要があります。
あなたの受け取るすべての状況は、あなたにとって大切な学びです。
真理がそれを決めるのです。
動揺する必要はありません。
あなたは穏やかな心によってすべてを受け入れましょう。
何が起ころうとも、動じてはなりません。
動揺を起こしてはなりません。
静かにありましょう。

2015年2月22日日曜日

苦しみを味わう

苦しみには意味があります。
無意味に苦しむ人はいません。
無意味に苦しみは存在しません。
人は必要があって苦しんでいるのです。
必要がなければ、苦しむ必要もないのです。
しかし、多くの人はそのことを知りません。
知ろうともしません。
苦しみに対して目を逸らし、心を閉ざすのです。
しかし、必要があるために存在している苦しみです。
それに対して否定的な感情を抱くのであれば、苦しみの意味を理解することができずに、永遠に苦しむことになるのです。
人生は学びの場所です。
人はそこで成長する必要があります。
人は成長することによって苦しみを克服することができるのです。
成長することがなければ、苦しみを克服することができません。
苦しみの意味を学ぶことがなければ、苦しみは続くのです。
どうにかして、苦しみから逃れようと考える人がいます。
一時的には逃れることができるでしょうが、それでは苦しみの克服とはならないのです。
植物の根を残せば、新たに芽吹くのと同じことなのです。
苦しみの根を絶たなければ、やがて同じ苦しみによって煩(わずら)わされるということなのです。
人は苦しみます。
それは、己が無知であり、未熟であることを教えるためです。
少数ではありますが、苦しまない人もいます。
そのような人は知恵によって守られているのです。
人は、無知であり、未熟であるために苦しむのです。
すべての苦しみは、無知と未熟によって引き起こされるのです。
あなたは苦しみの原因を理解する必要があるでしょう。
あなたが無知であり、未熟であるが故に苦しむのです。
あなたが人生に成さねばならないのは成長です。
成長することが人生の目的であるのです。
そのため、無知や未熟な状態をいつまでも抱えている訳にはいかないのです。
しかし、無知で未熟な者が学びを理解するのは難しいのです。
子どもの間違いを正す親が厳しく接するように、無知で未熟な人間に対して人生は厳しく接するのです。
その表現に対して、人は自分勝手に苦しみを覚えるのです。
そのために、あなたを苦しめるために苦しい状況が存在しているのではありません。
すべては、あなたの成長を願ってのことなのです。
しかし、無知であり、未熟な者がそれに気が付くことはありません。
そのために、人は常に謙虚であり、苦しみを受け入れる気概(きがい)が必要であるのです。
食べたこともないのに、その食材の味を理解することなどできないのです。
他人の感想とあなたの感想は違うのです。
あなたの感じる甘さと、他人の感じる甘さが同じであるということはありません。
その食材の味を知るためには、自分自身で味わう以外に方法はないのです。
目の前に出された苦しみという名の料理の味を理解する人は、あなた以外にはいないのです。
そのために、あなたは自分自身で体験する必要があるということなのです。
そして、自分自身で理解するのです。
苦しみの意味を理解するためには、苦しみを受け入れる必要があります。
苦しみを味わうのです。
多くの人は苦しみから逃れようとしますが、逃れたところで何になるというのでしょうか?
そこに発展があるのでしょうか?
問題を放置しているのであれば、衰退が待つだけなのです。
病気を放置すれば、あなたは肉体を失うことになるのです。
苦しみは受け入れる必要があるのです。
その後に、苦しみの意味を探さなければなりません。
苦しみに会った時、自分の無知や未熟に気が付かなければなりません。
あなたが無知であり、未熟であることを知らせるために苦しみがあるのです。
苦しみに腹を立てていてはなりません。
的外れな行為を繰り返してはなりません。
なぜ、苦しいのか?を考えましょう。

2015年2月21日土曜日

信仰心

人が人生を豊かに生きるためには、信仰心が必要です。
これは、宗教に対する信仰心ではありません。
お金に対する信仰心でもありません。
あなたは、人生における出来事に対する信仰心と、自分自身に対する信仰心を持たなければならないのです。
多くの人は人生に対する信仰心と、自分自身に対する信仰心を持たずにいます。
多くの人が自分の人生と自分自身
を信じることができないのです。
そのために、疑心を所有し、苦悩を得るのです。
あなたは自分の人生を信じていますか?
自分自身を信じたことがありますか?
あなたが不満や不安や恐怖を大切にしているというのであれば、あなたはそれ等の破滅的な感情を信仰しているのです。
不満が導くものは争いです。
不安が導くものは悩みです。
恐怖が導くものは苦しみです。
あなたがこれ等を信仰している(考えている、思っている)のであれば、得られるものは不幸な結果であるということなのです。
人は、自らの信仰を実現します。
愛を信仰している者は愛を実現します。
その言動は愛に根差したものになるのです。
あなたは自分自身が何を信仰しているか?を考える必要があります。
金を信仰している者は、金のために働きます。
金のためであれば、何でも実現するのです。
宗教を信仰している者は、宗教のために働きます。
宗教のためであれば、何でも実現するのです。
何を信仰しているか?ということが大切です。
人生の大半は信仰によって決まるのです。
覚えていなければならないのは、人が未熟であるということです。
人は未熟であるために、判断を間違えます。
人は間違った判断によって、苦しみを得るのです。
信仰心は、人の判断によって成り立ちます。
人は信仰の対象を自分自身の判断によって決めるのです。
人が未熟であるなら、信仰の対象が間違っているということが言えます。
あなたは、自分の信仰するものが正しいと思いますか?
ならば、なぜあなたは不満や不安や恐怖を覚えるのですか?
あなたはなぜ、苦悩を抱えているのでしょうか?
それは、信仰の対象が間違っているということを証明しているのです。
正しい信仰は豊かさと幸福を導きます。
正しい信仰は常に喜びに通じているのです。
人生には様々なことがあります。
あなたはそれを信じることができますか?
多くの人は、自分にとって不利なことに対して否定します。
なぜ、否定するのでしょう?
それは、その状況が自分にとって大切なものであるということを信じていないからです。
そして、その問題を乗り越えていくことができる自分であるということを信じてはいません。
人は、状況と自分を否定するのです。
人生は成長の場所です。
しかし、あなたは未熟です。
未熟なあなたはどのように成長すれば良いのか分かりません。
そこで、人生が因果の仕組みを使って、あなたに最善の経験を導くのです。
あなたにできることは、目の前の状況を信じることです。
そして、自分自身を信じることなのです。
すべてが必要によって満たされています。
自分の人生と自分自身に対して信仰心を持たない者には、この理(ことわり)を理解することはできませんが、目の前の状況や自分を否定することによっては幸福を得ることはできないのです。
そのために、否が応でも最終的には信じる以外に方法はないのです。
自分の人生に対して、自分自身に対しての信仰心を忘れてはなりません。
他人や何かがあなたを救うことはないのです。
あなたを救うのは、自分自身であり、自分の人生であるのです。
最も大切な信仰の対象を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。

2015年2月20日金曜日

愛の欲求

人が人生を歩むためには欲求が必要です。
すべての人が欲求を所有しています。
すべての人が欲求に突き動かされるのです。
欲求が尽きることはありません。
人は、欲求と共に生きるのです。
あなたは、欲求というものが人生を決めるということを覚えておかなければなりません。
どのような欲求に従うのかによって、人生は大きく変わるのです。
どのような欲求に従うべきなのか?ということが重要であるのです。
あなたは自らの欲求に対して、それがどのような結果を導くのか?ということを精査する必要があります。
何も考えずに思い浮かぶ欲求を受け入れていれば、思いも寄らない結果を受けることになるのです。
人は様々な欲求を持つのです。
それは心より生じます。
人の心の中には、様々な感情が存在していますが、欲求はそれ等から生じるのです。
感情の数だけ欲求が存在します。
人は未熟であるために、自らの心を制することができません。
そのために、様々な方向性の感情と欲求を持つのです。
それがポジティブな欲求である場合もあれば、ネガティブな欲求である場合もあります。
人は誰もが未熟な状態を所有しているために、その欲求がどのような性質を持つのか?ということを理解し、どうするのかを決めなければならないのです。
この世界は因果の仕組みによって成り立ちます。
因果の仕組みはすべての状況を支配しているのです。
そのため、あなたが従う欲求に対する答えが、結果として状況に現れるのです。
あなたは想像する必要があります。
自分自身の抱えている欲求がどのような起源を持ち、どのような結果に結び付くのか?
明確な答えを前以て知ることはできません。
しかし、それに近い答えなら知ることは可能なのです。
これまでの人生の経験によって、これからどうなるか?ということは大体分かるでしょう。
あなたは自分自身が正義であるとか、完璧であるとか、間違ってはいないなどと決め付けて考えてはなりません。
人は例外無く未熟です。
あなたが未熟な存在であるのは、その生き方によって証明されている事実なのです。
あなたは自分自身を疑う必要があるのです。
自分が正しいと思っているものは、主観によって導き出された偏見である可能性が高いのです。
多くの人が自分が正しいと思い込んでいますが、正しい人が苦悩するのでしょうか?
正しく生きている人が恐怖に怯(おび)えるでしょうか?
あなたが苦悩を覚えるのであれば、それは間違った生き方の結果であるのです。
それは、間違った欲求に従った結果なのです。
心は絶えず欲求を導きます。
あなたは絶えず欲求によって翻弄(ほんろう)されるのです。
それは、大海に浮かぶ小舟の様です。
小舟は、潮流や風雨によって右往左往を繰り返します。
小舟が目的地を目指すためには、潮流や風雨を巧(たく)みに扱う必要があるのです。
潮流や風雨を巧みに扱えば、小舟は目的地へと素早く辿り着くことができます。
しかし、それ等を巧みに扱うことができなければ、目的地からは遠く離れてしまうのです。
欲求は絶えず導かれますが、あなたはそれを理解して、人生を築く必要があるのです。
目的に対して間違った欲求に従えば、あなたは苦悩を得ることになります。
目的に対して正しい欲求に従えば、あなたは幸福を得ることができるのです。
あなたは目的を明確に所有しましょう。
あなたの求めているものは何ですか?
幸福を求めている人ならば、思いやりや協力などの「愛の欲求」に従う必要があります。
不満や心配、争いや偽善などの欲求に従っているのであれば、それに相応しい結果を受けるのです。
「愛の欲求」に従うことが大切です。
欲求は心より生じるために、あなたは自らの心を野放しにしていてはなりません。
心を見つめ、心を制しましょう。
心を制することができない者が、欲求を制することはできません。
欲求を制することができない者には、人生を制することができないのです。
自らの求める結果を導くのがどの欲求であるのか?ということを、偏ることなく精査しましょう。

2015年2月19日木曜日

持てる力

心を制する者が人生を制します。
人生は心によって作り出されるのです。
あなたは心によって選択し、心によって実現します。
人生を語るのに、心を無視することはできません。
多くの人は心を大切に扱いません。
心には価値がないと思い込んでいるのです。
多くの人が心に重きを置かず、頭脳によって合理的な方法を重視するのです。
そして、自分自身の経験を元にした小さな選択肢の中から、最も優れたものを選ぶのです。
思考は大切な働きではありますが、それに頼り切りになってはなりません。
なぜなら、人は自らの持てるすべての力を結集させることができなければ、人生を制することができないからです。
思考によって考えるだけの者は、表面的なものに捉われてしまいます。
思考に頼る者は経験によって得た情報以外を信用することができないために、思わぬ事態に対応することができません。
既成概念に捕われて、頑固に生きる者は、思考に傾倒していると言えるでしょう。
持てる力の内の限られた部分しか使わなければ、歪みが生じるのは自然です。
思考を中心とした人生の構成であっては、人生自体が歪みを抱えます。
歪んだ人生から得るものは苦悩であるのです。
考えるだけの者は苦悩します。
それは、間違っているからです。
人生とは、考えただけで何とかなるようなものではないのです。
人生は、あなたが考えているよりも遥(はる)かに複雑であり、遥かに単純であるのです。
既成概念によって解決することができるような問題は存在しないのです。
解決済みの問題など、あなたには必要ではないのです。
人生は成長を目的として存在しています。
あなたにとって簡単なことをいつまでも経験する必要などないのです。
そのために、人生には次々に問題が生じるのです。
それは、あなたが成長するためです。
問題を解決するためには、全身全霊を込める必要があります。
懸命に対応しなければ、問題が解決するということはありません。
自らの持てるすべての力を使って、問題に対して向き合う必要があるのです。
思考は心の働きです。
思考は心の中にあります。
そのため、思考という働きは、心の一部の力であるのです。
一部の力によって解決することができるほど、人生の問題は容易なものではないのです。
あなたは持てるすべての力を使わなければならないのです。
心を意識しましょう。
すべては心から生じます。
考えることも大切ですが、感じることはもっと大切なのです。
あなたは感じたことを考えているのです。
思考と感情は別々のものではないのです。
既成概念に拘(こだわ)るのは、心を無視しているからです。
あなたの心は違う選択肢を感じているはずなのです。
心が乱れる時、思考も乱れます。
心が怒りを覚えれば、思考は怒りについて考えるのです。
考えるものを感じるのではありません。
感じたものを考えているのです。
そのために、心を制する必要があるのです。
自分自身の心(感情)すら制することができない者には、人生を制することなど不可能です。
自分自身の心を制することができない野蛮な者には、正しい結果など導けないのです。
怒りや悲しみや怠惰(たいだ)などの破滅的な感情に翻弄(ほんろう)される者は、豊かな人生を生きることはできないのです。
あなたの周囲で豊かに生きる人が、どのような精神状態であるのかを観察しましょう。
豊かに生きる人が怒りや悲しみや怠惰などの破滅的な感情に翻弄されているでしょうか?
喜びや楽しみや優しさなどの建設的な感情を生きているでしょう。
心を制する者は、良い気分を得ます。
心に翻弄される者は、悪い気分を得るのです。
心を制することができない者が豊かな人生を生きることはできません。
あなたは心について考察する必要があるでしょう。
心を大切に生きましょう。
一部に偏ってはなりません。

2015年2月18日水曜日

心の学問

あなたが忘れてはならないのは、人生を生きているということです。
あなたは人生というものを生きているのです。
あなたは自分が人生を生きているということを考えたことがありますか?
人生を生きている意味を考えているでしょうか?
薄弱な意識によって生きてはなりません。
それは、希薄な人生を導いてしまうからです。
乏しい人生に感動はありません。
そのようなものを何年生きたところで、あなたは幸福を得ることはできないのです。
大切なのは、濃厚な人生を生きるということなのです。
人生は長く生きれば良いものではないのです。
愚かな者が百年生きたところで、何になるというのでしょう?
賢者が十年生きる方が何倍もの価値があるのです。
愚者の過ごす一日と、賢者の過ごす一日は全く違うものです。
同じ長さの時間を生きたとしても、その内容は全く違うものであるのです。
愚者の一生と、賢者の一生では全く違う人生となるのです。
人が豊かな人生と幸福を求めているのであれば、賢者として生きる必要があるのです。
賢者とは賢い人のことです。
賢い人とは、知恵の豊かな人のことです。
知恵を育むためには、意識を働かせる必要があります。
心(思考や感情)を良く働かせるのです。
心の働きなしに、知恵の完成は有り得ないのです。
あなたは常に心を働かせなければなりません。
意識的にそれを成すのです。
心を働かせるということは、状況(人生)に対して心を以て向き合うということです。
あなたは自分が人生を生きているという認識の元で、改めて状況を経験するのです。
それによって、得られるものは全く違うものとなるのです。
人生とは、心の学問です。
あなたは常に学びを問い続けなければなりません。
あなたに学ぶ気があれば、すべての状況が学びとなります。
しかし、あなたに学ぶ気がなければ、すべての状況が虚空と化すのです。
人生が学問であるということを知らずに生きている者が大半です。
そのために、時間を無駄に浪費します。
快楽に溺れ、欲望の赴(おもむ)くままに悪事を重ね、苦悩を得るのです。
人生を問うていないがために、そのような表面的な生き方しか知る由がないのです。
人生が何のために存在し、自分が何のために生きているのか?ということに対して、真剣に疑問を持つことがない者には、本当の価値を理解することはできません。
詰まらない人生に命を吸われ、乏しく死んでいくのです。
そのような愚か者を尊敬する者はいないのです。
しかし、多くの人は理解しません。
それでも、自分が(親であったり、歳上であるという詰まらない理由で)尊敬されるなどと空想の世界で思い込んでいます。
自分の愚かさに対して、何の疑問も持たずに生きています。
自分が行っていることが野蛮な行為であることにすら気が付かないのです。
自分自身の行為が自分の首を絞めることすら知らないのです。
あなたは人生を生きているということを忘れてはなりません。
人生を学問として捉えましょう。
生きているということ自体が学びであるのです。
人は学びを放棄することはできません。
学ぶ気の無い者が、豊かな人生と幸福を得ることなどできません。
学ぶ気の無い者は、苦悩によって学ぶのです。
あなたは問い続けなければなりません。
人生とは何か?
何のために生きているのか?
自分の生き方が正しいのか?
このままで良いのか?
教えられる、信じている「それ」は正しいことなのか?
上げれば切りがありませんが、あなたはすべての常識を疑いましょう。
すべてに対して問い掛けるのです。
人生が学びを問う場所であるということを忘れてはなりません。
深く生きましょう。

2015年2月17日火曜日

他人の利益

人は幸福を求めています。
すべての人は人生に豊かさを求めているでしょう。
あなたは幸福であり、豊かな人生を求めているはずです。
すべての人が未熟です。
この世界に完成された人間は存在しません。
そのために、すべての人が幸福に対して試行錯誤を繰り返しているのです。
様々な方法を試し、その中で最も有効であったものを継続することによって、幸福であると思うものを築くのです。
しかしながら、多くの人が幸福を求めてはいても、それを実感、実現することができません。
多くの人が苦悩の中に生きるのです。
その原因は、幸福というものが何であるのか?ということを知らないことにあるのです。
幸福というものの正体を知らずに、幸福を得ることはできません。
人は、自分が知らないものを実現することはできないのです。
世界は、自身の認識によって築かれます。
人は自分自身の信じるものを幸福であると信じるのです。
そのために、幸福というものは自分自身の想像に過ぎないことが実情なのです。
多くの人が自分の想像によって幸福感を得ようとしています。
そして、想像上の幸福を得るために働いているのです。
あなたが幼い頃に思い描いた幸福は、幼いあなたの思い描いた想像上の幸福です。
それが正しくないということではありません。
その時にそう思ったのであれば、それが確かに幸福であったのです。
しかし、考えなければならないのは、歳を重ねるに従って幸福の形は変化し続けているということなのです。
それは、自分自身の想像する幸福の形が不安定であることを現しているのです。
人は未熟であるために、想像力には限界があり、変化もするのです。
現在、あなたが求めている幸福というものは、次の日には幸福ではないかも知れません。
昨日は幸福であると信じていたものが、今日には不幸であるということが実際に起きるということなのです。
それは、未熟な人間の不安定な想像力が生み出す結果であるということです。
明日には変わってしまうものが、どうして幸福であると言えるのでしょうか?
酒を飲んで酔っぱらい、惨(みじ)めで苦しい現実から一時的に逃避して幸福感を味わったとしても、次の日には二日酔いと後悔と共に更に惨めで苦しい一日が訪れるのです。
そのような方法が幸福であるとは言えないでしょう。
あなたは普遍的な価値に対して幸福を求める必要があるのです。
どこに住んでいる。
誰と共にいる。
何をしている。
何を所有している・・・
このような表面的なものは変化し続けます。
そのようなものに幸福を頼っても仕方ないのです。
それは、現実逃避を幸福と呼ぶのと同じであるのです。
普遍的な価値とは、他人の利益によって得られる自身の幸福です。
他人が利益を得ることによって、すべての人が利益を得ることができます。
あなたは自分自身の利益を優先的に考えるべきではありません。
大切なのは、他人の利益を考えることなのです。
すべての利益は他人から導かれます。
他人が不利益を被(こうむ)れば、あなたが得ることのできる利益はないのです。
あなたによって他人が不利益を被れば、あなたは不利益を被るのです。
あなたが利益を得るためには、他人に対して利益を導く以外に方法はありません。
表面的な話をしているのではありません。
「本当の」利益の話をしているのです。
これは、「本当の」幸福の話なのです。
洗脳されているあなたには、この言葉を理解することは難しいでしょうが、自分自身の利益よりも、他人の利益を追求するように努めましょう。
そうすれば、あなたは正しい方法によって、他人にしたことよりも大きな利益を得ることができるでしょう。
他人を害して得た偽物の利益よりも、他人に益(えき)して得られる本物の利益の方が価値があるということを理解しましょう。
あなたに助けられた人は、あなたに貢献するでしょう。
その人が直接的に貢献することがなくても、因果に仕組みによって違う形で必ず返ります。
他人を助けることに不利益などないのです。
あなたが幸福であり、豊かな人生を求めているのであれば、他人を助けることを忘れてはなりません。
本当の幸福が何であるのか?ということを考える必要があるでしょう。

2015年2月16日月曜日

愛の大きさ

人生は因果の仕組みによって築かれます。
すべての状況は、その原因であるあなたの生き方によって導かれるのです。
人生というものがどのような場所になるのかは、あなた次第であるということなのです。
あなたの生き方が重要です。
それ以外は重要ではないということを覚えておかなければなりません。
あなたが如何に多くのものを他人から譲り受けようとも、あなたの生き方が破滅的なものであるのならば、因果の仕組みによってすべてを失ってしまうのです。
あなたが何も持っていなくても、あなたの生き方が建設的なものであるのならば、因果の仕組みによってすべてを得るのです。
因果の仕組みを無視することは誰にもできません。
誰も逆らうことができないのです。
それは、この世界の法なのです。
これを覆(くつがえ)すことも、欺(あざむ)くこともできないということは覚えておかなければならないのです。
すべては自分自身に返るのです。
そのために、あなたは自分自身の生き方について、深く考えるようにしましょう。
自分自身の生き方がこのままで良いのか?ということを考える必要があるのです。
大切なのは「愛」の大きさです。
因果の仕組みは「愛の法」であるのです。
愛の大きさによって、人は自らの選択肢(生き方)を決めます。
愛の大きさによって人生が決まるということを理解する必要があるのです。
愛に乏しい者の受ける人生は乏しいものとなります。
そこには、恐怖や苦しみが存在します。
それは、不満や心配を理由として争うからです。
愛の乏しい者が豊かな人生を得ることなど不可能であるのです。
多くの者が愛に乏しい状態によって生きています。
不満や心配を持たない者がいるでしょうか?
恐怖や苦しみに煩(わずら)わない者は少ないのです。
多くの人が愛に乏しいままに生きています。
そのために、豊かさとは程遠い人生を得るのです。
愛に豊かな者の受ける人生は豊かなものとなります。
そこには、感謝と喜びが存在します。
それは、発見と感動を理由として成長するからです。
愛に豊かな者が乏しい人生を得ることなど不可能であるのです。
残念ながら、この地球において愛に豊かな者は少数です。
そのために、そのような人が輝いて見えるのです。
あなたは自らの所有する愛を最大限に輝かせなければなりません。
愛をできる限り大きく育むのです。
愛に形はありません。
それを明確に指し示すこともできません。
しかし、相手を思いやる気持ちこそが愛に等しいのです。
目先の利益に捕われて、相手に対する思いやりを忘れてはなりません。
多くの人は恐怖や苦しみを信仰しているために、相手に対する思いやりを忘れている状態にあります。
感謝と喜びを信仰している者が、相手に対する思いやりを忘れることなど有り得ないのです。
人生が不正を働くことは有り得ません。
あなたが受ける状況は、あなたに相応しいものであります。
それは、あなたが自分自身で築いた原因に対する当然の結果であるのです。
因果の仕組みがあなたにだけ悪く働くことなど有り得ません。
あなたの生き方に従って、当然の結果を導くだけなのです。
そのために、どのようなことに対しても文句を吐いてはなりません。
それは、自分自身に返ります。
あなたは、自分自身の行為である、愛の大きさによって喜びもし、苦しみもするのです。
人生の意味を考えなければなりません。
頭脳だけに頼って生きてはなりません。
人生の価値は、愛の大きさによって計られます。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、愛の大きさを気にかけましょう。
それは、大きければ大きいほど優れているものです。

2015年2月15日日曜日

人生を諦める者

人生を諦めるのは愚かなことです。
あなたは人生を諦めてはなりません。
人生を諦めるというのは、死を選ぶということではありません。
あなたは生きることを諦めることと、人生を諦めることを混同してはなりません。
生きながら、人生を諦める者が確かにいるのです。
そのように生きてはならないと言うのです。
人生を諦めるというのは、自分自身の魂の情熱に従わずに生きるということです。
人は魂です。
魂には、人生の目的があります。
人は人生に大切な目的を持って生まれ、その目的に従って生き、目的のために死ぬのです。
それは、人にとって崇高な生き方であるということを知る必要があるのです。
何の目的も無く生きて、何の目的も無く死んではならないのです。
そのような人生のどこに感動するというのでしょう?
そのような人生のどこに幸福を覚えるのでしょうか?
あなたは人生を生きているのです。
その意味を深く考える必要があるのです。
意味も無く生きているのではありません。
無駄な命ではないのです。
あなたの人生には大切な目的があるということを、決して忘れてはなりません。
あなたには、あなただけの大切な目的があるのです。
それを探し出さなければなりません。
しかし、あなたは歪んだ思想によってそれを見失いました。
それは、大人からの教育であったり、自分自身の思い込みでもあったでしょう。
とにかく、歪んだ思想が人を人生の目的から遠ざけたのです。
あなたは自分の人生の目的を知っていますか?
あなたは何のために生きているのでしょう?
何のために死ぬのですか?
あなたはいつ死ぬのですか?
命が終わったとしても、死期を見失う者が多いのです。
生きながら死んでいる者もいます。
そのような結果を導いてはなりません。
人は目的のために生きて、目的のために死ぬのです。
あなたが人生の目的を知る(思い出す)ためには、自分自身の人生を生きる必要があります。
ただ生活する、命を繋げるだけでは自分自身の人生を生きることにはなりません。
あなたは、自分自身の魂の情熱を実現する必要があるのです。
魂の情熱を実現することこそ、自分自身の人生であるというのです。
あなたは行きたいところへ行き、やりたいことをしなければなりません。
情熱を諦めてはならないのです。
あなたは好きなことをするのです。
好きなことを言うのです。
好きなところで死ぬのです。
あなたがやっているのは何ですか?
あなたの人生は、本当に自分自身の魂の情熱の結果なのですか?
あなたは人生を諦めてはいませんか?
愚かに生きてはならないのです。
これはあなたの人生です。
他人が口を挟むことは許されません。
しかし、自己責任です。
甘えることは許されません。
あなたの本当にやりたいことは何ですか?
本当に求めている生き方とはどのようなものなのでしょう?
現状の生き方は、あなたに幸福を導きますか?
深く考える必要があります。
人生を諦めた者が幸福を得ることは有り得ません。
良く考えなければなりません。

2015年2月14日土曜日

「神」の力

この世界を収めるのは「神」の力です。
それは因果の仕組みとして現れます。
すべての存在は因果の仕組みによって統制され、例外無く正しく導かれるのです。
この力に抗(あらが)うことのできる存在はありません。
すべての存在が「神」の力に平伏すのです。
あなたは、自分自身が因果の仕組みの中に存在を許されているということを知りましょう。
因果の仕組みを無視することはできません。
すべての瞬間に因果の仕組みは働いているのです。
あなたが自覚しようがそうではなかろうが、因果の仕組みは常にあなたに対して働き続けます。
すべての原因はあなた自身にあります。
それがどのような選択であろうとも、あなたの世界の原因となるのです。
あなたは自分自身で世界を築いているということを理解しましょう。
あなたの選択によって結果という世界が築かれるのです。
あなたはこれを否定することはできません。
すべては因果の仕組みによって、あなたが自ら築くのです。
多くの人は因果の仕組みを知りません。
自分自身がその力の中にこそ存在しているということすら知らないのです。
無知で愚かな者が大半です。
そのために、我欲によって傲慢(ごうまん)に生きているのです。
そして、人生の意味を知らず、自分自身の本質を知らずに、迷いの生存を続け、死後に苦しむのです。
あなたは死後に苦しむような生き方を選択してはなりません。
それは間違った生き方です。
多くの人は死後のことを知りません。
死という、生との決別に恐怖を抱いているので、それと向き合うことを恐れています。
そのために、死後のことを否定するのです。
そして、耽楽(たんらく)を生き甲斐とするようになるのです。
それは現実逃避でしかなく、何の解決にもなりません。
人は必ず死にます。
それは避けられないことです。
生を受けるのであれば、因果の仕組みによって死を受けます。
生が原因であるのならば、死が結果です。
人の人生は、死後の結果のための原因であるのです。
因果の仕組みを知らない者は、問題や苦しみに会った時に慌てます。
どうにかして、この苦悩を回避しようと奔走(ほんそう)するのです。
しかし、この世界を支配しているのは「神」の力である因果の仕組みです。
原因が存在しなければ、結果が導かれることはないのです。
この世界に奇跡などは存在しません。
奇跡に見えることであっても、それに相応しい原因が存在するのです。
そのために、その時になって慌てふためいたとしても、それを回避する方法など存在しないのです。
残念ですが、あなたが苦しみから逃れる方法はありません。
しかし、あなたが苦しみを克服する方法なら存在します。
あなたの人生の目的は何ですか?
あなたは魂を成長させるために人生を生きているのです。
成長するためには経験する必要があります。
苦しいことを乗り越える力を付けることが成長であるからです。
そのため、あなたが苦しみに会った時には、そこからどのように逃げようかなどと考えてはなりません。
どのようにして乗り越えるべきなのか?ということに考えを集中するのです。
苦しみを克服しようとする思考が原因となれば、苦しみを克服するために必要なヒントが結果として導かれるからです。
因果の仕組みは「絶対」です。
これを搔(か)い潜る方法は存在しません。
あなたは苦しみに対して、良いイメージを思考することを忘れてはなりません。
それは解決の難しい問題ではありますが、解決が不可能な問題ではありません。
そのように信じるのです。
既存の概念を捨て去るのです。
因果の仕組みを理解して、それを最大限に利用する必要があります。
人生に幸福を導くのも、苦しみを導くのも、すべては因果の仕組みによってあなたが決めることです。
「偽の神」を信仰してはなりません。
騙されないように注意しましょう。
人生はあなたのものです。

2015年2月13日金曜日

教育の力

人は教育によって作られます。
すべての人は意識的、無意識的に教育を受け続けています。
しかし、教育によって作られるのは判断基準(思考回路)であり、その人の人格の外観であるのです。
人は、教育によって人格の血肉を作るということを覚えておきましょう。
人格の根本には魂というものが存在します。
人格の骨格というものは魂に由来するのです。
ある対象に対して、良い印象を教育されるのであれば、人はその対象に対して笑顔の表情を浮かべるでしょう。
同じ対象に対して、悪い印象を教育されるのであれば、人はその対象に対して嫌悪の表情を浮かべるのです。
魂のレベルでは善悪を決め兼ねるものであったとしても、思考回路のレベルであっては結論に至るのです。
教育というものには、そのように人情を凌駕(りょうが)する力があるということを理解する必要があるのです。
どのように大らかな心の持ち主であろうとも、教育によって思考回路を操作されれば、どのような判断にも対応することができるということなのです。
教育によって怒りや心配を信じるのであれば、人はそのような判断基準を持つことになります。
そのため、怒りや心配を用いる必要のないものに対しても、怒りや心配によって争いや苦悩を引き起こすという結果を得ることになるのです。
それは、教育によって争いや苦悩を判断基準とする思考回路を構築されたということを示しているのです。
怒りや心配を教育されることがなければ、あなたはそれ等を簡単に判断基準とすることはないでしょう。
感謝や安心を教育されているのであれば、怒りや心配などの破滅的な選択肢が判断基準となることは難しいのです。
そのために、教育というものは重要であるということなのです。
あなたは教育の持つ力を軽んじてはなりません。
あなたが現在の思考回路によって物事を判断しているのは、教育の賜物(たまもの)もしくは弊害である可能性があるのです。
人にはポジティブな感情とネガティブな感情があって自然です。
どちらかを否定するという話ではないのです。
どちらも大切なものではありますが、その比率やタイミングが的確でなければ、人生に対して幸福や豊かさを実現することはできないということなのです。
あなたは教育によって思考します。
あなたの思考回路はどのような判断を下しますか?
あなたは人生に何を思い、何を選びますか?
あなたが不足したり、苦悩しているのであれば、その判断は間違っています。
人生がどのような窮地(きゅうち)に陥ろうとも、それに対して満足し、感謝することのできる状態こそが正しいのです。
どのようなことが起ころうとも、人生は最善を導くのです。
それは、あなたが成長するために必要な学びです。
人生が無駄なものや無意味なものを導くということはないのです。
そのために、苦しむことは間違っているというのです。
あなたが人生に対して苦しみを感じているのであれば、それは思考回路(判断基準)に原因があるということを覚えておきましょう。
間違った判断基準は、間違った結果を導くのです。
あなたは自分自身を省みなければなりません。
間違った判断基準を捨て去らなければならないのです。
そして、間違った判断基準を後世に引き継いではなりません。
あなたの教育を受ける者は、あなたと同じ判断基準を受け継ぐのです。
あなたが苦しむのであれば、あなたの教育を受けた者も同じように苦しむのです。
偉そうに講釈(こうしゃく)を垂れる者がいます。
しかし、自分自身の持つ判断基準が本当に正しいのか?
その判断基準が人生の問題を解決し、人生を豊かにし、人生の意味を解明するのか?ということを考える必要があるのです。
間違った判断基準、粗悪な思考回路を引き継いではならないのです。
そのため、人は自ら学ぶことが重要であるのです。
自らの判断基準に疑問を抱き、自分自身の未熟さを知って、毎日勉学に努めるのです。
人は教育によって作られます。
あなたは他人からの教育によって作られますが、最大の師は自分自身であるのです。
人生最大の師が自分自身であるということを忘れてはならないのです。
あなたはこのままで良いと思いますか?
判断基準が変わらなければ、選択肢も変わることがありません。
しかし、時代は移り変わるのです。
学ばない者、進歩の無い者が人生の岐路(きろ)に立つことはありません。
正しい判断基準を得ることがなければ、人生の幸福と豊かさを得ることはできません。
あなたは正しい判断基準を得るために、何が正しいことであるのか?ということを探し続けましょう。
毎日毎日、学び続けるのです。
学びを途絶えさせてはなりません。
良くも悪くも、教育の力を侮(あなど)らないように注意しましょう。

2015年2月12日木曜日

乞食根性

人生とは、成長の場所です。
人は人生において、成長することを求められています。
人は成長しなければなりません。
成長こそが人生の根本的な目的であるのです。
成長するためには学ぶ必要があります。
学ぶことがなければ、成長することもありません。
人が成長するためには学びを得なければならないということを覚えておきましょう。
学びとは、新たな発見です。
新たな発見により、新たな可能性を得ることができるのです。
人は新たな可能性によって初めて成長することができるのです。
無知によっては、成長を実現することはできないということなのです。
そのために、人は多くを学ぶ必要があるのです。
知らないことを一つでも多く知ること、そして、それを一つでも多く理解することが求められるのです。
無知なままであっては成長が途絶えます。
成長が途絶えるのであれば、人生という進路が途絶えるのです。
人が人生を進めるためには、自身の成長というものが必要不可欠であるのです。
なぜなら、人生というものは、自らに相応しい形を得るからです。
自らに相応しいもの以外を手にすることはできません。
人生は常にあなたに相応しい状況であるということなのです。
あなたがどれだけ目くじらを立てて否定したとしても、因果の仕組みによる決定には逆らうことができないのです。
どのような状況を得ようとも、それはあなたに相応しいのです。
すべてはあなたにとっての最善であるのです。
人生はあなたのレベルに合わせて展開します。
あなたはそのことを理解していなければなりません。
学びを得ることによって人は成長することができます。
成長することによって、得られる状況が変わります。
人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、自身の成長を考える必要があるのです。
人生は成長するための場所です。
そのために、あなたはすべての瞬間に学びを得ています。
人生の学びが途絶えることはありません。
途絶えるのであれば、それはあなたの意欲であるということを覚えておきましょう。
あなたに学ぶ気があれば、どこだろうと、どのような状況であろうとも、それは貴重な学びとなるのです。
あなたの意欲によって学びは現れ、あなたの無気力によって学びは消えるのです。
自分自身の在り方というものが重要であるということを知らなければなりません。
不満や不安を吐きながら生きている者がいます。
そのような者が学びを得て、成長を実現することなどできるはずがありません。
そのような愚か者は、一生をかけて同じことを繰り返すでしょう。
いつまで経っても同じような問題を抱え、同じように苦しむのです。
あなたがそのような一生を求めているのであれば、不満や不安を吐き続けていれば良いでしょうが、この言葉を読んでいるあなたはそのような人生を求めてはいないはずです。
あなたは成長を実現し、より豊かな人生を生きることを求めているはずなのです。
あなたは不満や不安などの否定的な思考を手放し、そこから多くを学ぶように努めるのです。
謙虚でなければなりません。
自分が優れているなどという幻想に浸っていてはなりません。
あなたは未熟であり、愚か者です。
そのことに気が付かなければならないのです。
あなたが他人から多くを教わることができるのは、幼少期だけです。
あなたが幼少を離れたならば、誰もあなたにわざわざ教えることはありません。
それに、あなたは他人の行為を煙たくも思うでしょう。
あなたは自発的に学ぶ必要があります。
誰もあなたに学びを教えたりはしません。
人生がどのような状況を導くのかは、あなたの成長レベルに等しいのです。
あなたが成長を求め、自発的に学ぼうと心掛けているのであれば、より良い状況が導かれるでしょう。
他人がお節介によってあなたに学びを運んでくれるなどと考えてはなりません。
そのような甘い考えは捨てるべきです。
そのような乞食根性は何の役にも立たないのです。
自ら学び、自ら成長し、自ら豊かな人生を生きましょう。

2015年2月11日水曜日

駕籠かき

人生を選択するのはあなたの意思です。
あなたは思考や感情を使い、人生を選択します。
そして、その選択を実現するのは肉体の仕事です。
あなたの意思を具現化するのは肉体の仕事であるのです。
どのように考え、どのように思おうとも、肉体の協力無くしてそれ等が実現することはありません。
人生を築くのは肉体です。
あなたにとって肉体という存在は、掛け替えのない大切な相棒であるということを覚えておかなければならないのです。
駕篭(かご)かきは、二人で協力して駕篭を目的地へと運びます。
どちらか一方が働かなければ、駕篭は進みません。
駕篭が進まなければ目的地へと辿り着くことはないのです。
二人が息を合わせ、互いに協力することによって初めて、駕篭は目的地へと向かうことができるのです。
人生を駕篭かきに例えるなら、その二人は意思と肉体です。
あなたは意思と肉体という二人の協力者によって人生という旅路を進んで行くのです。
二人の協力がなければ進みません。
あなたは自らの意思と肉体の重要性を認識しなければならないのです。
意思と肉体を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
それ等を軽んじてはならないのです。
意思も肉体も軟弱であってはなりません。
どちらも力強くなければならないのです。
意思を強くするためには、志を持つことが重要です。
志を持たない者には、意思の強さはありません。
意思の弱い者は、精神的な向上もないのです。
そのため、いつまでも弱々しい考え方と態度に支配されます。
気概(きがい)もなく、すぐに諦め、逃げ出すのです。
そのような意思であっては、駕篭を捨てて逃げるのが落ちなのです。
あなたは志によって意思を強める必要があるということを覚えておきましょう。
肉体を強くするためには、健康に気を使う必要があります。
自分が食べているものが何であるのか?
食べ過ぎてはいないか?
毒を摂(と)ってはいないか?
運動は足りているのか?
睡眠は足りているか?
過労に陥ってはいないか?
肉体に対して思いやりを持っているか?
無知ではないか?
健康という状態を保つためには、多くの優れた働きが必要です。
肉体に対して興味関心がなければ、健康を保つという当たり前のことすらままならないのです。
無知であってはなりません。
せめて、自分が口にしているものがどのようなものであるのか?ということは知っておきましょう。
食生活や生活習慣に気を使い、健康に対して意識的でなければならないのです。
意思と肉体の両方の力強さがあって初めて、人生は前進を始めるのです。
意思とは駕篭かきの先頭です。
肉体はそれを手助けする後尾です。
あなたの肉体は、あなたの意思に従って動きます。
肉体は純粋な存在です。
あなたの意思を手助けしようと努めます。
あなたの意思が肉体の健康を考えるのであれば、肉体は力強く働くでしょう。
あなたは人生が何であるのか?ということを意識しましょう。
あなたの意思が人生をというものを捉えるのであれば、それを正しく生き抜く知恵を求めるようになるでしょう。
人生というものを意識することのない者が、正しく生き抜く知恵を求めることはないのです。
何の信念も無く、その場しのぎの生き方に溺れるでしょう。
駕篭かきは、駕篭を目的地へと運ぶのが仕事です。
意思と肉体の運ぶ駕篭の中には、あなたという魂が乗っているのです。
魂というあなたの本質が目的地に辿り着くことが、人生の達成であるのです。
あなたは意思と肉体を鍛えなければなりません。
意思と肉体にとっての最善を考えなければなりません。
人生というものを深く考えることによって、健康な意思と肉体を育みましょう。

2015年2月10日火曜日

行為の理由

この世界には因果の仕組みが遍(あまね)く行き届いています。
因果の仕組みの外に存在しているものはありません。
すべてが因果関係を結んでいるのです。
大河であれ、源流を辿れば小さな湧き水です。
小さな湧き水が様々なところから一つに繋がって大河を形成するのです。
すべては因果の仕組みの中にあるということを忘れてはなりません。
人の行動には、その原因となる動機というものが存在します。
人は動機に対して行動します。
行動には動機という理由が必要であり、理由がなければそのように行動することはないのです。
湧き水がなければ大河もありません。
理由があるからこそ、行動が存在するのです。
あなたはその人がどのような動機によってそのように行動するのか?ということを考える必要があります。
その理由を深く追求するのであれば、その人が何をしたいのか?ということを理解することに近付き、その人に対する自らの反応を明確に打ち出すことができるでしょう。
その人が何を目的(理由)としてそのように行うのか?を知らなければ、あなたの対応は的を外れることに繋がるでしょう。
大切なのは因果の仕組みが存在しているということを理解することです。
そして、人の行動には必ず理由があるということです。
その理由を理解して、自らの行動を判断する必要があるということなのです。
相手の動機が何であるのかも分からずに、その人を決め付けてはなりません。
自分勝手な妄想によって決め付けるのであれば、その判断の精度は劣悪なものとなるでしょう。
劣悪な判断に従うのであれば、そこから導き出される結果も劣悪なものとなるのです。
それは所謂(いわゆる)苦しみというものなのです。
あなたには信じる人が必要です。
人生において大切なことは、誰を、何を信用するのか?ということです。
この世界は学びを得るための場所であるために、建設的な方向性と破滅的な方向性が用意されています。
学びを得て成長するためには、より建設的な方向性を選択する必要があります。
そのために、詐欺師を信用しているのであれば、豊かさや幸福を得ることはできないのです。
その人がどのうような理由からそのように話し、そのように行っているのか?ということを知る必要があるのです。
しかし、詐欺師が自ら詐欺行為を働いているなどと言うはずがありません。
詐欺師は必ず嘘を吐くのです。
そこで、その真偽を確かめる必要があるのです。
あなたはすべての人の真偽を確かめなければならないでしょう。
その人の行為の理由がどこにあるのか?ということを考え、探らなければならないのです。
詐欺師は、詐欺行為を正しいと信じています。
そのために、詐欺師の嘘を見抜くことは簡単なことではありません。
しかし、それを見極めることができなければ、嘘によって騙されるのです。
詐欺師の詐欺行為は結果です。
あなたはその原因に近付く必要があるのです。
そのためには、知識が必要です。
そのことに関して詳しくなければ、詐欺師の言うことを何の疑いもなく受け入れてしまいます。
それでは、その人の行為の理由が何であるのか?その行為の目的が何であるのか?ということを理解することができないのです。
あなたは知識を集め、知性を磨くように努めましょう。
因果の仕組みを忘れてはなりません。
すべての人の行為には、それを起こすための理由が存在しているのです。
人は動機に従って行います。
動機に反して行うことはないのです。
湧き水が大河を形成するのは自然です。
理由が行動を導くのも自然のことなのです。
詐欺師の理由はあなたを騙すことにあります。
目の前の相手が、意識的、無意識的にあなたを騙そうとしていないかどうかを考えましょう。
その人が何のためにそのようなことを行っているのか?を考えなければなりません。
できる限り源流を辿るのです。
自分の目で源流を確かめなければなりません。
詐欺師が慈善事業だと話したところで信用してはなりません。
善人の行為であっても、詐欺師の行為であったとしても、あなたはその理由を探しましょう。
その動機がどこにあるのか?を確かめましょう。
すべての結果の根本を探り、原因に辿り着きましょう。

2015年2月9日月曜日

生きる理由

あなたは、自分が何のために生きているのか?ということを考え続けなければなりません。
自分が何のために生きているのか?ということを考え続けない限りは、その答えに辿り着くことはできません。
そして、それを考え続けることがなければ、生き方は粗悪なものとなってしまうのです。
人は常に何のための人生であるのか?という問いに対する答えを探し続けなければならないのです。
それは簡単には見付かりません。
その問いの答えを一生かけて探しても見付けることのできない人もいるのです。
あなたは、自分が何のために生きているのか?人生が何であるのか?という問いに対する答えを知っていますか?
あなたは自信を以て答えることができるでしょうか?
しかし、今の答えと最終的な答えには違いがあるために、やはりあなたは一生涯をかけて探し続ける必要があるでしょう。
人生は自分自身の力によって築かれます。
人は自分でどのような人生にするのかを決めるのです。
より的確に表現するのであれば、人生は自分以外には決めることができません。
人生は自己責任の世界です。
これは誰にとっても同じことです。
人とは因果の仕組みの中に生きているために、自らに原因が存在しているのです。
そこで重要になるのが、自分が何のために生きているのか?という問いの答えなのです。
なぜなら、生きている理由こそが選択肢となるからです。
人は、自らの求めるものに従って選択します。
自らの考えるように選択し、自らの行きたいところへ行き、やりたいことをするのです。
どのような理由があれ、結果としての生き方こそが、その人の答えであるということなのです。
人は自己を正当化し、美化もしているために、言い訳を吐きながら何かに取り組んでいます。
しかし、その取り組みは自分自身で決めた生き方以外の何ものでもないのです。
そのため、その人の生き方(現状の行動)を見れば、その人の生きる理由というものを知ることができるのです。
あなたの生き方はどのようなものですか?
あなたは何をしているのですか?
日々をどのように過ごしていますか?
人生は因果の仕組みの中に存在しているために、あなたの行い以外の結果は導かれることはありません。
あなたが人生に対して行ったように、人生もあなたに対して行うのです。
そのため、あなたの生きる理由こそが、人生を築いているということなのです。
あなたが求めている人生(理想)と、現在の生き方に明確な繋がりがありますか?
因果関係が存在しないものは得られません。
多くの人が奇跡というものを期待して、怠慢(たいまん)、傲慢(ごうまん)、矛盾、無知、悪事を楽しんでいます。
しかし、この世界に奇跡というものは存在しません。
因果の仕組みに反するものが存在するはずがないのです。
あなたは何のために生きていますか?
「わたし」はそれを知りたいのです。
あなたは自分自身がその答えを知っていますか?
多くの人は自己の利益を追求する生き方をしています。
利益を追求するがために、知らず知らず大切なものを手放すのです。
そして、自らの首を絞めているということに気が付きません。
その力は少しずつ自らを蝕(むしば)むために、自覚症状が現れた時には手遅れであるのです。
自分が何を求め、何のために生きているのか?ということを問い続ける人は、何が正しい道であるのか?という答えに少しずつ近付くことができるでしょう。
しかし、考えることのない人が正しい答えに辿り着くことはできません。
その場の快楽に溺れ、生きる理由を考え、探し続けることの無かった者が辿り着く場所が後悔と苦しみであるということは、因果の仕組みによって決められていることなのです。
何のために生きているのかも分からないような空しい生き方をしてはならないのです。
あなたには生きる理由があるはずです。
それは、死ぬ理由にも繋がるでしょう。
あなたは何のために生きますか?
何のために死にますか?
人生とはその問いに答えるための場所です。
答えを持たない者が人生を終えることはできません。
答えを持たない者はどこにも辿り着くことができないでしょう。
何のために生きているのか?あなたは一生涯探し続けなければなりません。
毎日、すべての瞬間にそれを探しましょう。

2015年2月8日日曜日

新たな発見

すべての価値は、その価値観によって定められます。
あなたが何に対して価値を見出すのかは、価値観によるのです。
価値観によって価値が想像されます。
そのために、あなたの考えている価値の基準は常に変動しているということを理解しなければなりません。
あなたの価値観は毎日変わっています。
あなたがそれを気が付いているとは限りませんが、毎日変わっているのです。
それは、あなたの所有する価値観が毎日違うものであるからです。
昨日と今日の価値観は違うものです。
その変化は僅(わず)かであったとしても、違うものは違うのです。
昨日に比べると、今日はより多くの経験を重ねているのです。
同じことの繰り返しに思う人が多いでしょうが、昨日と今日のあなたでは全く別の価値観を所有しているのです。
そのために、昨日価値を見出していたものに対して、今日も同じように価値を見出すことができるとは限りません。
今日価値を見出していたものに対して、明日同じように価値を見出すことができるとも限らないのです。
あなたの価値観は不安定なものです。
それは、あなたが未熟であるからに他なりません。
未熟な子どもが学ぶべきことはたくさんあります。
子どもは毎日学んでいます。
それは、あなたにも言えることです。
あなたは未熟な子どもであるために、毎日学びを得ています。
そして、毎日僅かながらにも変化し続けているのです。
今日、新たな発見をしたのであれば、昨日までの価値は崩れ去ります。
それは仕方のないことです。
そのために、同じ価値をいつまでも追い求めたとて、それが本当に価値のあるものであるとは断定することはできないのです。
あなたは、自分自身の価値観が毎日変化しているということを理解しましょう。
そして、あなたの求める価値が毎日変わっているということも覚えておかなければなりません。
そして、あなたの信じている価値は、本当は価値のないものであるということも理解する必要があるのです。
あなたの信じている価値は、昨日までの価値であるのです。
それを価値のあるものだとして懸命に守っているでしょうが、残念ながらそれは明日には価値を無くします。
新たな発見と共に、価値というものは消え去るというのです。
あなたはこのことを覚えていなければなりません。
価値の変化に気が付くことができない者は、執着によって醜(みにく)く生きることになります。
価値の無いものに執着するのであれば、苦しむのは当然のことであるのです。
あなたは自分自身の価値観が不変ではないということを理解しなければなりません。
そして、あなたの信じている価値が、明日には価値の無いものになるということも理解しなければなりません。
新たな事実を得ると、大切に守っていた常識は一気に崩れ去ります。
手を離れた花瓶が、一瞬で粉々になって価値を失うようなものです。
あなたの信じている価値というものは、一瞬にして価値を失う程度のものであるということなのです。
あなたの認識は未熟です。
あなたが知っていることなど、全体のごく一部であるのです。
一部を知っているからといって、価値を見出すのは間違いです。
理解が深まる程に、価値の定義も変わるのです。
そのために、あなたの信じている価値は、本当の価値ではないということを覚えておく必要があるでしょう。
しかし、あなたは信じることができないでしょう。
あなたは長い間、それに価値があると思い込んできたのです。
思い込みを習慣としている状態であっては、その考えを切り替えることは難しいのです。
そのため、あなたはこの言葉を受け入れることはできません。
その結果、苦しむことになるでしょう。
しかし、それは仕方のないことです。
人は苦しむことによって、初めて理解しようとする生き物であるからです。
苦しんで、自らの愚かさに気が付いて、謙虚さを得た時にこの話を思い出してください。
その時には、あなたの役に立つことでしょう。
あなたは毎日、価値観を育むように努めなければなりません。
毎日意欲的に勉強し、新たな発見に努めるのです。
思考や感情や知性が停止するのであれば、偽物の価値を楽しむようになるでしょう。

2015年2月7日土曜日

未熟な船頭

人生は、あなたが成長するために与えられた場所です。
人生は、あなたの成長のために存在しているのです。
すべての状況が成長のために働いています。
人は、成長から逃れることはできないのです。
すべての人が成長する必要があります。
それは、人生の目的というものが成長であるからです。
生きているということは、成長することが前提であるということなのです。
成長が止まれば腐敗します。
そして、滅びるのです。
この世界においては、成長するものだけが存在を許されているのです。
あなたは成長しなければなりません。
成長することがなければ、幸福も豊かさも得ることができないのです。
あなたは何が幸福であり、何が豊かさであるのかを知っていますか?
幸福や豊かさの指標が間違っているのであれば、どれだけそれを集めようとも幸福や豊かさが実現するということはありません。
間違ったものをどれだけ集めても、目的を果たすことはできないのです。
毒を栄養だと思って飲むようなものです。
毒を飲めば、誰であろうとも苦しみを得るのです。
毒を思い込みで栄養にすることはできないのです。
間違っているものは間違っています。
その見極めが必要であるということを覚えておかなければならないのです。
見極めを誤れば、忽(たちま)ち苦しむことになるのです。
自分では幸福や豊かさに繋がる行為だと思っていることでも、実際にはそうではないということが多々あるのです。
間違った方法をどれだけ続けても、決して幸福や豊かさを得ることはできないのです。
あなたは、自分が未熟であるということを知らなければなりません。
あなたは未熟であるために成長を求められて、人生を生きているのです。
未熟な者が考えることは、やはり未熟な方法です。
あなたの思い通りに進むということは、未熟な方法によって状況が築かれているということなのです。
未熟な方法を用いて築かれた状況は、苦しみという結果を導く以外にはないのです。
あなたは、自分の思い通りに進むことに満足を覚えてはなりません。
思い通りの展開に有頂天になっていてはならないのです。
人生には思いも寄らない事態が生じることがあります。
それを人は問題と呼びます。
しかし、これは人生が間違いを正すための働きです。
失敗したり、問題を抱えて苦しむような思い通りには進まない展開というものが、あなたに正しい道を示すのです。
しかしながら、多くの人はこの事実を知らないままに生きています。
そのために、不満や不安などの破滅的な感情によって支配されてしまうのです。
思い通りに進むことは理想的に見えるでしょうが、本当はそうではないのです。
未熟な者が先導する船は、目的地を離れ、暗礁(あんしょう)に乗り上げて沈没してしまうでしょう。
それを防ぐために、人生は真理と守護者を以て道を正させるのです。
多くの人は思い通りにいかない状況に不満を持ちます。
思い通りにいかない状況を嘆(なげ)きます。
しかし、それが本当に正しい方法なのでしょうか?
未熟なあなたの進路を塞いだのは何の為ですか?
そこにどのような意味があるのかを考える必要があるのです。
人生は成長のためだけに存在しています。
すべては成長のためにあるのです。
あなたは常に成長を求められているのです。
成長に対して歯向かうのであれば、因果の仕組みによって苦しみを得るでしょう。
あなたは自分自身を反省し、その方法を再構築する必要があるのです。
そうしなければ、苦しみから解き放たれることはないのです。
自らの間違いに気が付き、それを改善する者でなければ、苦しみは続いていくのです。
あなたが努めなければならないのは、自らを省みることです。
あなたは常に自分を省みて、その方法が成長に対して正しいのか?を考えなければなりません。
人生は、あなたが成長するために与えられた場所です。
思い通りに進むことがなくても、それが最善であるということを忘れてはなりません。

2015年2月6日金曜日

真実の世界

あなたは決して見た目に騙されないように努めなければなりません。
見た目ほど頼りにならないものはありません。
それが、あなたの未熟な主観によって導かれた結論であるのならば尚更です。
多くの人は見た目に騙されます。
それは、主観に頼って生きているからです。
多くの人は自分を中心として考えます。
すべての比較対象が、自分とそれ以外であるのです。
そのため、基準となるものは自分であり、それは主観を優位に扱う結果となるのです。
主観とは未熟なものであるということを理解しなければなりません。
あなたの判断基準ほど不安定なものはありません。
主観における判断ほど、頼りにならないものはないのです。
しかし、多くの人は自己を正当化する癖を持っています。
そのために、自分が未熟であり、間違っているなどとは思いも寄りません。
自分が正しいと思っている愚か者が大半であるということを理解しましょう。
あなたは自分が正しいと思っていますか?
あなたの主観は頼りになると、本気で思っていますか?
自分が未熟であり、間違っていると思いませんか?
多くの人は自分という存在を美化しています。
そのために、盲目になるのです。
多くの人は真実とは程遠い場所に生きています。
多くの人が真実に辿り着くことなく、詰まらない一生を終えるのです。
偽りの世界に喜びを見出したところで、それが何になるというのでしょうか?
結局、それが偽りであったと気が付いた時には絶望するのです。
思い込みによって幸福を得られるなどと考えてはなりません。
それは現実逃避以外の何ものでもないのです。
見た目に騙される者たちは、偽りの世界に生きることになります。
そのような者は妄想の中にしか生きることができません。
偽りの喜びと豊かさを享受(きょうじゅ)し、それが正しい道だと勘違いし、他人を偽りの世界へと導くのです。
そして、他人をも不幸にするのです。
あなたは見た目に騙されるような生き方をしてはなりません。
見た目に騙されないようにしなければならないのです。
詐欺師はあなたに儲け話を持ち掛けます。
しかし、詐欺師の働きは詐欺以外の何ものでもないのです。
見た目が良いからと儲け話に舌鼓(したつづみ)を打つころには、絶望の結果は用意されているのです。
美味しそうな料理だからといって簡単に口にしてはなりません。
美味しそうな見た目であったも、毒が仕込まれているという可能性があるのです。
見た目に騙されることなく、様々な角度から検証する必要があるのです。
見た目に騙されないために、自分自身を高めることに努めなければなりません。
物事の真実を見極める目を育むのです。
そのためには知恵が必要です。
知恵とは知識の体系化によって生み出される知性です。
あなたは学びを途絶えさせてはなりません。
あなたは毎日学ばなければなりません。
一瞬たりとも時間を無駄にしてはならないのです。
欲望に負けて怠慢に人生(命)を浪費してはなりません。
あなたは何のために生きているのですか?
この答えに達するためには、見た目に騙されない自分を実現する必要があります。
見た目に捉われている者には、人生の意味を理解することなどできないのです。
偽りの世界に生きている者が、真実の世界のことを知ることはないのです。
頼りにならないものを信じていてはなりません。
あなたは自分が優れているなどと考えてはなりません。
自らが成長するほどに、あなたは自分が未熟であるという真実に向き合うことになるでしょう。
主観など決して頼りになりません。
自分が偽りの世界に生きているということを知りましょう。
そして、嘘によって洗脳されているということに気が付かなければなりません。
あなたは真実の世界に手を伸ばしましょう。

2015年2月5日木曜日

紙切れと石ころと数字

あなたは、紙切れと石ころと数字を信仰してはなりません。
それ等は、あなたの信仰の対象としては成り立ちません。
あなたの信仰すべきものは「すべて」でなければなりません。
一部に限定する信仰の在り方は不自然であるということを理解しなければならないのです。
多くの人は紙切れと石ころと数字に価値があると思っています。
紙切れと石ころと数字によって喜びもし、苦しみもするのです。
多くの人が紙切れと石ころと数字によって、人生を左右されます。
それは、その人がそれ等を信仰しているからです。
紙切れと石ころと数字を手に入れるために争います。
それ等を手に入れるために嘘を吐くのです。
それ等を手に入れるために裏切ります。
それ等を手に入れるために傷付けるのです。
そのような歪んだ生き方ではならないのです。
人生の目的は成長することにあるのです。
成長することがなければ、人生は間違っているのです。
あなたは成長しなければなりません。
成長するためには、人格を高める必要があります。
成長とは高まりであり、堕落ではありません。
優れた人格が、紙切れと石ころと数字を手にするために争うでしょうか?
そのような物質のために心(良心)を手放すでしょうか?
人は思考であり、感情であり、心であり、精神であり、魂であるのです。
すべての物質はこの世界の所有物であり、人の所有物とはなりません。
人は魂という意識であり、この世界の住人ではないのです。
人は学びを得るために肉体を貸し与えられ、様々な物質を借りているに過ぎないのです。
そのため、どのように集めようとも、それがあなたの所有物になることはないのです。
あなたが命を終える時、すべてを返還するのです。
何一つとして持ち去ることはできません。
あなたが永遠に所有することのできる物など、この世界には何一つ存在していないのです。
そのために、必死になって紙切れや石ころや数字を集めたところで、あなたは豊かさを得ることはできないのです。
大切なのは「すべて」を大切にすることです。
特定の物にだけ価値を見出してはなりません。
その偏見が人生を歪めるからです。
良いことも悪いことも、すべてが大切なものなのです。
人生におけるすべての経験が重要な意味を持つのです。
あなたに紙切れと石ころと数字が重要だと教えたのは誰ですか?
それ等を信仰している人が、あなたの納得する人生の意味を教えてくれましたか?
あなたが何者であるのかを教えてくれましたか?
歪んだ信仰を所有する者は、歪んだ世界に生きることになります。
歪んだ世界では結果も歪んだものになるのです。
あなたは限定的に信仰の対象を定めてはなりません。
あなたは紙切れと石ころと数字などに苦しんではなりません。
あなたは人生を生きているのですよ?
その意味を深く考えなければならないのです。
常識を頼りにしてはなりません。
既成概念(きせいがいねん)を捨てましょう。
洗脳を解くのです。
しかし、それは簡単なことではありません。
長年に渡る教育と、周囲の信仰によって妨害されるからです。
あなたは知恵を育みましょう。
しっかりと見極めなければなりません。
必死に追い求めている紙切れと石ころと数字が、あなたを歪ませる程価値のあるものなのでしょうか?
あなたは必ず死にます。
それは明日かも知れません。
あなたの人生がそれで正解なのかを考える必要があるでしょう。

2015年2月4日水曜日

思い通りの世界

人生とは、決して思い通りに行くものではありません。
思い通りにならないものが人生であるのです。
あなたは、人生というものが決して思い通りには進まないということを理解しておきましょう。
それは、あなたが真理を理解していないからです。
真理を理解していないために、予測と現実に隔たりが生じるのです。
真理とは世界の仕組みです。
それは因果の仕組みであり、状況を導く理(ことわり)です。
すべての状況は因果の仕組みによって導かれます。
人生を理解するためには、因果の仕組みを理解しておく必要があるのです。
しかし、それを理解するのは簡単なことではありません。
人生の意味が何であるのか?
自分自身に不足しているものと、必要なものが何であるのか?
どのような経験を必要とし、どのように学ばなければならないのか?
あなたには知り得ないことなのです。
そのために、人生が思い通りに進むということは有り得ないのです。
何かしら予測とは反する事態が生じるものなのです。
あなたはいつも裏切られます。
予測に反する事態によって、あなたは驚愕(きょうがく)するでしょう。
しかし、それは大切なことです。
それは、人が純粋に学ぶ必要があるからです。
予測を立てて対策を打つのは大切なことです。
しかし、それでは本来の実力を理解することにはなりません。
テストの答えを知っているのであれば、実力を計ることはできないのです。
そのために、テストは不意を付くものであるべきなのです。
思い通りに事が進めば、あなたは何も学ぶことができません。
知っている答えを当てはめていけば良いだけだからです。
そのような方法に成長は見込めないのです。
思い掛けない状況に対して、上手く立ち居振る舞うことによって、実力を計ることができるという訳なのです。
人生はあなたの成長を確かめるテストのようなものです。
あなたの実力がどれだけのものなのかを、思い通りには行かない状況によって確かめているのです。
多くの人は思い通りには行かない状況に対して、不満や不安などの破滅的な感情を選択します。
思い通りに行かない状況に対して、多くの人は恐怖を抱くものなのです。
それが多くの人の中では当たり前のことだからです。
しかし、それは間違った方法です。
なぜなら、それでは結果として喜びを得ることができないからです。
恐怖を抱くのであれば、苦しみを得ることになるのです。
それを成長であるとは言えないのです。
予定通りの問題によって喜びを得ることは簡単です。
しかし、それは偽りであるのです。
不意な状況を喜びに導いてこそ、人の真価であると言えるのです。
そのために、思い通りに行かない状況であったとしても、そこに感謝の気持ちを忘れることなく、喜ばなければなりません。
思い通りに行かない状況に対して、簡単に不満や不安を抱いてはならないのです。
大切なことは、人生が思い通りには行かないものだと認めることです。
人生が簡単なものではないと受け入れることです。
あなたがどれだけ先進的であり、核心的な情報を所有していたとしても、それは簡単には受け入れられないのです。
あなたが如何に正しくても、それを理解することのできる状況が他人の中に整っていないということがあるのです。
その逆も然(しか)りです。
あなたが教える側だろうと、教わる側だろうと、決して思い通りには行きません。
人は他人と共存しているのです。
他人とあなたは違うものです。
その価値観や生き方は必ず擦れ違います。
そのため、思い通りに行くことなどないのです。
あなたは、人生が思い通りに行かないことが自然であるということを理解しましょう。
そして、思い通りに行かない人生に感謝し、真の成長を実現しましょう。

2015年2月3日火曜日

判断基準

あなたは物事を正しく判断する必要があります。
あなたは、正しさの基準というものを持っていなければなりません。
基準がなければ、その判断は曖昧(あいまい)なものとなり、正しさを実現することはできないでしょう。
判断基準が不安定なものであるなら、人は正しさを実行することはできません。
それは、豊かな人生の損失に繋がる愚かな行為であるのです。
正しく行うことができなければ、人生の豊かさは実現しません。
間違った方法を用いるのであれば、間違った結果に至るのです。
間違った結果とは苦しみです。
人は正しく行うことがなければ苦しむようになっているのです。
そのために、人は正しく判断する必要があるということなのです。
自分の中に正しい判断基準が存在しなければ、他人の意見に従わざるを得なくなります。
他人が悪意を以て何かをあなたに頼んでも、正しい判断基準を持たなければそれを実行するようになるのです。
子どもは純粋です。
すべての大人を信用しています。
それが親であるのならば尚更です。
子どもは親の言うことを疑うことがありません。
そのため、親の言うことに従い、親の言うように行い、親の行うように自らも行うようになるのです。
その子どもが大人になっても同じです。
自分よりも社会的に優れた肩書きの人物の言うことを疑うこともなく受け入れます。
その人物が悪意を以て何かを頼んでも、正しい判断基準を持たない大人は、それを正しいと思い込んで実行するのです。
悪意によって実行するなら、その結果は苦しみであるのです。
悪意で行った結果が喜びであることは決してありません。
誰かを陥(おとしい)れようと画策したり、相手を傷付ける目的で実行したことによって豊かさを得られる人はいないのです。
悪意によって財産を築く人はいますが、それは見掛だけの豊かさであって、本当の豊かさではないということを理解しなければならないのです。
唯物論者はここで思考が停止します。
しかし、人は思考であり、感情であり、心であり、魂であるのです。
これ等が満たされない限りは、本当の意味での豊かさではないということなのです。
悪行を成して心が満たされるでしょうか?
悪行によって財産を築いて、魂が喜ぶでしょうか?
あなたは何が正しいことであるのかを考える必要があります。
あなたはどうすれば心が満たされるのか?を深く考える必要があるのです。
正しい判断基準を獲得する必要があります。
心が満たされる方法が、人間にとって正しい道です。
後ろ暗い方法など、決して正しい道ではないのです。
あなたは品位を手放してはなりません。
自然の持つ美しさを忘れてはならないのです。
良心を裏切ってはなりません。
あなたの心は、常にあなたを正しい道へと引き戻そうとするはずです。
それを欲望によって潰してはならないのです。
気高く生きるのです。
品良く有ることが正しい道であるのです。
不満や不安などによって狼狽(うろた)えていてはなりません。
それは正しい道ではないのです。
あなたは恐怖に怯えないようにしなければなりません。
そのような愚かな道は豊かさへとは続かないのです。
あなたは、自らの生き方が品格を欠いていないか?を省(かえり)みましょう。
命に従って懸命に生きているでしょうか?
常に成長に努め、学びに努めているでしょうか?
自分よりも弱い存在を精一杯に助けているでしょうか?
愚かな者に気付きを与えているでしょうか?
悪意に対して抵抗しているでしょうか?
あなたは物事を正しく判断する必要があります。
何が正しいことなのかを理解することなく、豊かな人生は決して得られません。
悪事を命令されて働いているようでは、苦しみを受けるのが関の山であるということを覚えておきましょう。
すべての大人を信用してはなりません。
正しい判断基準を育むのです。

2015年2月2日月曜日

闘い

あなたは、習慣からの脱出が簡単ではないことを理解しましょう。
人は習慣に縛られる生き物です。
人は自らの所有する習慣に従って人生を選択します。
習慣に背くことは難しく、大抵の場合が習慣を基準として決めるのです。
あなたは、普段と違うことをするのに抵抗があるでしょう?
それは、習慣という居心地の良い場所が存在しているからです。
しかし、習慣にとどまっているということは、新たな可能性を手にすることができないというリスクを負うことにもなります。
新たな可能性を手にすることができなければ、状況や時代の変化に対して遅れを取るということに繋がります。
それは、状況や時代に対応することができないということを意味しています。
状況や時代に対応することができないということは、問題に対して後手に回るということです。
問題を解決することができなければ苦しみます。
習慣にとどまっているということは、後に苦しみを得るという結果に繋がるということであるのです。
今が良ければ良いという短絡的な考えに騙されてはなりません。
今を大切にしなければならないのは当然ですが、それは後のことを考えている必要があるのです。
後のことを何も考えずに今という状況だけに刹那的に生きたところで、人生が豊かさを得るということは有り得ないのです。
あなたはより良い人生を手に入れるために、劣悪な習慣を手放す決心をしなければならないのです。
同じことを繰り返していても進歩はありません。
習慣に捕われているのであれば、発展はないのです。
常に新たな可能性を探し、より良い人生を手に入れなければなりません。
しかし、習慣を手放すことは簡単ではありません。
習慣を手放そうとすれば、離脱症状が襲うからです。
習慣はあらゆる手段を以てあなたを引き止めます。
煙草や砂糖を断つと、不満や心配に苛(さいな)まれるようにです。
多くの人は離脱症状に打ち勝つことができずに、再び習慣の中に戻ります。
そして、同じ苦しみを味わうことになるのです。
人生を豊かなものにしたければ、習慣と闘う必要があるのです。
習慣の用いる離脱症状に打ち勝ち、新たな世界を手にしなければならないのです。
あなたが新たな世界を獲得しようとする時、必ず状況的な問題や人間関係などの問題が生じます。
不満や心配などの精神的な問題も襲います。
しかしながら、あなたはそれ等に負けてはなりません。
これは自分自身の弱さとの闘いなのです。
新たな世界を手に入れるためには、その世界に相応しい人物である必要があります。
条件を満たさない者が、手に入れられるものではないのです。
相応しいもの以外を手にすることはできません。
離脱症状に打ち勝つことができない者は、新たな世界を手にすることはできないのです。
あなたは習慣との闘いが簡単ではないことを理解し、それに臨みましょう。
不満や心配などの破滅的な感情が襲いますが、それを覚悟しておくのです。
恐怖に襲われ、暗闇の道を孤独に歩むことになりますが、それが正しい道のりです。
誰も助けてはくれません。
誰もあなたの代わりにはなりません。
これはあなたの人生であり、あなたの闘いであるのです。
覚悟を決めましょう。
愚かな習慣を断ち切りましょう。
あなたは理想を描かなければなりません。
豊かな人生とはどのようなものを言うのですか?
あなたが思い描く豊かな人生というものが知りたいのです。
あなたはそれを知っておく必要があるのです。
理想を掲げ、そこに向かって進むのです。
あなたは豊かな人生をできる限り具体的に思い描いておきましょう。
いつもそれを想像するのです。
それは、離脱症状との闘いで役に立ちます。
目の前の苦しみに浸ってはならないからです。
足元が泥濘(ぬかる)んでいようとも、先の青空を見て進むのです。

2015年2月1日日曜日

無知の克服

人が豊かに生きるためには、無知であってはなりません。
無知であっては、人生の豊かさや幸福というものを手にすることはできないからです。
人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、無知を克服しなければならないということを理解しましょう。
一つでも多くのことを、少しでも深く知りましょう。
知らないことが多く、知っていることが浅いものであるのならば、人は人生の選択を誤ります。
豊かさは自力によって実現する必要があるのです。
奇跡などという曖昧(あいまい)なものは存在しません。
すべては因果の仕組みによって動くからです。
原因が存在しないものは、決して結果として導かれないのです。
原因が存在しないものを待ち続けても、それが実現することは有り得ないのです。
奇跡など起きません。
あなたはそのような何の根拠もないものを信じてはならないのです。
奇跡に見えるものも奇跡的に見えるだけであって、因果の仕組みの中に存在している当然であるということを知らなければなりません。
無知な者はこれに騙されます。
奇跡を説く詐欺師の嘘に騙されるのです。
詐欺師を信用するのであれば、結果として財産を失います。
それは当然の結果であるのです。
詐欺師が奇跡的にあなたを儲けさせることなどないのです。
あなたは無知であってはなりません。
すべては当然の結果です。
不満や不安を用いる人がいます。
このような人たちは、不満や不安を信じ、自ら仰(あお)いでいるのです。
それは、恐怖に支配されてのことです。
不満や不安を用いる人には、残念ながら信念というものがありません。
信念がないために、その生き方には根拠もありません。
しかし、豊かさや幸福などの利益に対しては強欲です。
根拠もないのに、執心(しゅうしん)ばかりが膨らむのです。
すべては因果の仕組みの中に存在します。
どのように思い巡らそうとも、原因がなければ結果はありません。
多くの人は無知であるが故に、豊かさや幸福に対して必要な原因や根拠を知らずにいるのです。
そのために、不満や不安などの破滅的な感情を信じ、恐怖に支配されるのです。
詐欺師に騙されないためには、知恵が必要です。
詐欺師の嘘を見破る自力が必要であるのです。
あなたは人生を豊かに生きる方法を知っていますか?
幸福がどのような原因から導かれるのかを考えたことがありますか?
不満や不安などの破滅的な感情が、あなたに豊かさや幸福を導いたことがあったでしょうか?
あなたは無知であってはなりません。
いつまでも間違った習慣を続けていてはならないのです。
無知な者は何の根拠もなく信じ込みます。
それは、無知であるからです。
自分自身で精査する力がないために、目の前の情報に飛びつくのです。
釣り針が隠された食べ物を口にしてはならないのです。
無知な者は気が付きません。
そして、陸に上げられた魚のように、慌てふためいて苦しむのです。
しかし、その時には既に遅いのです。
陸に上げられた魚に待っているのは、無惨な死に様だけなのです。
魚は海の中で生きて、海の中で死ぬべきなのです。
人間は自分の人生の中に生き、自分の人生の中に死ぬべきです。
無知であってはこれを実現することはできません。
何の根拠も無く騒ぎ立てる愚か者には、豊かさや幸福など到底実現することはできないのです。
あなたは常に根拠を探しましょう。
奇跡を信じて待っても、決して起こりません。
時間の無駄です。
根拠のある原因を探し、それを実行する必要があるのです。
無知を克服しなければなりません。