あなたが忘れてはならないのは、人生を生きているということです。
	あなたは人生というものを生きているのです。
	あなたは自分が人生を生きているということを考えたことがありますか?
	人生を生きている意味を考えているでしょうか?
	薄弱な意識によって生きてはなりません。
	それは、希薄な人生を導いてしまうからです。
	乏しい人生に感動はありません。
	そのようなものを何年生きたところで、あなたは幸福を得ることはできないのです。
	大切なのは、濃厚な人生を生きるということなのです。
	人生は長く生きれば良いものではないのです。
	愚かな者が百年生きたところで、何になるというのでしょう?
	賢者が十年生きる方が何倍もの価値があるのです。
	愚者の過ごす一日と、賢者の過ごす一日は全く違うものです。
	同じ長さの時間を生きたとしても、その内容は全く違うものであるのです。
	愚者の一生と、賢者の一生では全く違う人生となるのです。
	人が豊かな人生と幸福を求めているのであれば、賢者として生きる必要があるのです。
	賢者とは賢い人のことです。
	賢い人とは、知恵の豊かな人のことです。
	知恵を育むためには、意識を働かせる必要があります。
	心(思考や感情)を良く働かせるのです。
	心の働きなしに、知恵の完成は有り得ないのです。
	あなたは常に心を働かせなければなりません。
	意識的にそれを成すのです。
	心を働かせるということは、状況(人生)に対して心を以て向き合うということです。
	あなたは自分が人生を生きているという認識の元で、改めて状況を経験するのです。
	それによって、得られるものは全く違うものとなるのです。
	人生とは、心の学問です。
	あなたは常に学びを問い続けなければなりません。
	あなたに学ぶ気があれば、すべての状況が学びとなります。
	しかし、あなたに学ぶ気がなければ、すべての状況が虚空と化すのです。
	人生が学問であるということを知らずに生きている者が大半です。
	そのために、時間を無駄に浪費します。
	快楽に溺れ、欲望の赴(おもむ)くままに悪事を重ね、苦悩を得るのです。
	人生を問うていないがために、そのような表面的な生き方しか知る由がないのです。
	人生が何のために存在し、自分が何のために生きているのか?ということに対して、真剣に疑問を持つことがない者には、本当の価値を理解することはできません。
	詰まらない人生に命を吸われ、乏しく死んでいくのです。
	そのような愚か者を尊敬する者はいないのです。
	しかし、多くの人は理解しません。
	それでも、自分が(親であったり、歳上であるという詰まらない理由で)尊敬されるなどと空想の世界で思い込んでいます。
	自分の愚かさに対して、何の疑問も持たずに生きています。
	自分が行っていることが野蛮な行為であることにすら気が付かないのです。
	自分自身の行為が自分の首を絞めることすら知らないのです。
	あなたは人生を生きているということを忘れてはなりません。
	人生を学問として捉えましょう。
	生きているということ自体が学びであるのです。
	人は学びを放棄することはできません。
	学ぶ気の無い者が、豊かな人生と幸福を得ることなどできません。
	学ぶ気の無い者は、苦悩によって学ぶのです。
	あなたは問い続けなければなりません。
	人生とは何か?
	何のために生きているのか?
	自分の生き方が正しいのか?
	このままで良いのか?
	教えられる、信じている「それ」は正しいことなのか?
	上げれば切りがありませんが、あなたはすべての常識を疑いましょう。
	すべてに対して問い掛けるのです。
	人生が学びを問う場所であるということを忘れてはなりません。
	深く生きましょう。
	
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