人生は主観によって築かれます。
人生はあなたの意思を反映して形成されるのです。
あなたが「ある」と言えば、即(すなわ)ちそれはあります。
あなたが「ない」と言えば、即ちそれはないのです。
あなたの人生は、あなたの主観に頼っているのです。
あなたと他人の生きる人生は違います。
あなたが見ているものと、他人の見ているものは違います。
あなたが知っているものと、他人の知っているものは違います。
あなたが触れているものと、他人の触れているものは違います。
あなたが所有しているものと、他人の所有しているものは違います。
あなたの人生と他人の人生は違うのです。
そのことを理解していなければ、あなたは無知の罠にはまり込み、誤解という迷路をさ迷い、苦悩という結果を受けるのです。
自分と他人を一緒くたに考えてはなりません。
あなたが「ある」と言うものは、あなたの人生の中にあるのです。
あなたが「ない」と言うものは、あなたの人生の中にはないのです。
他人が「ある」と言うものは、他人の人生の中にはあります。
他人が「ない」と言うものは、他人の人生の中にはないのです。
それは、自らの認識の幅、度量の規模、知性の発達、魂のレベル・・・などの自己の原因によって導かれる価値観の違いによって生じる結果です。
あなたが「ある」と言うものは、あなたの可能性として現れます。
あなたが「ない」と言うものは、あなたの可能性としては現れないのです。
あなたが「ある」と言えば、それを追求し、新たな知恵を得ることもできますが「ない」と言えばそこで終わりです。
それ以上に何かを学ぶということは有り得ないのです。
それは、自分自身がその可能性を閉ざしているからなのです。
あなたは自分がどれほどの人物だと思っているのですか?
あなたに「ない」という資格があると思いますか?
あなたはなぜ、それが「ない」と言い張ることができるのですか?
あなたがどれほどのことを知っているというのですか?
あなたが「本当に」知っていることは残念ながら何もありません。
あなたが知っていると思っているものですら、浅い知識であり、又は偽りであるということを理解する必要があるでしょう。
しかし、多くの人は自分が知っているものが偽りものであるということすら知らないのです。
あなたは自分が優れていると思いますか?
あなたの人生は、あなたに何を伝えていますか?
あなたが人生に受け取るものはどのような感想ですか?
あなたは不満や不安によって苦悩を受け取ってはいませんか?
争いによって痛みを感じてはいないでしょうか?
あなたがネガティブな感想を抱いてるのであれば、それは自らの状態が未熟であるということなのです。
成熟した魂は愛に近付きます。
愛に近付いた魂が不満や不安によって苦悩を受けることはありません。
愛に近付いた魂が争いによって痛みを感じることはないのです。
あなたの主観は何に向けられていますか?
あなたの主観は何を人生に見ているでしょうか?
人生は自分自身で築くのです。
無知であること、未熟であることは問題ではありません。
それは、仕方のないことであるからです。
赤ん坊に立って歩け、言いたいことがあるなら話せと言うのは酷なのです。
無知な者に今すぐ知恵を持てと言うことはできません。
未熟な者に今すぐ成熟しろとは言えないのです。
しかし、無知な者は無知なりに、未熟な者は未熟なりに、可能性に向かって進む必要があるのです。
否定を所有する者がそれ以上に成長することがあると思いますか?
初めから決め付けている者にはそれ以上の可能性はないのです。
あなたは何のために人生を生きているのでしょう?
あなたの主観がその問いに向けば、素晴らしい答えを導くこともできるでしょう。
可能性はすべての方向に「ある」ということを忘れてはなりません。
無知であり、未熟なあなたには信じられないようなことが、人生にはいくらでもあるのです。
可能性を「ない」ものとする、詰まらない人生を築いてはなりません。
多くの可能性と共に楽しく生きましょう。
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