人は幸福を求めています。
	すべての人は人生に豊かさを求めているでしょう。
	あなたは幸福であり、豊かな人生を求めているはずです。
	すべての人が未熟です。
	この世界に完成された人間は存在しません。
	そのために、すべての人が幸福に対して試行錯誤を繰り返しているのです。
	様々な方法を試し、その中で最も有効であったものを継続することによって、幸福であると思うものを築くのです。
	しかしながら、多くの人が幸福を求めてはいても、それを実感、実現することができません。
	多くの人が苦悩の中に生きるのです。
	その原因は、幸福というものが何であるのか?ということを知らないことにあるのです。
	幸福というものの正体を知らずに、幸福を得ることはできません。
	人は、自分が知らないものを実現することはできないのです。
	世界は、自身の認識によって築かれます。
	人は自分自身の信じるものを幸福であると信じるのです。
	そのために、幸福というものは自分自身の想像に過ぎないことが実情なのです。
	多くの人が自分の想像によって幸福感を得ようとしています。
	そして、想像上の幸福を得るために働いているのです。
	あなたが幼い頃に思い描いた幸福は、幼いあなたの思い描いた想像上の幸福です。
	それが正しくないということではありません。
	その時にそう思ったのであれば、それが確かに幸福であったのです。
	しかし、考えなければならないのは、歳を重ねるに従って幸福の形は変化し続けているということなのです。
	それは、自分自身の想像する幸福の形が不安定であることを現しているのです。
	人は未熟であるために、想像力には限界があり、変化もするのです。
	現在、あなたが求めている幸福というものは、次の日には幸福ではないかも知れません。
	昨日は幸福であると信じていたものが、今日には不幸であるということが実際に起きるということなのです。
	それは、未熟な人間の不安定な想像力が生み出す結果であるということです。
	明日には変わってしまうものが、どうして幸福であると言えるのでしょうか?
	酒を飲んで酔っぱらい、惨(みじ)めで苦しい現実から一時的に逃避して幸福感を味わったとしても、次の日には二日酔いと後悔と共に更に惨めで苦しい一日が訪れるのです。
	そのような方法が幸福であるとは言えないでしょう。
	あなたは普遍的な価値に対して幸福を求める必要があるのです。
	どこに住んでいる。
	誰と共にいる。
	何をしている。
	何を所有している・・・
	このような表面的なものは変化し続けます。
	そのようなものに幸福を頼っても仕方ないのです。
	それは、現実逃避を幸福と呼ぶのと同じであるのです。
	普遍的な価値とは、他人の利益によって得られる自身の幸福です。
	他人が利益を得ることによって、すべての人が利益を得ることができます。
	あなたは自分自身の利益を優先的に考えるべきではありません。
	大切なのは、他人の利益を考えることなのです。
	すべての利益は他人から導かれます。
	他人が不利益を被(こうむ)れば、あなたが得ることのできる利益はないのです。
	あなたによって他人が不利益を被れば、あなたは不利益を被るのです。
	あなたが利益を得るためには、他人に対して利益を導く以外に方法はありません。
	表面的な話をしているのではありません。
	「本当の」利益の話をしているのです。
	これは、「本当の」幸福の話なのです。
	洗脳されているあなたには、この言葉を理解することは難しいでしょうが、自分自身の利益よりも、他人の利益を追求するように努めましょう。
	そうすれば、あなたは正しい方法によって、他人にしたことよりも大きな利益を得ることができるでしょう。
	他人を害して得た偽物の利益よりも、他人に益(えき)して得られる本物の利益の方が価値があるということを理解しましょう。
	あなたに助けられた人は、あなたに貢献するでしょう。
	その人が直接的に貢献することがなくても、因果に仕組みによって違う形で必ず返ります。
	他人を助けることに不利益などないのです。
	あなたが幸福であり、豊かな人生を求めているのであれば、他人を助けることを忘れてはなりません。
	本当の幸福が何であるのか?ということを考える必要があるでしょう。
	
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