あなたは物事を正しく判断する必要があります。
あなたは、正しさの基準というものを持っていなければなりません。
基準がなければ、その判断は曖昧(あいまい)なものとなり、正しさを実現することはできないでしょう。
判断基準が不安定なものであるなら、人は正しさを実行することはできません。
それは、豊かな人生の損失に繋がる愚かな行為であるのです。
正しく行うことができなければ、人生の豊かさは実現しません。
間違った方法を用いるのであれば、間違った結果に至るのです。
間違った結果とは苦しみです。
人は正しく行うことがなければ苦しむようになっているのです。
そのために、人は正しく判断する必要があるということなのです。
自分の中に正しい判断基準が存在しなければ、他人の意見に従わざるを得なくなります。
他人が悪意を以て何かをあなたに頼んでも、正しい判断基準を持たなければそれを実行するようになるのです。
子どもは純粋です。
すべての大人を信用しています。
それが親であるのならば尚更です。
子どもは親の言うことを疑うことがありません。
そのため、親の言うことに従い、親の言うように行い、親の行うように自らも行うようになるのです。
その子どもが大人になっても同じです。
自分よりも社会的に優れた肩書きの人物の言うことを疑うこともなく受け入れます。
その人物が悪意を以て何かを頼んでも、正しい判断基準を持たない大人は、それを正しいと思い込んで実行するのです。
悪意によって実行するなら、その結果は苦しみであるのです。
悪意で行った結果が喜びであることは決してありません。
誰かを陥(おとしい)れようと画策したり、相手を傷付ける目的で実行したことによって豊かさを得られる人はいないのです。
悪意によって財産を築く人はいますが、それは見掛だけの豊かさであって、本当の豊かさではないということを理解しなければならないのです。
唯物論者はここで思考が停止します。
しかし、人は思考であり、感情であり、心であり、魂であるのです。
これ等が満たされない限りは、本当の意味での豊かさではないということなのです。
悪行を成して心が満たされるでしょうか?
悪行によって財産を築いて、魂が喜ぶでしょうか?
あなたは何が正しいことであるのかを考える必要があります。
あなたはどうすれば心が満たされるのか?を深く考える必要があるのです。
正しい判断基準を獲得する必要があります。
心が満たされる方法が、人間にとって正しい道です。
後ろ暗い方法など、決して正しい道ではないのです。
あなたは品位を手放してはなりません。
自然の持つ美しさを忘れてはならないのです。
良心を裏切ってはなりません。
あなたの心は、常にあなたを正しい道へと引き戻そうとするはずです。
それを欲望によって潰してはならないのです。
気高く生きるのです。
品良く有ることが正しい道であるのです。
不満や不安などによって狼狽(うろた)えていてはなりません。
それは正しい道ではないのです。
あなたは恐怖に怯えないようにしなければなりません。
そのような愚かな道は豊かさへとは続かないのです。
あなたは、自らの生き方が品格を欠いていないか?を省(かえり)みましょう。
命に従って懸命に生きているでしょうか?
常に成長に努め、学びに努めているでしょうか?
自分よりも弱い存在を精一杯に助けているでしょうか?
愚かな者に気付きを与えているでしょうか?
悪意に対して抵抗しているでしょうか?
あなたは物事を正しく判断する必要があります。
何が正しいことなのかを理解することなく、豊かな人生は決して得られません。
悪事を命令されて働いているようでは、苦しみを受けるのが関の山であるということを覚えておきましょう。
すべての大人を信用してはなりません。
正しい判断基準を育むのです。
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